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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■人間を取る漁師 / 福井 誠

2025年02月28日 | Weblog

2024/10/18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日はその五日目。暦では「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」と色々と活動が楽しまれる季節です。聖書もじっくり読んでみたいところです。では昨日の続きで、「人間を取る漁師」と題してお話をします。新約聖書マタイの福音書4章19節をお読みします。

 「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』」   

 マタイの福音書はこの4章後半から18章まで、イエスのガリラヤ宣教と呼ばれる期間に起こったエピソードを記録しています。イエスはイスラエルの土地をくまなく旅しましたが、マタイはその中でもイエスが北ガリラヤ地方で活躍していた時の記録に多くの紙面を費やしているのです。

 どうしてだろう?と思います。実はこの北ガリラヤ地方は当時のユダヤの領主ヘロデ・アンティパスが本拠地としていた場所です。このヘロデ・アンティパスはイエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネを殺しています。イエスはそんなヘロデを恐れることなく、堂々と宣教活動をしたということなのでしょう。イエスはまことに神の子としての風格を示されたのです。そしてこの地で多くの弟子を呼び集められました。

 当時の弟子たちは文字通り教師の後について教師と共に生活する中でその教えを吸収しました。
 しかしイエスが期待されたのは漁師となることでした。与えられた魚を食べて喜んでいるのではなくて、自らの手で魚を釣ることができる人になることでした。つまり、イエスから聞いた教えをよく消化して、その教えを自分自身のものとして、実際に他の人にもイエスの教えを教えられるようになることです。

 イエスは私たちにも同じように語り掛けていることに間違いはありません。イエスは後に、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28章19節 )と言いました。これからマタイの福音書をさらに読み進み、これをよく理解するなら、私たちは単に慰められ励まされるどころか、人を救いに導く力をも身に付けるように整えられるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.18放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■悪魔の誘惑 / 福井 誠

2025年02月27日 | Weblog

2024/10/17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日も昨日に続いてマタイの福音書を読みます。では「悪魔の誘惑」と題してお話しします。新約聖書マタイの福音書4章4節をお読みします。

 「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある」

 今日(こんにち)、聖地旅行に行きますと、イエスが悪魔の誘惑を受けたと考えられている場所を必ず訪問します。それはエリコという町に位置する300mほどの小高い山、モンス・クアランタナという場所です。緑の少ない岩肌の山で、険しい道が山頂まで続き、ちょうどギリシヤ正教会の修道院がその中腹にあります。
 私もその場を訪れて、なるほど、ここでイエスは誘惑を受けたのか、とその山を遠目に眺めながらしみじみ思った記憶があります。

 さて、イエスはそこで40日40夜断食をし、空腹を感じられました。
 すると悪魔がやってきて、「神の子なら、石をパンになるように命じよ」というのです。
 悪魔はイエスに神の子としての能力を示すように促しました。
 しかしイエスは断られました。神の力は神の栄光を表す目的のためにのみ使うものです。イエスは多くの奇跡を行いましたが、ご自分の利益のためではなく神の御性質を教えるためにそうされました。

 次に悪魔は旧約聖書の詩篇のことばを引用して、その山から飛び降りて神に守らせてみよ、とけしかけます。するとイエスは、それは神をあからさまに試みることだ、と応じます。確かに、神の力と権威は、軽々しく試みることのできない偉大なものです。

 そこで最後に悪魔は、神ではない自分の力を試してみないか?と誘惑します。世の指導者たる者にとって最大の誘惑は、神ならざるものを神とすることです。自分を神として権力を振り回したり、悪に心を売り渡してまでも目的を達成したりする誘惑です。
 しかし、イエスはまことに神の子、ただ神に従い神のみこころを行うことに徹するお方でした。悪魔の誘惑のエピソードは、信仰を持つ者がどのように神に従い生きるかを教えます。イエスのように神の力と権威の偉大さを認め、遜(へりくだ)って、神に従って歩むことです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.17放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■筋を通される神 / 福井 誠

2025年02月26日 | Weblog

2024/10/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。継続は力なり。聖書を読む楽しさが次第に身に付いてくるものです。
 今日も新約聖書のマタイの福音書3章から読んでまいりましょう。今日は、「筋を通される神」と題してお話しします。マタイの福音書3章15節をお読みします。

 「しかし、イエスは答えられた。『今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。』 そこでヨハネは言われたとおりにした」   

 このことばはイエスがキリスト教の儀式であるバプテスマ、つまり洗礼を受けた時に語られたものです。月曜日にもお話したように、バプテスマは当時悔い改めを必要とする罪人に授けられるものと考えられていました。
 それを私たちが神と信じるイエス・キリストが受けられるのです。違和感を覚えるのは私ばかりではないでしょう。実際、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネもこれは違うと考え、「自分こそイエスから洗礼を受けるべき者であり、あなたに洗礼を授けるなどとんでもない」と抵抗しているのです。

 するとイエスは、「そうではない。このことで議論するのは止めて、とにかく私が願うように洗礼を授けるように。それが神の前にも正しいことだから」とヨハネに洗礼を授けさせるわけです。

 このやりとりの中に私は、私たちが信じる神の考え方また性質を感じるところがあります。
 つまり、私たちの救い主は、旧約聖書に預言されたとおりにこの地上にお生まれになりました。それは人類をその底辺から救うための神の遜(へりくだ)りでした。そして神は、信仰の初めの洗礼においても人に必要とされるものは皆行う、ご自分にも例外を設けないという姿勢を貫かれたのです。

 このように、神であってもご自分を特別扱いされず、正しいことの筋を通されるお方であるなら、私たちも安心して従うことができるというものでしょう。神は正しいことをされるお方、正しく物事を導くお方なのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.16放送でのお話しより )


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■血筋とは一切関係がない / 福井 誠

2025年02月25日 | Weblog

2024/10/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井誠が担当しています。昨日からマタイの福音書を読み進めています。今日は、「血筋とは一切関係がない」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書3章9節をお読みします。 

 「あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです」   

 「われわれの父はアブラハムだ」ということばは当時のユダヤ人にはよく使われたことばです。それは一種自慢めいた言い方で、自分たちが神に愛されたアブラハムの子孫であること、つまり神の特別な加護の下にある民族の一員だ、と主張するような言い方でした。

 しかし、預言者のバプテスマのヨハネは、それは考え違いだ、と言うのです。神は、アブラハムなどとは全く関係のない 人間でもない「これらの石ころからでも」アブラハムの子孫と呼ぶような者を起こすことができる。つまりアブラハムと同じように、神に愛される信仰者になることは血筋とは一切関係のない事だ、と言うのです。

 確かに信仰を持つことは個人的な経験です。熱心な信仰の両親のもとに生まれたからその子も信仰者である、あるいは先祖代々キリスト教を信じてきた家柄にあるから自動的に信仰者となることはありません。
 たとえそのような両親や家系に生まれたとしても、人は個人的に神と向かい合って神の前に罪を悔い改めて、イエスの十字架にある罪の赦しに対する信仰を告白して信仰者となっていくのです。

 またさらに言えば、日々誰かの信仰にあやかって信仰を続けることもありません。自立的に神を呼び求め、心を通わす時を持ち、神のことばに生きていく。そのような主体的な信仰によってこそ、アブラハムの子孫、神に愛される信仰者になれるのです。

 神は私たちに個別に関わり、個別に祝福してくださる方であることを覚えましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.15放送でのお話しより )


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■いつでもやり直せる / 福井 誠

2025年02月24日 | Weblog

2024/10/14放送

 「世の光」の時間です。福井誠です。しばらくぶりですが、リスナーの皆様、お変わりございませんか? 今週は新約聖書のマタイの福音書から共に読んでまいりたいと思います。聖書を読むことが楽しくなることを願っています。
 今日は「いつでもやり直せる」と題してお話します。新約聖書マタイの福音書3章2節からお読みします。 

 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」

 バプテスマのヨハネと呼ばれた預言者が語ったことばです。彼は救い主イエス・キリストにバプテスマつまり洗礼を授けた人物でした。

 以前、イスラエルに旅をしてその場所を訪れたことがあります。陸路を通ってヨルダンからイスラエルに入国する際に、アレンビー橋またの名をキング・フセイン橋と呼ばれる橋を通りましたが、その近くにイエスがバプテスマを受けたとされる場所があるのです。当時の面影はどれほどあるのかなぁとも思いますが、今でもヨルダン川沿いのその場所は閑散とした荒れ地です。

 そこでかつてバプテスマのヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰に皮の帯を締め、声を張り上げていたのだな、と思わされました。「悔い改めよ。天の御国が近づいたから」と。メッセージも粗削りで、「あなたの生き方を悔い改めよ」とストレートに語っていたのです。

 興味深いのは、ヨハネはユダヤ人に向かってこれを語ったことです。当時悔い改めが必要なのはユダヤ人以外の民族だと考えられていました。ですから悔い改めに基づくバプテスマも、ユダヤ人以外の民族がユダヤ教に改宗する際に授けられるものでした。ところがヨハネはこれを悔い改めるユダヤ人に授けたのです。

 大切なのは、悔い改めが批判的なことばではなかったということなのでしょう。信仰は悔い改めの連続です。これで十分ということはありません。神も心を入れ替えて人生を修正したいと思う者に対して、いつでも受け入れて、励まし、力となり、後押ししてくださるお方です。
 悔い改めは、いつでもやり直せる恵みの機会なのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.14放送でのお話しより )


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■立ち上がったレビ / 山本陽一郎

2025年02月22日 | Weblog

2024/10/12放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 先日、トラックの運転手をしている方に出会いました。「いつものようにトラックを走らせていた時、ラジオからこの『世の光』の放送が流れてきた。聖書のことばが心を捉えた。教会に行ってみた。そしてイエス・キリストを信じた」とご自身の体験を話してくれました。感動しました。

 ルカの福音書の中にも、仕事中にイエス様に出会った人が出てきます。カペナウムの町の収税所に座っているレビにイエス様が目を留められた、と書かれています。

 当時のユダヤ人社会はローマ帝国の支配下にありました。レビは「取税人」といって、ローマへの税金をユダヤ人たちから徴収する仕事をしていました。自分もユダヤ人なのに外国のために重い税金を同胞から集める。それだけでなく、取税人は本来より多く取り立てて自分のものにしていたので、レビたちは人々からとても嫌われていました。

 イエス様はこのレビに、「わたしについて来なさい」と言われたのでした。

 レビは、こんな自分を愛し、招いてくださるイエス様のことばに心が震えたのです。彼がどんな事情で取税人になったのかは分かりません。この仕事で多くの財産を手にしました。しかし、この求め方では、彼が本当に欲しかった幸せは手にすることができなかった。それは本人が一番分かっていたでしょう。
 そんな中でイエス様に出会いました。彼はここで人生の方向転換をすることに決めたのです。自分の人生の主としてイエス様を受け入れ、従う決意をしたのです。レビはすべてを捨てて立ち上がり、イエス様の弟子としての人生をスタートしました。レビは福音書を書いたマタイの別名と考えられています。

 私たちもまたイエス様から招かれています。イエス様は私たちを見つめ、「わたしについて来なさい」と声をかけてくださるのです。
 それは私たちの本当の姿を知らないからではありません。イエス様は欠けの多い私たちを、生きたいように生きられない私たちを、悩み傷ついてきた私たちを、全部ご存知で、イエス様の弟子として生きるよう招いてくださるのです。あなたも私も立ち上がることができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.12放送でのお話しより )


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■友よ、あなたの罪は赦された / 山本陽一郎

2025年02月21日 | Weblog

2024/10/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 誰かに赦してもらった経験はありますか?

 イエス・キリストが話をしていた時、中風で寝たきりの人が床(とこ)のまま連れて来られました。担(かつ)いで来た人たちの信仰を見て、イエス様は言われました。
  「友よ、あなたの罪は赦された」

 その時、みんなの注目はイエス様へ集中しました。なぜか。神以外にはできないはずの罪の赦しを宣言したからです。
 心の硬い専門家たちは「神への冒涜だ! この人は何者だ?」と考えました。
 
 イエス様はそれを見抜いて質問します。
 「あなたがたは心の中で何を考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」

 この問いに、あなただったらどう答えますか? 普通に考えると、「あなたの罪は赦された」のほうが、「起きて歩け」と言うよりも、言うだけなら簡単かもしれませんね。なぜなら、罪が本当に赦されたかどうかは見ただけでは確かめようがない。それに対して、「起きて歩け」のほうは、その場で目に見える結果が必要で、ごまかしが効きません。

 その時です! イエス様は中風の人に言いました。
 「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」

 男の人はすぐに起き上がって、みんなの見ている前で寝床を担ぎ、神様を賛美しながらスタスタと出て行きました。
 衝撃の出来事でした。人々は口々に、「私たちは今日、驚くべきことを見た」と言いました。

 癒やしの事実は言うまでもないことですが、「あなたの罪は赦された」というイエス様のことばが口先だけではないこと、この方のことばは信じる価値があるという証拠が、はっきりと示されたからです。

 私は思うのです。どうしてイエス様の行くところには大勢の人々が集まってきたのだろうかと。それはイエス様のもとには赦しがあったからです。人々は、自分の罪を赦してくださる権威をイエス様のうちに見たのです。

 「友よ、あなたの罪は赦された」 このことばは、私たちすべての人間が必要としているものです。赦されて生きる。それはイエス・キリストのもとにあります。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.11放送でのお話しより )


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■4人の友 / 山本陽一郎

2025年02月20日 | Weblog

2024/10/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 聖書を開くと、毎日毎日大勢の人がイエス・キリストのもとへやってきたことがわかります。みんなイエス様の話を聞きたい。この病気をイエス様に治してほしい・・・。

 ある時は、中風で寝たきりの人が床(とこ)のままイエス様のところへ連れて来られました。担いできたのは4人の友人たちでした。
 体が不自由になってしまった友だちを何とかしてイエス様に会わせてあげたい。治してあげたい。その一心で、この4人はイエス様が話をしていた家の屋根に登り、何とその屋根をはがし始めます。もちろん他人の家です。そして大勢の人々が見ている真ん中でイエス様の前に吊り降ろすという突拍子もない行動に出たのです。非常識と言われても仕方がありません。

 ところが、聖書にはこう書かれているのです。

 「イエスは彼らの信仰を見て、『友よ、あなたの罪は赦された』と言われた」 ルカの福音書5章20節

 この4人は簡単には諦めませんでした。イエス様を目がけて、やれることの全部をやりました。一緒に信じて床を担ぎ、一緒に信じて屋根に登り、一緒に信じて吊り降ろしたのです。それをイエス様は「信仰」として見てくださった。こうして中風の人に救いがもたらされました。

 この聖書の箇所からのメッセージを私は2011年、三陸の地で聴きました。東日本大震災から間もない頃です。
 私は仲間の牧師たちと一緒に被災地へ入り支援活動をしました。ベースキャンプには日本全国、海外からも大勢のクリスチャンが集まっていました。朝は礼拝をし、それから被災した方々の家へ出かけて行き、スコップを手にみんなで汗を流しました。ゴーグルとマスクをして酸欠になりかけながら泥出しをしました。瓦礫を運びました。あちらの家こちらの家にも食料品を届けて回りました。みんながそれぞれの役割を担い、みんなで信じてやりました。

 どんなに小さくても、不器用でも、一緒に信じて働くとき、イエス様は私たちの信仰を用いてくださいます。それを心に留めながら、一緒に働きに励み続けていきたいと願います。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.10放送でのお話しより )


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■新しい出発 / 山本陽一郎

2025年02月19日 | Weblog

2024/10/9放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 私たちの町の病院には診察室に星野富弘さんのカレンダーが掛けられています。口に筆をくわえて多くの素晴らしい詩や絵を描き続けたその富弘さんが今年の4月、天に召されました。
 運動が大好きだった富弘さんは20代で体育教師になりましたが、事故で首から下の自由をすべて失ってしまいました。しかしその深い絶望の淵にあって富弘さんはイエス・キリストを信じました。後にこのように述べておられます。
 「私は聖書のほんの一部しか、それもほんの上っ面しか分かってはいなかったが、キリストの『わたしのところへ来なさい』ということばに素直についていきたいと思った。私の今の苦しみは、洗礼を受けたからといって少なくなるものではないと思うけれど、人を羨んだり憎んだり許せなかったり、そういう醜い自分を忍耐強く許してくれる神の前に膝まずきたかった。赦されても赦されても、聖書のいう罪を犯し続けるかもしれない。苦しいと言ってわめき散らす日もあるかもしれない。でも、『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分ではわからないのです』と十字架の上で言ったきよらかな人に従って生きてみようと思った」

 富弘さんはイエス様のもとへ行ったのです。そしてイエス様に触れていただいたのです。

 私たちは生きる中で、喜びも悲しみも経験します。時には希望を失ってしまったり、心に受けた傷に苦しんだり、突然大きな嵐の中に投げ込まれたりすることもあります。
 聖書の中にも私たちと同じような生身の人間が大勢出てきます。しかし、イエス様に出会い、イエス様が心にふれてくださるとき、彼らは新しい出発をしていくのです。人は罪から救われ、立ち上がり、神とともに生きる喜びを知っていくのです。

 私たちは自分だけでは本当の出発ができません。自分自身を新しくする力は私たちにないからです。
 しかし神にはそれができます。

 「わたしの心だ。きよくなれ」(マタイ8章3節、マルコ1章41節、ルカ5章13節)

 私たちの存在を受け入れ、きよめてくださるこのお方の声を、あなたにも聴いていただきたいと願っています。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.9放送でのお話しより )


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■わたしの心だ。きよくなれ / 山本陽一郎

2025年02月18日 | Weblog

2024/10/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 私の祖父は巨人戦の野球中継を観ながら「アンチ巨人」を公言していた人でしたが、何かに対して否定的な立場を取ることを「アンチ」といいます。ネットの世界では反対意見を押し付けたりする人を指します。

 ところが、自分が自分のアンチになってしまう場合というのもあるんですね。例えば人から褒めてもらったとき、「そんなことない。私なんて全然ダメ」とつい言ってしまうとか。謙遜しているのかもしれない。でも「自分は取り柄がない」「私が幸せになれるわけがない」、そんなふうに自分を下げて、否定して、自分のアンチになってしまう人が今増えているといいます。

 新約聖書ルカの福音書5章。その登場人物の一人に、全身をツァラアトという重い皮膚病に冒された人がいます。この人はイエス・キリストの前に出て平(ひれ)伏して叫びました。「あなたなら私をきよくすることができます!」と。

 ツァラアトは治療法がなく、感染した人は治るまで、あるいは死ぬまで社会から追放されました。感染してしまうからというのはもちろんですが、さらにもう一つ、触れると宗教的な意味で穢れると考えられていたからです。

 だから、ツァラアトに冒された人はどうしても人前に出る必要のあるときには、誰にも近づかないよう、また近づく人には「私は穢れています!」と、自分自身で伝えなくてはいけなかった。

 「私は穢れている」 心に浮かぶほど口にするほど悲しくなることばです。それは自分を否定することばであり、自分は幸せをもたらさない、幸せにふさわしくない存在であるという意味をもつことばです。

 ところが、「イエスは手を伸ばして彼にさわった」と聖書に書かれています(参照マタイ8章3節、マルコ1章41節、ルカ5章13節参照)。なんとイエス様は、自分から手を伸ばして彼に触れたのです。そして言われました。「わたしの心だ。きよくなれ」 この人は癒やされました。自分を丸ごと受け入れてくださる方に出会えたのです。

 イエス様は私たちに、「もう、あなたは自分のアンチにならなくていい。あなたは生きていていいのだ。わたしがあなたを生かすから」と言ってくださるのです。

 「わたしの心だ。きよくなれ」(マタイ8章3節、マルコ1章41節、ルカ5章13節)

 私たちの存在を受け入れ、罪から救ってくださるこのお方の声を私たちも聴こうではありませんか。


 ( PBA制作「世の光」 2024.10.8放送でのお話しより )


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