♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■パウロの弁明(その二)とげのあるムチをける / 板倉邦雄

2022年01月22日 | Weblog

2021/7/17放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明(その二)とげのある棒をける」という題でお話ししましょう。鋭いとげのついた棒をけりながら足から血を流し傷ついている人を見たら、あなたはどうしますか? パウロの弁明の続きです。使徒の働き26章です。

 「アグリッパ王様。私自身も以前には、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動を取るべきだと確信していました。そこで多くのキリスト信徒たちを獄中に閉じ込め、死刑か無罪かの裁判の会議では進んで死刑に賛成の一票を投じました。それから、至るところの会堂でしばしばキリスト信徒を罰し、無理やりに神をけがすことばを言わせ、改宗を迫ったりして彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで迫害の手を伸ばしてまいりました。こうして私はシリアのダマスコまで逃亡したキリスト信徒を追ってまいりました。その途中、真昼でしたが光が天からさして来るのを見ました。その光は太陽よりももっと光り輝いて私と同行者たちを照らしたのです。私は落馬し、同行者たちもみな地面に倒れました。その時です。ヘブル語で私にこう呼びかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのある棒をければ、傷を負うだけである。』  そこで私は『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われたのです。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』」

 パウロ、旧姓サウロはこの時、分かりました。ナザレ人イエスは主なる神であるということです。死からよみがえられた主という名の神であることです。先祖も私も信じている神である主を迫害し逆らっていたことをパウロは知らされました。また人を苦しめることは自分自身を苦しめ傷つけている愚かな行為であることを知らされたのです。神の子イエスを十字架につけたのは私の罪だとパウロは悟りました。

 パウロのことばです。
 「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」
       ローマ人への手紙4章25節

  (PBA制作「世の光」2021.7.17放送でのお話より )


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
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■パウロの弁明(その一)この希望の為に / 板倉邦雄

2022年01月21日 | Weblog

2021/7/16放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「パウロの弁明(その一)この希望の為に」という題でお話ししましょう。

 私たち、苦難の人生に希望がなかったら生きていけないのです。なぜなら希望を抱いていますと喜びになり、失望に終わることはないからです。いよいよパウロのヘロデ・アグリッパ王の前での弁明が始まりました。使徒の働きの26章に入ります。

 「アグリッパ王様。ユダヤ人たちから訴えられているすべてのことに関して今日、あなたの前で弁明することになったのは私の幸せに思うところであります。あなたはユダヤ人のあらゆる慣例や問題を良く知り抜いておられる方ですから、私の申すことを寛大なお心で聞いていただきたいのです。
 さて私は若い時代には初めから自国民の中でまたエルサレムの都で過ごしてまいりました。その頃の私の生活ぶりはユダヤ人がみんなよく知っているところです。私はユダヤ教の最も厳格な分離主義パリサイ派に属し、その教えに従って生活してまいりました。今私は神が私たちの先祖に約束してくださった希望を抱いているために裁判を受けているのです。私たちイスラエルの十二部族は夜昼熱心に神に仕えてその約束を得ようと望んでいるのです。この希望のために私はユダヤ人から訴えられています。神が死人をよみがえらせるということが、あなたがたはどうして信じられないことと思うのでしょうか。」

 さてパウロの弁明の第一は何でしたか? 私はユダヤ人でユダヤの宗教を熱心に信じる者であったこと。 二、ユダヤ人の先祖の信じる神様が約束してくださった希望を抱いて生活してきたこと。第三、その希望は神が死人をよみがらせて下さるという約束でした。この希望のために私は同胞のユダヤ人から訴えられているとパウロは言っているのです。
 ところで私たちがこの困難な人生で希望をしっかりと心に抱いてまいりますと、そこに喜びが生まれてくるのです。

 聖書のことばです。
 「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」
         ローマ人への手紙12章12節

  (PBA制作「世の光」2021.7.16放送でのお話より )


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■ヘロデ・アグリッパ王の前で / 板倉邦雄

2022年01月20日 | Weblog

2021/7/15放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、「ヘロデ・アグリッパ王の前で」という題でお話ししましょう。使徒の働き25章の後半からは、パウロのヘロデ・アグリッパ王の前での弁明になります。26章の終りまでです。

 さて、ローマ総督フェストゥスの表敬訪問の翌日です。ヘロデ・アグリッパと妻ベルニケは総督フェストゥスの前に出ました。するとフェストゥスの命令によって囚人パウロがその場へ引き出されたのです。

 そこで総督フェストゥスが言いました。
 「アグリッパ王よ、並びにご臨席の諸君。ご覧になっているこの人物は、ユダヤ人たちがこぞって、エルサレムにおいても、またこのカイサリアの地においても、これ以上生かしておくべきではないと私に訴え出ている者です。しかし彼は死にあたることは何一つしていないと私は見ているのだが、彼自身が皇帝に上訴すると言い出したので、彼をローマに送ることを決めました。ところがこの男について皇帝陛下様に書き送る確かなものが何一つないので、私はこの男を、アグリッパ王よ、あなたの前に引き出して取り調べをした後、上申書の材料を得ようと思います。囚人を送るのにその告訴の理由を示さないということは不合理だと思えるからです。」

 するとヘロデ・アグリッパ王はパウロに向かってこう言いました。「それでは、お前自身のことを話しても良いぞ。」

 そこでパウロはアグリッパ王に向かって弁明することになります。

 ところでヘロデ大王は、イエス様がベツレヘム村で生まれた時、ベツレヘム地方の二歳以下の男の子を全部殺させてしまった残酷な人でした。そしてヘロデ・アンティパス王は兄ピリポの嫁であるヘロデヤを横取りして、その不倫関係をバプテスマのヨハネに指摘されたため、ヨハネを投獄の末、殺害してしまいました。そして今、ユダヤの三代目の王様ヘロデ・アグリッパはパウロの弁明を通してイエス・キリストの十字架と復活に直面することになります。

 私たちも人生のどこかでイエス・キリストと直面することになるのです。


  (PBA制作「世の光」2021.7.15放送でのお話より )


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■表敬訪問 / 板倉邦雄

2022年01月19日 | Weblog

2021/7/14放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「表敬訪問」という題でお話ししましょう。

 今、私はユダヤの国に新しくローマの総督として就任したフェストゥスと囚人パウロの話をしているところです。今日は、そのフェストゥスに敬意を表すために訪問したユダヤ人の王様ヘロデ・アグリッパと妻ベルニケのお話しをします。

 さて、ローマ総督フェストゥスは早速二人に囚人パウロのことを話し始めました。
「ここに前任者フェリクスが囚人として残して行った一人の男がいてねえ、私がエルサレムに行った時、祭司長たちやユダヤ人の長老たちが『この男を罪に定めてくれるように』と要求してきたんだ。そこで私は答えた。『訴えられた者が、訴えた者の前に立って弁明する機会が与えられないのに、その人を見放してしまうのは、ローマ人の慣例にはないことである。』 それから訴えた者たちが、このカイサリアに集まって男を告訴したので、私は時を移さず次の日に裁判の席に着いてこの男を引き出させた。すると訴えた者たちが立ち上がって申し立てたが私が推測していたような悪事は何一つなかった。ただ彼ら自身の宗教に関することであり、また死んでしまったのに生きているとこの男が主張しているイエスなる者に関する宗教問題にすぎなかったのだ。これらの宗教問題を私はどう取り扱ったらよいかよく分からないので、『エルサレムに行って、これらの問題について、さばいてもらいたくないか』と男に尋ねてみると、『ローマ皇帝の判決を受ける時まで、このまま自分をとどめてほしい』と言うので、皇帝に彼を送り届ける時まで、とどめておくことにしたのだ。」

 するとヘロデ・アグリッパ王は、「私も、その人の言い分を聞いてみたい」と言い出したのです。そこでフェストゥスは、「では明日、男から聞きとるようにしてあげよう」と答えたのです。

 さて、当時の二人の権力者たちがお茶を飲みながらの会話です。しかしその中心は、パウロという男が主張するイエスなる者でした。いつの時代でも私たちの歴史の中心はイエス・キリストではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2021.7.14放送でのお話より )


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■カエサルに上訴します / 板倉邦雄

2022年01月18日 | Weblog

2021/7/13放送送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 今日は「カエサルに上訴します」という題でお話ししましょう。

 日本の裁判制度でも罪を犯した被告人が上訴することができます。パウロも「カエサルに上訴します」と、皇帝の前での裁判に訴えました。使徒の働き25章です。

 ローマの総督フェストゥスは十日間ほどエルサレムへ滞在した後、カイサリアに下って行きました。その翌日、裁判の席に着くと囚人パウロを引き出すように命じたのです。パウロが出廷すると、同行したユダヤ人の有力者たちがパウロを取り囲み、彼に対して様々な重い罪状を次から次へと申し立てたのです。しかし、いずれも罪状の証拠を提示することはできませんでした。パウロは総督フェストゥスの前で弁明します。「私は、ユダヤ人の信じるモーセの律法に対しても、神殿に対しても、またローマ皇帝のカエサルに対しても、何の罪を犯したことはありません。」

 ところがフェストゥスはユダヤ人の有力者たちの歓心を買おうと思い、パウロに提案しました。「おまえはエルサレムに上り、この事件に関して、私からそこで裁判を受けることを承知するか? どうなんだ。」

 パウロは答えました。「私は今、カエサルの法廷に立っています。私はこの法廷で裁判されるべきです。よくご承知のとおり、私はユダヤ人たちに何も悪いことをしていません。もし私が悪いことをし、死に当るようなことをしているなら、死を免れようとはしません。しかし、もし訴えられることに何の根拠もないとすれば、誰も私を再び訴えるユダヤ人たちに引き渡す権利はありません。私はカエサルに上訴します。」

 そこで総督フェストゥスは裁判の陪席の者たちと協議した上で答えました。「おまえはカエサルに上訴を申し出た。カエサルのところへ行くがよい。」

 私たちは正義と公正が行われるために、また不当な扱いを受けることがないために、公的な裁判に訴えることができます。イエス・キリストは、私たちが個人的な感情で人を裁くことを戒めていますが、聖書は憲法や法律に則った正当な裁きを認めているのです。私たちの人権が守られると同時に、神様の正義が行われるためでもあるのです。

  (PBA制作「世の光」2021.7.13放送でのお話より )


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■ラジオ「世の光」との出会い / 板倉邦雄

2022年01月17日 | Weblog

2021/7/12放送送

 世の光の時間です。皆様いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は、私とラジオ「世の光」との出会い、そして私がラジオのバイブルメッセンジャーになるまでをお話ししたいと思います。

 私が初めてラジオ「世の光」の番組を聴いたのは中学生の時です。ラジオ文化放送の早朝からの宗教番組の中でした。賛美歌が流れ、「世の光の時間です。羽鳥明です。」の声が流れていました。他にも仏教系の番組も放送されていました。私の家は仏教の檀家で、父と母は仏教の一宗派に属し、熱心で月に一度は家庭集会を開くほどでした。ですから、他の宗教のラジオ番組も熱心に聴いていたのです。父は時どき、「キリストさんも、なかなかいいことを言うねぇ」と言っていました。

 そのような家で育った私が高校三年生の春にキリスト信徒になったのですから父や母は驚きました。さらに私がキリスト教の伝道師になると言い出したものですから父からは、「親でも子でもない」と反対されました。

 それから月日が流れ、キリスト教主義の神学校を卒業して開拓伝道をして十年目ぐらいだったでしょうか。この番組を制作している太平洋放送協会PBAの伝道部長をしていましたM牧師から電話がありました。「板倉君、神学校の先輩としてお願いがあるんだ。私はPBAを退職することになったので、私の代わりにPBAの伝道部で働いてくれないか。」

 それから私は週に一度、PBAで教会紹介と通信講座と信仰相談の働きをすることになったのです。

 そんなある時、ラジオ牧師の羽鳥明先生が病気で倒れてしまいました。「板倉先生、羽鳥先生が元気になるまでピンチヒッターをしてくれませんか?」「ピンチヒッターなら承知しました。」と引き受けたのが今日までになってしまったのです。

 中学生の時聴いていたラジオ「世の光」、そのバイブルメッセンジャーに私がなろうとは一体誰が思ったことでしょう。しかし神は計画しておられたのです。

 聖書のことばです。
 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
    ローマ人への手紙8章28節

  (PBA制作「世の光」2021.7.12放送でのお話より )


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■我が告別式 / 菊地百合子

2022年01月15日 | Weblog

2021.7.10放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。山形ホーリネス教会の菊地百合子です。

 聖書を紹介します。
 「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ者(死者)は幸いである』(と。)」
          (ヨハネの黙示録14章13節)

 私の父の若い時の最大の悩みは死の問題でした。しかしキリストに出会い、十字架と復活の恵みにあずかり、復活の希望に死の問題は見事に解決されました。死は天国に入る入口となりました。

 父は自伝に、告別式でしてほしいことを記しています。「私の告別式の式場には、紅白の幕を張ってお祝いしてください。参列者への挨拶のはがきは、ブルーの枠がいいでしょう。ブルーは天国を思わせるカラーですから。キリストにあって死ぬ私の告別式は幸いです。それは栄光への門口です。天国への祝いの式典です。めでたいことです。私が死んだ時には、『おめでとう』と祝ってください。決して『ご愁傷様です』と言わないでください。」

 父は2019年12月31日、大晦日の早朝に八十八歳で天国に旅立ちました。
 「日曜日の礼拝に行くことが私のいのちです。喜びです。神礼拝より大切な仕事はない。」と言い続けた父でしたが、晩年は入院することも度々あり、礼拝に行けなくなる日が続きました。しかし、父の地上での最後の礼拝は2020年の元旦礼拝でした。教会に遺体が安置されたので元旦礼拝に来られた方々は「新年おめでとう」と挨拶をして父と最後の別れをしました。

 紅白の幕は張れませんでしたが、紅白のリボンをつけた、父が営んでいた喫茶シャロームのマッチとブルーの枠の入ったはがきを告別式に参列された方々に配りました。

 コロナ感染が拡大する前でしたから教会での告別式には愛する教会員の方々、子ども、孫たちも集まることができ、父の生前の希望どおり娘婿である夫が山形から飛行機で大阪まで飛んできて告別式を執り行ってくれました。

 愛する者との死別は確かにつらく悲しいものです。しかし、キリストにある慰めと希望はそれをはるかに超える大きな恵みです。

 ラジオをお聴きの皆様の上に神様の平安がありますように。シャローム!

      (PBA制作「世の光」2021.7.10放送でのお話しより)
 ***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日
曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■金婚式を迎えて / 菊地百合子

2022年01月14日 | Weblog

2021.7.8放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。山形ホーリネス教会の菊地百合子です。

 2005年、私の両親は金婚式を迎えました。二人は岡山県と大阪の遠距離見合いでした。結婚式は自宅で両家の親族だけで挙式をするささやかなものでした。当時、父は教会に行き始めたばかりの求道者でしたので、結婚式はキリスト教会であげませんでした。ですが、父が結婚前にしたことは、やがて妻になる母にこの番組を作っているPBAの聖書通信講座を受けるように導くことでした。

 父はまだ洗礼を受けてませんでしたが、聖書通信講座で既にキリストを救い主として信じ受け入れていました。そこで母にもキリストを信じるようにとの願いから聖書通信講座を受けるようにすすめたのでした。

 そして二人は結婚しました。父が教会に行き始めて二ヶ月経った頃のことでした。結婚後、両親は毎週日曜日には礼拝に出席しました。そして結婚三ヶ月後のイースターに父は念願の洗礼を受けました。それから半年後の10月に母も洗礼の恵みに預かったのです。その時、母のお腹の中には八ヶ月の胎児が宿っていました。

 その年の12月、長男が生まれ、牧師によってイサクという聖書の登場人物から取った名前が与えられました。その長男は地区の1歳児の健康優良児として540人の中から一人選ばれて表彰されました。これは驚くべき恵みでした。当時、両親は貧しい生活を送っており、四畳半一間のアパートに親子三人が暮らしていました。授賞式にふさわしい服が買えなくて、母は一晩でベビー服を編んだと何度も聞かされました。

 この受賞を教会の牧師が喜び、「四畳半の優良児」と呼び、神の恵みをほめ讃えました。その後、両親には私を含め二人の娘が与えられ、それぞれ神の恵みの中にあって信仰が継承され、祖父母も洗礼を受け天に召されたことも恵みでした。

 「主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい。」 詩篇127篇1節

 父が救われたことによってわが家はキリストを信じる家族となり、神様の恵みによって生かされてきました。

 皆様の上に神様の恵みがありますように。

      (PBA制作「世の光」2021.7.8放送でのお話しより)
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■主の教えを口ずさむ / 菊地百合子

2022年01月13日 | Weblog

2021.7.9放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。山形ホーリネス教会の菊地百合子です。

 聖書を二ヶ所お読みします。
 「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。」
       コロサイ人への手紙3章16節

 「主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。」
        詩篇1篇2節

 私の父は二十三歳の時に洗礼を受けました。それ以来ずっと抱いている夢がありました。それは聖書のみことばを通して神の愛を現す生涯を送ることでした。そこで、文語訳聖書の暗唱聖句の挑戦を始めました。

 まず、よく結婚式などで読まれるコリント人への手紙第一13章とローマ人への手紙8章でした。第一コリント13章は早くに成功し、結婚式の祝辞を頼まれたときに何度も暗唱したようですが、ローマ書8章はなかなか覚えられません。

 しかし、ついに8章全部を暗唱して、七十歳になった時、続いて暗唱するという新たな挑戦を始めました。2004年に聖書のメッセージの当番になった時、8章から11章までの暗唱聖句をしました。聞いた人から95点をつけてもらったそうです。

 また、聖書朗読礼拝でイザヤ書53章を暗唱した時にはイエス様の十字架の恵みが目にあふれ、涙をこらえるのがやっとだったと言っていました。この日の礼拝は豊かな恵みが会堂一杯に溢れたことでした。

 この暗唱聖句を成功させるために、視力の弱い父は文字を大きくしたプリントをいつも持ち歩いて暗唱できるようにしていました。朝起きてから夜寝るまで、まさに昼も夜もその教えを口ずさむ毎日でした。

 退職してからの父は、淀川の河川敷や遊歩道を早朝に散歩するのが日課となり、その時には暗唱している聖書のみことばを毎朝口ずさんでいました。この朝の散歩のひと時は至福の時だったようです。大阪に帰省した折に見た、朝の散歩から帰った父の顔は本当に幸せそうでした。

 詩篇を書いた詩人も、「主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人」は、幸いな者と言っています。ラジオをお聴きの皆様も主のおしえを口ずさむ幸いな人になられることを心から願います。

 今日も一日、お元気でお過ごしください。

      (PBA制作「世の光」2021.7.9放送でのお話しより)
 ***

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■空しさからの解放 / 菊地百合子

2022年01月12日 | Weblog

2021.7.7放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。山形ホーリネス教会の菊地百合子です。

 昨日もお話をした私の父は五人兄弟の末っ子として生まれましたが、三人の兄は次々と父の少年の頃、戦死や病死でこの世を去りました。この肉親の兄弟との死別は、幼い父の心に死への恐怖を植えつけたのでした。この死への恐怖は形を変えて、どうせ死ぬのなら太く短く生きようと、いわゆる飲む・打つ・買うの三拍子揃った罪深い生活を続けました。悲惨な状況から抜けだそうとするのですが、どうすることもできず、空しさと孤独を抱えて生きていました。

 そのような時に父はオートレース場でトラブルを起こし、喧嘩になり、眼鏡のガラスが目に刺さり、左目を失明しました。右目は強度の近視でした。この失意のどん底にいた時に、短波福音放送「世の光」によって父は初めてキリスト教に出会いました。それから聖書通信講座を受けて、三カ月後にイエス・キリストを信じる決心をしたのです。その後、洗礼を受けたいと思った父は教会の門をたたきました。身も心もズタズタになっていた父を教会の方々はとても親切に暖かく迎えてくれました。

 父は初めて教会に行った日のことを生涯忘れることができないとよく言っていました。1954年10月17日生まれで、23年目にしてようやく教会にたどり着き、むなしい孤独な生涯が終りました。

 父は左眼を失明した暗闇の中で一つの光を見つけました。それは心の暗闇を照らすキリストの光でした。罪のためにくもっていた心の目が開かれ、神を見ることができました。目が見えなくなって目が開かれたのです。

 生まれつき目の見えない人がイエス・キリストによって癒やされた時に言ったことばがヨハネによる福音書9章25節に出てきます。

 「一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
 神のみわざは父の上にも実現しました。むなしさと孤独のゆえに罪の奴隷となり、暗闇の中に閉じこもっていた時に光を見出し、父の人生は大きく変わりました。未だかつて、経験したことのない神の平安を父は経験しました。ハレルヤ!

 ラジオをお聴きの皆様の上に今日も神様の平安がありますように。

      (PBA制作「世の光」2021.7.7放送でのお話しより)
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