2015/6/30放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。
主の祈りの祈りには、「御名をあがめさせたまえ」(マタイ 6章9節 文語訳聖書)という祈りがあります。この「あがめる」と言うことばは、「ほめたたえる」という意味で、「賛美する」などの喜びの感情を伴うことばです。クリスチャンたちが自分たちの信仰をまとめた文章に、「人ができる目的は何ですか?」という質問があります(※ウェストミンスター小教理問答書 問い1)。その答えは「神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶこと。」と記されています。人間の生きる目的は、永遠に神を喜ぶなのだことだ、とあるのです。つまり、永遠に神様ご自身を喜んで神様を楽しんで生きることこそ人が生きる目的なのだ、と表現しているのです。
この「喜ぶ」とは「エンジョイする」という意味もあります。つまり、私たちの生きる目的は神様を喜んで楽しむことだ。すなわち、「御名があがめられるように」という祈りは、この神様が私の神様であるということを私が心から喜んで生きていけますように、ということを祈っているのです。
この時代は生きる意味が分からずに見失った状態にあります。生きる意味が分からず生きることをやめてしまうというようなこともあるわけです。自分の価値がどこにあるのか分からずに仕事で価値を見出したり、稼いでくるお金で自分の価値を見いだそうとする。人と比べて人からうらやましがられるような人生を送ることで自分の人生の喜びを得たいと思う。しかしこの祈りは、自分が造られたのが神様の御名があがめられるために造られたのだ、と教えてくれるのです。
もし私たちの思いが暗くなり、何もできなくなったように自分の人生を考えてしまったとしても、御名があがめられますように、と祈りをなすときに、神様は、あなたが生きている意味と目的をあなたは達成しているよ、と言ってくださるのです。どれだけ病床の中にあったとしても、自分は神様のお役にも人のお役にも立てていないなあと思うことがあったとしても、神の御名があがめられるようにと祈る時、わたしはあなたをその祈りをなすために作ったのだ、とあなたの祈りの奉仕を喜んでくださる神様なのです。そして神が神とされることを願い、礼拝し、神様を喜んで生きる事ができますようにと口ずさむとき、あなたが造られたことの意味がある、と神様はおっしゃってくださいます。
「御名があがめられますように」という祈りは、私たちの生きている意味を取り戻す祈りなのです。
( PBA制作「世の光」2015.6.30放送でのお話しより )
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった主の祈りという祈りがあります。
主の祈りの祈りには、「御名をあがめさせたまえ」(マタイ 6章9節 文語訳聖書)という祈りがあります。この「あがめる」と言うことばは、「ほめたたえる」という意味で、「賛美する」などの喜びの感情を伴うことばです。クリスチャンたちが自分たちの信仰をまとめた文章に、「人ができる目的は何ですか?」という質問があります(※ウェストミンスター小教理問答書 問い1)。その答えは「神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶこと。」と記されています。人間の生きる目的は、永遠に神を喜ぶなのだことだ、とあるのです。つまり、永遠に神様ご自身を喜んで神様を楽しんで生きることこそ人が生きる目的なのだ、と表現しているのです。
この「喜ぶ」とは「エンジョイする」という意味もあります。つまり、私たちの生きる目的は神様を喜んで楽しむことだ。すなわち、「御名があがめられるように」という祈りは、この神様が私の神様であるということを私が心から喜んで生きていけますように、ということを祈っているのです。
この時代は生きる意味が分からずに見失った状態にあります。生きる意味が分からず生きることをやめてしまうというようなこともあるわけです。自分の価値がどこにあるのか分からずに仕事で価値を見出したり、稼いでくるお金で自分の価値を見いだそうとする。人と比べて人からうらやましがられるような人生を送ることで自分の人生の喜びを得たいと思う。しかしこの祈りは、自分が造られたのが神様の御名があがめられるために造られたのだ、と教えてくれるのです。
もし私たちの思いが暗くなり、何もできなくなったように自分の人生を考えてしまったとしても、御名があがめられますように、と祈りをなすときに、神様は、あなたが生きている意味と目的をあなたは達成しているよ、と言ってくださるのです。どれだけ病床の中にあったとしても、自分は神様のお役にも人のお役にも立てていないなあと思うことがあったとしても、神の御名があがめられるようにと祈る時、わたしはあなたをその祈りをなすために作ったのだ、とあなたの祈りの奉仕を喜んでくださる神様なのです。そして神が神とされることを願い、礼拝し、神様を喜んで生きる事ができますようにと口ずさむとき、あなたが造られたことの意味がある、と神様はおっしゃってくださいます。
「御名があがめられますように」という祈りは、私たちの生きている意味を取り戻す祈りなのです。
( PBA制作「世の光」2015.6.30放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblica.info が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。