♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して69年の
「世の光」を文字で 

■ルカの福音書 10 - ザカリア / 大嶋重徳

2020年04月30日 | Weblog

2020/3/5放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカ福音書1章を順番に読んでいます。今日の箇所にはザカリヤという人が出てきます。ザカリヤは旧約聖書から続く神殿の祭司でした。祭司は祭司の家系に生まれた者がなることができます。ザカリヤの名前の意味は「神に覚えられている人、神が忘れてはおられない人」という意味です。ユダヤで男の子が産まれると、「どうぞ神様この子供のことをよく覚えていてください」親の願いが込められていました。またザカリヤは妻エリザベスと二人暮しでした。彼らには子供がなく二人ともすでに歳を取っていた、とあります。ザカリヤの働く神殿の祭司は24の組に分かれており、その8番目がザカリヤの属するアビヤの組でした。そして一年に二度、それぞれの組に当番が回ってきて、くじ引きの当たってその組の祭司が神殿の一番奥に入って香を焚いて祈りをしました。この当時、祭司の数は1万8千人から2万人いたと言われていますが、2万人いる祭司の中でそのうちの一人だけが選ばれて、一日、神様の前に出て香を焚く。二万人に一人ですから人生の中で一度も神殿に入って香を焚くという勤めが回ってこない人が出てきます。ザカリヤにとって、もうこの後の人生で回ってくることがないかもしれない機会が回ってきたのです。

 ザカリヤ・・・「主が私のことを覚えていてくださる」という名前を持つ男ザカリヤにとって、ああ神様が私を忘れてはおられなかった、という思いになる大役が回ってきたのです。妻エリサベツもこの日を待っていたでしょう。ああ神様が約束を果たされた。

 あなたにとって、神様が私を忘れてはおられなかった、と思える出来事があるでしょうか。ああ神様が祈りに答えてくださった、と思える出来事です。

 私たちは時折、もう神様は私のことなんか忘れておられるかもしれない、と思うことがあるかもしれません。しかし私たちが祈ったどんな小さな祈りをも神様は忘れてはおられません。実はザカリヤにこの後、高齢の妻が妊娠しているということを天使が告げます。ザカリヤ夫婦の祈りが、祈ってきた祈りが応えられる時を迎えます。しかし一方で、私たちの方が祈ったことを忘れていることがあるでしょう。そして神様が私を覚えておられるということを、私たちが忘れている。しかしあなたが祈ったことを、神様は片時も忘れることがないのです。神様が今日もあなたの祈りに応えあなたを覚えておられるからこそ始まる一日を大切にしていただきたいと思います

    ( PBA制作「世の光」2020.3.5放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■あなたの御名に感謝します / 福井 誠

2020年04月29日 | Weblog

2020/3/4放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。

  継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いて参りましょう。
 詩篇140篇13節から「あなたの御名に感謝します」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「まことに 正しい人はあなたの御名に感謝し 直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。」

 初めに詩人は「【主】よ 私をよこしまな人から助け出し 暴虐を行う者から守ってください。」と、悪い者からの救いを祈っています。よこしまな者、暴虐を行う者は、いずれも集合名詞で、特定の人物を指しているわけではありません。むしろ一般的によこしまな人、暴虐を行う者、ということでしょう。そのような人たちの心やことばは悪で満ち、いつでも人をつまずかせようとしている。そのような者からお守りください、というのです。そして、そのような者から守ってくださる神に感謝します、というのが詩人の結論ですね。

 ところが注目すべきは、パウロはこの詩篇をローマ書に引用していることです。しかもここで言うよこしまな者・暴虐を行う者を一般の罪人をイメージすることばとして引用をしていることです。ということは、このよこしまな者・暴虐を行う者は、他ならぬこの私でありあなたであると言わなくてはなりませんね。これは痛いですねえ。誰でも他人に対する暴力と残忍さ、そして欺きがあるとは思いたくないものです。しかしパウロはこの詩篇を引用し、そのように神の復讐を受けるように祈られる加害者のような存在、それが私たち罪人の現実である、と語っているのです。

 そこで、そのような人間の現実を素直に認められるかどうかが大事ですね。そうであればイエスの十字架にある罪の赦しを受けたい、神に正しい者とされたい、と願うことでしょう。そして神に御前にへりくだった人生へ導かれることになります。

 その上で不条理な仕打ちを受けることがあれば、私たちは自分の罪を棚上げにするような気持ちになることもなく、神の守りと公正な裁きを願い感謝するこの祈りも捧げられるようになるのです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.2.26放送でのお話より )

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  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
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■人生は出会いで決まる / 板倉邦雄

2020年04月28日 | Weblog

2020/3/3放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 「人生は出会いで決まる」とよく言われますね。最初の出会いは両親や兄弟たちとの出会いです。私たちは親や兄弟を選べませんね。その後は、学校の先生や友達、職場の人たちとの出会いでしょう。私も振り返ってみますと、私の人生は出会いで決まってきました。使徒の働き18章に入ります。

 さて、パウロはその後ギリシャのアテネを去って、アテネの西方100 キロ にあるコリントの町へ行きました。コリントの町も当時の政治と宗教、海運と商業の中心地でした。コリントは北部のギリシャとペロポネソス半島を結ぶ橋のような存在でした。またエーゲ海とイオニア海をつなぐ東西の接点でもありました。そのコリントの街でパウロはアキラというユダヤ人とその妻プリスキラと出会うことになります。

 実は、アキラとプリスキラ夫妻はイタリアのローマに住んでいましたが、ローマの皇帝クラウディウス帝がすべてのユダヤ人をローマから追放したのです。この皇帝の退去命令によってアキラ夫妻はイタリアを出て、近頃コリントに滞在していました。

 ところで、パウロはコリントへ来たのはいいのですが、伝道旅行の費用が底を尽き始めていました。シラスとテモテが伝道費用を持ってくる予定ですが、まだマケドニアのベレヤから来ていませんでした。そこでパウロはコリントで職探しをすることになります。パウロは天幕作りという手に職を持っていました。動物の皮を縫い合わせて天幕を作る仕事です。なんとアキラとプリスキラ夫妻も同じ天幕作りをする同業者でした。渡りに船とはこのことでしょう。パウロはアキラとそ夫妻の家に住み込んで一緒に仕事をすることになったのです。そしてパウロは安息日になりますと、会堂でユダヤ人やギリシャ人と論じ合い、説得に努めました。

 私たちは人生の出会いを偶然で片付けますが、実は天の神様は生きておられ、神様を信じる人たちといつも共にいてくださり、守り導いてくださるということがわかります。パウロは全く新しい土地へ来て、知り合いも信徒もいない、生活の見通しもなかったのです。しかし神様は遠いイタリアから一組の夫婦を用意しておられました。

  (PBA制作「世の光」2020.3.3放送でのお話より ) 

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 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■身を低くされる神 / 岩井基雄

2020年04月27日 | Weblog

2020/3/2放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第一月曜日の今日は、詩篇113篇から、「身を低くされる神」の愛について心を留めてみましょう。

 私は週に一度、ミッションスクールで中学生に聖書を教えています。「神様ってどんなイメージなの?」と生徒に時々聞いています。様々な返答がありますが、怖く恐ろしいイメージや遠く離れたイメージを持つ生徒が少なくありません。バチを当てる神というイメージも日本では強いような気がします。

 聖書が語る神様は、全てのものを創造された主権者なる神であり、全てをご存知です。それゆえ私たちは恐れを覚えるのですが、全てをご存知の上で、なお罪ある私たちを愛し、また身を低くして寄り添ってくださる神様の愛の姿を聖書は語っているのです。

 今日の詩篇をお読みします。
 「【主】はすべての国々の上に高くおられ その栄光は天の上にある。 
   だれが 私たちの神 【主】のようであろうか。
   主は高い御位に座し 身を低くして 天と地をご覧になる。
   主は弱い者をちりから起こし 貧しい人をあくたから引き上げ
    彼らを 高貴な人々とともに 御民の高貴な人々とともに 座に着かせられる。
              旧約聖書詩篇113篇4節から8節

  ここには全てに主権を持つ神ご自身が身を低くしてへりくだり、私たちの苦しみや悲しみを理解し、そこに慰めと平安そして希望を与えてくださることが歌われています。弱い者や貧しい者を決して見放さず、真の喜びを与えるためにへりくだられた姿は、神の御子イエス・キリストが神のあり方を捨てて人としてこの地上に来てくださったことによって成就しました。私たちの弱さや貧しさだけではなく、心の汚れや腐れ、罪の姿も全部ご存知の上で、その全てを赦し、まことのいのちに与らせるために、主権者である神の御子イエス・キリストが身を低くしてくださったのです。その愛とへりくだりの姿は、あなたに本当の喜びを与え、永遠のいのちを与えるためであるということを知っていただきたいと心から願っています。

 聖書のことば
 「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
  それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
     新約聖書コリント第二の手紙 8章9節

 あなたは神に愛されているのです。
 
  (PBA制作「世の光」 2020.3.2放送でのお話より ) 
 
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■わたしがあなたがたの神となる / 羽鳥頼和

2020年04月25日 | Weblog

2020/2/29放送
世の光の時間です。おはようございます。羽鳥頼和です。

 聖書の神は厳しいお方です。神は十戒などの戒めを人に与え、それを守り行わないと厳しく裁かれる、そう聞くと私たちは聖書の神は血も涙もない冷酷なお方とイメージします。本当に神はすぐに怒り、人を裁くような冷酷なお方なのでしょうか? 今日は旧約聖書のレビ記26章からそのことを確かめたいと思います。

 レビ記の26章1節で神はこのように命じられました。
 「あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。
 そしてその次に、
 「わたしの命令を守るならわたしはあなたに祝福を与える」
 と約束しておられます。(参照3節~)

 神は三つの祝福を与えると約束されました。それは豊かな作物、住む土地の平和、そして子供をたくさん与えるという約束です。それで人はそこに安らかに豊かに住むことができるのです。そしてさらに約束されたのは、神と人との良い関係でした。
 「わたしはあなた方の神となり、あなたがたはわたしの民となるのでわたしはあなた方を嫌って退けたりはしない」(参照11節、12節)
 そして神は、命令を守らないならばどうするか、非常に長く語っておられます。
 命令を守らなかった場合、作物の不作、病気や敵の略奪などで懲らしめる、と語られます。それでも命令を守らないなら、また懲らしめる、と語られています。このように命令を守らないなら懲らしめる、ということが5回も続くのです。
 そして5回目の懲らしめの後、懲らしめられた彼らが自分の罪を告白し、わたしにへりくだるなら、わたしはあなたとの約束を思い出す、と言われているのです(参照45節)。つまり神は、言うことを聞かない人々を悔い改めに導くために懲らしめるのです。そして人を改心へと導き、祝福を与えようとされているのです。

 旧約聖書のイザヤ書9章7節はこのように、なんとか人を救おうとされる神の救いのことをこのように語っています。
 「今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 明日は日曜日です。救いを与えてくださる神に会うために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2020.2.29放送でのお話より )
 
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■終末に生きる / 関根弘興

2020年04月24日 | Weblog

2020/3/6放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様は大理石に輝く当時のエルサレムの神殿を見て、「石が崩されずに積まれたまま残ることは決してありません」と言われました(参照 マタイ福音書24章2節)。弟子タチは大変驚いて、もしこんな立派な神殿が破壊されるとしたら、それは世の終わりを迎える時に違いない、と思ったのです。そこで弟子たちは、「イエス様、さっき言われたことですが、あの神殿が破壊されてしまうようなことがいつ起こるのでしょう。世の終わりの時が来る前に何か前兆があるのでしょうか?」と尋ねたんです(参照 マタイ福音書24章3節)。

 するとイエス様は、「世の終わりには偽キリストや偽預言者が現れる。戦争や戦争の噂を聞く。飢饉や地震が起こる。迫害が起こる。多くの人の愛は消えていく。そして全世界に福音は宣べ伝えられる。」とお語りになりました(参照 マタイ福音書24章4-14節)。

 しかしこれらの出来事はいつの時代にもあったことでした。例えば偽キリストは少なくても紀元50年にはもう現われていました。イエス様の時代から今に至るまで戦争や戦争の噂は絶えませんね。飢饉や地震、また親が子を子が親を売り渡すというような人の愛が冷めていくというようなニュースは今も溢れているように思います。このようにイエス様が世の終わりの前兆として挙げられたことはすでに起こっていることでもあるんですね。

 さて私たちは三つの終末に生きています。一つはこの世界の終わり・終末があります。二つ目は自分の命の終わり・終末というものがありますね。そして三つめは自分以外の自分と関わりのある人の命の終末があるわけです。どれが一番早く訪れるかわかりませんが、いずれにしろ私たちは皆終末の時代に生き、誰もがいつかは終末を迎えるわけです。

 イエス様はそんな終末を生きる一人一人に、「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」と言われました(参照 マタイ福音書24章13節)。私たちは神様を信じたからといって問題がすべてなくなるわけではありません。苦しみや辛い経験もあります。耐え忍ぶ ---ま、忍耐とも言いますけど--- 耐え忍ぶとはそれでもなお信頼し続けるということなんです。聖書の中には「主に信頼する者は失望に終わることはない」と書かれています(参照 ローマ人への手紙9章33節、10章11節、ペテロの手紙第一2章6節 )。終末の時代、主を信頼し続けることは、聖書の言葉を信じその約束に生きることなんですね。 

     (PBA制作「世の光」2020.2.28放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


■心を見られる主 / 関根弘興

2020年04月24日 | Weblog

2020/2/28放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様がエルサレムにある神殿の中の外庭に座っている時でした。その近くには献金箱がありました。そこに貧しいやもめやもめがやって来て、当時の貨幣の最小単位であるレプタ銅貨を二つ投げ入れたのです。実は彼女の姿の中に、すべてを神様に委ねて生きるという姿がありました。そして固執しないで生きる姿というものがそこにはありました。

 当時、エルサレムの神殿、・・・神殿というのは「祈りの家」と称えられるべき場所でした。(参照マタイ21:13 、マルコ11:17、ルカ19:46 ) しかし当時は本来の姿が失われてしまっていました。表面的に祈り献金を捧げるだけで、心から神様を礼拝する姿が見られなかったのです。そんな中で、名も知れぬこのやもめの姿は本来の礼拝や祈りの姿を教えてくれることになったのです。

 彼女のささげたレプタ銅貨二枚は神殿を管理する人々にとってはそれこそチリにも満たないわずかなものでした。しかし彼女の姿はお金に変えることのできない尊い信仰の姿を教えることになったのです。

 実はイエス様が十字架で死なれるその前の一週間を見ますと、麗しい信仰の姿を示す女性が二人紹介されています。一人は神殿に行き、レプタ銅貨二枚を捧げたこのやもめの女性です。そしてもう一人は300デナリもする高価なナルドの香油をイエス様に注いだ女性でした。この両者の捧げ物を日本円に換算するなら、一方は100円。もう一方は300万円くらいです。ですからだいぶ差がありますよね。しかしどちらも神様に心から感謝し、全てを神様に委ねて生きるという姿を教えているのです。イエス様を取られて殺してしまおうとする企みと憎しみ妬みと争いが渦巻く中で、この二人の女性の姿は信仰の麗しい香りを放っているかのようですね。

 私たちの神様は、一人一人の心をしっかりと見ていてくださる神様です。旧約聖書の第1サムエル16章7節には「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と書かれています。イエス様は表面的に立派な信仰生活を送っている当時のパリサイ派の人たちや律法学者たちを批判し、わずかな献金しかささげられなかった一人のやもめを賞賛なさいました。イエス様はそれぞれの心をちゃんと見ておられるお方だからです。
     (PBA制作「世の光」2020.2.28放送でのお話しより)

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■永遠に変わらないイエス / 大井 満

2020年04月23日 | Weblog

2020/2/27放送

  世の光の時間です。今月、木曜日のメッセージを担当しています東京にある板橋教会の牧師、大井 満です。

 新約聖書 使徒の働き9章に、サウロという人がイエス・キリストと出会った時のことが記されています。この出会いは不思議な出会いです。サウロは出来たばかりのキリスト教会を敵視し、集会を妨害し、クリスチャンたちを迫害していました。そんな彼がいつものように教会を迫害するために旅をしていた時、イエス・キリストが突然彼に語りかけられたのです。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(4節)という声でした。

 サウロはまさかその声がイエス・キリストのものだと気付くはずもなく、こういう会話が続きました。 使徒の働き9章5節はこのように記しています。

 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 おそらくサウルは十字架に付けられる前のイエス・キリストと出会ったことはなかったと思います。十字架で死んで三日目によみがえり天に昇られたイエスが、そんな彼に声をかけてこられたのです。サウロの人生はこのときから一変しました。

 サウロはそれまで反対していた主イエスの声に従うようになったのです。後にサウロはパウロという名で呼ばれるようになったのですが、パウロはコリント人への手紙第一15章8節でこう書いています。

 「そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。

 復活された主イエスが、直接主イエスに従った弟子たちだけではなく、パウロのようないわば遅れてきた弟子にも現れてくださったというのです。このことは私たちにとっても大きな希望、励ましです。イエス様に直接会ったことがなくても、イエス様を信じて弟子になることができるのですから。

 へブル人への手紙13章8節にこのように書かれています。
 「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。

 永遠に変わることのないイエス様が、今日も私を招き、イエス様を信じる私の罪を赦し、永遠の命に与らせてくださいます。

    ( PBA制作「世の光」2020.2.27放送でのお話しより )

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■祝福を命じられた / 福井 誠

2020年04月22日 | Weblog

2020/2/26放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。継続は力なり。聖書を1日1日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いて参りましょう。

 詩篇133篇3節から「祝福を命じられた」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「主がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」 

 この詩はエルサレム巡礼の旅にあった人々が、ようやくエルサレムに到着し、皆が集まった時の楽しさ、親しさ、心地良さを歌ったもの、といわれています。イスラエルには毎年エルサレムで盛大な祭りをする風習がありました。当時の旅は徒歩の長旅で、旅の途上多くの巡礼者と合流し、その道すがら、都上りの歌を歌ったとされています。ゆったりとした当時の風景がイメージさせられるところですね。彼らは道すがら歌を歌い、神の力によって助け出され、また神の力によって乗り越えた数々の歴史的な出来事を思い出し、その信仰を分かち合ったのです。エルサレムに到着する頃には、すっかり旅仲間と打ち解け、「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。 兄弟たちが一つになって ともに生きることは。」(1節)とまるで身内のような親しさと喜びの感覚を抱くことがあったわけです。

 確かに、同じ神様を信じ愛しその神に仕える者たちが相集まりながら時を共にすることは素晴らしい経験でしょうねえ。そこには羨ましい限りの親しさ、心やすさ、近しさがあったことでしょう。

 ただこの詩において注目すべきは、それは神が祝福を命じられたからこそ経験されるものなのだと詩人がまとめていることです。しばしば人は理想郷を求めます。しかし自己中心な人間がいくら集まり合っても決して理想郷などできない、と冷めた思いを持っておられる方も多いはずです。この詩篇の詩人も同感であったのでしょう。彼は神がそこに祝福を命じられる時に、初めて人間の計画と思いを超えた親しさ、心やすさの世界が生じるのだ、と語っているのです。人間の力ではなく神の力で生み出される親しい世界があります。神がそこに祝福を命じられたというキリストの教会に、ぜひあなたも加えられていただきたいと思います。

 では良き一週を祈ります。


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■アレオパゴスでの説教(その二)“神のうちに生き” / 板倉邦雄

2020年04月21日 | Weblog

2020/2/25放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 「わが国は神国であり、我らは神の子孫である」とは戦地に行った父親のことばです。あらゆる民族の心の中に、私たちはまことの神と繋がっているのではないか、という願いと思いがあるのではないでしょうか。今日はアレオパゴスの説教その二、「神のうちに生き」という題でお話ししましょう。使徒の働き17章です。

 「アテネの人たちよ、・・・こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さったのです。事実、神は私たちひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。 私たちは神のうちに生き、動き、存在しているからです。あなたがたのある詩人たちも言っているでしょう。『われわれも、確かに神の子孫である』。 (参照 27節、28節 口語訳聖書)

 ここでのパウロの説教は、私たちは神に造られた存在だから熱心に捜し求めさえすれば、まことの神を発見できる、と言っています。なぜなら、私たちは神のうちに生き、動き、存在しているからです。

 まことの神様の発見は、まずこの神の造られた世界と自然の営みを見て神を発見できます。

 次に、私たちの良心・良い心を通して神を発見できるでしょう。

 第三に、聖書という書かれた神のことばと、顔を持った神の独り子イエス・キリストを通して、神を発見できるのです。

 さて、パウロの説教は続きます。「このように、私たちは神の子孫なのですから、神であるお方を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けた像と同じだと、見なすべきではありません。神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていましたが、今はどこにおる人たちにも、みな悔い改めなければならないことを命じておられます。神は、正義をもってこの世界をさばくため裁きの日を定めておられます。お選びになったイエス・キリストによって裁きをなし遂げようとされています。その証拠として、このイエスを死人の中からよみがえらせました。」(参照 29節、30節 口語訳聖書 )

 悔い改めることが求められています。なぜなら神は正義をもってこの世界と私たちを裁かれるからです。その証拠がイエス・キリストの十字架の死と死者の中からの復活の出来事だ、とパウロは語っているのです。神への悔い改めと主イエス・キリストへの信仰を強調しているのです。

  (PBA制作「世の光」2020.2.25放送でのお話より ) 

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