♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して68年の
「世の光」を文字で 

■大きな愛 / 関根弘興

2020年06月05日 | Weblog

2020/4/10放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス・キリストが十字架につけられたことは聖書にはっきりと記されています。また教会のシンボルマークといえば十字架ですよね。しかしイエス様が十字架につけられ苦しみを受けられたっていうことはとても理不尽なものでした。

 当時のユダヤ当局者たちはイエス様を捕らえ、いい加減な審問を行い、遂にはローマから送られた総督ピラトのもとにイエス様を訴え処刑してもらうために連れ出していきました。しかし総督ピラトは彼らがイエス様への妬みによってこのようなことをしたっていうことを見抜いていました。ピラトはイエス様を調べるのですけれど、当時のローマ法に照らし合わせても死刑に値する罪を見出すことはできませんでした。そこで彼はユダヤ最大の祭りである過ぎ越し祭りの時に囚人の一人に恩赦を与え釈放する習慣があったので、イエスをその恩赦の対象にすればいいのではないかと考えたのです。しかしユダヤ当局者たちはイエスではなく、強盗であり人殺しであった極悪人のバラバを釈放しろ!と要求して来ました。

 ピラトは自分の計画通りにいかないこうした現実を見て、いとも簡単にイエスを十字架につけることを許可したのでした。十字架刑は両手両足を釘で打ち付けられ、激痛と飢えと渇きの中、死ぬまで放置される残酷な処刑方法です。しかし、罪を何一つ見い出すことのできないイエス様がどうして十字架につけられなければならなかったのでしょう。罪のない方が十字架につけられることほど理不尽なことはありません。しかしここにこそ十字架の深い意味があり、神様の大きな愛が現わされているのです。

 聖書はこう記しています。
 新約聖書 第二コリント 5章21節
 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
 このように書かれています。イエス様は全く罪がないのに十字架についてくださいました。それは一人一人の罪を肩代わりし、身代わりとなって罪の罰を、呪いを、全て十字架の上で背負ってくださったのです。私たちの罪のために十字架についてくださったこの出来事の中に大きな愛が現わされているんです。そしてこの愛があなたに注がれているんですねえ。

      (PBA制作「世の光」2020.4.10放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。