♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■聖書が開かれて

2008年03月31日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、キリストの復活をお祝いしてからまだまあそれほど日も経っていない訳ですけれども、復活を通してですね、三つのことが開かれたのだというふうに言われているんですねえ。

 一つは、墓が開かれたということですねえ。墓というのは言うまでもなく死を意味する。それは死別(? ※聞き取れず)を意味する場所である訳ですね。ですから人間も墓に入ったらもうこれで何の望みもないという、万事休すだというようなことである訳なんですけれども、しかしながらキリストはその墓からよみがえられたことによって私たちの人生に新しい永遠の希望という門戸が開かれたのだということを、それは象徴している出来事だということですね。
 
 二つめのことは、聖書を見ますと、彼らの心の目が開かれてイエス様がそばにいるということが分かったということが書いてあるんですね。ルカの福音書の24章の所なんですけれども。弟子たちがそのエマオという所に向かっている途中でイエス様が同行してくださっていたんですけれども、それがイエス様だということが分からなかった。そしてあのエルサレムで起こった出来事って大変なことでしたねえというようなことで話していた。その時に、「いやそれは聖書に書いてあることが成就したことなんだよ」というふうにイエス様は説明しておられたんですけれども、でもそれがイエス様だとは彼らは気づかないでいたんですけども、そのイエス様に「ぜひ私たちの所に泊まってください」というふうにお願いをして、そうしてその中で彼らの目が開かれたということが書かれてあってですね、「そうなんだ、イエス様は私たちと一緒にいてくださったんだ。」(と。) 心の目が開かれないとイエス様がおられるのにそれに気がつかないでいるということがある訳ですけれども、心の目が開かれることによって、いつまでもあなたがたと共にいるんだよとおっしゃってくださったイエス様を見ることができる時に、私たちの生活は本当に力強いものになるということですね。

 同時に、イエス様は彼らに聖書を開いてくださった。今まで彼らは聖書を読んでいたはずですけれども、聖書の本当の意味が良く分からなかった。でもよみがえってくださったイエス様によってその聖書が開かれていった時に、ほんとに聖書というのはそういうことなんだということが分かるようになったということですね。私たちもイエス様がそばにいて、私たちに教えてくださるのだという思いをもって聖書を読みますならば私の前にも聖書は開かれていくっていうことをきっと経験するに違いないですね。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.31放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■世の終わりまであなたがたと共にいます

2008年03月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、2008年イースター・スペシャル、第12回めのメッセージです。題は、「世の終わりまであなたがたと共にいます」 新約聖書のマタイの福音書の28章20節です。

 お読みいたしましょう。

 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28章19節、20節)

 イースター・スペシャル最後のメッセージです。イエス・キリストは弟子たちを地上に残して天に帰られる前に、「あなたがたを捨てて孤児にはしない。」(ヨハネ 14:18参照) 「わたしは聖霊によっていつも一緒にいる」と約束して下さったのです。この約束は現在の私たちへの約束でもあるのです。

 しかし、もう一つの約束は、世の終わりが必ず来るということの警告です。この終わりの時、キリストは私たちがこの目で見える形で再び来られるとの再臨の約束です。

 ペテロは警告しています。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り・・・ます。」(2ペテロ 3章10節)
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(2ペテロ 3章13節)

 イエス・キリストは十字架上で「完了した。」(ヨハネ 19章30節)と言われました。これは救いの御わざが完全に終わったと宣言されたのです。そして死を打ち破って復活されたイエス・キリストは再び地上に来られる時、成し遂げられた救いのわざの仕上げをなさるのです。信じる者を新しい御国に招き入れて、永遠の救い主・王の王であるキリストと共に住む祝福の日々が約束されているのです。でも信じない者はどうなるのでしょうか。永遠の滅び、永遠の裁きの火に投げ込まれるのです。

 聖書のことば

 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28章20節)

 ( PBA制作「世の光」2008.3.29放送でのお話しより )

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そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

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  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
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  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

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■死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。

2008年03月28日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。

 先日、福岡の栄光病院に行きました。今年の一月に地上の生涯を終え、神様のもとに帰った義理の父が、その病院でホスピスの緩和ケアを受けていたのです。

 ホスピス、いわゆる終末医療は全世界に拡がっています。それは1967年にクリスチャンであるシシリー・ソンダースという医師がロンドン郊外のセント・クリストファー病院から始めました。

 自分の生涯の最後、死そのものと向かいあうことを恐れず、その備えをするこのホスピスは、イエス・キリストの復活の事実に基づいています。死で終わらない永遠のいのちを見つめて死への備えをするのです。死に向かう患者さんのそばに寄り添い、痛みを和らげ、心の痛みをも受けとめ、共にいる、その緩和ケアは、患者本人はもちろん見守る家族にとっても慰めと平安に満ちています。

 聖書にはこうあります。
死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
 死よ。おまえのとげはどこにあるのか。
」(コリント人への手紙第一 15章55節)

 また、こう書かれています。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
 私たちが義と認められるために、よみがえられた
」(ローマ人への手紙 4章25節)

 聖書の語る希望は、私たちの最終的な敵とも言える死に対してイエス・キリストが完全に勝利してくださった復活の事実に基づいています。
 
 主イエスは、私たちの罪の身代わりに十字架にかかり、その罪の裁きをすべて受けてくださったあと、私たちが義と認められるために、その死より、完全によみがえってくださったのです。だからこそ私たちは死を恐れる必要がありません。

 あなたがどんな現実を抱え、どんな状態にあろうとも、神様はあなたにも永遠のいのちを用意して待っていらっしゃいます。あなたはただ、自分の罪を認め、その罪のために救い主イエス・キリストが十字架にかかり、死んで三日目によみがえってくださったことを受け入れるだけで良いのです。あなたもこの永遠の希望、いのち、救いを御自分のものとなさいませんか? その時、あなたにも本当の勝利があります。「死は勝利に飲まれた」(1コリント 15章54節)のです。

 (PBA制作「世の光」2008.3.28放送でのお話しより)

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■わたしの手やわたしの足を見なさい

2008年03月27日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のルカの福音書24章39節から読んでみましょう。

 「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。

 イエスは十字架に架けられて死んで後、三日めによみがえられました。そして弟子たちをはじめたくさんの人々に、復活された御自身の姿を現わされました。

 この時弟子たちは、復活をしたイエスを見て、霊を見ているのだと思い驚き恐れたとあります。確かに完全に死んだはずの人が現れて自分たちの前に立ったとしたら誰しもが、幽霊か出たと思い驚き、恐ろしく感じることでしょう。

 しかしイエスは言います。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。

 イエスは本当に復活されたのです。ただ現れたというのではありません。肉や骨のある体で復活したのです。しかもイエスはそこで「何か食べ物があるか」と尋ね、弟子たちが差し出した焼いた魚を食べたのです。

 聖書は私たちにこのような死後の復活を約束しています。その体は、今の体同様に、触ることが出来、食べたり飲んだり出来る体です。しかしそれ以上のものです。

 聖書には、「弱いからだ」ではなく、「強いからだ」になると語られています。また、年老い、枯れていく、「朽ちるからだ」ではなく、永遠にみずみずしい「朽ちないからだ」になると。さらに、「卑しい」罪に満ちたからだではなく、神の「栄光」を現わすからだになると語られています。

 私たちは死んで終わりではありません。私たちにはもう一度、天において新しいいのちと新しいからだをいただく希望があります。イエスの復活は、その希望を確かにするためのものでした。

 ぜひ聖書を読んで、この希望について知っていだたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.27放送でのお話しより)

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■いのちを得るためにイエス様のもとへいこう!

2008年03月13日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。

 今日は聖書の中のヨハネの福音書 5章39節、40節から読んでみましょう。

 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

 ある方からお便りをいただきました。匿名ということで少し読ませていただきます。

 --- 今日生きるのは私は苦手だから生まれてこなければ良かった。生まれてこなければ死ぬこともないのに・・・、なんて一瞬思ったのですが、電話世の光の放送を聴いて、そうだ、私を生かしてくださるのは神様だ、と思えて元気が出ました。感謝です。 ---

 えー、放送を聴いて元気が出たとのこと、ほんとに嬉しく思いました。この時に読んだ聖書 のことばは、「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」というマタイの福音書(6章26節)のことばでした。

 確かに私たちのことを心配し、生かしてくださる神様がいます。神様を信頼し続け、ぜひ様々な困難を乗り越えていただきたい。神様がこの方にも力を与えてそうさせてくださるようにと祈らされました。

 かつて、ある相談室で、様々な悩みを抱える方の相談を受けていた時のことです。ある方が、こんな風におっしゃいました。「連休中はどこの相談室も閉まってしまうので自分はとても困る。相談室が閉まっている間、自分は悩みを抱えきれない。」というのです。

 しかし、どうでしょうか。心配して生かしてくださる神様がいます。相談室は閉まることがあっても、神様は年中無休です。24時間いつでも対応してくださいます。イエス様も、「あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネの福音書 5章40節)とおっしゃっています。聖書を開いて神様の励ましのことばに支えられる歩みをぜひ味わっていただきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.13放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 老人は夢を見る

2008年03月12日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 今日の世の光は、福音の四季のメッセージです。題は「老人は夢を見る」。 聖書は新約聖書・使徒の働き2章17節。

 神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

 私は歳をとりました。しかし今だに、幻を見、夢を見たいのですね。

 ある集まりで、一人の働き盛りの青年の方が、「老人は夢を見る」と、この聖書のことばを色紙に書いて私に渡してくれました。嬉しかったですねえ。

 聖書の中にモーセの後継者となって働いたヨシュアのことが書いてあります。ヨシュアはモーセ亡き後、イスラエルの民を約束の地へと導きました。歳をとり、もうそろそろ引退をと思ったでしょうか。しかし神はヨシュアに言われました。「あなたは歳を重ね老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。」(ヨシュア記13章1節参照) そう言われたヨシュアは、また力をいただいて働きました。

 旧約聖書・箴言に「幻のない民は滅びる」(29章18節キング・ジェームズ訳参照)と書いてあります。今の日本には若い人たちが持っている幻があるでしょうか。高齢社会の老人たちが夢を見ることができる希望を見つけられるでしょうか。まさに夢・幻と言われる類いのものでしかないように思います。しかし聖書の言う幻とか夢とかは、上から、神から与えられるものなのです。

 預言者ヨエルの口を通して神は言われました。
 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。 (29節 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。)  ヨエル書の 2章28節、29節です。 

 私のように日々衰えていく年寄りでも神の霊が注がれる時に、内なる人は日々に新しくされ、素晴らしい夢を見るのです。私は祈ります。日本の国に幻を与えてください、と。神の霊を注ぎ、若い者も老人も夢を見る者としてください、と。

 聖書のことば
    老人は夢を見る。
 新約聖書・使徒の働き2章17節のことばです

 (PBA制作「世の光」2008.3.12放送でのお話しより)

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■試練を喜びと思え

2008年03月11日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。

 今日は最初に新約聖書のことばを紹介しましょう。ヤコブの手紙1章2節。「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

 何と不思議な、そして驚かされることばでしょう。私たちは試練に会うと悲しみや失望、落胆、そういうものが心を支配してしまいますよね。でもヤコブは、試練に会ったとき喜びと思いなさい、と語っているんです。

 赤ちゃんがようやく立ち上がって歩き出そうとする時、赤ちゃんに歩かせるなんてとんでもない、いつまでも私がだっこしてあげるからね、そんなことを言う親はいません。赤ちゃんに、手は使わなくていいのよ、いつも私がおいしい御馳走を口に運んであげるからね、頭も使わなくていいのよ、私がいつも考えて代わりに答えをあげるから、あなたはただそこで休んでいればいいの。そういう親はいませんよね。

 でも私たちは案外、神様にそういうことをいつも期待していませんか? イエス様を信じればすべてうまくいきますよねえ、問題がありませんように。私は頭も手も口も何も使いません。神様、すべて宜しくお願いします。こんな具合です。

 能力があるということと、それを用い生かすということとは別問題です。それは信仰の世界も同じなんですね。

 駅のホームでいくら時刻表を見て納得しても、決して目的地には行けません。聖書を読んで、いいことばですねえと、いくら聖書にマーカーで色を塗っても、そのことばを信頼し、一歩踏み出して生きようとしなければ何も始まりません。

 先日、パソコンが壊れてしまい、部品を交換しました。説明書を読んで、ま、いろいろな設定を変えなければ機械は動きません。私は説明書に書かれていることを信じました。そうしたら自動的にコンピューターが作動したかというとそうはなりませんでした。信じて、その通りに行動したのです。要するに、書いてある通りにコードをつないでいきました。そしたら動き出したんです。

 信仰とはただ頭で信じました、ということではありません。それを生かすことなんです。そして人生の試練は誰にも襲います。その試練こそ信仰を生かす絶好のチャンスとなるんだ、とヤコブは語っているんですね。

 だから試練の時、ただ悩み悲しむのではなく、そこに讃美の声を、神様をたたえる声を、あなたの心に満たしていきなさい、と語っているんです。

 今週、あなたの唇から喜びのことばを豊かに豊かに溢れさせませんか? 信仰とは実際に生きてみることです。あなたの心に喜びを溢れさせましょう。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.11放送でのお話しより)

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■心のふるさとは

2008年03月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、アメリカにいる日本人とかですねえ、ブラジルにいる日本人、特に年輩の人たちはそうなんですけれども、一番懐かしい歌はというと「ふるさと」、あの「うさぎ追いし かの山」ってですねえ。老人ホームとかそういう所でもとっても喜ばれる。これが一番。「ふるさと」という歌なんだそうですねえ。

 で、その歌がもちろん好きだっていうだけではなくて、やっぱりふるさとへのイメージ。そこに何とも言えない懐かしさ、そして心癒される、心和む、そういう思いがするんだろうと思いますね。

 で、そう言えばあの五木ひろしという方が歌っている歌でも、「ああふるさと 誰にもふるさとがある ふるさとがある 誰にもふるさとがある」というあの歌が共感をもって多くの人々に歌われているみたいですよね。それは人間の心の中に本当にこう何と言いましょうか、心の落ち着く所、帰るべき所というそのふるさとというものを求めているんだろうなあというふうに思う訳ですねえ。

 で、聖書の中にですね、先週も紹介しましたアブラハムという人が「地上では旅人であり寄留者であることを告白していた」(ヘブル人への手紙11章13節) それは本当の意味の「自分の故郷を求めていることを示して」(ヘブル人への手紙11章14節)いるんだ。「事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」(ヘブル人への手紙11章16節)というのですね。

 えー、この地上で、ま、転勤をたくさんしている所で育ったお子さんなんかは、私のふるさとってどこなんだろう、って思ったりする方がいらっしゃると思うんですよね。で、人間はこの地上のふるさとはもちろんのことなんですけども、どっか心の中にですね、本当に自分の心の落ち着く所、ここが帰るべき所なんじゃないか、というそういうふるさとを求めているのではないかということですよね。

 私たちの造り主であるまことの神様を知って、その方のもとに帰る時に、ああここが帰るべき所だったんだという、そういう安心感、落ち着きを覚える。そして、この地上だけではなくって天の故郷・天のふるさとということが分かるとですね、私たちは本当にそこには希望があってですね、この地上の旅を続けていくことができる。

 私の知っている人が12歳で亡くなっていく時に「私はこれからホームへ帰るんだ」って、アメリカでのことなんですけど、ホームへ帰るんだって言いました。それは「えっ、家に帰りたいの?」ってお母さんが聞いた時に、「いや、天のホームだよ」って言ったそうですね。私たちの帰るべき本当のホームを持つことができる人は幸いだなと思います。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.10放送でのお話しより)

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■神は世を愛された

2008年03月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、皆様からいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。

 徳島県徳島市の飯塚さんから新約聖書ヨハネの福音書3章16節をいただきました。お読みいたしましょう。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 私が初めて教会の門をくぐったのは18歳の8月のことでした。ともかく家を出たいという気持ちで決めた就職先でしたから、流れ作業の部品の組み立てという仕事にすぐうんざりし、また寮の狭い部屋での人間関係に行き詰まり、深い孤独感の中で、人生の意味を求めて本を読んだり、映画で気を紛らせたりの毎日でした。ある本に、人は幼児期に愛された経験を持たないなら一生、人を愛することはできない、という文章に出会い、とてもショックを受けました。生きる意味がどこにあるのかと、死を考える希望のない日々を送っていました。そんなある日、会社の中で声を掛けてくれた人がありました。無料の映画会があるから行きませんかと誘われたのです。お金も無く、つられて行った所は尼崎キリスト教会でした。牧師の話はまるで自分に向けられているようで、家庭環境が複雑で、特に父親に強い憎しみを持っていた私は罪がよく分かりました。ここに何かがある、と感じ、教会に通い続け、信じてその年の12月10日に洗礼を受けました。無口で陰気な私が大きく変わり、人と楽しく交わることが出来、今、故郷に帰って主人の母と共に、あんなに憎んでいた父ととなり合って住んでいます。

 飯塚さんの心に残る聖書のことば
  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 新約聖書ヨハネの福音書3章16節のことばです。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.8放送でのお話しより )

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■ほんものへの渇き

2008年03月07日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄(いわい・もとお)です。
 
 私たちの心には、そして人生には、様々な悩みや苦しみがありますよね。でも、ある方がそんな私たちの悩みについて、とっても面白い表現をされました。それは、「私たちは悩むことができる存在なのだ」ということばでした。「悩むことができる」って素敵な表現だなあって思ったんです。悩むことや苦しむことがいけないことなのではなくて、悩んだり苦しんだりできる存在として私たちは造られている、というのですね。

 考えてみますと、確かに私たちの心はどこかで本物を求めているのでしょうね。自分の存在ってどこから来てどこに行くんだろう、自分は何のために生きているんだろう、この苦しみの意味は何だろう、って。私たちの心のどこかに、人間を越えた存在に対しての求めや渇きがあるのは、とても不思議なことですよね。そして出来るだけいろいろなことを考えないようにはしていても、やっぱり私たちの心の奥には、本物への憧れがあるのでしょうね。

 そして偽者や表面的な紛(まが)い物では満足出来ないほど素晴らしい存在として私たちは造られているんです。だから私たちは悩むのでしょうね。

 かつてアウグスチヌスという人は、聖書の語る神様を覚えながらこう告白しました。「あなたは私たちを御自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心はあなたのもとに憩うまでは安らぎを得ることはできないのです。」と。

 神様のかたちに創造された私たちは、心のどこかで神様のもとにある平安を求めているんですね。

 聖書にこんなことばがあります。

 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 (ペテロの手紙第一  5章7節)

 どんな悩みも苦しみも私たちは神様にお任せすることが出来るのです。神様があなたを愛し、あなたを待っていてくださるからです。この平安をあなたも御自分のものとするために、神様のもとに、神様の憩いの中に戻っていらっしゃいませんか? ここにこそ本物の平安があるのです。

 ( PBA制作「世の光」2008.3.7放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10
         自由ケ丘キリスト教会内
 電話052-762-2196 へ

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