♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して68年の
「世の光」を文字で 

■私はオリーブの木 / 羽鳥頼和

2019年03月30日 | Weblog
2019/2/23放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書の詩篇52篇からお話しします。

 表題にこの詩篇の背景が語られています。
   エドム人ドエグがサウルのもとに来て、「ダビデがアヒメレクの家に来た」と告げたときに。
 ダビデがイスラエルの王となる前、ダビデのことを妬んだサウル王はダビデを殺そうとします。そのことを知ったダビデは王から逃れます。命を狙われるダビデが祭司アヒメレクの所に匿われた時、そこにいたエドム人ドエグがサウル王にダビデのことを密告しました。そのドエグのことと自分の信仰を語っているのがこの詩篇52篇です。

 密告者ドエグのことを「見よ 彼こそは 神を力とせず 自分の大きな富に頼り 破滅のわざを勝ち誇る者。」(7節)と言っています。悪人は神に信頼せずに自分の力に頼ります。その力を他の人を破滅させることに用います。ダビデはそのような悪人を神は必ず滅ぼされると確信しています。

 更にその悪人と対比して自分のことを語ります。
 「私は 神の家に生い茂るオリーブの木。私は世々限りなく 神の恵みに拠り頼む。」(8節)
 自分をオリーブの木に喩えています。オリーブの木は神の家に植えられて、神に手入れされて葉が生い茂り、たくさんの実を結ぶことができています。このオリーブの木は神による繁栄の象徴です。ダビデは恵みを与えてくださる神に信頼しています。自分の力に頼る者は人を滅ぼそうとしながら自らに滅びを招きます。神に頼る者はその人生においてずうっと神の恵みを受けるのです。神により頼み、神の家にいる者は、神の恵みを受けることができます。

 キリスト教会は神の家です。明日は日曜日です。キリスト教会では神を礼拝します。神の家であるキリスト教会にいらしてください。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.23放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■信仰は行動し、告白すること / 関根弘興

2019年03月29日 | Weblog
2019/2/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は聖書が教えている信仰とはどのようなものなのかを続けて考えていきましょう。

 前回、信仰とは「もうだめだ」と諦めるのではなく、イエス様に期待し信頼し続けることだ、とお話しました。そして今日は、信仰とは行動することだということを考えたいんです。

 信仰とは期待することから始まるんですね。期待すれば、そこから行動が生まれます。つまり何かを信じるからこそ、そこに行動が生まれていくんですね。そして行動しなければ何の結果を得ることができません。日常生活も何かを信じて行動することの連続で成り立っています。

 例えば、東京に行きたいと思えば東京行きの電車の表示を信じて乗り込みますねえ。乗らなければいつまで経っても東京に行くことはできません。

 行動しなければ結果を受けることはできません。私たちは情報を信頼し、期待し、小さくても良いから一歩踏み出していく。それが信仰に生きるということなんです。

 前回お話をしたように、イエス・キリストがカペナウムという町に行かれたとき、12年もの間婦人病で苦しんでいる人がいました。彼女はイエス様がカペナウムに来た時、勇気を持ってこの方の着物に触れることができればきっと治る、と期待して行動して行きました。また会堂管理者のヤイロは娘が死んでしまった時、絶望の縁に立たされましたが、なおイエス様のことばに励まされ家に迎え入れましたね。信仰は信頼と同じです。信頼はイエス様への期待を生み出します。そして期待は行動へと導くのです。そして、行動したら今度は告白していくのです。

 新約聖書のローマ人への手紙 10章10節には、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と書かれています。聖書は私たちがイエス様を救い主として告白し続けることの大切さを教えているんです。告白することによって、「イエス様は私の救い主です。私の人生を支配してくださっている方です。イエス様こそ死さえも乗り越える力を与える救い主です。」とあなたの口で告白していく時、その告白が現実のものとなっていくんですね。


     (PBA制作「世の光」2019.2.22放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし97- 盗んではならない / 大嶋重徳

2019年03月28日 | Weblog
2019/2/21放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。 十戒第八戒には、「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節、申命記5章19節)とあります。この十戒第八戒のことを考えるときに、住んでいる土地と健康を奪われた福島での原子力発電所の事件を考えないわけにはいきません。福島の人の生活を奪っても原発を稼働し続けようとする思想にあるのは、前回考えました富と豊かさの問題に加えて強い国への憧れがあるのだと思います。いざという時、核を持つことのできる国になる準備をしておかないといけないという思いが原発を維持しているのです。事実、2012年の原子力基本法一部改正で、利用目的に「我が国の安全保障に資する」と追記されました。強い国でいることと原発の危険性をすぐそばで感じなければならない地域に住む人々の不安な感情を秤にかけることできません。

 ここで第八戒「盗んではならない。」が私たちの目を開かせ見させようとしている事は、当事者意識の欠如と思考停止に陥っしまっている自分たちの姿です。社会が不安定な状況に陥ると、私たちは正義感によって犠牲を他人に強いることがあります。キリスト教会も同じでした。東日本の震災の際にキリスト教会でも献金が集まりました。そしてその献金がどのような形で用いられたか知りたいと願う側の思いが先行して、被災されバラバラになった教会の信徒の方々の声に耳を傾けるのが不十分なまま新しい教会堂が建てられてしまったのです。東北にある教会の牧師は、「泥まみれでぼろぼろになったこの場所に信徒の方々と立って、そこで手と手を取って涙を流したかった。それでもう一度この場所に教会が建てられるように祈りたかった。」とおっしゃっていました。被災をしていない都会で過ごす自分たちの納得するスピードで目に見えて分りやすく支援を行いたいという思いが教会の祈りの機会を盗んでしまっていたのです。

 「盗んではならない。」という戒めが放つ光の射程は、私たちの住んでいる社会の構造にも目を留めることを求めます。誰も盗まれたりしない社会の形成のために、私たちの生き方の向きを変えて歩くことを求めて来るのです。

 今わたしたちの住んでいる地域でも盗まれている現実が実はあるのではないでしょうか。その方のそばにイエス・キリストは寄り添う方です。虐げられた人、痛んでいる人のそばに今日も私たちはそばに立っている者でいたいと思うのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.2.21放送でのお話しより )

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■どうして主は / 福井 誠

2019年03月27日 | Weblog
2019/2/20放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがありますねえ。では今日の聖書を開きましょう。今日はサムエル記第一 4章 3節から「どうして主は」と題してメッセージいたします。

 兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」

 サムソンの話を覚えておられるでしょうか。当時イスラエルはペリシテ人に支配されていましたね。サムソンがこの支配を逆転させ、イスラエルが優勢になった時代がありました。しかしペリシテ人はたくましくサムソンの時代以降も生き残り、イスラエルを再び脅かす勢力となっていたのです。実際彼らは鉄器の武器を所有しており、高度に組織化され訓練された民族でしたので、イスラエルはその領地からなかなか彼らを追い出すことができないでいました。

 ある日、イスラエルはペリシテ人に戦いを望みますが、何と完璧に打ち負かされてしまいます。そして言うのです。「どうして主は今日ペリシテ人の前で我々を打たれたのだろう」と。

 しかしこの敗北は、神から離れて背信を繰り返すイスラエルに対するさばきとしてあらかじめ預言者サムエルに語られていたことでした。しかし、イスラエルの民はそのことばを思い出し悔い改めることもなく、むしろ自分たちが負けたのは神の臨在の象徴である主の契約の箱がそばになかったからだ、と考えるのです。彼らは神の力を信じていたかもしれませんが、神とその心は遠く離れていました。

 そんな行動は私たちの信仰のあり方にも通じている所があるのかもしれません。神を信じることは大切ですが、神を愛する者でありたいものですね。神様と心を通い合わせながら、日々神様と共に生きる。そうであればこそ、折にかなった助けも与えられるものでしょう。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.2.20放送でのお話より )

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■心にも耳にも割礼のない人(ステパノの説教6)/ 板倉邦雄

2019年03月26日 | Weblog
2019/2/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「心にも耳にも割礼のない人」という題でお話ししましょう。

 いよいよステパノの議会での説教も結論に入りました。結論のことばは強烈なことばでした。「ああ、強情で心にも耳に割礼のない人たちよ。あなたがたはいつも聖霊に逆らっている。」

 さて、割礼とは生後八日目に男子が肉体の一部に受ける傷です。これは神との関係に入り、穢れが除かれて罪なしとなり、神の家族の一員になる契約のしるしでした。しかし今、ステパノを捕えて裁判に集まっている議員たちは身体に割礼のしるしを受けていましたが、心は強情で頑固
でした。聞く耳を持っていなかったのです。ですから心にも耳にも割礼のない人たちでした。そしていつも主なる神の働きかけである聖霊に逆らい続けていたのです。それはこの議場にいる人々の先祖たちも同じでした。その首筋は鉄のように硬く、首を縦に振ることはありませんでした。いつも首を横に振り続けたのです。イスラエルの歴史に登場した預言者たちの内、迫害されたり苦しめられなかった預言者は一人もいませんでした。正しい方である救世主メシアが来ること予告をした人たちを殺害したのです。そしてついに救世主なるイエス・キリストが来られたのに、そのお方を裏切り十字架の上で殺害する者となってしまいました。「殺してはならない」(出エジプト記 20章13節) という神からの律法を与えられ受けながら、その律法を破るものとなってしまったのです。

 ステパノの長い説教はここで終わりです。ステパノの説教は三人の人物を中心に語りました。神のためにイスラエルの父祖となったアブラハムのこと、すなわち信仰の父となった人のことです。二人めはイスラエルの十二部族の父となったヤコブのことです。そして三番目は神の預言者であり解放者であるモーセその人でした。

 ところで、信仰による者こそアブラハムの子である、と伝道者パウロは私たちに語ります。ですから私たちもイエス・キリストを信じる信仰によってアブラハムの子孫です。そして私たちに神のことばを与えてくださっているのです。

  (PBA制作「世の光」2019.2.19放送でのお話より )

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■気を付けるべき高慢 / 岩井基雄

2019年03月25日 | Weblog
2019/2/18放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第三週の月曜日はマルコの福音書から学びます。

 ある時、キリストは弟子と共に舟でダルマヌタ地方に行かれました(8章)。するとそこにパリサイ人たちがやってきて、キリストと議論をし、奇跡やしるしを行うように求めたのです。人の関心は驚くような出来事やキリストの特殊な行為に向かいがちですねえ。しかしキリストは心の内で(深くため息をついて、)こう語られました。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。まことに、あなたがたに言います。今の時代には、どんなしるしも与えられません。」(マルコの福音書 8章12節 )

 キリストは彼らの思いをご存知でした。単に奇跡を求める心は、そこに示される神の主権や力を認めようとしないからです。イエスは彼らから離れ、舟で弟子たちと一緒に戻ります。その帰る道、弟子たちは自分たちが十分なパンを持っておらず、たった一つのパンしか手元にないことに気が付きました。パンのないことに心を向けている弟子たちにキリストはこう命じられました。
 「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつけなさい。
     新約聖書 マルコの福音書8章15節

 弟子たちはパンを十分に持ってこなかったことを責められたと感じたのですが、キリストの意図は違いました。キリストはパリサイ人やヘロデ王の心の中に高慢や傲慢を見ておられ、それはパン種のように少量であっても全体に他の存在に影響を与えてしまうからです。弟子たちもまた自分たちの心の内にある高慢や傲慢に気をつける必要がありました。彼らもまた、この世の価値感に翻弄されやすく、誰が一番偉いのか、と語り合うことが少なくなかったからです。私たちも高慢や傲慢に気をつけなければなりません。キリストにしるしや奇跡を要求する心、神に自分の願いや思いを叶えてもらおうとする心の背後には高慢や傲慢が隠れていることが少なくないからです。そこには神を主権者として認めるのではなく、まるで自分を主として神をしもべのように扱い、自分の思いや願いのために使おうとする心が現れているからです。どこまでも謙った心、教えられやすい謙遜な心を求め、自ら身を低くする者とさせていただきましょう。

 神は心ヘリだったものを豊かに愛し、そして豊かな祝福を注いでくださる方です。神様はあなたの心をご覧になるのです。

  (PBA制作「世の光」 2019.2.18放送でのお話より )
 
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■罪の奴隷からキリストのしもべに /羽鳥頼和

2019年03月23日 | Weblog
2019/2/16放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は最初に新約聖書ガラテヤ人への手紙5章1節をお読みします。
 「 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。

 人は生まれつき自由だと思われるでしょう。しかし聖書は、すべての人は罪の奴隷だ、と教えています。罪の奴隷は罪に支配され、必ず死んでしまいます。そんな罪の奴隷を自由にして永遠のいのちを与えるために、キリストは十字架にかかって死んでくださり、贖いを成し遂げてくださいました。贖いとは、お金を払って奴隷を自由にすることです。キリストは私たちに自由を得させるために十字架で私たちの身代わりに死んでくださることによって私たちを罪から解放して自由な者としてくださいました。自由になったらどうしたらよいのでしょうか。救ってくださったイエス・キリストに聞くべきではないでしょうか。

 キリストのことばを聞きましょう。キリストはこう言われています。
 「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
          新約聖書 マタイの福音書11章29節から30節

 キリストは、「わたしのくびきを負いなさい」と勧めています。この「くびき」とは奴隷としてつながれるということではありません。奴隷に逆戻りすることではなく、キリストのしもべ・キリストの弟子となりなさいというのです。そうすれば魂に安らぎが与えられるのです。「わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい」と言われたイエスは、その前の28節でこのように言われました。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.16放送でのお話より )
 
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■信仰は期待すること /関根弘興

2019年03月22日 | Weblog
2019/2/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は聖書が教えている信仰とはどのようなものかということを考えていきましょう。

 イエス・キリストがカペナウムという町に行かれた時、長い間、婦人病に苦しんでいる人がいました。彼女は特別に神学的な勉強していた訳ではありませんでした。ただイエス様のお着物に触りさえすればきっと治る、という期待を持ってイエス様のもとに行ったんです。

 時々、「関根弘興先生、もっと聖書を勉強してよくわかったら信仰が持てると思います。」と言われる方がいるんですね。でもただ知識だけ増えても信じることはできません。イエス様という方をまだよく知らなくても、この方なら私の人生の答えを知っているかもしれない。この方なら私を支え助けてくださるかもしれない、と期待することが信仰に生きる第一歩なんです。

 一方、カペナウムの町にはヤイロという会堂管理者がいました。彼は自分の娘が病気になってしまい、イエス様に癒やしてもらおうてやってきました。彼は旧約聖書をよく知っていました。しかしイエス様と家に向かう途中、娘が死んでしまったという報告を受けたんです。その時彼は、ああもうだめだと絶望してしまいました。イエス様でもこの問題は解決できないと考えたのです。しかしイエス様は「恐れないで、信じなさい」と言われました。つまり、もうだめだと信仰投げ捨ててしまうのではなく、なお信頼し続けなさい、と言われたのです。この「信じなさい」ということばは今まで会堂管理者として学んできた信仰ではなく、新しく信仰を持ちなさい、と言われてるかのようなことばですね。つまり死の力の前にはイエス様もなす術が無いとこの会堂管理者は思っていたかもしれないけれど、イエス様なら死の問題さえ解決できるという事を信じなさい、という意味で「信じなさい」と言われている。こう考えたらいいと思うんですねえ。イエス様についての情報を知っているだけでは信仰とは言えません。またイエス様が救い主であると同意するだけではこれも信仰とは言えません。信仰とは、イエス様は私の人生を変えてくださるお方だ。私はイエス様が与えてくださる救いを受けていくことができる。今私が理解できなくてもこの方を信頼し生きて行こう、と期待し、一歩踏み出し生きて行くこと。これが信仰の姿なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.2.15放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし96- 盗んではならない /大嶋重徳

2019年03月21日 | Weblog
2019/2/14放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第八戒には、「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節、申命記5章19節)とあります。「盗んではならない。」の原語の意味から考えると、誘拐して奴隷にすることの禁止という意味があります。誘拐され奴隷にされている現実として、世界には今この時も奴隷とされ、カカオ農園、コーヒー農園で働かされている子どもたちがいて、誘拐されて兵士にされている子どもたちが世界にいることを忘れることはできません。日本ではどうでしょうか。経済の格差から生まれる埋めることの困難な貧しさも目を開くと見えてきます。更に沖縄県の基地問題は多くのものが奪われている方々の痛みを思います。更に福島で起こった原発事故は故郷を奪われ、住む場所も健康も奪われ、今なお避難を余儀なくされる状況です。子どもたちが外で遊べない場所がこの国にできてしまいました。しかし福島でこんなにも盗まれている事実が起ころうとも、なお原発を動かそうとする力が働きます。節電により電力が足りた現実があっても、あるいは自然エネルギー開発で新しい技術と産業の発展が見込まれたとしても、お金がかかると経済の問題が出て来ることとなります。

 もちろんお金は大切です。しかしイエス・キリストは、お金が神様になってしまうことを警告されました。お金が悪なのではありません。しかしお金のことを考えると人は思考停止が起こりやすくなります。たとえ犠牲を強いられ自由を盗まれた人が居たとしても、他人が受ける犠牲もまたしょうがないと考えるところに富の恐ろしさがあります。

 それは難しい問題だよねと問題を先送りにし、盗まれている人々の痛みに目を閉じることが起こりやすいのです。ある人がこう言いました。「神様は第八戒で私たちの財産を守られます。しかし財産を持っている人が貧しい人たちから盗まれることから守られるだけなのでしょうか。むしろ神様はこの戒めによって無一文の人々が財産を持っている人々からむしり取られることを守られるのであり、どちらかと言えば、こちらの方に重きを置いておられるのです。」 第八回は、世の中に起こっている痛みに対して思考停止にさせられることの禁止も言っているのです。自分で考えることを私たちは誰にも盗ませるわけにはいかないのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.2.14放送でのお話しより )

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■あなたの神は私の神です/福井 誠

2019年03月20日 | Weblog
2019/2/13放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがあるものですねえ。では今日の聖書を開いてまいりましょう。今日はルツ記 1章 16節から「あなたの神は私の神です」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

  ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。・・・」

 ルツ記は士師記の補足のようなものです。ヨセフスの『古代史』によれば、それは大体紀元前1150年頃の記録ですねえ。そこには先週読んだ知識に描かれた不法や争い・流血の風景は無く、一庶民の素朴な信仰生活があります。不信仰と無秩序の時代にあって光輝く信仰者の歩みが描かれているのです。しかもルツ記はそれ以上のメッセージを伝えています。つまりそれは新約聖書が描くメシヤ誕生の背景を記し、その意味を解き明かしているのです。その内容については更に詳しく語らなければならない所ですが、今日はモアブ人の女ルツがどのようにイスラエル民族に加えられたかに注目しましょう。

 当時イスラエルに生じた飢饉によってユダヤ人の一家がモアブの野に移住しました。そのユダヤ人の一家に嫁いだのがモアブ人の女ルツでした。しかし、その家族の男性は相次いで亡くなり、姑と嫁だけの家族になってしまうのです。姑のナオミが意を決して故郷のベツレヘムに帰ろうとし、二人のモアブ人の嫁にも、「自分たちの地の家に帰るように勧めますが物人の女器あなたの他人は私のためあなたの神は私の神と語り、どこまでも姑についていく決意を示すのです。港押して彼女はイスラエル民族に加えられてきます猿岩一つの肩でしょうつまり今日教会に加えられるのはあなたの神を私の神とする信仰を同じくする志によってです主にによるのでも育ちや出資によるのでもありません死イエスを救い主とする信仰自分のものとする志を立てるならば誰でも教会に迎えられるのですテラ良き州を祈ります。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.2.13放送でのお話より )

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