♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して69年の
「世の光」を文字で 

■まことのぶどうの木 / 関根弘興

2020年07月31日 | Weblog

2020/6/5放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日はまずイエス・キリストが弟子たちに語られたことばを紹介しましょう。ヨハネの福音書15章5節

 「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。

 当時のユダヤの人たちにとってぶどうというのは大変馴染み深いくだものでした。なぜなら旧約聖書には、イスラエルの民がぶどうの木に喩えられており、イスラエルの民の象徴としてぶどうというものはよく使われていたからです。

 そしてイエス様が公に活動されたこの時代には、エルサレムの神殿には黄金作りのぶどうが飾られており、人々はさらに金のぶどうの房や枝を捧げていきました。当時のユダヤの人たちはみな一所懸命神殿詣でをして戒めを守って自分たちこそ良いぶどうの木であり、豊かな実を結んでおり、神に認められているのだ、と自負していました。

 しかしイエス様はそういう人たちに対して、あなたがたは昔預言者たちが指摘した姿とちっとも変わっていない、と厳しく指摘されたんです。あなたがたは自分が良いぶどうの木だと思っているけれど良い実を結んでいないではないか。あなたがたが結んでいるのは悪い実ばかりだ、と特にユダヤの指導者たちにはっきりと指摘なさったんです。

 そしてイエス様は何と、ご自分の弟子たちに「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」と告げられたんです。

 イエス様はヨハネの福音書15章1節で、「わたしはまことのぶどうの木」と言われました。わざわざ「まことの」ということばがつけられているんですね。これは偽物でなく本物という意味ですよね。類似品やまがいものでなく純正という意味があるわけです。

 この世の中には、自分こそ救い主、と偽り、キリストを模倣し、道を外させてしまような働きがあることを聖書は語っています。イエス様はまことのブドウの木です。つまりイエス様こそまことの救い主であり、人生の土台であり、すべての根源となられる方だ、ということを聖書は教えるんですね。教会の組織も特定の団体も、優れた人物も決してぶどうの木の本体になることはできません。

 私たちがいつも繋がっていなければならない幹は、まことのぶどうの木であるイエス・キリストご自身なんですね。そして私たちはその枝なんです。

      (PBA制作「世の光」2020.6.5放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


■ルカの福音書18 -主があなたと共におられる / 大嶋重徳

2020年07月30日 | Weblog

2020/6/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今日も引き続き、有名なマリヤの受胎告知の箇所です。

 若く幼いマリヤがどうして受胎告知を「おことばどおり、この身になりますように。」(ルカの福音書1章38節)と受け留めめることができた(か)、その理由を探っています。

 その最後のことは、マリヤに現れた天使ガブリエルが「主があなたとともにおられます。」ということばだったでしょう。マリヤの心には婚約者ヨセフの事を考えると、なぜ結婚直前の今なんだろうか、そして何よりも、なぜ私なのか、と神様に問い詰めたい思いがありました。何をどう考えてもわからないことだらけです。しかしただ一つ彼女にわかっていること、それはこの出来事の中で、主があなたとともにおられます、主がともにいてくださる、ということでした。

 ここには神様がともにおられるのだ。自分が悪くて何かの罪を犯してしまって裁きの結果こうなったのではない。神様のご計画があり、神様が私のすぐそばにいて私を導いてくださっている。私は今、神とともにいるのだ、ということでした。この安心がマリヤの最初から最後まであったのだと思います。そしてこれら全ての「どうして」というマリヤの問いを胸にしまわせることばだったと思います。

 今世界は新型コロナウイルスのことで大変な状況となりました。もしかすると聞いてくださっている方にも感染なさった方もおられるかもしれません。なぜなんだ。その思いを抱かずにはおれないただ中にも私たちに聞こえてくるのは、「主があなたとともにおられます。」ということばです。私たちはこの時も、たった一人でこの酷な状況を生きているのでありません。神様が一緒にいてくださる。ここにおいて私たちの心は安らぎ、問いを静かに胸にしまうことができるのです。神様はやがて夫となるヨセフにも現われてくださいました。ヨセフがマリヤを受け留めることができるように突き動かしたことばも「主があなたがたがともにおられる」ということばでした。マリヤの人生はこの後も人間的に見ると様々な不遇な人生を歩みます。夫ヨセフも早く亡くなったのではないか。何より息子イエス様は33歳で十字架につけられます。しかし彼女は、彼女の人生は、幼い頃になした自分のこの「おことばどおり、この身になりますように。」という信仰のことばによって生きて行くこととなります。私たちも今日、「主があなたとともにおられます。」と言うことのできる人生を神様とともに歩んでまいりたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.6.4放送でのお話しより )

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■静かにして信頼すれば、力を得る / 福井 誠

2020年07月29日 | Weblog

2020/6/3放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがありますね。今日も聖書を開いて参りましょう。今日はイザヤ章30章15節から「静かにして信頼すれば、力を得る」と題してメッセージをお伝えいたします。
 
 「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、
  静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。

 当時イスラエル王国は、迫り来る北側の大国アッシリアの脅威に対して自分たちの国を守るために、南側の強国エジプトを頼りにしていました。彼らは助けを求めてエジプトへ出かけます。しかしその旅は簡単なものではありませんでした。今日のように飛行機や車のある時代ではないのです。沢山の宝物をロバやラクダの背に積んで、ライオンやマムシが現れるような危険な荒野の道を進むのです。疲れたらちょっと寄っていくカフェも、一汗流すシャワー付のホテルもない時代です。しかも当時のエジプトの都は、ナイル川の上流、奥地にありました。何日もさんざん苦労してたどり着き、エジプトの国王から同盟を取付けますが、エジプトはそれほどイスラエルに誠実ではありませんでした。

 そのようなイスラエルに、イザヤはあらかじめ裏切られる結果になると警告を発し、無駄な努力をしないようにと語りかけます。そして人に頼って恥やそしりを受けるよりも目に見えない神に頼るように、と伝えるのです。

立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、
  静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。
 と。

 人は目先の脅威に、どうしても具体的な何かに頼らざるを得ない気になるものでしょう。目に見えない神をあてにするのは難しいものです。しかしどうでしょうか。人の約束程あてにならないのも事実です。どんなに貢いでも、苦労をかけても、当時のイスラエルのように簡単に裏切られた経験のある人はいることでしょう。頼るべきはこの天地万物を支配し人に誠実に関わられる神です。イザヤが言うように、どのような時も神にこそ静かに信頼し頼る者でありたいものです。 

 では良き一週を祈ります

 (PBA制作「世の光」2020.6.3放送でのお話より )

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■アレオパゴスでの説教1 - 知られない神 / 板倉邦雄

2020年07月28日 | Weblog

2020/6/2放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「アレオパゴスでの説教その1-知られない神」という題でお話しします。

 アレオパゴスの評議場はアテネのアクポリスの丘にありました。ここでは有識者市民による議会が開かれていました。パウロは哲学者たちによってこの競技場に連れてこられたのです。パウロはこの競技場の真ん中に立って説教を始めました。使徒の働き17章の続きです。

 「アテネの皆さん、あなたがたはあらゆる点からすこぶる宗教心に富んでおられると私は見ています。実は、私が道を通りながらあなたがたの拝むいろいろな物をよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気が付きました。そこであなたがたが知らずに拝んでいるものを今知らせてあげましょう。」

 ギリシャ人はあらゆる神々の祭壇を祀って来ましたが、漏れている神があったら大変だと言うことで、『知られない神』の祭壇を祀ったのです。パウロはアテネの人々の篤い宗教心を認めた上で、アテネの人々が知らずに拝んでいる本当は彼らが求めている神を紹介しました。パウロの説教は続きます。

 「この世界とその中にある万物とを造った神は天地の主であるのですから、手で作った神殿などにはお住みになりません。また何か不足でもしておられるかのように人の手によって仕えられる必要もないのです。その神は天地の主-キュリオス-です。」

 当時キュリオスといえばローマ皇帝を指しました。「この天地万物を創造し、この世界を支配し、治め、処理しておられる主なる神を人間の手で作った神殿に閉じ込めることなどできません。また何か不足でもしておられるかのように人の手の助けを借りる必要もないのです。」と語っているのです。

 さて、子どもが大事に持っているおもちゃを捨てるように言っても、子どもがおもちゃを手放すことはしないでしょう。しかし子どもの持っているおもちゃよりももっと良いものを与えたら、子どもはおもちゃを自分から手放すのではないでしょうか。あなたにとってまことの神様よりも大事なものは何でしょうか。来週へ続きます。

  (PBA制作「世の光」2020.6.2放送でのお話より ) 

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■神に栄光を帰し、信頼する祝福 / 岩井基雄

2020年07月27日 | Weblog

2020/6/1放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第一月曜日の今日は、詩篇115篇から、「神に栄光を帰し、信頼する祝福」に心を留めてみましょう。

 聖書は、私たちすべての人間が神の形に造られた事、すなわち神に向かい神を求める存在として私たち人間は生かされていることを語っています。私たちの喜びは自分の栄光を求めることではなく、神の愛や希望が豊かに表されていくこと、すなわち神の栄光を求めることにある、というのですね。

 私たちはどこかで自分の栄光を求めてしまいますね。確かに自分が認められることや称賛されることに喜びもあります。しかしそれは時に自己中心的で周りの人たちを傷つけ不快にさせることがあります。それに比べ、自分を隠し、時に自分を犠牲にして周りの人たちに栄光を帰するあり方は真の賞賛を受け、より深い喜びを得るです。

 今日の詩篇をお読みします。
 「私たちにではなく 【主】よ 私たちにではなく 
  ただあなたの御名に 栄光を帰してください。
  あなたの恵みとまことのゆえに。 
  【主】を恐れる者たちよ 【主】に信頼せよ。
  主こそ助け また盾。
  【主】は私たちをみこころに留め 祝福してくださる。
  ・・・
  【主】を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も 大いなる者も。
        旧約聖書 詩篇115篇1節、11節から13節


 自分にではなく聖書が語る神様の栄光を求める人生は、正しく神に信頼し豊かな祝福を受ける人生です。どんな大いなる者も創造主なる神様の前には限界のあるものです。それゆえ、神の恵みと真実さに基づいて主に心から信頼する者は本当に幸いな人生を歩むことができるのです。それは神の祝福を受け取る人生こそ本当に幸いな人生だからです。自分に栄光を求める人生から離れることは決して簡単ではありません。しかし勇気を持って、自分の自己中心さを認め、罪を赦され、そこから離れるとき、私たちには祝福の道が広がるのです。聖書が語る神様はあなたが自分中心さをあとにして、神の愛と真実さ信頼し神に栄光を帰す本来の人生へと帰ってくるようにと祝福を用意して待っていらっしゃるのです。

 聖書のことば
 「【主】よ 私たちにではなく 
  ただあなたの御名に 栄光を帰してください。」 (詩篇115篇1節)

  (PBA制作「世の光」 2020.6.1放送でのお話より ) 
 
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■エリヤとバアルの預言者たちとの対決 / 羽鳥頼和

2020年07月25日 | Weblog

2020/5/30放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 先週は、イスラエルの国が南北に分裂してしまい、分裂した南王国では偶像崇拝が盛んに行われ戦争が絶えない状態であったことをお話しました。今日は旧約聖書の列王記第一18章から北王国の状況をお話しします。

 神は人々をご自分に立ち帰らせるために預言者たちを遣わされました。その預言者の一人で北王国に神から遣わされたのがエリヤです。18章にはそのエリヤとバアルの預言者たちとの対決が語られています。バアルとは偶像の神のことです。エリヤはたった一人でしたがバアルの預言者たちは450人もいました。彼らの対決は、祭壇を造り、そこで牛をいけにえとしてささげるのですが、その時に人が火を着けずにそれぞれ自分の信じる神が火を着けてくれるようにと祈る、というものでした。祈りを聞いて祭壇に火を降された方が本物の神であるというのです。

 さて、まず最初にバアルの預言者たちが大声で祈りました。午前中ずっと、「バアルよ、私たちに答えてください」と祈りましたが何も起こりませんでした。すると彼らは自分の身を傷つけて血を流しながら叫び続けました。それでも結局、何も起こりませんでした。

 次はエリヤの番です。彼はそこにかつてあった神の祭壇を造り直し、そこに屠った牛を置きました。そしてそれに大量の水を三度かけたのです。こうしてエリヤは一人で祈りました。「イスラエルの神よ、今日、あなたこそ神であることが明らかになりますように。神よ、私の祈りに答えてください。」 すると神の火が降って来てすべてを焼き尽くしてしまったのです。

 この対決を見に来ていた人々はみな「主こそ神です。主こそ神です。」と言いました。しかし北王国の王はまことの神に立ち帰ろうとしませんでした。その後も神は預言者を遣わし続けられました。神は人を見放さず、何とか救おうとされるお方です。

  ( PBA制作「世の光」 2020.5.30放送でのお話より )
 
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■祈りの答え / 関根弘興

2020年07月24日 | Weblog

2020/5/29放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス様はヨハネ福音書14章14節で、「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」と約束されました。それでは本当にイエス様の名前によって祈ったことは聞かれるのでしょうか。そのための最もよくわかる方法は、まずあなたがイエス様の名前によってなんでも祈ってみることです。

 私たちがイエス様の名前によって祈るとき、神様は次の内のいずれかの答えをくださいます。 一つは「ノー」という答えです。神様は私たちのためにならないことは拒否なさいます。祈りは私たちのただの便利グッズではありません。私たちの願いをかなえる魔法のランプでもありません。ですから、「ノー」という答えは実は大切な答えの一つでもあるのです。

 そして二つ目は、「待て」という答えです。神様はしばしば、私たちの品性を練り上げるために忍耐を学ばせてくださいます。待つことは忍耐が必要ですよね。しかしその忍耐を通して私たちは多くを学ぶことができるのです。

 旧約聖書のハバクク書2章3節という所には、「もし遅くなってもそれを待て。必ず来る。遅れることはない。」と記されています。神様のタイミングと私たちのタイミングが違うことがあるので、時には「待つ」ということの大切さを祈りを通して学ぶことができるのです。

 そして三つ目は、「それをすぐになそう」という答えです。祈ってすぐにその結果を見ることもあります。その時にはただ主に感謝し賛美するのです。しかし注意していただきたいのは、祈りの結果で自分の信仰を判断してはならない、ということです。祈っても病気が治らなかったり、問題の解決が見えないときがありますね。そのとき、自分の信仰が弱いとか祈りが足りないと言って自分を責めないようにしましょう。主は私たちのどんなにつたない祈りでも聞いて理解する方です。ですから祈り続けていく中で最善の時を待つのです。祈りの過程を通して主は私たちを導き育んでくださいますから。

      (PBA制作「世の光」2020.5.29放送でのお話しより)

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■ルカの福音書17 -先輩がいる! / 大嶋重徳

2020年07月23日 | Weblog

2020/05/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。引き続き、有名なマリヤの受胎告知の箇所です。

 若く幼いマリヤがどうして身の破滅にもなる受胎告知を受けとめたのか、その理由を探っています。

 その理由のもう一つのことは、天使が告げた自分の親類エリサベツのことでした。歳をとって不妊の女だと思われていたにもかかわらず身ごもった彼女のことを御使いは話したのです。マリヤは御使いが去っていったあとすぐに「マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。」(ルカ 1:39 新改訳第三版)とあります。この「急いだ」と言うところにマリヤの心が表れています。一人じゃいられなかったんです。誰か自分に起こった出来事を一緒に受けとめてくれる人に会いたかった。おそらくマリヤは「おことばどおり、この身になりますように。」(ルカ1:38)と言った瞬間から後悔が始まったと思います。ヨセフから捨てられるかもしれない。親に何と話せば良いのだろうか。山地にあるユダの町に行くまでの道程、何度も何度も不安になったでしょう。心配で不安で涙が流れてくる。そしてたどり着いたザカリヤの家。するとエリサベツ先輩が大声を上げて迎えてくれたのです。

 彼女は言います。「私の胎内で子どもが喜んで踊りました!」 とてつもなく喜んで受けとめてくれることにマリヤはどれだけほっとしたでしょうか。聖書にはこうあります。
 「マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。」(ルカ 1:56 新改訳第三版)

 マリヤが自分に起こったことを本当に受けとめる事ができるためには三ヶ月かかったことが表れています。自分の人生に起こった出来事を神の恵みのことなんだと受け取れる確かさをもたらしくれるのは、神のことばを信じる者たちとの交わりです。神様は私たちに「おことばどおりに」と聖書のことばを受け取った交わりを備えていてくれます。

 あなたの町の教会にも同じような経験をしたことのある人生の先輩がいます。不安で自分の人生に起こった出来事を受け入れられないあなたを受けとめてくれる信仰の先輩がいます。先輩たちは、「私も同じ経験をして来たよ」と受けとめてくれ祈ってくれます。

 エリサベツはマリヤに言います。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ 1:45 新改訳 第三版) 

 エリサベツのように、「みことばを信じてよかったね」と言ってくれる交わりが教会にはあります。ぜひあなたの人生の不安を話しに教会に行ってみませんか? そみこには神様のご計画からあなたの人生を見つめてくれる人があなたを待っていてくれるでしょう

    ( PBA制作「世の光」2020.5.28放送でのお話しより )

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■主は王国を震わせた / 福井 誠

2020年07月22日 | Weblog

2020/5/27放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。イザヤ章23章11節から「主は王国を震わせた」と題してメッセージをお伝えいたします。
 
 「主は御手を海の上に伸ばし、王国を震わせた。
   【主】はカナンについて命令を下し、その砦を滅ぼし尽くした。」

 先週に続いてイスラエルの周辺諸国に対する預言です。今回はイスラエルの北に位置する都市ツロに対するメッセージです。ツロは古くから海洋貿易と工業技術で名が知られ、海洋都市として栄えていました。しかし、そこに向かう船が旅の途上で路頭に迷う、つまり行き先のツロが滅ぼされて行き先を失う驚くような知らせを聞くようになるだろう、とイザヤは預言します。そしてツロが滅びることで、その都市を相手に貿易を計っていた国々も同じように神の裁きを、というべき打撃を受けるであろう、と語るのです。また神はそのようなツロであっても70年後に再びその繁栄を取り戻す、と回復を約束していますね。

 高校時代、世界史を選択し世界の諸国家の歴史を学んだ人は多いことでしょう。世界の歴史を学びながら、それぞれの国をリードした有名な人物が沢山いたことを教えられたと思います。しかし聖書はそのような人々によって歴史が形作られて来たのではなくて、指導者を立てまた降ろされる目に見えない神のわざがあると教えるのです。畏るべきは人間社会を支配しているあの人でもこの人でも無く、まさにあの人やこの人を起こしては降ろされる目に見えない主権を持った神です。ですから、イザヤはイスラエルの人々に、ツロの国の例を踏まえて当時の国際情勢の中で超大国のアッシリアと安易な同盟を組まず、独立を保つことを勧めていますね。目に見える脅威は脅威ではない。神がその脅威を許しもし、取り除きもするのだと言うわけです。信仰というのはある意味で、目に見えないものをしっかり見る力、そこにかけていく勇気を必要とするものですね。ぜひ聖書を読んで、目に見えない主権を持った神の存在を知っていただきたいものです。では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.5.27放送でのお話より )

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■何か耳新しいこと / 板倉邦雄

2020年07月21日 | Weblog

2020/5/26放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「何か耳新しいこと」という題でお話ししましょう。
 新製品の発売に長蛇の列が出来ます。私たちは古いものよりも新しいものに魅力があるようですね。今から2000年前のギリシャのアテネの上流階級の人々は、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに時を過ごしていたようです。使徒の働き17章の続きです。

 さて、パウロはベレヤでの騒動があったので伝道チームのシラスとテモテをベレヤに残して一人だけでギリシャの都アテネにやってきました。アテネで二人を待っている間に市内を散歩していました。所が、アテネの市内のいたるところに偶像の神々が祀られているのをパウロは目撃者するのです。人の手で作った偶像の神々がアテネの市内に帯正しく安置されていたのです。パウロの心は憤りを感じました。素晴らしい理性と感性そして自由意志を持っているギリシャ人の人々が的外れな宗教心に富むことへの残念さ、無念さ、悲しさもパウロの憤りの中に含まれていたのではないでしょうか。

 そこでパウロは安息日ごとにユダヤ人の会堂へ行き、ユダヤ人の信仰者や信心深いギリシャ人と論じ合いました。さらに週日には広場に毎日出かけ、広場で出会う人々を捕まえてはイエスの十字架と復活のことを宣べ伝え論じていました。その中にはエピクロス派の哲学者、ストア派の哲学者たちもパウロと議論を戦わせていたのです。エピクロス派とは快楽こそ人生の目標だと主張し、ストア派といえば理性こそ一番の人生の目的だと説く一派でしたね。

 彼らはパウロをアレオパゴスの評議場に連れて行って、「君の語っている新しい教えがどういうものか知らせてもらいたいものだ。君が何だか珍しいことを私たちに聞かせているので、それが何のことなのか知りたいと思っているのだ。」と言ったのです。アテネ人もそこに滞在する外国人も、みな何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに時を過ごしていたのです。
 続く

  (PBA制作「世の光」2020.5.26放送でのお話より ) 

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