♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしについて来なさい / 福井 誠

2012年05月31日 | Weblog
2012/5/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「わたしについて来なさい」です。それではマタイの福音書16章24節25節から読んでみましょう。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

 ラジオを聞いている皆さんの中にはもう何年も、いや何十年も聖書のお話を聞き続けてきて、聖書をよく知っているという方もいるでしょう。そこで一つ問題を出したいと思います。イエスが「わたしについてきなさい」と言ってイエスについていった人がいます。誰か一人思い浮かべられますか? そうですね、この福音書を書いたマタイですね。マタイの福音書の9章9節を読みますと、その日マタイは収税所に座っていたとあります。マタイはどうやらお金には困らない生活をしていたようです。けれどもマタイの心は満たされずどうやらこの日もぼんやりと座っていたのでしょう。

 あるお金持ちが言いました。「お金持ちはお金で人生をごまかすことができる。でも人の心にはごまかしきれない空しさがある。」と。確かにどんなにグルメ料理を楽しんでみても、どんなに海外旅行を楽しんでみても、それらが心の空洞を埋めるはかない楽しみに過ぎないと悟る時が来るものですねえ。更にお金や地位があることによって様々な面倒に巻き込まれ、人間の裏を見せられ、心の静けさを望むことがあるものですねえ。

 あとでイエスが言うように「たとい全世界を手に入れても何の得もない」(参照 マタイ16章26節)ということがあるものです。マタイもそんな心境だったのでしょう。そんなマタイにイエスは言われました。「わたしについてきなさい。」 ---はかない楽しみを求める自分を捨て、イエスにある喜びを求めてついてきなさい--- と。それは楽しみの道ではなく、むしろ茨の道、十字架の道かもしれません。しかし、自分のいのちを見いだす道だとイエスは約束するのです。

 あなたはぼんやり座っていませんか? ならばイエスに従ってみませんか? あなたが思う以上の人生が開けるからです。

  ( PBA制作「世の光」2012.5.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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■身内の不幸 / 板倉邦雄

2012年05月30日 | Weblog
2012/5/30放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「身内の不幸」という題でお話ししましょう。

 この世に生きる限り私たちは様々な不幸に出会うことになるでしょう。特に身内の不幸の際は心を痛めるものです。ヘブル人アブラムも身内の不幸を経験しました。旧約聖書の創世記14章です。

 まずアブラムの時代に戦争が起こりました。当時エラムの王様ケダラオメルが支配していました。その支配を不服としたソドムとゴモラの王様他三人の王様は手を組んで反乱を起こしました。ソドムとゴモラの連合軍はケダラオメル王様の同盟軍に塩の海で戦いを挑んだのですが破れ去ってしまいました。同盟軍は勝利の勢いでソドムとゴモラを略奪し町中の財産と食料を洗いざらい奪って引き上げました。

 その時アブラムの甥ロトもソドムに住んでいましたので捕虜にされ全財産を奪われてしまいました。そこに一人の男がアブラムの所へ駆け込み一部始終を報告しました。身内のロトと家族が滅びなり財産が奪われたことを聞くとアブラムは総勢318人の一族郎党を引き連れ、引き上げる同盟軍も追いかけました。そしてその夜奇襲作戦を仕掛けたのです。作戦はまんまと成功し、敗走する軍隊をシリアのダマスコまで追いかけました。そして略奪された財産は全部取り返したのです。身内のロトと家族、全財産、捕虜になった人々です。

 ところで身内の不幸は様々な形で私たちの人生の中に起こって参ります。その時責任者である人はどうするか、家長はどうするか、二つに一つしかありません。しょうがないと不幸を無視する、諦める。もう一つは協力者と共に不幸に取り組むことです。

 私たちは不幸や問題の原因だけを探求しますが、それはまことの解決にはなりません。不幸や問題と取り組む信仰と勇気こそ大事でしょう。アブラムは甥のロトがソドムとゴモラに住んだ事を責めたりはしていません。

 キリストのことばです。
 「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている
       ヨハネ福音書16章33節

( PBA制作「世の光」2012.5.30放送でのお話より )

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■支払われた代価 / 山中直義

2012年05月29日 | Weblog
2012/5/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 あなたはご自分にはどれほどの価値があると思いでしょうか。今日は「支払われた代価」と題してお話をさせて頂きます。新約聖書ローマ人への手紙8章12節にこうあります。新共同訳聖書でお読みします。

 「それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務があります・・・」

 この箇所を直訳すると「兄弟たち、私たちは負債者です」となります。私たちは負債者である、果たすべき務めを負っているんだ、聖書はそう教えています。

 それは神様が私たちのためにとてつもない代価を払ってくださったからだと聖書は教えています。神様は私たちのために最愛の独り子・御子イエス・キリストをお与えくださった、そのいのちのすべてを与え尽くしてくださったと聖書は言います。

 「自分の価値」と言う時に私たちはつい何かができるということや何かを持っているということを基準にしやすいのではないかと思います。しかし聖書は神様が最愛の御子さえお与えくださった、それほどに私たちは高価で尊いのだと教えています。

 そして神様が代価を支払ってくださったことには明確な目的があったとも教えられています。その目的とは私たちが生きること、喜びと誇りを持って神様と共に生きることだ、と聖書を教えています。

 神様がイエス・キリストを差し出してくださったその理由それは私たちを奴隷として使えさせるためなのではない。いやむしろ神の子どもとして神様の愛を一身に受けながら喜びと感謝を持って生きるためだ、と聖書は教えています。

 あなたには価値がある、あなたは神の目に高価で尊い、と聖書は教えています。神様はあなたのために代価を支払ってくださいました。あなたは神様の子どもとして喜びと感謝を持って生きることができる、聖書はそう言います。神と共に生きる、そんな価値のある人生をあなたもどうぞ歩んでください。

 聖書のことば
 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
        新約聖書コリント人への手紙第一 6章20節

   (PBA制作「世の光」2012.5.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■心のジレンマ / 関根弘興

2012年05月28日 | Weblog
2012/5/28放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 私たちは人生をより良く生きたいと願いますし、人々の中では良き人間として歩んでいきたいと願います。しかし実際の生活で直面することは、心ではわかっちゃいるんだけれど行動に現わせないという、ま、心のジレンマというものを感じることがあると思います。

 新約聖書の後半の手紙の多くを記した人物はパウロという人です。ま、イエス・キリストの福音を世界中に伝えた人です。そんな彼がローマ人への手紙の中でこんなふうに書いています。7章の15節(から) 「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。・・・私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(15節、18節、19節)

 あのパウロという人もこのような葛藤があったんですね。パウロと言えば立派な教育を受け、まあ当時の国会議員にも成れたような人です。ユダヤ教の厳格な一派に属し、熱心に戒めを守ってきた人です。ま、そんな彼が後にクリスチャンになり、教会のリーダーとなっていきました。しかし人から高い評価を受けた彼であっても、自分の心だけを正直に見るなら私は善をしたいと思ってるのに悪を行なってしまうという心の葛藤を持っていたようです。

 私たちはイエス・キリストを信じ生きて行くときにも、失敗もありますし自分の心を見ると、分かっちゃいるけどできないという弱さを知ることもあります。ですからもし私たちが自分の心の姿だけを見つめて生きて行くならパウロが叫んだこんな叫びが生まれるでしょう。「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7章24節) こんな叫びです。一体誰が救い出してくれるんでしょう。

 パウロは確信に満ちてこのようにも記しているんです。「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。・・・今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ7章24節、8章1節)と。

 自分の心だけをじっと見つめる生き方ではなくてイエス・キリストがあなたになさった大きな出来事を見つめ、信じ受け入れていくんです。私たちのために身代わりに十字架について死んでくださったイエス様のゆえにもはや罪に定められることはないという確信、私たちの立派な功績や善行によってではなく、イエス・キリストのゆえにただ神様に感謝する生涯の中に、実は心のジレンマからの解放があるんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.5.28放送でのお話しより)

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■神様、僕も仲間にいれて / 羽鳥頼和

2012年05月26日 | Weblog
2012/5/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 ハービーという子が神様にこんな手紙を書きました。「かみさま ぼくも なかまに いれてよ。あなたのともだち ハービーより」

 ハービーはどうして神様に仲間に入れてと願ったのでしょう。友達がいなくて寂しかったのかもしれません。でも私はもう少し創造を膨らませて見ました。ハービーはいじめられていたのではないでしょうか。クラスでいじめられて仲間はずれにされていたのではないかと想像しました。そして私はそんなハービーに神様だったらどんな返事を書くだろうと考えたのです。

 詩篇118篇7節に「主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。」とあります。神様はハービーに言うでしょう。「ハービー、わたしはあなたの味方だよ。」 そしてハービーは安心して言うでしょう、「神様ありがとう。僕はもういじめっ子も怖くありません。」と。

 詩篇124篇には神様が自分たちの味方であることを覚えてこのように言っています。「ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられた|仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。」(6節、7節)

 彼らとはイスラエルの敵のことを言っていますがいじめられている子供にとっての敵とはいじめっ子です。ですから神様はいじめっ子から守ってくださりいじめから助けてくださるということができるでしょう。大人も孤独で寂しかったり人間関係がうまくいかなくて悩んだりします。そんな時はハービーのように神様に願うのが良いのではないでしょうか。「神様、私の味方となってください。」と。

 私たちには人を妬んだり憎んだりする悪い心があります。その悪い心をきよめられなければなりません。イエス・キリストの十字架は私たちの罪をきよめます。神様の仲間になるためには、きよめが必要なのです。神様との関係が良くなることによって人間関係もよくなるのです。ですから神様は私たちの味方となるためにイエス・キリストを遣わしてくださったとも言えるでしょう。

 あなたを愛しておられる神様は、私たちが神様を愛し、互いに仲良く愛し合うことを望んでおられます。本当の愛を知るためにぜひキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」2012.5.26放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内)  東海福音放送協力会 へ
            
 

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■祈りに対する不思議な応え / 岩井基雄

2012年05月25日 | Weblog
2012/5/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 私たちは時々、神に祈ることがありますね。祈りの対象の神様がどんな方か分からなくても、病気のときや身体の不自由さを抱える時、なおさら祈りたくなりますよね。あなたはいかがでしょうか。

 アメリカのニューヨークにある物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁には次のような「病む人の祈り」が掲げられているそうです。


大きな事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった


より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた


幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった


人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた


私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ


(※ J・ロジャー・ルーシーによる…イエズス会の神父。ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に、入院中この詩を書き残した。)

 病気や体の不自由さを持ち、治療やリハビリをしている人々またその支え手となる人々がまず心に留めることそれは神様はどんなことも恵みに変えることができ、私たちの不自由ささえも用いて本当の宝や答えを見いだすことができるお方だというのですね。私たちは、できることならば様々な苦しみや悲しみを避けたいと願います。しかし聖書が語るまことの神様は私たちにそれらのことをあえて与えるとき、その苦しみも用いて私たちの人生を豊かに祝福してくださるのです。
 旧約聖書の詩篇にはこう書いてあります。
 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」 詩篇119篇71節

 聖書が語る神様はあなたが祈る前からあなたの必要を、あなたの求めをすべて御存知です。そしてあなたに本当に必要なもの永遠に価値のある本物を与えてくださるのです。あなたも神様にある本当の豊かさに生かされませんか? 

   (PBA制作「世の光」2012.5.25放送でのお話しより)

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■ハデスの門も打ち勝てない / 福井 誠

2012年05月24日 | Weblog
2012/5/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「ハデスの門も打ち勝てない」です。それではマタイの福音書16章18節から読んでみましょう。

 「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

 イエスをキリストである、約束の救い主である、と認めたペテロに対するイエスのことばです。イエスは率直にペテロのことばを喜ばれました。イエスをまことの救い主として認めたその信仰を喜ばれたのです。そしてペテロが表明したその信仰を土台として教会が建てあげられるのだと宣言されました。ここに私たちはキリスト教会がどのようなものであるかを教えられますねえ。

 一つは「この岩の上にわたしの教会を建てます。」とイエスはおっしゃいました。ここには一種のかけことばがあります。「ペテロ」はギリシャ語で「岩」を意味します。ですから「この岩の上に」と言うのはペテロの上にと言うまさにペテロが告白した信仰の上に教会は建つということですね。

 実際教会はイエスを救い主であると信じる人々を土台として建てられています。職業も学歴も家柄もさらには人種も違いながら、イエスを救い主であると信じ告白する人たちの集まりで作られていくのです。

 そしてイエスは、この教会にはハデスの門も打ち勝つことができません、とおっしゃいました。教会は力強いと言うのです。どんな強さなのか。ハデスの門というのは死の入口です。人は死の門をくぐったらもう二度とそこから抜け出すことはできません。どんな力でもってしても死の門をこじあけることはできないものです。ところがイエスはこの死の門を打ち破って復活されたお方です。そしてイエスを救い主として信じる人々はまさにこの死の門を打ち破る復活の希望と力に生きている人々です。教会はイエスを救い主として信じ、死の門を打ち破るイエスの復活の力に生きている人々の集まりです。

 教会には希望があります。ぜひあなたにもそのような生命溢れる教会に来て頂きたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2012.5.24放送でのお話より )

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■選ばれる人生 / 板倉邦雄

2012年05月23日 | Weblog
2012/5/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「選ばれる人生」と題してお話ししましょう。旧約聖書の創世記13章です。

 先週、アブラム家とロト家の間の使用人の間でトラブルが発生したとお話ししました。原因はお互いの羊や牛が多くなって同じ場所で牧草地の取り合いになったからです。

 そこでアブラムは弟の子・甥のロトに提案しました。「私たちは親類だ。私たちの間にも使用人たちの間にも争いが無いようにしましょう。そこで提案ですが、私たちは互いに別々に生活しましょう。全地は私たちの前にあります。あなたが左に行けば私は右に行きます。あなたが右に行けば私は左に行きましょう。」 アブラムは今までずっとお世話になった叔父さんです。年齢もずっとロトよりも上でしょう。選択の権利はアブラムにありました。しかしアブラムは選ぶ人生ではなく選ばれる人生を選択しました。

 さて、甥のロトは目を挙げてヨルダン側の低地を見渡し、エデンの園のように潤った緑地帯を選びとりました。そこにはソドムとゴモラという名前の開発された便利な街がありました。反映する町には悪人も繁殖します。ソドムの人々は悪く、神に対して甚だしい罪人であったのです。

 選ばれる人生を選んだアブラムは選びの神様が現れてくださいました。「目を挙げてあなたのいる所から東西南北を見渡しなさい。あなたが見渡す地は永久にあなたとあなたの子孫に与えます。あなたは立って自分の足でその地を巡回しなさい。わたしは歩いた地をあなたに与えます。」

 私たちの人生の始まりは時代を選ぶことはできません。また親や兄弟を選び取ることもできません。そしてこのように生を受けるのです。ですから死ぬ時も死に場所も選び取ることはできないのです。とすれば今の人生も選ぶ人生ではなく選ばれる人生を選び取るたいものです。選ばれる人生には神様の祝福がついて来るようですね。

 イエスのことばです。
 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためである」
 ヨハネ福音書15章16節 口語訳聖書参照

( PBA制作「世の光」2012.5.23放送でのお話より )

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■求めよ。さらば与えられん / 山中直義

2012年05月22日 | Weblog
2012/5/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。「求めよ。さらば与えられん。」 よく知られているこのことばは新約聖書ルカの福音書11章9節に記されているイエス・キリストのことばです。熱心に願い求めることの大切さを説くこのことばですが、実はあるたとえ話の結論として語られています。

 ある人のもとに一人の友人が訪ねてきました。この友人は旅の途中でしたが食べるものを持っていなかったと言います。何とかして友人に旅を続けさせてやりたい、パンを与えてやりたいと願った彼でしたが、彼の手もとにはそのパンがありませんでした。それで真夜中であったにもかかわらず彼はもう一人の友人を尋ね「友よ。パンを三つ貸してくれ。私の友が旅の途中、私の家へ来たのだが出してやるものがないのだ。」と言ったと言います。ですがそれは真夜中であったので寝床について休んでいた友人は最初その願いを断ったと言います。しかしこの人が恥も外聞も捨てて必死に願い続けたのでこの人の熱心さのゆえに必要なものが与えられたと言います。

 このたとえは私たちに何を教えているのでしょうか。実はこのたとえ、私たちに必要なものを与えるためにイエス・キリストが恥も外聞も捨てて必死に願い求めてくださった、十字架にまでかかってくださった、そのイエス・キリストの愛を教えているのです。

 聖書は言います。「人はパンだけできるのではない。私たちに本当に必要なのは神が与えてくださる命のパン・神のことばである。」(参照 申命記 8章3節、マタイ4章4節)と聖書は言います。そしてその神のことば・命のパンを私たちに与えるためにイエス・キリストが必死に願い求め、十字架にまでおかかりくださったと聖書は言うのです。

 あなたを友と呼び、あなたに本当に必要なものを与えようと十字架にまでお架かりくださったイエス・キリスト。このお方のゆえに命のパン、あなたを生かす神のことばは備えられていると聖書は教えています。

 どうぞあなたもこの命のパン、あなたを生かす神のことばを受け取ってくださいますように。

 聖書のことば
 「求めよ、さらば與(あた)へられん。」 新約聖書ルカの福音書11章9節 文語訳聖書

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■愛は演技ではない / 関根弘興

2012年05月21日 | Weblog
22012/5/21放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日も最初に聖書のことばを紹介しましょう。

 ローマ人への手紙12章9節 「愛には偽りがあってはなりません。

 私たちに必要なのは誠実さです。誠実さというのは偽りではないということです。「愛には偽りがあってはならない」と聖書に書かれていますけれど、この「偽り」ということばは「演技」とも訳されることばです。

 もう大分前ですけれど朝のドラマを見ていた時がありました。そのドラマの主人公はとても清楚でしっかりしていて、そうですねえ、野に咲く一輪の花のような優しいイメージの役柄でした。しかし、しばらくして別のテレビ局の製作したドラマを見たら驚きました。今度は全く正反対の悪女を演じていたからです。女優さんは、まあいろんな役柄を演じる訳ですよね。そして見ている人を楽しませるわけですが、それらはみな演技な訳です。

 ドラマの世界では演技が大切です。しかし愛には偽りがあってはならない、愛には演技があってはならないと聖書には記されているんですねえ。

 考えてみてください。もし愛することを偽りで固めていく人生ってあるならば、結局どこかで大きなしっぺ返しを食らうでしょうね。私たちは自分を立派に見せようと、時には背伸びをして演技してしまうかもしれません。また自己保身のために偽りで覆ってしまうことがあるかもしれません。でも結局それは疲れていくだけの人生となってしまうでしょう。

 ぜひ知っていただきたいんです。神様の愛は決して演技や偽りではないということです。神様は私たち一人一人をそのまま愛してくださるお方です。そしてご自分の独り子なるイエス・キリストをこの世に遣わし、私たちの汚い罪のために十字架につけるほど命をかけた愛を私たち一人一人に示してくださっています。

 ですから私たちに必要なことは、神様の前に偽ることなく誠実にそして正直に自分のありのままの姿を認めてこの大きな大きな神様の愛を受け入れ、愛された者として生きていくことなんです。そんな人生を歩み始めるときに、更に愛に生きるということの大切さを学んでいくはずです。

 愛には偽りがあってはなりません。繰り返しますが、神様がイエス・キリストを通して示されたあなたへの愛は実話でもなければ演技でもありません。十字架で命をかけた大きな大きな愛です。この偽りでない大きな愛が今番組を聴いてるあなたにも注がれていることをぜひ知っていただきたいと思います。

  (PBA制作「世の光」2012.5.21放送でのお話しより)

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