♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ありがとう

2010年08月31日 | Weblog
2010/8/31放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 あなたは「瞬きの詩人」と呼ばれる水野源三さんという方を御存知でしょうか。 長野県におられ、九歳の時に赤痢に罹り、その高熱のために脳性小児麻痺を起こしてしまいます。 やがて目と耳の機能以外の全てを失ってしまうんです。 話すことも書くこともできなくなってしまいました。 彼に残された唯一のコミュニケーションの手段は瞬(まばた)きすることだけでした。 お母さんが五十音順の板を持ち、指で一つひとつの文字を指し示し、その伝えたい文字の所に来たとき瞬きするんです。 十二歳の時、聖書を読み、やがてクリスチャンとなりました。 そして十八歳を過ぎた頃からたくさんの詩を創り始めたんですね。 その詩の中に『ありがとう』という詩があります。

      『ありがとう』

   ものがいえないわたしは
   ありがとうのかわりに ほほえむ
   あさから なんかいも ほほえむ
   くるしいときも かなしいときも
   こころから ほほえむ
 

 あなたは微笑むこと、そして「ありがとう」の一言、どっかに忘れてしまってはいませんか?
 笑顔の消えた家庭はどんなに寂しいでしょう。 笑顔の消えた夫婦は、学校は、会社は、想像するだけで寂しいですよね。 笑顔を失った人生ほどつまらないものはありません。 

 あなたは微笑んでいますか? 微笑みはお金を払わなくても手に入ります。 そして微笑まれた人を豊かにし、暖かな空気をつくっていきます。 時には人生の痛みさえも消し去る力があります。 そして水野源三さんは、「ものがいえないわたしは ありがとうのかわりに ほほえむ」と書いていますよね。 笑顔と共に、心からの「ありがとう」の一言は人生を変えるキーワードなんです。 

 旧約聖書の中にエレミヤという人がいます。 彼が生きていた時代は自分の国が滅ぼされてしまうという悲劇的な時代でした。 笑顔なんてどこかに消えてしまうような状況でした。 しかしエレミヤが神様から告げられたことばはこうでした。 

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」 (エレミヤ書 29章11節)

 微笑みはあなたの中に心の平安や希望がなければ生まれてきません。 エレミヤを通して語られたことばは今日、あなたの人生にも語られています。 

 (PBA制作「世の光」2010.8.31放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

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■いつ読んでも飽きない

2010年08月30日 | Weblog
2010/8/30放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、8月の最後の月曜日の朝ですけれどね。 ああもうまだ宿題が残っててとか、読書感想文を書かなきゃというような御家庭もあったりするかなあと思ったりするんですけれども、まあ読書と言えばですねえ、何か今年は国際読書年と言うんだそうですけど、最近まあある調査によりますと、本好きな中高生が最近かなり増えているっていうんですけれども、大人があまり読んでいなくて、4人に一人が月にゼロ册という結果が出ているっていうんですねえ。 その理由は、って言いますと、忙しすぎて時間がないとか、読みたい本がないとかいう訳なんですけれども、どうなんでしょうねえ。

 あのう昔読んだ本を読み返してみるのも一つの楽しみ方だろうな、ってふと思ったりするんですけれども、私もそのう、夏目漱石の『坊ちゃん』とかですねえ『我輩は猫である』とかいうのから読書に取り組んだような気がするんですけれども、その頃はただ面白いなあとか、表面的なことしか分らなかったんですけど、今読んでみるとまた非常にこう面白いと言いましょうかねえ、興味あるような感じがするんですね。 

 で太宰治の『人間失格』が最近ブームになったりしていますけれども、私も中学生の頃に読んで、あんまりよく分ったような分かんないような、何だろうなこれはとか思ったことがあるんですが、今読んでみると、うーん、考えさせられるものがあるなあ、とかですね、そんな風に思うんですけれども。

 しかしそれにしてもですねえ、子どもの頃読んでも今読んでも同じように興奮して読めるという、やはり聖書ってすごいなあと思うんです。 と言いますのは、私は聖書を自分で意識して読み始めたのは小学校の6年生ぐらいだったんですけれども、イエス様の話って興奮するようにしてですねえ、今度はどうなるんだろう、どうなるんだろう、あーあー裏切られて、とうとう十字架につけられて、とかですね。 そして旧約聖書の物語にも子どもの頃から聞いていたんですけれども、あっ、ここに書いてあるんだあ、というふうな、それこそ血沸き肉踊るというふうなですね、そんな感じの思いをしたのを覚えている。それが六十何年経っても今でも同じように興奮して読める書っていうのは他に無いんじゃないかなあと思うんですね。 

 「本の中の本」と言われるだけのことはあるっていうことを思うんです。 ぜひこれを聴いていらっしゃる方も聖書の話を聴いているってだけじゃなくって、自分で聖書を開いて、読んでみていただきたいと思うんですねえ。 
 「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせ」(2テモテ 3章15節)てくださると書いてありますから、ぜひ「本の中の本」、この聖書を読んでみていただきたいと、そう思うんです。 

  ( PBA制作「世の光」2010.8.30放送でのお話しより)


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■神との対話

2010年08月28日 | Weblog
2010/8/28放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 聖書を読んだりラジオのバイブル・メッセージを聞いていると、アレッ?っと思うことはないでしょうか。 実はそんな時こそ神様をより深く知るチャンスだと言えます。 旧約聖書創世記に登場するアブラハムもそんな体験をしたことがありました。

 神様はある時、罪深い生き方を続けるソドムの人々に厳しい裁きが下ろうとしているということをアブラハムにお告げになりました。 その時アブラハムは次のように祈ったと言います。 創世記18章23節からのことばです。 

 「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。

 アブラハムはここで神様のあわれみということを確認しようとしています。 神様のあわれみについて、どうしても確認したくて彼は懸命に神様にすがりついたのです。 そんなアブラハムに対して神様は次のようにお答えになります。 

もしソドムでわたしが五十人の正しい人を町の中に見つけたら、その人たちのためにその町全部を赦そう。

 この答えを聞いた時、アブラハムはなおも食い下がって尋ねたと言います。「あるいは四十五人であれば? あるいは四十人であれば? あるいは三十人・・・、二十人・・・、十人・・・。」 こうしてアブラハムは結局、神様のあわれみについて六回も確認を重ねたと言います。 そしてその度に神様は、「滅ぼすまい、その人々のために。」とお答えになったと聖書は言います。 

 聖書のことばを読んでいると、アレッ?っと不思議に思うことはたくさんあると思うのです。 しかしそんな時こそ神様を深く知るチャンスだと思っていただきたいのです。 不思議に思う時こそその聖書のことばに、より丁寧に耳を傾けてみる。 その周りの聖書の箇所にもようく目を留めてみる。 そのようにして神様に問いかけながら神様を知らされていく。 神様との対話とも言えるような聖書の読み方をぜひしていただきたいと思うのです。 不思議に思う時こそ神様のことばにようく耳を傾けてください。 その時にこそあなたも驚きをもって更に神様の素晴らしさを知ることができます。 

        (PBA制作「世の光」2010.8.28放送でのお話しより )

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■新しい歌、賛美の力

2010年08月27日 | Weblog
2010/8/20放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日も旧訳聖書の詩篇をご一緒に味わいたいと思います。 今日は詩篇41篇の最後、12節、13節です。

 「誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。

 この詩篇の作者ダビデは神様の御顔の前に立たせてください、と祈っています。

 あなたは、すべてのことをご存知ですべてを裁く権威を持っていらっしゃる神様を恐ろしいと思い、時として神様の御顔を避けたいと思うことはないでしょうか。

 神様は創造した最初の人アダムとエバも神様の命令に背いた時、神の御顔を避けました。 自分が背いた事実から逃げ、自分の罪を責任転嫁し、隠れたのです。 ダビデもまた罪を犯した時、その事実から逃げ、その事実をごまかすために自分の部下を殺しました。 罪を隠すために更に大きな罪を犯してしまったのです。 

 私たちも心から自分の罪を認めない時、それを隠し、さらに大きな過ちを犯し、罪を深めてしまうことがあります。

 しかしそのうちダビデは神を避け、神から遠ざかっていた歩みをやめ、方向を変えて神に向かい、自分の罪を認めて神の赦しの愛の中に自分の身を置いたのです。 そして誠実に歩むことを決心しました。

 彼は自分の弱さを認めざるを得ませんでした。 しかし、「誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。」と祈りました。 すなわち、「私は弱いです。 だから私を強く支えてください。」と神様の力強い愛の御手に自分を委ねたのです。

 そこには、神様からの赦しの感謝、守りの感謝が待っていました。 「ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。

 神への讃美は、素晴らしい力と喜びを私たちに、そしてあなたに与えます。 あなたも神の前をまっすぐに歩む者とされませんか? あなたのすべてをご存知の神様があなたの心を変え、あなたの罪を赦し、あなたが神の見前に立ち、心から神を讃美する者へと変えてくださるのです。 

   (PBA制作「世の光」2010.8.27放送でのお話しより)

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■いつも共におられる神

2010年08月26日 | Weblog
2010/8/26放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「いつも共におられる神」です。 それでは詩篇139篇7節から読んでみましょう。

 「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

 何もかも捨ててどこかへ遠くへ行きたい、知っている人が誰もいない所へ行ってしまいたい、と思ったことはありませんか? そういう時というのは、何か大変なストレスを抱えている時でしょうね。 物事が二進(にっち)も三進(さっち)も行かず、行き詰まっている。 もう蒸発するしかない。 そういう心境の時でしょうねえ。 確かにそうやってどこかへ行ってしまうことはできないことではありませんね。 実際にそうする人もいるかもしれません。 そこで聖書が言うことを考えてみましょう。

 たとえ名前を変えても姿・形を変えても私たちは神に知られている、と聖書は言います。 様々な人間関係や場所から逃れたとしても神の前から逃れることはできない、と。 神は私たちがどこに隠れようとも、どこに逃れようとも、すぐ近くにおられるお方なのです。

 それは神が細かく小さな分身となってあっちにもこっちにも出没することを言っているのではありません。 あるいは神は万物の中に宿っておられる、つまりこの草にも石ころにもあの山にも池にも宿っている、ということを言っているのではありません。 むしろ使徒パウロはこういう言い方をしました。 「神は、私たちから遠く離れてはおられるのではありません。私たちは神様の中に生き、動き、存在している。」(使徒 17章27節、28節参照)と。 そうであればこそ、どこにも逃れようがない、というのもよく分ります。

 聖書はそのような神を伝えて何を言いたいのでしょうか。 それは、神がいつでも私たちと共にいて私たちを見放さず見捨てることのない方であることを分って欲しい、ということです。

 実に神は私たちの味方であり、最後の砦です。 悩める時の私たちの救い、私たちの力です。 逃げていなくなりたい、と思う時にこそ私たちの救いである神様を呼び求めましょう。 どんな困難に遭っても、いつでもどこにでも共におられて見放さず見捨てない神様を信じて歩ませていただきましょう。 

  ( PBA制作「世の光」2010.8.26放送でのお話より )

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■神さまのつくった夕焼け

2010年08月25日 | Weblog
2010/8/25放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 羽鳥頼和です。 

 ある子が神様に手紙を書きました。「かみさま、おれ、かようびのゆうがたに、かみさまがつくったゆうやけを みたよ。 オレンジいろとむらさきいろが とてもきれいだった。 あのゆうやけはすごかったなあ。」

 あなたは最近、夕焼けを見ましたか? 夕焼けは刻一刻と色合いを変えていきます。 一瞬一瞬の美しさがそこにあります。 そしてしばらくすれば消えてしまいます。 きれいな夕焼けを見たとき、こんなきれいなものを見られて、ちょっと得した気分になるでしょう。 

 ある人が二階の窓から夕焼けを見たとき、「その雲がモーツァルトの音符に見えて、夕焼けがその曲を奏でているようで、その曲が頭に響いてきた」と言いました。

 私もこんなふうに夕焼けを見られたら素晴らしいなと思います。 でも、もっと素晴らしいのが、この子の夕焼けを見つめる眼差しです。 この子は夕焼けを神様が造ったものとして見ているのです。 大人はなかなかこのようには見えません。 ただきれいなものはきれい、と夕焼けの美しさだけを見ます。 あるいは夕焼けは沈む太陽の光線が斜めに空気中に当たって青色は吸収され、赤色、だいだい色、黄色が反射して、空がオレンジとか紫に見えるんだ、と夕焼けという自然現象を科学的な目で見ます。 いやそれどころか忙しく家路を急いでいたりすると、美しい夕焼けも目に入りません。 

 ローマ人への手紙1章20節に、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる・・・」とあります。 被造物とは神様の造られた物のこと。 これからは自然を見る時、それが神様の造られたものであることを思って、見てください。 

 詩篇19篇1節に「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」とあありますから、自然の素晴らしさと共に、それを造られた神様の偉大さ、素晴らしさを知ることができるでしょう。 ぜひ自然を造られた神様を信じる信仰の目を持って素晴らしい自然を見てください。

 ( PBA制作「世の光」2010.8.25放送でのお話より )

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■祈り

2010年08月24日 | Weblog
2010/8/24放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。

 新約聖書 第一ヨハネの手紙5章14節
 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる・・・」

 聖書の神様はいつも私たちの人生に最善のことを与えようとなさっている方です。 ですから神様の願い、み心はいつも私たちにとって最も良いものです。 だから神のみ心に適う願いは必ず聞かれるんですね。 それが最善だからです。 

 時々私たちは自分勝手な祈りをすることがありますよねえ。 「神様、あの人、気に入りません、どうかどこかに追い出してください」とか、「神様、明日試験なんですけど、あんまり勉強していませんでした。でも試験で百点取らせてください」とか、まあこういう祈りは幾ら祈っても答えられません。 祈りというものは私たちを怠惰にしたり横着にする道具ではないからです。

 神様のみ心に適う祈りは必ず聞かれますが、神様のみ心にそぐわない祈りはノーという答えが出てくるんです。

 また、その祈りの答えを受け取るまでもう少し待ちなさい、(と)私たちに忍耐を教えるということもあります。 どんなに時間がかかっても神様はあなたの祈りを聞いたけれど忘れてしまった、などということは決してないんですね。 私たは自分が祈ったことを忘れてしまうことがありますが、神様はあなたの祈りを忘れることは決してないんです。 

 神様のみ心に適う願いをするにはどうしたらいいんでしょう。 それはとにかくあなたが実際に祈ってみることなんです。 

 私はギターを良く弾きますがギターにはたくさんのコードがあります。 最初そのコードを覚えるのが大変でした。 でも弾いているうちにですねえ、そのコードがいつ変わるかということが分かってきました。 不思議ですけど継続することによって自然に身についてくるんですねえ。 祈りも同じです。 理屈じゃないんです。 理屈でギターは弾けません。 理屈では水泳はできません。 祈りも理屈ではありません。 まず祈り続けることです。 ある時には自分勝手な祈りになってしまうかもしれません。 でもそれでも構わないです。 祈り続けることの中で分かってくるんですね。 

 そしてイエス様はどのように祈るのかを教えてくださいました。 それは天のお父様と呼びかけ、イエス・キリストの名前を通して祈りなさい、と教えたのです。 ですから祈りの最初に、「天のお父様」と呼びかけます。 そしてあなたの感謝や願い、それらを祈りのことばとしてお話しし、最後に「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン」と言って閉じるんです。 お祈りのあとのアーメンとは、本当です、その通りです、という意味のことばなんですね。 お祈りしたことが本当です。 心からの祈りです、という思いを込めて祈ったということなんです。 勇気をもってイエス・キリストのお名前を通して祈ってみませんか?

 (PBA制作「世の光」2010.8.24放送でのお話しより)

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■影で働いている方たちのおかげで

2010年08月23日 | Weblog
2010/8/23放送

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 えー、「さわやか世の光」っていう10分の番組を一緒に担当しております四元さんていう方が新幹線に乗ってですね、そしてその新幹線の中で自動車のバッテリーぐらいのものを床に置いて覗き込みをしながら何だかメモをしているという、そういう場面に出会ってですね、「何をしているんですか?」って尋ねたらしいんですよ。 そしたらそのバッテリーのような機械は車両振動計測器と言うんだそうでして、それをこう真ん中に置いてですね、そしてずっと計っていると左右の車輪の減り具合とかモーターの具合なんかが分るんだそうなんですね。 で、車両が偏った減り方をしていたりモーターが良くなかったりするとすぐに車庫に入れて修理をする、というようなものですね。 で、その新幹線の中にいつも乗っててですね、そういうふうなことを調べている方たちがいるということなんですねえ。 私たちはやっぱり安心してこう新幹線に乗れる影にはそういうふうな人にはあまり知られていないような地道な働きをする方がいらっしゃるんだなあ、っていうふうに思いましたねえ。

 で、私たちの毎日の生活の中では私たちの知らない所で、それこそ昼も夜もですね、いろんな方たちが関わって私たちが安全に生活ができているということを、時々こう忘れてしまいますけど、あるんだなあというふうに思いますですねえ。

 聖書の中にこういうことばがありまして、「あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇 121篇3、4節) っていう、これは、私の助けはどこから来るんだろう、それは天地を造ったこの神様から来るんだ。その神様が私たちを昼も夜もまどろむこともなく守っていてくださるんだ、ということぱなんですねえ。 

 えー、こんな詩がありましてねえ、『もし神が忘れたら』っていう詩なんですけども、

   神がこの世界を忘れたら たった一日でも忘れたら
   太陽を照らすのを忘れたら 夜を昼に変えるのを忘れたら
   花を咲かすのを忘れ 小鳥やハチたちを忘れたら
   木々に新鮮な南風を吹かせるのを忘れ 雨を降らすのを忘れたら
   子どもたちに遊び声を与えるのを忘れたら
   そして痛みを和らげるのを忘れたら

   一体この世界は 私たちは どうなるのだろう。
   もし神がたった一日でも忘れたとしたら

 という。 本当に神様のそういういつも忘れずに私たちを守っていてくださるその中で私たちは生きているということを私たちはいつも覚えたい。 そう思いますねえ。 

  ( PBA制作「世の光」2010.8.23放送でのお話しより)


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■苦しみの先にある希望

2010年08月21日 | Weblog
2010/8/21放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。

 できるならば苦しみ・悲しみ・痛みは避けて通りたい、それが私たちの偽らざる思いではないでしようか。 しかし神様は時に敢えて私たちを苦しみへと導かれることがあります。 マルコの福音書10章33節34節にこんなことばがあります。 イエス様のことばです。 

 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」(マルコ 10章33、34節)

 イエス様とその弟子たちはエルサレムに向かっていました。 そしてイエス様はそのエルサレムで十字架にかかられるのです。 

 聖書を読むとイエス様が弟子たちを熱心にエルサレムへと導いていたことが分ります。 このエルサレムという場所はこの弟子たちにとっては喜び楽しみの場所ではありませんでした。 そこに行くことで愛するイエス様が十字架につけられてしまうということ。 また自分たちもこのイエス様を裏切ってしまうということを体験しなければなりませんでした。 しかしイエス様は敢えて弟子たちをそこへと、苦しみへと導かれました。 なぜならばその苦しみを通してでしか分らないことが弟子たちにはあったからです。

 自分の弱さ、また自分の罪ということをはっきりと知らなければ知ることができない大切な希望があります。 このラジオを聴いてくださっている方の中にも今、苦しみ・悲しみ・痛みの中を通っておられる方があるかも知れません。 しかし神様はあなたから遠く離れてはいない、と聖書は言います。 いやイエス様はあなたのすぐそばにいて、あなたに慰めと励ましのことばを与えてくださるお方だと聖書は言います。

 イエス様は言いました。 
 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。

 あなたが体験する苦しみも悲しみも痛みもわたしは共に味わおう、そしてその苦しみの向こうにあなたに希望を与えよう、と語っていてくださいます。 どうぞイエス様のことば、慰め、励まし、希望のことばに耳を傾けてください。 その苦しみの先にある希望が必ずあるのです。 

       (PBA制作「世の光」2010.8.21放送でのお話しより )

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■罪人の私をあわれんでください

2010年08月20日 | Weblog
2010/8/20放送

 世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日も御一緒に旧訳聖書の詩篇を味わいたいと思います。 今日の詩篇は41篇の4節です。

 私は言った。「主よ、あわれんでください。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」

 私たちは時に、神様がいらっしゃるならどうしてこのような悲しみや苦しみがあるのか、どうして早く助けてくれないのか、と叫びたくなりますね。 この詩篇はイスラエルの王ダビデがそのような中で歌った祈りです。

 彼は聖書が語る創造主なる神を信じていました。 神様がすべてを創造し、愛と慈しみをもって自分をも他の人をも創造してくださったことを信じていました。 しかしそのことを信じながら彼は他の人を傷つけ、自分の欲望に振り回され、王という立場を利用してしまったのです。 彼の内側にはそのような自己中心の心がありました。 たとえ王様でもそれは本当の主権者である神様の前に赦されないことでした。

 この地上においては、どんな人の心の中にもこのダビデと同じような罪があります。 自分のために他の人を利用し傷つけてしまう自己中心の罪です。

 しかし神を信じるダビデは他の人を傷つけたことを認めると共に、神に対して大きな罪があることを認めたのです。 彼の祈りは苦しみから助けて欲しいというのではなく、苦しみの原因となる自分の罪を赦し、自分の魂を癒し、清めて欲しい、との祈りでした。 そして神様はその祈りを本当に喜ばれたのです。 

 新約聖書のヨハネ第一の手紙1章9節にこんなことばがあります。 
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 神様は、あなたが自分の心の内側にある問題に罪に目を留め、それを赦して欲しい、本当の解決と平安、魂の癒しを与えて欲しい、と祈ることを待っていてくださるのです。 あなたも心から神様に向かって祈りませんか?  「神様、私は罪人です。どうぞこの罪人の私を赦してください。あわれんでください。」と。

   (PBA制作「世の光」2010.8.20放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
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予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
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問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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