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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■大切なのは目の高さ

2010年06月01日 | Weblog
2010/6/1放送

 世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も爽やかに一日を過ごしていきたいですね。 

 まあ、お互いのコミュニケーションで大切なのはよく目の高さだと言われます。 まあ上から下へ一方的な言い方をされると反発をしますよね。 ああしなさい、こうしなさい、まったく駄目な奴ね、とまるでバレーボールで強烈なスパイクを受けているような、ま、そんなコミュニケーションもあります。 しかしテニスや卓球でも、こうラレーが続くと楽しいものです。 こどもの頃キャッチボールをよくしましたが、とても単純なことの繰り返しなのにそれは楽しいものですよね。 コミュニケーションも同じで、ラレーが続くとそのコミュニケーションはですね互いのことばがキャッチボールされ受け入れられていく。 ま、そんなようなコミュニケーションになっていく訳ですね。 それは上から目線でもなく下からのへつらいの目線でもない。 ま、同じ目の高さが大切な訳です。 

 新約聖書のピリピ人への手紙の中に驚くべきことが書かれています。 こんなことばです。 

 「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ 2章6節)

 何とイエス・キリストは神であるのに自らを低くして私たちと同じ目の高さにまで降りてきてくださったと言うんですねえ。 そして私たちが経験するであろうあらゆる苦しみを味わわれ歩まれたと言うのです。

 イエス・キリストはベツレヘムの家畜小屋で生まれ、大工のせがれとして育ちました。 そして三十歳を過ぎた頃から公の活動を始められました。 その働きはいつも一人ひとりの目の高さにまで、まるで屈(かが)み込むようにして「わたしの友よ」とおっしゃる方でした。 病む人を癒し、当時罪人というレッテルを貼られた人たちを受け入れ、一人ひとりのいのちがどれほど大切なのかを教えられたんです。

 しかしイエス・キリストの最後はむごたらしい十字架でした。 それは人のすべての罪を背負う身代わりの十字架でした。 人として来てくださっただけでなく、人の罪さえもご自分で背負われた方がイエス・キリストなんですね。

 私たちの目の高さにまで降りてきてくださった方だからこそ私たちはこの方に何でも打ち明け、励ましを得ることができるんです。 私たちの神様は高い高い上の方から「お前たちを祝福してやろう」という方ではなく、私たち一人ひとりの生活の場にまで降りてきてくださり、私たちの心の傷や罪を「わたしが全部背負う」と約束されるんですねえ。 イエス・キリストは神であるのに人として来てくださいました。 私たちの目の高さまで降りて来られたのです。 私たちはこのイエス・キリストと聖書の約束のことばを通して、そして祈ることを通して親しくコミュニケーションを持ちながら歩むことができるんです。 
 
 (PBA制作「世の光」2010.6.1放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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