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また来てくださいね!
世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
語り続けてまいりましたイースター・スペシャル、今日はその6回め、いよいよ十字架です。
金曜日の朝のことです。叩かれ打たれて、皮は裂け、肉も裂け、血まみれになったイエス・キリストは、処刑の地、ゴルゴダに連れて行かれます。そしてその手に足に、大きな釘を打ち込まれ、十字架の上にさらされます。その苦しさの中からさえイエスは、敵なる罪人に赦しのことばをかけ、同じ時に十字架に処刑に遭った犯人には、救いのことばをかけられました。
さて12時から、全地が暗くなり、そして3時になると、イエスは大きな声で言われました。「エリ、エリ、レマ サバクタニ」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という悲痛極まりないおことばですね。父なる神から見捨てられた苦難の主の絶叫です。この叫びの中に十字架の意味が示されています。
第一に、主にとって十字架とは、神に見捨てられることでありました。全人類の罪を、罪のないその御自身に担われて人に代わって神に裁かれる、神に捨てられる事だったのです。
第二に、ですからつまり十字架の死は、全人類から神の裁きを除き去り、そして贖(あがな)う身代わりの死だったのです。
第三に、罪を悔い改めてこの救い主を信じてより頼むすべての人の罪を赦し、裁きから解放し、死の代わりに永遠のいのちを与える救いのことばだったのです。
パウロは言いました。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」
こうしてよみがえられた主キリストは、完全な救い主となられたのです。
聖書のことば。
「キリストは・・・ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。」
ヘブル人への手紙 7章25節のことばです。
ではまたお聞きください。
( PBA制作「世の光」2005.03.26放送でのお話しより )
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