♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書 40 - 悲しみを知っているから / 大嶋重徳

2021年04月30日 | Weblog

2020/11/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週の聖書の箇所には84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。

 彼女は7年間の結婚生活をした後に夫に先立たれ、毎日神殿に出かけ祈りをなしていた人でした。84歳という人生はどれほどの人生なのでしょうか。

 アンナは夫が先に召されるという人生の悲しみを知っている人でした。聖書の書かれた時代において、夫を先に天に送り、やもめとして生きることは大変なことでした。別の聖書の箇所では、夫に先立たれた女性へのアドバイスに、大酒の虜にならないように、と記されています。自分の人生に突如として起こった悲しみと辛さの中で酒を飲まないとやっていられない状況が、夫に先立たれたやもめたちの中にあったことがわかります。

 人生の悲しみを知っている人だからこそ語ることばに力を持つことがあります。誰もわかってくれないと思う寂しさの只中で、「あなたのその辛さは私も分かるわよ。だって私も同じところを通ったんだから。」と、自分と同じ悲しさを通った人生の先輩が語るからこそ届くことのできる慰めがあるのです。

 また彼女は子供がいたとは記されていません。7年の結婚生活の間に子供が与えられなかったのでしょうか。再婚することも考えられたでしょう。しかし彼女の人生の残りを神殿にくる孤独で悩む人のために祈り慰め、神に仕えることを彼女は選び取ったのです。イエス・キリストの贖いを必要としている人々に寄り添う生き方を彼女は神様から託されたのです。悲しみを知っている人だからこそ悲しむ者と共に悲しむことができる。そして人生の悲しみは神様から受ける慰め以外に本当の解決はないことを知って、彼女は祈ることに生活の丸ごとを、人生の丸ごとを使ったのです。

 これはどれだけ豊かな人生の用い方であったでしょうか。彼女は神殿で祈りながら気が付いたのです。次はあの人に声をかけないと、あの人に「祈っているよ。一緒に祈ろうと伝えに行こう。」と。

 皆さんはいかがでしょうか。悲しみを知っているあなただからこそ「一緒に祈ろう」と言ってあげられる人がいるでしょうか。またもし祈ってほしいと願う人はいらっしゃるでしょうか。ラジオをお聴きの皆さんの悲しみを分かってくれる人がキリスト教会にはいます。是非教会でアンナのような人と出会ってほしいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.11.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■ルカの福音書 39 - 力衰えても / 大嶋重徳

2021年04月29日 | Weblog

2020/11/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週の聖書の箇所には84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。

 女預言者アンナは神殿でシメオンが赤ちゃんのイエス様を腕に抱き、神をほめたたえていた場所に一緒にいました。聖書には、ちょうどこの時彼女もそこにいて「神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。」(ルカ2章38節)とあります。ここに、アンナもまた一緒に抱っこした、とは記されていないのです。

 ある高齢の牧師がこの箇所の説教で、なぜアンナもまた自分の腕にこの赤ちゃんを抱かなかったのかが今はよくわかる。84歳になって自分が抱っこしてこの赤ちゃんを落とすようなことがあってはならないと思うからだ、と。そして自分が歳をとるまでこのような気持ちがわからなかった、と語られていました。このことばを聞いて、なるほど四十歳半ばの自分には分からないことがある、と思いました。歳を重ねていないと分からないことがあるのです。ご年配の方に届くことばを持っていない自分の若さゆえの不甲斐なさを思います。
 しかし84歳のアンナだからこそ語ることのできる福音の語り方があるのです。アンナは抱っこできないことに落ち込んではいませんでした。アンナは神に感謝をし、神殿に来るすべての人々にこの幼子のことを語った、とあります。若い牧師では届くことのできない伝道があります。歳を重ねた者たちだからこそ分かり合え共感し合える、伝えることのできる福音の語り方があるのです。高齢で、はつらつとした足取りで教会にいらっしゃる姿は大きな証です。なんであんなにキラキラしているんだろうか・・・。

 私たちの教会にはホット・カフェという高齢の方々のお茶の時間があります。そこで皆さんのホッとする場所はどこですか? と質問をした時に、「この教会が私のほっとする場所です。」と言われたのです。「他にも公民館でこんな集まりはあるんです。でも教会の集まりは楽しい。ここは人の悪口を言わない。」 なんて嬉しいことばだったでしょうか。

 アンナがエルサレムの贖いを待ち望んでいる人に伝えたように、高齢になってからイエス・キリストに出会い洗礼を受ける方々がおられます。ラジオをお聴きの皆さん、何歳になってもイエス・キリストを信じることはできます。高齢になったからこそわかる聖書の真理に触れていただきたいと思います。福音はあなたのためのものです。

    ( PBA制作「世の光」2020.11.5放送でのお話しより )

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■ルカの福音書 38 - 高齢者からのバトン / 大嶋重徳

2021年04月28日 | Weblog

2020/11/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 今週の聖書の箇所には84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。実はルカ福音書1章2章ではエリサベツとザカリヤ、シメオン、アンナという高齢者の存在が出てきます。エリサベツとザカリヤの夫婦は若いマリヤの信仰を支えた存在です。また84歳のアンナの前に出てくるシメオンは「主キリストを見るまで死なない」という聖霊のお告げを受け、イエス・キリストの預言の実現に欠かせない存在です。そして今週お話をしている女預言者のアンナは84歳の生涯の大半を宮の中で祈りと断食の中を歩んでいたのです。

 このような高齢の信仰者の存在によってイエス・キリストの人生は地上で始まり、高齢者の方々の励ましを受けて若く貧しいマリヤとヨセフの夫婦は子供を育てていくことに慰めと励ましを受けたのです。聖書の歴史のスタートにはこのような高齢の奉仕者がいたことをルカ福音書は明確に記しているのです。

 日本全国で教会に若者がいないと言われます。確かにそれは深刻な状況です。しかしそのことで教会を守ってきた高齢の方々が軽んじられるようなことがあってはなりません。教会の信仰をつなぎ、この国のこれからのために執りなし祈り、人が救われ慰めを受けることを待ち望んでくださる方がいて、教会は、社会は、次世代にバトンを渡すことができるのです。

 私の教会では中学生、高校生の集まるクラスにレジェンド・ウィークという日曜日を持っていました。それは、70歳、80歳のクリスチャンの方をお招きして、自分がどのようにクリスチャンになったのかを、どんな人生の試練があってどんなお祈りを神様に捧げてきたのかということを生徒たちに話してもらうのです。戦争を終えたばかりの時期に人生にどれほどの迷いがあったのか、しかし神様の存在がその人をどのように支えてきたのかを話してくださるのです。中学生たちも目を輝かせて聞いてくれます。そして彼らはその方の信仰が今の信仰にまっすぐにつながっていることに気が付くのです。その方がいなければ今の自分はないとも言えるような信仰の歴史を若い世代にも感じて欲しいと願っています。若い世代のためには欠かせない高齢者の存在が求められているのです。


    ( PBA制作「世の光」2020.11.4放送でのお話しより )

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■ルカの福音書 37 - 最上のわざ / 大嶋重徳

2021年04月27日 | Weblog

2020/11/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今朝の聖書の箇所には84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。

 84歳の彼女は毎日、神殿に祈りに出てくる生活をしていました。上智大学の学長を務めたヘルマン・ホイヴェルス神父の『最上のわざ』という詩があります。

  この世の最上のわざは何?
  楽しい心で年をとり、
  働きたいけれども休み、
  しゃべりたいけれども黙り、
  失望しそうなときに希望し、
  従順に、平静に、
  おのれの十字架をになう。

  若者が元気いっぱいで
  神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
  人のために働くよりも、
  謙虚に人の世話になり、
  弱って、もはや人のために
  役だたずとも、
  親切で柔和であること。

  老いの重荷は神の賜物、古びた心に、
  これで最後のみがきをかける。
  まことのふるさとへ行くために。

  おのれをこの世につなぐ鎖を
  少しずつ外ずしていくのは、
  真にえらい仕事。
  こうして何もできなくなれば、
  それを謙虚に承諾するのだ。
  神は最後にいちばん
  よい仕事を残してくださる。
  それは祈りだ。手は何もできない。
  けれども最後まで合掌できる。

  愛するすべての人のうえに、
  神の恵みを求めるために。
  すべてをなし終えたら、
  臨終の床に神の声をきくだろう。

  「来よ、わが友よ、
  われなんじを見捨てじ」と。
                ( Hermann Heuvers )

 祈り、それはなんと尊い奉仕であるかと思います。私の故郷の福知山の教会にはすでに天にお帰りになった古田さんという女性がおられました。ご主人がまだ信仰を持っておられず、夫の救われていない私の母は古田さんによって信仰が励まされ慰められていました。いつも声をかけ家を訪ねてくださったのです。そしていつも礼拝の前の席に座り、背筋をまっすぐ伸ばし、説教をお聞きになる。私が献身したことを喜び、年金生活の中でも神学校の勉強のためにと献金をしてくださり、初めて福知山の礼拝で説教した時は、「大嶋重徳先生、本当に励まされ私はこの日まで生きていてよかった」と。どれほど拙い説教であったにも関わらず、どれだけ若い説教にもかかわらず、敬意を払い、まっすぐに御言葉を聞いてくださったのです。「年を取って何も出来なくなった」と言ってはいけません。病気の方もそうです。祈ることの尊いあなたの奉仕を待っている人がいるのです。その最上のわざのために、今朝もお仕えしていただきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.11.3放送でのお話しより )

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■ルカの福音書 36 - あなたがそこにいる / 大嶋重徳

2021年04月26日 | Weblog

2020/11/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週、担当する大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の聖書には84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。

 現代は人の価値が生産性で測られる時代です。会社の役に立っているのか、社会の役に立っているのか、家族の役に立っているのか、そこに生産性があるのか、ということを問われる時代です。迷惑をかけてはいけないと言われて育てられてきた日本人の私たちです。老いること、寝たきりになることが、まるで何の役に立っても居ないかのような言われるこの空気、これがこの国に漂っているように思います。

 ではキリスト教信仰は何をもって人の価値が図られるのでしょうか。それはあなたがそこにいてくれることです。神様の前に安心してとどまっていることです。神様はよりもそのことを望んでおられる神なのです。84歳の女預言者アンナは神殿に毎日進み出て、神様の前にとどまり続けました。人生にはいつになっても人間の尊厳があります。老いること、寝たきりになることを切り捨てられる社会があります。勝ち組と負け組という言葉が言われます。しかし世界に勝ち組なんて一握りの人だけです。その勝ち組もいつ負け組になるかなど誰もわかりません。長生きすることはこの国では誰かに迷惑をかけることなんでしょうか。そんなことは絶対にありません。教会ではきちんと迷惑をかけてほしいと思います。子供たちが大切にされるように年配の方々も大切にされる教会でなければなりません。

 84歳のアンナが毎日神殿に来ることで、そこにいることで、どれだけの人が慰めを得、励ましを得たことかと思うのです。アンナの明るく喜びに満ち、毎日礼拝にくる姿に、いつでもそこにいてくださるその存在に、多くの人が相談をし祈ってもらったのではないかと思います。アンナの休まない神殿での礼拝を捧げる姿に、祭司たちもまたどれほど励まされただろうかと思います。駆け出しの始まったばかりの新米祭司のおぼつかない奉仕を温かく見つめ、その84歳の生涯は何人もの献身者の人生を見てきたのだと思います。長く年を重ねられた方にはそれだけ地上で長く愛された人生を見せてくださるのです。

 今日も高齢の方が大切にされていくこの国であってほしいと思います。そしてあなたの人生もまた長く神様の愛が注がれる人生でありますように、あなたの存在によって支えられている人がいることを覚えていただきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.11.2放送でのお話しより )

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■すべての人の奴隷になる / 板倉邦雄

2021年04月24日 | Weblog

2020/10/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「すべての人の奴隷になる」という題でお話ししましょう。

 私たちは雑巾にはなりたくありませんね。しかしすべての人に対して自由な人は、すべての人の奴隷、雑巾になれるのです。使徒の働き21章です。

 さてパウロ一行は旅支度を整えてカイサリアからエルサレムへ上っていくことになりました。カイサリアの信徒たちも数人パウロ一行と同行しました。エルサレムの教会へ到着すると、エルサレム教会の兄妹姉妹たちは喜んで一行を歓迎してくれました。

 翌日パウロはエルサレム教会の指導者ヤコブを訪問したのです。このヤコブはイエス様の弟のヤコブであって(十二)弟子のヤコブではありません。弟子のヤコブはすでに殉教しました。

 パウロはヤコブと長老たちに挨拶した後、第三回の伝道旅行で神が自分の働きを通して異邦人の間になさった出来事の数々を一つひとつ説明し報告しました。一同はこれを聞いて神をほめたたえたのです。宣教や伝道の報告をするのはとても大事なことです。なぜなら宣教や伝道は教会の働きだからです。

 そこでヤコブはパウロに一つの提案をしました。
 「兄弟パウロ、ご承知のようにユダヤ人の中で信者になったものが数万に上っています。みんなモーセの律法に熱心な人たちです。ところが彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して『子供に割礼を施すな。またユダヤの慣例に従うな』と言ってモーセの律法に背くことを教えている、という噂が立っています。さてどうしたらよいか。そこで私からの一つの提案をするので、そうしてもらいたい。今、私たちの教会の中で誓願を立てている者が四人います。その人たちを連れて行って、彼らと共にきよめの儀式を受け、また彼らの頭を剃る費用を引き受けてやってください。そうすればあなたについての噂は根も葉もないことで、あなたは律法を守って正しい生活をしていることがみんなにわかるでしょう。」

 パウロはヤコブの提案を受け入れ、翌日神殿に入り、その提案を実行しました。

  (PBA制作「世の光」2020.10.31放送でのお話より )


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■心くじく / 板倉邦雄

2021年04月23日 | Weblog

2020/10/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「心をくじく」という題でお話ししましょう。使徒の働き21章です。

 さてパウロ一行はシリアのツロの港から出航してプトレマイスに到着しました。そこで一泊して翌日、陸路でカイサリアに着きました。そこにはサマリア伝道とガザでエチオピアの高官に伝道した伝道者ピリポの家がありました。一行はピリポの家に泊まりました。ピリポには結婚前の四人の娘たちがいて神様に仕えていました。

 幾日か伝道者ピリポの家に滞在している間に、アガボという名の預言者がユダヤから降ってきました。そしてピリポの家にやってきたのです。パウロを見ると突然、パウロの帯を取り、その帯で自分の手足を縛り始めました。そしてアガボはこう言ったのです。「聖霊が私にこうお告げになっています。『この帯の持ち主をユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう』」

 パウロの同行者たちはこれを聞いて、信徒たちと一緒になって、「パウロ先生、お願いです。後生ですからエルサレムには上らないでください。お願いします。」と願い続けました。

 その時、パウロは答えました。「あなたがたは泣いたりわめいたり私の心をくじいたりして、一体どうしようとするのか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しています。」

 パウロが勧告を聞き入れてくれないので、「主の御心が行われますように」と言っただけでそれ以上何も言わなかったのです。

 私たちも自分に与えられた志が周りの人たちに反対されたら心がくじけてしまいます。それでも将来に困難が、予想され待っていたとしても、私たちは自分に与えられ確信している志に向かっていかなければならない時があります。

 イエス様も苦難と十字架への道を歩もうとされた時です。弟子たちの猛烈な反対を受けました。その時、弟子のペテロにこう言ったのです
 「あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
       マタイの福音書16章23節

  (PBA制作「世の光」2020.10.30放送でのお話より )


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■ひざまづいて祈る / 板倉邦雄

2021年04月22日 | Weblog

2020/10/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。キリスト信徒の特徴の一つはみんなで祈るということではないでしょうか。もちろん一人で祈りますが、一緒に祈るというのが特徴です。使徒の働き20章から21章に入ります。ここにキリスト信徒がひざまずいて祈る姿が描かれています。

 さてパウロの惜別の説教が終わりました。パウロはエペソ教会の長老たち一同と共に跪いて祈りました。祈りの途中、パウロも長老たちもそして同行者のルカやテモテたちも涙が出てきました。三年間の親しい交わりをした者たちが別れるというのは悲しくもまた寂しいものです。特に、パウロ先生が「二度と自分の顔を見ることはあるまい」などと言うものですから余計心を痛めてしまいました。

 それから一行はミレトの港を船出してからコスに直行し、翌日はロドス島を経由、ルキアのパタラ港へ到着しました。そこからシリア行きの船に乗り換え出船したのです。左手にクプロ島が見え、島を通り過ぎ、シリアのツロの港に入港しました。

 一行はキリスト信徒たちを探し出しました。信徒たちは聖霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないように、としきりにパウロに注意しました。しかし七日間の滞在期間が終わった時、パウロ一行はまた旅立つことになりました。

 ツロの信徒たちは皆、妻や子供たちを引き連れて町外れまでパウロ一行を見送ってくれました。港近くの海岸まで来ると、ともに海岸に跪いて祈り、互いに別れを告げたのです。

 私が学生だった時に、先輩のキリスト信徒から言われました。「板倉くん。祈りは万事を益にするから、旅行のために一度、就職のためには二度、結婚のために三度、皆に祈ってもらいなさい。」

 神への祈りは私たちの人生の旅路を守り、支え導いてくださるのです。祈りは私たちと神様の交流の道具なのです。

 聖書の言葉です。
 
 「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」
          ローマ人への手紙12章12節

  (PBA制作「世の光」2020.10.29放送でのお話より )


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■惜別の言葉 - 4 / 板倉邦雄

2021年04月21日 | Weblog

2020/10/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。パウロの惜別のことばも今日で最後になります。使徒の働き20章の続きです。

 32節から紹介しましょう。
 「今私は主とその恵みの言葉とにあなた方を委ねます。御言葉には、あなたがたの徳を立て、聖別されたすべての人々とともに神の国を継がせる力があります。」

 「委ねる」とは一切を神様に投げることです。自分ではもう何もできないからです。主イエスと主の恵みの言葉には、聖霊と共に働き、私たちの道徳性を高め、きよめるだけではなく、神様の御用のために区別された人々とともに神の国を相続する力を持っているからです。

 パウロはローマ人への手紙の中でこう言いました。
 「全て神の御霊に導かれているものは神の子である。もし神の子であれば神の国の相続人でもある。」 

 さらにパウロは語ります。「私は人の金や銀や衣服を欲しがったことはない。あなたがた自身が知っている通り、私のこの両手は自分の生活のためにも、また一緒にいた同行者のためにも働いてきました。私はあなた方も私のように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また受けるよりは与えるほうが幸いであると言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを万事につけて教え示したのです。」

 パウロは3年間、エペソの開拓伝道をしました。その間、自分の両手で自分と同行者の生活を支えながらの伝道でした。その理由と目的は、エペソ教会の長老たちも自分たちで働きながら教会の中で働くことのできない病弱の人や夫を亡くした子供を抱える未亡人のような弱者を助けるためでした。それもこれも、受けるよりは与えるほうが幸いだ、と言われた主イエス様の言葉を実践することになるからです。

 パウロの惜別の言葉の最後は二つの勧めでした。神の約束の言葉に人々を委ねること、もう一つは自分と弱者のために働くことでした。神の言葉によって私たちは生きて行き、また労働することによって私たちは生かされて、また人様を生かして行くことができるのです。

  (PBA制作「世の光」2020.10.28放送でのお話より )


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■惜別の言葉 -3 / 板倉邦雄

2021年04月20日 | Weblog

2020/10/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「惜別の言葉 その3」をお話ししましょう。いよいよパウロの惜別のことばの中心点に入ります。エペソの教会の長老たちへの勧めの言葉です。使徒の働き20章の続きです。

 「どうかあなたがた自身に気を付け、またすべての群れに気を配っていただきたい。なぜなら聖霊は神が御子イエスの血で贖い取られた神の教会を牧させるためにあなたがたをその群れの監督にお立てになったのです。」

 ここでパウロは、エペソの教会の長老たちにいくつかのことを勧めました。

 第一に、自分自身に気をつけることです。長老はキリストの教会に聖霊によって立てられた監督という指導的立場にあります。羊の群れである信徒に対し、権力を振るったり利欲のために信徒を利用してはならないのです。

 第二に、何よりも神の羊の群れに気を配って世話をすることです。長老たちは牧師と共に神の羊たちの世話をする羊飼いだからです。

 第三に、神の羊の群れ・信徒たちは、神が御子イエス・キリストの血で買い戻し、身受けしてくださった神ご自身のものとしてくださった大事な人々だからです。

 さらにパウロは続けて語りました。
 「私が去った後、凶暴な狼たちがあなた方の中に入り込んできて、容赦なく羊の群れを荒らすようになることを私は知っています。またあなたがた自身の中からいろいろ曲がったことを言って、信者たちを自分の方に引っ張り込もうとする者が起こるであろう。だから、目を覚ましていなさい。そして私が三年の間、夜も昼も涙をもってあなた方一人一人を絶えず諭して来たことを忘れないで欲しい。目を覚ましているように。」と勧めました。

 外部から羊の皮をかぶった狼たちが教会に侵入してきて、信徒たち・羊を傷つけ荒らしまわるからです。また内部からは長老たちの指導者たちが派閥を作り出して、信徒を自分の意見ややり方に引っ張り込んで分裂騒ぎを起こすからでしょう。ですから神の教会の指導者である牧師や長老たちは大牧者であるキリストの声とことばに従わなくてはならないのです。そして神の羊の模範者となるべきなのです。

  (PBA制作「世の光」2020.10.27放送でのお話より )


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