♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して69年の
「世の光」を文字で 

■ルカの福音書26- 立ち止まって / 大嶋重徳

2021年01月21日 | Weblog

2020/7/30放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいます。羊飼いがマリヤとヨセフの夫婦の所にやってきて、天使が野原で自分たちに告げたことを伝えました。するとマリヤは、これらの事をすべて心に納めて思いを巡らしていた、とあります。マリヤにとって想像もしなかった出来事が余りのスピードで彼女の人生に押し寄せてきたからです。

 ここで思い出すのは、「おことばどおりこの身になりますように」というマリヤの一年前のことばです。神のことばが自分の身になる・・・まさに神のことばと現実の生活をつなぎ合わせることで彼女の人生は支えられていったのです。ああそうだ、私はあなたの前で「おことばどおりこの身になりますように」と言ったな、と。そうでなければ自分の人生に起こった出来事を受けとめきれないような人生となったでしょう。

 信仰とは、神様のことばを聞きながら私たちの日常でバラバラに分かれているものを一つにつなぎ合わせていくんです。信仰とは、魂・心の内側のことだけではありません。日曜日の礼拝では、本来私たちがすべきこと、それは過ぎ去った一週間をきちんと思い巡らすことです。月曜日から順々に自分に起こった出来事を思い起こし、一つのこととしてつなぎ合わせることが大切なのです。

 今週、皆さんの生活で何が起こりましたか? 何にもないように見える毎日の中で、実はそこで起こっている出来事の意味を思い巡らすことが大切なのです。

 実は一日として同じ一日などありません。今あなたの心にかかっている出来事は何でしょうか。それがあなたの人生にとってどんな意味があるでしょうか。そこに神のことばがどのように語りかけられ、あなたはその決断をするように神に促されていることがある。
 皆さんの通り過ぎていった人生の出来事あるいは心の深くに押し込んでしまって、そこに神様から自分がどのように取り扱われたのかを深く考えないままで通り過ぎてしまった出来事がきっとあるでしょう。

 今日私たちは忙しく歩いているところから立ち止まりたいと思います。意味を問わずに、神のことばとつなぎ合わせることをしないまま過ごしたこと、なすべき決断があると知りながらもなお先送りしようとしていたことに、立ち止まり考える時を持つのです。そのとき私たちはなすべき決断をふさわしくすることができるようになります。

    ( PBA制作「世の光」2020.7.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■私の訴えを打ち明けたのだから / 福井 誠

2021年01月20日 | Weblog

2020/7/29放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日1と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はエレミヤ書20章12節から「私の訴えを打ち明けたのだから」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ、あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」

 エレミヤは別名「涙の預言者」とも呼ばれます。それは神の言葉に耳を貸そうとしないイスラエルの民に涙ながらに神の言葉を語り続けた情の熱い預言者であったからです。今日の箇所にはそんなエレミアに対するイスラエルの人々の嘲りのエピソードが描かれています。

 ここに主の神殿で働いていたパシュフルという祭司が出てきます。パシュフルはエレミヤが語るエルサレム滅亡の預言に我慢がならず、それは神の言葉ではない、と怒りを燃やしてエレミアを捕らえ、鞭を打ち、牢にぶち込んでしまうのです。なんとエレミアは一般大衆にではなく神に仕える祭司に、あなたの言うことは間違っている、と否定されたのですね。

 その時のエレミヤの心境も描かれています。エレミヤはいささか動揺し、落胆した気持ちを吐き出すような祈りを捧げています。実際、エレミヤが預言したエルサレムの滅亡は一向に実現する気配もなく、語れば語る程にエレミアは物笑いとなり、嘲れててしまいました。エレミヤは、エルサレム滅亡の預言は確実に起こる神の御計画であると確信していましたが、それ以上に人々は確信をもってエレミアの語ることを否定したのです。

 エレミヤは四面楚歌の中にありましたがそこで辱めを受ける自分の境遇を嘆いたりせず、むしろ神に自分の窮状を素直に訴えて語りかけていますね。大事な点です。エレミヤは神と本当に身内のように話しかけています。 

 信仰を持つというのは、教会に通ったり聖書を学んだりする以上のことです。それは神との人格的な関係であり、互いに喜びも悲しみも分かち合うような関係を持つことです。いのちある信仰というのは実に神との対話が成り立つ関係を持つことだと言うべきでしょう。 

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.7.29放送でのお話より )

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■聖霊を受けたか? / 板倉邦雄

2021年01月19日 | Weblog

2020/7/28放送 聖霊を受けたか? / 板倉邦雄

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「聖霊を受けたか?」という題でお話ししましょう。

 聖霊とは「神の霊」とか「キリストの霊」とも言われています。聖霊は神とキリストから私たちに送られた賜物です。聖霊はギリシャ語でパラクレートスと言いまして、私たちのそばに立って弁護してくださる人の意味を持っています。聖霊は私たちの助け手であり、慰めてくれる人格者なのです。使徒の働き19章に入ります。

 パウロはエペソに来ました。そしてエペソの信徒たちと出会って、彼らに尋ねました。「あなたがたは信仰に入った時、聖霊を受けましたか?」 「いいえ、聖霊なるものがあることさえ聞いたことがありません。」 「では、誰の名によってバプテスマ・洗礼を受けましたか?」 「ヨハネの名によってバプテスマを受けました。

 そこでパウロは語ります。「ヨハネは水で悔い改めのバプテスマを授けました。しかしそれは水のバプテスマによって自分の後に来る方すなわちイエス様を信じて聖霊のバプテスマ・洗礼を受けるように人々に勧めたものです。」

 この使徒の働きを書きましたルカはルカ福音書の3章で次のように洗礼者ヨハネのことばを紹介しています。「私は水でバプテスマ・洗礼を授けるが、私よりも力のある方イエス・キリストがおいでになる。私はその方の靴の紐を解く値打ちもない。その方は聖霊と火とによってお前たちにバプテスマをお授けになるであろう。」

 パウロの勧めを聞いたエペソ教会の信徒たちは主イエス様の名によってバプテスマ・洗礼を受けました。そしてパウロが彼らの上に手を置いて祈りますと聖霊が彼らの上に降り、預言をしたりするようになったのです。

 さて、使徒の働きを話していますが、実は聖霊の働きの書物であると私は最初にお話ししました。すなわち、神とキリストの霊が、悔い改めイエスを信じてイエスの名によって洗礼を受けるすべての人に豊かに注がれるのです。そして私たちも聖霊の賜物をいただけるのですね。

 聖書のことばです。
 
  「御霊(聖霊)の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
      ガラテヤ人への手紙 5章22節、23節


  (PBA制作「世の光」2020.7.28放送でのお話より ) 

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■日本の近代教育制度を完成させた森有礼 /岩井基雄

2021年01月18日 | Weblog

2020/7/27放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 第四月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいます。少し時代は遡りますが、今日は日本の近代教育制度を完成させた森有礼(もり・ありのり)について学んでみましょう。

 明治に生きた六大教育家の内、三名はクリスチャンでした。既に新島襄(にいじま・じょう)は学びましたので、今月は森有礼、そして来月は中村正直(なかむら・まさなお)について学びましょう。

 森有礼は1847年、薩摩藩士の五男として生まれました。彼は幕末に薩摩藩が幕府の禁を犯してイギリスに派遣した15人の留学生の一人でした。イギリスの大学で学ぶ中、彼は聖書を基盤とした国際感覚を学び、軍事や技術だけではなく、聖書による人格教育の重要さを確信します。アメリカからキリスト者トーマス・ハリスがロンドンに来た時、有礼は感化を受けました。そして5人の仲間と共にハリスが主催するニューヨーク郊外のキリスト者共同体に移り、聖書を学び、キリスト者となります。ハリスの勧めで3年ぶりに帰国した有礼は新政府の岩倉具視(いわくら・ともみ)らに西洋の実態を伝え西洋教育の導入を訴えますが受け入れられず失意を覚えます。
 しかし明治3年、有礼は能力を買われ、23歳で初代の駐米公使に任ぜられたのです。渡米した有礼を薩摩の先輩で開拓使次官の黒田清隆(くろだ・きよたか)が訪ねました。そして有礼は黒田に人格教育、特に聖書による女子教育の重要性を説きます。そして黒田は帰国後、津田梅子(つだ・うめこ)たち5人の女子留学生をアメリカに送り、有礼は彼女たちの教育を助けます。帰国すると有礼は、福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)や中村正直らと共に明六社を結成します。さらに明治8年には一橋大学の前身となる学校を開設し、次世代を担う学生たちの人格を育んだのです。明治22年に命を落とすまで、有礼は命懸けで、人格を重んじた教育を日本に根付かせる努力を重ねていったのです。

 
 聖書のことば
   「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」
      新約聖書 ローマ人への手紙 12章10節


  (PBA制作「世の光」 2020.7.27放送でのお話より ) 
 
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■パリサイ人へのイエスの厳しい言葉 / 羽鳥頼和

2021年01月16日 | Weblog

2020/7/25放送

世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

イエスが語られることばは優しく、愛に満ち溢れています。しかし時々、それは厳しすぎるのではないか、と思うことを言われることもあります。今日も、先週に引き続き、イエスの厳しいことばを聞きたいと思います。

 イエスは厳しいことばを語ることによって人の罪を明らかにされました。イエスが一人のパリサイ人から食事に招かれました。イエスは彼の家に入り、食卓に着かれました。その時、食事の前のきよめの儀式をしないイエスを見て、パリサイ人は驚きました。きよめの儀式とは清潔にするための手洗いではなく、宗教儀式の一つでした。

 イエスはそのパリサイ人に厳しいことばを言われました。
  「あなたがたパリサイ人は、杯や皿の外側はきよめるが、その内側は強欲と邪悪で満ちています。」(ルカの福音書11章39節、参照 マタイの福音書23章25節 )

 招いてくれた人に対して「強欲で邪悪だ」とは厳しいというより失礼なことばのように思います。しかしイエスは権威あるお方として、人付き合いよりもパリサイ人たちに偽善の罪を教えられたのです。

 更にイエスは厳しいことばをパリサイ人たちに語られました。
 「愚かな者たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。とにかく、内にあるものを施しに用いなさい。そうすれば、・・・、すべてがきよいものとなります。」(ルカの福音書11章40、41節 )

 外側と内側を造られた方とは創造主である神のことです。パリサイ人は外側をきれいに見せようとするだけで内側をきよくしていない、というのです。「内にあるものを施しに用いなさい」とは、愛によって人に施しなさい、ということでしょう。

 このパリサイ人は人に良く見られるために、肉の糧と人との交わりを与えました。それに対してイエスは、もっと素晴らしいいのちの糧と神との交わりを与えてくださるお方です。

   ( PBA制作「世の光」 2020.7.25放送でのお話より )
 
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■苦しみから確信へ / 関根弘興

2021年01月15日 | Weblog


2020/7/24放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 イエス様が逮捕される前、オリーブ山のふもとにあるゲッセマネという所に行かれ、これまで弟子たちが見たことない苦しみの形相でイエス様は苦しみ悶えながら祈られました。イエス様は「我が父よ、できますならばこの杯を私から過ぎ去らせてください」と言われました。「神よ、十字架以外に人が救われる道はないのでしょうか。願わくは、この杯をわたしからとりのけてください」と叫ばれたわけですね。

 このイエス様の姿を見てある人は、「ああイエスは十字架につけられたくなかったと思ってるのに十字架につけられてしまったんだから、まあこの計画は失敗したのだ。」、こういう風に考える人がいます。しかしそれは聖書も神様の御心も全く知らないから、そういうですね、いいつもはこの坂月を過ぎ探してください鳥のられましたが、同時にしかし私の寝顔用にではなくあなたの御心のようになさってくださいともに乗られました。そして新約聖書のヘブル人への手紙の5章長勢捨てるところには、キリストは肉体を持って生きている間自分を死から救い出しことのできる方に向かって大きな叫び声と涙を持って祈りと狙いをさせてその経験の揺れに聞き入れられましたと書かれているんです。つまりイエス様はご自分が人々の罪を背負い十字架につくことこそ神の御心だと言う事この形成はネロ祈りの中で8起動自覚してこ重苦しいに躍起佐賀月を飲む事決意されたです阻止その後はタイに十字架への道を進んでいかれるんですね日とな人何かの課題や問題困難に直面すると恐れたヒルんだか。としながら苦しみますね。しかし自分の中で8期愛した結論が出て、心の準備が整い各語はできるとそのあとはその課題がこんなに力強く立ち向かってことができるようになります。イエス様はこの形成7章の祈りの後を驚く程自信に満ちた態度を示されるないました。そこには恐れもらえる姿はありません少死の疑いもありません少しの迷いもありません少しの不安もありません。ただご自分の前に置かれた十字架へと向かって行かれたのです系図迫らの祈りは苦しみから確信へと代わていたんですね。
      (PBA制作「世の光」2020.7.24放送でのお話しより)
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■ペテロの抵抗 / 関根弘興

2021年01月15日 | Weblog

2020/7/31放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。

 イエス様が逮捕される前、オリーブ山の麓にあるゲッセマネという所に行かれ、これまで弟子たちが見たことのない苦しみの形相でイエス様は苦しみ悶えながら祈られました。しかしイエス様はそこではっきりと、ご自分が人々の罪の身代わりのために十字架につくことこそ神の御計画であるということを確信し、十字架への道をまっすぐに進んで行かれるのです 。

 イエス様がゲッセマネで祈り終わった直後のことです。近くで待っていた弟子たちに、「立ちなさい。さあ行くのです。」と言われました。

 ちょうどその時、十二弟子の一人であるユダが一隊の兵士と祭司長・パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて灯火と松明と武器をもってやってきました。

 当時のユダヤの指導者たちは軍隊を持っていませんでした 。ですから一隊の兵士とはローマの軍隊で、ま、通常は600人の隊を表す言葉です。イエス様一人を捕まえるためにユダヤの宗教指導者や役人だけではない、ローマの兵隊たちも何百人も動員されたというわけですね。それそれが灯火と松明と武器を持ち 、騒然とした雰囲気が立ち込めていたことでしょう。

 ユダはイエス様を逮捕するための合図を決めていました。それは「私が口付けをするのがその人だ、その人を捕まえるのだ」と言っておいたからです。ユダはイエスに近づき口づけしました。それが合図となり辺りは騒然となったのです。

 その時、弟子のペテロが剣を抜き、大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落としてしまったんです。するとイエス様はペテロにこう言われました。
 「剣を元におさめなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」と 。

 イエス様がなそうとする救いのみわざは武力を用いて達成するものではありません。イエス様は自分を捕らえるために来た大祭司のしもべの耳の傷をその場所で癒やされたのです。 弟子たちはなすすべがありませんでした。もはや散っていくしかありませんでした。

 イエス様の救いのみわざは、こうしてイエス様が逮捕され、蔑まれ、たった一人で十字架への道を歩み、なされていくのです。


      (PBA制作「世の光」2020.7.31放送でのお話しより)
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■ルカの福音書25 -神の言葉を自分とつなぎ合わせる / 大嶋重徳

2021年01月14日 | Weblog

2020/7/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 羊飼いがマリヤてヨセフの夫婦の所にやってきて、天使が野原で自分たちに告げたことを伝えました。するとマリヤはこれらのことをすべて心に納めて思いを巡らしていた、とあります。「心に納め」ということばは継続する意味があります。一つ一つを丁寧に心に納め続けていた。「心に納め」という「納める」ということばは「物を守る」や「大事な番をする」「完全に守る」という意味があります。マリヤは自分の人生に起こった出来事を心の中にしっかりと番をして護り続けたのです。しかもいい加減にほっぽり出さずに、また心の机の引き出しの奥底に入れておいてのではなく、そこから取り出しながら思いを巡らしたのです。

 「思いを巡らす」ということばの意味はもともと、「二つのものを一緒に投げる」という意味があります。そこから派生して「二つのものを比較検討する」という意味となり、「推論する」「解釈する」という意味として用いられて来ました。つまりマリヤは自分が今まで体験して来たことを、聞いたことをすべて心の中に護りながら、あれとこれはどう繋がるのかと考えたのです。すなわち私が見て来た事、体験して来た事の意味は、神様のまなざしや神様の計画とどのように組み合わされるのか、推論して解釈するという仕方で、マリヤは心の中に納めていたのです。

 この箇所を「考え合わせる」と訳した聖書の翻訳がありますが、つまり自分の考えと神様の考えを合わせて考えた。神のことばと私たちの現実をつなぎ合わせるという時間をマリヤは持ったのです。マリヤに起こった出来事は、余りにも衝撃的で、余りにも怒涛の連続の出来事でした。突然の御使いガブリエルの訪問から始まって、自分が聖霊によって身ごもっている、そのようなことばを聞き、夫婦二人の貧しく寂しい旅。宿屋に居場所が無く、家畜小屋で息子を産むという悲しさ。これらの出来事は一年前にヨセフと結婚を夢見ていて自分が想い描いた人生とは全く違う人生が始まっていたのです。私たちは心に納め思いを巡らすという時間を意識的に持とうとしないと、私たちの生活は忙しさの中で流されていきます。このラジオを聴く時間はきっとそうでしょう。立ち止まる時間になっているはずです。神のことばと自分の生活をつなぎ合わせる時間、その時間こそ、あなたの生活を本当に豊かに潤す時間となっていきます。

    ( PBA制作「世の光」2020.7.23放送でのお話しより )

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■悪に慣れる / 福井 誠

2021年01月13日 | Weblog

2020/7/22放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。今日はエレミヤ書13章23節から「悪に慣れる」と題してメッセージをお伝えいたします。
 
 「クシュ人がその皮膚を、豹がその斑点を、変えることができるだろうか。それができるなら、悪に慣れたあなたがたも善を行うことができるだろう。

 先週もお話ししたことですが、人間の愚かさ罪深さは本当に根深く、なかなか変えがたいものがあります。エレミヤはそれを人間が肌の色を変えられないのと同じ、豹がその身体の斑点模様を変えられないのと同じだ、と言っていますね。確かにそのようなしつこい人間の性(さが)は人様のお姿を見ながら感じさせられるところですし、実際のところ自分にすらそのような頑なな部分を感じていることがあるものですね。

 私なども歳をとって来て感じるのは、歳をとればとる程に身体も硬くなるけれども心も硬くなる。そして自分の性質の頑なさがいよいよ目立って来て、取り扱い難くなってくる。そのように思うときがあります。人の人格と性質はそんなに簡単に変えることができません。それなのに、なぜ神は悔い改めを要求されるのか。神様は人間に無茶を言って罪の責任を問われている気もして来ます。

 しかしそうではありません。神様は悔い改めを求めながら、実際に自分の心に素直になる機会も与えてくださるお方です。私たちは自分の悪いところに気づくと、ことさら矯正しよう、正そうとします。しかしそうせずにむしろ神様と語り合うことが大事です。不思議なことに変われる理由が見つかれば人間は素直に行動を変えるものです。いつも言うことなんですが、自分の課題を神様に訴えながら、神様と良き時を過ごす。つまり聖書通読が重要になるのはこういうときです。聖書通読は聖書知識を吸収するためではなくて、神様のいのちに触れる機会としてあるのです。ぜひ聖書を開いて神様のことばに耳を傾け、神様の前に素直にさせられて、心を変えられる恵みを体験していただきたいと思います。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.7.22放送でのお話より )

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■第三回伝道旅行 / 板倉邦雄

2021年01月12日 | Weblog

2020/7/21放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 使徒の働き18章の後半から突然、パウロの第三回の伝道旅行が始まります。紀元54年から57年の3年間になります。

 出発はいつものようにシリアのアンティオキヤ教会からです。陸路を通って第一回、第二回の伝道流行地を訪れました。そしてフルギヤ地方を歴訪して第三回の伝道旅行の目的地、小アジアの首都エペソに来たのです。

 さてその頃、エジプト地中海沿岸アレクサンドリヤ生まれで聖書に精通し、とても雄弁なアポロというユダヤ人がエペソにやってきたのです。アポロは主なる神の道に通じていて霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていました。しかし、ヨハネのバプテスマしか知らなかったのです。と言うことは水による洗礼による悔い改めのことは知っていましたが、イエス様を信じる信仰による聖霊によるバプテスマ・洗礼のことは知らなかったと言うことでしょう。安息日ごとにアポロの説教や旧約聖書からの教えを聞いたプリスキラとアキラ夫妻は、かつてパウロ先生から聞いたさらに深くて詳しい神の計画の道をアポロに解説してあげました。すなわち、神に対する悔い改めと主イエス・キリストに対する信仰です。どんなに聖書のことを知っていても、どんなに雄弁に説教しても、どんなに教えることができても、どんなに霊魂が燃え情熱的であっても、それだけでは人々の魂を救い天国に導くことはできません。アキラとプリスキラ夫婦のような聖書全体を理解したキリスト信徒によって、アポロのような伝道者が整えられ、神の働きのために用いられてゆくのです。キリスト教会の指導者も、実は信徒たちによって成長してゆくのですね。その後アポロはエペソ教会をあとにして、アカイヤ地方のコリント教会に行きました。イエスがキリスト・救い主であることを旧約聖書に基づいて語ります。信者には大いに力となり、反対者は論破されていきました。

 旧約聖書は主なる神への悔い改めと救い主イエス・キリストへの信仰に満ちた神のことばです。新旧約聖書に基づいて、アキラとプリスキラ夫婦のように証しして参りましょう。

  (PBA制作「世の光」2020.7.21放送でのお話より ) 

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