♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ゆだねて生きる、とは?/関根弘興

2015年11月30日 | Weblog
2015/11/30放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 さて、今日は番組にこんな聖書の質問が届いています。
 「神様に委ねるということがどうしても分かりません。教えてください。」
 こういう御質問です。神様に委ねるとはどういうことなのか、今日はご一緒にこのことを考えたいと思うんですねえ。

 「委ねる」とは、別のことばで言うならば「お任せする」ということですよね。私はこの番組を制作する時に、出演者として声を出しています。でも番組を制作するためには出演者のほかに機械を調整したり、編集したり、様々な働きがあります。私は収録が終わるとどうするかというと、「それじゃあ後はお任せね。」と言って何もしないで帰っていく訳です。無責任なことではありませんよねえ。もしあなたが飛行機に乗ったら、一番その飛行機のことやその操縦のことを心配し気を遣わなければならない人は誰ですか? あなたですか? 違いますよね。機長ですよねえ。実は私たちは毎日の生活で、委ねる事、任せることをしながら生きているんです。これを一人でやろうとしたらどこにも行けませんし何もできませんよね。
 それと同じように神様に委ねる、神様におまかせしながら生きていくということを聖書は勧めているんです。聖書の箇所を紹介いたしましょう。
 第一ペテロ5章7節
 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
 このように書かれています。

 私たちは思い煩いが毎日のように湧いてきます。でもその都度その都度、「神様、おまかせします。」と告白して生きていきなさい、と勧めているんです。思い煩いを神様に知っていただきなさい。そうしたら神様が神様の方法でちゃんと整理し解決してくださるんですよ、と聖書は教えているんですね。

 また詩篇の37篇の5節には、「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」と書かれています。

 また詩篇の55篇の22節という所には、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」と約束されています。私たちは余りにもいろんなことを独り占めしてしまって、自分で最後まで何かをしなけばならないと思っているかもしれません。でもそうではないんです。神様に委ねること、おまかせする事なんです。もちろん思い通りにならないこと、たくさんあります。でも神様はすべて御存知ですから「委ねます」と告白しながら歩んでいきましょう。

 (PBA制作「世の光」2015.11.30放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■平安を与える計画/羽鳥頼和

2015年11月28日 | Weblog
2015/11/28放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今月の土曜日は旧約聖書のエレミヤ書からお話しています。エレミヤ書の最後52章にはユダの国がバビロンによって滅ぼされた経緯が詳しく記されています。かいつまんでお話するとこのような感じです。

 ユダの治世の第9年の10月10日、バビロンがエルサレムを包囲。2年後の第11年の4月9日、バビロンは城壁を破壊。ユダの王は捕えられ、目の前で子どもたちを殺され、自分は両目をつぶされてバビロンに連行され、死ぬまで牢獄に入れられた。バビロンの王はその年の5月10日、エルサレムの神殿、王宮、そして住宅のすべてを焼き払い、城壁もすべて崩した。エルサレムにはわずかな貧しい者を残し、他のすべての者をバビロンに強制的に連行、バビロン王は神殿の装飾品などの備品とすべての財宝を本国に持ち帰った。バビロンに連れて行かれた人数は全部で4,600人であった。

 なぜこんなに詳しく書いたのでしょう。一つはこれが歴史的事実だからです。でもそれだけではありません。エレミヤ書は歴史書ではなく神のことばを伝える預言書ですから神が教えようとしていることがここにあります。エレミヤ書はバビロン捕囚の出来事を詳しく語ることによって、神の預言はその通りに成就するということを教えているのです。このようなエレミヤ書は神がただ裁く方ではなく人を幸せにする方であることを教えています。エレミヤ書の29章11節で神はこう言われます。

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 平安を与える計画とはキリストの十字架による救いです。バビロン捕囚が歴史的事実であるようにキリストの十字架も歴史的事実であり、それによる救いも確かであり、私たちに将来と希望を与えるのです。

 明日は日曜日です。あなたに希望を与える神を知るためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2015.11.28放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■Boys,Be Ambitious!! クラーク博士 /岩井基雄

2015年11月27日 | Weblog
2015/11/27放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は札幌で活躍されたクラーク博士について学んでみましょう。

 医者の子どもとして育ったクラークは大学で植物学を教えます。アマースト大学の教え子、新島 襄(にいじま じょう)の紹介から日本政府の要請を受け、彼は1876年、明治9年に札幌農学校---今の北海道大学---の教頭に就任します。当時教えていた大学の休暇を使ったわずか8ヶ月の滞在でしたが、多くの学生に深く影響を残しました。彼らの多くがキリストを信じる決心をしたのです。クラークが残したものでボーイズ・ビー・アムビシャス 「青年よ、大志を抱け」ということばを御存知の方は多いでしょう。札幌農学校一期生との別れの際に語ったものと言われていますが、正確な表現は実は分りません。ボーイズ・ビー・アムビシャス・ライク・ディス・オールドマン「この老人のように大志を抱け」という説も、ボーイズ・ビー・アムビシャス・イン。クライスト「キリストにあって大志を抱け」と語ったという説も有力です。クラーク自身、幾度かこのフレーズを用いたのかもしれませんね。しかし、もう一つ有力な説は次のことばです。「青年よ、大志を抱け。しかしそれは金銭のためや利己的な満足、更には消えてなくなる名誉や名声のためではない。人間が人間として世のため人のためになりうることを達成するための大志でなくてはならない。」 大きな志を抱くのは名誉のためでも金銭のためでもない、世界や人々に貢献するために志を高く掲げて実行することこそ神様の愛を聖書から学んだ君たち青年の務めだ、とクラークはチャレンジしたのですね。

 彼に影響を受けた内村鑑三、新渡戸稲造たちは様々な苦難に出会いつつも神様に信頼をおき、日本の新しい歴史を作り上げていきました。

 聖書には次のようなことばがあります。

 「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」 新約聖書 ピリピ人への手紙 2章13節

 あなたはどのような大志を抱いていますか? なくなるもののためではなく、神様の愛によって、世界や人々ために大志を抱き、キリストにあって歩ませていただきましょう。
 (PBA制作「世の光」2015.11.27放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■あなたのしあわせは川のように/福井 誠

2015年11月26日 | Weblog
2015/11/26放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたの幸せは川のように」です。それではイザヤ書48章17節、18節からお読みしましょう。

 「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」

 イスラエルという国は実に不思議な国ですね。聖書には神に選ばれた民、神様の祝福の基いとなるために選ばれた民として描かれています。しかし実際の所、彼らの歴史は神の選びを特権として考えて傲慢になり、神様の祝福を近隣の国にわかち合うその使命に忠実ではありませんでした。しかも具体的な困難があれば彼らは目に見えない神よりも目に見える偶像に依り頼みました。イスラエルの民はいつも目先で物事を考えて、神の壮大な御計画を考える力はなかったのです。ですからイザヤはバビロンに捕虜として連れ去られて国を失っていたイスラエルに神が新しい出エジプトつまりイスラエルがバビロンの支配から解放されることを語っても、それを受け入れたり信じたりできるものは居ないと語ります。神が「新しい時代をこれから起こそう、新しい祝福をこれからもたらそう」と語りかけてもそれを受けとめる霊的な力が無いというのです。

 しかしそれはまさにイスラエルのみならず私たちの現実をも語っていますよね。私たちは自分の人生に行き詰まりを覚えながら生きていることがあります。神様、この人生は何とかならないものか、自分は何のために生きているのか分からない、ああ死にたい、神様救ってくれ、そんな思いで生きていることがありますね。

 しかし「神様」と呼びながら実際には神様を信じていやしないということがありませんか? まさに望みないというところでこそ神の可能性に目を開いて生きることが信仰なのです。私たちは神様がどんな方であるのかをよく分かっていないのかもしれませんね。「わたしの命令に耳を傾けるならその幸せは川のように勢いづくであろう」と語る神様の素晴らしさをぜひ聖書を読む中で知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.11.26放送でのお話より )

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■主の安息日/板倉邦雄

2015年11月25日 | Weblog
2015/11/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか板倉邦雄です。今日は「主の聖安息日」という題でお話ししましょう。

 一週間は7日間ですそのうち6日間は仕事や家事そして学校で学んでいます。今は週に2回休日の所もありますね。ところで世界中のキリスト信徒たちは日曜日を主の聖安息日として休み、主なる神様に礼拝して参りました。

 さてモーセは集まった会衆の長老たちに向かって言いました。「主なる神はこう言われました。明日は主の聖安息日で休みである。今日、6日目に焼こうとする物を焼き、煮ようとする物を煮ておくようにしなさい。残ったものは朝まで蓄えて保存しなさい。」(参照 出エジプト記 16章23節)  長老たちは帰って会衆にモーセのことばを伝えました。パンや食べ物を朝まで保存したのです。

 いよいよ主の聖安息日です。休みの日を迎えました。モーセは言いました。「今日、昨日用意したものを食べなさい。今日は主の安息日であるから、野原に出て行っても収穫できないでしょう。6日の間働いてマナをお集めなさい。7日目は安息日であるから、その日には何もないであろう。」(参照 出エジプト記 16章25節 )

 ところが、人々の中には欲張って主の聖安息日に野に出て行って集めようとした者たちがいました。しかし何も得られなかったのです。主なる神様は世界の始まりの時から労働の神様でした。6日間働いて天地万物を造られたのです。そして7日目に創造の働きを止め、安息日として定めました。この日を他の日よりも祝福の日として区別されたのです。それは神のかたちに造られた私たち人間のためでした。「見よ。主はあなたがたに安息日を与えられた。故に6日目には2日分のパンをあなたがたに賜るのである。」(参照 出エジプト記 16章29節 ) ですから世界中のキリスト者信徒たちは6日間働いて7日間ガツガツ働いている人と同じ給与をいただけることを味わっているのです。ですから日曜日の主の聖安息日には通常の労働や家事、学習を休んで主なる神様を礼回してきました。神様からの祝福を受けるからです。

 イエス様のことばです。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのもの--衣食住--は、すべて添えて与えられるであろう。 」マタイの福音書6章33節

 (PBA制作「世の光」2015.11.25放送でのお話より )

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■主の祈り 43 ゆるし / 大嶋重徳

2015年11月24日 | Weblog
2015/11/24放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリスが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りには「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」ということばがあります。この祈りのテーマは「赦し」です。

 親に深く傷つけられ今も親を憎んでいて親を赦すことができない、ということがあります。先日、ある友達が「親にされたように自分の子どもにしてしまう自分がいるんだ。」と話してくれました。自分はあんな親のようにはしたくないと思いながら自分もあんなふうにされたんだから自分だけがこんな目に遭うのはひどい、と自分がされたようにいつの間にか同じことをしそうになる。赦せないということは赦しのない人間関係を世界中に広げ、連鎖させていくこととなります。

 しかしこの主の祈りは宣言します。私はあの人を主にあって赦します。しかし実際は宣言した後に何度も赦せないという思いになるのが本当の所でしょう。無理やり「赦す」と自分に言い聞かせても、怒りはすぐに込み上げてきます。しかしそのたびに自分こそが神様の赦しが必要だと知らされます。「我らの罪を赦したまえ。」と、そして祈るんです。そしてそのたび私たちはイエス・キリストの赦しのことばを聞きます。それから今一度繰り返し宣言するんです。「私はあの人の罪を赦します。」

 この途方もなく続くように思うこの祈りは、しかしやがて確実に本当に赦せるという方向に向かっていくのです。この主の祈りのサイクルを私たちは繰り返していくのです。そしてやがてこの主の祈りを続けて行くとき、神の赦しを人に分け与える人となっていくのです。赦せない自分の弱さを認め、赦せなかった自分の弱さを知っている人こそ、人を裁かず、人の弱さの傍らに立つことができます。

 私たちが赦すことのできる報酬は何でしょうか。それは神様の赦しを知って、もっと赦せる人となっていくことです。クリスチャンとは誰のことをも赦せるスーパーマンのような存在ではありません。むしろ赦せないその人と共に神の赦しを受けるために一緒に神様の前に出て行くことのできる存在です。その時、神の赦しが私たちの上に降り注ぐのです。その赦しを全身で受け取っている人から赦しは溢れ出ていく。赦しを祈る祈りは怒りの鎖を立ち切り、世界を赦しの輪で広げていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.11.24放送でのお話しより )

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■恵みと信仰/関根弘興

2015年11月23日 | Weblog
2015/11/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日も新約聖書の中のパウロが記したエペソ人への手紙の中にある言葉を紹介しながらお話いたしましょう。

 エペソ人への手紙2章4節(、5節)

 「 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、----あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。---- 

 神様は私たちのためにイエス・キリストを通して素晴らしい救い、つまり罪の赦しと永遠の命が与えられ生きていける道を備えてくださいました。

 それでは私たちはその救いをどのようにして自分のものとして受け取ることができるのでしょう。パウロは、「あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」と記しています。
 
 恵みとは一体何でしょう。恵みとは、それは本来ふさわしくない者に与えられる一方的な愛のわざなんですねえ。私たちの心の奥隅の罪の赦しも永遠の命も、自分の努力や力では得ることなどできません。一方的な恵みによると聖書は教えます。

 「恵み」ということを別の表現で言い換えるならば「贈り物」つまり神様からのプレゼントということも言えますね。本来私たちは神様から永遠の救いという素晴らしいプレゼントをいただく資格などありません。でも神様は信じる一人一人に与えてくださると約束されているんです。

 みなさん例えば私が「あなたにプレゼントします」と何かを差し出したら、あなたはどうしますか? 「ありがとうございます」と言って手を差し出してそのプレゼントを受け取るのではないでしょうか。実は聖書が教える信仰とは、プレゼントが差し出された時、「はい、ありがとうございます」と、そのプレゼントを感謝して受け取る行為そのものなんです。ですからパウロは、「あなたがたは恵みにより信仰によって救われたのです」とも記しています。つまり本来ふさわしくない者に与えられる一方的な神様の愛のわざである恵みのプレゼントを「はい、ありがとうございます」と心から受け取ることによって人は救われるのですよ、とパウロは教えているんです。それは決して努力や修行やあなたの頑張りではなくて、ありがとうございますと感謝を持って心の手を差し伸べて受け取ることから始まっていくんですね。



 (PBA制作「世の光」2015.11.23放送でのお話しより)

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■神のさばきとイエス・キリスト/羽鳥頼和

2015年11月21日 | Weblog
2015/11/21放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今月の土曜日は旧約聖書のエレミヤ書からお話ししています。エレミヤ書の46章から51章には、ユダの国以外の諸外国についての神のことばが記されています。エレミヤ書では45章まではユダヤ人への神の裁きの宣告が語られてきました。そして次に外国の民に対する神の裁きの宣告がされるのです。今日は特にその中でアモン人とエドム人に対する神のことばについてお話ししたいと思います。

 当時、アモン人はユダの国の領土を侵略し、その一部を占領していました。アモン人はバビロンの手先となってユダの国を攻撃していたのです。神はユダの領土に侵略したアモン人に対してさばきを宣告されました。「あなたがたは神がユダに与えた領土を侵略した。それえわたしはあなたがたを裁く。あなたがたはバビロンによって滅ぼされ、人々はバビロンに連れて行かれる。」(エレミヤ書 49章1~5節参照)

 続いて神は、エドム人に対して語られました。エドム人に対して神はさばきを宣告しました。宣告の後でこう言われました。「誰かわたしのような者があろうか。誰かわたしを呼びつける者があろうか。誰かわたしの前に立つことのできる王があろうか。」(エレミヤ書 49章19節参照)

 王は国を正しくさばく者です。神は自分こそが真の王であると言われているのです。神こそが全世界を治めるまことの王なのです。神は全世界を裁く権威を持っています。そして神は正しく裁かれます。神は今も正しい裁きを行う方として全世界を支配しておられます。神は必ず世界に裁きを行われるのです。しかし神は裁きの前に救いの道を用意されています。それがイエス・キリストです。

 キリストは言われています。
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」 新約聖書 ヨハネの福音書5章24節

 明日は日曜日です。イエス・キリストを使わして私たちを救おうとされている神のことばを聞くために、キリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.11.21放送でのお話より )
 
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■世の罪を取り除く神の子羊 マルコ③/岩井基雄

2015年11月20日 | Weblog
2015/11/20放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 この9月から第三週の金曜日はマルコの福音書から学んでいます。旧約聖書の預言者エリヤを思い出させように登場したバプテスマのヨハネの神への悔い改めを説くメッセージは当時のイスラエルの人々の心に深く届きました。そして多くの人々が神様の前に自分の罪を告白して洗礼を受けたのです。そしてヨハネは罪の悔い改めの洗礼を受けた人々にこう語りました。
 「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」 新約聖書マルコの福音書1章7節、8節  

 ここにある「その方」とは神の御子イエス・キリストのことでした。イエス・キリストはまことの力を持つ方であり、悔い改めを表す水のバプテスマではなく命と愛を注ぐ聖霊の神様のバプテスマを授けてくださる方であり、ヨハネが靴の紐を解く値うちもないほど尊いお方だ、と言うのですね。そして別の時にヨハネは、イエス・キリストのことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ 1章29節)と紹介しました。イエスこそ人の罪を取り除く救い主であり、人にいのちを与えるためにご自分のいのちを犠牲にされる神の小羊だったのです。しかし、唯一罪を悔い改め必要のない神の御子イエス・キリストがこの洗礼者ヨハネのもとに来て洗礼を受けました。

 聖書はこう記しています。
 「イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。」  マルコの福音書1章9節

 なぜ罪のない神の子キリストが悔い改めの洗礼を受ける必要があったのでしょうか。それは私たちへの模範でした。すべての良いことを実行され私たちと同じ罪人の立場に立ち、愛のわざを行い、私たちに救いの道・罪の赦しの道・いのちの道を開いて用意してくださったのです。

 あなたもこの神の御子イエス・キリストのもとに来て、愛といのち、赦しと救いをご自分のものとなさいませんか? 神様はあなたを愛し、あなたが神のもとに、教会に来るのを待っていらっしゃるのです。


 (PBA制作「世の光」2015.11.20放送でのお話しより)

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■あなたは疲れている/福井 誠

2015年11月19日 | Weblog
2015/11/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたは疲れている」です。それではイザヤ書47章13節をお読みしましょう。
 「あなたに助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。

 47章はバビロンという国が滅びることを預言しています。バビロンの繁栄は永遠ではありませんでした。その昔、バビロンは「優しい上品な女」「王国の女王」と呼ばれ、誰もがバビロンに憧れました。しかそのバビロンはやがて捨てられ貧しさと恥を味わうようになる、と言うのです。それまで戦争に負けたことがなく攻められたこともない、時の支配者だったバビロンが一転して奴隷とされる、と言います。たとえバビロンの軍隊がどんなに堅固に思われても、国の栄華が永久不滅のように思われても、神が裁かれる時にそれは一瞬の内に失われてしまう、と。

 神の前に特別はありません。例外はないのです。大切なのはまことの生ける神を認めることです。死せる偶像の神、ただの石や木に過ぎない神を捨て去り、魔術や占いにではなく、目には見えませんが唯一まことの神を認めてそのお方にこそ信頼を寄せることです。そうでないならば、たとえ彼らがどんなに呪術を行なってもその魔術は何の役にも立たないだろう、と言います。 実際の所、すべては空回りし、あなたは疲れている、ということが起こるのだと言うのです。

 確かに人生にはそういうことがあるものですね。悪い事続き、不運続きというのであちこちの相談所に顔を出す。しまいには占いを巡り歩いて答えを見いだそうとする。一向に物事が解決しないし、お金はなくなるし疲れただ果てている、ということがあるものですね。聖書はそこには救いはない、とはっきりと語ります。神の裁きのことばは聞いていて気持ちの良いものではありませんが、聖書は罪の赦しと神の救いへとと私たちを招こうとしているに過ぎません。聖書の神は裁いて終わりではないのです。困難をきっかけとしてイエスにある罪の赦しをもって私たちと関係を回復し、私たちに新しい人生を与えようとしているのです。ぜひ聖書を読んで、この唯一まことの神様の恵みと憐れみにこそ心を留めていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2015.11.19放送でのお話より )

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