♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主はみこころのままに変えられる / 福井 誠

2023年11月30日 | Weblog

2023/8/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。
 今日は「主はみこころのままに変えられる」と題してメッセージをいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

  「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。
   主はみこころのままに、その向きを変えられる」
                 旧約聖書 箴言21章1節

 この聖書のことばには一つの思い出があります。
 牧師になる前、私は作業療法士として大学病院で働いていました。大学病院でしたから、仕事の内容には厳しい面がありましたが、仕事そのものは楽しくやりがいがありました。1年、2年とキャリアを重ねるにつれて、大学で教えないかという声もあり、目的をもって精力的に仕事をしていました。
他方、私には将来その仕事を辞めて牧師になるための学校へ行って牧師にならないかという話もありました。しかし、それは私には全く興味のない話でした。

 そんなある日、私は雪道を運転していて車のスリップ事故を起こしたのです。命は助かったものの大変な事故でした。そして私はその事故を通して改めて神の守りと助けの中で自分が生きていることを思わされたのです。そして思い起こしたのが、このみことばでした。
  「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる」

 この箴言が書かれた時代、王の決定は絶対的なものでした。しかし、その動かしがたい決定すら覆されることがある。作業療法士の仕事を辞める気など毛頭なかった私が、いつしか自分の人生の進む道を改めて考え、牧師になることを考えていることに気づきました。

 人はあれこれ人生を計画します。あと何年したらこうしよう、ああしようと。しかしすべては神の支配の中にあることです。人が長く生きるのも短く生きるのも神次第、人生の成功失敗も神次第です。神を勘定に入れて、神の御心を考えて人生設計をする。そこに確かな私たちの歩みもあるのです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.28送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■キリストの十字架の意味 / 森田友明

2023年11月29日 | Weblog

2023/8/26放送

 「世の光」の時間です。岩手県滝沢市にあるハレルヤチャペルの牧師、森田友明です。

 イエス様は十字架の上で、「完了した」と最後のことばを放って息を引き取られました。「完了した」は別訳では「成し遂げられた」です。これは、イエス様の生涯はこの十字架にかかるためであったことの証言です。

 最後のことばはその人の人生の集約とも言えます。一休さんは「死にとうない」と言って、87歳で亡くなったと言われています。バッハは妻を呼び、「私に音楽を聴かせておくれ。もはやその時だから、お別れは死の歌を歌っておくれ」と。家族が讃美歌を歌うと、彼の顔は大変柔和になり、息を引き取ったと言われています。

 そのように最後のことばはその人の人生の集約と言えます。

 イエス様の最後のことばは「完了した」です。何が完了したのでしょうか? 何が成し遂げられたのでしょうか?
その前に、罪について知らなければなりません。

 聖書に、「すべての人は罪を犯したから神の栄光を受けることができない」(ローマ人への手紙3章23節参照)と書いています。あなたも私も例外なく生まれながらの罪人(つみびと)だというのです。そして、「人間には一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節参照)と書いています。このままでは、すべての人は自らの罪のために裁かれ永遠の死に至るのです。

 しかし神は一人の人も滅びるのを望んでいません。実にイエス様が十字架で完了されたのは、あなたを罪の滅びから救うためだったのです。神はそのひとり子であるイエス様に苦しみを与え、十字架で砕きました。イエス様は自らの激しい苦しみの後を見て満足しました。それは、私たちに代わって罪のさばきをお受けになったからです。そのことにより、あなたを罪と死と滅びから救ってくださいました。

 そして神はイエス様を復活させました。死を打ち破ったのです。もはや罪と死は何の力も無くなり、神の赦しと愛のみが注がれます。

 実にキリストの十字架の意味はそこにあったのです。それは、信じるあなたが罪赦され、永遠のいのちに生きるためです。あなたもイエス様を信じて神の祝福の生涯に入っていただきたいと思います。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.26送でのお話しより )


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■聖霊をいただく満ち満ちた人生 / 森田友明

2023年11月28日 | Weblog

2023/8/25放送

 「世の光」の時間です。岩手県滝沢市にあるハレルヤチャペルの牧師、森田友明です。
聖書の神は、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神で、三つで一つの神です。今日はその一つ聖霊についてお話します。イエス様が十字架にかかったのが金曜日の朝です。その夕に死亡し墓に葬られました。しかし、3日目に復活したのです。

 そして復活から7週間目の日に、聖霊が弟子たちの上に降りました。その日、聖霊に満たされた弟子たちは、エルサレムでイエス様の救いを語りました。そして、三千人の人々が信じて洗礼を受けました。それが最初の教会の始まりです。その後、二千年の時が流れました。聖霊が働いて、現在は全世界に教会が広がっています。

 しかしそれとは反対に、人間社会は人間中心に動いてきました。現代に至って、戦争や災害で混迷を深めています。「国は国に、民族は民族に敵対して立ち上がり、地震や飢饉が起こる」(参照 マタイの福音書24章7節、マルコの福音書13章8節)と聖書の預言が成就しています。

 あなたを造り、あなたにいのちをお与えになっている神がおられます。その神が、あなたを救いのご計画に組み入れているならば、あなたの人生には明確な使命があり、死んで終わらない永遠のいのちがあるのです。

 聖霊はあなたを癒やし、救います。信じる者にキリストによる罪の赦しを与え、あなたの内に住んでくださいます。

 本来、人は神によって特別に造られた存在です。人格の中心に神のいのちが宿っていました。他の動物とは違って、人は神のいのちにつながり、神との完全な愛の交わりにありました。信頼と喜びと自由に満ちていました。しかし、罪により、人は霊のいのちを失いました。人格の中心に空洞ができたのです。

 アウグスチヌスは、その空洞はあなたを造られた神しか満たすことができない、と言いました。永遠に、そして完全にあなたの心の空洞を満たすことができるのは神である聖霊です。聖霊はあなたの内に住み、あなたにいのちを与え、それは死に終わらない永遠のいのち、永遠の祝福、決してしぼむことのない希望と喜びです。

 ぜひキリストを信じて聖霊を受けてください。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.25送でのお話しより )


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■期間限定の希望の人生 / 森田友明

2023年11月27日 | Weblog

2023/8/24放送

 「世の光」の時間です。岩手県滝沢市にあるハレルヤチャペルの牧師、森田友明(ともあき)です。 

 聖書をお読みいたします。伝道者の書7章2節
 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。
  そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ」

 お葬式に行く方がお祝いの席に行くより良い、と言うのです。なぜかと言うと、お祝いでは楽しくて、いつまでも自分は生きると錯覚してしまいますが、お葬式では自分にも死があることに気づくからです。

 カトリックの修道士たちはラテン語で「メメント・モリ」ということばで挨拶をしていると聞きました。それは、「私たちは死ぬべきものであることを心せよ」という意味です。死は誰にでも来ます。「どうせ死ぬのだからあきらめなさい」というのではなく、「死があるからこそ、今を前向きに生きなさい」と言う意味です。

 私は大学1年の時、十二指腸潰瘍になり、下宿で洗面器いっぱいの血を吐いて入院。点滴で出血は止まりました。その入院中のことです。隣のベッドに40代の男性がいました。全身が黄色くなり、ある夜、血を吐いて止まらず、死亡しました。若い奥さんと二人の子どもたちは打ちひしがれていました。私は、死は絶望であると深く印象付けられました。今まで死なんて考えたこともなく、自分はずっと生きる、と思っていました。

 そのようなときに聖書に出会いました。神のひとり子イエス様は救い主として来てくださいました。イエス様はすべての人の罪の身代わりとなって裁かれ、十字架で死んでくださいました。そして復活し、死を打ち破ってくださいました。信じる者は永遠の滅びから永遠のいのちに移るのです。

 死が絶望と考えていた時は、人生は死んだら終わりなので、面白おかしく、心の望むままに生きることが良い、と思っていました。しかし、死の向こうに約束されたいのちがあることを知ってからは、神が与えてくださったこの期間限定の人生を喜び楽しみ、神を愛し、人に仕える生き方を求めるようになりました。

 期間限定の人生です。死の向こうに約束されたいのちがあります。あなたもイエス様を信じて、しぼまない希望の人生を歩んでみませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.24送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■生きる励まし・3 / 奥田久良

2023年11月26日 | Weblog

2023/8/23放送

 「世の光」の時間です。宮城県気仙沼市にある気仙沼聖書バプテスト教会の顧問牧師、奥田久良(ひさよし)です。今朝もひと時、聖書の話をお聴きください。

 昨日は、どうしてもイエス様に会いたいと思ったザアカイの話をさせていただきました。彼は社会的な立場と財産を得ましたが、心に寂しさを覚えていました。

 あなたの周りにも、このような人はいませんか? 頑張っているのに認めてもらえない。・・・ 大勢の人でイエス様に近づくことが出来なかった時、彼は「いちじく桑の木に登った」と書いてあります。子どものようですねえ。

 そんなザアカイのことをイエス様はご存知でした。何と、「今日、あなたの家に泊ることにしている」と言ってくださいました。
 イエス様はあなたのこともご存知ですよ。そしてもっとあなたと親しくなりたいと思っておられます。

 ザアカイはどうしたでしょう? 「喜んでイエス様を迎えた」と書いてあります。人々から「罪人(つみびと)のところに行って客となった」と言われようとイエス様は平気です。それよりザアカイと親しく語り合いたいと思われたのです。

 するとザアカイは、「私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します」と言いました。これまで人から軽蔑されると、もっと金儲けに励んで、お金で見返してきたザアカイですが、もうお金に頼らなくなったのです。

 あなたは何を生き甲斐にしていますか? お金ですか? 社会的な立場ですか? お金に頼らなくてもイエス様を迎えたとき、ザアカイは喜びに満たされ生きる励ましをいただいたのです。

 するとイエス様は、こう言われました。「今日、救いがこの家に来ました」。

 聖書の言う「救い」とはそういうことです。イエス様を心に迎えるとき、喜びに満たされ、生きる励ましをいただくのです。
 あなたもイエス様を心に迎えてください。

 もっと知りたい方は私どもにお便りください。お待ちしています。
 どうぞこれからも、「世の光」放送をお聴きください。

 あなたに神様の恵みがありますように。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.23のお話しより )


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■生きる励まし・2 / 奥田久良

2023年11月25日 | Weblog

2023/8/22放送

 「世の光」の時間です。宮城県気仙沼市にある気仙沼聖書バプテスト教会の顧問牧師、奥田久良(ひさよし)です。ひと時、聖書の話をお聴きください。

 昨日は、ザアカイという取税人の頭で金持ちの話をさせてもらいました。彼は社会的な立場と財産を得ましたが、幸せではありませんでした。当時はローマ帝国の支配下にあって、ローマに仕える者を人々はさげすんでいました。イエス様がザアカイの家に行かれると、人々はこう言ったと書いてあります。「あの人は罪人のところに行って客となった」。

 「罪人」というのは、いわゆる「悪人」とはまた違います。教会に行くと、「私たちは罪人です」と言われます。「こんなに一生懸命に生きているのに、悪人呼ばわりするとは」と反発する方がおられます。聖書の言う「罪」は、神様が教えてくださっている祝福される生き方からずれていることを言います。神様の御教えに聴かないとどうしても自分中心な生き方になってしまいますね。その結果、人ともぶつかるでしょう。さらに、犯罪に走ってしまうこともあるでしょう。それは、神様の御教えに聴かないことの結果なのです。

 ある時、ザアカイの町にイエス様が来られました。彼はぜひ会いたいと思いました。人のうわさでは、イエス様は自分と同じ取税人の家で食事をされたと聞きました。それを宗教指導者たちが批判すると、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です」と言われたと聞きました。人から悪く言われて傷ついている者に優しく接してくださるイエス様にザアカイは会いたいと思いました。

 でも、人々はザアカイに道を開けてくれません。それで彼は「いちじく桑の木に登った」と書いてあります。どうしても諦められなかったのですね。そんなザアカイに、イエス様は言われました。「今日、あなたの家に泊まることにしている」。

 イエス様はどんな方だろう? あなたも関心をもって会いたいと思うなら、イエス様はあなたの心に来てくださいます。

 明日は、イエス様を迎えたザアカイがどうなったか、もう少し聖書を読んでいきたいと思います。明日も是非お聴きください。
 「世の光」を聴いてくださっているあなたに神様の恵みがありますように。

 今朝は、この辺で失礼します。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.22のお話しより )


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■生きる励まし・1 / 奥田久良

2023年11月25日 | Weblog

2023/8/21放送

 「世の光」の時間です。宮城県気仙沼市にある気仙沼聖書バプテスト教会の顧問牧師、奥田久良(ひさよし)です。ひと時、聖書の話をお聴きください。

 ルカの福音書19章にザアカイという人の話があります。「彼は取税人のかしらで、金持ちであった」と書いてあります。取税人というのは税金を取り立てる人のことです。その「かしら」と言いますから、さしずめ税務署の署長さんでしょうか。ただ現代の税務署は公の役所ですが、聖書の時代は民間の請負業だったそうです。「私は幾ら幾らでその仕事をします、請け負います」。そうすると、安く言った人がその仕事をもらいます。ザアカイは頑張りました。そして金持ちになりました。彼は社会的な立場と財産を得ました。成功した人ですね。

 あなたは何を求めて頑張っていますか? 社会的な立場や財産ですか? ただ、それが人を押しのけて強引に、となると、やがて浮き上がっていきます。
 新約聖書の時代、ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。神の選民としての意識の強いユダヤ人にとって、そのプライドがくじかれる屈辱的なことでした。「ローマの手先になって同胞から税金を取り立てるとは!」 (取税人は)人々から軽蔑されていました。ザアカイは社会的な立場や財産を得ても幸せではなかったのです。

 心に満たされない思いがあるとき、あなたはどうしますか? お酒で忘れますか。ザアカイは、ますます金儲けに励んだようです。後でこんなことを言っています。「だれかから脅し取った物があれば」・・・随分強引な取り立てをしたんですねぇ。それは、塩水を飲むように、もっと渇くことになります。

 では、どうしたら良いのでしょう。ザアカイは、咎めることなく友となってくださるイエス様を迎えました。
 あなたもどうぞ、イエス様を心に迎えてください。

 明日は、どうしてもイエス様に会いたかったザアカイについて聖書を読んでいきたいと思います。明日もぜひお聴きください。

 「世の光」を聴いてくださっているあなたに神様の恵みがありますように。今朝は、この辺で失礼します。


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.21のお話しより )


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■「ナイアガラの滝」の所有者の息子木村清松 / 岩井基雄

2023年11月22日 | Weblog

2023/8/19放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。今日は、神の愛を世界に届けた木村清松についてです。

 明治7年、新潟県五泉町の醸造業の家に生まれた清松は、小学校を卒業後、新潟県最初のキリスト教主義の男子校・北越学館に入学します。 内村鑑三が短期間、仮の教頭を務めた北越学館で多感な時期を過ごした清松は、聖書が語る神様の偉大さとキリストの愛に出会います。そして17歳の時、新島 襄によって導かれた堀 貞一によって、清松は洗礼を受けるのです。
 20歳で清松はアメリカに渡り、一時は救世軍に入隊。その後、ジャパニーズ・ミッションという寄宿舎で英語と聖書を学び、さらに太平洋大学で学びます。25歳でシカゴのムーディー聖書学院に入学。聖書の学びを深め、伝道者となる準備をします。そして2年後、正式に牧師になりました。次の年に結婚した清松は、31歳で中国から伝道を開始し、世界で神様の愛を宣べ伝えたのです。

 その働きの中でのことです。 34歳となった清松は、北アメリカのバッファローの教会で説教した後、壮大なナイアガラの滝を見に行きました。あるアメリカ人から「こんな大きな滝は日本にはないだろう」といわれた清松は「このナイアガラの滝は、俺のお父っさんが創ったのだ。」と語ったのです。「お前はインディアンの子孫か?」と問われた清松はこう答えます。「わが父は天地を創造された神である。私はクリスチャンとなって、その子どもとされた。ゆえにこの滝も、わが父・天のお父様のものだ 」と。

 感銘を受けたこの人は、次の日曜日に自分の教会に来てほしいと願い、了承されると早速、デトロイト新聞に「ナイアガラの滝の所有者の息子来る!」との広告を出し、教会にはあふれるほどの人々が押し寄せたというのです。

 彼は日本でも神の愛とイエス・キリストの福音を語り、多くの青年たちの人生に変革を与えたのです。神の偉大さと愛に生かされる人生は大いなる祝福を人々に与えるのです。

 聖書のことば。
 「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
  主は あなたの足をよろけさせず あなたを守る方は まどろむこともない。」
        詩篇 121篇2節、3節


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.19のお話しより )


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■義のために迫害されている者は幸いです / 岩井基雄

2023年11月21日 | Weblog

2023/8/18放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 今週、この番組では、平和をつくる者の幸いを学び、心の貧しさを認める者また自分の罪を悲しむ者の幸いを考えてきました。聖書ではその後に、「柔和な者は幸い」「義に飢え渇く者は幸い」「憐れみ深い者は幸い」「心のきよい者は幸い」と続けて記されているのですが、それらは比較的分かりやすいですよね。

 しかし、「幸い」として示す8つの項目の最後を理解することは簡単ではありません。お読みします。

 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
  わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
  喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから」
                   新約聖書 マタイの福音書5章10節から12節

 ここには、苦しめられ、痛めつけられ、時には殺されることもある迫害について語られています。それのどこに「幸い」や「祝福」があるというのでしょうか。

 ここには「義のために受ける迫害」とあります。私たちが神様の前に正しく歩んだとしても、それをすべて人々が認めるわけではありません。神様への信仰や信頼、真実さや誠実さが誤解され、攻撃を受け、信仰を捨てるように、と迫られることもあるのです。もちろん、迫害の中でいのちを落としたクリスチャンたちも歴史の中には数多くいます。私たちは迫害を恐れます。しかし、それに続くことばに心を留める必要があります。

 「天においてあなたがたの報いは大きい」のです。

 迫害の中を通った人々は、この地上における報いだけではなく、後に続く栄光の生涯と天の祝福、すなわち永遠の宝と報いに心をとめ、地上で神様に従う道を選んだのです。それは天に宝を積む生涯でした。義のために、すなわち神様に従う故に受ける迫害をも喜んで受け取る歩みだったのです。

 この地上での「幸い」にのみ心を留め易い私たちですが、地上の生涯を終えた後の幸い、神様からの祝福と報いに心を留めて真実に誠実に歩み抜く生涯を神様は豊かに祝福してくださるのです。

 キリストは語ります。
 「喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから」


 ( PBA制作「世の光」 2023.8.18でのお話しより )


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■悲しむ者は幸いです / 岩井基雄

2023年11月20日 | Weblog

2023/8/17放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 この番組では、おとといから「幸い」について一緒に考えています。昨日は「心の貧しい者の幸い」を考えました。今日はその続きです。お読みします。

 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」 新約聖書 マタイの福音書5章4節

 これも不思議なことばです。「悲しんでいない人」を私たちは幸いだと考えるからです。しかし、この「幸い」とは、Happy やLuckyのような表面的な幸いではなく、 Be Blessedとして表現される、神様からの祝福と恵みを表す幸いであることも学びました。

 「悲しむ者は・・・慰められる」とはどう言うことでしょうか。「心の貧しい者」に続く「悲しむ者」とは、自分の心の貧しさに悲しむ者、自分の罪深さに涙する者のことを示しています。神様の前に心砕かれて罪を認める者を、神様は豊かに祝福し、その悲しみを慰めてくださいます。

 その慰めは単なる慰めに留まりません。それは罪の赦しという祝福を伴っているのです。それは、このことばを語る神の御子イエス・キリストこそ、神の在り方を捨ててこの地上に人として来られ、私たちの罪が赦されるために私たちの罪の裁きを身代わりに受けるために、十字架で死んでくださったからです。ですから神の前に自分の罪を認め、キリストを自分の救い主として信じる者に、すべての罪を赦す祝福と、すべての悲しみを慰めて恵みに変えてくださるという祝福を与えてくださるのです。

 自分の心の貧しさを認め自分の罪を悲しむ者は、神様の豊かな愛と祝福を受け取り、「天の御国はその人のもの」、また、その人たちは神様からの真の慰めを受けることが出来るのです。

 それに続く、キリストが語られた「幸い」「祝福」をお読みします。罪を認め、悲しみ、慰めを受ける者が、どう変えられていくのかという希望もここに記されています。お読みします。

 「 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
  義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。
  あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
  心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」
                マタイの福音書 5章5節から8節

 

 ( PBA制作「世の光」 2023.8.17のお話しより )


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