♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■海を渡る /羽鳥頼和

2019年02月23日 | Weblog
2019/1/19放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 出エジプト記14章からお話しします。14章にはエジプトを脱出したイスラエルの民が海を渡ったことが語られています。海が真っ二つに分れて人々がそこを渡る、映画でも有名な場面です。聖書はこの出来事を、神がなさったこととして語っています。神は積極的に主導権を持ってことを進め、素晴らしいことをされました。

 イスラエルの民がエジプトを脱出してから間もない頃、神はイスラエルの民に、引き返して海辺に宿営するように命じました。神は言われました。「エジプトの王はあなたたちが道に迷っていると思って、あなたがたを逃したことを後悔する。それはわたしが王の心を頑なにするからだ。王はあなたがたの後を追って来る。しかしわたしはわたしの栄光を現す。」 「わたしの栄光を現す」とは、神が神であることを明らかにするということです。それは神がこの時、必ずイスラエルを救うという約束のことばでもありました。神は指導者モーセに、杖を上げ、手を海の上に上げるように命じました。モーセがその通りにすると、神は強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされました。それでイスラエルの民は海の真ん中の乾いた地面を進んでいきました。その間、水は右と左に壁となっていました。エジプトの王は軍勢を率いてイスラエルの後から海に入ってきました。すると神は海を元に戻されました。それでエジプト人たちは溺れ死んでしまいました。

 これらのことは本当にあったことです。すべて神がなさったことです。神は天地万物の創造主であり、今もそれらを支配しておられます。創造主である神が海を分けて、イスラエルの民をエジプトから救い出してくださいました。この神は今も生きて働いておられます。そして私たちを救ってくださいます。

 明日は日曜日です。キリスト教会では聖書のメッセージが語られます。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.1.19放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■問題解決の鍵 /関根弘興

2019年02月22日 | Weblog
2019/1/18放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今日は新約聖書ヨハネの福音書4章に記されていることですが、イエス・キリストがサマリのスカルと言う町にある井戸の傍らに腰を下ろしておられた時のことでした。

 そこに真昼間、一人の女性が水を汲みにやってきたのです。
 イエス・キリストはこの女性に、「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4章14節 ) と言われたのです。

 この女性は人目を避けてでしか生きていけない心の渇きを抱えていました。それは何度も結婚と離婚を繰り返し、これからどう生きていったらいいのだろう、自分の道を見失っているような状態でした。

 イエス・キリストとの出会いは自分自身の心の問題、自分の姿がどうであるのかということを自覚させていく出会いとなっていきます。そして問題を自覚していくとき、人は問題解決のために解決の道を求めていきますね。この女性は、問題の解決はまず神様と自分とのまっすぐな関係を作らなければならない、礼拝を心から捧げることの中にあるのではないか、とぼんやりと知るようになりました。

 そこで彼女はこんな質問したのです。「私たちのどの山で礼拝をすべきなのでしょうか。」 当時、サマリアの人たちはゲリジム山っていう所で、ユダヤ人たちはエルサレムで礼拝をしていたので、こう質問したんですね。

 するとイエス様は、「女の人よ。私を信じなさい。この山でもなくエルサレムでもない所であなたがたが父を礼拝する時が来ます。まことの礼拝者たちが御霊と真理によって父を礼拝するときが来ます。今がその時です。」 こう言われたのです。

 つまりイエス様は、「これからは特定の場所に限定されず、どこにおいても礼拝できる時が来ますよ。今がその時です。心をこめて真実を尽くして礼拝を捧げることを神様は求めておられるんです。」と言われたのです。

 イエス様は「今がその時です」と言われましたね。なぜなら救い主イエス・キリストがきてくださり、イエス様は「わたしはあなたを離れず、決してあなたを捨てない。」(ヘブル13章5節参照)と約束されたからです。だからイエス・キリストがいつも共にてくださるようになるなら、いつもイエス様を礼拝する事ができるようになりますね。

 人は問題を自覚するとき、解決を求めていきます。そして心から礼拝を下げて生きているとき、問題の解決がなされていくのです。

     (PBA制作「世の光」2019.1.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし92- 姦淫してはならない /大嶋重徳

2019年02月21日 | Weblog
2019/1/17放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは、人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒の第七戒は、「姦淫してならない。」(出エジプト記20章14節、申命記5章18節)とあります。
 姦淫とは結婚以外の関係で身体の関係を持つことです。

 この夫婦関係が壊れやすくなっている時代、愛し合っている夫婦の存在は既に周囲にインパクトを与える存在です。周りの人は、なぜ彼ら夫婦は愛し合い続けることができるんだろうか、と見ています。そしてああ彼らはクリスチャンだからか、聖書から学んで愛し合うこと赦し合うことができるのか、そう受け取るのです。愛し合うことを選び取り、変わろうとしていく夫婦の子どもたちは、自分たちもまたあの親のように愛し会う夫婦になりたい、そのためには信仰を持って生きることなんだなあ、と受け取って行きます。そうやって両親の信仰が子どもたちにも継承されていくのです。愛し合う夫婦は子どもたちをまた愛し合う夫婦になりたいと思えるようになるのです。

 また、性的に乱れた時代の中で自分の貞操を保つ存在もこの世界にインパクトをもたらします。私はクリスチャン男性ばかりの合宿を持つことがあります。そこで聖書の語るように結婚まで自らが聖書的にきよく生きることを選び取る男性たちが起こされていきます。またあるいはこれまで犯してきた罪を悔い改め、新しく生き直そうとする男性たちが起こされます。その中の一人の男子学生が自分の友達に対しても「俺は一人の女性のために体をとっているんだよ」と胸を張って答え、友人の恋愛の相談に乗りながら、「お前、やっちゃってるからだめなんだよ」と、このテーマを持って聖書の結婚観を伝道しようとしています。お付き合いをしたら身体の関係を持つことは当たり前だという時代の中で、本当は誰かれ無く身体の関係を持つことはおかしいんではないかと考えている人々にも彼らの存在は大きな共感を与えるのです。

 今、聖書を読んでそこに生きようとする者に求められることは、胸を張ってこの第七7戒のもたらす祝福のメッセージをこの日本社会の中で語り抜いていくことです。そうする時に、姦淫しない文化形成がこの国の中で生まれていきます。第七戒の語る姦淫しない文化こそ裏切らない文化であり、愛されている安心を生む文化なのです。そしてそれこそが実は誰もが心から求めているものなのです。

 これで第七戒を終えたいと思います。次から第八戒の「盗んではならない」に入って参りましょう。

    ( PBA制作「世の光」2019.1.17放送でのお話しより )

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■いつまで延ばしているのか /福井 誠

2019年02月20日 | Weblog
2019/1/16放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書通読は進んでおられるでしょうか? 一日一章を読み進むごとに不思議にも自然と育っていくものがあるものですねえ。では今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨシュア記18章3節から「いつまで延ばしているのか」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

  ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」

 先週もお話しましたように、イスラエルの民は約束の地を戦ってこれを取り戻さなくてはなりませんでした。ただイスラエルの民は十二の部族で構成されていましたが、すべての部族が同じ力量、同じ思いがあった訳ではありません。カレブのような強いリーダーシップに率いられたユダ部族もあれば、人数的にも力のあるマナセやエフライム部族がある一方で、この章に描かれるようにグズグズと手をこまねいていて具体的な行動を起こすことのできないでいる部族もあったのです。それらの部族は、ベニヤミン、シメオン、ゼブルン、イッサカル、アシェル、ナフタリ、ダンの七族でした。

 ヨシュアは言います。「 あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」 

 しかしヨシュアはここで単にに叱咤激励している訳ではありませんね。「部族ごとに3人の者を選び出し、その地を行き巡り、その地について書き記し帰ってきなさい。」と共に戦いのための戦術を考え、戦い方を教えているのです。そして戦う前にまず調査を命じています。最初の一歩を踏み出すことは勇気を要するものです。しかしその一歩を踏み出さなければ結果も得られません。カレブのように大きなことはできないかもしれません。マナセやエフライムのように大きな挑戦に出ることもできないかもしれませんねえ。しかし、小さな一歩がやがて大きな実りを得させることを覚えて、どんな事も手に渡してくださる神の誠実さを覚えて、信仰による最初の一歩を踏み出していきたいものです。
 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2019.1.16放送でのお話より )

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■私たちの父祖アブラハム(ステパノの説教1)/板倉邦雄

2019年02月19日 | Weblog
2019/1/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「私たちの父祖アブラハム」という題でお話ししましょう。
 
 先週から知恵と聖霊で語る人ステパノの話を始めました。今ステパノは不当に逮捕されてユダヤの最高議会で裁判を受けている所です。人々の嘘の証言に対しステパノの弁明の説教が始まります。今日はその一回目、使徒の働き7章に入ります。

 「議場にいる70人の兄弟たち、父である先輩たち、聞いてください。私たちの父祖・先祖アブラハムがカランに父親と住む前、栄光の神がアブラハムに現れて言われました。『あなたの土地と親族から離れてあなたに指し示す地にいきなさい。』 そして父テラが死んだ後、神はアブラハムを今私たちが住んでいるこの地に移住させました。しかしこの地では遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも与えられませんでした。ただこの地を相続地として授けようという神様の約束だけでした。」

 さて今ユダヤの最高議会の議員になっている人々にステパノは何を語りたかったのでしょうか。私たちの民族の父アブラハムは信仰によってこの地に寄留者として住み、神の約束を信仰によって待ち望んだと言うことです。私たちの父祖は信仰の父だったということですね。信仰なくしては神に喜ばれることはないからです。

 更にステパノの説教は続きます。「神はこう仰せになった。『アブラハムの子孫は他国に身を寄せるであろう。そこで400年の間、奴隷にされて虐待を受けるであろう。その後彼らは奴隷の地から逃れ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう。』」

 ステパノの説教は神の民の苦難とその回復を語ります。信仰と苦難と解放、この三つの事柄は全ての信仰者の上に実現してゆくものなのです。

 聖書のことばです。
 「 あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
    ピリピ人への手紙 1章29節 (新改訳2017)

  (PBA制作「世の光」2019.1.15放送でのお話より )

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■祝福を受け継ぐ者~父ヤコブの祝福の手~ /岩井基雄

2019年02月18日 | Weblog
2016/1/14放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。人生の最後に自分の子どもたちに何を語り祈るかということを考えたことがあるでしょうか。人生を終える備え。最も伝えたいこと、残したい宝、それが何かを問われることがありますねえ。

 かつてヤコブの父イサクは息子ヤコブを全能の神の名で祝福しました。それはヤコブが母リベカと一緒に父をだまし、兄の祝福を奪ったからでもありました。しかし「兄は弟に仕える」と神が母リベカに約束していた通りに、ヤコブは祖父アブラハムに神が注がれた祝福を受け継ぐ者とされたのです。それは「押しのける者」という意味を持つヤコブが、「神ご自身が戦われる」という意味のイスラエルという名を与えられる祝福、すなわち砕かれ、謙遜にされ、神様に信頼する勝利を教えられる祝福でもありました。神様は私たち固有の問題を取り扱い、砕き、憐れみの器そして恵みと祝福の器としてくださるのです。神はこの約束の通り、ヤコブに多くの子孫を与え、約束の地を永久の所有として与え、彼の歩みを祝福しました。自分の死を直前にしてヤコブは、ヨセフの子マナセとエフライムを自分の子とし祝福します。この時ヤコブは敢えて手を交差し、次男エフライムに祝福の中心を与えます。それを間違えたと指摘したヨセフに父ヤコブはこう語ります。
 「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」 旧約聖書 創世記48章19節

 その後ヤコブの祈りの通りに、弟エフライムは約束の地の北部の頭となります。神様の祝福は人の思いを超えて他の人々にも届けられていきます。私たちも神様の祝福を受け継ぎ、それを次の代に渡していくのです。

 聖書のことば
 「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
      新約聖書 ペテロ第一の手紙3章9節

 神様の祝福を受け取り、またその祝福を他のどんな人にも届ける者とさせていただきたいと願います。

  (PBA制作「世の光」 2019.1.14放送でのお話より )
 
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■海を渡る /羽鳥頼和

2019年02月16日 | Weblog
2019/1/19放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 出エジプト記14章からお話しします。14章にはエジプトを脱出したイスラエルの民が海を渡ったことが語られています。海が真っ二つに分れて人々がそこを渡る、映画でも有名な場面です。聖書はこの出来事を、神がなさったこととして語っています。神は積極的に主導権を持ってことを進め、素晴らしいことをされました。

 イスラエルの民がエジプトを脱出してから間もない頃、神はイスラエルの民に、引き返して海辺に宿営するように命じました。神は言われました。「エジプトの王はあなたたちが道に迷っていると思って、あなたがたを逃したことを後悔する。それはわたしが王の心を頑なにするからだ。王はあなたがたの後を追って来る。しかしわたしはわたしの栄光を現す。」 「わたしの栄光を現す」とは、神が神であることを明らかにするということです。それは神がこの時、必ずイスラエルを救うという約束のことばでもありました。神は指導者モーセに、杖を上げ、手を海の上に上げるように命じました。モーセがその通りにすると、神は強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされました。それでイスラエルの民は海の真ん中の乾いた地面を進んでいきました。その間、水は右と左に壁となっていました。エジプトの王は軍勢を率いてイスラエルの後から海に入ってきました。すると神は海を元に戻されました。それでエジプト人たちは溺れ死んでしまいました。

 これらのことは本当にあったことです。すべて神がなさったことです。神は天地万物の創造主であり、今もそれらを支配しておられます。創造主である神が海を分けて、イスラエルの民をエジプトから救い出してくださいました。この神は今も生きて働いておられます。そして私たちを救ってくださいます。

 明日は日曜日です。キリスト教会では聖書のメッセージが語られます。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.1.19放送でのお話より )
 
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■エジプトに雹が降る /羽鳥頼和

2019年02月16日 | Weblog
2019/1/12放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書 出エジプト記9章からお話しします。9章には神がエジプトに雹を降らせたことが語られています。

 その頃イスラエルはエジプトで奴隷として虐げられていました。神はイスラエルを解放し、神の定められた地に導き入れようとされていました。神はそのためにエジプトに十の災いをくだされました。雹が降るのはその七番目の災いです。

 神はあらかじめモーセに神がなさることを教えておられました。モーセはその神から教えられたことをエジプトの王であるファラオに語りました。それらはこのようなことでした。 「神はエジプトに神の災いを下す。しかしあなたはおごり高ぶり、イスラエルを去らせようとしない。明日の今頃、神はエジプトに今までなかったような非常に激しい雹を降らせる。」 神は、神がなさることを語っておられたのです。それもエジプトの王が心を頑なにすることまであらかじめ語っておられました。

 モーセがファラオにこれらのことを語った次の日、その通りのことが起こりました。エジプト全土に非常に激しい雹が降って大きな被害をもたらしました。ファラオは一旦はイスラエルがエジプトを出ることを許しますが、雹がやむとすぐに彼は心を固くして、イスラエルの出国を拒絶しました。この時モーセは失望しなかったはずです。神からすべてのことを聞いていたからです。そしてモーセは希望を持ったはずです。語ったことを必ず成し遂げてくださる神が、イスラエルの民を救う、と約束してくださっていたからです。

 イスラエルを救った神は今も生きて働いておられます。そして聖書によって私たちに神のなさることを教えてくださっています。聖書を読むことによって、私たちも希望を持つことができます。ぜひ聖書を読んでください。

 明日は日曜日です。キリスト教会では礼拝で聖書のメッセージが語られます。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.1.12放送でのお話より )
 
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■自覚から求道へ /関根弘興

2019年02月15日 | Weblog
2019/1/11放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今日はヨハネの福音書4章に記されていることですが、イエス・キリストがサマリのスカルと言う町にある井戸の傍らに腰を下ろしておられた時のことでした。

 一人のサマリアの女性が昼の12時頃に水を汲みに来ました。イエス様はこの女性に、「「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4章14節 ) と言われたんです。井戸の水ならばすぐに渇いてしまいます。しかしイエス様は、渇くことなく心の底から湧き出るいのちの水を与えよう、と言われたんですね。そしてイエス様はこの女性が人目を避けてでしか生きていけない彼女の状態、それは何度も結婚と離婚を繰り返し、渇き切ってしまった彼女の心の状態をズバリ指摘なさいました。イエス様との出会いは自分自身の心の問題、自分の姿がどうであるのかを自覚させていくものになっていったんです。そして自覚していくとき、今度はその問題の解決のために求道、道を求めていくんですねえ。

 私は時々、説教の後にこんなことを言われることがあります。「関根先生、今日のお話、私のことを知っていてあの説教をしたんですか? あのことばが心にぐさっと刺さりました。」 こんなことを言われることがあります。念のために言っておきますが、私は特定の誰かの問題を事前に知っていて、その人に向けて説教するようなことはありません。でも不思議なことですが、私たちは聖書のことばがまるで自分に向かって語られているかのように感じたり、その語りかけられたことばによって自分の問題や自分の状態に気づかされるということはよくあるのです。ま、同じように、この番組で紹介される聖書のことばがあなたに語りかけられていると感じたら、そのことばをぜひ大切にしていただきたいんです。サマリヤの女性はイエス様のことばによって自分の魂の渇きに気付き、問題を自覚し、解決を求めるようになっていったんです。そしてこの問題の解決の鍵は、神様を礼拝するという事の中にあると理解していきました。つまり神様と自分との関係がまっすぐにされ、神様に向かって「天のお父さん」と祈り、礼拝をささげていくとき問題が解決されていくという事を感じていったんです。それは今も同じなんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.1.11放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし91 -姦淫してはならない /大嶋重徳

2019年02月14日 | Weblog
2019/1/10放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは、人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。十戒第七戒には、「姦淫してならない。」(出エジプト記20章14節、申命記5章18節)とあります。
この十戒第七戒に生きていくために必要なことは、独身時代に結婚の備えとして、真剣に人を愛すること、人格的に愛するということを学ぶことです。自分の好きという感情だけを大切にする人は、ある日突然大嫌いになってしまうことがあります。「好き」から「愛する」へと変えられていくことが大切なのです。

 ある人がこんな例えをしました。「好き」とはお気に入りの花をお気に入りの花瓶に飾ってお気に入りの場所で綺麗だなあと眺めるのが「好き」ということで、「愛する」とは土を耕して種を植えて、芽を出したら草取りもして、暑い日にも水をやって、それでもこちらを向いて花が咲かなくても喜ぶこと。その花が自分の部屋ではなく誰か病気の人に届けられ誰かを励ましていることを心から喜ぶことが「愛する」ことだと。

 非常に分りやすい例えだと思います。聖書には愛することがいかなることなのかということが記されています。若い間に聖書を読み、愛することを学んでいく必要があります。教会では聖書から恋愛・結婚・性のテーマを学ぶ機会があります。是非どなたでも教会に来ていただきたいと思います。

 更に第七戒の問題を考えるときに、決して忘れてはならないのは、どんな罪を犯したとしても神様の前で悔い改め、新しく生き直すことができるということです。性的な罪を犯した時こそ、私たちは自分に失望し、黙って教会から神様から去っていくことにもなりやすいものです。しかしこの第七戒の罪もまた、十字架のそばで聞かれなければなりません。もし私たちが過去の犯した過ちを自分を赦すことができなくても、十字架の愛は私たちの罪を赦すと言ってくださるのです。キリストの十字架を小さく見てはいけません。むしろ第七戒においてこそ、キリストの十字架は大きく大きく私たちに迫って来るのです。

 そして第七戒が私たちを養ってくれることは、何度も悔い改めることの実践です。聖書の中で姦淫の現場で捕えられた女性が出てきます。しかしイエス様は彼女の罪を赦し、そして「もう罪を犯してはならない」と送り出されました。大切な事は開きなおることなく、赦され続ける訓練へと生きることです。悔い改め続ける訓練に生きるのです。

 第七戒が私たちにもたらしてくれるのは、赦され易く悔い改め易い自由への生き方なのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.1.10放送でのお話しより )

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