2016/10/31放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
番組に「永遠のいのちとはどういうもので、どうしたらそれを得ることができますか?」という質問が届いています。
聖書は、イエス・キリストを信じ受け入れる一人ひとりに永遠のいのちが与えられると約束しているんです。永遠とは決して尽きることがなく失われることがないということですよね。イエス・キリストは「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ 11章25節)と約束されました。ですから永遠のいのちとは、この肉体の死を越えた後も続くいのちということですねえ。
またイエス・キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ 14章6節)と言われました。新約聖書の後ろの方のヘブル人への手紙という所を読みますと、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル 13章8節)と記されているんです。ですから永遠のいのちとは、イエス・キリストご自身が持っているいのち、いや聖書を読み進めていきますと、イエス様ご自身が永遠のいのちそのもののだと教えているんです。
この永遠のいのちは私たちに何をもたらすのでしょう。三つのことをもたらすんです。一つは、決して失われることのない希望をもたらします。永遠のいのちなんですから決して尽きることが無いいのちですよね。私たちのこの肉体はいつかは朽ちていきます。しかし死を乗り越えていく決して失われることのないいのちは、永遠の希望を私たちに与えるのです。
二番目に、いのちはそこにいつも応答があります。 死というものは応答のない世界です。しかし永遠のいのちはいつも神様との応答可能な関わりに生きることになるんです。どんな時にもイエス様によって祈り、叫び、求めることができる信頼の中に生きてことができるんですねえ。永遠のいのちとは神様との深い信頼関係に生きることができるいのちなんです。
そして三番目は、いのちは実を結ぶということです。永遠のいのちが与えられて生きるとき、これはイエス様のいのちそのものなんですから、最終的にイエス様にある一人ひとりは栄光から栄光へキリストに似た者へと造り変えられていくのです。
このいのちを私たちはどのように得ることができるのでしょう。聖書のことばをお聴きください。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子((イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
こう書いているんです。
(PBA制作「世の光」2016.10.31放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
番組に「永遠のいのちとはどういうもので、どうしたらそれを得ることができますか?」という質問が届いています。
聖書は、イエス・キリストを信じ受け入れる一人ひとりに永遠のいのちが与えられると約束しているんです。永遠とは決して尽きることがなく失われることがないということですよね。イエス・キリストは「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ 11章25節)と約束されました。ですから永遠のいのちとは、この肉体の死を越えた後も続くいのちということですねえ。
またイエス・キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ 14章6節)と言われました。新約聖書の後ろの方のヘブル人への手紙という所を読みますと、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル 13章8節)と記されているんです。ですから永遠のいのちとは、イエス・キリストご自身が持っているいのち、いや聖書を読み進めていきますと、イエス様ご自身が永遠のいのちそのもののだと教えているんです。
この永遠のいのちは私たちに何をもたらすのでしょう。三つのことをもたらすんです。一つは、決して失われることのない希望をもたらします。永遠のいのちなんですから決して尽きることが無いいのちですよね。私たちのこの肉体はいつかは朽ちていきます。しかし死を乗り越えていく決して失われることのないいのちは、永遠の希望を私たちに与えるのです。
二番目に、いのちはそこにいつも応答があります。 死というものは応答のない世界です。しかし永遠のいのちはいつも神様との応答可能な関わりに生きることになるんです。どんな時にもイエス様によって祈り、叫び、求めることができる信頼の中に生きてことができるんですねえ。永遠のいのちとは神様との深い信頼関係に生きることができるいのちなんです。
そして三番目は、いのちは実を結ぶということです。永遠のいのちが与えられて生きるとき、これはイエス様のいのちそのものなんですから、最終的にイエス様にある一人ひとりは栄光から栄光へキリストに似た者へと造り変えられていくのです。
このいのちを私たちはどのように得ることができるのでしょう。聖書のことばをお聴きください。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子((イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
こう書いているんです。
(PBA制作「世の光」2016.10.31放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。