♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■幸いな人 --- 迫害されている者 /福井 誠

2011年03月31日 | Weblog
2011/3/31放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 迫害されている者」です。それではマタイの福音書5章10節から読んでみましょう。

 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから
 迫害されるというのは信仰の結果として迫害されるという事です。いわゆる宗教的な迫害ですね。それは個人的な性格の偏りや偏屈さのために村八分されるというのとは違います。

 旧約聖書にダニエルという人の物語があります。昔、イスラエルがバビロンとの戦争に負けた時に、ダニエルは捕虜とされた人でした。しかしダニエルはとても優秀で知恵ある人でした。ですからやがて大臣に抜擢されて活躍していくのです。ところがこのダニエルの昇進を妬ましく思う人たちがいました。ダニエルを妬む人たちは彼を失脚させるために、仕事や私生活の欠点を見つけ出そうとします。しかし何一つ見つけ出せないことに苛立って、しまいにはダニエルの信仰そのものを攻撃するのです。ダニエルが、天地創造の神を愛し、いつもその神に祈りをささげる忠実な人であることを知って、その信仰を捨てないのならば、失脚してしまうような罠を仕掛けたのです。これが迫害ですねえ。ダニエルはそのような迫害にも動ぜずに神を信頼しました。すべては、天地万物をお造りになった神の支配の中にあるのだから、神が物事を正しいようにしてくださる。理不尽な迫害をも終わらせてくださるという心を持っていたのですね。まさにダニエルの心は神の支配の中に安らいでいたのです。逆に言えば、天の御国はダニエルのものであったのですねえ。

 信仰のゆえに苦しい思いをすることがあるかもしれません。そういう人は神の支配があることを覚えて、その支配の中に自分をゆだねることが大切です。そうすれば確かに神の支配の力が自分の身に及ぶことを味わうのです。神は迫害される者に神の支配の素晴らしさを教えてくださいます。そんな神様を心から信じたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神さまは私たちを造られた方 /羽鳥頼和

2011年03月30日 | Weblog
2011/3/30放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 今日は「神様は私たちを造られた方」というタイトルでお話しをします。

 詩篇95篇6節には「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」とあります。
 ここを読むと、神様は人を造られた方であることが分かります。 私たちと神様との関係ははっきりとしています。それは、「造ったお方」と「造られた者」という関係です。そこには雲泥の差があります。人は神様のものなのです。

 けれども神様はご自分のものである人を、単なる物として造られませんでした。聖書によると神様はご自分に似せて人を特別なものとして造られたと教えています。それだけではありません。神様は人を愛しておられるのです。

 そして神様は人を造られた目的をはっきりと教えています。その一つを紹介します。
 エペソ人への手紙2章10節です。そこにはこうあります。
 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
 人は良い行いをするために造られたのです。
 ここで「キリスト・イエスにあって造られた」とあるのは、キリストによって救われることを意味しています。人は罪があるままでは良い行いをすることができません。ですから、キリストの十字架の救いによって罪を赦され、新しく造り変えられて、良い行いをすることができるようになるのです。

 それではその良い行いとは何でしょうか。それは一言で言うと、神様を愛し、人を愛することです。そして神様を愛することの最高の行いが神様を礼拝することです。ですから、最初にお読みした詩篇のみことばが私たちに勧めるのです。「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」

 神様を礼拝する所がキリスト教会です。ぜひあなたも教会にいらしてください。
 
  ( PBA制作「世の光」2011.3.30放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■共に生きるために4 聞くことの大切さ/ 関根弘興

2011年03月29日 | Weblog
2011/3/29放送

世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 まあ私たちはいろいろな人たちとの関わりの中で生きています。 そこで、共に生きるというテーマで今お話しをしていますが、今日は聞くことの大切さということについてお話をしたいと思います。

 時々私たちは人の相談に乗るときに、常に何かを提供しなければいけないのではないかと考えてしまいます。たくさんの助言を与えなければと考えてしまい、ま、ついつい耳を傾けることを忘れ、ま、単なる教えたがりやになってしまうことがあるんですね。

 しばらく前ですが、自殺防止センターの所長さんとお話しをしたことがありました。 ボランティアの方が対応されるそうですが、ひっきりなしにかかってくる電話、その電話を受ける側は決して責めない、説教をしない、ただその痛みを聞いてあげるということを心がけるのだそうです。ま、多くの人は、ただそっと耳を傾けて欲しい。聞いて欲しいと願ってるんですね。忠告や助言を求めるのではなく、模範解答を求めているのでもなく、ただ聞いて欲しいのです。

 耳は二つありますよね。口は一つなんです。語ることの倍を聞くことで補ったらどうでしょう。

 新約聖書のヤコブの手紙1章19節には、「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」と記されています。なかなか考えさせられることばです。

 そしてもう一つとても大切なことがあります。それは私たちが毎日の生活の中で神様から聞くということを大切にしていくということです。神様から聞くというのは、聖書のことばから聞いていくということなんですねえ。

 ヘブル人への手紙4章12節という所には、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と記されています。

 聖書から神様のことばを聞くのです。そのことばには力があります。そしてそのことばによって物事を判別することができるというんですね。どうぞ聖書を手元にご用意してください。そして少しづつ読んでください。聖書を通して神様がどれほどあなたを愛しているかを知ってください。人間の姿がどのような姿で、そしてどれほど大きな犠牲と愛をもってあなたを救いに導いてくださっているか、そのことを聖書から知って戴きたいと思うんです。共に生きるというのは、お互いの存在の価値を認め、仕え、ことばを吟味し、聞くことを大切にしていくことなんです。そしてこれは信仰の基本でもあるんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.3.29送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■4つのKを生きる /村上宣道

2011年03月28日 | Weblog
2011/3/28放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道です。

 ある方が春は四つのKに注意した方がいいですねえっておっしゃっていましたね。頭文字にアルファベットのKのつく乾燥、強風---強い風ですねえ、気温差、そして花粉。この四つのKっておっしゃってましたけども、そうだなと思うんですが。

 まああのー自分の生活の中で大事にすべき四つのKといったら何だろうなあって思ったんですね。で、その一つは、敬虔。それは神を敬うっていう意味の敬虔です。 これが根本だと思うので、「人間にとってこれが本分ですっていうのは、神を恐れ、その戒めを守れ」っていうふうに言われている(参照 伝道者の書12:13「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」)、まさに神を敬う心、これが人生にとって根本的に大事なことだというふうに思っていますね。

 で、二つめのことは確信ですね。私は自分自身の人生に神を否定してしまった時から生きることに意味を感じなくなって、ほんとにむなしい生活を送った、そういう中で、「わたしが道であり、真理であり、いのち」(ヨハネの福音書 14章6節)であるというそのイエス様によってですね、人生についての生きる確信を与えられた。これは大きなことですねえ。ですからいろんな事がありますけども、ぶれないで、このお方についていったら大丈夫だという、この道を行ったら間違いないという、そういう確信のある生活。これが大切だなあというふうに思っています。

 そして自分が独りよがりではいけないわけでして、人との生活の中でですね大事なことは寛容ということだというふうに思っていますね。それは相手の立場を理解し、相手の気持ちを汲み、相手を受け入れる。そして一緒に良いコミュニケーションを持っていくことができるような、そういう良い人間関係の中で歩むこと。そういう意味で寛容ということが、---愛は寛容であるっていうふうに書いてありますように---、大事なことだなと思っています。

 それから感謝ですね。何事につけても感謝する心、これは大切なことだなあというふうに思っています。実は、この番組私は今日が最後で次の方にバトンタッチすることになっています。ずいぶん皆さんから忍耐を持って聴いていただいたわけですけども、足りないことがいっぱいあって、ああーだめだったなあーと思うことも沢山あるんですけど、でもこうして皆さんの忍耐と愛をもってこの番組を続けることができたことについて神様に感謝し、皆様に感謝した。そういう気持ちで、そして素晴らしい次のスピーカーがちゃんと備えられているっていうことについても感謝したいと思います。

 四つのK、大事にしたいですね。

(PBA制作「世の光」2011.3.28放送でのお話しより)

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■人生の座標軸 /山中直義

2011年03月26日 | Weblog
2011/3/26放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 自分の人生に座標軸を持っている人は幸いです。あなたの人生には何があっても変わることのないもの、どれほど迷ってもそこに変えることができる所はお有りでしょうか。

 聖書は変わることのない神の愛、変わることのない神の語りかけを人生の座標軸にするようにと教えています。

 十字架にかかられる前夜、イエス・キリストは祈るために、ゲッセマネと呼ばれた園においでになりました。そしてその祈りの中に表される神の愛にしっかりと目を留めるようにと、弟子たちにこう告げられます。新約聖書マルコの福音14章34節のことばです。
 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」

 実はこの時の弟子たちの心はイエス様から離れ去りつつありました。神様を信じイエス様を信じてはいたものの、自分たちの熱心、自分たちの理想というものに心を奪われ、イエス様の心・神様のことばに耳を傾けることができなくなっていたのです。本当に留まるべき所を見失ってしまった。

 そんな弟子たちにイエス様は切実に訴えられたのです。あなたが留まるべき所、あなたが本当に見つめているべきもの、それは何があっても変わることのない神の愛であり、あなたがどんなに神を悲しませたとしても、それでもあなたに語りかける神のことばである。イエス様はそう訴えられたのです。

 私たちは時に私たちの思いや理想を座標軸にしようとします。しかしそれらはやがて移ろい行き、私たちを永遠にさ迷いわせることになります。しかしあなたを愛する神の愛、あなたに語りかける神のことばだけは何があっても変わることがありません。変わることのない神の愛、変わることのない神の語りかけをあなたの人生の座標軸にしてみませんか。

 イエス・キリストのことば
 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
 新約聖書 ヨハネの福音書15章9節

     (PBA制作「世の光」2011.3.26放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■道、真理、いのちである方 /岩井基雄

2011年03月25日 | Weblog
2011/3/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 さっそく今日の聖書の箇所をお読みします。

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 新約聖書ヨハネの福音書14章6節

 孔子は論語の中で「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」と語り、朝に人間の道・真理の道を知るならば、すぐに死んでも悔いはないと表現しました。孔子もまた真理の道を求めた求道者であったのでしょうね。そして多くの人が真理を探し求めています。

 しかし、ここでイエス・キリストは自分自身が道であり真理であり命であると表現しました。孔子を始め、多くの人が求めている真の道がイエスの内にある。いや、イエス・キリストこそ道そのものだというのです。どういうことでしょうか。

 この「道」とは父のみもと、すなわち、天地万物を創造された神様のもとに行く道を示しています。それは真理に至る命の道のことです。単に人の心を磨き成長する道ということではなく、天地万物を創造されたまことの神のもとに行く道はたった一つ、それはイエス・キリストだと聖書は語っているのです。

 なぜでしょうか。きよい神のもとに行くには人はきよくなければなりません。しかしこの地上にいる人できよい人、罪のない人は誰もいません。すべての人は自己中心なわがままな心、罪を持っているからです。神だけが罪のないお方です。ですから、もし罪のない人がいるとするならば、それは神が人となられる以外にありません。すなわち人となられた神であるイエス・キリストだけがきよい方であり、私たちを神のもとに導くことのできる唯一のお方なのです。

 そしてイエス・キリストは私たちの罪を許しために私たちの代わりに十字架にかかりました。誠にきよい人だけが私たちの罪の身代わりになることができます。

 人となられ、私たちの罪のために代わりに十字架にかかってくださったイエス・キリストこそ、道・真理・いのちなのです。あなたも救い主イエス・キリストの道を通して神の元、真のいのちと平安へと向かい始めませんか?

   (PBA制作「世の光」2011.3.25放送でのお話しより)

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■幸いな人 - 平和をつくる者 /福井 誠

2011年03月24日 | Weblog
2011/3/24放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 心のきよい者」です。


 世の光のの時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「幸いな人 - 平和を作る者」です。 それではマタイの福音書5章9節から読んでみましょう。

 「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」(新改訳聖書第3版)

 アッシジのフランチェスコと呼ばれる修道士に由来する「平和の祈り」というものがあります。少し読んでミましょう。

   憎しみのある所に愛を。
   争いがある所に赦しを。
   分裂がある所に一致を。
   疑いのある所に信仰を。
   誤りがある所に真理を。
   絶望がある所に希望を。
   闇ある所に光を。
   悲しみある所に喜びを。

   ああ主よ、
   慰められるよりも慰める者としてください。
   理解されるよりも理解する者に。
   愛されるよりも愛する者に。

   それは
   私たちが自ら与えることによって受け、
   赦すことによって赦され、
   自分の体を捧げて死ぬことによってとこしえのいのちを得ることができるからです。

 本当に平和をつくる人というのはどういう人であるかということを考えさせられますね。平和をつくる人というのは、ただ争わない人ではありません。争いごとを避けて解決を先送りするような人のことでもありません。むしろもっと積極的な意味で、争いの中に平和を生み出す人、言ってみれば荒地を開墾して花園に変えていくような人のことを言っています。だからこそそういう人は理解されるよりも理解する者、愛されるよりも愛する者にならなくてはというのはよく理解できることですね。忍耐力と知恵を持って与え、赦し、捧げる人であればこそ平和をつくれる人にもなれるのです。

 聖書は私たちに平和をつくる人の大変素晴らしい模範を示しています。文字どおり神の子と呼ばれたイエス・キリストです。 イエスが十字架にかかられたのは私たちを神の怒りと呪いから救い出すためでした。それは私たちにとっては及びがたい大きな模範です。しかし人間として本当に倣うべき生き方がそこに示されています。あなたはどんな人生の模範に倣っているでしょうか。生き方の模範を持って歩ませていただきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.24放送でのお話より )

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■神様のことばを聞くことの飢饉 /羽鳥頼和

2011年03月23日 | Weblog
2011/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。羽鳥頼和です。

 神様は人に語りかけられるお方です。聖書には「神は言われた。」というように、神が人に語られている所がたくさん出てきます。申命記30章14節には、神様のことばは「あなたのごく身近に」あると語られています。

 本当にそうでしょうか。その通りなのです。私たちは聖書を読むことによって神様のことばを聞くことができるのです。聖書は神様のことばです。ですから私たちは聖書を神様のことばと信じて読むとき、聖書によって神様のことぱを聞き、心に留めることができるのです。

 その聖書が神様のことばの素晴らしさを教えています。聖書の始めの書物である創世記1章を読むと、神様がことばによって世界を造られたことが分かります。神様のことばには素晴らしい力があるのです。

 詩篇119篇には神様のことばの素晴らしさが幾つも語られています。例えば50節には、神様のことばは悩みのときの慰めであると記されています。そして105節には、神様のことばは人生を歩むときの足元を照らす灯りであり道の光であると語られています。神様のことばは人の人生を確かなものとし、その歩みを守り、導くものなのです。

 ヤコブの手紙1章21節には神様のことばが人の魂を救うと教えています。 神様のことばは人を救ういのちのことばなのです。

 ところが旧約聖書のアモス書8章11節には、このような素晴らしい神様のことばを聞くことができなくなる時が来ると教えているのです。そのことを「主のことばを聞くことのききん」と言っています。飢饉とは食べるものがなくなる状態です。神様のことばはいのちを与え、いのちを保つ大切な食べ物です。それがなくなってしまうのです。 いつまでも神様のことばを聞ける訳ではないのです。いつか聞くことができなくなる時が来るのです。

 イザヤ書55章3節で、神様は言われています。
 「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。

 神様のことばを聞くために、ぜひキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.3.23放送でのお話より )

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■共に生きるために3 - ことばを吟味する/関根弘興

2011年03月22日 | Weblog
2011/3/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 まあ私たちはいろいろな人たちとの関わりの中で生きている訳ですねえ。そこで「共に生きる」というテーマで今、お話をしていますが、今日は「共に生きるために--ことばを吟味する」ということでお話しをしたいと思います。

 私たちは自分が語っていることばを吟味することはとても大切なことです。特に私たちのことばを吟味すると、以外に多いのが他人に対する悪口、陰口、ののしりです。私たちはこうしたことが大好きなんですね。これは人間の持っている癖のようなものです。

 こんな話を本で読みました。ある夜遅く、ま、同じ会社の四人が電車で家に帰りました。Aさんが課長の悪口を言い出すと、BさんもCさんもDさんも、「そうだ、そうだ」と口を合わせました。四人はとてもいい気持ちだったんです。しかし途中の駅でAさんが降りると、今度はBさんがAさんのことを悪口を言い始めました。「そうだよな。今度はAさんを除いて俺たち三人で酒を飲もう。」とこの三人は上機嫌で話し合いました。次にBさんが降りると今度はCさんがBさんの悪口を言い始めたんです。「そうだそうだ。これからは俺たち二人でがっちり同盟を組もう」とCさんとDさんは肩を叩き合ったんです。Cさんが降りて独りぼっちになった時、Dさんはですねえ何とも言えず寂しく、やりきれなくなってしまいました。

 ま、こんな話なんですね。人の悪口を言い、人をけなし合うことはまるで人間に自然に備わっている特徴のようです。ですから、意志的に変えようとしないと変わっていかないんですね。

 時々集まって誰かの悪口を言い合っていると、何だかとても親密な連帯感を持ってしまうことがあります。でもそれは本当の親密な関係となる訳ではないんですね。

 聖書にこうあります。第一ペテロの手紙 2章1節(、2節)
 「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

 実は私たちのことばを吟味するだけではなくて、私たちは聖書のことばによって養われることが大切なんだと聖書は私たちに教えるんですね。人生には愚痴も不平も文句も出てきます。そういうことばがまったく出てこなくなるということはないでしょう。だからこそ自分の語っていることばを吟味し、聖書が語ることばを心に蓄えていくこと。このことが大切なんですね。

 (PBA制作「世の光」2011.3.22送でのお話しより)

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■彼岸への悲願 /村上宣道

2011年03月21日 | Weblog
2011/3/21放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 3月21日春分の日にあたりますねえ。春分の日というのは昼と夜とが同じ長さの日だというふうに言われておりますけども、そしてこの前後三日を合わせた七日間、いわゆるお彼岸(ひがん)というふうにいわれたりする訳ですけれども、まああの仏教の方から来ていることばなのかもしれませんけれども。

 しかしですねえ、聖書なんか見ましても、イエス様が「向こう岸に渡りなさい」って弟子たちに何回かおっしゃっているそういう記事が出てきたりしますけれども、ただ讃美歌の中にもまあやがていつか人間は迎える死というその川を越えての向こう岸に渡るというようなそういう意味のことも言われたりしている訳なんですけどね。

 ですからこんな時に、そうだ、いつかは自分もこの世の生活、この地上の生活から向こう岸へ渡る時があるのだっていうその彼方、彼岸というのはかの岸という彼の岸って書きますからねえ、彼方への岸に向かっているのだ、そういう時があるのだ、ということに思いを寄せること。これは大事なことかなというふうに思うんですねえ。

 聖書の中にですねえ、そのーイエス様が岸辺に立っておられたっていう記事があるんですけれども、弟子たちがもうイエス様が十字架にかかってなくなられて、復活されたとはいうものの、私たちももうイエス様を置いて逃げたり、こんなだらしのない私たちはもう神様のお役に立たないからと言って、元の漁師に戻ろうというふうにすっかり意気消沈しておりました弟子たち。で、魚獲りに彼らが行った時に、向こう岸にイエス様がちゃんと立っておられて弟子たちを迎えてくれて「獲物はあったか」って言って声をかけてくださった、そういう記事がある訳なんですね。

 で、私たちはやがてこの地上の生涯を終えて、いろいろ考えてみるとあんな失敗もあったなあ、こんなこともあったなあというふうなそういう足りなさがいっぱいあると思うんですけれども、しかしながら私たちは見上げてみるとそこにはその岸にはイエス様が立っておられる。私たちがやがて行こうとする岸はイエス様が迎えてくださるその岸なんだと思うと、それは何て言いましょうか、家族とも別れて孤独でその岸に辿りつくというそういうようなことよりも、そこではイエス様が諸手(もろて)を広げて私たちの疲れを癒して、そして暖かく迎えてくださるそのお方がいらっしゃるという、そういう希望の岸が私たちには待っているということを意味する訳なんですねえ。

(PBA制作「世の光」2011.3.21放送でのお話しより)

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