♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■雨ニモ…、風ニモマケズ

2010年06月04日 | Weblog
2010/6/4放送

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 しばらく前に宮沢賢治の『雨ニモマケズ風ニモマケズ』の詩のモデルとなった斉藤宗次郎氏のことについて教えられました。

 岩手県のお寺の子どもとして生まれた宗次郎は小学校の教師になり、キリスト者内村鑑三の本と出会い、クリスチャンとなったそうです。 しかし当時はキリスト教が耶蘇(ヤソ)と呼ばれ、迫害を受けていた時代でしたので、親からは勘当され、街を歩けば石を投げられ、根拠のない悪口を言われ続けました。 そしてその迫害は長女の愛子さんにも及び、お腹を蹴られ腹膜炎を起こし、わずか9歳という若さで天国に帰っていったのです。

 宗次郎は勤めていた小学校を辞め、一家を養うため新聞配達を始めて、重労働の中で肺結核を患いました。 ところが早朝から夜更けまで働き続け、それから聖書を学び祈る、という生活の中で病は悪化するどころか快方へと向かいます。 すると彼は冬には小学校への通学路を雪掻きし、新聞配達の帰りには病人を見舞って励まし慰め、休むことなく地域の人々のために働き続けたのだそうです。

 普通なら娘の死を悼(いた)み、仕返しをしたいとさえ思うのに、なぜこのようなことができたのでしょうか。 

 彼の歩みには次の聖書のことばが基盤になっていたようです。 
 「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」 新約聖書 ルカの福音書 6章27節から28節

 私たちは、雨にも負け風にも負けてしまうような弱さを抱えています。 しかしこんな私たちが愛と真理に生きることができるようにとイエス・キリストは限り無い愛を与えてくださったのです。 その後、宗次郎が東京に引越すこととなり花巻駅に着くと、迫害をしていた町長を始め、学校の教師や生徒たち、町の多くの人々が見送りにきてくれたそうです。 そしてその中にあの宮沢賢治がいたのだそうです。 

 一人の人がキリストの愛に生かされ、その愛を行動をもって表すとき、大きな力となります。 あなたもこのキリストの愛に生かされることができるのです。 

  (PBA制作「世の光」2010.6.4放送でのお話しより)



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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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