♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ペテロ / 関根弘興

2019年05月31日 | Weblog
2019/4/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今週はイエス・キリストが十字架につけられ三日目に復活されたその事の意味を考え、イエス様の復活の目撃者たちのことを聖書から見ていきたいと思います。

 イエス・キリストが十字架につけられ墓に葬られ、三日目になった時です。その朝、女たちは墓に出かけました。何とそこにイエス様の身体はありませんでした。そして御使いが現れ、こう告げるのです。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」 この御使いのことばを聞くと女たちは急いで仲間たちに報告しました。しかしある者たちは、いやそれはもうたわごとのように思えましたし、彼女たちのことばをなかなか信じることができなかったのです。しかしペテロはこの報告を受けた時、すぐに立ち上がり、走って墓に行き、かがんで覗き込むと、亜麻布だけが残っているのを見たのです。

 ご承知の通り、イエス・キリストの筆頭弟子であったペテロは、イエス様が逮捕される前、「あなたのためなら死さえ覚悟しています。私はあなたを知らないなどと決して言いません。」と言っていた弟子ですよね。しかしペテロはいとも簡単に、イエス様を三度も、「知らない」と否定してしまいました。彼の心には後悔と惨めな自分の姿そして虚無感が覆っていたはずです。イエス・キリストは十字架につけられてしまった。ああこれで夢も希望もない、と思っていたかもしれません。しかしイエス様はご自分で何度も、復活されるということを弟子たちに告げていました。しかし彼らの心には目の前の十字架のイエス様の死つまり絶望にしか見えていませんでした。しかし三日目にイエス・キリストは復活されたのです。ペテロはいてもたってもいられませんでした。すぐに墓に行って確かめたいと思ったのです。そしてその墓は空っぽだったのですね。そしてその後、復活されたイエス様は弟子たちの前に現れてくださいました。

 イエス・キリストはよみがえられたという事実は、そのあとの彼らの人生を180度変えていきました。そして十字架につけられる前に言われたイエス様のことばが約束が次々と思い出されていったのです。イエス様の復活は死を打ち破るいのちがあることを保証します。そしてイエス・キリストを信じる一人ひとりがこのいのちに生きることができることを約束するのです。主はよはよみがえられた、という事実はあなたの人生をも180度変える出来事なのです。
     (PBA制作「世の光」2019.4.26放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■特別に愛された弟子ヨハネ / 大嶋重徳

2019年05月30日 | Weblog
2019/4/25放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今週はイースターを迎えました。イエス・キリストの十字架と復活の喜びの時を迎えています。聖書にはこれらのことについて、「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(ヨハネの福音書21章24節)とあります。
これらのこと」とはいったい何でしょうか。それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストの復活を証しした者たちがいました。復活の事を書き記した者たちもいました。復活の証しが真実であることを繰り返し繰り返し語り続けたものたちがいました。それがイエス・キリストの弟子であったのです。

 イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネは自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現しました。特別、自分はイエス様に愛されていると思っていたのでしょう。他の弟子からすると、いやいや自分だけ厚かましいだろう、と思ったかもしれません。しかしヨハネは、人はどう思うかなどは関係がなかったのです。他の誰よりも自分はイエス様に愛されたという思いがイエス様を証しさせたのだと思います。

 実は私もまたそう思っています。私はイエス様に愛されているなあ、と厚かましいかもしれませんが他の誰よりも多めに愛してもらっていると思います。きっとラジオの前の皆さんの中でも同じように思っておられる方がおられるかもしれません。イエス様はそのようにイエス・キリストに従う者たちをことさらに愛されるのです。特別に愛されたという記憶は私たちの心を温かくします。

 私には姉と妹がいますが、ある時、父が姉も妹も連れて行かず私だけを特別に喫茶店に連れてってくれました。そしてそこでヨーグルトパフェを食べさせてくれたのです。「おねえちゃんと妹には秘密だぞ」と言って。何という特別な味がしたでしょうか。ああ、おお父さんは僕を特別に大切に思ってくれている、と心が温かくなり、その時のブルーベリーソースの色は今も覚えています。あとで聞くと姉も妹も同じように連れて行ってもらったようでしたが。

 復活されたイエス様が私のそばに現れてくれた・・・この特別な喜びが弟子たちの中で爆発したのです。この目撃を伝えずにはいられなかったのです。どれだけいのちが狙われて秘密にしておくようにと言われても、ヨハネは語らずには書かずにはいられなかったのです。それだけの特別な愛の記憶が弟子たちにはありました。

 今朝もあなたを特別に愛してくださるイエス様の愛が注がれています。その目撃者にあなたもぜひなってください。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.25放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



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■復活の目撃者 トマス / 福井 誠

2019年05月29日 | Weblog
2019/4/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
  今日は受難週の特別メッセージ。ヨハネの福音書20章24節から29節から「復活の目撃者トマス」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。では聖書を開いて参ります。ヨハネの福音書20章29節から。
 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

 今日はイエスの復活の目撃者であるトマスについてお話をしたいと思います。イエスが復活されたあと弟子たちが集まっていました。そこに再びイエスが現れたのですが、トマスという弟子だけが不在だったのです。彼はあとでその事を知らされてもなかなか皆の言うことを受け入れることができずにいました。しかし、弟子たちとトマスが議論している所に再びイエスが現れ、トマスは「見ずに信じる者は幸いです。」と(イエスから)語られるのです。

 イエスの復活はなかなかトマスのみならず現代の科学的合理的な考え方に慣れた私たちにも受け入れがたいものですねえ。誰もが、そんなことがあるなら自分の目で見て確かめたいと思うものではないでしょうか。ただ、考えてみればこの世の中には科学的合理的に確かめられなくても信じなければならないものは多いものです。

 例えば、『走れメロス』という小説を小さな頃に読んだことのある人はいるでしょう。正義感の強いメロスが王様に歯向かった咎で捕まえられて処刑が決定しますが、妹の結婚祝いのために執行猶予を求めて友人を身代わりに立てて故郷まで走って戻って帰って来る物語ですね。果たして妹の結婚式を終えて処刑場までメロスは戻るんだろうか。メロスの誠実さと葛藤を描いた物語に感動した人は多いことでしょう。メロスが戻って来るかどうか、誰もそれは証明できませんでした。けれどもメロスの友だちは、ただメロスの誠実さを信じて待ち続けたのです。

 それと同じで、証明できないもの、信ずべきものはこの世の中、人生に多くあるものですねえ。人間の愛はもちろんのこと、神様の愛、祝福、死後のいのち、それらは証明されなくても信ずべきものです。いやむしろ、それらが自分の力では得られず、ただ主にすがるほか得られないものだと分かれば、信じようという気持ちにもなるのではないでしょうか。
 では良き一週を祈ります。
  
 (PBA制作「世の光」2019.4.24放送でのお話より )

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■エマオ途上の二人 / 板倉邦雄

2019年05月28日 | Weblog
2019/4/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「エマオ途上の二人」という題でお話ししましょう。
 
 復活の目撃者として昨日はマグダラのマリヤと女たちでしたねえ。今日はエルサレムからエマオ村へ向かう二人の弟子に復活されたイエスが現れたことです。

 さて二人の弟子はエマオ村への途上、イエスの出来事を論じ合っていました。イエスの出来事とはイエスが十字架に磔になったこと、そして三日目になってイエスは生きているという噂になったこと、イエスの墓は空っぽだったということでした。
 二人がこれらの出来事を語り合っている所に復活されたイエスが近づいて来られて、二人の弟子たちと歩き始められたのです。ところが二人の目が遮られていてイエスを認めることはできませんでした。するとイエス様の方から二人の弟子に語りかけられたのです。
 「歩きながら語り合っているその話は何のことですか?」

 すると二人の内のクレオパという弟子が答えました。「あなたはエルサレムに泊まっていながらこの都で起こったことを御存知ないのですか?」

 「それはどんなことですか?」 

 すると二人は三日前から起こったナザレ人イエスの出来事を語りました。

 そこで復活のイエスは嘆きながら言われたのです。
 「ああ、愚かで心の鈍いため旧約聖書の預言者たちが説いたすべてのことをあなたがたは信じられないのですか? キリスト・救世主は必ず苦難を受けて復活して栄光に入るはずではなかったのですか? 」 

 こう言って復活のイエスは旧約聖書全体に渡り、ご自身について書いてある事柄を説き明かされたのです。

 ところで、二人の弟子たちは強いてイエスを引き留めて、そして一緒に食卓に着かれた時です。復活のイエスはおもむろにパンを取り、感謝し、祝福して割き、二人の弟子に渡されました。その時です。二人の目が開けてその方が復活されたイエスであることが分かったのでした。

 私たちも二つのことによって復活のイエスに今日出会うことができます。一つは聖書全体の説き明かしを聞くことと、教会でパンと杯を受けることです。

  (PBA制作「世の光」2019.4.23放送でのお話より )

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が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■マグダラのマリアとキリスト / 岩井基雄

2019年05月27日 | Weblog
2016/4/22放送

 世の光の時間です。イースターおめでとうございます。岩井基雄です。

 先週の月曜日からお送りしているイースター・スペシャル。今年は、目撃された十字架と復活をテーマにお送りしています。よみがえられたキリストに最初に出会ったのはマグダラのマリアでした。彼女はかつて悪しき霊に捕らわれていて苦しんでいたのですが、キリストによって真の解放と自由に生かされていた女性でした。キリストが十字架につけられた時、彼女はその足元にいたのです。キリストの死体が降ろされ墓に葬られた時も、彼女は他の女性たちと一緒に見届けました。そして安息日が明けた日曜の朝、彼女は他の女性たちと共にキリストの葬りを完成するため香油を持って墓に行きました。しかし墓に到着すると、墓の入り口に神の御使いがいて、キリストの身体はここには無く、死からよみがえらた事、そしてその事を弟子たちに告げるように、と語ったのです。マグダラのマリア以外の女性たちは御使いが言う通りに弟子たちの所に走って行きました。しかしマリアはそこに立ちすくんでしまいました。どうしてよいか分からなかったのでしょう。その後のことが聖書にこう書いてあります。
 彼女は・・・うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。
 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」
 彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
 イエスは彼女に言われた。「マリア。」
 彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。

    新約聖書 ヨハネの福音書20章14節から16節

 キリストの誕生の最初の証人は羊飼いでしたが、このマリアはキリストの復活の最初の証人とされました。マリアの喜びはどれほどだったでしょうか。神様は小さな者をも証し人として用いてくださるのです。よみがえられたキリストは失望や悲しみの中にいるあなたにも名前を呼んで語りかけてくださいます。「わたしはここにいる。あなたと共に生きている。あなたも希望と喜び、勝利の人生を歩んで欲しい。」と。

 あなたも勝利の人生をキリストと共に歩み始めてみませんか? キリストは死から復活し、よみがえってくださったのです。

  (PBA制作「世の光」 2019.4.22放送でのお話より )
 
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■特別に愛された弟子ヨハネ / 大嶋重徳

2019年05月25日 | Weblog
2019/4/25放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今週はイースターを迎えました。イエス・キリストの十字架と復活の喜びの時を迎えています。聖書にはこれらのことについて、「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(ヨハネの福音書21章24節)とあります。
これらのこと」とはいったい何でしょうか。それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストの復活を証しした者たちがいました。復活の事を書き記した者たちもいました。復活の証しが真実であることを繰り返し繰り返し語り続けたものたちがいました。それがイエス・キリストの弟子であったのです。

 イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネは自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現しました。特別、自分はイエス様に愛されていると思っていたのでしょう。他の弟子からすると、いやいや自分だけ厚かましいだろう、と思ったかもしれません。しかしヨハネは、人はどう思うかなどは関係がなかったのです。他の誰よりも自分はイエス様に愛されたという思いがイエス様を証しさせたのだと思います。

 実は私もまたそう思っています。私はイエス様に愛されているなあ、と厚かましいかもしれませんが他の誰よりも多めに愛してもらっていると思います。きっとラジオの前の皆さんの中でも同じように思っておられる方がおられるかもしれません。イエス様はそのようにイエス・キリストに従う者たちをことさらに愛されるのです。特別に愛されたという記憶は私たちの心を温かくします。

 私には姉と妹がいますが、ある時、父が姉も妹も連れて行かず私だけを特別に喫茶店に連れてってくれました。そしてそこでヨーグルトパフェを食べさせてくれたのです。「おねえちゃんと妹には秘密だぞ」と言って。何という特別な味がしたでしょうか。ああ、おお父さんは僕を特別に大切に思ってくれている、と心が温かくなり、その時のブルーベリーソースの色は今も覚えています。あとで聞くと姉も妹も同じように連れて行ってもらったようでしたが。

 復活されたイエス様が私のそばに現れてくれた・・・この特別な喜びが弟子たちの中で爆発したのです。この目撃を伝えずにはいられなかったのです。どれだけいのちが狙われて秘密にしておくようにと言われても、ヨハネは語らずには書かずにはいられなかったのです。それだけの特別な愛の記憶が弟子たちにはありました。

 今朝もあなたを特別に愛してくださるイエス様の愛が注がれています。その目撃者にあなたもぜひなってください。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.25放送でのお話しより )

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■十字架の目撃者 アリマタヤのヨセフ / 羽鳥頼和

2019年05月25日 | Weblog
2019/4/20放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 世の光では二週にわたってイースター・スペシャルをお送りしています。今週はキリストの十字架の目撃者に焦点を当ててお話をしています。今日はキリストの十字架の目撃者であるアリマタヤのヨセフのことをルカの福音書からお話しします。

 ルカの福音書は十字架につけられたイエスが大声で「父よ、わたしの霊をあなたの御手に委ねます」と言って息を引き取られたことを語っています。その現場にアリマタヤのヨセフがいました。ルカの福音書は、彼がユダヤの最高法院の議員で善良で正しい人であったと語っています。そして彼がユダヤ人の町アリマタヤの出身で神の国を待ち望んでいたことを語っています。彼は信仰深い人だったのです。福音書はそんな彼が議員たちの計画や行動には同意していなかったと教えています。議員たちの計画と行動とはイエスを殺すことでした。議員たちはイエスを妬んで殺そうと計画しました。自分たちに死刑を執行する権限が無いので、ローマの総督ピラトにイエスを訴えて死刑にしようとしたのです。ヨセフはそれに同意していませんでした。しかしイエスは十字架で殺されてしまったのです。ヨセフはイエスを葬ろうとしました。それで総督ピラトにイエスの身体の下げ渡しを願い出ました。その願いは聞き入れられ、彼はイエスの身体を十字架から降ろして、亜麻布で包み、まだ誰も葬られていない岩に堀った墓に納めたのです。

 イエスは本当に十字架で死なれました。しかしその事は絶望ではありません。使徒ペテロはイエスの十字架が人の救いであると教えています。聖書のことばをお読みします。

 「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
  それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。

       新約聖書 ペテロ手紙第一 2章24節

  明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.4.20放送でのお話より )
 
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■百人隊長 / 関根弘興

2019年05月24日 | Weblog
2019/4/19放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は十字架で釘づけされたイエス・キリストのことをお話をしたいと思います。

 この十字架刑はローマ帝国で行われた処刑の中で最も残酷なものでした。処刑される囚人は自分の十字架を担いで処刑場まで行き、そして両手両足を釘づけされ放置されるのです。ローマ兵は囚人を殺さない限り何をしても許されたと言われます。ですから十字架につけられる前に殴る蹴るは当たり前で、ローマ兵は、お前をこうして痛めつけることは十字架につけられた時に早く死ねるためだ、ありがたいと思え、と うそぶくこともあったのです。囚人たちは苦痛と絶望と恐怖の中で、命が絶えるまで十字架に吊るされていました。

 イエス様が十字架につけられた時も同じようにローマの兵隊たちはイエス様をいたぶり、イエス様はご自分の十字架を背負って処刑場に行きました。聖書には、この処刑場にはローマの兵隊である百人隊長がいたと書かれています。その名が示すように、ローマの軍隊の歩兵100人の指揮官でした。彼はイエス様の刑の執行のために責任を任せられた人だったかもしれません。彼はこれまでも何人もの処刑に立ち会ったことでしょう。叫びと呪いの声を上げながら処刑されていく多くの囚人たちの姿を見てきたはずです。ま、多分今回も何か世界を騒がせた男が処刑されるのだろうと思っていただけかもしれません。しかし十字架につけられたイエス・キリストの姿はこれまで彼が見たことのない光景だったのです。イエス様は、自分を釘づけした者たちに、「父よ彼らを赦したまえ。彼らは自分のしていることが分からないのです。」(ルカの福音書23章34節参照)と祈っているではありませんか。また自分の隣で処刑された犯罪人に、「今日、あなたはわたしと一緒にパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章43節参照)と約束されているのです。十字架の苦しみの中で何一つ呪いの声を上げることなく、「完了した。成し遂げた。」(ヨハネの福音書19章28節、30節参照)と言われ、息を引き取られました。百人隊長はイエス様の毅然として苦しみを受けられる姿を見て、「この方は本当に神の子であった。」(マタイの福音書27章54節、マルコの福音書15章39節)と告白したのです。

 イエス様の十字架は人々の罪を背負う身代わりの十字架でした。だから私たち一人ひとりも百人隊長の告白と同じように、「この方こそ神の子であり救い主である」と告白する者とされていきましょう。

     (PBA制作「世の光」2019.4.19放送でのお話しより)

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■特別に愛された弟子ヨハネ / 大嶋重徳

2019年05月23日 | Weblog
2019/4/25放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今週はイースターを迎えました。イエス・キリストの十字架と復活の喜びの時を迎えています。聖書にはこれらのことについて、「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(ヨハネの福音書21章24節)とあります。
これらのこと」とはいったい何でしょうか。それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストの復活を証しした者たちがいました。復活の事を書き記した者たちもいました。復活の証しが真実であることを繰り返し繰り返し語り続けたものたちがいました。それがイエス・キリストの弟子であったのです。

 イエス・キリストの弟子の一人であったヨハネは自分のことを「イエスが愛された弟子」と表現しました。特別、自分はイエス様に愛されていると思っていたのでしょう。他の弟子からすると、いやいや自分だけ厚かましいだろう、と思ったかもしれません。しかしヨハネは、人はどう思うかなどは関係がなかったのです。他の誰よりも自分はイエス様に愛されたという思いがイエス様を証しさせたのだと思います。

 実は私もまたそう思っています。私はイエス様に愛されているなあ、と厚かましいかもしれませんが他の誰よりも多めに愛してもらっていると思います。きっとラジオの前の皆さんの中でも同じように思っておられる方がおられるかもしれません。イエス様はそのようにイエス・キリストに従う者たちをことさらに愛されるのです。特別に愛されたという記憶は私たちの心を温かくします。

 私には姉と妹がいますが、ある時、父が姉も妹も連れて行かず私だけを特別に喫茶店に連れてってくれました。そしてそこでヨーグルトパフェを食べさせてくれたのです。「おねえちゃんと妹には秘密だぞ」と言って。何という特別な味がしたでしょうか。ああ、おお父さんは僕を特別に大切に思ってくれている、と心が温かくなり、その時のブルーベリーソースの色は今も覚えています。あとで聞くと姉も妹も同じように連れて行ってもらったようでしたが。

 復活されたイエス様が私のそばに現れてくれた・・・この特別な喜びが弟子たちの中で爆発したのです。この目撃を伝えずにはいられなかったのです。どれだけいのちが狙われて秘密にしておくようにと言われても、ヨハネは語らずには書かずにはいられなかったのです。それだけの特別な愛の記憶が弟子たちにはありました。

 今朝もあなたを特別に愛してくださるイエス様の愛が注がれています。その目撃者にあなたもぜひなってください。

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■十字架を目撃した弟子ヨハネ、そしてわたしも… / 大嶋重徳

2019年05月23日 | Weblog
2019/4/18放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ今月はイースターを迎える一ヶ月を過ごしています。

 聖書にはイエス・キリストの十字架について、「それを目撃した者が証しをしているのである。その証しは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために真実を話すという事をよく知っているのである。」(ヨハネの福音書19章35節参照)と記します。ではキリストの十字架を目撃した者は何をそこで目にしたのでしょうか。それはキリストの十字架の死の光景でした。イエス・キリストは十字架の上で、本来私たちが受けなければならない罪の裁きを身代わりに受けてくださったのです。そして十字架の上でイエス・キリストは叫ばれました。「完了した」(ヨハネの福音書19章30節)と。・・・あなたの罪のさばきは完了したよ、あなたが罪に苦しみ人生から罪赦され、喜びに満ちた人生を始めるための十字架は完了したよ。私たちは自分で自分の罪をどうすることもできません。

 私は自分の罪深さの現実に何度も幻滅し続けました。今もまたそうです。いい人になりたいと思っても、優しい父親になりたいと思っても、自分の中に生まれて来る自己中心の思い、高慢な思い、人への妬み、自分の口から出るのは愛のことばではなく人を傷付けることばばかりです。私はありのままのあなたが素晴らしいというブームが苦手というか嫌いなんです。ありのままの私は何にも素晴らしくなんかありません。どこまでもどこまでも罪人なんです。聖書はその人間の罪に目をつぶらずにはっきりと語ります。あなたは罪人だ、と。この聖書の潔さに私はほっとしたことがありました。ああ聖書の神様は私の醜さ弱さを知っていてくれるんだな。この神様の前でいい格好をしても全てがばれているんだな、とほっとしたんです。そしてそんな罪人の私を神様は見捨てる事をしませんでした。自分の罪を解決する事ができないからこそ神様が解決しようとしてくださったのです。完了したよ、あなたの罪の赦しは完了したよ、もういい人の振りをして自分を苦しめなくてもよいのだ。神様はそう語りかけてくださるのです。私もまたキリストの十字架の目撃者の一人です。もちろん2000年前の十字架の場所にいた訳ではありません。しかしこの十字架の愛と赦しを受けた目撃者なのです。赦しの完了した自分がラジオでこの証しをしているのです。

 あなたもこの目撃者に変わりたいと願うとき、「完了した」という声が十字架の上からあなたの元へ聞こえて来るのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.18放送でのお話しより )

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