♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■私の訴えを打ち明けたのだから / 福井 誠

2021年01月20日 | Weblog

2020/7/29放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日1と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はエレミヤ書20章12節から「私の訴えを打ち明けたのだから」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ、あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」

 エレミヤは別名「涙の預言者」とも呼ばれます。それは神の言葉に耳を貸そうとしないイスラエルの民に涙ながらに神の言葉を語り続けた情の熱い預言者であったからです。今日の箇所にはそんなエレミアに対するイスラエルの人々の嘲りのエピソードが描かれています。

 ここに主の神殿で働いていたパシュフルという祭司が出てきます。パシュフルはエレミヤが語るエルサレム滅亡の預言に我慢がならず、それは神の言葉ではない、と怒りを燃やしてエレミアを捕らえ、鞭を打ち、牢にぶち込んでしまうのです。なんとエレミアは一般大衆にではなく神に仕える祭司に、あなたの言うことは間違っている、と否定されたのですね。

 その時のエレミヤの心境も描かれています。エレミヤはいささか動揺し、落胆した気持ちを吐き出すような祈りを捧げています。実際、エレミヤが預言したエルサレムの滅亡は一向に実現する気配もなく、語れば語る程にエレミアは物笑いとなり、嘲れててしまいました。エレミヤは、エルサレム滅亡の預言は確実に起こる神の御計画であると確信していましたが、それ以上に人々は確信をもってエレミアの語ることを否定したのです。

 エレミヤは四面楚歌の中にありましたがそこで辱めを受ける自分の境遇を嘆いたりせず、むしろ神に自分の窮状を素直に訴えて語りかけていますね。大事な点です。エレミヤは神と本当に身内のように話しかけています。 

 信仰を持つというのは、教会に通ったり聖書を学んだりする以上のことです。それは神との人格的な関係であり、互いに喜びも悲しみも分かち合うような関係を持つことです。いのちある信仰というのは実に神との対話が成り立つ関係を持つことだと言うべきでしょう。 

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.7.29放送でのお話より )

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  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
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