♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■特別に愛された弟子ヨハネ / 大嶋重徳

2019年05月25日 | Weblog
2019/4/25放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今週はイースターを迎えました。イエス・キリストの十字架と復活の喜びの時を迎えています。聖書にはこれらのことについて、「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(ヨハネの福音書21章24節)とあります。
これらのこと」とはいったい何でしょうか。それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストの復活を証しした者たちがいました。復活の事を書き記した者たちもいました。復活の証しが真実であることを繰り返し繰り返し語り続けたものたちがいました。それがイエス・キリストの弟子であったのです。

 イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネは自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現しました。特別、自分はイエス様に愛されていると思っていたのでしょう。他の弟子からすると、いやいや自分だけ厚かましいだろう、と思ったかもしれません。しかしヨハネは、人はどう思うかなどは関係がなかったのです。他の誰よりも自分はイエス様に愛されたという思いがイエス様を証しさせたのだと思います。

 実は私もまたそう思っています。私はイエス様に愛されているなあ、と厚かましいかもしれませんが他の誰よりも多めに愛してもらっていると思います。きっとラジオの前の皆さんの中でも同じように思っておられる方がおられるかもしれません。イエス様はそのようにイエス・キリストに従う者たちをことさらに愛されるのです。特別に愛されたという記憶は私たちの心を温かくします。

 私には姉と妹がいますが、ある時、父が姉も妹も連れて行かず私だけを特別に喫茶店に連れてってくれました。そしてそこでヨーグルトパフェを食べさせてくれたのです。「おねえちゃんと妹には秘密だぞ」と言って。何という特別な味がしたでしょうか。ああ、おお父さんは僕を特別に大切に思ってくれている、と心が温かくなり、その時のブルーベリーソースの色は今も覚えています。あとで聞くと姉も妹も同じように連れて行ってもらったようでしたが。

 復活されたイエス様が私のそばに現れてくれた・・・この特別な喜びが弟子たちの中で爆発したのです。この目撃を伝えずにはいられなかったのです。どれだけいのちが狙われて秘密にしておくようにと言われても、ヨハネは語らずには書かずにはいられなかったのです。それだけの特別な愛の記憶が弟子たちにはありました。

 今朝もあなたを特別に愛してくださるイエス様の愛が注がれています。その目撃者にあなたもぜひなってください。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.25放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



■十字架の目撃者 アリマタヤのヨセフ / 羽鳥頼和

2019年05月25日 | Weblog
2019/4/20放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 世の光では二週にわたってイースター・スペシャルをお送りしています。今週はキリストの十字架の目撃者に焦点を当ててお話をしています。今日はキリストの十字架の目撃者であるアリマタヤのヨセフのことをルカの福音書からお話しします。

 ルカの福音書は十字架につけられたイエスが大声で「父よ、わたしの霊をあなたの御手に委ねます」と言って息を引き取られたことを語っています。その現場にアリマタヤのヨセフがいました。ルカの福音書は、彼がユダヤの最高法院の議員で善良で正しい人であったと語っています。そして彼がユダヤ人の町アリマタヤの出身で神の国を待ち望んでいたことを語っています。彼は信仰深い人だったのです。福音書はそんな彼が議員たちの計画や行動には同意していなかったと教えています。議員たちの計画と行動とはイエスを殺すことでした。議員たちはイエスを妬んで殺そうと計画しました。自分たちに死刑を執行する権限が無いので、ローマの総督ピラトにイエスを訴えて死刑にしようとしたのです。ヨセフはそれに同意していませんでした。しかしイエスは十字架で殺されてしまったのです。ヨセフはイエスを葬ろうとしました。それで総督ピラトにイエスの身体の下げ渡しを願い出ました。その願いは聞き入れられ、彼はイエスの身体を十字架から降ろして、亜麻布で包み、まだ誰も葬られていない岩に堀った墓に納めたのです。

 イエスは本当に十字架で死なれました。しかしその事は絶望ではありません。使徒ペテロはイエスの十字架が人の救いであると教えています。聖書のことばをお読みします。

 「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
  それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。

       新約聖書 ペテロ手紙第一 2章24節

  明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.4.20放送でのお話より )
 
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が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■百人隊長 / 関根弘興

2019年05月24日 | Weblog
2019/4/19放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は十字架で釘づけされたイエス・キリストのことをお話をしたいと思います。

 この十字架刑はローマ帝国で行われた処刑の中で最も残酷なものでした。処刑される囚人は自分の十字架を担いで処刑場まで行き、そして両手両足を釘づけされ放置されるのです。ローマ兵は囚人を殺さない限り何をしても許されたと言われます。ですから十字架につけられる前に殴る蹴るは当たり前で、ローマ兵は、お前をこうして痛めつけることは十字架につけられた時に早く死ねるためだ、ありがたいと思え、と うそぶくこともあったのです。囚人たちは苦痛と絶望と恐怖の中で、命が絶えるまで十字架に吊るされていました。

 イエス様が十字架につけられた時も同じようにローマの兵隊たちはイエス様をいたぶり、イエス様はご自分の十字架を背負って処刑場に行きました。聖書には、この処刑場にはローマの兵隊である百人隊長がいたと書かれています。その名が示すように、ローマの軍隊の歩兵100人の指揮官でした。彼はイエス様の刑の執行のために責任を任せられた人だったかもしれません。彼はこれまでも何人もの処刑に立ち会ったことでしょう。叫びと呪いの声を上げながら処刑されていく多くの囚人たちの姿を見てきたはずです。ま、多分今回も何か世界を騒がせた男が処刑されるのだろうと思っていただけかもしれません。しかし十字架につけられたイエス・キリストの姿はこれまで彼が見たことのない光景だったのです。イエス様は、自分を釘づけした者たちに、「父よ彼らを赦したまえ。彼らは自分のしていることが分からないのです。」(ルカの福音書23章34節参照)と祈っているではありませんか。また自分の隣で処刑された犯罪人に、「今日、あなたはわたしと一緒にパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章43節参照)と約束されているのです。十字架の苦しみの中で何一つ呪いの声を上げることなく、「完了した。成し遂げた。」(ヨハネの福音書19章28節、30節参照)と言われ、息を引き取られました。百人隊長はイエス様の毅然として苦しみを受けられる姿を見て、「この方は本当に神の子であった。」(マタイの福音書27章54節、マルコの福音書15章39節)と告白したのです。

 イエス様の十字架は人々の罪を背負う身代わりの十字架でした。だから私たち一人ひとりも百人隊長の告白と同じように、「この方こそ神の子であり救い主である」と告白する者とされていきましょう。

     (PBA制作「世の光」2019.4.19放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■特別に愛された弟子ヨハネ / 大嶋重徳

2019年05月23日 | Weblog
2019/4/25放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今週はイースターを迎えました。イエス・キリストの十字架と復活の喜びの時を迎えています。聖書にはこれらのことについて、「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(ヨハネの福音書21章24節)とあります。
これらのこと」とはいったい何でしょうか。それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストの復活を証しした者たちがいました。復活の事を書き記した者たちもいました。復活の証しが真実であることを繰り返し繰り返し語り続けたものたちがいました。それがイエス・キリストの弟子であったのです。

 イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネは自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現しました。特別、自分はイエス様に愛されていると思っていたのでしょう。他の弟子からすると、いやいや自分だけ厚かましいだろう、と思ったかもしれません。しかしヨハネは、人はどう思うかなどは関係がなかったのです。他の誰よりも自分はイエス様に愛されたという思いがイエス様を証しさせたのだと思います。

 実は私もまたそう思っています。私はイエス様に愛されているなあ、と厚かましいかもしれませんが他の誰よりも多めに愛してもらっていると思います。きっとラジオの前の皆さんの中でも同じように思っておられる方がおられるかもしれません。イエス様はそのようにイエス・キリストに従う者たちをことさらに愛されるのです。特別に愛されたという記憶は私たちの心を温かくします。

 私には姉と妹がいますが、ある時、父が姉も妹も連れて行かず私だけを特別に喫茶店に連れてってくれました。そしてそこでヨーグルトパフェを食べさせてくれたのです。「おねえちゃんと妹には秘密だぞ」と言って。何という特別な味がしたでしょうか。ああ、おお父さんは僕を特別に大切に思ってくれている、と心が温かくなり、その時のブルーベリーソースの色は今も覚えています。あとで聞くと姉も妹も同じように連れて行ってもらったようでしたが。

 復活されたイエス様が私のそばに現れてくれた・・・この特別な喜びが弟子たちの中で爆発したのです。この目撃を伝えずにはいられなかったのです。どれだけいのちが狙われて秘密にしておくようにと言われても、ヨハネは語らずには書かずにはいられなかったのです。それだけの特別な愛の記憶が弟子たちにはありました。

 今朝もあなたを特別に愛してくださるイエス様の愛が注がれています。その目撃者にあなたもぜひなってください。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.25放送でのお話しより )

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■十字架を目撃した弟子ヨハネ、そしてわたしも… / 大嶋重徳

2019年05月23日 | Weblog
2019/4/18放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今月はイースターを迎える一ヶ月を過ごしています。

 聖書にはイエス・キリストの十字架について、「それを目撃した者が証しをしているのである。その証しは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために真実を話すという事をよく知っているのである。」(ヨハネの福音書19章35節参照)と記します。ではキリストの十字架を目撃した者は何をそこで目にしたのでしょうか。それはキリストの十字架の死の光景でした。イエス・キリストは十字架の上で、本来私たちが受けなければならない罪の裁きを身代わりに受けてくださったのです。そして十字架の上でイエス・キリストは叫ばれました。「完了した」(ヨハネの福音書19章30節)と。・・・あなたの罪のさばきは完了したよ、あなたが罪に苦しみ人生から罪赦され、喜びに満ちた人生を始めるための十字架は完了したよ。私たちは自分で自分の罪をどうすることもできません。

 私は自分の罪深さの現実に何度も幻滅し続けました。今もまたそうです。いい人になりたいと思っても、優しい父親になりたいと思っても、自分の中に生まれて来る自己中心の思い、高慢な思い、人への妬み、自分の口から出るのは愛のことばではなく人を傷付けることばばかりです。私はありのままのあなたが素晴らしいというブームが苦手というか嫌いなんです。ありのままの私は何にも素晴らしくなんかありません。どこまでもどこまでも罪人なんです。聖書はその人間の罪に目をつぶらずにはっきりと語ります。あなたは罪人だ、と。この聖書の潔さに私はほっとしたことがありました。ああ聖書の神様は私の醜さ弱さを知っていてくれるんだな。この神様の前でいい格好をしても全てがばれているんだな、とほっとしたんです。そしてそんな罪人の私を神様は見捨てる事をしませんでした。自分の罪を解決する事ができないからこそ神様が解決しようとしてくださったのです。完了したよ、あなたの罪の赦しは完了したよ、もういい人の振りをして自分を苦しめなくてもよいのだ。神様はそう語りかけてくださるのです。私もまたキリストの十字架の目撃者の一人です。もちろん2000年前の十字架の場所にいた訳ではありません。しかしこの十字架の愛と赦しを受けた目撃者なのです。赦しの完了した自分がラジオでこの証しをしているのです。

 あなたもこの目撃者に変わりたいと願うとき、「完了した」という声が十字架の上からあなたの元へ聞こえて来るのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.18放送でのお話しより )

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■十字架の目撃者:十字架上の二人の強盗 / 福井 誠

2019年05月22日 | Weblog
2019/4/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
  今日は受難週の特別メッセージ ルカの福音書23章39節から43節、から「十字架の目撃者:十字架上の二人の強盗」と題してメッセージをいたします。では聖書を開いてまいりましょう。ルカの福音書23章43節から。
 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
 
 さて、イエスがゴルゴタの丘で十字架にかけられた時、二人の強盗もまた一緒に十字架に磔にされていました。イエスは朝9時に十字架につけられたと言われますが、この23章の出来事はそのもう少し後のことだったのでしょう。十字架刑の死因は窒息死であったとも言われます。十字架に磔られた身体の重みで腕や胸の筋肉が硬直し呼吸が制限される、やんわりと首を絞められた状況が続き、やがて死んでいくとされます。

 そんな苦しみの中でイエスの両脇に磔にされた一方の強盗は最後まで悔い改めず、イエスに悪態をついて自分を救うように求めました。しかし、もう一方の強盗はイエスを救い主として認め、信仰をもって見上げ、自分の死後の運命について神の憐れみを求めたのです。悪事を働き、十字架刑に値すると判決をくだされた人間が死の間際に神の憐れみを求めて天国に生きたいなど虫が良すぎる話のようにも思います。ただ自分がもしこの強盗だったら、その身勝手な気持ちも分からないわけでもないと思いますねえ。そしてどうでしょう、イエスは悔い改めたこの罪人に憐れみを示されたのです。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と。

 実にイエスは憐れみ深い神を示していますが、それ以上に心を打つのは、まさに十字架で息絶えようとし全く人のことを考える余裕すらないと思われる状況で、イエスが身勝手な強盗の願いに耳を傾け慰めを与えたことです。イエスは絶命のまさに最後まで自分が卑しめられる極限においても救い主としての生涯を全うされました。イエスはまことの救い主、まことに神の愛を語り伝える伝道者でした。このような正しい方がこの世におられたことに私は感動を覚えます。

 今日もこのイエスにこそ信頼を寄せて、神の憐れみの中に歩ませていただきたいものです。
 では良き一週を祈ります。
  
 (PBA制作「世の光」2019.4.17放送でのお話より )

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■クレネ人シモン / 板倉邦雄

2019年05月21日 | Weblog
2019/4/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「クレネ人シモン」という題でお話しします。
 
 初めにマルコの福音書15章21節を朗読します。
 「兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。

 今日は十字架の目撃者であり、何とイエス様の十字架を担いで刑場まで行ったクレネ人シモンのお話です。さて、ローマの兵隊たちはイエスに茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳!」とののしり、からかい、敬礼をしました。また葦の棒でその頭をたたき、つばきを吐きかけ、膝まずいて拝んだりもしました。こうしてイエスを嘲笑し愚弄した挙げ句、イエスを十字架につけるために引き出しました。

 その日、エルサレムの都は過越し祭りの真っ最中でした。外国からも多くのユダヤ人たちがエルサレムの都に巡礼に来ていたのです。ですから沿道にはたくさんの人々がイエスの十字架を見学していました。イエスは昨日からの拷問や鞭打ちによって痛みと疲れのため途中でイエスは倒れてしまったのです。

 するとそこへたまたま北アフリカのクレネ出身のシモンがローマ兵隊の目にとまりました。背が高くがっしりしてて屈強そうな男でした。ところが、ローマ兵隊の目にとまったのです。「おい、そこの男。こっちに来い。この男の代りに十字架の丸太を担いで刑場まで運べ。命令だ。」と無理やりにイエスの十字架を背負わされたのです。シモンは嫌々ながらイエスの十字架を担いでイエスの後に従いました。やがてクレネ人シモンは自分の十字架を背負ってイエス・キリストの後に従うキリスト信徒になります。無理やり背負わされたイエスの十字架を自分から進んで背負います。二人の息子アレクサンドロとルフォスもイエスに従った信徒になったことが分りますね。シモンは十字架の下に立ちました。そしてイエスに出会ったのです。敵のために祈るイエスの祈りに心が開かれていきました。

  (PBA制作「世の光」2019.4.16放送でのお話より )

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■十字架の目撃者 ピラト / 岩井基雄

2019年05月20日 | Weblog
2016/4/15放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 今日はキリストの十字架の目撃者の一人ピラトについて学んでみましょう。

 当時イスラエルはローマに支配されており、死刑執行にはローマの許可が必要でした。それゆえユダヤの裁判でキリストを、神を冒涜した罪で有罪とした後、ユダヤ当局者たちはキリストをローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに連れて行きました。彼らは様々な理由でキリストの有罪を主張しましたが、ピラトは全く認めず、三度もキリストの無罪を主張したのです。キリストとの対話の中で、キリストが語る真理について自らも尋ねます。そして彼は何とかしてキリストを釈放しようと試みたのです。ユダヤ人たちの満足のためにイエスを鞭で打つように命じ、また過越しの祭りの恩赦を用いて、人殺しで捕えられていたバラバを引き合いに出し、キリストを助けようとしたのです。ところがユダヤの人たちは大声で、バラバの釈放、キリストの処刑を要求しました。しかも人々はピラトに向かって、「この人を釈放するのなら、あなたはカエサルの友ではありません。」(ヨハネの福音書19章12節)と語りました。その声はピラトに正義よりも自分の政治生命を優先させました。そしてピラトは罪のないキリストを彼らに引き渡したのです。

 自分の保身のために正義を捨てる罪の姿を私たちは笑うことができませんね。私たちも自己中心な罪深い人間なのです。しかしキリストはこのピラトのためにも、そして私たちのためにも十字架にかられ、肉体的・精神的な苦しみだけではなく、父なる神様から完全に捨てられるという霊的な苦しみをすべて味わわれたのです。キリストの十字架の罪状書きには、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」(ヨハネの福音書19章19節)とありました。それはピラトが書かせたもので、彼の抵抗の一つであったでしょう。しかし文字どおりキリストは、ユダヤ人の王として、またすべての人の王として、キリストを信じるすべての人にいのちを与える権威を持っておられるのです。

 聖書のことば
 「この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。
   新約聖書 ヨハネの手紙第一2章2節

 あなたの人生として救い主キリストを受け入れ、新しい歩みを始めていきませんか?
 キリストはあなたのために十字架にかかられたのです。
  (PBA制作「世の光」 2019.4.15放送でのお話より )
 
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■サウルがイスラエルの王になる / 羽鳥頼和

2019年05月18日 | Weblog
2019/4/13放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 第一サムエル記11章で語られているイスラエル人とアンモン人との戦いからお話しします。

 この頃、イスラエルの国は初めての王としてサウルを立てていました。しかしサウルを王と認めない人々もいました。そのような状況の中でこの戦いが起こったのです。アンモン人がイスラエル北部の町ヤベシュに対して陣を敷きました。ヤベシュの人々はアンモンの将軍に、「私たちと契約を結んでください。そうすればあなたに仕えます。」と言いました。ところがアンモンの将軍は、「お前たちみんなが自分の右の目をえぐれ取れば契約を結んでやろう。」と、ひどいことを言いました。ヤベシュの長老たちは7日の猶予を頼み、イスラエル中に助けを求めました。ヤベシュのことを聞いた人々は皆、ただ声を上げて泣きました。ところがサウル王がこのことを聞いた時、神の霊がサウルに降り、彼の怒りは激しく燃え上がりました。すぐにサウルは国中にお触れを出して戦う人々を呼び集めました。翌日すぐに、サウルは集まった兵を3組に分け、夜明けと共に敵の陣営に突入させました。こうしてサウルはその日の昼間の内にアンモン人を打ち負かしてしまいました。喜んだイスラエルの民は、「あなたをイスラエルの王と認めなかったやつらを殺しましょう。」と言いました。息巻く人々にサウルは言いました。「今日は誰も殺されてはならない。今日、神がイスラエルに勝利をもたらしてくださったのだ。」 これを聞いた人々は神に感謝していけにえを捧げました。こうしてサウルは晴れてイスラエルの王と認められたのです。

 サウルは自分の感情で怒ったのではありません。神の霊に支配されていたのです。神の霊に支配されたサウルは冷静に速やかに王として戦うことができました。彼が神の霊に導かれることができたのは、彼に神に従う信仰があったからです。神の霊は今も神を信じて従おうとする人を助け導いて、神にふさわしい良い行いをさせてくださるのです。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.4.13放送でのお話より )
 
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■あなたを満たすいのちのパン / 関根弘興

2019年05月17日 | Weblog
2019/4/12放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘に行かれた時のことでした。大勢の人たちがイエス様につき従ってきました。その数は男の数だけで五千人に膨れあがっていました。イエス様がこの群集に対してお腹が一杯になるほどの食べ物を満たしてくださいました。しかしそこには有り余る食料があった訳ではありませんでした。何と、少年が差し出した五つのパンと二匹の魚があっただけでした。どう考えてもこの群集を養うことができる量ではありませんでした。しかしイエス様は群衆をその場所に座らせ、このパンを弟子たちが配り始めると、何と人々が満腹し、余ったパン切れを集めると、12かご一杯になるほどだったというのです。

 さて、この素晴らしい奇跡を体験した群衆は、このイエスこそ私たちが待ち望んでいたあのモーセのような預言者に違いない、と考え始めたんです。ま、彼らは、イエス様は病を癒してくださるし、パンを与えてくださるし、ま、これからこのイエスについていったら食いっぱぐれがないと考えたかもしれませんね。彼らにとってはイエス様は困った時、何でも助けてくれる、まるで便利屋のように考えた訳です。ですからもし自分の期待通りにいかなかったり、自分に都合が悪くなると、すぐにイエス様から離れてしまう人たちでした。

 実はこのような姿はいつの時代でもあるんですねえ。あなたはいかがですか? ぜひ知っていただきたいことがあります。私たちがイエス様をただ自己目的のために利用しようとしたり、まるでイエス様を困った時に、あの魔法のランプのような存在にしか見ていないなら、それは決して正しいことではありません。イエス様は、この群衆に五つのパンと二匹の魚を持って彼らのお腹を満腹させくださいましたが、それはイエス・キリストこそ私たちの人生の空腹を満たす方だということを教えているということでもあるんですねえ。

 イエス・キリストはヨハネの福音書の6章47節(、48節、51節)でこう語っています。
 「まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。わたしはいのちのパンです。・・・ わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。

 イエス・キリストは永遠の救いといういのちのパンをあなたに与えることがおできになる方なのですね。
     (PBA制作「世の光」2019.4.12放送でのお話しより)

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