♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■悲しむ者は幸いです / 関根弘興

2018年05月25日 | Weblog
2018/4/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書のマタイの福音書の中に、イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘の上で人々にお語りになった山上の説教と呼ばれているものがあります。その中でイエス様は、本当に幸いな人とはどのような人かということを教えてくださいました。今日はその二番目のことばを紹介しましょう。

 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイの福音書5章4節 新改訳2017)
 
 どうして悲しむ者が幸いなのでしょう。悲しみ自体は不幸がもたらす結果のように見えますよね。旧約聖書の詩篇の中にはこんな悲しみの姿が書かれています。詩篇の6篇
 「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。」(6節 新改訳第三版)
 まあ大変な悲しみの中にいるということですねえ。

 また詩篇の39篇の中には、
 「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。」(12節 新改訳第三版)

 悲しみの涙とともに神様に叫んでいる姿が描かれているんですねえ。ま、悲しみというのは、外部から襲って来る様々なものもあります。また自分自身に対する悲しみというものももたらされることがありますよねえ。例えば、自分自身を見つめると、自分の中には罪がある、憎しみや妬みや恐れや失望、そうしたものがある。自分の弱さを見るかもしれません。そして自分自身に絶望し、悲しんでしまうこともあるでしょう。

 しかしイエス様はそのように悲しむ者は幸いだよと言われたのです。なぜでしょうか。一つには、悲しみが悔い改めに繋がるからです。自分の罪や弱さを悲しむとき、このままではだめだ、向きを変えよう、という決断をすることができるからです。それを聖書では「悔い改め」ということばで表しています。自分自身の状態を自覚し悲しむ者は神様に立ち帰ることができる。だから幸いだということなのですね。

 もちろん私たちは日常生活の中で様々な痛みや悲しみを経験し、涙することもあります。でも慰めを与えてくださる神様がいてくださるんです。

 第二コリント1章4節には、
 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」(新改訳2017)と書かれているからです。
               
  (PBA制作「世の光」2018.4.20放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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