♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■信じる覚悟を決める

2008年07月31日 | Weblog

 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。
 今日は、聖書の中のヨハネの福音書20章27節から読んでみましょう。
 
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

 十字架にかかられたイエスは予(あらかじ)め弟子たちに、三日めによみがえることを話されていましたが、まさにその通りイエスは復活されました。 イエスは弟子たちが集まっていた場所に現れ、復活が確かであることを示されます。

 ところがトマスという弟子がその場に居合わせず、復活のイエスにお会いすることができなかったのです。 トマスは、みんながどんなに、復活のイエスが現れた、と言っても信じられませんでした。 そしてかたくなになって、しまいには、イエスの手に釘痕をみて自分の指をそこに差し入れまた脇腹にも差し入れなければ信じるものか、と、へそを曲げてしまったのです。

 そんなトマスにイエスは御自身を現わして言いました。 「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。・・・見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書20章27、29節)

 確かめられたものは、信じることつまり信仰にはなりません。 信仰を持とうと思ったら、何も見ずに神の言われることは確かだと思うぐらいの気持ちが必要です。 また信仰の人生というのは見ずに信じることの連続です。 何でもかんでも一々確かめていては信じていることにはなりません。 神を信じるというのは、目に見えない神のことばは確かだと信じて生きていくことです。 神のことばに自分の全存在をかけて生きていく営みです。 どこかで、信じられないものを信じる覚悟を決めなくては、信仰の歩みなど始めようがありません。

 しかしそうできないのは、それだけ私たちが深い不信仰の世界に生きているせいなのかもしれません。 神を信じず人を信じない不信仰の世に絡(から)めとられて生きているためなのでしょう。

 しかし神を信じる人生には幸いがあります。 見ずに信じる生き方へと踏み出してみませんか? ちょっとした勇気が私たちの人生を変えるのです。
 
 (PBA制作「世の光」2008.7.31放送でのお話しより)

******
 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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■主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな

2008年07月30日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 羽鳥 明です。 

 今日のバイブルメッセージは「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」というテーマです。 聖書は旧約聖書 詩篇103篇1節から5節、そこをお読みいたしましょう。

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。・・・」

 ある母親が子どもと聖書を読みお祈りをするときに、このところのみことばから、神様がしてくださった良いことを数えてみましょう、と(母親から)言われたその子どもは、「神様は今日はお天気にしてくださいと祈ったのに雨だった。 (良いことなんて)何かあるかなあ。」 母親は言いました。 「僕はお母さん好き? またお父さんも大好きだよね。 誰がお父さんやお母さんを僕にくださったのかな? 神様でしょう? 雨が降ってもお家があるから大丈夫だしね。」 するとその子は「あっそうかあ。 お兄ちゃんもお姉ちゃんもだね。 お友達のテッちゃんもミイコちゃんも猫のタマもこのお菓子も。 ああ、すごいねえ。」 神様これもこれも、と身の周りのものを一つ一つ取り上げて歓声を挙げました。 母親も、こんな純粋なかわいい子を私に委ねてくださった、ということを改めて喜び神様に感謝をいたしました。

 主の良くしてくださったこと、何よりも私の罪を赦し、まったき救いを与えてくださいました。 そして永遠のいのちを与えて、神の備えてくださる御国に迎えてくださるその約束を信じさせてくださいました。 何もかもです。 

 聖書のことば
 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。・・・主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 旧約聖書 詩篇103篇の2節です。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.30放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

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  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
(自由ケ丘キリスト教会内)


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■それは主にしていること

2008年07月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、イエス様がお話された例え話にこういうのがあります。 ちょっと読んでみますね。 マタイの福音書の25章に書いてあるんですけれども、『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』(マタイの福音書の25章34-36節)

 これに対してですねえ、「えっ? いつ私そんなことをしましたか?」って、「食べ物を与えたり渇いたときに水を飲ませたり、宿を貸したり、そんなことを私いつしましたか?」っていうふうに尋ねていったんですねえ。 「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイの福音書の25章40節) と、こう言われたんですねえ。
 
 天において報いを受けるのは、いかにもこう見え見えのお返しを求めて、そして周りからの評価を求めて「かっこいいやり方のわざ」というようなことではなくって、「えっ? 私そんなことしましたっけ? いつそんなことをしましたか?」というようなこと。 で、もちろんイエス様だと相手が分かれば誰だってイエス様に喜んでもらおうと思って一生懸命やりますよねえ。 そうではなくって、全然それは気がつかずに、見るに見かねてというふうに空腹のまま放っておく訳にいかない、凍えているのに放っておく訳にいかない、というふうにしたこと。 それは実はわたしにしたことなんです、というふうに言っていただくという・・・。

 私たちのこの地上でするわざっていうのは必ずしも評価されるとは限りませんよねえ。 報いを受けるとは限りませんよねえ。 で、そういうようなことよりもはるかに超えて自分のしていることは結局イエス様にしたことになるのだということが一番の張り合いと言いましょうかねえ、喜びと言いましょうか、それが最終的にイエス様からお誉めのことばをいただくことができるならば最高の報いではないか。 そういう思いでですね、今日のすることも、小さなことも、これは主に対してするのだ、イエス様に対してするのだ、イエス様から喜んでもらう生き方だ。 それを大事に生きたいなと思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.28放送でのお話しより)

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■旅路の終わりに備えよ(2)

2008年07月26日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。 

 私たちの教会では「恵み会」といって毎月一回、御年配の方が集まる楽しい時を持っています。 聖書を学んだあと、出席された方々から一言ずつ近況を報告してもらいます。 それからその後で一緒にお昼をいただくんです。

 旧約聖書 伝道者の書の12章という所には、人の一生が終わる様子がこんなことばで語られています。 「年をとるとアーモンドの花のように白髪になり、高い所が怖くなり、転びやすく、歩き方もゆっくりになります。食欲も性欲も衰え、涙もろくなり、一歩一歩死に近づいていきます。」( 12章5節  ※何訳聖書であるかは確認できず)  

 ここで言われていることは、いつかは誰の身にも起こることでしょう。 先ほどの恵み会に出席されている一人の方は、かつてある新聞社の論説委員をされた方でした。 この方はキリスト教に無関心であるどころか批判的でさえありました。 そんな方が今から三年半前、洗礼を受けられたのです。 奥様の御病気がきっかけでした。  奥様は癌になり、生死の淵をさまよいました。  信仰に篤い奥様が毎週日曜日の礼拝に行かれないのは不憫(ふびん)だといって、この方が代わりに礼拝に来られるようになったのです。 その後奥様は不思議に癒され、日常生活に戻られました。 ところが今度は御自分が癌しかも末期に近い癌と診断されたのです。 鉄槌で頭を打ち砕かれたような衝撃だったそうです。 しかし続けて礼拝に出席するうちに、キリストを信じる者は滅びず永遠のいのちを持つ、という聖書のことばに不思議と心が捉えられていきました。 この世のものはいつか過ぎ去るけれども、なくならないものがある。 そしてキリストを信じ、洗礼を受けられたのです。 

 私たちの人生はいつか旅路の終わりの時を迎えます。 ですから伝道者の書は、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(12章1節)と呼びかけているのです。 この創造者である神を信じて一歩踏み出す時、それは永遠のいのちへの扉を開ける希望の一歩に変わります。 

 あなたも今日、この神を信じ、神と共にある人生の旅路を歩み始めてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.26放送でのお話しより )

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■柔和な者は幸いです 不思議な幸せ-3

2008年07月25日 | Weblog
暑いですねー。 今度の更新は7/30(水)の深夜になります。 

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 あなたがいつまでも一緒にいたいなあって思う人って、どんな人でしょうか。 美しくても冷たい人や、優秀でも高慢な人よりも、思いやりのある優しい人を挙げる人は多いでしょうねえ。 

 「柔和な者は幸いです。」(マタイ福音書5章5節)と聖書は語っています。 聖書には、「心の貧しい者は幸いです。」(マタイ福音書5章3節)、「悲しむ者は幸いです。」(マタイ福音書5章4節)と逆接的なことばがありますが、今日の「柔和な者は幸いです。」はとても分かりやすいですね。
 
 誰でも柔和な人とは長く一緒にいたいと思うのではないでしょうか。 本当に柔和な方って幸せですよね。 私も柔和でありたいなあと心から願っています。 穏やかで優しくて、思い遣りに満ちて・・・。 現実は、かなり懸け離れていますが、少しでも柔和な者とならせていただきたいと思っています。 でも、どうしたら柔和な人になれるのでしょうか。

 旧約聖書のゼパニヤ書という所には、「すべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。」(ゼパニヤ書 2章3節)とあります。 柔和に至る道は、へりくだることであり、神様御自身を求めることであり、神様のきよさを心から追い求めていくことなのですね。 自分の心の貧しさを認め、それを心から悲しみ、義を追い求めていくことにこそ本当の柔和に至る道があるのです。

 また、深い痛みや悲しみを知る人こそ本当に柔和な人になれるのだと思います。 「優しい」という字がにんべんに憂いと書くように、悲しみを知る人こそ深い痛みにも届くことができる柔和な人とされていくのでしょうねえ。 「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ人への手紙5章4節)とも聖書は語っているからです。

 「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」と先の聖書は続いています。 柔和な人こそ神様の御国を相続することができます。 神の御国を相続するのには、生まれや能力や持ち物などはまったく関係ありません。 ただ自分の心の貧しさを知り、悲しみを知り、そして心からへりくだって柔和な人とされること。 ここにこそ本当の幸せ、神の国を相続する救いの道があるのですね。 あなたはいかがでしょうか。

 また聴いてください。
 
(PBA制作「世の光」2008.7.25放送でのお話しより)

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■完全な十字架の恵に信頼する

2008年07月24日 | Weblog

 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。
 今日は、聖書の中のヨハネの福音書19章30節から読んでみましょう。
 
 「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。

 ユダヤの宗教家の妬(ねた)みによって訴えられたイエスは、裁判によって死刑を宣告され、鞭打ちと十字架の刑に処せられました。 鞭打ちの刑は無制限のもので、それこそ潰れてしまうまで容赦なく打たれました。 しかもその鞭は何本も鞭紐が束ねられていて、その先端に鉛が結わえ付けられたフラギリウムとい呼ばれる特殊な鞭でした。 血しぶきを飛ばし肉を裂く恐ろしい鞭です。 イエスの身体は血だらけ、背中もボロボロ。 骨すら撃ち砕かれていたのではないでしょうか。

 そんなボロボロの背中に、自分が磔(はりつけ)にされる荒削りの十字架を背負って刑場まで歩かされたのです。 刑場のゴルゴダの丘まではだらだらと続く緩やかな上り坂であったと言います。 さらにその十字架の長さは十数メートルもあったそうです。 傷だらけの背中に荒削りの十字架を負うだけでも大変な苦しみであったでしょうが、その重たい角材を引きずっていくのです。 ことばに尽くせぬ痛み・悲しみであったことでしょう。

 また十字架の死因は(放置による)餓死ではなく窒息死であったと言われます。 釘付けにされた手や足で身体の重みを支えるのに耐えきれず、身体全体が硬直・痙攣し、呼吸困難に陥り死んでいくのだそうです。

 イエスはこのような苦しみを味わいながら、命果てる間際に「完了した。」と言われました。 このことばには大変重要な意味があります。 というのも、この苦しみは私たちの罪の赦しのためであり私たちが神と和解するためだ、と聖書は語っているからです。

 イエスが私たちの完全な身代わりになってくださったので、私たちは神の祝福を受けることができます。 キリストを信じるというのは、このキリストの完全なわざを感謝して受けとめることから始まるのです。

 ぜひ教会へ行って、キリストの教えを更に聞いていただきたいと思います。
 
 (PBA制作「世の光」2008.7.24放送でのお話しより)

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■突如として滅びが彼らに

2008年07月23日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 羽鳥 明です。 今日の世の光のバイブルメッセージは、「突如として滅びが彼らに」という題でお話したいと思います。 聖書は、新約聖書テサロニケ人への手紙第一 5章3節です。
 
 お読みしましょう。

 「人々が『平和だ。安全だ。』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。

 聖書の中には、希望の約束ばかりではなく、こんな警告のことばもあるのですね。 最近、世界中でいろいろとあちらこちらで災害が起こり、テレビは地球の裏側まで見せてくれます。 ですから人ごとと考えられませんねえ。 しかしここで聖書が言っているのは、人類に襲いかかる最後の神のさばきの時のことです。 

 イエス・キリストは言われました。 
 「だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。」(ヨハネの福音書12章47、48節)

 イエス・キリストの救いを信じる者たちへの約束は、多くの災害や困難が襲いかかっても、「ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもの」(テサロニケ人への手紙第一 5章3節)で、新しいいのちの誕生が続く喜びが来るためです。

 神が聖書の最後の書・ヨハネの黙示録に預言しておられることは、世の終わりには恐ろしい災害・苦難の時が来るが、そのあとに新しい天と地が備えられている約束があります。
 
 「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。・・・(神は) 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21章1節、4節)

 聖書の預言は必ず成就します。 イエス・キリストは救いを完全に成し遂げられました。

 聖書のことば

 「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』  アーメン。主イエスよ、来てください。

 黙示録22章20節のことばです。

 それではまた聴いてください。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.23放送でのお話しより)

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■涙の谷を過ぎる時も

2008年07月22日 | Weblog
 
 世の光の時間です。 お元気にお過ごしでしょうか? 関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 「神様がおられるなら何故こんな試練や問題が次々とやってくるんだろう。 本当に愛の神様がいるんだろうか。 いるなら、どうしてこんなふうに人生がうまくいかないのだろう。」 ま、こんな不満や疑問を持ったことはありませんか? ま、そんな時、ぜひ旧約聖書の詩篇を読んでいただきたいんです。 そこには私たちが味わう苦難や葛藤、悩みや叫び、喜びも悲しみも、溢れる涙も語られているからです。 

 詩篇の84篇の6節には、こんなことばが出てきます。
 「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。

 「涙の谷を過ぎる」という表現は、様々な困難や苦しみ・悲しみの経験です。 どれだけ涙を流したか分からないほどの、そんな経験です。 しかしこの作者はその涙の谷を過ぎたその場所が泉のわく所となり、初めの雨もそこを祝福で覆うのだと告白しているんです。

 少し想像してみてください。 中東の地域は乾季と雨期がはっきりしています。 乾き切った時はそれは茶色の荒涼とした世界が広がっているんです。 そこは何の潤いもない殺伐とした光景です。 しかし雨が降るとその荒野の光景は一変してしまいます。 緑が生まれ、干上がった川に水が流れ出し、動物は喉を潤し、作物には実りを与えます。 荒野のような真っ茶色の世界で流す涙。 それは辛い、困難な涙かもしれません。 また自分自身を見て自分では自分を救うことができないというそんな無力な姿に嘆くことかもしれません。

 しかし聖書は何と大胆な書物でしょう。 その涙が祝福に変わるものになると教えているんです。 イエス・キリストはこう言われました。
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイの福音書5章3節 新改訳第2版)と。

 どういうことかと言えば、自分の力の限界を知り、涙を流し、ただ神様に頼るしか生きる術(すべ)がないという、その心の貧しさ、その心の謙遜こそ、本当の幸せをもたらすのだと言われたのです。 

 涙の谷を歩むということは、神様に心からの助けを呼び求める心の謙遜を備えていく人生の大切な時でもあるのです。

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■がっかりしないで

2008年07月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 最初にですね、聖書の一番最後にありますヨハネの黙示録の3章に書かれてありますことば、私の大好きなことばの一つなんですけれども、まず御紹介したいと思いますね。
 「見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。」(黙示録 3章8節 口語訳)ということばなんですねえ。

 で、誰も閉じることができない可能性の門と言いましょうかねえ、そういう門をあなたの前に開いておきましたよという。それは、あなたにはすごい力があるとか人が羨(うらや)むような何か能力があるということではなくって、「なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず」というこのことば(なん)ですねえ。

 で、私たちは、「私にはこれしか力がない。能力はこれしかない。持ち合わせはこれしかない。」というようなことでですね、時には諦めてしまう。人と比べて、「これじゃあもう話にならない、勝負にならない、だからもうやめちゃう」というふうなことになりがちですけれども、そうではなくって、「これしかない。少ししかない。」でもそれにもかかわらず精一杯その人の与えられた範囲の中で力を尽くして行くということについて神様はそれを評価してくださる。その時に、その人の前に考えても見なかったような可能性の門が開かれていくってことはあり得るんだということですねえ。

 あの聖書の中で有名なパンの奇跡(マタイ14章15節以下、マルコ6章35節以下、ルカ9章12節以下)というのでも、五千人も、いやもしかしたら一万人もいたかもしれないというような人々に、どうやって食物を分けようかという、みんなで困っていた時に、一人の男の子が自分の持っている五つのパンと二匹の魚とをイエス様の所に提供した訳ですね。で、弟子たちも、こんなに大勢いるのにこれっぱっかりのパン、何の役にも立たないというふうに当然思ったに違いないんですけれども、イエス様はそれを手にして、祝福して、そしてそれを分けてあげた。分けてあげる度にその手元のパンが増えていったということでしょうか。ともかくですね、「なんだ、これっぱっかり、しようがないじゃない」というのではなくって、イエス様はそれを手にして祝福して人々の祝福のために分けてあげたという。

 私たちは小さいこれしかないと思えるようなものであっても、主の御手にあるならば最大に生かされる、そう信じていきたい。そう思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.21放送でのお話しより)

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■旅路の終わりに備えよ(1)

2008年07月19日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 イスラエルの社会では、特に仮庵(かりいお)の祭りの三日目に伝道者の書というその聖書の箇所が読まれます。 仮庵の祭りというのは秋に行なわれる、イスラエルの三大祭りの一つですが、それはもう賑(にぎ)やかです。 ちょうどオリーブやぶどうなどの収穫を終えて一年の喜びに湧く収穫感謝祭でもあるからなんです。 

 興味深いのは、この伝道者の書が「空の空。すべては空。」(伝道者の書1章2節)と言って、一切は空しい(伝道者の書1章14節他参照)、と始まる書物だということです。 みんなが喜びに湧いているその真っ最中に、「すべてはむなしい」と読まれるんです。 私はそれだけで不思議な感動を覚えています。 

 伝道者の書の最後の章、12章1節には人生の旅路が終わりに近づいた人の様子が語られています。
 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。
 私たちの人生は過ぎ去って行きます。 若さも美しさも過ぎ去って行きます。 だからこそ大事なのは、人生の喜びに湧く、いわば人生の収穫祭の最中に、人生に豊かな実りをもたらす創造者である神に心を向けることではないでしょうか。 

 今からおよそ20年前に肺癌のために亡くなられた御婦人がいました。 その方との地上でのお別れの瞬間は私の心に深く刻まれました。 御一緒に讃美歌を歌いながら、「神様、あなたの御手におゆだねします。」、そう祈りますとこの方は待っていたように静かに息を引き取られたのです。 この方の好きだった讃美歌30番の1節はこう歌っています。 「輝くとこしえの朝 いのちに目覚める時 この世の朝よりきよく 仰ぎ見ん 神の御顔」 

 伝道者の書は、人生の旅路の終わりに備えて「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」と呼び掛けています。 あなたも今日、この神を信じ、神と共にある人生の旅路を歩まれますように。 すべてのものを造られた神を信じて、一歩踏み出す時、それは過ぎ去っていく今日ではなく、永遠への扉を開ける希望の今日に変わるからです。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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