♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■荒野の四十年(ステパノの説教5)/板倉邦雄

2019年03月19日 | Weblog
2019/2/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は 「荒野の四十年」ステパノの説教その5 ということでお話ししましょう。
 紀元前1400年頃、一つの民族がエジプトを脱出します。その民族とはイスラエル。指導者は80歳のモーセでした。使徒の働きの7章のステパノの議会での説教の続きです。

 「さて、この人モーセが人々を導き出して、エジプトの地においてもまた40年の間、荒野においても奇跡としるしとを行なったのです。この人がシナイ山で彼に語りかけた神の使いや先祖たちと共に荒野における集会にいて、生けるみことばを授かり、そのみことばをあなたがたに伝えたのである。」
 
 ステパノの説教は「この人」モーセを強調していますね。「この人」とは直接的にはモーセを指していますが、実は神の人イエス・キリストを指していることが分りますか? 「この人」イエス・キリストは、私たちをこの世であるエジプトの苦役の奴隷から導き出し、罪の奴隷から私たちを開放してくださいました。「この人」イエス・キリストはこの世の荒野の人生で私たちと共にいてくださり、奇跡としるしのわざをしてくださいました。そして「この人」イエス・キリストは荒野の人生において私たちを集会・教会に集わせて、生ける神のみことばを伝えてくださるのです。

 さてステパノの説教は更に続きました。
 「しかし先祖たちは、金の子牛の像を作り、神と祀って打ち興じたのです。そしてその結果がバビロン捕囚という懲らしめだったのです。」

 聖書のことばです。
 「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。
  ローマ人への手紙 1章21節から24節 (新改訳2017)
 
  (PBA制作「世の光」2019.2.12放送でのお話より )

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■受けるはずのない祝福の祈り/岩井基雄

2019年03月18日 | Weblog
2016/2/11放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生ついて学んでいます。

 ここは父ヤコブが死を前にして12人の息子たちの将来を預言しつつ、それぞれに祝福を祈っている場面です。ヤコブの四男ユダへの祝福は、父ヤコブの愛する息子ヨセフのものに勝るとも劣らぬ内容を持っていました。これまでのユダの歩みを振り返るとき、それは受けるはずのない祝福であり、憐れみでした。実際、創世記の38章にはユダの不誠実な行為や罪深さが明示されています。しかも彼の正妻は神の民ではありませんでした。またユダにはヨセフのことで父を欺いた責任もあり、どう考えても祝福にはふさわしくない息子だったのです。しかしそれゆえにこそ、このユダへの父ヤコブの祝福の祈りは私たちへの憐れみと祝福をも表す意義深いものなのです。

 ではユダへの父ヤコブの祈りをお読みします。
 
 「ユダよ、兄弟たちはおまえをたたえる。おまえの手は敵の首の上にあり、おまえの父の子らはおまえを伏し拝む。 ユダは獅子の子。・・・ 王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。
     旧約聖書 創世記49章8節から10節 (新改訳2017)

 愚かな罪深いユダでした。しかしユダは神によって罪を示され、自分の愚かさをも罪も認め、父ヤコブの前に、そして父なる神様の前に悔い改めたのです。それゆえ神はユダを祝福し、「王権はユダを離れず」とある通り、このユダの子孫からダビデ王が、そして救い主キリストが誕生するのです。 「ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」という預言は救い主イエス・キリストにおいて完全に成就されたのです。そして、このユダの祝福はキリストょ信じる者に与えられるのです。それはキリストが私たちの罪の裁きを代わりに受け、救いの道を開かれたからです。それゆえ私たちにどのような愚かさや罪があったとしても、愛なる神様はその罪を示し、悔い改めに導き、赦しを与えてくださいます。そしてあなたにも神の子とされる特権を与えてくださるのです。あなたも神の愛と憐れみを心一杯に受けて、祝福と恵みに満ちた人生を歩んでいきませんか?

  (PBA制作「世の光」 2019.2.11放送でのお話より )
 
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■ユダヤ教からキリストへ/ 羽鳥頼和

2019年03月16日 | Weblog
2019/2/9放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書ガラテヤ人への手紙1章からお話しします。

 ここにはパウロがユダヤ教からキリスト教に回心した経緯が語られています。パウロは熱心なユダヤ教徒でした。彼は自分が先祖の伝承に人一倍熱心だったと言っています。ユダヤ教は旧約聖書を先祖の伝承として信じていました。特に神が救い主を遣わしてくださり自分たちを救ってくれる、というメシヤ(救い主)預言を神の約束として信じていました。熱心なユダヤ教徒であったパウロは、初めキリスト教会を迫害しました。それはとても激しいもので、教会を滅ぼそうとするほどでした。ところが教会の人々を捕えて牢獄に入れようと、ダマスコに向かっていたパウロはその途上で、復活されたキリストに出会いました。彼はキリストの声を聞き、キリストを信じました。パウロは旧約聖書が預言していた救い主がイエス・キリストであると分りました。パウロはその事を「私はそれを人間から教えられたのではありません。ただ、イエス・キリストの啓示によって教えられたのです。」と語っています。そしてパウロは外国人にキリストの福音を伝える者となりました。パウロはその事についてこのように語っています。
 「私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が外国人にキリストの福音を伝えるため、キリストを私に啓示してくださいました。」

 キリストが神の御子でありすべての人の救い主であることは、旧約聖書でも教えられていました。パウロは熱心であったにもかかわらずその事が分りませんでした。パウロは神によってキリストに出会うことができ、キリストを救い主と信じることができたのだと告白しています。神は今も人にキリストとの出会いを与え、キリストを信じることができるように働いてくださっています。

 明日は日曜日です。キリストと出会うために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.9放送でのお話より )
 
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■絶望から希望/ 関根弘興

2019年03月15日 | Weblog
2019/2/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストがカペナウムという町を訪れた時でした。イエス様のもとに大勢の人々が集まってきました。そこに会堂管理者のヤイロという人がいました。会堂管理者ってのは誰もがなれる仕事ではありません。当時のユダヤ人の礼拝の場所である会堂---シナゴグと言いますが---その会堂を管理する総責任者です。このヤイロには12歳になる娘がいました。当時のユダヤの社会では12歳になると成人した女性とみなされました。「うちの娘が成人の日を迎えた。めでたいことだ。」とヤイロは喜んだに違いありません。しかしその娘が突然病を患い、危篤状態になってしまったのです。そこでヤイロはイエス様のもとに駆けつけ、「私の家に来て娘を癒してください。」と懇願したんです。ヤイロにとってイエス様が自分の家に来るまでのその時間は、何時間にも長く感じられたことでしょう。しかしその途中のことです。ヤイロの心をくじくニュースが飛び込んできました。ヤイロの家の者が来て、「あなたのお嬢さんは亡くなりました。」と告げたのです。ヤイロは目の前が真っ暗になってしまったことでしょう。ところがイエス様はヤイロに向かって、「恐れないでただ信じなさい。そうすれば、娘は治ります。」 こう言われたのです。イエス様がヤイロの家に着くと、多くの人が嘆き悲しんでいました。イエス様は彼らに、「泣かなくても良い。死んだのではない。眠っているのです。」と言われたんですね。そしてイエス様は三人の弟子と両親だけを連れて娘の部屋に入っていかれ、娘の手を取って、「子どもよ、起きなさい。」と言われると、娘はすぐに生き返ったのです。

 実はここにイエス様がもたらす救いということが象徴的に描かれているんです。イエス様にとって死は絶望ではなく、ただ眠っているにすぎないというわけですね。つまりイエス様がもたらす救いは死さえも乗り越えさせる救いだということを、象徴的に示すものでした。しかし人は永遠の救いを得るために自分の力では何もすることができません。ただイエス様に来ていただくしかないのです。聖書が教える救いは、イエス様の一方的な恵みによってもたらされる永遠の救いです。この救いをイエス様はあなたにも与えるために来てくださいました。
 
     (PBA制作「世の光」2019.2.8放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし95- 盗んではならない/ 大嶋重徳

2019年03月14日 | Weblog
2019/2/7放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第八戒には、「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節、申命記5章19節)とあります。「盗んではならない。」という戒めについて考えるとき必要なことは、所有について考えておく事です。聖書は所有それ自体を禁じてはいません。神様から託されたものを正しく生かし用いること求められているのです。自らの所有しているものを管理し、活かし、用いる事を第一のこととするのです。

 ある人が、私たちの倫理の出発点は神様から委託されているという事実から始まる、と言ったように、倫理とは神に委託されている事実から始まり、これは私のものというところからは始まりません。

 さて、十戒の研究をする人たちの中で、第八戒「盗んではならない。」は出エジプト記当時の人々に具体的に意味したことは、「誘拐をしてはならない」ということであっただろうと言われています。すなわち誘拐の禁止です。旧約聖書に出て来るヨセフ物語では弟のヨセフを妬んだ兄たちからヨセフが奴隷として売り飛ばされるシーンが出てきます。このような誘拐し奴隷として売られるという出来事が実際にあった事が分ります。また何より、十戒を受け取ったイスラエルの人々はエジプトではまさに奴隷とされていたのですから、第八戒「誘拐をし奴隷にしてはならない」というのはよく分かったのではないかと思います。本来、神様に造られた私たちは自由なる存在です。しかし世界には自由にのびやかに生きることが突然奪われる現実があります。第八戒は、誰かの人生を自分の思い通りに支配し自由を強奪することの禁止です。人の自由を盗むことの禁止とも言えるでしょう。

 このことは、親が子どもの人生を束縛し虐待を加えることも禁止しています。あるいは夫婦間の DV(家庭内暴力) も自由を奪いとる第八戒の禁止事項に該当します。宗教的なカルト指導者のマインドコントロールも、牧師が信徒を、信徒が牧師を思い通りにしようとするその事も、この禁止に入ります。キリスト教会はいつもキリストの所有であり、誰からの奴隷状態に置かれることがあってはなりません。私たちはいつも目の前にあるものが誰のものであるかという事を見誤ってはいけません。神様のものなのです。それをまるで自分のものであるかのように思うとき、人の自由を盗み奪う第八戒の罪を犯すこととなるのです。

 今日も神様から預かった一日をのびやかに生きていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2019.2.7放送でのお話しより )

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■主を呼び求めて言った/ 福井 誠

2019年03月13日 | Weblog
2019/2/6放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがあるものです。では今日の聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記 15章 18節から「主を呼び求めて言った」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

  そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。
 「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。
  しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、
  無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」


 イスラエルが約束の地に定住し、世俗化していくようになると、彼らは政治的な力も弱くなり、異教徒に支配されるようになりました。そのようなイスラエルを解放し建て直すために士師あるいは「さばきつかさ」と呼ばれる人が起こされていきますが、今日取り上げるサムソンもその一人でした。実際サムソンはナジル人つまり神様の奉仕のために身も心も捧げる人として育てられていきます。15章のお話はその彼が成人した時の出来事です。彼は神に捧げられた人であるのに、異教徒のペリシテ人の女と結婚を願うのです。そして事件が起こります。彼は結婚の祝宴に参加したペリシテ人に謎をかけるのですが、ペリシテ人がサムソンの妻を脅迫して答えを聞き出したために暴力的な事件が起こるのです。

 その後、サムソンとペリシテ人との衝突はどんどんエスカレートしていきます。当時サムソンが住んでいた地域はペリシテ人に支配されていましたので、イスラエルの人々はサムソンが続ける横暴な振る舞いに恐れを為し、これ以上ペリシテ人を刺激しないようにと願っていました。しかしとうとうペリシテ人は上ってきて陣を敷き、サムソンを引き渡すように求めるのです。サムソンには神の特別な力が働き、彼はその包囲網を打ち破り、一挙に千人を殺してしまいます。これによってサムソンは 士師として認められ、二十年間のさばきつかさとしての生涯が始まっていきます。ただそんなサムソンも「渇いて死にそうだ」とつぶやく人間的な限界を抱えた者にすぎませんでした。

 キリスト教会は平凡な人々が集まるところですが、そのような教会の働きも神の助けと力によって進められるのです。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.2.6放送でのお話より )

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■八十にして立つ(ステパノの説教4)/板倉邦雄

2019年03月12日 | Weblog
2019/2/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「八十にして立つ」ステパノの説教その4をお話ししましょう。

 「三十にして立ち、四十にして迷わず、五十にして天命を知る」と言ったのは中国の孔子です。しかしモーセは八十にして立ったのです。ステパノの説教の続きです。

 さて、エジプトから逃亡して四十年が経った時、シナイ山の荒野で羊飼いをしていたモーセに神の使いが現れました。モーセ八十歳です。しかも、神の使いは燃えている柴の火の中に現れました。燃えているのに燃え尽きない柴の火の炎をモーセは見たのです。モーセはその光景を見極めるために燃える柴の火の炎に近寄りました。その時です。神の声が聞こえてきました。
 「モーセ、モーセよ。わたしはあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブの信じた神である。」 
 モーセは震えおののいて、燃える柴の火を見る勇気もなくなっていました。

 すると続けて主なる神はモーセに言われました。
 「あなたの足から靴を脱ぎなさい。あなたが立っているこの場所は聖なる地である。わたしはエジプトにいるわたしの民を救い出すために降ってきたのである。さあ今あなたをエジプトに遣わそう。」
 
 こうしてモーセ八十歳にして神の民の解放者・指導者として主なる神はお立てになりました。

 私たちはステパノの説教を通してモーセの八十年の生涯を見て参りました。前半の四十年はエジプト国の王子として自分の思い通りの人生でした。しかし、次の四十年は外国の地で逃亡生活でした。羊飼いとして牧草地を求めての忍耐と訓練の時でしたねえ。そして人生八十歳の時、四十年前の志がまさに自分の思いではなく主なる神の思いによって実現するのです。モーセは四十歳になった時、自分の兄弟たちのために尽くすことを思い出しましたねえ。

 聖書のことばです。
 「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
  ピリピ人への手紙 2章13節 (新改訳2017)
 
  (PBA制作「世の光」2019.2.5放送でのお話より )

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■神のわざの恵み/ 岩井基雄

2019年03月11日 | Weblog
2016/2/4放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
第一月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は詩篇114篇から、「神のわざの恵み」と題して神様の憐れみと恵みに心を留めてみましょう。

 旧約聖書に、神がエジプトの奴隷状態から神の民を開放し約束の地に導く出エジプト記があります。この詩篇の背景には、その出来事があるのです。お読みします。

 「イスラエルがエジプトから/
  ヤコブの家が_ことばの異なる民のうちから/ 出て来たとき
  ユダは神の聖所となり/ イスラエルは神の領地となった。 //
  海は見て逃げ去り/ ヨルダン川は引き返した。
  山々は雄羊のように/ 丘は子羊のように跳ね回った。

         旧約聖書 詩篇114篇 1節から4節  (新改訳2017)

 ことばの異なるエジプトの地からイスラエルの民が出てきた時、エジプトの神々に対する神の圧倒的な力が示されました。そして神の民が導かれた約束の地は神の聖所、神の領地となったのです。

 しかしこの詩篇には第二の出エジプトと呼ばれる出来事も含まれます。それは神の民がバビロン捕囚から解放され約束の地に戻ってきた喜びです。神の民は自分たちの罪や愚かさのゆえに滅ぼされ捕囚となったのですが、神は民を憐れみ、その苦難から民を解放し、約束の地へと戻してくださったのです。受けるに値しない恵みを聖書が語る神様は与えてくださるのです。

 さらにこの恵みは第三の出エジプトとも言われる今の私たちの救いに繋がります。罪の奴隷であった私たちが神の愛と憐れみ、キリストの十字架の贖いによって、罪の赦しを受け、真の自由といのちを受ける勝利に与ることができるからです。その勝利の人生は私たちに喜びを与えるだけではなく、「 山々は雄羊のように 丘は子羊のように跳ね回った。」とあるように、世界全体、被造物全体の喜びとなるのです。

 詩篇のことばはこう続きます。
 「 地よ_主の御前におののけ。/ヤコブの神の御前に。
   神は_岩を水の潤う沢に変えられた。/硬い岩を_水のあふれる泉に。

             詩篇114篇 7節、8節  (新改訳2017)

 すべての苦しみを救いと勝利に変えてくださる神様の前に、私たちも謙りたいと思います。神はあなたの人生をも、水の潤う沢また水のあふれる泉のように希望に満ちた人生と変えてくださいます。 

  (PBA制作「世の光」 2019.2.4放送でのお話より )
 
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■奴隷について /羽鳥頼和

2019年03月09日 | Weblog
2019/2/2放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 出エジプト記21章からお話しします。

 神は、人が神の御心にかなった生き方をするために律法を定められました。21章は奴隷についての律法が語られています。現代、奴隷制度は非人道的なひどいことと考えられています。神はそのような人権を無視した法律を定められたのでしょうか。最初に男の奴隷の場合のことが教えられています。奴隷となった人は6年間主人に仕えなければなりません。しかし7年目には必ず自由の身となることができます。その人が結婚しているのであればその妻も共に自由の身となります。この定めには人が自由であるべきであるという考えがその背景にあると考えられます。

 次に奴隷が7年目になってもその主人に仕えたいと自ら願うなら、その人はその後も主人に仕えることができると定めています。

 続いて女の奴隷の場合のことが教えられています。まず彼女の主人が彼女を気に入らなくなった場合、その主人は彼女を贖い出さなければならないと定めています。贖うとは、お金を払ってその人を自由にすることです。神は、この主人が彼女を裏切ったのだから彼が贖い金を払い、彼女自由にしなければならないのだ、と教えています。また彼女が主人の息子と結婚するならば、主人は彼女を自分の娘のように扱わなければならないと定めています。

 このように神の定めた律法は実際の社会の中で細かな配慮がされた現実的な教えであると共に、人の人権にも配慮したものであるということが分ります。聖書はとても古い時代に書かれたものですが、その内容は決して古くさいものではありません。現代にも通用するだけでなく、神がどのような方であるのか、人がどのように生きていたらよいのかを教えてくれる神のことばです。

 明日は日曜日です。キリスト教会では聖書のメッセージが語られます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.2放送でのお話より )
 
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■ 十二年の苦しみ /関根弘興

2019年03月08日 | Weblog
2019/2/1放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストがカペナウムという町を訪れた時でした。イエス様の元には大勢の人々が集まってきました。その時、12年もの間、婦人特有の長血を患っていた女性がイエス様のもとにこっそりと近寄ってきました。彼女は12年もの間、病に苦しんできました。そして多くの医者からひどい目に遭わされて自分の持ち物すべてを巻き上げられ健康ばかりかは財産も失ってしまっていたんです。また当時のユダヤの社会では律法の規定によって出血のある女性は宗教的に汚れた者とみなされていました。また、いのちは血の中にあると考えられていたのでも血が止まらないこの病気はいのちがどんどん尽きていくという忌み嫌われていたものでもありました。彼女は病のゆえに人を避けながら生きていくことしかできませんでした。

 しかしそんな彼女はイエス・キリストの噂を耳にして、勇気をふりしぼって群衆に紛れ込み、イエス様の着物にそっと触れたんです。すると何とたちどころに出血が止み、痛みが消え、癒されていったんです。するとイエス様は「わたしに触ったのは誰ですか」と言われたんです(参照 マルコ5章30節、ルカ8章45節)。イエス様は群衆に揉み苦茶にされているような状態でしたからイエス様に触った人は大勢いました。しかし敢えて「わたしに触ったのは誰か」と言われたのです。するとこの女性が震えながらイエス様の前に進み出て大勢の前で自分のしたことと自分の身に起こったことを告白したんです。何と勇気のいることでしょう。イエス様は「娘よ。あなたの信仰があなたを治したのです。安心して行きなさい。」(参照 マルコ5章34節、ルカの福音書8章48節)と宣言なさいました。この「治した」ということばは「救い」ということばと同じことばです。つまり、「あなたのわたしへの信頼があなたの人生を救ったんですよ。安心して帰りなさい。」とイエス様はおっしゃったんですね。

 イエス様を単純に信じ、信頼し、救いを求めていったこの女性に、イエス様は「安心して帰りなさい。」と言われました。イエス様はこの人の肉体の癒しだけではなく安心して生きることができる救いをお与えになったんです。

 そして今日もイエス様は、イエス様を心から求める一人ひとりにその救いを与えることができるお方なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.2.1放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。