2019/11/22放送
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世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様は「<B>税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。</B>」(マタイ22章17節 新改訳第三版)」と問われた時、「<B>カイザルのものはカイザルに</B>・・・<B>神のものは神に返しなさい。</B>」(マタイ 22章21節、マルコ 12章17節、ルカ 20章25節 新改訳第三版)と言われました。それは私たちがそれぞれ社会の一員としての義務を果たし生きることの大切さがまず教えられているわけです。そしてイエス様は「<B>神のものは神に返しなさい</B>」と言われました。
前回、聖書の神様だけに捧げられる礼拝こそが「神のものは神に返す」ということだということをお話ししました。賛美を、感謝を、祈りを、信仰の告白を捧げていくことです。そしてまた、あなた自身が神様のものであり、あなた自身の人生を大切に生きて行くことも「神のものを神に返す」というそのような生き方なんですよ、と語らせいただきました。
そして今日は、「神のものは神に返す」生き方、それは自分に誇りを持って生きることだということをお話ししたいと思っているんです。
新約聖書のエペソ人への手紙1章13節には、
「<B>このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。</B>」
と記されています。
当時ローマ政府が発行した銀貨にはカイザルの肖像と銘が刻まれていました。しかし何と私たち一人一人にはですねえ、神様の銘が刻まれ、キリストを信じる一人一人には神なる聖霊の証印が押されている、と聖書は書いているんですね。物の価値というのは誰の銘が刻まれているかによって変わりますよね。何と聖書には、私たち一人一人には天地万物の創造者なる神様の銘が刻まれていると言うんです。ですから一人一人は、どれほど価値高いことでしょう。ですから私たちは神様に造られたものとしての自分に誇りを持ったら良いんです。どんなに歳をとっても、肉体は衰えたとしても、できなくなることが増えたとしても、神様の銘が刻まれていることに変わりはありません。
そしてイザヤ書49章16節には、「 <B>見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。</B>」と記されています。何と、神様ご自身が自らの手のひらにあなたを刻んでくださっている、と書いてあるんですねえ。それはあなたを決して忘れずあなたを大切にしてくださっている、ということの証しです。自分がそのように大切な存在であることをあなたはご存知ですか?
(PBA制作「世の光」2019.11.22放送でのお話しより)
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