♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ すべての道に主を認め

2005年01月31日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、新しい年をスタートしてからもう一月も終わりという事になりました。初めから何か思いがけないような、いろんな出来事に出くわしているような、そんな感じがしないでもありません。えー、これから11ケ月、どのような道を歩んでいくのでしょうか。だれも予測することができないんじゃないかなあというふうに思うんですけれども、

 聖書の中にこういうことばがありまして、旧約聖書の箴言の3章という所に、「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」ということばがあるんですね。「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。」ある聖書の訳では、「あなたの行く所どこにおいてもあなたと一緒にいる主を認めよ」という、そういうふうに訳されているのがあるんですねえ。

 で、私の生活の中で時には、本当に何でこんな苦しい所を通るんだろうかというふうな所や、また、ああ失敗してしまったなあというふうな挫折を覚えるような所を通る事もあるかと思うんですねえ。しかしながら、どういう所であっても、そこにも主はいつもいてくださって、そして私たちを見守り、また助けてくださって、そこに、時には反省を与え、そこからまた立ち上がる力を与え、というそういうふうな主がいつも共にいてくださっているのだということを認めていく、それが大事な事で、決して独りぽっちでかってな道を歩んでいるのではなくて、すべての道の中にいつも主はいてくださるのだ。そしてそこで主はその時に必要な力と助けと慰めとを与えてくださる方なんだということを認めて生きる。それが大切なことだというふうに聖書は教えていると思うんですね。

 同じ箴言の5章という所に、「主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」というふうに5章の21節という所に書いてあるんですね。「主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」私たちは自分で心を配ってもなかなか思うようにいかない事があるんですけれども、私の道々にいつも心を配っていてくださるお方がいる、そのお方と一緒に歩むという生活。それが何と幸いなことであるかという事を覚えるのですけれども、この年もそのようにして歩んでいきたいなとそう思います。

 ( PBA制作「世の光」2005/1/31放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■ 変わらぬ愛

2005年01月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 京都市伏見区にお住まいの 宝(そう)真理子さんからは、旧約聖書イザヤ書54章10節のことばをお寄せいただきました。
 「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

 私は父の仕事のため小学校5年生で中国の北京に行き、17歳で終戦となり、日本に帰りました。その後結婚して、一男一女に恵まれ、平和な家庭に過ごしていましたが、やがて家の中でごたごたが起こり、人にも言えず、10年間辛抱していました。悩みのために体力もなくなり、自ら離婚を決意して親元へ帰りました。夜になると泣けてしかたないので働くことになり気を紛らわせていた時に、クリスチャンの友人が、「イエス様は素晴らしいのよ」と言われました。本当に神様がおられるのならば信じてみたい、信じたいと思い、ヨハネの福音書のイエス様のおことばをカードに書いていつも持って歩きました。教会に行くようになり、人のためにではなくこんな私のために十字架で死んで私を赦し、愛してくださる方を知り、自分の身をおまかせして48歳で受洗の恵みに入り、自責の念からも解放されることができました。神様の救いは何と喜びでしょう。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの平和の約束は動かない、とあなたをあわれむ主は仰せられる。」今は、75歳となり、以前にもまして神のみことばの約束の確かさと、御真実が信じられて、失うことのない平安をいただくことができつつあります。両親も子どもたちも家族全員が救いにあずかり、ただ感謝の他ありません。

宝(そう)真理子さんの心に残る聖書のことば。
たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。
イザヤ書54章10節のことばです。

 ではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」05/1/29放送でのお話しより )

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■ 心配いらない

2005年01月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 今日は、「Don't Worry.--心配するな」っていうお話しをいたします。

 えー、問題のない人は墓場の中にいるなんても言われるくらい、生きている限りいろんな問題、心配事はつきものですね。でも、こんな問題解決法について書かれたユニークな本があるんです。題名も、『どんなこともくよくよするな』っていうんです。国際弁護士として活躍している佐々木満男さんという方が書いた本なんです。なんか名前だけでも励ましになるような気がしますね。その本の中でこんなことを言っています。

 難しい問題にぶつかると私たちはすぐ、How、つまりどうしたら解決できるか、を考える。しかし、もっと大切なことは、Who、誰が解決するのか、ということだと言うんです。まあそれは当然自分ですよね。でもその自分で解決できないから難しい問題である訳です。ま、そこで自分を助けて強めて解決できるようにしてくださる方を知ることが大切だ、って言うんですねえ。佐々木さんは、自分の経験から、実は聖書を通して神を知り、その神様が Don't Worry.と言ってくださるお方だっていう事を知ったって言うんですねえ。

 ですから聖書を通して、宇宙万物を創造しこれを支配している偉大な神を知って信じていくと、どんな問題に対してもこういう事ができるって言うんです。まず第一に、神より大きな問題はない。第二に、神に解決できない問題はない。第三に、神はどんな問題もプラスにしてくださる、って言うんですねえ。

 この佐々木さん自身が、実は口べたで英語も苦手、法律もあんまり好きでなかった。でも聖書に出会って、こういう信仰を持っていく時に、なんと今は、英語で、法律家になり弁護士として毎日難しい相談事をこなしているっていう訳です。Donユt Worry.というそういうことばとしては簡単に言えますが、その言ってくださる方がおられる。その方が天地を造られた神様なんだって知る所に、新しい勇気が、問題を乗り越える力が湧いてくるっていうんですねえ。

 新約聖書のピリピ人への手紙の4章6節、7節という所にも、何も思い患うな、どんなことでも神様に感謝をもって祈ってごらん、そうすると神様が平安をもってイエス・キリストによってあなたがたを守ってくださいますよ、って言っているんです。あなたも、そんな解決法を身につけてみてください。

( PBA制作「世の光」2005/1/28放送でのお話しより )

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■風力発電

2005年01月27日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 ガソリンの高騰が続いていますよねえ。地球のエネルギーを考えると、石炭、石油、ガスやウラン。でも、どれも限りがあったり、危険が伴いますよね。ところでまだ他に地球に与えられている大きなエネルギーがあります。その一つは、太陽エネルギーですよね。

 その太陽が地球にもたらすエネルギーはですね、何と1時間分で世界の年間エネルギー消費料に相当するんだそうです。ものすごいエネルギーですよね。これを利用しない訳はないってことで、身近な事としては住宅の屋根やビルの屋上などがソーラーになっていますよね。

 さて、もう一つの大きなエネルギーは風です。羽田空港を離発着する旅客機の窓に映るのは二基の風力発電施設です。これは東京のお台場にあるようですよね。高さ44mの支柱に長さ26mの3枚羽根を回転させて発電させます。年間350万kw時の発電電力量になるんだそうです。あちこちにこのような風力発電機が設置されるようになりましたよねえ。

 ところで昨年の8月から9月にかけて、幾つもの台風が来たのは記憶に新しいと思います。強風が特徴でした。屋根がめくれたり、電柱が倒れたり、車が横転したり、街路樹がなぎたおされたりで、かなりの被害でした。被害に遭った方々のことばの中に、「自然の力の恐ろしさを改めて知りました」、そんなことばがありました。

 風力発電は、風によって被害を受けるばかりではなく、なんとか風を利用して電気を起こそうという訳です。これは環境にもいいものな訳ですよね。石油などの資源はいずれなくなるでしょう。しかし、そういう時でも、太陽の光は降り注ぎ、風は吹き続けますよね。

 さて、キリストのことばにですね、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」ということばがあるんですよ。風の不思議さ、風の神秘ささえ感じますよねえ。

 ところで、自然の驚異、自然の神秘、このすべての被造物が神によって出来たと聖書は主張しています。聖書は創世記1章1節に、初めに神が天と地を創造されたと明言しています。人間が最も偉大な神のもとに謙遜になる時、自然界の恵みは更に豊かに与えられ続けていくはずです。神を恐れないで人間が神のようになっていく時、結果は、人間が地球を滅ぼし、自らの滅びを招くのではないでしょうか。私たちは、この神を天地万物の造り主と呼んでいます。その造り主に、今日も豊かな恵みをもって生かされていくはずです。

(PBA制作「世の光」2005/1/27放送でのお話しより )

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■ 神にとって不可能はない

2005年01月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。
 北海道を旅行中のA・Hさんからいただきました。

 近況を報告します。北海道の伝道が楽しいです。信じるとは言わなかったが、そうか天国に行けるのか、と顔を輝かせた老人がいらっしゃいました。僕も天国の前味を味わった思いでした。A・Hさん、嬉しいお便り、ありがとうございました。

 今日の約束のことばです。
神にとって不可能なことは・・・ありません。
ルカの福音書1章37節のことばです。

 多くの人が、神を信じることはいいことだ、その信心が多くの場合人生の助けになる、と思っているでしょう。ですから多くの人は神を信じていると言います。

 しかし、本当に信ずるとはどういうことなのでしょうか。聖書は言います。「このように主イエス・キリストを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。」コロサイ人への手紙2章6節ですが、本当の神を信じるという事は神の救い主イエス・キリストを受け入れることから始まるのですねえ。そしてイェス・キリストと共に歩むことなのですねえ。

 信仰は結婚に例えられます。頭の中で、愛している、結婚したい、と思っているだけでは結婚したことになりません。相手を受け入れて一緒に住む、一緒に住んで愛しつつ相手と慣れ親しみ、愛して互いに成長し、やがて家庭を作りあげることです。本当の信仰は、神を事実として生きている神として受け入れ、神と共に歩み、神と親しく交わり、地上に天国のような家庭を作りあげて初めて、本当に信じたと言えるのではないでしょうか。

 私は16歳の時に、清水の舞台から飛び込むような気持ちでイエス・キリストの中に信じて飛び込みました。神様ならどんなことでもできると信じきってイエス・キリストと共に歩み始めました。何でもできる本当の神様を本当に信じた私に、神様は数多くの証拠を与えてくださったのです。

今日の約束のことば
神にとって不可能なことは、・・・ありません。
ルカの福音書1章37節のことばです。


それでは、また聞いてください。
 (PBA制作「世の光」2005/1/26放送でのお話しより )

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■ 弁護してくださるイエス様

2005年01月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 二年程前になりますが、長い間弁護士をされていた、おがたさんという方が洗礼を受けられました。刑事事件を数多く扱ってこられた方で、定年後私が牧師をしている教会のすぐそばに引っ越しをされてこられました。奥さんはクリスチャンで、毎週日曜日に礼拝にこられていたんですが、ご自身は教会にはあまり無関心のようでした。二年前の日曜日の朝、奥さんが私の所にこられ、「先生、主人が何か先生と話しがしたいんです」、こう言うんですよ。突然言われました。すぐにその午後に伺いました。そして以前は聖書の話をまったく聞こうとしなかったのですが、その日は違っていたんですよね。私は単純に人はみな罪人である事を話しました。そしていくら良いことを重ねても人は自分で自分を救うことができない弱い存在だって話したんです。一つ一つのことに丁寧にうなずくではありませんか。そしてその罪を赦すためにイエス・キリストは十字架ですべての罪を身代わりに背負って死んでくださったことを話しました。そしてイエス・キリストは三日目によみがえられ、今も生きておられ、信じる者とともに永遠に一緒に歩んでくださるんですよと話したんです。私はおがたさんに、こう質問しました。「おがたさんは今までたくさんの方の弁護をされてきましたねえ、でも永遠の正しい神様の前に出る時、おがたさんの弁護をしてくださる方は必要ではありませんか?」って言いますと、おがたさんは、「うん、必要だなあ」って答えました。「おがたさん、通常、弁護士に弁護を依頼する時に最初に何をしてもらうんですか?」って尋ねると、「それはなあ、委任状を書いてもらうんだ。」、こう答えました。これからの一切を任せてもらうために書かせるのだそうです。私はこう言いました。「イエス様も私たちを弁護してくださる方なんですから、おがたさん、委任状書きましょうよ。それは自分の口でイエス様を救い主として心にお迎えすることなんですよ」と言いました。すると、本当に素直に、イエス様という弁護士は必要だとうなずき、イエス様を信じ受け入れたんです。

 人はだれしも、うしろめたさをもっています。だれがいったいあなたの永遠の弁護をしてくださるんでしょう。あなたはそのお方をご存知ですか? 聖書の中に、第一ヨハネの手紙2章1節に、「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」イエス様という弁護者がいてくださるんです。

 (PBA制作「世の光」2005/1/25放送でのお話しより )

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2005年1月26日(水) 午後 9:00 ~ 1月27日(木) 午前 6:00 の時間帯は
  記事の投稿/閲覧/pingの受付など Gooブログのすべてのサービスが
  停止するとの事ですので、どうぞ宜しく。


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■ フォローして下さる主

2005年01月24日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 よく幼稚園の遠足なんかの時にこういう光景がありますね。一番前にいて、ハイこっちですよーって案内する引率をする方、そして必ずその遠足の行列の一番後ろにいてですね、まあ遅れる人もあったり転んだりする人もあったりするその人たちを守ってフォローしていくそういう役割の人と、二人まあ前と後ろとにいるということですねえ。で、聖書の中に、イザヤ書の52章という所ですけれども、「主があなたがたの前に進み、・・・、あなたがたのしんがりとなられるからだ。」ということばがあるんですね。で、神様というお方は前に進んでいてくださって私たちの行く道をちゃんとこう導いてくださる。と同時にその同じお方が、しんがり、あまり「しんがり」ということばを最近使わないように思いますけれども、後ろの方にいてですねえ、ちゃんとフォローしてくださる。そういう方なんだというふうに書いてある訳なんですねえ。

 で、この「しんがり」ということばは、もともとは「集める」という意味のことばから来ているんですけれども、例えば子どもさんたちが友達と一緒にみんなでわーっと遊んでいて、そしてそこから、じゃあねーって帰っていった後を見ると、まあきちんと片づければいいんですけれども、大体の場合はおもちゃがそこらへんにいっぱい散らばっていたり、読んだ本が散らかっていたり、時にはおやつも散らかっていたりというようなことがあったりする訳ですねえ。まあまあと言いながら、お母さんがあっちこっちから拾い集めてそして箱の中に入れる、棚に本をちゃんと直すというふうな、そういう意味のことば、つまり「後始末」という意味のことばがこの「しんがり」と訳されている意味な訳ですね。

 で、考えてみますと、私たちの人生って、振り返って見ると、あっちに散らかし、こっちに散らかし、いろんなものが一杯散乱しているってことがあるのではないかなあというふうに思うんですけれども、神様は私たちのそういう、しでかしてしまったような後始末をちゃんとしてくださるお方というふうな意味もそこにはあると思うんですねえ。

 で、賀川豊彦というあの有名な方は「尻拭い運動」ということを提唱した方なんですけれども、人間はみんなお尻を拭ってもらって大きくなったんじやないか、お互いに尻を拭い合うその精神が大事だということを言ってましたけれど、本当にそうだなあというふうに思う訳ですねえ。

 イザヤ書の52章に書かれていますが、53章というのはちょうどキリストが十字架につけられる時のことを予告しています。イエス・キリストの十字架というのは私たちのすべてを後始末してくださったことだという事とつながっていくなあと思うんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2005/1/24放送でのお話しより )

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ところで gooブログの近々のサーバ増強は、サービス停止を伴うようですね、覚えておきましょうね。

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サーバ増強のお知らせ

[メンテナンス/障害 情報]/2005-01-19 20:02:18

みなさんこんにちは。技術担当の橋本です。

先日お知らせしておりましたサーバ増強のスケジュールですが、
決定しましたのでお知らせします。

実施時間:2005年1月26日(水) 午後 9:00 ~ 1月27日(木) 午前 6:00

この時間帯は記事の投稿/閲覧/pingの受付などすべてのサービスが停止します。

2回目の大幅増強ということでノウハウもたまっていますので手際よくできるかと思っていたのですが、
移動するエントリーや画像が非常に大きいので転送するだけでかなりの時間が必要になってしまいました。
どうかご了承ください。

gooブログでは皆さんの快適なブログライフをご提供するため今後とも努力してまいります。
ご理解とご協力をお願いいたします。

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■ わたしは共にいます

2005年01月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。

 神奈川県秦野市にお住まいの松元セツ子さんからは、新約聖書マタイの福音書28章20節のことばをお寄せくださいました。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

 このおことばは、イエス様が、この地上を離れ天に帰ってゆかれた時、弟子たちに言われたおことばですが、救われて六十数年の私にとっては、切っても切れないおことばです。昭和二十年四月、元満州の熱河省奥の炭坑におりましたが、八月十五日の敗戦と共に、すべてが一変して村は混乱状態に陥り、着の身着のままの逃避行となりました。在村の日本人百名、男子四人と女子供ばかりの人々は、本社のある きんけん市に向かって約十里ばかりの道を三々五々腕を組み合って歩き始めました。その時、民兵に早変わりした村人、満州人は十五、六人が、手に手に鎌やなたを振りかざして近づいてきました。私たちは恐怖のあまり立ちすくみました。その時、「我、汝らと共にあるなり」との、このおことばが胸の内に。そして恐れは変わり、そして平安でいっぱいになりました。目の前には恐ろしい人々が立ちはだかっているのに、私たちは実に平安そのものでした。今もはっきり覚えています。そして背丈よりも高いコーリャン畑の中を逃げ回りつつも、心はおだやかそのものでした。その後、乗っていた馬車が河の真ん中でひっくり返った時、弾丸がのどもとをくぐり抜けた時、行き先不明の汽車に乗った時など、いろいろの事がありましたが、与えられた平安のうちに一つ一つを乗り越えていくことができました。こんにち、八十一歳に至りました。ただただ感謝です。私もこのおことばに支えられつつ残る年月を歩ませていただくことでしょう。感謝です。

 
 松元セツ子さんの心に残る聖書のことば。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
マタイの福音書28章20節のことばです。

 またお聞きください。

 ( PBA制作「世の光」05/1/22放送でのお話しより )

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■ 災の中に感ずる幸い

2005年01月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみやすお)です。

 長い人生には、苦しみや悲しみ、つきものです。今日は、むしろ悲しみを通して、生きていく上ではなくてはならない大切なものを発見することがある、ってことについてお話しします。そしてこれは時代や民族を越えたものです。

 旧約聖書の詩篇、今から三千年前に書かれたものですが、その119篇という所には、苦しみに会ったことは幸せだ、なぜならそのことによってまことの神を知り、どのように生きていくかを学んだ、と言っています。

 今から二千年前に書かれた新約聖書のコリント人への第二の手紙7章10節という所には、こんなふうに書かれているんです。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 二つの悲しみがある。一人で孤独で悩んでいくと死をもたらすような危険な悲しみもある。でも、悲しみを通して神を知っていく、神とともに生きる道を知る、そしてそれはすばらしい救いに至るんだ、って言っているんですね。

 ま、そんな最近の例もあります。北朝鮮拉致事件でおなじみになった横田めぐみさんのお母さん、横田早紀江さんです。月刊誌『現代』の12月号に、横田早紀江さんの密着取材した記事があり、横田さんのお話が紹介されています。突然一人娘を奪われ、悲しみ、苦しみ、そしてもう深い悲しみの中に生きる気力も失い、どうやって死のうかと真剣に考えるまでに至ってしまったというのです。そしてそんな時に出会ったのが聖書でした。聖書のヨブ記を読んだ時の気持ちの変化に、自分も驚いたそうです。こう言っています。「すっと胸に入ってきたんです。不思議な体験でした。生きることの本当の意味を知って、目からうろこが落ちる思いでした。そうしたら気持ちがすっきりしてしまったんです。」まあそれからは、祈ることだけでなくあらゆる物事を聖書に教えられて考えるようになったって言うんです。ま、そういう生きる意味を、本当に神に生かされていることを知ったという意味においては今は幸せ、その点においては幸せだ、と言い切っている姿に取材した記者が驚いています。こんな深い、大切な意味があるんですねえ。

( PBA制作「世の光」2005/1/21放送でのお話しより )

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■低気圧が連れてくる酸性雨

2005年01月20日 | Weblog

お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
昨年台風が日本にやってきた数っていうのは、観測史上、最も多かったようですよね。しかも、暴風と豪雨であちこちに大変な被害でした。その上また地震というようなことで、まだ復興に至るところのない方々も大勢いらっしゃると思います。この寒さの中、本当に守られてお過ごしになるようにと、心から祈ってやみません。

 ところで今までも問題になっていたことなんですが、地上に降る雨は殆どが酸性雨だっていうことなんですねえ。ところがこの度ですねえ、日本気象学会の報告によりますと、酸性雨は台風が連れてくるっていうものだそうです。台風は日本近海に近づくまでは海水成分による雲を作っている訳なんですが、陸地に近づくにつれて、大陸や日本列島の上空に漂う大気汚染物質を広い範囲から大量に集めてですね、移動する訳なんですね。そして日本列島に上陸して激しい雨になると、大気汚染物質もその一緒に雨と共にですね、地表へ降り注ぐ事になるっていう訳です。結果ですねえ、降る雨は、もう賛成も反対もなく全部酸性雨っていうことになるんだそうです。まあただでさえ多くの被害をもたらす台風が、さらに硫酸イオンなどの大気汚染物質を大量に集めてですねえ、地表に降らせるってなことで大変なことだなあと思わされました。ま、台風の被害を最小限に食い止める対策と、大気汚染をなくすことは、それぞれが一生懸命取り組まなければならないと痛感させられます。

 ま、ところでこの大気汚染をなくすために工場の煙突から出る煙についてはかなりの規制によって良くなりました。また車の排気ガスについてもディーゼル車を始めとしての取り組みってのは、ものすごい頑張っていてくれますよね。空気の汚染とはまあ大して関係ないかもしれませんが、タバコの煙害についても、こりゃあ取り組まれています。体も侵してしまいますもんね。ともかく何か考えます時にですね、どこからでも、吐き出される煙ってのは益があるっていうことは何一つないような気がしてならないんです。

 ところがですね、聖書には、神様から吐き出されるって言いましょうか吹き出される息、神様から吹き出される風によってですね、枯れた骨の状態のものが生き返ったっていう場面が出てくるんですねえ。また神が人類を創造された時、土くれに息を吹きかけて生きるものになったとあるんです。神様の息、神様の吹きかける風は実は愛です。その愛の現れが実はイエス・キリスト御自身なんですねえ。そのキリストによって吹かれて生きる人生。キリストは、「わたしはよみがえであり、いのちである。」と、おっしゃいました。このキリストに吹かれながら、キリストの息を感じながら、今日も一日、力強く生きていくことができるはずです。

(PBA制作「世の光」2005/1/20放送でのお話しより )

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