♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■信じるということ-2 苦しみと葛藤の中で / 大嶋重徳

2020年06月04日 | Weblog

2020/4/9放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 今月はイエス・キリストの復活を祝うイースターを迎えます。

 キリストの復活を喜ぶ他の弟子に向かってトマスという弟子は、「私は決して信じない」と言いました。「信じる」とは一体どういうことなのでしょうか。

 弟子たちの前にイエス様が現れた8日後に、弟子たちは同じく室内にいました。しかし8日前と一つだけ違うことがありました。この日、「トマスも彼らと一緒にいた。」(ヨハネの福音書 20章26節)と記されていることです。8日前にはトマスは弟子たちと同じ場所にいませんでした。トマスはイエス様が十字架にかかられた時、12人に選ばれた弟子の一人であったにもかかわらず裏切り逃げ出してしまったのです。彼は自分の信仰に挫折しました。弟子たちの交わりにいられなくなったトマスがいたのでしょう。教会の交わりから身を引いてしまっていたのです。

 聖書は、トマスが信じることができなかった理由として疑いやすいトマスの性格があったとは記していません。淡々と記すのは、イエスが来られた時にトマスは彼らと一緒にいなかった、という事実です。実はこの箇所が私たちに光を当ててくれているのは、私たちはどこで信じるのか、という信仰を持つ場所についてです。聖書が問題にしているのは実は疑うということ自体ではなくどこで疑うのかということです。そして結論から言うならば、人は教会という交わりを離れて信仰への疑いを克服することはできないということです。復活の知らせを聞いた時、トマスは信じられない自分の葛藤を教会にぶつけます。そして教会も疑い悩むトマスを受け留めてトマスと8日間一緒にいるのです。トマスは不信仰と疑いの思いを抱えつつも信仰者の交わりの中にとどまっていたのです。教会という場所こそ安心して疑うことのできる場所なのです。

 私たちは教会で神様の存在を疑うことが必要です。一人で神の存在を問いただしたとしてもその答えを見つけられないでしょう。ですから信じられないと思えば思う程、教会に来ていただきたいと思います。クリスチャンでいるところに身を置いていただいて、そこで悩んで欲しいと思うのです。どうぞお近くの教会にこのイースター、訪ねていただきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.4.9放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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