世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を始めていきたいですね。
私たちの人間関係を破壊するものがあるとするなら、その一つは自分勝手な心がある、ということだと思うんですねえ。 自分勝手な人のこと大好き!という人に私は今迄出会ったことがありません。 みんな、あの人ほんとにさ、自分勝手なんだから、もう頭にきちゃうよ。 普通こういう反応をします。
それでは自分勝手な人に対して頭にきちゃってる人に、あなたは今迄自分勝手なことをしたことがありませんか?と尋ねると、今度は頭を掻きながら、いやあ私も自分勝手な所が結構あるんですけどね、と言うに違いありません。
人は自分勝手なことが大嫌いなくせに、自分の心の中には嫌いなはずの自分勝手な自己中心的な思いを持っているんですね。 自分の身勝手さにはあまり気がつかずに、人の身勝手さにはものすごく敏感なんです。
イエス・キリストはこう言われました。 マタイの福音書7章3節から。
「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁 ---(ま、これはあのう柱をつなぐために架け渡す木材ですよねえ)--- には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」 (7章3節から5節)
ああこれは強烈なそして厳しいことばですね。 人の目のちりはよく分かるけど自分の目には大きな梁がある、という訳です。 でも真実だと思いませんか? 私たちはついつい人の欠点や悪い所だけを見つめて批判し攻撃してしまいます。 でもまず、あなたの中にある大きな大きな梁を取りのけなさいとキリストは言われているんですねえ。
私たちの大きな梁の一つは何でしょう。 それは先程言ったように、自分勝手な心が、自分さえ良ければ良いというそういう梁があるんです。 聖書はこれを罪と呼んでいるんですねえ。 その罪をそのままにしておくことは決して良い筈がありません。 どのようにその罪を取り除くことができるのでしょう。
まず自分の心の罪を正直に認めることです。 聖書は、その罪のためにイエス・キリストが身代わりに十字架に背負ってくださり、赦し、救ってくださると約束しています。 罪を認め、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れること、これが自分の目の中から梁を取り除く出発です。
(PBA制作「世の光」2009.3.31放送でのお話しより)
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