♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■義のために迫害されている者は幸いです / 関根弘興

2018年07月20日 | Weblog
2018/6/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書の福音書の中に、イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘の上で人々にお語りになった山上の説教と呼ばれているものがあります。その中でイエス様は、本当に幸いな人とはどのような人かということを教えてくださいました。今日はその幸いな教えの最後の8番目のことばを紹介しましょう。
 「 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイの福音書5章10節  新改訳2017)
 
ここで言われている「義のために迫害されている者」とはこれはイエス・キリストを信じる信仰のために迫害されている者と言い換えることができます。キリスト教会の歴史を見ると、4世紀の初めの頃まで特に非常に激しい迫害を教会は経験しました。パウロという人はピリピ人への手紙1章29節で、「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。」と書いています。どういうことかというと、イエス・キリストを信じて生きるからこそ生じる苦しみがある、とパウロは記しているんです。

 私たちは信仰を持って生きて行くとき、社会の中でいろんな葛藤を覚えることがあるかもしれません。時には理不尽な仕打ちを受けるということが起こるかもしれません。私たちはいろんな葛藤や苦しみを経験するとき、ただ、ああ自分は何と無力なんだろう、自分の無力さを思い知らされるのではないかと思います。そして思わず「神様、助けてください!」と神様に呼び求める以外にはなすすべがないということを知るのです。

 それはイエス・キリストがこの山上の説教の最初に挙げられた幸い、それは神様以外に頼るべきものが何もないという、「心の貧しい人は幸いです。」という所にまた戻って来るんですね。

 イエス・キリストが教えられた幸いの教えというのは、一つ一つが独立しているのではなく生活の中で循環されていくものなんです。私たちは神様に助けを呼びながら、また辛い悲しい涙を流すこともあるでしょう。でも主の慰めを受けながら歩んでいくことができるんです。そして「天のお父さん」と親しく呼び求めることができ、神様との平和に生かされていくとき、イエス様が教えられた失われることのない幸いに歩むことができるんです。

  (PBA制作「世の光」2018.6.15放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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