世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「イエスが再び来られる」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙9章28節から読んでみましょう。
「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました」というのは二千年前の十字架の出来事を指しています。 イエスは二千年前のクリスマスの日に、イスラエルのベツレヘムという町に生まれ(※ナザレ村の人として育ち)、三十歳から三年間、神に対する悔い改めと神を信じる新しい人生を生きるように人々を教えられました。 そして三十三歳の時に、ユダヤ人の宗教家たちの陰謀によって十字架で処刑されるのです。
しかし聖書は、それはただ単に一人の正しい人がユダヤ人の暴力に屈した悲しい出来事であったのではなかった、と言います。 つまり神様が昔から御計画され、旧約聖書を通して繰り返し預言し、人々の罪の赦しのために御自分を犠牲にしてくださった姿であった、と語るのです。 多くの人の罪を負うために御自身を捧げられた姿であった訳ですね。
さて、そのキリストについてヘブルの著者は二度目があることを語ります。 もう一度この地上に来られる日が来る、と。
ある人にとっては荒唐無稽(こうとうむけい)な笑い話に思えるかもしれません。 しかしその出来事の意味を考える時に、私たちは大真面目にキリストの再臨を予告する著者に耳を傾ける必要があることを理解するのではないかでしょうか。
つまり今の私たちの世界について考えてみてください。 それは不公平、矛盾、争い、叫びで満ちています。 いったい誰がこの世界に真の正義をもたらすことができるものでしょうか。
それは天地をお造りになり、歴史をつぶさに見守ってこられた神以外にはおられないのではないでしょうか。 その神がすべての帳尻を合わせられる時が来る。 それがイエスの再臨の日なのです。 再臨の教えは、まるであり得ない劇画のような印象を与えますが、矛盾に満ちたこの世で苦しむ人間にとっては希望を伝えるものです。
あなたはどこに希望を見出していますか? イエスの再臨を信じて共に神の前に正しい生活をしてまいりたいものです。
(PBA制作「世の光」2009.12.31放送でのお話しより)
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