♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■侮るべからず / 山本陽一郎

2022年06月30日 | Weblog

2022.1.20放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。
 
 様々な人間模様が描かれる聖書。今日も引き続き、兄エサウが弟ヤコブに長子の権利、神の特別な祝福を横取りされた出来事を見たいと思います。

 「あいつの名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけて。私の長子の権利を奪い取り、今また、私への祝福を奪い取った。」 また言った。「私のためには、祝福を取っておかれなかったのですか。」
              創世記27章36節

 父の前で悔し涙に暮れるエサウ。やがてそれは弟への殺意に変わります。でも、何を今さらという面もあります。かつてエサウは言い放ちました。「長子の権利など、私にとって何になろう」と。ただ煮物が食べたいというだけの理由で、大切な大切な神の祝福を受ける権利を自分で弟に売ったのです。彼は目の前の必要が満たされること、自分の楽しみや満足を追い求めるばかりで、大切にするべき神の祝福を侮ったのでした。

 私たちはどうでしょうか。もしかすると、時々エサウと似たことをしているかもしれません。日頃与えられている恵みにちゃんと感謝をして、人や物、時間を大切にしているでしょうか。他人が持っているものや目の前のことばかり追いかけて、本当に大切にするべきものを見失ってはいないでしょうか。どうでもいいとか、いつでもやれるとか、侮ってはいけないのです。

 ヘブル人への手紙12章16節、17節には、こんなふうに書かれています。
 「また、だれも、一杯の食物と引き替えに自分の長子の権利を売ったエサウのように、淫らな者、俗悪な者にならないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を受け継ぎたいと思ったのですが、退けられました。涙を流して求めても、彼には悔い改めの機会が残っていませんでした。」

 泣いて求めても悔い改めの機会が残っていない。そんな時が来る前に方向転換をして神のほうを向かなければ、と思わされます。

 イエス・キリストのことばに心を留めて今日の話を閉じましょう。
 「自分に光があるうちに、光の子どもとなれるように、光を信じなさい。」
            ヨハネの福音書12章36節


      (PBA制作「世の光」2022.1.20放送でのお話しより)

 ***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■声はヤコブ、手はエサウ / 山本陽一郎

2022年06月29日 | Weblog

2022.1.19放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。
  
 「なりすまし」ということばを耳にしたことはありますか? インターネット上で第三者が別人になりすまして不正行為をすることです。旧約聖書の創世記にも、もちろんネットはまだ無い時代ですが、なりすました人が出てきます。ヤコブです。

 ある時、ヤコブが料理をしていると、兄のエサウが腹ぺこで帰ってきました。煮物を欲しがる兄にヤコブは取り引きを持ちかけます。「長子の権利を私に売ってください」と。
 長子の権利とは、一言で言えば、長男だけに与えられる神の特別な祝福でした。財産の相続分が弟の二倍になる他、様々な祝福があったのです。全く釣り合わない大事な特権なのに、エサウはそれを軽んじ、何と煮物を選ぶのでした。

 時が流れ、父のイサクが祝福を授ける時がいよいよやって来ました。創世記27章には、その一部始終が書かれています。ヤコブを偏愛する母リベカが彼に入れ知恵をしました。「目がかすんで見えない父上を騙して、祝福を横取りしなさい」と。ヤコブはエサウが猟に出た隙にエサウの衣を着て、子やぎの毛皮を自分に巻きつけました。毛深い兄になりすましたのです。そして父のところへ行き、「お父さん」と言いました。

 「おお。おまえはだれかね、わが子よ」

 「長男のエサウです。…私を祝福してください。」

 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼にさわり、そして言った。

 「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」

 イサクは何となく怪しいとは思いながらも、まんまと騙され、弟のヤコブに長男の祝福を与えてしまいました。後で分かっても時すでに遅し。騙された父の悲しみ。そして、奪い取られた兄の憎しみ。結果的にヤコブは家を追われることになります。

 ただ、エサウが目の前の快楽を求めて生きていたのに対し、ヤコブは長子の特権と神の祝福をいつも望んでいました。そして神の手によって、ここから大きく変えられていきます。祝福は奪い取るものではなく、神から与えられるものだと学んでいくのでした。

 神はすべてのことを用いてご自身のご計画を進めていかれます。人知を超えて働かれる神に導かれて私たちも一歩一歩進んでいきたいものです。

      (PBA制作「世の光」2022.1.19放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■隣の芝生 / 山本陽一郎

2022年06月28日 | Weblog

2022.1.18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。

 いかにも幸せそうに見える家庭が実際には苦しんでいる、ということが時々あります。聖書の創世記に登場するイサクとリベカの夫婦。彼らも素晴らしい信仰者でしたが、実は家庭に大きな課題を抱えていたのです。

 まず悩みの種は長男のエサウでした。彼は大切な長子の権利を一杯のスープと引き換えに弟のヤコブに譲ってしまいました。アブラハムから続く神の祝福を継ぐ者としては甚だ疑問と言わざるを得ない人物でした。

 もう一つは親から子への偏った愛でした。聖書は語ります。
 「イサクはエサウを愛していた。…しかし、リベカはヤコブを愛していた。」
          創世記25章28節

 妻のリベカは、自分の愛するヤコブが神の祝福を受けるように企て、あろうことか視力の弱くなった夫を騙してまでヤコブに計画を実行させます。これで兄は殺意を抱き、弟は遠くへ逃亡することになってしまうのでした。神に祝福され選ばれたイサクの家の実態がこうでした。

 昔から、「隣の芝生は青く見える」と言われます。「いいなあ、あの人はうまく行っていて。こんな問題があるのはうちだけじゃないか」などと思うこともあるかもしれません。でも、どんな家族にも外からは見えない部分が実際にはあります。見える面がすべてではないし、知らない所でちゃんと幸せを感じているかもしれない。逆に、見えない部分で苦しんでいるのかもしれない。誰だって、どこの家だって、未完成で工事中です。聖書に登場する信仰者たちの中にも家庭で苦労している人がじつは結構います。

 それと同時に、反面教師にしないといけません。小さなほころびを放っておくとイサクとリベカの家庭のように、いつか表面に現れる時が来ることを教えられます。家庭は時には苦労もし時間もかけながら育て上げていく大切なものなのです。確かに私たちには恐れや苦い思いがあり、それが踏み込めなくさせる場合もあるかもしれません。

 だからこそ、もし何か課題があるならば、解決への一歩として、まず神に祈ることから始めましょう。そして、お互いに未完成であることを覚え、神に依り頼みながら建て上げていきましょう。

      (PBA制作「世の光」2022.1.18放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■計画がある / 山本陽一郎

2022年06月27日 | Weblog

2022.1.17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。今年、何か計画を立てた方はいらっしゃるでしょうか。計画を立てると目標の達成率が上がります。何をするべきかが明確になります。一生懸命に取り組んでいる方々の努力が実を結ぶようにお祈りさせていただきます。

 一方で、人生のすべてを自分でコントロールすることはできないものです。それでも、もし計画どおりではなくても、それが本当に失敗かどうかはまだ分かりません。案外そこから将来への道が繋がっていることもあるものです。

 昨年、大勢の若い皆さんと話す機会がありました。その中で、私自身もたびたび自分の学生時代を振り返りました。私の場合、十代の時期はほとんど自分の計画どおりにいかなかったなあと感じます。いろんなことが上手くいかず悩みは深まる一方。通っていた教会からも離れてしまい、だからといって他に何か答えらしきものが見つかることもない。いつも心の中にあったのは「僕は何のために生きてるの?」という思いでした。

 そんなある時、ちょっとしたことがきっかけで私は久しぶりに教会の集まりに顔を出しました。驚いたことにドアを開けた私の目に映ったのは、こちらに気づくや否や走り寄ってくる教会のおばちゃんたちでした。しかも、皆さん泣いています。

 始めは意味がよく分かりませんでした。私のことなんて誰も気にしていないと思っていましたし、そもそも私自身の心が教会から離れてしまっていました。それなのに、「陽ちゃん、良かった良かった。ずうっと陽ちゃんのこと祈っていたのよ!」と手を握りながら言ってくれたんです。おばちゃんたちは、教会の皆さんは、こんな私のためにずっと祈り続けてくれていたんですね。両手を広げて抱きしめてくれるイエス様が見えるようでした。イエス様は、ずうっと私を待っていてくれたのです。

 自分の計画にはなかったあの経験は忘れられない転換点の一つでした。そして、自分の計画にはなかった牧師という働きに導かれました。

 神様は計画を持っておられます。それこそが私たちにとって本当に安心できることではないでしょうか。

 聖書の詩篇37篇5節にこうあります。
 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」

 神様の手に、私たちの歩みを委ねていきましょう。

      (PBA制作「世の光」2022.1.17放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書-88 そのために遣わされたから / 大嶋重徳

2022年06月25日 | Weblog

2022.1.15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 ルカ4章で、イエス様がたくさんの人をお癒やしになり、その町の人々はイエス様が次の町へ行こうとされるのを引き留めようとしました。しかし、イエス様が選び取られたのは、人々の癒やしではなく、次の町へ行って神の国の福音を宣べ伝えることでした。もちろん、どれだけ後ろ髪が引かれる思いがしたでしょうか。しかし、「どうしてもやらないといけないことは、福音を伝えることなんだ」とイエス様は言われたのです。

 ルカ福音書を書いたルカは医者という仕事をしていました。ルカは思ったことでしょう。「病人を癒やすことは医者である自分にもできる。しかし、医者に出来ないことがある。それは魂を救うことなんだ」と。ルカにとってイエス様の優先されたことの意味はとってもよく分かったことでしょう。

 昨年、大きな台風が来た時に、千葉県のある教会で特別伝道礼拝に呼ばれました。教会の方々と玄関の窓に養生テープを貼りながら私の心は揺れていました。もし水が私が牧師をする教会に流れ込んだらどうしようか、牧師として教会を留守にしてもいいんだろうか。・・・ しかし教会の役員をしている方が、「先生、大丈夫ですよ。私たちが教会を守りますから。大嶋先生は福音を伝える必要のある所に行ってください。」

 そして、台風の真っ只中、千葉の木更津での伝道礼拝へ向かいました。集まりの中で、75歳の方がイエス様を信じられました。教会の喜びが大爆発しました。ああ私はこのために行ったのか、と思ったんです。そしてこのことを家に帰って家族に伝えました。「お父さんはその人一人のために台風の中、行ったんだね。良かったよ。」 一人の魂の救いのために送り出してくださる家族と教会の祈りに感謝をしました。

 私たちもまた家族を愛し、教会を愛しています。何より家族に近寄ってくださるイエス様の愛に触れながら、たった一人の人にも福音を伝えるために来てくださったイエス様のことを思いながら伝道をしたいと思います。ペテロの姑のようにイエス様に仕える人がやがて起こされるために、一人の魂の救いのために皆さんの地域にある教会は建てられています。みことばを分かちあっていきたいと思います。

 この地域に建てられた教会には使命があります。そのことを見失ってはいけません。今日もあなたを遣わす神が、あなたをも通して福音を伝えたいと願っておられます。

      (PBA制作「世の光」2022.1.15放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ルカの福音書-87 目的を見失わないために / 大嶋重徳

2022年06月24日 | Weblog

2022.1.14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 ルカ4章で、カペナウムでたくさんの病気の人々が、イエス様から癒やしを与えられたいと集まって来ていました。そこで「イエス様、ここにもっといてください。どこにも行かないでください」ということばをイエス様は聞きました。カペナウム会堂の人たちは、イエス様のことをとても愛していましたし、イエス様も愛されていました。

 私たちも、無理をしてでもこの人々の必要に答えたい、と思う気持ちが湧いてくることがあります。そして、やがて疲れ果てることがあります。忙しくなりすぎると、自分のなすべき使命を見失うことがあるのです。目の前のやるべきことに夢中になり、目の前の必要に応えることに必死になる。そして教会でも、「教会のために」と思って言ったことが激しく誰かを傷つけるということも起こります。「これぐらいして当たり前でしょ」と、感謝のことばも消えていってしまうことがあるでしょう。

 この時期、中学生・高校生が受験勉強に励んでいます。しかし、それは何のためにやっているのか。偏差値の高い学校に入るためなのか、人から羨ましがられるような進路を選ぶためなんでしょうか。

 ある時、私たちの教会の高校生で学校の先生になりたいと願って受験勉強をしている一人の男の子がいました。彼がこう言ったんです。「この礼拝に出ている時間もライバルたちは英単語を覚えている。礼拝に出ることに本当に意味があるんですか?」と聞いてきました。「そうだね。でも礼拝に出ることを選ぶというのは、何のための人生なのか、何のために自分が生かされているのか、そのことを見失わないためなんだよ。何のために教師になろうとするのか、それを見失うならば、それは教師になったとしても、生きる目的を語る教師にはなれない。君にはそれを見失わない教師になってほしいんだ。」

 忙しいと私たちは目的を見失います。本当になすべきことを見失うのです。神様の持っておられる目的よりも、自分のやりたいこと、叶えて欲しいことに集中しようとします。
 イエス様が静かな場所で父なる神様と祈りながら再確認されたこと、それは自分がこの地上に遣わされた理由を確認するためでした。引き留めようとする人たちに「自分のなすべきことは、他の町にも神の国の福音を宣べ伝えることだ」と伝えられたのです。

 今日もあなたのなすべきことを神様との時間の中で、体と心を休めながら再確認していただきたいと思います。

      (PBA制作「世の光」2022.1.14放送でのお話しより)

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■ルカの福音書-86 休みは必要 / 大嶋重徳

2022年06月23日 | Weblog

2022.1.13放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、4章は、引き続きカペナウム伝道の様子が描かれています。

 ペテロの姑の癒やしの後、日が沈むのを待って、たくさんの人がイエス様のもとへ、病気の友人を、病気の家族を連れてきました。イエス様はその一つ一つの求めに応じて、「一人ひとりに手を置いて癒やされた」とあります。「朝になって」(42節)とありますから、一晩中イエス様は一人ひとりに手を置かれたんでしょう。話しを聞きながら癒やしをなさいました。

 するとイエス様は、「朝になると、寂しいところへ行かれた」とあります。群衆はイエス様を捜し回ります。引き止めて置こうとしました。しかし、そのような人々の必要をも振り切ってイエス様が選ばれたことは「寂しいところで」父なる神に祈ることでした。

 私たちは今週もいろいろな必要を持っています。色んな人の声を聞きます。家族のたくさんの必要も抱えています。すると、あれもしてあげたい、これもしてあげたい、と思います。あの人にはあれをしてあげた、この人にはそれが出来ていない。中には、不公平ではないか、というような顔をされることもあります。自分が少し無理をしてでもやってあげないといけないのではないか、と思うことがあります。

 しかし、そのようなたくさんの必要がある中でイエス様が選ばれたのは「寂しいところに行く」ということでした。そこで一体何をなされたのか。父なる神様との祈りの時間を持たれたのです。イエス様が寂しい静まった所で一人、神様との祈りの時間をイエス様は大切にされていました。

 忙しく過ごす私たちにも必要なことがあります。それは一人で神様の前で静まって心と体と魂を休める時間です。そうでなければ心も体も疲れきって、本当は優しい気持ちで始めたことであるのに、自分ばっかりやっているではないか、と不満が出てきます。疲れきった体が言わなくてもいい事を言ってしまうんです。

 イエス様は何よりもこの父なる神様との時間を大切にされていました。このラジオ『世の光』をお聞きのこの時間も皆さんにとって、魂を休ませる大切な時間なのではないでしょうか。多くの必要に取り掛かる前に、一日を始めるこの時間をこれからも大切にしていただきたいと思います。このラジオの前の数分間が、あなたの心に余裕と優しさをもたらします。イエス様のように静かに一日を思い巡らし、祈って今日を始めていきましょう。
      (PBA制作「世の光」2022.1.13放送でのお話しより)

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■ルカの福音書-85 家族とともにもてなす / 大嶋重徳

2022年06月22日 | Weblog

2022.1.12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週は引き続きイエス様のカペナウム伝道の様子をお話ししています。
 イエス様が弟子となっていくシモン・ペテロの家に入った時、ペテロの姑が熱を出していました。そのペテロの姑にイエス様が手を置いて癒やしてくださったのです。すると義理のお母さんの熱が癒され、イエス様を「もてなした」とあります。

 この姑の「もてなした」ということばは「奉仕をした」という意味のことばです。彼女はこのときに信仰を持った、と言って良いでしょう。また、この「もてなした」ということばは「もてなし続けた」という意味です。つまり、いつもイエス様一行をペテロの家は迎えたということになります。そして、この家でペテロとペテロの姑のもてなしをイエス様一行は受けた。聖書でイエス様に一番最初の奉仕をしたと記されているのがペテロの姑です。弟子もまだいないイエス様、誰もまだイエス様に奉仕をすることのない中で、イエス様の一番最初の奉仕者になったのが、ペテロの姑だったのです。ペテロよりも先に姑が奉仕者になりました。

 さらにこの後、使徒の働きでは、ペテロが妻を連れて伝道旅行に出かけて行く姿が描かれています。イエス様の弟子として歩んだ三年ぐらいの別居生活でも、夫婦関係が守られていたんです。ペテロの妻もイエス様のことを伝道することに、夫と共に奉仕をしました。ペテロは自分だけではない、妻も妻の家族も一緒にイエス様に奉仕をしました。

 私たちの家族がイエス様の奉仕者となる日が来ることは何と嬉しく、何と祈りを豊かにしてくれることかと思います。

 私が初めて京都の福知山の教会で教会学校の奉仕を高校生の時にしました。母がとっても喜んでくれました。今、私にも学生の娘と息子がいますが、一緒に教会学校の奉仕をしています。娘は小学校を担当し、息子は高校生を担当しています。昨年の夏のキャンプは小学生を前に、娘は小学生の時に受けた自分の辛い経験を涙ながらに話してくれました。でもその経験があったからイエス様に出会えたんだと話ししたんです。聞いている私も一緒に泣きながら、何とも言えない感動の経験をいたしました。

 まだ信仰を持っていない家族もまたやがての日、神様のために奉仕者になる日が来ます。今、イエス様が私たちよりも先に家族のところに行ってくださる。そしてそこで癒やし、みことばを分かち合おうとしてくださるのです。

      (PBA制作「世の光」2022.1.12放送でのお話しより)

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■ルカの福音書-84 家族を大切にするイエス / 大嶋重徳

2022年06月21日 | Weblog

2022.1.11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 4章の後半、イエス様がシモン・ペテロの家に入った時、ペテロの姑がひどい熱を出していました。そのペテロの姑に手を置いて、イエス様が癒やしてくださったのです。

 この後ペテロはイエス様から「あなたは人間を取る漁師になります」と十二人の使徒に選ばれます。そしてペテロはすべてを捨ててイエス様に従っていきます。これはペテロが妻と姑を家に残して、イエス様と宣教旅行に出ていくことになることを意味していました。夫婦が家族が別居生活になってしまうのです。

 もしこのタイミングでペテロの姑が癒やされ、姑自身も喜んでイエス様を歓迎する経験がなかったなら、ペテロは安心して家をあけることが出来なかったでしょう。「あなたの夫は、あなたと私を置いて、よくイエスとやらと出て行ったわね。」と妻の母から言われることとなったでしょう。

 しかしイエス様は直々にペテロの家を訪ね、ペテロの姑に手を当てて癒やされました。この癒やしはペテロの妻と姑にとっても、喜んで夫をあるいは義理の息子を送り出すことが出来たでしょう。「後のことは任せておいて」と。ペテロも安心して家を空け、家を離れることができたでしょう。

 イエス様はやがて「家族を捨て、自分の十字架を負いなさい」と語られました。強く厳しいことばです。しかし、このことばを聞いたペテロは、「イエス様こそが自分の家族のもとに来てくださった」 そんな証を自分が持っていることを誇りに思ったでしょう。彼の信仰の出発点でもあったのです。自分の家族を大切にしてくださるイエス様の姿が、ペテロにとって「人間を取る漁師になる」という召しを受け取る前提にあったのです。

 教会で「奉仕のため」「伝道のため」と言って、家族がないがしろになることがあってはなりません。「神様のため」ということばで家族を犠牲にして、教会の奉仕を優先するならば、子どもたちは「お父さんは自分たちよりも、教会を愛しているんだ」と教会を愛せなくなってしまい、教会から離れていってしまうでしょう。

 イエス様の望んでおられることは、イエス様ご自身が私たちの家族の手をきちんと取ってくださること。「今はまだそうではないかもしれない。でも必ず救いを与えてくださる。」 そう信じて今日も私たちは私たちの家族を大切にしてくださるイエス様の眼差しとともに家族を見つめていきたい。そして家族と時間を過ごしていきたいと思います。

      (PBA制作「世の光」2022.1.11放送でのお話しより)

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■ルカの福音書-83 イエスの方から来てくださる / 大嶋重徳

2022年06月20日 | Weblog

2022.1.10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ルカ4章ではイエス様の、カペナウムという町での伝道の様子が描かれています。

 当時、会堂での聖書の説教を聞いた後、そこにいた何人かで説教の感想を、昼ごはんを食べながら言い合う、分かち合う時間をこの当時持っていました。教会でお昼ごはんを食べることが大切にされていったのもこの背景があります。コロナ禍で随分とお昼ごはんを食べることができなくなりましたが、教会も一緒にご飯を食べながら、語られたみことばの分かち合いをしています。

 この日はシモン・ペテロの家に行き、その話を分かちあおうとしていました。しかし、家に入ると、シモン・ペテロの姑がひどい熱で苦しんでいました。姑とはペテロの義理のお母さんです。義理のお父さんが早くに亡くなったのでしょうか、ペテロ夫婦と妻のお母さんが同居をしていたんですね。その姑がひどい熱をだしていた。

 すると周りの人が彼女のためにイエス様に癒やしをお願いしたんです。本来ならシモン・ペテロからお願いするのが筋でしょう。動揺をしていたんでしょうか。「せっかく今日はイエス様が来てくれたのになんなんだ」と身勝手に怒っていたのかもしれません。あるいは「イエス様は説教後に疲れておられるのに熱の癒やしをお願いをしても良いんだろうか」と勝手に考えたのかもしれません。動揺して何もできないシモンの代わりに、周りの人がイエス様にお願いをしました。

 すると、イエス様は何のためらいもなく姑の枕元に来てくださったのです。イエス様が「癒やされた」とあります。そして熱を叱りつけられました。すると「熱が引き、彼女はすぐに立ち上がって、彼らをもてなし始めた」とあります。

 実は、聖書で最初にイエス様に奉仕をし、おもてなしをしたのはペテロの姑でした。イエス様という方は、私たちに近づいてきてくださるときに、私たちの家族にも近づいてくださるのです。しかもペテロの方から何も言えない状況であったにも関わらず、イエス様の方から私たちの家族に、ペテロの家族に近寄ってくださるのです。

 今日もイエス様はあなただけではありません、あなたの家族の必要にも近づいて、寄り添って、手を置いてくださるのです。だからこそ、大胆に家族のことをお祈りしましょう。あなたの祈りに応えて手を置いて癒やしてくださるイエス様が今日もあなたの家に来てくださるのですから。

      (PBA制作「世の光」2022.1.10放送でのお話しより)

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