♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■ルカの福音書27-  「みことば」というごはん / 大嶋重徳

2021年01月28日 | Weblog

2020/8/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。羊飼いがマリヤとヨセフの夫婦の所にやって来て、天使が野原で自分たちに告げたことを伝えました。するとマリヤはこれらのことをすぺて心に納めて思いを巡らしていた、とあります。マリヤのように心に納め思いを巡らすとき、自分の人生に起こったことの点と点が一つの線となって繋がっていくことを経験します。ああ、この出来事の意味はあの祈りをしたことを神様が聞いてくださったからなのか、と一本の線となっていくのです。

 神様のなさることを刺繍に例えた人がいます。刺繍は一見、後ろから見るとぼんやりとしていて、その柄がはっきりと分かりません。しかし一旦表を向けると鮮やかな柄が見えてきます。

 心に納め思いを巡らすということは人生の点と点を線に繋いでいく作業です。そして線と線を繋いで鮮やかな一つの面を見ていく作業となるのです。

 神様は無駄なことをなさらず、良くしようとしてくださる神です。

 しかし私たちは、心に納め思いを巡らす時間を失うならば、私たちは誤った神観、自分の思い込みから作り上げた神を誤解したままにすることがあるのです。

 多くの人が驚いて早く判断してしまうときに、自分の時間を神に捧げる沈黙の時を持つ、あるいは文字にして気づいたことの意味を書き起こすのです。そして自分の人生の中でその意味を深く心に納めていくのです。

 私にとって自分と神様の関係を育てられたなと思うのは、この静まる時間を持つことでした。

 皆さんは一日の中で静まりをしているでしょうか。一日を思い巡らし、自分に起こった出来事を神様の眼差しの中で受けとめるということをしているでしょうか。朝に夕に聖書の前に座り、一日を思い巡らし、自分に起こった出来事を神様の眼差しの中で受けとめるということをしているでしょうか。

 この世の光のラジオの時間もその時間の一つであるかもしれません。ただ朝に夜に聖書を読んでも一向に心に響かないということもあるでしょう。パタンと聖書を閉じた瞬間にどこを読んだかも思い出せないということがあります。しかしそれでも良いのです。みことばというご飯を食べていれば死にません。はっきり言って、私たちは昨日のご飯を覚えていなかったりもします。食べたかな?と食べたことも忘れることがあります。しかし、食べていれば死なないのです。感謝なことに聖書のことばを食べ過ぎて身体に悪いということはないのですから。

    ( PBA制作「世の光」2020.8.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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