♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して69年の
「世の光」を文字で 

■筋を通す / 板倉邦雄

2020年06月30日 | Weblog

2020/5/5放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「筋を通す」という題でお話ししましょう。

 「無理が通れば道理引っ込む」ということわざがあります。道理を無視したことが世間に通用するようになれば、道理にかなったことは行われなくなってしまう、という意味ですね。しかしこの世は筋が通らないことばかりです。使徒の働き16章の続きです。

 さて、ピリピの町を大地震が襲いました。夜が明けると長官たちは昨日ひっ捕らえたパウロとシラスを釈放するように牢獄の看守に伝えました。看守はパウロとシラスに伝えました。「長官があなたがたを釈放させるように使いをよこしました。さあ釈放です。無事にお帰りください。」
 ところがパウロは長官の使者たちに言いました。「あなたがたの上司である長官たちはローマ市民権を持っている私たちを正式な訴えもなく裁判もかけないで公衆の面前で鞭で打ち叩いたあげく牢獄に入れてしまいました。しかるに今になって密かに私たちを釈放するとは何事であるか。それは筋が通らぬことではないのか。長官たち自身がここに来て私たちを釈放すべきではないのか。」 

 長官たちの使いはこのパウロのことばを長官たちに報告しました。すると長官たちは二人がローマ人だと聞いて恐れました。二人に、不当な扱いを受けたと正式に訴えられたら、自分たちの首が危なくなるからです。急いで二人のところに自分たちでやって来て謝罪し、詫びを入れた上、二人を牢獄から連れ出し釈放しました。そして町から立ち去るように頼み込んだのです。

 二人は獄を出ると信者のリディアの家に行き、信徒たちに会って信仰にとどまるように勧めてから出かけました。

 この世は、約束は破るためにある、などと言う人がいます。また後出しジャンケンをする人もいます。あるいは、私がルールだ、と言って無理を通す人がいますね。そのような中でパウロとシラスは筋を通しました。憲法や法律や条例は私たちを守るためにあるものです。この世界が秩序正しくあることによって私たちが平和で穏やかな生活を過ごすために神様が建てられた制度です。聖書はこのような意味のことばを言っています。
 「私たちの神は混乱の神ではなく秩序の神です。」(参照 コリント人への手紙第一14:33)

  (PBA制作「世の光」2020.5.5放送でのお話より ) 

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■硬い岩から水の溢れる泉が / 岩井基雄

2020年06月29日 | Weblog

2020/5/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 岩井基雄です。

 第一月曜日の今日は、詩篇114篇から、硬い岩を水の溢れる泉に変えてくださる神様の愛に心を留めてみましょう。

 神の民イスラエルは400年を超えるエジプトでの奴隷状態から脱出することになり、モーセという人をリーダーとして神の約束の地を目指しました。成人男性だけ60万人でしたから相当大きな集団だったことでしょう。その旅は簡単なことはありませんでした。結局彼らは40年間、荒野を旅することになるのですが、その道中、最も大変だったのは飲み水でした。荒野には彼らを潤す十分な水はありません。しかし神様は不思議なみわざを行い、彼らに水を与えられたのです。

 今日の詩篇をお読みします。
 「イスラエルがエジプトから ヤコブの家が ことばの異なる民のうちから 出て来たとき・・・・ 
  神は 岩を水の潤う沢に変えられた。硬い岩を 水のあふれる泉に。
          旧約聖書 詩篇114篇 1節、8節 

 聖書が語る神様は、時間も空間もすべてのものをつくられたお方ですから、神の民を愛し、彼らの必要を満たすことがおできになります。しかし神様は神の民イスラエルが自らの叫びによって水を求めることを望まれました。先に備えることをなさらず、彼らが苦難の中から神に祈り求めることを待ち、そして必要を豊かに満たしたのです。

 神様はあなたの人生にも敢えて苦難を与えられます。私たちは人生の旅の中で渇きや挫折や行き詰まりを経験します。しかしその中で、私たちが自分の限界と向き合い、神に叫び求めることを神様は待っていらっしゃるのです。神様はあなたを限りない愛で愛していらっしゃいます。ですから神様はあなたに耐えられない試練は与えません。試練とともに脱出の道を備えてくださいます(参照 コリント人への手紙第一10:13 )。まさに岩を水の潤う沢に、硬い岩を水の溢れる泉に変えてくださるのです。神様はあなたを祝福しようと待っていらっしゃるのです。

 聖書のことば
  「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
      新約聖書 コリント第一の手紙 10章13節

  (PBA制作「世の光」 2020.5.4放送でのお話より ) 
 
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■知恵を与えられたソロモン王 / 羽鳥頼和

2020年06月27日 | Weblog

2020/5/2放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 ソロモンという王のことをご存知でしょうか、聖書を読んだ事のない人もソロモンという名前を聞いたことがあるかもしれませんが、伝説上の人物と思っておられる方が多いのではないでしょうか。しかしソロモンは実在の人物であり、聖書には実在したソロモンがどのようなことを行ったのかが記されています。それはいわゆる英雄物語ではありません。聖書はソロモンの悪いところも語っています。今日から3回にわたってソロモン王についてお話しします。

 一回目の今日は、旧約聖書の列王記第一3章からお話しします。3章には、ソロモンが神から知恵をいただいて、イスラエルの国を正しく治めたことが語られています。ソロモンはどのようにして知恵を手にいれたのでしょうか。王となったソロモンは、父ダビデ王と同じように神を愛し仕えるようとしました。ソロモンは千匹の全焼の捧げものを神に捧げました。するとその夜、神が夢の中に現われて言われました。
 「あなたに何を与えようか。願え。」
それでソロモンは言いました。
 「神様、あなたはこのしもべを王としてくださいました。どうぞ私が善悪を判断して、あなた様の国を正しく治めるために知恵をしもべに与えてください。」

 その願いは神の御心にかない、神はソロモンに知恵を与え、さらに富と誉れをお与えになりました。

 どうして神はソロモンに知恵を与えたのでしょうか。それは彼の願いが神の御心にかなったからです。なぜソロモンは神の思いと一致することができたのでしょうか。それは願う前のソロモンの姿勢にあります。ソロモンは神を愛し仕えようとしていました。その姿勢は全焼の捧げ物を神に捧げることに表されています。捧げ物を捧げることは神への礼拝でした。そして特に全焼の捧げ物は神に仕える献身の意志を表すものでした。ソロモンは神を愛し仕え、礼拝を捧げることによって神の思いにかなうことを願うことができたのです。

  ( PBA制作「世の光」 2020.5.2放送でのお話より )
 
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■信じるということ5 -私の主、私の神 / 大嶋重徳

2020年06月27日 | Weblog

2020/4/30放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 今月はイエス・キリストの復活されたイースターを過ごしています。

 ヨハネ福音書には、イエス・キリストの復活を信じない、と言うトマスという人が出てきます。トマスの前にイエス様が現れた時、トマスは言います。「私の主。私の神。」(ヨハネの福音書20章28節 新改訳第三版) 「私の」ということばは愛のことばです。「夫」と言うのと「私の夫」と言うのは響きが違います。「子ども」ではなく「私の子ども」と言うと愛の響きが伴います。

 神を信じるという事の中心にあるのは愛です。私たちの信じる神様は宇宙概念でも道徳的な真理でもない、人となられた神です。そしてこの神様は「私の」という人格的で個人的な関係を私たちと持つことを求めておられます。神様は今朝も「あなたはわたしの愛する子。あなたはわたしのもの。」と個人的に語りかけてこられるのです。

 トマスは8日間悩みながら、この神様の愛に「私の主。私の神。」と答えました。

 信仰を持ってからも疑うことは何度もあります。しかし愛は疑いを覆うのです。愛は、疑っても悩んでも信じることをやめない根拠があります。それは私の罪のために十字架にかかられた愛です。

 私が自分で自分のこの罪をどうすることもできませんでした。しかしイエス様は十字架にかかり私の罪を解決してくださったのです。この十字架の愛を思うときに、疑いは信仰を持たない理由にはなりません。この愛を知ったとき、「みんなが信じているから」という「みんなの神」ではなく、「私の神」となるのです。頭で理解できた結果ではなく、「私の」という個人的な関係が生まれ、他の誰が信じなくとも私は信じるという告白になります。そしてこの神を知るために、この神に出会うために必要なのは、こちらも愛そうとしてみることです。愛は相互の関係です。愛は一方的な関係ではわかりません。神を愛そうとする一方、それは祈りです。「神様、あなたは居るんですか?」と問いかけていただきたいと思います。神様との愛の対話を始めるのです。なぜならキリスト教は愛の信仰・祈りの信仰だからです。やがてあなたは必ず、あなたの心の扉の前に立っておられるイエス様と出会い、いつの日か「私の主。私の神。」という信仰告白が生まれていきます。

    ( PBA制作「世の光」2020.4.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■心を騒がせるな / 関根弘興

2020年06月26日 | Weblog

2020/5/1放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。
 イエス様は、ご自分が捕らえられ十字架につけられることを以前から弟子たちに話しておられました。イエス様が逮捕される数時間前のことです。イエス様は弟子たち一人一人にご自分の愛を余すところなく示され、互いに愛し生きることの大切さを教えてくださいました。しかしその一方で、弟子たちの心が動揺してしまうことも言われたんですねえ。

 例えば、「あなたがたの中に、わたしを裏切る者がいる」(参照 ルカの福音書22:21)と言われました。また弟子のペテロには、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」( ルカの福音書22:34、参照マタイの福音書26:34 、マルコの福音書14:30 )と言われました。また、「わたしが行く所にあなたはついてくることができません」(参照 ヨハネの福音書13:33)とも言われたのです。

 ま、ですから、弟子たちは心中穏やかではいられませんでした。今まですべてを捨ててイエス様に従って来たのに、裏切る者がいるとか、もうついてくることはできない、などと言われたものですから心が騒ぐのは当然ですね。

 しかしイエス様は動揺する弟子たちに、ヨハネの福音書14章1節で、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」 そのように語られたのです。

 弟子たちは、これからどうなるのだろう、先が全く見通すことができませんでした。しかしイエス様は、心を騒がせるな、と弟子たちにはっきりと言われたのです。

 私たちは毎日の生活の中でどうでしょうねえ、どれほど心を騒がせることがあるでしょう。私たちは明日(あす)のことがわかりません。これから先、経済はどうなってしまうのだろう。病に倒れたらどうしようか。まあ数えあげたらきりがありませんよね。私たちは心を騒がせながら毎日を送っているように思います。

 しかしイエス様は、そんな一人一人に「心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と力強く今日も語りかけてくださっているのです。

 後になって弟子のペテロはこのように記しています。
 「なたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
       第一ペテロ 5章7節

      (PBA制作「世の光」2020.5.1放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


■信じるということ5 -私の主、私の神/ 大嶋重徳

2020年06月25日 | Weblog

2020/4/30放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 今月はイエス・キリストの復活されたイースターを過ごしています。

 ヨハネ福音書には、イエス・キリストの復活を信じない、と言うトマスという人が出てきます。トマスの前にイエス様が現れた時、トマスは言います。「私の主。私の神。」(ヨハネの福音書20章28節 新改訳第三版) 「私の」ということばは愛のことばです。「夫」と言うのと「私の夫」と言うのは響きが違います。「子ども」ではなく「私の子ども」と言うと愛の響きが伴います。

 神を信じるという事の中心にあるのは愛です。私たちの信じる神様は宇宙概念でも道徳的な真理でもない、人となられた神です。そしてこの神様は「私の」という人格的で個人的な関係を私たちと持つことを求めておられます。神様は今朝も「あなたはわたしの愛する子。あなたはわたしのもの。」と個人的に語りかけてこられるのです。

 トマスは8日間悩みながら、この神様の愛に「私の主。私の神。」と答えました。

 信仰を持ってからも疑うことは何度もあります。しかし愛は疑いを覆うのです。愛は、疑っても悩んでも信じることをやめない根拠があります。それは私の罪のために十字架にかかられた愛です。

 私が自分で自分のこの罪をどうすることもできませんでした。しかしイエス様は十字架にかかり私の罪を解決してくださったのです。この十字架の愛を思うときに、疑いは信仰を持たない理由にはなりません。この愛を知ったとき、「みんなが信じているから」という「みんなの神」ではなく、「私の神」となるのです。頭で理解できた結果ではなく、「私の」という個人的な関係が生まれ、他の誰が信じなくとも私は信じるという告白になります。そしてこの神を知るために、この神に出会うために必要なのは、こちらも愛そうとしてみることです。愛は相互の関係です。愛は一方的な関係ではわかりません。神を愛そうとする一方、それは祈りです。「神様、あなたは居るんですか?」と問いかけていただきたいと思います。神様との愛の対話を始めるのです。なぜならキリスト教は愛の信仰・祈りの信仰だからです。やがてあなたは必ず、あなたの心の扉の前に立っておられるイエス様と出会い、いつの日か「私の主。私の神。」という信仰告白が生まれていきます。

    ( PBA制作「世の光」2020.4.30放送でのお話しより )

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■愛がそうしたいと思う時までは / 福井 誠

2020年06月24日 | Weblog

2020/4/29放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
 今日も聖書を開いて参りましょう。雅歌3章5節から「愛がそうしたいと思う時までは」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。

 雅歌はヘブル語ではシール・ハ・シリーム、直訳すれば「歌の中の歌」です。ヘブル語では単語を二度繰り返すと最上級になるので、「最も優れた歌」という意味になります。伝統的にユダヤ人はこの書をイスラエルに向けられた神の愛を主題としていると考えてきましたし、キリスト教会でも教会に対するキリストの愛を伝えるものとして読んできました。

 著者は一般にソロモンと考えられていて、ソロモンとその相手方の女を主役とした恋愛劇の詩となっています。そこでどの節が誰の台詞(せりふ)なのかを注意しながら読んでいくことが大切です。今日読んだ箇所は相手方の女性の台詞になりますね。

 少し背景を説明すると、深く強い恋愛関係を求め合う男性と女性の思いが初めに語られていきます。そのような衝動性を伴う恋愛感情に女性は慎重で、「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。」と語っているわけです。つまり言いたいことは、愛というのは関係の中に自然に目覚めるもの、育ってくるもの、実を結ぶ時を要するものだということです。時と共に深みを増し、いつしか二人は結びあっていると気づかされるものなのです。ことさら意図的に関係を作り出そうとして作り出すものではないということですね。

 神と人の関係も同じです。こうして毎日聖書を読みながら自然に育ってくるものがあるのです。かの宗教音楽家バッハはこの雅歌をもとにカンタータ140番『目覚めよとわれらに声が呼びかける』を作曲しました。バッハはイエスと私たちとの関係を歌う霊的な歌としてこれを作ったのですが、それはやがて天に迎えられる時までに私たちと神との愛の関係が深められて行く素晴らしさを歌っています。神との愛も自然に育つものであることを覚えて聖書を読み続けたいものですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.4.22放送でのお話より )

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■主イエスを信じなさい / 板倉邦雄

2020年06月23日 | Weblog

2020/4/28放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「主イエスを信じなさい」という題でお話ししましょう。

 「信じる者は救われる」と信心の大切さを子どもの頃から親に言われました。しかし何を信じるのか、誰を信じるのか、その信仰の相手、対象については教えられませんでした。使徒の働き16章の続きです。

 パウロとシラスはピリピの町で獄中の人となってしまいました。「ローマ人が採用も実行もしてはならない風習を二人が宣伝していた」からであります。でも本当のところは、訴えた人たちの利益が二人によって損なわれたからでしたね。

 さて、真夜中の頃でした。パウロとシラスの二人は獄中で神に祈り、神への賛美の歌を歌い続けていました。囚人たちは彼らの賛美の歌声に耳を澄まして聴き入っていたのです。旧約聖書の詩篇に節をつけて歌っていたのではないでしょうか。「わが魂よ主を誉めたたえよ。私は生ける限り主をほめたたえ、わが神をほめ歌おう。」

 その時でした。突然グラグラと大揺れの地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、扉は全部たちまち開いて、囚人を縛る鎖も解けてしまったのです。牢獄の看守人はびっくりして目を覚ましました。牢獄の扉が全壊しているのを見て、看守は囚人人たちが逃げ出してしまったと思い込み、剣を抜いて自害しかけたのです。そこでパウロは大声を上げました。「自害してはいけない。私たちは皆ひとり残らずここにいる。」 すると牢獄の看守は灯を手にして獄中に駆け込んできました。そしておののき恐れながらパウロとシラスの前にひれ伏したのです。

 それから二人を獄中の外に連れ出して言いました。「先生方、私は救われるために何をすべきでしょうか。」 二人は答えました。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」

 看守は真夜中にもかかわらず二人を引き取ってその打ち傷を洗ってやりました。パウロとシラスの二人は看守とその家族一同とに神のことばを語って聞かせました。するとその場で看守はイエス・キリストを信じました。そしてその家族も一人残らずバプテスマ・洗礼を受けたのです。

  (PBA制作「世の光」2020.4.28放送でのお話より ) 

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■パイオニア創業者・松本望 / 岩井基雄

2020年06月22日 | Weblog

2020/4/20放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第3週の月曜日の今日は、マルコの福音書から、塩気を保つ人生の祝福をご一緒に考えてみましょう。

 どんな食事も塩気は重要ですね。塩気を失うと、どんなものも味気ないものとなってしまいます。私たちの人生にもピリッとしまった塩気はとても重要ですね。キリストがはこの地上を歩まれた時代、キリストは彼の元に集まってきた人々そして弟子たちにこう語りました。
 「塩は良いものです。しかし、塩に塩気がなくなったら、あなたがたは何によってそれに味をつけるでしょうか。あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。
      新約聖書 マルコの福音書9章49節、50節

 キリストはご自身に従う弟子たちに「塩気を保ちなさい」と語りました。それはきよさを保ち、腐れから離れるというチャレンジでした。この直前にキリストは、「人はみな、火によって塩気をつけられます。」(マルコの福音書 9章49 節 )と語っています。燃える火に例えられているのは苦難や試練のことです。様々な困難な状況や悩みを通して私たちは塩気を保つ真実な歩みへと導かれていくのですねえ。

 また塩にはこの腐れを防ぐという働きだけではなく、食事に味をつけ、またミネラル豊かな塩は栄養を補う働きもしました。更に塩は時間によっても火によっても品質が損なわれにくいので大切な契約にも用いられる貴重なものだったのです。

 塩気を保つ人生は、自らを豊かにするよりも自分の存在をなくし溶け込んで他の存在に影響を与えます。すなわち、塩気を保つ人生は周りの人々に豊かな祝福を与えていくのです。

 また聖書の他の箇所には、「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。」(コロサイ人への手紙4章6節 )とあります。どんな会話も相手に対する尊敬と親切そしてきよさと知恵に満ちるものとし、周りの方々に神の祝福を届けるものとさせていただきたいと願っています。キリストが私たちに求める塩気を保つ人生は、神の愛に裏づけられ私たちを平和に導くのです。

 聖書のことば
  「あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。
           マルコの福音書 9章50節

  (PBA制作「世の光」 2020.4.20放送でのお話より ) 
 
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■私たちの復活 / 羽鳥頼和

2020年06月20日 | Weblog

2020/4/18放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今週は先週に引き続きイースター・スペシャルをお送りしてきました。今日はその最後のお話です。

 イースターとは、キリストの復活を記念する時のことです。
 今週の日曜日、キリスト教会ではキリストの復活を記念する礼拝が行われました。キリストの復活は教会にとって最も重要な出来事です。今日はそのキリストの復活について新約聖書のエペソ人への手紙の2章からお話します。

 エペソの2章ではまず「あなたがたは自分の罪の中で死んでいた者であり、・・・生まれながらにして神の御怒りを受けるべき者でした。」(参照1節、3節)と教えています。
 聖書は、人は自分の罪の中に死んでいる、と教えているのです。
 罪とは、神に従わずに自分勝手に生きることです。神との関係において、神から離れている状態を言います。そのような者は神の怒りを受けるべき者なのです。

 そしてエペソの手紙はこう語ります。
 「しかし、憐れみ豊かな神は、・・・そむきの中に死んでいた私たちをキリストと共に生かしてくださいました。」(参照4節、5節)
 神は罪の中に死んでいた私たちを復活されたキリストと共に生かしてくださったのです。これはキリストによる私たちの復活です。

 このように神はキリストによって人に救いを与えてくださるのです。神は私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに私たちをキリストと共に生かしてくださいます(参照4節、5節)。
 先週のお話で、キリストの十字架に神の大きな愛が現わされていることをお話ししました。それと同じように、キリストの復活にも神の大きな愛が現わされているのです。

 しかしキリストによって自動的にすべての人が救われるのではありません。キリストによる救いは神の恵みです。人はその神の恵みとしてのキリストによる救いを受け取らなければいけないのです。この恵みを受け取るためにはキリストを信じなければなりません。神はキリストを信じる者を救ってくださいます。救い主である神の御子キリストを信じて神の救いをいただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」 2020.4.18放送でのお話より )
 
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