2024/04/19放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「まことの食物」という題でお話ししましょう。私たちは食べ物や飲み物に注意を払います。それは、私たちが食べたり飲んだりしなければ私たちの肉体はやせ衰え病気になり、やがて死に至るからです。それと同じように私たちが魂と心のために、まことのパンや飲み物を取らなければ私たちの魂や心は飢え、衰え、病み、死んでしまうのではないでしょうか?
ヨハネの福音書6章55節と56節のイエス様のことばから共に学びましょう。
イエス様は会堂に集まった人々に語り続けました。
「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である」
私たちの魂と心にとってまことの食べ物と飲み物はイエス様の肉体と血潮である、と語っているのです。
これはやがて十字架に磔になるご自身を指し示していました。両手両足を釘で十字架に打ち付けられ、縄で縛られたイエス様の肉体はやがて裂かれます。そして脇腹を槍で突き通されて、水と一緒に噴き出たイエス様の血潮です。
そしてイエス様は「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる」と約束してくださいました。
私たちがイエス様の肉を食べ、血を飲むとき、私たちはイエス様と一体となって結合されると約束されているのです。すなわち、私たちはイエス様の細胞の一つとなるのですね。
イエス様は、このことばを実践するように、弟子たちとの最後の晩餐の席で、聖餐式という主の聖晩餐を制定されました。
主イエス様は十字架に渡される夜、パンを取り、感謝してこれを裂き、弟子たちに与えて言われました。
「取って食べなさい。このパンはあなたがたのためのわたしのからだ、肉体である。わたしを記念するためこのように行いなさい」
そして、食事の後、杯をも同じようにして言われました。
「みな、この杯から飲みなさい。この杯はわたしの血による新しい契約である。これは、罪の赦しを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。飲むたびにわたしの記念として、このように行いなさい」
(コリント人への手紙第一11:23-25参照)
そして、代々のキリストの教会の信徒たちは、教会でまことの食物であるキリストの肉と、まことの飲み物であるキリストの血を食べたり飲んだりしてきたのです。
( PBA制作「世の光」 2024.4.19放送でのお話しより )
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