♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■アブラハムの試練(その1) / 板倉邦雄

2012年10月31日 | Weblog
2012/10/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「アブラハムの試練 その1」ということでお話ししましょう。

 試練とは字のごとく試み鍛えられることです。・・・アブラハムに与えられた試練がそのようだったのです。創世記22章です。

 ある時、神様はアブラハムを試みて言われました。「アブラハムよ、あなたの子、あなたの愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山でイサクを全焼のいけにえとして捧げなさい。」

 全焼のいけにえとして捧げるということは祭壇を築き薪を並べ、その上に愛する息子を縛って載せることです。そして刃物で殺害し火をもって焼き尽くせ、という命令なのです。年老いてから神様から授かった息子です。たった一人しかいません。愛してやまない息子を全焼のいけにえとしてわたしに捧げよと神様はアブラハムに言われました。この神様の命令は前に約束したことと理屈的には矛盾するのではありませんか? 創世記12章2節で、神様はアブラハムにこう言われました。「わたしはあなたを大いなる国民としよう。」 それなのに一人息子を取り上げるのです。しばしば私達が出会う人生の試練というものは私たちの理性では理解できないということでしょう。

 さて、アブラハムも同じだったと思いますが、朝早く起きてロバに鞍を置き、二人の若者とその子イサクを連れ、全焼のいけにえの薪を割り、立って神が示されたモリヤの山へ出かけました。黙々と事を進める父アブラハムの姿が印象的です。こうした行動の背後には父親アブラハムは心の中では息子イサクをすでに神様に捧げてしまっていたのです。そして主なる神様は必ず私の手に愛する息子を返してくださるという信仰があったのではないでしょうか。ですからモリヤの山に着いた時二人の若者に言いました。「あなたがたはロバと一緒にここにいなさい。私と息子は向こうへ行って礼拝し、その後あなたがたの所へ帰ってきます。」

 この話は来週も続きます。

 聖書のことばです。
 「信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。
 ヘブル人への手紙11章17節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2012.10.31放送でのお話より )

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■真理のことばを日々握りしめて / 山中直義

2012年10月30日 | Weblog
2012/10/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 今日という日を力強く喜びをもって生きる秘訣は真理のことばを日々握り締めて生きるところにある、と聖書は教えています。

 新約聖書ルカの福音書12章でイエス・キリストは、「あなたがたは主人の帰りを待つしもべのようでありなさい」(36節参照)とおっしゃいました。留守にしていた主人が必ず帰って来るようにあのイエス・キリストが必ず私たちの元に帰ってこられる。聖書はそう教えています。そしてその日こそがわたしたちの人生、私たちの生き方が清算される日であると教えています。私たちが人生のゴールに据えなければならないのは、他のどんな日でもなくこのイエス・キリストが帰ってこられる日、このイエス・キリストによって私たちの人生が清算される日であると聖書は教えています。

 それでは具体的にはその日をどのようにして待つべきでしょうか。

 イエス・キリストはこう言われました。「腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。」(35節)

 帯というものは腰をしっかりと決める力の源であると言えます。またこの帯は聖書の中では真理を示すものとして教えられています。沢山の考え方があって真理などあってもなくても同じようなものということではありません。たった一つの本当の真理がある。その真理をしっかりと握り締めて生きるときにあなたがたは力強く生きることができるのだと聖書は教えています。

 また「明かりをともし続けていなさい」とも言われました。神様のみことばこそが私たちの足の道を照らします。そしてこの暗闇に満ちた世の中でも私たちをまっすぐに導くことができます。今日という日を力強く喜びをもって生きることができます。

 どうぞあなたも真理のことば、聖書のことばを日々握り締めて生きてください。どうぞこの世の光を毎日お聞きください。そして日曜日にはどうぞお近くのキリスト教会にお越しください。あなたも聖書のことばに耳を傾けながら真理のことばを日々握り締めて力強く喜びをもって生きることができるのです。それではまたお聴きください。

(PBA制作「世の光」2012.10.30放送でのお話しより )

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■神の子としての特権 / 関根弘興

2012年10月29日 | Weblog
2012/10/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。 今日もヨハネの福音書を読んでいきましょう。1章の12節。

 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

 イエス・キリストは一人ひとりに対して、あなたはわたしの民、家族そのものだ、と語りかけてくださるお方です。そしてイエス・キリストはあなたの心の扉をノックしてくださっているお方。もしそのノックの音を聞いて心の戸を開いてイエス・キリストを迎えるならそれが神の子どもとしての出発となっていくのだと聖書は約束しています。

 もちろんここに書かれている「神の子どもとされる」という意味は、神様と同じようになるとか神様と同じ力を持つという意味ではありません。それは切断されていた絆が回復され、神様と新しい絆で結ばれるようになるということなんですねえ。それは血によってではなく、肉の欲求でもないという訳です。

 時にこんな誤解をされる方がいます。キリスト教国に生まれた人は皆んなクリスチャンになるんですか?とか、クリスチャンの子どもは自動的に皆んなクリスチャンなんですか?とかですね、そういうふうに考えるんですねえ。

 で、私は牧師の子どもとして生まれ育ちましたけれど決して自動的にクリスチャンになった訳ではありません。私がクリスチャンになったのは高校1年生の夏でした。わたしは牧師の家庭に育ち、ま、中学の時にはいろんな不満を持っていました。日曜日には礼拝に出させられ小遣いはもらえないとかですねえ、両親は教会のことで頭が一杯というふうに見えたので何で俺はこんな家に生まれたんだろう?、ま、そんなふうに思った訳です。しかし高校生になったその夏のことでした。軽井沢で高校生のバイブル・キャンプというのが開かれたんです。私は、ま、軽井沢という場所に惹かれまして参加しました。その最終日のことでした。説教者が最後に何度もこう言うんです。「イエス・キリストはあなたの罪のために十字架について死んでくださったんです。あなたのために命を捨ててくださったんです。」 このように語ったんです。私のためにそれも私の罪のために死んでくださった方がもしいるなら、この方を無視するという生き方はとても卑怯な生き方なのではないか、と思ったんですね。そして私はその夜、こっそり自分の部屋に戻ってきて私の心の扉をずっとノックし続けてくださったイエス様を心にお迎えしたんです。このことが私のクリスチャンとしての生涯のスタートとなりました。

 もちろんクリスチャンになっても苦しいことや悲しい事はあります。でもイエス・キリストはいつでも人生の道を照らす光となってくださり、聖書の約束のことばを通して励ましと慰めを与えてくださるお方なんですね。

(PBA制作「世の光」2012.10.29放送でのお話しより)

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■主は牧者(羊飼い) / 羽鳥頼和

2012年10月27日 | Weblog
2012/10/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 旧約聖書のエゼキエル書34章に、イスラエルの指導者たちに対する神様のことばが記されています。神様は指導者達を羊飼いに喩えて語られました。「羊飼いは羊を養わなければならない。それなのにあなたがたは羊たちを養わない。弱った羊を助けず、病気の羊を治さず、けがをした羊の治療もしない。迷った羊がいても探そうともしない。それどころか力づくで羊たちを支配している。」と。イスラエルの指導者が人々を暴力で支配し、私腹を肥やし自分たちは裕福になり、贅沢な暮らしをしていることを神様は非難されました。

 そして神様は言われました。「わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。・・・わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。」(11節、15節、16節)と。神様は私たちの羊飼いとなって私たちを養い幸せな人生を与えてくださるのです。

 そして神であるイエス・キリストも私たちの羊飼いとなってくださいました。新約聖書のマルコの福音書6章34節に「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」とあります。イエス様は私たちを深く憐れんで私たちの羊飼いとなってくださるのです。

 新約聖書のヨハネの福音書10章11節でイエス様は言われました。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と。「わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」とはイエス様が十字架にかかり私たちの身代わりとなって死なれることを言っています。イエス様は私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださいました。これによって、私たちは罪から清められるのです。そして十字架で死んだイエス様は三日後によみがえられました。そして良い羊飼いとして私たちを養ってくださるのです。

 この素晴らしいイエス・キリストに出会うためにぜひキリスト教会にいらしてください。

( PBA制作「世の光」2012.10.27放送でのお話より )

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■人生の秋での、心の健康 / 岩井基雄

2012年10月26日 | Weblog
2012/10/26放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋を迎えて私たちは心も体も健やかであることの素晴らしさを噛み締めることがありますよねえ。

 スイスの心理学者ポール・トゥルニエは『人生の四季』という著書の中で、私たちの人生には春夏秋冬の四つの時期があり、年齢的な季節だけではなく成熟へのプロセスのように四季の心を迎えることがある、と示しています。

 秋は実りの季節であると共に喪失の時でもありますねえ。輝かしい夏が終わり秋が深まっていくとき、私たちは友との別れや人生の浮き沈みや体の不調など様々な問題を抱えることが少なくありません。あなたはそんな人生の秋にどう備え、またどう歩んでいらっしゃるでしょうか。

 聖書の中に次のようなことばが記されています。

 「むしろ、敬けんのために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬けんは、すべてに有益です。このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。
   新約聖書 テモテ第一の手紙 4章7節から9節


 敬虔とは「敬い慎む気持ちの深いさま、特に神仏を深く敬い仕えるさま」という意味だそうです。正しく神を敬いへりくだる心の訓練が私たちに真の成長を与えます。人生の本当の実りはその人の人格に表わされる敬虔という豊かな実りなのではないでしょうか。神を恐れ敬い人々に愛を持って接する敬虔の訓練は、今のいのちと未来のいのちを約束してくれるのです。真の成長、敬虔の訓練はすべてに有益だと言うのですねえ。

 あなたもこの秋また人生の秋に心を整え神を求め敬い、人が見ていようと見ていまいと真実で誠実な歩みを求め、真の実りを心に与えられていきませんか? 聖書はそんな人生の実り、心に与えられる真の実りをこう語っています。

 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

 あなたの心にも豊かな豊かな実が結ばれていきますように。本当の敬虔と真の実りは神のことば・聖書によって心が耕されることから始まるです。

 (PBA制作「世の光」2012.10.26放送でのお話しより)

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■思い違いをしてはいけない / 福井 誠

2012年10月25日 | Weblog
2012/10/25放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブルメッセージ「思い違いをしてはいけない」です。それではマタイの福音書の22章29節から読んでみましょう。

しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」

 先週のお話はどっちに転んでも罵倒される結果になる、うかつに答えられない難しい質問でしたねえ。カイザルに税金を納めるか否かそういう質問でした。今日の質問もかなり難しいものです。ユダヤ人の宗教的な教理・復活という出来事をめぐる質問です。

 で、復活ということですが、合理的な考え方の持ち主には信じられない教理ではないでしょうか。人がよみがえるなんてそんな子どもじみたことを信じてと笑われてしまいそうですねえ。イエスに質問したサドカイ人という宗教的な一派も復活の教理を否定する人々でした。彼らは復活がいかに愚かな考えであるかを示そうとしていたのです。

 そこで彼らが取り上げたのはイスラエルの独特の掟です。つまり兄が子のないままで死んだならばお家が存続するように弟が兄嫁と結婚して子を設けなくてはいけないという掟がありました。そして七人兄弟がいて七人とも子どもを設けることができずに死んだ場合、七度再婚を繰り返したこの女性は復活後いったい誰の妻になるのかというわけです。こんなことが起こったらそこはもう天国じゃなくて地獄かもしれませんね。復活の考えの愚かさを示そうとしました。

 これに対してイエスはそれは大きな勘違いだと語っています。今の世の感覚で復活を考えたら信じられなくて当然です。復活はあの世でのお話、あの世のことはあの世の感覚で考えなくてはいけません。娶るとも嫁ぐこともない天使のような世界の感覚があるという訳ですね。

 私たちは神様について自分の常識を押し当てて考えているものです。しかし、自分の常識から神様を考えていたなら神様は自分の身丈と同じで余り信じたいようなものにはならないでしょう。しかし神様というのは私たちの思いをはるかに超えたお方ですね。私たちの常識を超えた世界があるのです。神様を聖書が語る通りの天地創造の偉大な神様として認める信仰を持っていきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.10.25放送でのお話より )

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■この世に生きる神の人 / 板倉邦雄

2012年10月24日 | Weblog
2012/10/24放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「この世に生きる神の人」という題でお話ししましょう。

 キリスト信徒はこの世では旅人であり寄留者であると聖書の中で言われています。天国への旅人ですから、この世では余り深入りしないようにと言う勧めですね。しかしこの世に生きる国民です。

 ではこの世で神を信じる者としてどのように生きていくのか、そのことを今日の創世記の21章は私たちに教えてくれます。

 今、アブラハム一族は外国の地であるペリシテ人の国に寄留していました。ある日のことでした。ペリシテ人のアビメレク王様と軍隊長ピコルがアブラハムを訪ねて言いました。「神様があなたと共にいることは私たちにはよくわかっています。そこで、あなたの信じる神に誓って約束してください。私たちと私たちの子どもそして孫たちを欺かないように、ということです。私があなたに親切にしたようにあなたも私とこの寄留の地とに親切にしてください。」 アブラハムは答えました。「私は誓います。」 この世で私たちはお互いに親切にすること、まただましたり利用したりしないということですよね。

 さてしばらくしてアブラハムは、荒れアビメレク王様の家来たちが自分たちの掘り当てた水の井戸を奪い取った、ということを聞きました。そこでアブラハムはそのことについてアビメレク王様を咎め、責めたのです。王様はびっくりして言いました。「私は知りませんでした。また今まであなたは私にそのことを報告しないし、今日初めて私は聞きました。」 

 そこで二人は契約を結ぶことになりました。すなわちアブラハムは自分が堀った井戸の証拠として七頭の小羊を王様に進呈したのです。重要な事柄においては契約を取り交わしておくという知恵が必要でしょう。後で言った言わないの論争を避けるためです。「勇気のある人は皆約束を守る人間である」ということばがあります。アブラハムは勇気のある人でしたね。その勇気は主なる神様から来ていたのです。

あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 ヨハネ福音書16章33節 (口語訳聖書)

( PBA制作「世の光」2012.10.24放送でのお話より )

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■火を投げ込むために / 山中直義

2012年10月23日 | Weblog
2012/10/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。私たちにはどうしても経験しなければならない変化・変革というものがある、聖書はそう教えています。新約聖書ルカの福音書12章49節に次のようなイエス様のことばがあります。

 「わたしが来たのは地に火を投げ込むためです。だからその火が燃えていたらとどんなに願っていることでしょう。

 「わたしが来たのは地に火を投げ込むため」である。イエス・キリストはそうおっしゃいました。

 聖書の中で火というものは不純物を取り除き何かを造り変えるそんな働きを持つものとして教えられています。イエス様がこの世に来られたのは私たちの内から不純物を取り除いて本当に私たちを造り変えるためである。聖書はそう教えています。

 ところが私たちは痛みを伴う変化・変革というものを望まないのではないでしょうか。できれば痛みが無いまま、このまま生きて行きたい、そう思うのが私たちの願いだと思います。しかしイエス様は私たちがこの火によって変えられることをどんなに願っていることだろうとおっしゃいました。私たちがどうしても変えられなければならない部分、それは神様との関係であると聖書は教えています。神様を無視し神様から離れていく、そして永遠の滅びへと向かっていく、その部分だけは何があっても変えられなければならない。そのためにわたしは世に来た、とイエス・キリストは言われました。

 火は触れたものを必ず熱くし燃やし造り変えます。イエス・キリストの愛は私たちを必ず変えることができる。聖書はそう教えています。イエス・キリストの愛に目を向けるとき、私たちも必ず変えれると聖書は約束しています。そしてその火は一度だけではなくて何度も何度も私たちを燃やし造り変えることができると聖書は約束しています。

 「わたしが来たのは地に火を投げ込むためです。」 私たちは自分の力では自分を変えることができないかもしれません。しかしあのイエス・キリストの愛は私たちを必ず造り変えることができます。どうぞあなたも心を込めてこのイエス・キリストのことば、聖書のことばに耳を傾けてください。そして次の日曜日、どうぞお近くのキリスト教会にお越しください。あなたを造り変えてくれるイエス・キリストの愛があなたに必ず変革をもたらしてくれます。

(PBA制作「世の光」2012.10.23放送でのお話しより )

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■すべてを照らす光 / 関根弘興

2012年10月22日 | Weblog
2012/10/22放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日もヨハネの福音書からお話をして行きます。1章9節10節 

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

 この福音書を記したヨハネは、人のいのちとなりすべてのものを照らすまことの光、その方こそイエス・キリストであると記しています。しかし今日の箇所は何とも寂しいことばでしょう。ヨハネはイエス様こそ神のことばであり、この世界を造られたお方なのに光そのものなるお方なのに、でもそれを聞いた人たちは殆ど無関心の状態だったというんですね。イエス・キリストはすべての人を照らす光として来てくださいました。イエス・キリストの恵みの光の及ばない所はありません。どんな暗闇もどんな陰もイエス・キリストの恵みの光の及ばない所は決してありません。しかし人々はイエス・キリストを知ろうとしなかったと言うんですねえ。

 さらに続けてこう書かれています。イエス様は「ご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(11節)

 この「ご自分の国」と訳されることばは「自分の家」とも訳されることばです。

 想像してみてください。あなたが夕方家に帰ってきたとしましょう。家族のために一所懸命に働き、愛をもって行動し、お土産を持って帰ってきたのです。しかし玄関を開けた途端こう言われたらどうでしょう。「あなたは誰ですか? この家にあなたなど必要ありません。」 「何言ってるんだ私たちはみんな家族ではないか。」と幾ら言っても聞く耳を持とうとしないんです。こうなるともはや家族であっても家族の姿ではありませんね。

 ヨハネは素晴らしい救い主が来てくださったにもかかわらず人々の心は閉じたままの状態だったと記しているんです。

 でもそれは今も同じような光景を見ることがありませんか? イエス・キリストは一人ひとりに対して今も同じように「あなた私の民、家族そのものだ。」と語りかけておられるんです。あなたの人生の暗闇を取り去り、光の照らす道を歩んで行こうと語られるのです。それなのに「私はあなたなど知りません。家に迎える? 到底できません。」と応答するなら、それはイエス・キリストの痛みであり悲しみです。

 ヨハネの黙示録という所には、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録 3章20節)と書かれています。

 イエス・キリストは今日もあなたの心をノックし続けてくださってるんですね。私たちができること、それは「イエス様、心の扉を私は開きます。どうぞ私の人生の救い主としてお入りください。」と招き入れることなんです。

(PBA制作「世の光」2012.10.22放送でのお話しより)

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■ご自分を教える神 / 羽鳥頼和

2012年10月20日 | Weblog
2012/10/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。旧約聖書でエゼキエル書という書物があります。エゼキエル書にはバビロンの国によってユダの国の首都エルサレムが滅ぼされることが預言されています。エルサレムが滅ぼされることはユダの国の人々の罪に対する神のさばきでした。そのエゼキエル書の29章に、ユダの国のすぐ南にあるエジプトに対する神のさばきが預言されています。

 どうして外国へのさばきのことがわざわざ記されているのでしょう。神様は誰の罪も見逃しません。ですから、ユダでもエジプトでも罪を犯した者には神のさばきがあるのです。

 エジプトの罪とは何だったんでしょう。エジプトは古来ナイル川によってとても繁栄していました。ナイル川の恩恵を受けていたエジプト人はナイル川について、「この川は私のもの。私がこれを造った。」(3節参照)と言っていたと聖書は語っています。創造主である神様がこのナイル川を造られたのです。それなのにエジプトは自分がナイル川を造ったのだと言って創造主なる神を軽んじたのです。これが彼らの罪でした。この罪に対して神様はさばきを行うのです。

 もう一つ、エジプトへのさばきがユダの人々に語られた理由があります。エジプトはとても強い国でした。ですから、バビロンの国の脅威におびえていたユダの国の王はエジプトに助けを求めました。そこで神様はエジプトに対する神のさばきを預言されたのです。「神のさばきによってエジプトの国は荒れ果て廃墟となる。40年後にエジプトは復興するが、こうしたエジプトの国はもはやかつての強さはなくなり取るに足りない国となってしまう。」(9節-14節参照)と。

 ここに神様がエジプトへのさばきのことを知らせたもう一つの理由があります。神様はユダの国にエジプトが頼りにならなくなることを教え、エジプトではなく、そのエジプトを裁かれる神様に信頼し、神様に立ち返るようにと勧めているのです。

 神様はすべてのものをつくられたお方であり、罪を犯すものを滅ぼされるお方です。今も神様は聖書を通してご自分のことを知らせておられます。あなたも聖書を通して神様を知るためにぜひキリスト教会にいらしてください。

( PBA制作「世の光」2012.10.20放送でのお話より )

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