♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■十戒 -自由への励まし-126  欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年11月21日 | Weblog
2019/10/10放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 第十戒は「 欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、申命記5章21節 新改訳2017)です。
 この教えは欲しがってはならないものは何かを示すこととともに、私たちが本当に欲しがるべきものが何かを教えてくれます。そして聖書が語る私たちが本当に欲しがるべきものは神のことばであり神との交わりです。そしてそれを手に入れることのできる場所はこの世界の一体どこにあるのでしょうか。それはキリスト教会にあります。キリスト教会でなされる礼拝でこそ神のことばが語られ、神への祈りがささげられます。神への賛美がささげられ、神との真実な交わりがそこにあります。

 教会の礼拝ではさらに聖餐式というものがあります。パンを食べ、ぶどうの杯を飲みます。それはイエス様が「わたしを覚えて、これを行いなさい。」(ルカ福音書22章19節、コリント書第一11章24-25節)とおっしゃったからです。礼拝の聖餐についてイエス様は、「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書 6章35節)とおっしゃいました。飢えることがない、渇くことがない、いのちのパンこそ私たちが本当の意味で欲するべきものです。私たちの人生には、本来これさえあれば全てが満たされることとなるのです。

 聖餐式で私たちの舌はキリストを味わいます。その鼻でキリストの香りを嗅ぎます。パンを欲しがることも、ぶどう酒を求めることも、イエス様を求める祈りの入口に備えられているのです。食べることはキリストのことばを思い起こし、飲むことが十字架の血潮を想うこととなるのです。キリスト教信仰は禁欲主義でありません。食べることは大切な事です。食欲という欲望も神様によって作られました。感謝して私たちは食べて味わい楽しむのです。聖餐式で口にするパンを味わうとき、天におられるイエス様と自分は一つにさせられている、その神秘の中に身を置くのです。そうするとき私たちは本当に必要なものを手にしている満足を手に入れることが教会で出来るのです。私たちはキリストにお会いするとき、神が私たちのすべての必要を知っていてくださる安心を得ます。あれが必要だ、これが必要だという、世の中の声に惑わされずに生きていく生き方を手にするのです。

 どうぞキリスト教会にお越しください。そこではあなたが本当に欲しがるべきもので溢れていますか。神様のことばを信じ神との交わりをすることができる礼拝であなたのことをお待ちしています。

    ( PBA制作「世の光」2019.10.10放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




■あなたは神を待て / 福井 誠

2019年11月20日 | Weblog

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記35章14節から「あなたは神を待て」と題してメッセージをお伝えいたします。

  「神を見られない」とあなたが言うときには、なおさらだ。
    しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。


 先週は、神の預かり知らぬところで何かが起こることはないので、人間の思考的限界を越えた神の御心を信頼しつつ、府に落ちない思いをも神にぶつけて神と語り続けることの大切さを語りました。聖書を読み解く時というのは神が私たちと友として交わることを望んでおられる奇跡の時だからですね。

 けれども現実問題として聖書を通じて神様と語り合っても、心が晴れるような思いになって欲しいということはあるものでしょう。いじましくも、神が最善を尽くしていることについて何かしるしが欲しい、と思うことがあったりするものです。

 そこでエリフという人物がここで語りかけていることに注目してみましょう。
 「人々は、激しい抑圧のために泣き叫び、偉大な者の腕のために、助けを叫び求める。」(ヨブ記35章9節 )
  人は祈ってもそれはただ泣き叫び、叫び求めるだけのこと。つまりそれはただ声を上げるだけのことで、神を神として認め至高者の前に静かに耳を傾けるものではない、と。

 確かに、追い詰められて、もはや理性も働かず、愚かさをさらけ出してしまうような切羽詰った状況にあっては、ただただ自分の思いをぶつけることが精一杯で、耳を開くということができなかったりするものですね。しかし神はどんな小さな叫びも聞き漏らすようなお方ではないことは確かです。神は遥(はる)か高きにおられる偉大なお方であっても、十字架のイエスをお遣わしになって、私たちの罪の赦しのためにその深い愛を明らかにしてくださったお方ですね。

 エリフは言います。「訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」 これが全てなのです。わたしははあなたの友であるとも、父であるとも語ってくださる神を信頼して、神の時を待ち続けることですね。忍耐を失わず、主の誠実さを信じたいものです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.10.2放送でのお話より )

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■魔術師エルマ / 板倉邦雄

2019年11月19日 | Weblog
2019/10/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「魔術師エルマ」という題でお話ししましょう。

 魔術師エルマは「彼の名は魔術師」という意味です。名前が魔術師と呼ばれるほどエルマは魔術師の中の魔術師でした。使徒の働き13章の続きです。

 さて、バルナバとサウロの伝道旅行の一行はクプロ島(キプロス島)のサラミスの港に着きました。伝道旅行の一行の中にはエルサレム教会の教会員ヨハネ・マルコが助け手として加わっていました。二人は安息日になるとユダヤ人の会堂で神のことばを宣べ伝えました。

 クプロ島を巡回してパポスの町まで行くと、ユダヤ人の魔術師エルマという偽預言者に二人は出会いました。彼はローマの地方総督セルギオ・パウロの所に出入りしていたのです。ところがこの地方総督は敬虔な人物だったようで、バルナバとサウロの二人を招待し、主なる神様の言葉を聞こうとしました。ところが魔術師エルマは総督を信仰から逸(そ)らそうとして、しきりに二人の邪魔をし始めたのです。主なる神様のことばを信じたら自分は総督の家に出入りができなくなります。自分の利益が損なわれるからですね。そこで神のことばを語るのを邪魔する魔術師エルマをサウロは、ローマ名でパウロは、聖霊に満たされ睨(にら)みつけました。

 パウロは言いました。「ああ、あらゆる偽りと邪悪とで固まっている悪魔の子よ。全て正しい者の敵よ。主なる神のまっすぐな道を曲げることやめないのか。見よ、主なる神の御手がお前の上に及んでいる。お前は失明して当分日の光が見えなくなるのだ。」と。

 するとたちまち、霞と闇とが魔術師エルマにかかったため、彼は手探りをしながら自分の手を引いてくれる人を探し回ったのです。総督はこの出来事を見て、主なる神様の教えに驚き、主なる神様を信じました。神の聖霊は悪い魔力的な霊を追放することができるのですね。

 主キリストのことばです。
 「 わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、
   もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

          マタイの福音書12章28節

  (PBA制作「世の光」2019.10.8放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■苦難の時の神への祈りと信頼 / 岩井基雄

2019年11月18日 | Weblog
2019/10/7放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第一月曜日の今日は詩篇108篇の後半から「苦難の時の神への祈りと信頼」と題して、神様の恵みに生かされる人生に心を留めてみましょう。

 この詩篇には「ダビデの賛歌」という表題がつけられていますが、この後半の部分もダビデの詩篇60篇5節から12節の賛美と祈りが繰り返されています。ダビデの時代から下って、バビロン捕囚が終わった後、なおも続く苦難の中で、ダビデの賛美と祈りをなぞるようにして苦難からの祈りをささげ、神への信頼を深めているのです。早速お読みします。

  6 あなたの愛する者たちが助け出されるよう/
        あなたの右の手で救い_私に答えてください。
 11 神よ_あなたは私たちを拒まれるのですか。/
        神よ_あなたはもはや/私たちとともに出陣なさらないのですか。
 12 どうか敵から私たちを助けてください。/
        人による救いはむなしいのです。
 13 神にあって私たちは力ある働きをします。/
        神こそが_私たちの敵を踏みつけてくださいます。
             旧約聖書 詩篇108篇6節、11節から13節

 様々な人生の苦難の中で、聖書のことばを通し、神の民が通った恵みと感謝を思い起こすことはとても重要です。人生の嵐や試練、特に霊的な戦いの中でこそ過去に受けた神からの恵みや愛は私たちに慰めと力を与えるからです。苦難の暗闇の中にあっても、詩篇の作者は自分たちを神の愛する者と自覚しています。そして神様の力強い右の御手に信頼し、その手で救い出して欲しい、と確信を持って祈るのです。
 しかし、彼らが通っている苦悩は決して簡単ではありませんでした。
 「神よ_あなたは私たちを拒まれるのですか。/
        神よ_あなたはもはや/私たちとともに出陣なさらないのですか。

 との自分の恐れや不安を正直に語るのです。その上でこの作者は神様への信頼を深め、人による救いはむなしいこと、神こそが私たちの敵を踏みつけてくださること、そして自分たちも神にあってこそ力ある働きをすることができるのだとの祈りをささげます。
 あなたも聖書が語る神様の恵みとまことを思い起こし、神様に信頼を置き、正直な祈りをささげてみませんか?

 (PBA制作「世の光」 2019.10.7放送でのお話より )
 
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■モノクロから天然色へ / 水谷潔

2019年11月16日 | Weblog
2019/10/05放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 世の光シリーズ、アナウンサーの江橋摩美です。今月からしばらくの間、土曜日はスペシャルバージョンでお送りします。今日は番組にお寄せ頂いたお便りのご紹介と聖書のことばをお届けします。

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、水谷 潔です。今月と来月の第二土曜日は私水谷 潔がメッセージをお送りします。

 作詞家の松本 隆さんをご存知でしょうか。松本 隆さんは松田聖子さんの楽曲をはじめ多くのヒット曲の作詞を手掛けたことで知られている作詞家です。実は松本さんにとっての創作活動の原動力は難病の妹さんを励ますことでした。しかし松本さんが30才の時のことです。大滝詠一さんから作詞依頼を受けていた中、妹さんは他界します。最愛の妹さんを失った松元さんはそのショックから詞が書けなくなってしまいます。松本 隆さんは、目に映るものすべてがモノクロに見えるようになってしまったそうです。しかしそんな松本さんを大滝さんは半年間待ち続けました。こうして生まれたのが大滝さんの代表曲『君は天然色』です。この曲の最後の歌詞はこのようなものです。

 想い出はモノクローム 色をつけてくれ
 もう一度そばに来て はなやいで うるわしのColor Girl

 この歌に登場する女性は亡き妹さんのことなのです。ヒット曲『君は天然色』が松本さんのモノクロ経験から生み出されたことを知って、私は旧約聖書の詩篇30篇11節を思い出しました。旧約聖書詩篇30篇11節は、神様をこうほめたたえます。
 「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。
  私の粗布を解き 喜びをまとわせてくださいました。」(新改訳聖書2017)

 聖書が記す神様は、愛する者のために嘆きを踊りに変えてくださいます。粗布とは当時の人々が悲しみの時に身にまとっていた衣類ですが、神様はそれを脱がせて、喜びという衣装をまとわせてくださるというのです。聖書が示す神様は、いわばモノクロを天然色に変えてくださる神様です。すべてがモノクロに見えてしまうような悲しみさえ、天然色のような喜びに変えてくださる神様です。

 旧約聖書 詩篇30篇11節をお読みします。
「あなたは私のために 嘆きを踊りに変えてくださいました。
    私の粗布を解き 喜びをまとわせてくださいました。 」

 愛する者のために嘆きを踊りに、悲しみを喜びに取り替えてくださる神様と、どうでしょうか、一緒に歩みませんか?

 (PBA制作「世の光」 2019.10.5放送でのお話より )
 
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■ナルドの香油 / 関根弘興

2019年11月15日 | Weblog
2019/10/4放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 新約聖書の中の福音書にはイエス・キリストの生涯が記されています。しかしどの福音書を読んでもイエス・キリストの最後の一週間に最も多くのページを割いています。イエス様の最後の一週間は昼間はエルサレムで過ごされ、夕方になるとエルサレム郊外のベタニヤに戻られました。このベタニヤには以前イエス様によって死からよみがえらせていただいたラザロが住んでいました。

 イエス様はベタニヤに来られ、シモンという人の家に行った時のことでした。そこにはラザロや姉妹のマルタ、マリヤもいました(参照 ヨハネの福音書12章1-2節)。この家のシモンは「ツァラアトに冒されていた」と書かれています(参照 マタイの福音書26章6節、マルコの福音書14章3節)。これは一種の皮膚病で、当時ツァラアトに侵された人は穢れたものとみなされ、家族からも社会からも隔離されて生活しなければなりませんでした。しかしツァラアトが癒されて祭司に身体を見せて癒されたことを宣言してもらえば社会復帰ができたんですね。このシモンは多分イエス様にこの病を癒していただき、祭司の元に行って承認を受け、自分の家に戻ってくることができたのでしょう。そして感謝のためにイエス様を食事にお迎えしたのではないかと思います。そして近所の人たちも招かれて、感謝と喜びの宴が開かれていたのかもしれませんね。

 するとそこにマリヤが大変高価なナルドの壷の香油を割り、イエス様に注ぎ始めました。ヨハネの福音書には、「マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。」(ヨハネの福音書12章3節 新改訳第三版 )と書かれています。

 当時このナルドの油は300デナリで売れる程の高価なものでした。1デナリが当時の1日分の労賃ですから、300日分の労賃に匹敵する程の高価なものだったわけですねえ。マリヤは自分の兄弟をよみがえらせていただき、またイエス様の語る言葉にも励まされ慰められました。イエス様への尊敬や感謝、賛美の思いを込めて惜しみなく高価な香油を注いだのでしょう。その香りは家中に広がってきました。

 イエス様が十字架につけられたこの週は、人々の偽りや企み、妬み、裏切り、それは人間のきたないものが溢れていました。しかしこのマリヤのこの姿からは麗しい感謝と賛美の香りが溢れれています。あなたはどんな香りで人生を満たしていきますか?

     (PBA制作「世の光」2019.10.4放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし124 欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年11月14日 | Weblog
2019/9/26放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒をはじめとした聖書の言葉は人間を縛り付けるものではなく自由へと導くための言葉なのです。
 第十戒は「 欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、申命記5章21節 新改訳2017)です。
 第十戒は欲しがる思いから私たちを解放してどのような生き方へと連れて行こうとしているのでしょうか。第十戒の「欲しがる」を意味するヘブルはハーマドということばです。このハーマドということばは旧約聖書の詩篇で使われ、「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。」(詩篇19篇9、10節 新改訳第三版)の「好ましい」ということばがハーマドです。

 詩篇で私たちが本当に欲しがるべきものは主への恐れ・主のさばきなのだと語ります。私たちはいろんなものを欲しがり続けるのではなく、神様を恐れることを欲するのだ、というのです。私たちの人生の終わりには神様の前に立つ日が来る、と聖書は語ります。その時、私たちは自分のなしてきた人生の刈り取りが求められ、神様の前の裁きの座に立つのです。死を迎える時、私たちは地上で手に入れたものを何一つ守っていくことなどできません。地上で手に入れた名声も財産も人間関係も持っていくことなどできないのです。私たちは一人で神様の前に立つこととなるのです。その人生の究極において最も欲しがるべきことは、神様への恐れをもって神と共に歩むことです。

 また同じ十戒のことばが記されている申命記(5章21節)では「欲しがる」ということばは [※ アヴァーというヘブル語で、そのアヴァーは、イザヤ書 26章9節では]、「私のたましいは、夜あなたを慕います。」と使用されて、神を慕い求めることを欲するように、と語られます。

 つまり今日あなたが本当の意味で欲しがるべきものは神ご自身の交わりなのだと第十の戒めは語っているのです。神様との交わりを欲するとは、神様の愛で満ち足りて生きることです。私たち人間の余計なものを欲しがってしまう根源的な理由は、私たちの魂が神の前で満たされることに渇きを覚えているためです。

 パスカルという人は言いました。「人間には神にしか埋めることのできない空洞がある。」と。私たちはその空洞を埋めようと、いろんなものを手に入れようとします。しかしそれらが本当の意味で私たちの心を満たしてくれたりはしません。

 しかし十戒第十の戒めは、あなたが本当に欲しがるべきもの、この神様と共に生きることなのだ、と語りかけてくれるのです。ここにあなたの欲しがっている全てのものがあるのだ、と。

    ( PBA制作「世の光」2019.10.3放送でのお話しより )

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■主を恐れること、これが知恵である / 福井 誠

2019年11月13日 | Weblog
2019/10/2放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。

 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものです。今日も聖書を開いてまいりましょう。ヨブ記28章28節から「主を恐れること、これが知恵である」と題してメッセージをお伝えいたします。
 こうして、神は人間に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである」と。

 ヨブ記も28章、折り返し地点を越えましたねえ。今年ずっと聖書通読を励んで来られた皆さんは、もしかしたら何か以前と違って神様をより身近に感じるようになったと思われる方もいるでしょうね。『静思の時』という本の著者アンダーソンは「「静思の時」というのは神が私たちと友として交わることを望んでおられる奇跡である。」と言っています。実に神様は私たちを友とし、友だちのように親しく語ってくださる、奇跡的な素晴らしい時だというのですね。まさにその通りだと思います。

 ところで今日の箇所も言ってみれば私たちはヨブと三人の友人たちとの議論を覗き見しているわけですが、実際にはその議論を踏まえて神様と語り合っている自分を思うことはないでしょうか。少しこれまでの要点を振り返りますと、ヨブの友人たちは口を揃えて、「悪者は滅びる。悔い改めが肝心。」とヨブを教え諭そうとしています。ところがヨブは「今自分が直面している問題はそんなに単純なものではない。というのも、滅びる危機にあるのは悪者ではなく契約の民・神に愛されている者だから。」と語っているのですね。確かに世の中には、「悪を悔い改めれば人生は好転する。新しい人生が開けるのだ。」と単純には言えない現実があるものです。むしろ神様に熱心で、神様を愛し従う道を誠実に歩みながら突然事故に巻き込まれたかのように思いがけない不幸に突き落とされることがあるものです。それをどう考えたらよいのか。大切なのは神の預かり知らぬところで何かが起こることはないのですから、人間の思考的限界を超えた神のみ心を信頼しつつ、腑に落ちない想いもすべて神にぶつけて神との語らいの時を続けていくことです。

 では良き一週を祈ります。
 (PBA制作「世の光」2019.10.2放送でのお話より )

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■サウロの伝道旅行 / 板倉邦雄

2019年11月12日 | Weblog
2019/10/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「サウロの伝道旅行」という題でお話ししましょう。

 今日からサウロの第1回の伝道旅行が始まります。紀元45年から48年頃です。サウロの伝道旅行は3回に渡ります。ローマへの旅行を含めますとサウルは4回の伝道旅行をします。この第1回伝道旅行からサウロは名前をパウロと改名しました。意味は「いと小さき者」です。使徒の働き13章に入ります。

 さてアンテオケ教会にはバルナバ、黒人のシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデ・アグリッパ1世の乳兄弟マナエン、そしてサウロなどの預言者や教師たちがいました。さて、そのような指導者たちを含めた信徒一同が主なる神様に礼拝を捧げ、断食をして祈っていました。

 すると聖霊が、「さあバルナバとサウロとをわたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事にあたらせなさい。」とお告げになったのです。「聖別する」とは、神様のお仕事のために他の人とは区別することです。主なる神様が使い、神様が利用するためでした。それを聖別というのです。バルナバとサウロは教会と聖霊に送り出されて、徒歩でアンテオケ(アンティオキア)から港町セレウキアに下り、そこから船で200 km 離れた地中海に浮かぶクプロ島(キプロス島)へ渡りました。 いよいよサウロの第1回の伝道旅行の始まりです。

 伝道は教会の働きだということがわかりますね。教会の人々の祈りと支援がなくては伝道の働きは進まないでしょう。アンテオケ教会がバルナバとサウロを伝道に遣わしたのです。しかし本当に二人を送り出したのはキリスト教会の主でありました聖霊でした。「二人は聖霊に送り出された」と書かれています(使徒の働き13章4節参照)。伝道の働きは聖霊の働きなのです。これから使徒の働き1章8節の主イエス様のことばが広がりを持って実現していくことになります。

 「 聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。
   そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、
   さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

                  使徒の働き1章8節

  (PBA制作「世の光」2019.10.1放送でのお話より )

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■ユダヤ人への愛のビザ発給 杉原千畝② / 岩井基雄

2019年11月11日 | Weblog
2019/9/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 最終月曜日の今日も、ユダヤ人たちに懸命にビザ発給した杉原千畝(ちうね)について学んでみましょう。

 クリスチャン夫妻の外交官としてリトアニア共和国に赴任した杉原千畝と幸子夫妻でした。1940年7月、千畝がカナウスの領事館に勤めていた時に、ナチスに追われポーランドから逃れてきたユダヤ人たちが日本通過ビザを得るため殺到したのです。その大多数はビザ発給の要件を満たしていませんでした。千畝はどうしても助けたいと日本政府に確認をしますが許可は出ません。ユダヤ人たちの悲痛な叫びを聞くに耐えかねた千畝は、私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない、でなければ私は神に背く、と外交官としてではなくクリスチャンとして神の前に判断を下します。それは外務省の命令に背き、同盟国ドイツが敵視するユダヤ人のためにビザを発給することでした。千畝は要件を満たしていないユダヤ人たちに対しても大量の日本通過ビザを発給しました。ソビエトに併合されたリトアニアを去るその瞬間まで千畝は手書きのビザを書き続けたのです。そして六千人ものユダヤ人を助けることができたのです。千畝の心にとまっていたのは次の聖書の言葉でした。
 「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。
          新約聖書 ヨハネの手紙第一 4章 20節、21節

 人類史上、類を見ない暗黒の時代に神の愛に生きた杉原千畝でしたが、帰国した彼を待っていたのは辞職勧告でした。しかし20数年後の1968年8月、杉原に一人のユダヤ人から連絡があったのです。イスラエル大使館のニシュリ参事官はボロボロになった当時のビザを手にし、涙をこぼして杉原に感謝したのです。その後、1974年にイスラエル建国の恩人として、1985年にはイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を受賞。2000年にはついに日本国政府による公式な杉原の名誉回復が行われたのです。神の愛に生きた人生を神は豊かに祝福してくださったのです。

 (PBA制作「世の光」 2019.9.30放送でのお話より )
 
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