♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■苦しみの意味 / 岩井基雄

2013年05月31日 | Weblog
2013/5/31放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。アウシュビッツの強制収容所から奇跡的に生還を果たしたヴィクトール・フランクルというオーストリア出身のユダヤ人がいました。精神科医だった彼は収容所での出来事を冷静な視点で記録すると共に、過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望し、何に希望を見出したかを克明に記した『夜と霧』という本を著し、世界中でロングセラーとなっています。

 この本が時代を超えて人を惹きつけるのは、人生とは何か、苦しみと何かを問う内容だからではないでしょうか。彼が始めた精神療法のロゴ・セラピーは「ことば」を表すギリシャ語のロゴスが元になっています。これは自分の人生や苦難の意味を深く問い、それを捕え直し、言語化するものです。人生や苦難に意味を見いだすとき私たちは力を受け、どんな中からも希望を持って立ち上がって行くことができるからです。

 聖書にこんなことばがあります。
 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」  旧約聖書 詩篇119篇71節 
 
 この詩篇の作者は苦しみを通して神様のことばの豊かさを知ることができたと言います。苦しみは神様のさばきではなく、神様ご自身がその苦しみの中に共にいて、神のロゴス、神のことばを通して慰めと力と勇気を与え、人生にいのちと力が与えられるからです。苦しみを通らなければ分からない神のことばの深い恵みと愛があります。ユダヤ人であったフランクルは聖書のこのことばをよく知っていたでしょう。そして苦難の中でその苦しみや人生の意味を神のことばによって見出した人が希望を心に抱(いだ)き、豊かないのちへと向かって行くのを見たのです。

 人生から苦しみを取り除くことはできません。しかし苦しみの中で私たちは真実の神の愛と恵みを見いだすことができます。苦しみは神様の招きであり、私たちはそれによって本物の希望と力、慰めと命を求め、見いだすことができるのです。

 あなたも今出合っている苦難の意味を神のことばを通して見出し、希望と喜びといのちある人生を歩み始めませんか?

(PBA制作「世の光」2013.5.31放送でのお話しより)
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■待ってください。この町には神の人がいます / 福井 誠

2013年05月30日 | Weblog
2013/5/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「待ってください。この町には神の人がいます。」です。それでは第一サムエル記9章6節から読んでみましょう。

 「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのことを心配するといけないから。」
  すると、彼は言った。「待ってください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへまいりましょう。たぶん、私たちの行くべき道を教えてくれるでしょう。」

(第一サムエル記9章5節、6節)

 サムエル記9章にはイスラエル最初の王様が選ばれていくエピソードが描かれています。サウルの父キシュの雌ろばがいなくなり、サウルは父に頼まれて雌ろばを探しに出かけるのです。しかし雌ろばは探しても探しても見つかりませんでした。ところがこの出来事が実はサウルがサムエルと出会う大切なきっかけとなっていくのです。不思議なものですねえ。

 神はイスラエルに王様を立てるのになぜかこういう面倒なことをされました。単純にさばきつかさのサムエルをサウルのいる所に遣わして王として選び、この人は王になったのだと即位宣言をすれば済むものなのにと思います。しかし神はわざわざ日常生活の出来事を通してご自身の計画を進められました。神はそのような方であることを私たちはよく分からなくてはなりません。つまり私たちの生活は何気なく動いていくようでありながらそうではないのです。私たちの身の回りで何一つ偶然に起こっていることはなくて、神様の支配の中で点と点が結び合わされるような形で起こっているのです。

 この世の中ではそれに気付いて神のなさることに注意を払っている人とそうでない人がいるとも言えます。サウルが雌ろばを諦めようとした時にサウルに同行した連れの若者は言いました。「待ってください。この町には神の人がいます。」 この若者は神は日常に介入するお方で、事の解決は神にあることを知っていた人です。物事を簡単に諦めてはいけません。待ってください。あなたの町にも神の人がいます。ぜひ教会を尋ね聖書を語る人々の声に耳を傾けてください。あなたの行くべき道も示されることでしょう。

(PBA制作「世の光」2013.5.30放送でのお話より )

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■一つの井戸端で / 板倉邦雄

2013年05月29日 | Weblog
2013/5/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「一つの井戸端で」という題でお話ししましょう。

 一つの水辺や一つの井戸には動物も人々も集まります。井戸端はほっとするものですね。特に一人で長い旅をしてきたヤコブにとっては感激だったでしょう。創世記の29章に入ります。

 さてヤコブは故郷(ふるさと)近くのベテルを旅立って長い長い旅を続けて東の地に行きました。その地はハランと言われる土地でした。ベテルから直線距離にして約600km ですから1000キロ以上の旅行だったでしょう。見ると野原に一つの井戸があり、その傍らに羊の三つの群れが伏していました。井戸の口は大きな石でふさがれていました。ヤコブは井戸端で羊飼いの人々に尋ねました。

 「あなたがたはナホルの孫ラバンという人を知っていますか?」 
 「ああ知ってますよ。」
 「ラバンさんは、無事でしょうか?」
 「はい、無事です。」

 ヤコブが羊飼いたちと話している間に、ラケルは羊と一緒に近づいてきました。ヤコブは進んで井戸の口から石を転がし、母の兄ラバンの羊に水を飲ませたのでした。それからヤコブは感極まったのでしょう。ラケルに口づけし、声を上げて男泣きに泣いたのです。そしてヤコブはラケルに、自分がラバンの父すなわちベトエルの甥であり、リベカの息子であることを告げます。ラケルは驚いて走って行って父親に話しました。

 さてヤコブは孤独の長旅の果てに井戸端で羊飼いをする親類のラケルに出会いました。本当に良かったですね。どんなにヤコブはほっとし、また慰められたことでしょう。その結果が感激の涙となったのです。ラケルはこれから生涯ヤコブの伴侶となってゆくのです。

 さてヨハネ福音書には5人の夫と離縁し今6番目の男性と同棲するサマリヤの女性が出てきます。その女性にまことの羊飼いであるイエス・キリストは一つの井戸端で語りました。「この水を飲むのは誰でもまた乾く。しかし私が与える水を飲む者はいつまでも渇くことが無い。」と言われ、渇き疲れ孤独なサマリヤの女性に癒しを与えたのです。

(PBA制作「世の光」2013.5.29放送でのお話より )

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■切なる願い / 山中直義

2013年05月28日 | Weblog
2013/5/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 神様は時に私たちに意外なことを願うことがあります。今日は「私はきっとあなたも言われた通りにいたします」と題してのバイブル・メッセージです。

 旧約聖書 創世記47章には信仰者ヤコブの晩年の姿が描かれています。数々の失敗を繰り返し苦難を体験してきた彼でしたが、その晩年には寄留地であったエジプトで愛する子どもたちと共に平穏な日々を過ごしていたと言います。

 そんなヤコブに死ぬべき日が近づきました。その時彼は愛する息子たちに意外な願いを伝えます。息子ヨセフを呼び寄せた彼はこう言いました。「私が先祖たちとともに眠りについたなら、私をエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってくれ。」(47章30節)

 父の遺体をエジプトから運び出しカナンの地にある墓に葬る。このことは後に残されるこの息子たちにとって実は大変厄介な願いでした。もしそんなことすればエジプトの王パロの怒りを買うかもしれない。与えられていた土地や富のすべてが奪われ一族全員が殺される可能性さえある。そんな願いでした。

 ところがこの父ヤコブの願いを聞いた時、息子ヨセフはこう言いました。「私はきっと、あなたの言われたとおりにいたします。」(47章30節)

 意外な答えだったと思うのです。しかしこの時ヨセフは父ヤコブのことばの背後にあった父の愛や思い遣りというものをしっかり汲み取って応答したのだと思うのです。父ヤコブが残される子どもたちに願ったこと、それは一時の寄留地に過ぎないエジプトの平穏にしがみつくことなく神の約束を胸に抱きながら神のことばに聞き従って歩んで行って欲しい。そんな願いだったと思うのです。

 神様は今も時に私たちに意外なこと難しいことを願われることがあります。そんな聖書のことばに出会う時、私たちはそのことばの背後にある神様の愛と思い遣りに目を向けなければなりません。神様は私たちが一時のこの地上の平穏にしがみついのではなく、神のことばにしっかりとしがみついて神と共に生きることを願われます。そして時に困難さえ許されるのです。

 「私はきっと、あなたの言われたとおりにいたします。」 そのように神様の愛を覚えながら歩ませて頂きたいと思うのです。

(PBA制作「世の光」2013.5.28放送でのお話しより )

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■それでも信じ生きよう / 関根弘興

2013年05月27日 | Weblog
2013/5/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 先日のことですが、私は親しくしていた方の葬儀を行いました。まあ私たちの人生には病いがあります。どうして苦しみがあるんだろう、と、こう考えてしまいますねえ。人間にとって誰も不幸は避けたいことですし、また悲しみも病いも避けたいものです。ま、そんなものはすぐにでも無くなってしまえば良い、とこう誰も考えます。でも残念ながら私たちが幾らそう考え願っても、ま、人生には悲しみがありますし、病いがあり、また突然の不慮の出来事が襲うことがあります。

 聖書を読むと神様を信じている人がいつもハッピーで問題など何一つなかったかというと決してそうではありませんでした。

 旧約聖書にヨブという人が出てきます。彼はとても正しい人でした。でも突然の災いが次々と彼を襲うんですねえ。財産を失い、家族を失い、おまけにひどい病に侵されてしまうんです。ヨブは辛い悲しい悲しい中で、もがき苦しんでいきます。どうしてなぜ私が、という辛い絶望の縁に立たされていくんですね。友達がやってきます。でもその友達のことばも彼の耳には届きませんでした。

 それではヨブはただ悲しみと辛さの中で人生が終わってしまったかっていうとそうではありませんでした。あの苦難にあえいだヨブはこんなことばを語っているんです。
 「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(ヨブ記 19章25節) 
 苦しい苦しい中に今あるけれど、私をこの状況から助け救い出してくださる方は今も生きているのだ、私を贖うお方は生きておられるのだ、と告白しているんです。そしてたとえ私が死んでしまい、塵と化してしまっても助けてくださる。このような大胆な告白を彼はしているんですねえ。

 実は聖書が一貫して私たちに伝えていること、それはあなたの状況がどんなに苦しく辛い中にあっても、決して神様に見放されてしまうわけではありません、ということなんです。

 あなたは今辛く悲しみの中にあるかもしれません。たくさんの涙を流すことやめないでください。でもその涙を拭ってくださるお方がいるのです。あなたを贖う救い主は今も生きておられるんです。だからあなたを愛してくださる神様を信頼し勇気をもって生きていきましょう。

(PBA制作「世の光」2013.5.27放送でのお話しより)

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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
 

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■神の福音 / 羽鳥頼和

2013年05月25日 | Weblog
2013/5/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日はイエス様の語られた福音についてお話しします。イエス様は
時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコの福音書 1章15節)と言われました。

 このことばには素晴らしい意味があります。「時が満ちる」とは、すべてのことが整ったことを意味しています。時が来たのです。何の時が来たかというと、人々が神様の福音を信じるときが来た、というのです。

 「神の国」とは神様が支配している国のことです。当時のローマ帝国は歴史上稀に見る力をもって世界を支配していました。その力によって戦いのない平和な時代を築きました。それはパクス・ロマーナ、「ローマの平和」と言われました。そのローマ帝国よりも素晴らしいのが神の国です。ローマ帝国は軍事力によって人々を強引に支配しました。逆らう者たちを力でネジ伏せたのです。ところが神の国は神の愛の力によってすべての人を幸せにする本当の平和が永遠に続くのです。イエス・キリストが来たことによって、このような神の国が近くなったのです。神の国が近づいたのでその国に入るために人がしなければならないことをイエス様は教えています。それがまず「悔い改める」ことです。悔い改めるとは、自分が神に対して罪を犯していることを認め、罪を悔やみ悲しむことです。イエス様は「悔い改めて福音を信じなさい」と教えられました。「福音」とは良い知らせです。その良い知らせとはイエス・キリストを自分を救ってくれる救い主と信じれば神の国に入れるということです。ですから、福音を信じるとはイエス・キリストを自分の救い主と信じることです。信じるとは神様に近づくことです。悔い改めるとは、今まで神様以外のものに心を向けていたことに気付いて神様に心を向けるということができますから、信じて悔い改めるとは一繋がりの行いと言えます。心を神様に向けて神様に近づくことが悔い改めて信じることなのです。イエス・キリストが来られて人が救われるのに必要なことはすべて整いました。あとはあなたが悔い改めて信じるだけです。

 聖書のことば

 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。
 マルコの福音書 1章15節

(PBA制作「世の光」2013.5.25放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■心の戸を開いて / 岩井基雄

2013年05月24日 | Weblog
2013/5/24放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 イギリスのマンチェスター市立美術館に『世の光』という有名な絵があります。19世紀に活躍したホルマンハントという方の最初の宗教画と言われるものです。この絵にはツタの絡まる扉の前で左手でランプを持ち右手でその扉を優しく叩いているイエス・キリストが描かれています。周りは夜の静けさに満ち、一つ一つの草までもが丁寧に描かれていますが、もっとも緻密に描かれているのはイエス・キリストが持つランプです。世の光というテーマの通り、この絵の中心はイエス・キリストと彼が持つ光にあります。ホルマンハントはこのランプの素描に豊かな情熱を注ぎ、見事な下絵を残しているそうです。周りの静けさや暗さ、そして寒さの中でキリストが持つランプの暖かい光は暗闇を照らし、キリストの足元にある草や建物に絡むツタにも温もりを与えています。凍て付くような戸外の寒さも固く閉ざされた室内も、このランプの光さえあれば豊かに温められ力を受けるでしょう。しかしその扉には外側にノブがありません。内側から開けない限りその扉は開かれないのです。この絵には次の聖書のことばが添えられているそうです。

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
      新約聖書 ヨハネの黙示録3章20節

 あなたの心の扉をもイエス・キリストは叩いておられます。あなたが心を開いて救い主イエス・キリストを迎え入れるとき、キリストの光はあなたの心を温め、輝かせ、力を与えるのです。なぜなら世の光であるイエス・キリストはあなたの罪の身代わりに十字架の上でさばきを受け、死に打ち勝って永遠のいのちを現し、あなたに罪の赦しと命を与えてくださるからです。

 あなたも内側から心の扉を開き、イエス・キリストを心に迎えませんか? どんな暗闇や空しさがあろうとも、キリストの愛と命はあなたの心を輝かせ、力を与えるです。イエス・キリストはあなたの心を叩いておられます。

(PBA制作「世の光」2013.5.24放送でのお話しより)
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■そこでサムエルは祈った / 福井 誠

2013年05月23日 | Weblog
2013/5/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「そこでサムエルは祈った」です。それでは第一サムエル記8章6節から読んでみましょう。

 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください。」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。

 イスラエルの指導者サムエルは年を重ね高齢となりました。後継者問題が持ち上がりサムエルは自分の子どもを後継者とします。しかしそれはイスラエルの長老たちには受け入れられないことでした。サムエルの子どもは神に従わないよこしまな者たちであったからです。そこでこの機会に時代の流れに沿って自分たちの国にも他国並に王様を立てる王制国家となることが求られるのです。 しかしサムエルはそれが気に入りませんでした。自分の子どもが後継者として拒否された。まああまり気分は良くないですねえ。

 しかしサムエルの偉いところは「そこでサムエルは主に祈った」と書かれている所です。サムエルは最高指導者です。自分の思いを遂げるために最高指導者が自分の周りをイエスマンで固めて何が何でも物事を通してしまうことはあるものですね。しかしサムエルはそうはしませんでした。むしろ「主に祈った」とあります。最高指導者でしたら何でもできたでしょうに、サムエルは違いました。それは目には見えませんが、自分の上には更に権威ある方がいると考えていたからですねえ。

 私たちが聖書に教えられるのはこういうところです。私たちは目に見える力関係がすべてであると考えるものですね。会社には課長がいて部長がいて、まあ社長がいて、と力関係や序列を考えます。しかしそれは目に見える世界だけでのお話です。けれども聖書は更に目に見えない主と呼ばれる神が上にいて、その神に人間は服従し生きることが大切であると教えているのです。

 サムエルは組織の長として引き際を間違えるほどに年老い、自分を守るためだけの実に不幸な世代交代を進めてしまいました。しかしその問題に気づく人間としての謙虚さは失っていなかったのです。どんなに力を与えられても私たちの上には主がおられる、あるいはあらゆる権威の上に主がおられる。そんな謙虚さをもって生きていきたいですね。

(PBA制作「世の光」2013.5.23放送でのお話より )

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■神の家 / 板倉邦雄

2013年05月22日 | Weblog
2013/5/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「神の家」と題してお話ししましょう。神の家とは神が住んでおられ家のことです。そこでは神のことばを聞くことができます。神のことばを聞くことができれば神と交わることができます。神と交わることができれば元気を与えられて人生の旅を続けることができるのです。

 旧約聖書の創世記28章の最後です。

 ヤコブは故郷(ふるさと)を逃げるようにして旅立ち、母親の故郷へ向かいました。たった一人で満天の空の下、石を枕に寝ましたねえ。夢の中に主なる神様が現れて直接ことばをかけてくださったのです。眠りから覚めたヤコブは「ここは神の家だ。ここは天の門だ。」と叫びました。そして朝早く起きると枕にしていた石を取り、それを立てて柱にし、そのを頂きに油を注いでその所の名をベイト・エル「神の家」と名付けたのです。神様はヤコブの一人ぼっちの旅路に共にいてくださったのです。ここも神の家、あの所も神の家なのです。

 孤独ではないことを経験したヤコブは主なる神様に約束しました。「神が私と共にいまし、私の行くこの道で私を守り、食べるパンと着る着物を給い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主を私の神といたしましょう。また私が柱を立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべてのものの十分の一を私は必ずあなたに捧げます。」 まさに約束というよりは主なる神様への信仰告白と献身、すべての生活を捧げることではないでしょうか。

 キリスト信者になるとき私たちもヤコブと同じような感謝と信仰告白と献身を約束します。

 一、神様あなたが私と共にいてくださり私のすべての道で私を守り衣食住を与えてくださることを信じて感謝します。

 二、神様私はあなたのみを神と信じ、神の家であるキリストの教会であなたを礼拝し、あなたに祈りを捧げます。

 三、そしてあなたがくださるすべての収入の内、十分の一を献金として必ずあなたに捧げます、と神の家であるキリストの教会で約束するのです。

(PBA制作「世の光」2013.5.22放送でのお話より )

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■種を蒔きなさい / 山中直義

2013年05月21日 | Weblog
2013/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。万策尽き果てて絶望してうずくまるしかない。人生にはそんな時が訪れるかもしれません。しかしそれでも希望は必ずある、と聖書は言います。今日は「種を蒔きなさい」と題してのバイブル・メッセージです。

 旧約聖書創世記47章当時のエジプトは深刻な食糧危機の中にありました。何年も続く飢饉の中、すべての食料を失って衰え果てた民衆は、時の総理大臣、信仰者であったヨセフに助けを求めました。そんな民をヨセフは驚くべき知恵と愛で救った、と言います。

 ヨセフはまずその地にあったすべての銀を集め、それと引き換えに国が蓄えていた食料をすべての民に分け与えた、と言います。皆を等しく生かすためでした。

 そして次にヨセフは国中の家畜の所有権を国として買い上げ、その引き換えに食料を与えた、と言います。将来の農耕に備えることができるようにとの計らいでした。更にヨセフは民衆の願いに従ってすべての国民をエジプト王パロの奴隷としたと言います。言い換えるならばすべての国民を国家公務員として雇い入れ、彼らのいのちと生活を守ったというのです。実際この時奴隷となった彼らに課された税金は当時の周辺諸国の半分程度であった破格の厚遇でした。

 ヨセフは一体なぜ失望して諦めることも慌てふためいて弱者を切り捨ててしまうということもしなかったのでしょうか。それはヨセフがこの苦しみはいつまでも続くものではないということを神様から知らされそして確信していたからだ、と聖書は言います。

 そのヨセフが民に向かって最後にこう呼びかけました。「さあここにあなたがへの種がある。これを地に蒔きなさい。」

 絶望してうずくまるしかないそんな時にも希望は必ずある。神を信頼するなら試練の先に必ず祝福がある。聖書はそう教えています。

 どうぞあなたも神様の愛と守りを信頼し、神様が与えていてくださる希望の種、聖書のことばをその心にしっかりと蒔いてください。希望の種はあなたにも用意されているのです。

(PBA制作「世の光」2013.5.21放送でのお話しより )

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