♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■真理を求め続けた福音の伝道者 金森通倫 / 岩井基雄

2016年09月30日 | Weblog
2016/9/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第四週の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日と来週の第五週の金曜日は肥後の国・熊本出身のクリスチャンについて学んでみましょう。今日は小崎弘道についてです。

 、世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、先週の小崎弘道に続いて熊本出身のキリスト者・金森通倫について学んでみましょう。

 肥後の国、熊本県玉名市の郷士・金森繁蔵の次男として生まれた通倫は、明治5年、熊本洋学校の第二期生として入学し、リロイ・ジェーンズの影響を受けて救い主イエス・キリストを信じ、明治9年、花岡山「奉教趣意書」に署名します。彼はこの年の8月に熊本洋学校を卒業し、9月には同志社入学。そして新島 襄から洗礼を受けます。同志社を卒業した彼は、岡山教会の初代牧師に就任し、明治18年には最初の執筆となる『基督教三綱領』で福音を分かりやすく説き明かし、世に多くの影響を与えてきました。彼は明治19年、同志社の教師となり、新島の後継者としての地位を確かなものとしていたはずでしたが、明治23年、新島が亡くなった時に残した遺言書に金森の人格に関わる言及があったため、山本かくまが臨時の社長すなわち総長となり、すぐ後に小崎弘道が総長に就任したのです。金森は人間的には無骨な面があったとも言われています。

 同志社を追われた金森は、東京番町教会牧師となるも翌年辞任し、日本組合キリスト教会をも脱会します。また自由党に入党するも、二年で脱党という不安定な歩みを重ねます。しかし1912年、明治45年、妻を天に送った金森は悔い改めて組合教会に復帰し、大正3年には山室軍平率いる救世軍に入隊し、昭和2年には中田重治の東洋宣教会・日本ホーリネス教会に入会するなど、キリスト者としての本来のあり方を回復し、真理を求めていったのです。この時に、神、罪、救いの三綱領を説く金森伝道を展開し、積極的に福音の宣教へと活動を進めて行きました。彼は自分自身の様々な問題を通して神様の取り扱いを受け、神様の愛に生かされてその愛を伝え続けていったのです。

 キリストはあなたにも語られています。
 「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
          新約聖書 ルカの福音書11章9節

 あなたも自分の弱さを認め、神のもとに来ませんか?
 
  (PBA制作「世の光」2016.9.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■彼らの長となった / 福井 誠

2016年09月29日 | Weblog
2016/9/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「彼らの長となった」です。それでは第一サムエル記22章2節から読んでみましょう。

  「 また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。

 逃亡者の生活を続けるダビデの人生に転機が訪れた出来事がありました。ダビデは荒野に避難しましたが、そこに彼を頼る者たちが次々と集まってきたのです。しかしそれは困窮している者、抑圧されている者、負債のある者、不満のある者でした。つまり、ある意味で現状に不満を持ち、変革を求める者たちでした。となれば何とも不満分子の悪者が集まってきたイメージですね。

 ところが、そうじゃないのかなと思わされることがあります。というのはこの時期にダビデは詩篇の34篇、57篇、142篇の三つを書いています。その中で次のように歌っていますね。
  私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。」 (詩篇 142篇4、5節)

 ダビデはただひたすら神に自分の望みを置いていましたね。先週のように敵の王アキシュでもなく、自分の知恵に頼るのでもなく、ただ目に見えない神に望みを置いていたのです。そういう意味で彼は、自分を頼りにして来る者たちにただ自分が望みを抱く神を指し示す以外は何もできない、という状況にあったと思われますねえ。実際ダビデは、詩篇34篇でこう言うのです。
 「 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。 」(詩篇 34篇11 節) 

 つまりダビデは、自分のもとに集まる者たちに神を恐れることをまず教えていくのです。ダビデのもとに集まった人々は単なる不満分子ではなく、どん詰まりの中で神に依り頼んでいるダビデの姿勢に感じた人々でした。絶対絶命のような状況で、神のみことばに立つダビデに自分たちの人生の希望を見出そうとした人ですね。

 教会というのは実はそういう場なのだと思います。ぜひ人生の問題解決の場として神に期待する集まりがあることを知っていただきたいと思います

(PBA制作「世の光」2016.9.29放送でのお話より )

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■欲心の墓塚 / 板倉邦雄  

2016年09月28日 | Weblog
2016/9/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「欲心の墓塚」という題でお話しします。

 限度を越えた強い欲心によって命を落としてゆく人々はあとを絶つことがありません。私の中学生時代の同級生は酒の飲みすぎで30代で亡くなりました。

 さて主なる神様のもとから風が起こり、海の向こうからうずらが運ばれてきて、イスラエルの人々が宿営する近くに落ちました。落ちた範囲は東西南北、宿営の周囲に渡って一日中うずらが落ちてきたのです。何と地面から約1メートル程、うずらの山となりました。そこでイスラエルの人々は大きな籠を手に持ってうずらを集めました。一日中、夜もです。次の日も集めました。最も少なく集めた人でも10日分は集めたのです。人々は羽をむしり、中の臓物を取って自分のテントの周りに広げて干しておきました。そして人々は来る日も来る日も、うずらの鳥肉を食べ放題、食べ続けたのです。肉が歯の間に挟まっても取る暇もなく食べ続けました。主なる神様がモーセに言われたように、鶏肉が鼻から出てくるほど貪り食らったのです。(参照 民数記11章31、32節)

 今までは「マンナ」という野菜のようなパンを食べていた人が急に肉を大量に食べたらどうなるでしょうか。消化不良を起こし下痢となるでしょう。食事をしていたらごめんなさい。多くの人々が下痢になったら、宿営の周りは不衛生になります。伝染病が発生してもおかしくありませんねえ。

 聖書の民数記はこう書き残しました。
 「その肉がなお、彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。欲心を起した人々は死んで埋められた。」(11章33節、参照34節)

 激しい腹痛と下痢、伝染病になって多くの人々が死んでいったのです。私たちは飢えと飢饉と疫病とによって死んでいくこともあります。しかし逆に飲食と豊かさの中で強い欲心によっても死んで行くのではないでしょうか。

 聖書のことばです。
 「彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、・・・、彼らの思いは地上のことである。
  ピリピ人への手紙3章19節

  (PBA制作「世の光」2016.9.28放送でのお話より )

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■本当に必要なたった一つのもの 9 / 大嶋重徳

2016年09月27日 | Weblog
2016/9/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
いつも番組にお葉書を送ってくださることを心から嬉しく思っています。先日の世の光のラリー(※リスナーの集い)で北陸に行きました。「いつも聞いてます。」「世の光を通してイエス・キリストを信じました。」「自分の親がクリスチャンになったのは世の光の番組を通してです。」というお声を聞いて本当に嬉しく思いました。多くの方がこのラジオから聖書のことばを聴くことを通してイエス・キリストを信じ受け入れられたのです。番組に届いたお葉書を紹介させいただきたいと思います。

 東大阪市のユカワさん67歳 「早朝ベッドの中で聴いておりますが、本当に心がきよめられることが多々あります。自分の気持ち一つで相手の人々との接し方がこうも変わるものかと、つくづく人間というものは心の生き物だと感じ入ります。職場のミーティングで時々印象に残ったテーマをよく話しております。人間関係のあり方など人生訓としても役立たせてもらっています。今後も長く続けられることを期待し楽しみにしております。」

 もうひと方、岸和田市のハタナカさん72歳。「人生終盤になり、いろいろと悔いの残ることばかり思い起こされますが、今日の放送で、やり直しができる、それも何度でも、という教えを聴かせていただき、まだまだこれから前向きに失敗を恐れず生きていける気がしました。ありがとうございます。」 

 早朝に身体を横たえながらラジオから聖書のことばを聴いてくださっているユカワさん、更には人生の終盤を迎えて様々な思いが脳裏に浮かびながらもラジオの放送を聴いてくださっているハタナカさん、お二人からのお便りでした。

 聖書には、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ 10章17節)とあります。じっとキリストについてのみことばを聞き続けること、その中でやり直しができるという思いが浮かんでくる。何度でも何度でもやり直しができる。更にラジオを聴くことから自分の気持ちのあり方が変えられる。神のことばへの信頼が聞くことから生まれているお二人の中にある神様への信頼・信仰を感じることのできるお葉書でした。
 今日、ラジオをお聴きの方も、聞くという簡単で一つのことを続けていくことの中に、神様への信頼が生まれて行きます。今日を生きていけるという力を受け取っていくことができるのです。ぜひ私たちもこれからも神のことばを聞き続けて行きたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2016.9.27放送でのお話しより )

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■聖徒にふさわしく / 関根弘興

2016年09月26日 | Weblog
2016/9/26放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日も聖書のことばを最初に紹介しましょう。エペソ人への手紙5章3節
  「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

 ここで「聖徒にふさわしく」とありますねえ。聖徒、これはあの学校の生徒という意味ではありません。この聖徒というのは英語ではセイント saintということばです。別のことばに置き換えるならば、「神様の専用品となった人々」ということです。イエス様を信頼し生きるということは、私が神様に用いられる神様の専用品となるんだということなんですねえ。ちょっと大げさ、って考えるかもしません。でも神様の栄光を現すということを聞くと、何だか立派なことや素晴らしいこと・行いをすることですか?、そんなこと私はできません、と考える人もいます。

 新約聖書の第一コリントの10章31節には、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」と書かれています。このことばは勇気が湧いてくることばだと思いませんか? 私たちは神様の栄光を現すために特別な素晴らしいことしたり聖人君子のような立派な生き方をしなければならないという訳ではありません。食べるにも飲むにも何をするにも、つまり日常生活のささいなことの中に神様の栄光を現し生きてことができるんだ、と聖書は教えるんです。日常のささいなことを通して神様を誉めたたえて生きていくことができる、すばらしいことですね。だからこそ生活の中で、口にすることさえいけないことばについて聖書は教えているんです。それは、相手の人格を傷つけ破壊し自らの品性も損ねてしまうようなことばは聖徒にふさわしくない、という訳です。

 今は会社でも学校でも、セクハラだとかパワハラだモラハラだということが大きな問題となっていますが、でも聖書は2000年も前からこうしたことばによる暴力、ことばによる人格無視、ことばによる蔑みに対して注意を与えているんです。

 エペソ人への手紙5章4節に、「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」とあります。聖徒にふさわしいことば、それは感謝です。生かされて感謝、互いの存在に対する感謝、そしてあなたを愛し赦し恵みをもって支えてくださる神様への感謝なんですね。

(PBA制作「世の光」2016.9.26放送でのお話しより)

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罪を知るために、罪を犯す? / 羽鳥頼和

2016年09月24日 | Weblog
2016/9/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は使徒パウロが書いたローマ人への手紙3章1~8節からお話しします。

 この箇所でパウロは「善を現わすために、悪をしようではないか。」(8節)という考え方についてその間違いを教えています。善を表すために悪をしようではないかという考え方とは、悪いことをしなければ罪について分からないとか、一度は罪にどっぷりつかってみなければ神の救いの恵みの素晴らしさ分からないというような理屈のことです。これは罪を知るために罪を犯すことを良いとするということです。これは屁理屈です。パウロは、もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです、と厳しく語っています。このような屁理屈を言う人は罪に定められて救われることが無いのです。

 それではどのようにしたら罪を知ることができるのでしょう。私たちは聖書を読むことによって罪を知ることができるのです。例えば旧約聖書 出エジプト記20章には有名なモーセの十戒が記されています。そこには「殺してはならない」(13節)とあります。ああこれは大丈夫・・・と思います。新約聖書のヨハネの手紙第一は人殺しについてこう教えています。「人を憎む者はみな人殺しです。」(1ヨハネ 3章15節 ) 人を憎むことが無い人がいるでしょうか。自分の心に手を当ててみましょう。

 またイエス・キリストは、神の律法は二つの戒めを土台としていると教えました。その二つの戒めとは、「心を尽くし思いを尽くし知力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」(マルコ 12章30節参照) そしてもう一つが、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(マルコ 12章31節参照)ということでした。私たちは自分を愛することは忘れませんが、神のことは愛するどころか、忘れていることが多いのではないでしょうか。隣人についてはどうでしょうか。知り合いの人をみんな憎まず愛しているでしょうか。

 更にヤコブの手紙4章17節はこのように教えています。「なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」 聖書は私たちに罪についてはっきりと教えています。そして罪を赦され良いことを行うための救いの道もしっかりと教えてくれているのです。神の与えてくださる救いの道を知るために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください

 (PBA制作「世の光」 2016.9.24放送でのお話より )
 
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■儒教の教えからキリスト教信仰へ   小崎弘道 / 岩井基雄

2016年09月23日 | Weblog
2016/9/23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第四週の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日と来週の第五週の金曜日は肥後の国・熊本出身のクリスチャンについて学んでみましょう。今日は小崎弘道についてです。

 小崎弘道は熊本藩士・小崎次郎左衛門の子として育ち、幼い時から優れた頭脳を持っていたようです。藩校である時習館を経て1871年・明治4年、熊本洋学校に入学し、創立者のリロイ・ジェーンズと出会います。ジェーンズの人格に触れた多くの学生たちがイエス・キリストを信じて信仰告白し、35名が1876年・明治9年1月に花岡山で信仰の証しである奉教趣意書に誓約をしました。彼らは後に熊本バンドと呼ばれるようになるのですが、儒教への信仰を捨てることはできなかった小崎弘道は誓約には参加しませんでした。この花岡山での誓約の署名は大問題となりますが、迫害にも屈せず信仰に立ち真理を語り続ける彼らの姿を通して小崎は自分の弱さと罪を認めてクリスチャンとなり、リロイ・ジェーンズから洗礼を受けるのです。この花岡山事件はジェーンズの解任と熊本洋学校の閉鎖という事態に発展しますが、この事をも神様は恵みに変え、行き場を失った学生たちはキリスト者・新島襄が開校した同志社に転校していくのです。

 小崎は在学中に彦根 -今の滋賀- への伝道に加わり、卒業後は新島襄と共に日向 -今の宮崎- への伝道を行なっていきます。また東京の霊南坂教会を創立し、青年の教育のためにと東京キリスト教青年会・YMCAをも創立し、キリスト教文書伝道にも力を注いでいきます。彼は新島襄亡きあと、同志社の二代目総長ともなり、退任後再び霊南坂教会に戻り、牧会と福音宣教に邁進していったのです。この丘の上の赤レンガの教会は信仰に立ち続け、キリストにある教育に心を注いだ小崎弘道の信仰が現れた教会なです。

 聖書のことば
 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」 新約聖書 エペソ人への手紙 1章23節

 あなたも神の愛が満ち、豊かな心の交わりを生むキリスト教会にいらっしゃいませんか?

  (PBA制作「世の光」2016.9.23放送でのお話しより)

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■非常に恐れた / 福井 誠

2016年09月22日 | Weblog
2016/9/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「非常に恐れた」です。それでは第一サムエル記21章12節、13節から読んでみましょう。
 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。
 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。

 サウル王に命を狙われるようになったダビデは、とうとうイスラエルの敵ガテの王アキシュの所へと逃れました。しかしダビデを知っている者たちが王に訴えますねえ。「この男はイスラエルの王となるダビデで、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と女たちに誉めそやされた人物ではないか。」と。ダビデは敵意ある視線にさらされ、恐怖のどん底に落ち入っていきます。何と、苦肉の策として敵陣に逃れたはずが、敵はあくまでも敵、絶対絶命の状況です。そこでダビデは狂ったふりをして門の扉に傷をつけたり、髭によだれを流したりするのです。実に惨めですねえ。いっそのこと本当に気が狂ってしまいたかったことでしょう。神様を信じてもどうにもならない、という感じですね。少なくとも純粋に神様を信じて神様のために戦い、イスラエルに勝利をもたらした善人のダビデには神様にもっと親切にしてくださってもよいのではないか、こんな扱いじゃ誰も神様を信じませんよ、と言いたくなるところです。

 けれども人生の出来事はすべての人に平等なのです。ですから神様を信じていても人生のどん底を歩むことがあるものですね。実際、イエス・キリストですら、どん底を突き破るような、神に見捨てられる経験、十字架の死を味わっていますね。

 ダビデはこの時の心境を詩篇34篇に綴っています。
 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(18節、19節)

 気持ちがボロボロになるような状況ですらダビデは、神が共にいてくださることを信じています。私たちがどん底にいようが絶頂期にあろうが神が存在することに変わりはありません。いつでも共にいて支えてくださる神様を信頼して行きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.9.22放送でのお話より )

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■鼻から肉が / 板倉邦雄

2016年09月21日 | Weblog
2016/9/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「鼻から肉が」という題でお話ししましょう。

 泣きながら、「肉が食べたい」とイスラエルの人々は指導者モーセに訴えました。モーセは主なる神様に訴えました。「私はどこから肉を得て、このすべての民に与えることができましょうか。それは私は重荷過ぎます。」(民数記11章13、14節参照) 

 すると主なる神様はモーセに応えてくださいました。「あなたはイスラエルの人々に言いなさい。あなたがたは身をきよめて明日を待ちなさい。明日あなたがたは肉を食べることができるであろう。あなたがたは泣いて主なる神の耳に、『私たちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かった。』と言ったからである。肉を食べるのは一日、二日ではなく、一ヶ月に及ぶであろう。ついにあなたがたの鼻から肉が出て来るほどになり、あなたがたは飽き飽きして捨てるであろう。それはあなたがたの内におられる主なる神様を軽んじて、『エジプトにいた時は良かったよ。』と言ったからである。」(民数記11章18~20節参照)

 聖書に、「あなたがたは『昔は今よりも良かった。』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵からではない、」(伝道者の書 7章10節参照)ということばがあります。私たちは今の現状に感謝したり満足することができないということですねえ。昔や過去がどんなに悲惨で残酷であったとしても、過去を美化してしまうという傾向があるのでしょう。

 さて、主なる神様のことばを聞いたモーセは言いました。「私と共にいる民は徒歩の男子だけでも六十万です。その他に老人や女性や子どもたちが大勢います。ところが主なる神よ、あなたは『わたしは彼らに肉を与えて一ヶ月の間、食べさせよう。』と言われます。大事な羊と牛の群れを切り裂いて人々に飽きるほど食べさせると言うのですか。無理です。それとも海の魚を集めて人々に食べさせよというのですか。」 (民数記11章21、22節参照)

 主なる神様はモーセに答えました。「主なる神様の手は短いだろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」。」 (民数記11章23節参照)

 主イエスキリストが五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を養った記録が新約聖書に描かれています(参照 マタイ福音書14章19節、マルコ福音書6章41節、ルカ福音書9章16節)。主なる神様は私たちがパンで生きることは御存知で、パンや肉や魚、野菜をお与えになりました。しかし私たちはパンだけで生きる者はなく、神のことばと共に、感謝と満足をもって生きる者なのです。

  (PBA制作「世の光」2016.9.21放送でのお話より )

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■本当に必要なたった一つのもの 8 / 大嶋重徳

2016年09月20日 | Weblog
yono2016_0920

2016/9/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
 新約聖書ルカの福音書には、イエス様の足元にじっと座りこんでイエス様のことばに聞き入る妹マリヤに、自分の手伝いをしない、と腹を立てたマルタという姉妹の物語が出てきます。

 マルタはイエス様に諌められ、ある種の挫折をここで経験するのです。

 私は伝道者になったばかりの時に、ある人から自分の愚かさを罵られ、そのことばを冷静に受けとめきれずに、怒りと憤りに体が震えたことがあります。その時にすがるようにして開いた聖書箇所は、エレミヤの18章4節。「 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。」とありました。 ああ、このことは神様によって自分が壊されているんだな、と知ったのです。しかし頭ではその事を理解できても、壊されることの痛みによって心から受けとめることのできない私がそこにいました。しかし、神様ご自身の手によって壊されているのだ、と言う安心感が少しずつですが私を包み始めたのです。そして悶々とした日を過ごしながら、この出来事を信頼する信仰の先輩に聞いてもらいました。

 すると、その人はこう祈ってくれたのです。「神様。大嶋さんはどんなに強い風が吹いても倒れない太い幹のように見えますが、余りにも強い風が吹きつけて、それも折れてしまいました。でもこの出来事を通して、これからはどんなに強い風が吹いても、決して折れることのない草のようなしなやかな信仰に変えられていくのですね。」

 マルタは確かにここで挫折をしました。しかし再びこの後、立ち寄られたイエス様一行をマルタはもう一度迎え、もてなしを再開するのです。マルタは怒ったままで終わらなかったのです。彼女もまた、たった一つのものを受け取り直し、イエス様の足もとに座って、神のことばを聞き入ったときに、彼女の持つ豊かな賜物であるもてなしを続けていったのです。

 さああなたはこのたった一つのものを今日持っているでしょうか。私たちが最後の最後、全部人生が剥ぎ取られてもなお生きていける、という一つのもの。今朝もこの神のことばに聞くという信仰を私たちは持って、人生の中の確かさを得ていきたいと思うのです。他の誰が何を言おうとも何ら恐れることのない場所がイエス様の足元にはあるのですから。

  ( PBA制作「世の光」2016.9.20放送でのお話しより )

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