2024/09/07放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。私の担当する今週は、聖書のルカ福音書7章から学んできました。今週の箇所には、信仰が揺らいだ洗礼者ヨハネが出てきます。
揺らぐことは問題ではありません。もっと問題なのは、「自分は大丈夫だ」と自分の誤解している神イメージに支配されたまま長く長く信仰者をやっていることのほうが問題です。自分の期待している神像にあぐらをかいたまま、本当にイエス様が示されている神の姿を受け取ろうとしないことのほうが問題なのです。
イエス様はヨハネの弟子たちに言われました。「あなたがたが見聞きしたことをそのままを語りなさい。そのまま歪めずに、その姿をいたずらにオーバーに語ることもせずに、きちんと語りなさい。」と言われるのです。
イエス様の12弟子もそうでした。イエス様が十字架にかかり復活され、聖霊が降られるまで、彼らの心は、彼らの信仰は、揺れに揺れたのです。本当の十字架の意味まで弟子たちは見えていませんでした。
私たちもまたそうです。まだ神様のなそうとされていることの意味まで見えないことがあります。ずうっと祈っていることがあり、その祈りの実現を待っている。しかしまだ見えない。だからこそ今日、私たちは祈るのです。「待っていてよいのですね? 他の何も待ちません。」 そして、「あなたでいいのですね?」と、みことばを求めるのです。
イエス様は揺らぐ日常の中であなたの躓きやすい場所を示してくださいます。「下ばかり見ていないで、わたしを見ていなさい。だから転ぶんだよ。まっすぐ入ってきなさい。」
その意味では世界中の他の何に躓いてもいいんです。私たちが期待していて裏切られることはあるでしょう。親しい夫婦の間でもそうですし、親子関係でもそうです。互いに抱いている期待を勝手に持ちます。
しかし思い描いていた自分の子どもの人生から裏切られるという事が起こるでしょう。夫に期待していたのに全く違うと言って、そこに躓くのです。恋人に裏切られ、信頼していた先生に裏切られ、誤解して失望することもあるでしょう。
しかし、イエス・キリストにさえ躓かなければ、他の何に躓いても怖いものはありません。いかなる人間に躓こうともキリストには躓かない。何より、たとえ自分に躓こうとも、恐れるに足りないのです。キリストに躓かないものは幸いです。
( PBA制作「世の光」 2024.9.7放送でのお話しより )
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