♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■十戒 -自由への励まし 56 / 大嶋重徳

2018年05月31日 | Weblog
2018/4/26放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第五戒には、「あなたの父と母を敬え。」(出エジプト記20章12節 新改訳2017)とあります。更に、父と母を敬う目的は、「あなたの神、主の与えようとされている地で、あなたの齢が長くなるためである。」と記しています。なぜ父と母を敬うことが長生きすることと関係があるのでしょうか。

 神様は文字どおり長生きの祝福をお与えくださるのでしょう。しかしここでこのことばの理解する鍵となるのは「主の与えようとされている地で」ということばです。「主の与えようとされている地」とは十戒の与えられた出エジプトの旅の目的地である神様の約束された土地のことです。この「主の与えようとされている地」とは彼らの先祖に約束された神様とイスラエル歴代の先祖たちとの間で語られ続けてきた大いなる約束の物語なのです。

 この主の与えられる土地という物語は親子の間で、おじいちゃんから孫と語り伝えられてきました。第五戒の求める父と母を敬うことで生み出されるのは、そのように仲の良い親子関係、仲の良いおばあちゃんと孫の関係が私たちの家庭の中にも生み出されていることとなります。主の与えようとされている約束の地の物語を語り伝えていく信仰の継承がもたらされていくのです。つまり父と母が敬われる家族には信仰の物語を語り伝えていく信仰の先輩・祖父祖母までもが大切にされていく生活が生まれていることとなるのです。父が子に、祖父が孫に寝物語のように信仰の物語が語り伝えられていることとなります。そして父を敬い母を敬う人生を生きるとき、その父から聞いた信仰の物語を子どもに伝えていくことを私たちは喜びとし、子どもに伝えていくことの責任を自ら自覚するようになるのです。そして自分たちの家族は主の与えようとされる地に至るまで親から受け継いできた信仰を子どもたちに丁寧に語り伝えて行こうと願う家族となるのです。そして子どもたちの世代もまた祖父母の世代のよう父母の世代のように、信仰の物語を語り継いでいく決意が生まれるのです。父と母を敬うとき、長生きをしながら、この恵みを味わう祝福が私たちに与えられています。第五戒は信仰継承の恵みをも語っている豊かな教えなのです。

   ( PBA制作「世の光」2018.4.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■十分に整えられた者となる / 福井 誠

2018年05月30日 | Weblog
2018/4/25放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「十分に整えられた者となる」です。 テモテへの手紙第二3章16節、17節を読んでみましょう。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」 (新改訳2017)

テモテはエペソ教会の牧師でした。しかしエペソ教会の働きはなかなか難しいところがあったようですねえ。教会の働きをどのように進めたらよいのか悩むテモテにパウロが勧めたことは、聖書を学ぶことでした。聖書を語る者に聖書を学ぶことを勧めたのです。

 私が牧師になりたての頃、牧師は必ず朝は聖書を学び続ける時間を持つようにと教えてくださった先生がいます。しかし正直なところ、牧師になると様々な雑用で忙しくなり、結局聖書を学ぶのは毎週日曜日の説教を作るためで終わってしまい、なかなか聖書じっくり学び続けることにはならない時代がありました。

 けれど牧師7年目でしたでしょうか、牧師の働きにいよいよ難しさを感じ、私は神学校に入り直して勉強をしました。納得できず九つほどの神学校を渡り歩いて、ついには博士課程まで進んで勉強をしました。博士課程が終わった時に、何かやるだけのことをやったという吹っ切れた思いもありましたが、今あれこれ思い返して考えてみると、実際に私自身を変え、牧師として成長させてくれたのは、神学校での高度な学びよりも、朝ごとにしっかりと聖書に取り組んで、神と良き時を過ごす毎日の地道な習慣であったと思います。
 私が毎朝聖書に取り組んだその内容は今では『パスターまことの聖書一日一生』というブログになって13年め、4サイクル目を迎えています。先日はある方から、先生の初期の聖書通読からずっと読んでいますが内容も随分変わってきましたね、とお電話をいただきました。確かに聖書を繰り返し読むたびに、自分がいかに神のことばを不注意に呼んでいるかと思わされることがあります。そして書き直す。その繰り返しです。けれども、それによって神の御心も期待も深く教え諭され、霊的に成長させられているのですね。聖書を読むことが何よりも信仰者を整え完成させていくものだと心得て、取り組んで参りたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.4.25放送でのお話より )

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■聖書全体を解き明かす / 板倉邦雄

2018年05月29日 | Weblog
2018/4/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「聖書全体を解き明かす」という題でお話ししましょう。

イエス・キリストの復活を信じられないという人がいます。それは聖書を説き明かす側の熱心さにかかっているようですね。

 さて、エマオの村へ行く二人の弟子に復活のイエス様が同行してくださいました。しかし彼らの目がさえぎられ鈍くなっていたのでイエス様だと認識できませんでした。

 そこでイエス様は二人の弟子に言われました。
 「ああ愚かで心の鈍いため預言者たちが説いたすべてのことを信じられない者たちよ。キリストは必ず苦難を受けて復活の栄光に入るはずではなかったのか。」
 そう言われてから、復活されたイエス様は旧約聖書全体にわたりご自身について記してある事柄を説き明かされたのです。

 しばしば旧約聖書は金太郎飴に喩えられています。金太郎飴はどこを割っても金太郎が出てきますね。新約、旧約聖書はどの書を開いてもそこにイエス・キリストの苦難と復活が出て来るのです。

 さて二人の弟子たちが目指したエマオの村が近づいてきました。復活のイエス様は先に進んで行かれる様子でした。その時二人の弟子は強いて引き留めて言いました。
 「私たちと一緒にお泊まりください。もう夕暮れになっており、日も早や傾いています。」

 イエス様は彼らと泊まるため宿に入られました。三人が一緒に食卓に着かれた時でした。復活のイエス様はおもむろにパンを取り、祝福して裂き、彼らに渡しました。

 すると二人の弟子たちの心の目が開けて、その方がイエス様だと分りました。するとその時、イエス様の姿が見えなくなったのです。

 二人の弟子たちは互いに言いました。
 「道々お話になった時、また旧約聖書を説き明かしてくださった時、私たちはお互いの心が燃えたではないか。」

 私たちキリスト教会が旧約聖書全体を説き明かす事に熱心になり、キリスト信徒たちが旧約聖書に親しんで語り合うことができれば、きっと苦難と復活のイエス・キリストに多くの人々が人生の旅路において出会い、悲しく冷たい心が溶けて、熱き心に燃えてゆくのではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2018.4.24放送でのお話より )

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■必要をはるかに満たされるお方 / 岩井基雄

2018年05月28日 | Weblog
2018/4/23放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日は第四週の月曜日ですが、マルコの福音書から学びましょう。

 前回は弟子と共に休むため、舟で向こう岸に出かけられたキリストを追いかけた人々をキリストが憐れんで夕方まで教えられた所から学びました。

 そこは人里離れた所でした。日没が迫る中、弟子たちは人々を解散させてくれるよう主に願います。それは当然の要求でした。彼らは休むためにそこに来ていたからです。

 しかし主は、「あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい。」と語られたのです。

 弟子たちは言います。「私たちが出かけていて200デナリのパンを買い、彼らに食べさせるのですか?」 彼らは既に計算していたのでしょうか。

 主は語ります。「パンは幾つありますか? 行って見てきなさい。」 確かめると少年が届けたお弁当がありました。

 彼らは答えます。「五つです。それに魚が二匹あります。」 少年のお弁当としては少し多かったでしょう。しかし一万人を越える人々の前にはそれは無きにも等しい小さなものでした。

 主イエスは天を見上げて神を誉めたたえ、パンを裂き、そして人々に配るよう弟子にお与えになりました。また二匹の魚も皆に分けられたのです。すると一万人を超える人々がみんな食べて満腹し、残ったパン切れや魚の残りを集めると12の籠がいっぱいになりました。余ったものさえあのお弁当をはるかに超えたのです。

 キリストは弟子たちを試し人々の必要のために用いました。主に届けられたお弁当は祝福の祈りを通して人々の必要を満たし、溢れたのです。弟子たちは愛を人々に届ける器とされました。お弁当や弟子たちの愛の奉仕を通して愛が届けられたのです。

 神はあなたをも愛の器として用いてくださいます。あなたの持っているものや時間や働きを周りの人々のために、そして神様に捧げませんか? 神はあなたの必要のすべてを満たし、溢れる祝福をあなたや周りの人々に注いでくださるのです。

 聖書のことば
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
    (新約聖書マタイの福音書6章33節 新改訳2017)

      PBA制作「世の光」2018.4.23放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ヤコブの祝福の祈り / 羽鳥頼和

2018年05月26日 | Weblog
2018/4/21放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 
今日は旧約聖書 創世記48章で語られているヤコブのことばから、聖書の神がどのような方であるか教えられましょう。

 この時ヨセフは、エジプトの王であるファラオに代わってエジプトを治める者となっていました。そして彼は自分の父ヤコブと家族たちをエジプトに呼び寄せていました。エジプトに住むようになったヤコブは病気になっていました。ヨセフは父ヤコブの病床に二人の息子マナセとエフライムを連れてきました。

 ヤコブは言いました。
 「全能の神が私を祝福してくださった。それでお前の二人の子を今私の子とする。」
 これはマナセとエフライムを自分の養子にするということで、それは彼らが神の祝福を受け継ぐ者となるということを意味していました。

 そしてヤコブは言いました。
 「私の神よ。今日のこの日までずっと私の羊飼いであられた神よ。この子どもたちを祝福してくださいますように。」

 ここでヤコブは神のことを「私の羊飼い」と言いました。このヤコブの告白は間違った道を選びやすく嘆きに支配されやすい自分を神は羊飼いのように約束の祝福へと導かれた、という告白です。ヤコブはヨセフの息子たちに祝福の祈りをしました。

 その時ヤコブは弟のエフライムに長子の祝福を与える祈りをしようとしました。
 ヨセフは父ヤコブが間違っていると思って注意をしました。

 しかしヤコブは言いました。
 「私は分かっている。兄のマナセもまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟のエフライムは兄よりも大きくなるであろう。」
 このヤコブの語ったことはその通りになりました。エフライムはイスラエルの中で重要な働きをするようになりました。

 ヤコブは自分の人生を振り返りながら、自分に祝福を与えてくださった神を、「全能であり、私の羊飼いである」と告白しました。

 神は全能ですから人を守り導きそして祝福を必ず与える事ができるのです。今も神は全能であり、私たちの羊飼いです。

 明日は日曜日です。神に礼拝をささげるために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2018.4.21放送でのお話より )
 
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■悲しむ者は幸いです / 関根弘興

2018年05月25日 | Weblog
2018/4/20放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書のマタイの福音書の中に、イエス・キリストがガリラヤ湖を見渡す小高い丘の上で人々にお語りになった山上の説教と呼ばれているものがあります。その中でイエス様は、本当に幸いな人とはどのような人かということを教えてくださいました。今日はその二番目のことばを紹介しましょう。

 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイの福音書5章4節 新改訳2017)
 
 どうして悲しむ者が幸いなのでしょう。悲しみ自体は不幸がもたらす結果のように見えますよね。旧約聖書の詩篇の中にはこんな悲しみの姿が書かれています。詩篇の6篇
 「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。」(6節 新改訳第三版)
 まあ大変な悲しみの中にいるということですねえ。

 また詩篇の39篇の中には、
 「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。」(12節 新改訳第三版)

 悲しみの涙とともに神様に叫んでいる姿が描かれているんですねえ。ま、悲しみというのは、外部から襲って来る様々なものもあります。また自分自身に対する悲しみというものももたらされることがありますよねえ。例えば、自分自身を見つめると、自分の中には罪がある、憎しみや妬みや恐れや失望、そうしたものがある。自分の弱さを見るかもしれません。そして自分自身に絶望し、悲しんでしまうこともあるでしょう。

 しかしイエス様はそのように悲しむ者は幸いだよと言われたのです。なぜでしょうか。一つには、悲しみが悔い改めに繋がるからです。自分の罪や弱さを悲しむとき、このままではだめだ、向きを変えよう、という決断をすることができるからです。それを聖書では「悔い改め」ということばで表しています。自分自身の状態を自覚し悲しむ者は神様に立ち帰ることができる。だから幸いだということなのですね。

 もちろん私たちは日常生活の中で様々な痛みや悲しみを経験し、涙することもあります。でも慰めを与えてくださる神様がいてくださるんです。

 第二コリント1章4節には、
 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」(新改訳2017)と書かれているからです。
               
  (PBA制作「世の光」2018.4.20放送でのお話しより)

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■十戒 - 自由への励まし 55 / 大嶋重徳

2018年05月24日 | Weblog
2018/4/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第五戒には、「あなたの父と母を敬え。」(出エジプト記20章12節 新改訳2017)とあります。私たちは両親を含めた人間関係に傷つき、誰かと共に生きることを諦めようとしてしまうことがあります。しかし十戒がイスラエル共同体に語られたように、今私たちはこの十戒を教会の中で聞きます。

 教会の中で生きて行くとき、私たちはわがままし放題の自分自身の姿をきちんと叱ってくれる父なる神様のことばが聞こえてきます。そのことばに従って悔い改めて生きて行くとき、私たちは自分を赦してくれる人との出会いが与えられ、また自分も誰かを赦して生きることに慣れていくようになるのです。そして教会で神の子とされる恵みを経験していくとき、私たちは神の子としてくださった父に似ていくことを経験していきます。

 この父なる神様は私たちが何度も反抗し、何度も父なる神を失望させ続けても、なお何度も何度も赦し続け、諦めずに愛し続けてくださったのです。その父なる神様の赦しを自分が受け取っていくとき、私たちは父なる神様のものの見方、ものの言い方に少しずつ似せられてこととなります。ああ自分もこんな生き方をして行きたい・・・似せられていくのです。

 その時、私たちは今まで自分の両親に傷つけられた深い傷が癒されていくということも経験します。そしてこの癒しが自分の父と母と向き合う勇気を与えてくれるのです。もし私たちが今整理のつかない親子関係を持っていたとしても、この父の赦しを経験し、教会の赦しを経験していくときに、その神の赦しが自分が愛せなかった親の上にも注がれていることに気が付いていきます。あるいは、いじめられて深く傷ついた記憶が自分を苦しめて、赦すことなど途方もなく思えるあの人間関係も神様だけが与えてくれる和解の道を進むことへと導いていってくれることとなります。いや今はそのような状況にすぐにならないように見えたとしても、必ずいつか和解へと進むと信じることができるのです。

 ここに十戒第五戒が道を開く自由と解放の道があります。今まで縛りに縛られてきた奴隷のような人間関係しか持てなかった人生から、新しく自由にされる物語が始まっていくのです。この自由へと解き放たれた新しい人生をあなたも歩み始めませんか? そこには十戒が用意してくれる伸びやかに軽やかに神様と共に生きていく人生が待っているのです。

   ( PBA制作「世の光」2018.4.19放送でのお話しより )

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■すべての人のために願い / 福井 誠

2018年05月23日 | Weblog
2018/4/18放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「すべての人のために願い」です。 テモテへの手紙第一2章1節から読んでみましょう。
そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。」 (新改訳2017)

テモテへの手紙はパウロがその晩年に、恐らく殉教間近の時に書いたものであったのではないかと言われています。この時パウロは牢獄にいて、そこから弟子のデモテへ書き送った手紙のようですね。テモテは当時エペソにある大教会の牧師をしていました。しかしその教会は牧師として働くにはなかなか難しい教会であったようです。パウロはどのように牧師として働きを進めていったらよいのか悩むテモテにその指針を示し助言を与えているのです。

 そこで教会において何よりも大事にすべきことは、祈りの雰囲気を作ることである。「まず始めに」と教会における祈りの重要性を示しています。教会においてすべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために、願い、祈り、執り成し、感謝を捧げなさい、と。この時代、王位にあったのは神を信じない皇帝ネロでした。しかしその皇帝のために祈りなさい、と言います。私たちにとっては日本の国の為政者、首相や政治家そして天皇のために願い祈り執り成し感謝を捧げなさい、と言うことでしょう。

 それは二つの目的からです。つまり私たちがいつでも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送る、つまり私たちのためですし、もう一つは「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」(2章4節参照)と祈った人たちのためでもあります。

 いろいろと国の政治については異論反論があるかもしれません。しかし、救われて真理を知るようになることはまず何よりも優先されるべき祈りの課題と言わなくてはならないでしょう。イエスは「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」(マタイ21章13節、参照マルコ11章17節とルカ19章46節)と教会の本質を語られました。教会にあって教会の外にないもの、それは祈りです。神との生きた関係の中で真実に祈られる祈りです。すべての人の祝福を絶えず祈る教会の一翼を担うものとさせていただきたいものです。

(PBA制作「世の光」2018.4.18放送でのお話より )

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■復活のイエスが近づいて / 板倉邦雄

2018年05月22日 | Weblog
2018/4/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「復活のイエスが近づいて」という題でお話ししましょう。

復活されたイエス様が聖書の記事によりますと40日間に渡りまして弟子たちや500人以上の信徒たちに現れてくださったと書いてあります。

 さて二人のイエスの弟子たちがエマオという村へ行く途中でした。二人はエルサレムの都で起こった出来事について互いに語り合っていました。出来事とは言うまでもなく、恩師であるイエス様の十字架の死と復活の出来事でした。二人は口角泡を飛ばす激論になってしまいました。それというのもイエス様が死んで葬られてから今日で三日目です。女性の信徒たちがとんでもない報告を自分たちにもたらしたからです。

 そのとんでもない報告とは、今日の早朝イエス様の身体がなくなっている、というのです。仕方なく女性たちが帰ろうとすると、突然天の御使いが現れて、「イエスは生きておられる」と告げられた、という報告でした。二人の弟子たちは死人が生き返ったということで激論を交わしていたのです。

 するとその時です。復活されたイエス様ご自身が近づいてきて二人の弟子たちと一緒に歩いて行かれたのです。四国巡礼者の衣の背中(※笠)には「同行二人」(※どうぎょうににん)という文字が書かれています。仏様(※弘法大師)が一緒に私の旅路に同行してくださっている、という意味が込められていますね。このエマオの旅路は復活のイエスとの同行三人でした。しかし、二人の弟子の目が遮られてイエス様だと認識することができなかったのです。

 そこでイエス様の方から二人に尋ねられました。
「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことですか?」(ルカの福音書24章17節参照)。

 二人は悲しそうな顔をして立ちどまりました。そしてクレオパという人が、答えました。「あなたはエルサレムに泊まっていながら、知らないとは信じられません。都で先日起こったことをご存知ないのですか? 」

 「それははどんなことですか?」

 「ナザレ出身のイエスのことですよ。」

 復活のイエス様が目の前にいるというのに心の目が遮られていますと認識できなかったのです。あなたの心の目はどうですか?

  (PBA制作「世の光」2018.4.17放送でのお話より )

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■父ヤコブの決断 / 岩井基雄

2018年05月21日 | Weblog
2018/4/16放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 今日は第二月曜日ですが詩篇からご一緒に考えてみましょう。

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は第三週の月曜日ですが、旧約聖書に登場するヨセフの人生について学びましょう。

 神の不思議な導きでエジプトの大臣となったヨセフは豊作の時に蓄えた穀物を周辺の人々にも分けていました。ヨセフの兄たちも穀物を求めて来る中、ヨセフはその心を探り、弟シメオンを捕え、他の兄弟たちに次回は弟ベニヤミンを連れて来るようにと要求したのです。父ヤコブは愛するヨセフを失って以来、自分の末息子ベニヤミンへの執着を強めていました。それはベニヤミンが愛妻ラケルのもう一人の忘れ形見だったからです。しかし飢饉が続き食糧が不足してくる中で、ヤコブは最愛の末子を手放す覚悟を迫られました。私たちは様々なものを握り締めてしまいますね。それを手放したら自分が自分でいられなくなる、と考えることさえあるのです。しかし神様は私たちに、それを手放し委ねるようにと招くのです。ヤコブが手放せるようにと励ましたのは息子ユダでした。ユダは悔い改めの中、覚悟と献身を示し、弟ベニヤミンを守ることを誓うのです。私たちが神様に信頼しようとする時、その歩みを支える存在を神はあなたにも与えてくださるのです。しかし父ヤコブ自身もまた自分がしっかりと握り締めているものを自ら手放し、それを神に委ねるようにとの神様の前の決断が必要だったのです。ヤコブは決断し、こう語ります。

そして、弟を連れて、さあ、その方のところへ出かけて行きなさい。全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。
               旧約聖書 創世記43章13節から14節 (新改訳2017)

 ヤコブは全能の神が息子たちを憐れんでくださるようにと祈ります。そこには神の主権もどこまでも信頼し委ねるヤコブの姿がありました。私たちもまた握り締めているものを手放し、神の主権に委ね、信頼するものとされたいと願います。そこにこそ本物の平安があるからです。

 聖書のことば

 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
    (新約聖書 ペテロの手紙第一 5章7節 新改訳2017)

      PBA制作「世の光」2018.4.16放送でのお話しより)

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