♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■晴れの日ばかりじゃ / 関根弘興

2022年11月28日 | Weblog

2022/6/27放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
聖書の詩篇42篇にはこんなことばが記されています。

 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは 神を 生ける神を求めて 渇いています。」  

 パレスチナ地方の川は日本と違っていつも水が流れているわけではありません。乾期になると多くの川は枯れてしまいます。そこで鹿は、谷川に流れるわずかな水を求めて、谷に下って行くのです。この詩篇の作者は、そんな鹿の姿に自分の姿を重ねて、「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます」と記しました。必死に神様の助けを求めていく孤独な姿がそこに描かれています。

 ある学者は、「この詩篇の作者は、戦いで敗れ、敵国に捕虜として連れて行かれた祭司ではなかったか」と言います。またある学者は「この作者は女性で、もしかすると奴隷狩りで捕えられた女性ではなかったのではないか」とも言います。どちらにせよ人生の最も大きな困難、絶望の中で書かれた詩です。

 しかしそうした絶望の中で書かれた詩なのですが私たちに大きな慰めを与えてくれる詩の一つになっています。なぜでしょうか?

 この詩篇の作者が「生ける神様」への渇きというものを持っていたからです。この作者は、自分が信頼する神様は死んだ神様ではなく、木片や石でできたものでもなく、「生ける神様だ」ということを信じていました。

 人生には困難があります。苦難もあります。この作者は素直に、生ける神様に「助けてください」「わたしはあなたの支えが必要なのです」と、心にある魂の渇きを素直に打ち明けていきました。この作者はきっと思ったことでしょう。「どうして、まことの神様を礼拝している私がこんな惨めになるのだろう。神様が生きているなら、どうしてこんな事が起こるのだろう」そんな思いを持ったに違いありません。

 しかし、「自分でわからないから、もう祈ることも、叫ぶこともやめます!」とは決して言いませんでした。むしろ必死で生ける神を求めて叫んだのです。

 あなたは今日、生きておられる神様がおられることを信じますか? あなたの心は色々な出来事によって日照りの土地のように乾ききっているかもしれません。だから勇気を持って生ける神様に、素直に助けを求め続けてみませんか? 聖書の神様は天地を創造された生ける神様なのですから。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.27放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■主は生きておられる / 福井 誠

2022年11月26日 | Weblog

2022/6/24放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。

 今日はサムエル記第二 4章9節から「主は生きておられる」と題してお話しをします。
 「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった。」

 将軍アブネルがヨアブに暗殺された事件は、イスラエルに大きな衝撃を与え、事態は急展開していきました。というのも、二人の略奪隊長バアナとレカブが、イシュ・ボシェテの権威はもはやこれまで、と見限って、自分たちの王を殺してその首をダビデに届けるのです。こうしてイスラエルの勢力は大きくダビデ側に傾いていきました。おそらく二人も、ダビデが喜んで自分たちを評価し引き立ててくれることを期待していたでしょう。しかしそれは大きな誤算でした。ダビデは彼らの期待通りに考えるような人ではなかったのです。

 物事には様々な進め方というものがあるものです。生き馬の目を抜くような人もいれば、情をもって物事が進む時を待つという人もいるでしょう。そのような意味では、ダビデは人情味のある人、たとえ小さな恩義であれそれを忘れない人でした。そして、サウルの手痛い仕打ちを受けても、サウルもまた神に愛された人であり、神に立てられた人であることを認める信仰の人でした。ダビデはなりふり構わぬ勝利よりは、誰が見ても受け入れられる公正な勝利、神に栄誉を帰せられる勝利を求めていたのです。

 世の中には、本当に二人の略奪隊長のような人がいるものでしょう。機を狙う者たちが悲しい結末を引き起こしていくことがあります。同じことをするにしても、物事の進め方、価値観の違いという問題があるのです。そのような意味で、中世の十字軍の蛮行の故に、キリスト教が信じられないという人もいるものです。

 しかし、問題はキリスト教にあるのではありません。信仰が悪いのではありません。信仰を究極の権威として悪用する人間が問題なのです。信仰者には信仰者らしい物事の進め方があります。そのためには、神を利用するのではなく、神の愛と正義に生きることなのです。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.24放送でのお話しより )


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■私にとっては手ごわすぎる / 福井 誠

2022年11月25日 | Weblog

2022/6/23放送

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。

 今日はサムエル記第二 3章39節から「私にとっては手ごわすぎる」と題してお話します。

 「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 昨日は、ダビデがサウルの後継者つまりイスラエルの王となるのはそんなに容易いことではなかったことをお話しました。ダビデを取り巻く様々な人々の思惑がうごめいていたからです。皆同じ神を信じる人々の間のことなのに、なぜこんな事態が生じるのか、皆で神のみこころに一致して権力を綺麗に平和裏に移譲できないのはなぜか、と思うところです。

 しかし、それがやはり罪人の世界の現実なのでしょう。残念なことですが、神を信じる者たちが集まったからと言っても、まるで神などいないかのような、ただ人間的な駆け引きだけが前面に出て物事が進んでいくように思えることがあるものです。つまり、神のみこころは複雑さと混迷が深まる中で、次第に形をなしてくる部分があるのです。

 ここではまず、サウル軍の将軍アブネルが、サウルの後継者イシュ・ボシェテを裏切り、ダビデに寝返っています。アブネルは近い将来、ダビデがイスラエルを統一すると読んでいました。そして、ダビデを王にしようとする神のみこころに積極的に加わっていきます。

 しかし、神のみこころはこうしたアブネルの策略がなくても実現し得ることでした。ヨアブによるアブネルの暗殺は、神のみこころが人間の思惑とは異なるところで動き実現することを考えさせてくれます。

 また、アブネルを平気で殺すヨアブのような存在は、ダビデにとって別の意味で脅威でした。
 けれども、彼もまた神の手の中にある存在でした。物事が混沌とする、手ごわすぎる事態にある、と思うときには、ダビデのように主に委ね、主が物事を整えてくださると信頼したいものです。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.23放送でのお話しより )


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■主に祝福されるように / 福井 誠

2022年11月24日 | Weblog

2022/6/22放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。「継続は力なり」、日々聖書を手に取り心の糧とするなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。

 今日は、サムエル記第二 2章5節からです。

 「あなたがたが主に祝福されるように。」

 イスラエル最初の王サウルがペリシテに破れ、死にました。ダビデはこれを機にペリシテ人の領地から引き上げユダの地に帰り、ユダ族の王となりました。かつてサウル王の娘と結婚したダビデ。しかし彼はそこからトントンとイスラエル全体の王になるという訳ではありませんでした。

 サウル王の軍の司令官アブネルがサウルの生き残りの子イシュボシェテをサウルの後継者としたからです。こうしてイスラエルには北側のイシュボシェテ、南側のダビデ、と二人の王が対峙する事態が生じたのです。

 イシュボシェテの軍はヨルダン川を渡ってマハナイムを根拠地としました。そこはかつて族長のヤコブがラバンから逃れ、兄エサウに会う前に御使いの軍勢に出会った場所です。イスラエルにとっては歴史的に意義のある街でしたが、彼がそこに移動したのはペリシテの勢力に押され、ヨルダン川西側の地を捨て、さらにユダと距離を置くためだったと考えられます。

 またダビデはヘブロンに移動しました。つまり、イシュボシェテとペリシテ、二つの軍の間に均衡を保とうとしたのです。イスラエルの国力が分断し、ペリシテ人が両者に割って入る微妙な力関係が生じました。

 サウルが死んで即ダビデが王の地位に返り咲くというのではなくて、ここでは部下の殺し合いがあり、またさらに事態を複雑にするペリシテの圧力があり、と一筋縄ではいかない状況があります。

 しかしダビデをイスラエルの王とする神の御計画はそのような状況の中でも着々と進んでいたと言うべきでしょう。私たちの目には野とも山ともなるか分からない状況があっても、神が祝福の神であることを覚えて信頼していくことです。時が満ちれば、神の御計画は一挙に進んでいくのです。

 では今日も良き一日であるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.22放送でのお話しより )


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■水が破れ出るように破られた / 福井 誠

2022年11月23日 | Weblog

2022/6/25放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り心の糧とするなら、不思議にも自然に養われてくるものがあります。今日はサムエル記第二 5章20節からです。「水が破れ出るように破られた」と題してメッセージをいたします。

 「ダビデはそこで彼らを討って、『主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた』と言った。それゆえ、その場所の名はバアル・ペラツィムと呼ばれた。」


 ついにイスラエルはダビデのもとに統一され、ダビデはイスラエルの王となりました。そこでまずダビデがしたことは、エルサレムに来てシオンの要害を攻め取ったことです。戦略的な町エルサレムは、長くイスラエルの強敵エブス人が支配していました。ダビデは、まずこの強敵を追い払ったのです。こうして、エルサレムでの33年間のダビデ王の時代がスタートするのです。

 聖書は、ダビデがますます大いなる者となったと言いますが、ダビデはさらに新しい試練にさらされました。ペリシテ人がダビデの首を狙って集まってきたのです。王権が確立したばかりであるというのに、これを叩き潰そうとするペリシテの脅威がありました。

 そこでダビデはまず主に祈るのです。そして神はダビデに勝利を約束し、ダビデに勝利を与えられました。

 聖書の記者は、「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」と言います。

 そして、ダビデはそこをベアル・ペラツィムと呼びました。つまりそれは「突破の主」という意味です。確かに突破口を開くのは神ご自身でしょう。

 そしてペリシテ人が再び攻めてくると、ダビデは再び神に祈り、神の作戦に従い、同じことは繰り返しませんでした。昨日の勝利は今日の勝利を保証するものではありません。ダビデは一瞬一瞬、神の知恵をいただき、日々神の力により頼みながら勝利を重ねたということです。

 ここから、人生勝利の秘訣は、日々一瞬一瞬、神に寄り頼むことにある、と言うべきでしょう。神の力以外に突破する道なしと思われるような時はなおさらです。ぜひ、聖書を読み続け、聖書に教えられながら、良き人生を歩ませていただきたいものです。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.25放送でのお話しより )


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■愛される立派な人だった / 福井 誠

2022年11月22日 | Weblog

2022/6/21放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、サムエル記第二1章23節から「愛される立派な人だった」と題してお話しをします。

 「サウルもヨナタンも、愛される、立派な人だった。」

 昨日は、イスラエル最初の王サウルの最期についてお話しをしました。その知らせを聞いたダビデがサウル王のために哀歌をささげています。しかし、サムエル記第一を読み通された方は理解しておられると思いますが、ダビデ王はサウル王に長い間いのちを狙われ、幾度も追い詰められてきた人です。長い戦いが終わったのです。ダビデはさぞホッとしたのではないかと思うのですが、実際にはダビデにとってそれは喜びと解放の日ではなく悲しみと哀歌をささげる日でした。

 まずそれはイスラエルの敗北を悲しんで、ペリシテ人がこれをことさら喜ぶことのないように、と願うものです。そして、「サウルもヨナタンも、愛される立派な人だった」と、サウルについてもその名誉を認めています。最後にダビデはヨナタンの死を悲しみ、ヨナタンの愛を「女の愛にまさって、すばらしかった」と評価しています。

 興味深いことは、ダビデがこの哀歌をユダの子らに教えるように命じた点です。つまり、この詩は単なる哀歌ではなくて、苦労を共にしてきたユダの人々への教育であり、戒めのためにも読まれたのです。

 そのような目で読み返してみると、この哀歌で歌われていることはサウルやヨナタンに対する賛辞が中心です。ユダの人々はサムエル記第一に記録されたサウルのダビデに対する厳しい仕打ちとその苦労を知っていたことでしょう。にもかかわらず、ダビデはサウルの勇姿を称え、覚えられるように教えていきます。

 色々とあっても、やはり人間は愛すべきもの、赦し、心通わせて生きるべきもの、と言いたいのではないでしょうか。

 しかし、この後ダビデはこの歌を歌ったとは思えないほどの心の堕落に陥るわけです。大事なことを忘れやすい人間の弱さがある。そのようなことを覚えていきたいものです。

 今日もよき一日となるように祈ります。

 

    ( PBA制作「世の光」 2022.6.21放送でのお話しより )


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■夜通し歩いて行き / 福井 誠

2022年11月21日 | Weblog

2022/6/20放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」 日々聖書を手に取り、心の糧とするなら、不思議にも自然に養われてくるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日から私、福井誠が一週間担当いたします。今日はサムエル記第一31章12節から「夜通し歩いて行き」と題してお話しをします。

 「勇士たちはみな立ち上がり、夜通し歩いて行き、サウルの死体と息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに帰って来て、そこでそれらを焼いた。」

 ここには、イスラエル最初の王様サウルが敵のペリシテ軍に殺されてしまう、サウル最期のエピソードが書かれています。このサウル王の生涯をどのように読むのか。しばしば、後継者のダビデ王とサウル王が比較されて、ダビデ王は良い王様で神様に愛され、サウル王は神に敵対し神に憎まれたと受けとめている方も多いかもしれません。

 しかし、今日の箇所を読むと、どうもそうではない。ダビデもサウルも神に愛された、と思うところがあります。

 というのは、サウルの時代、イスラエルの国は王制国家となりましたが、その国は決して安定してはおらず、周囲を強敵に囲まれ、いつでも瓦解する危険性のある極めて不安定なものでした。

 つまり、荒野の40年間奇跡的に守られた先祖たちと同様で、神の守りがあればこそ存続していた国であった、ということです。神がサウルに敵対しダビデに味方していたということはなくて、神はサウルも愛し、サウルの働きを支えておられたということです。

 実際、神のサウルに対する心遣いは、サウルの最期が散々な悲劇で終わっていないというところで明らかでしょう。ベテ・シャンの城壁にさらしものにされたサウルの死体を、いのちの危険を犯して取り戻し、イスラエルの習慣に沿って丁重に葬った人々がいたことが記録されています。たとえ、サウルのように不機嫌に満ち、憎悪と嫉妬と暴力を露わにする王であっても、神はその死を粗末にはされなかったのです。

 私たちは不誠実であっても、神は真実です。神の恵みの中に歩みたいものです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.20放送でのお話しより )


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■愛によって生きた 吉野作造 / 岩井基雄

2022年11月19日 | Weblog

2022/6/18放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。今日は、大正デモクラシーに生き、神の愛によって生かされた、吉野作造についてです。

 吉野作造は明治11年、現在の宮城県大崎市で、糸や綿を取り扱う商家の長男として生まれました。小学校を卒業後、仙台の尋常中学校に進み、第二高等学校へ進学します。この高校時代に、近くのミッションスクール尚絅(しょうけい)女学校のアニー・ブゼル校長の聖書研究会に参加し、キリストを信じ、洗礼を受けます。キリストが語る愛と自由、平等に感銘を覚え、それが吉野の思想の基礎になります。その後、東京帝国大学(今の東京大学)へ進み、本郷教会に通いつつ、政治学者の道を歩み始めます。大学卒業後は中国で家庭教師をし、帰国後、東京大学で教鞭をとり、またヨーロッパへと留学し見聞を広めました。大きく変化する世界を体験した吉野は、民衆の力が重要であることを学んだのです。

 そして38歳の時に、論文で「民本主義」ということばを用い、「デモクラシー」つまり民主主義の必要を説きました。当時の日本の選挙権は、高額納税者に限られていましたが、政治は広く国民の意見によって行われるべきだと吉野は主張し、大正14年の普通選挙法制定につながっていきました。弱い人々を愛し、人権を尊重する聖書の愛の基盤が日本に大きな影響を与えたのです。

 また吉野は実行の人でした。新聞や雑誌で多くの意見を発表し、講演で全国を飛び回りました。また東アジアの親善友好や、経済的に苦しい人々を支援する活動を重ねていきました。国や立場の違いを越えて一人一人が対等な人間として互いを尊敬し仕えあう、それが吉野の思い描いた民主主義であり、神の愛の具現化でした。55歳で地上の生涯を終えるまで彼は人々に愛を届ける歩みを貫いたのです。

 聖書のことば

「私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。」
     新約聖書 ヨハネの手紙第一3章18節、19節


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■キリストを三度否定したペテロ / 岩井基雄

2022年11月18日 | Weblog

2022/6/17放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。

 私たちは自分たちの弱さを認めることがなかなかできませんね。キリストには12人の弟子がいましたが、そのリーダー的存在はペテロでした。しかしキリストはご自分が十字架にかかる前に、ペテロが三度ご自分を否定することを預言したのです。ペテロはそれを認められず、「ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と豪語し、他の弟子たちも同じように語りました。しかし彼らはまだ自分たちの愚かさを知らなかったのです。

 しかしキリストが裁判を受ける中でペテロは、キリストが語っていたように三度キリストを否定してしまうのです。その三度目のことを聖書はこう記しています。

 「しばらくすると、そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。
  『確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。』
  するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、『私は、あなたがたが話しているその人を知らない』と言った。
  するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。
  ペテロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。」
           新約聖書 マルコの福音書14章70節から72節

 キリストはペテロの弱さも愚かさもご存知で、先に彼のためにそれを預言し、彼が立ち直ったら他の弟子たちを励まし力づけるように、と語っていたのです。
 ペテロは鶏が鳴いた時にそのすべてを思い出しました。自分のみじめさと向き合うことになったのです。

 聖書の他の箇所には、この時にちょうどキリストが裁判から出て来られ、ペテロを見つめられたことが記されています。そのまなざしは、彼をさばくものではなく、彼を憐れみ、愛と恵みで包むものだったでしょう。

 キリストはあなたの弱さも愚かさもすべてご存じで、あなたを愛し、あなたの罪の赦しの道をあの十字架で開いてくださいました。罪深い私たちを赦すために、まっすぐに十字架に向われ、私たちを憐み、愛と恵みで包んでくださるのです。

 あなたも、自分の弱さと愚かさ、そして自分の罪を認め、この十字架によって示されたキリストの愛と赦しを受け取っていきませんか? キリストにあって私たちは罪の赦しと永遠の愛といのちを受け取ることができるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.17放送でのお話しより )


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■キリストの裁判において / 岩井基雄

2022年11月17日 | Weblog

2022/6/16放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 神の御子イエス・キリストは、私たちに真実な愛と希望を与えるために、この地上に来られました。それは私たちの罪の裁きを身代わりに受けて、罪の赦しの道を開くためでした。そのために自ら十字架の死へと向かってくださったのです。

 しかし、その十字架への道には人々のさまざまな思惑が背後にあったのです。キリストを殺したい人々は過ぎ越しの祭りの時を待っていました。その時にはローマ総督も、ユダヤの祭司や議員たちが皆エルサレムに集まったからです。そして一晩でキリストを十字架刑にするための裁判が行われました。

 まずはユダヤ側の裁判でした。しかし、キリストを死刑にするための証言は一致せず、有罪に定めることができませんでした。そこで、ユダヤ当局者たちはイエスに証言させることにしました。イエスに、自分がキリストすなわち旧約聖書に預言された救い主メシアなのか?、と尋ねたのです。

 イエスはこう答えました。
 「わたしが、それです。あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」
   新約聖書 マルコの福音書14章62節

 それは、ユダヤ当局者たちが待っていた答えでした。そのことばから、イエスこそ自分を神とし、神を冒涜する者、として有罪に定めることができたからです。イエスの答えは旧約聖書の預言の成就を示すものでしたが、祭司たちはその真理を受けとめず、そのことばこそ神を冒瀆することだと決めつけ、死罪に値する、としたのです。

 そしてイエスを嘲(あざけ)り、傷つけ、苦しめましたが、イエスはそのすべてを受けとめてくださいました。それは私たちのためだったのです。

 聖書はこう証ししています。
 「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」
   新約聖書 ペテロの手紙第一 2章22節、23節

 イエス・キリストはあなたの罪のさばきをすべて受け、あなたに癒しを与えるためにあらゆる苦しみを受け尽くしてくださいました。キリストの苦しみと十字架の死によって、あなたの罪の赦しの道は開かれたのです。

 あなたはこのキリストの苦しみを通して本当のいのちを受け取ることができるのです。

    ( PBA制作「世の光」 2022.6.16放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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