♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■福音の四季 : わたしはすでに世に勝った

2007年02月28日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。東京都八王子市にお住まいの林さんからいただきました。

 昔、先生が日野市にお住まいの頃、近くに住んでいた者です。昔PBAで出版した吉岡リツさんの『私の歩んだ道』を読み、教えられたことです。長い間、関係のあった人を赦せずに迷っていました。本の中で「復讐はわたしのすることだ。」(※ローママ人への手紙12章1節)という主イエス様のことばを読んで、そうだ、これは主のしてくださることだとはっきり分り、心の区切りがついた事です。昔懐かしい羽鳥先生、ラジオをやめないでください。またどこかの集会でお目にかかりたいと心から願っております。

 昔確かに11年以上も前でしょうかね、日野に私たちが住んでいましたねえ。林さん、久しぶりのお手紙、びっくりしましたが、ありがたく読ませていただきました。

 さあ今日の福音の四季のメッセージです。ヨハネの福音書16章33節。イエス・キリスト様御自身のおことば、お読みいたしましょう。

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

 第一に私たちは心の内外にいろいろの様々な困難がありますね。これはイエス様もよく御存知の私たちの人生の現実です。

 第二にイエス様はその私たちにイエス様の平安・神様の平安を与えるために天からこの世に来てくださいました。そしてイエス様はその人生・死とよみがえりによってサタンに既に勝利してくださいました。だから勇敢でありなさい、勇気を出しなさい(と)。

 イエス・キリストのことば
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。
 新約聖書ヨハネの福音書 16章33節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.02.28放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
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■キリストのいのち

2007年02月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストの弟子の一人ヨハネは晩年に教会にあてた手紙を何通か書いています。ヨハネはイエス・キリストをどのように見ていたのでしょう。そして彼はイエス様を私たちにどのように紹介しているんでしょう。

 ヨハネはこう言っています。イエス・キリストは始めから存在している方だ。天地創造の始めからいらっしゃる方だ。その方が人として来てくださったのだ。私たちが見、聞き、そして触ることのできた方なのだと彼は言いました。ヨハネはイエス様をじっと見つめるなら栄光が見えてくる、恵みが見えてくる、本当の真実が見えてくると紹介しているんです。ヨハネはイエス様は歴史的な人物であり、架空の人物とか幻影ではなく、私たちにいのちをもたらす永遠のいのちそのものだと伝えているんですねえ。

 イエス様は十字架で死なれましたが、三日目によみがえられた方であるからこそ今も私たちはこの方と親しく関わり合うことができるんだと聖書は教えているんです。

 ま、考えてみれば、死んだ人とは交わることはできませんねえ。もし私は死んだ人と毎日交信しているんです、なあんて言う人があったらそれは、いわゆる霊媒とか口寄せというもので、それは聖書ではっきりと禁じていることです。なぜ禁じているかと言うと、そこには混乱と人を破壊する悪魔的なものが満ちているからなんです。死んだ者とは交わることができません。それは決して人を豊かにすることはありませんし、あなたを束縛するだけです。

 しかしイエス様は死なれましたが、今も生きておられるんです。生きておられる方だからこそ私たちはイエス・キリストとの交わりを持つことができると聖書は教えるんですね。

 でもこの交わりということば、具体的にはどういうことなんでしょう。それは、イエス・キリストのいのちを共有するということなんです。私たちの体はたくさんの細胞からなっています。でも新陳代謝で常に新しくされていく訳なんですよね。古い細胞はなくなってしまいますが、でも私の存在は決して変りません。そこにいのちがあるからです。キリストのいのちを共有するということは、例え私たちの外側が変ったとしても、そこに変らない永遠のいのちがあるということなんです。イエス様のいのちを共有しているということは、あなたの存在そのものが例えどんなことがあっても決して失われることはないということなんですね。失われることのない永遠のいのち。このいのちをイエス・キリストはあなたに与えようと約束されているんですよ。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.02.27放送でのお話しより )

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■春を待つ

2007年02月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 あのー、西洋の花言葉の中で「希望」を表わす花というのは御存じでしょうか。春爛漫と咲き誇る桜でもなくてですね、また花の女王とも言われるバラでもなくて、それは何と厳しい寒さの中に清純な白い花を咲かせる雪割草なんだそうですねえ。

 えー、少年時代を雪国で過ごした私にはそのことが良く分る気がするんですね。まだ雪で覆われている畑、野原ですね。そこにやっと土が見え始めたかなあという頃に、その冷たい土を破って雪割草がもっこりと顔を覗かせてくる。それを見た時のあの感激・感動と言いますかねえ、ああ春はもうそこまでやってきてるーってそういう感じが本当に実感したものなんですねえ。

 えー、聖書の中に「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ人への手紙5章3~5節)ということばがある。そのことをこう思い起こしますねえ。本当に春はやってくるんだろうか。いつまでこの苦しみ、この辛さが続くんだろうかと思うようなことがあるかも分りませんけれども、しかしながら確実に春はやってくる。私たちの人生、また苦しみを思うその人生にも春は必ずやってくる。

 あのー、水仙の絵を書かれた星野富弘さんのその絵の横にですねえ、「幸せという花があるとすれば その花のつぼみのようなものだろうか辛いという字がある もう少しで幸せになれそうな字である」ということばがありますねえ。そう言えば辛いという字に一本横棒を入れると幸せになりますよねえ。その辛い状況の中におる時には本当に幸せなんてあるんだろうかと思うようなことがあるかも分りませんけれども、それはもしかしたら幸せのつぼみかもしれない、というようなそういう希望を持ってですね、先程の聖書のことばにありますように、忍耐は希望を生み出すんだ、その希望は失望に終わることがないのだ、私の心に愛を注いでくださる神様は必ずそこに花開く時を与えてくださる、そう信じて歩みたいですね。

 ( PBA制作「世の光」2007.02.26放送でのお話しより)

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■神様の愛は消せない

2007年02月24日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。徳島県吉野川市鴨島にお住まいの田実さんは旧約聖書雅歌8章7節のことばをお寄せくださいました。お読みいたしましょう。
 「 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。

 平成7年1月17日早朝、思いもかけなかった大きな地震で家族が離ればなれになる。現在山川町の積徳化成の社宅でお世話になっております。社長夫人・奥様には深く感謝しております。荒れ果てた神戸の町を見て私は大きなショックを受けました。まるでソドムとゴモラを目の当たりにしたように感じました。神様、なぜこのようなことが起こるのですかと心の底より祈り続けてまいりました。一年あまりが過ぎまして、3月のある静かな時に、細き主の御声が私の魂に響いてきました。「愛は不変である」と。また「わたしは今も神戸の人々を愛している。深く愛しているよ。」と優しく語ってくださいました。神の愛には少しも変わりのないことを私は堅く信じております。すべての人がまことの神様を信じてくださるようにと祈っています。

 田実さんは1995年1月17日の神戸大震災によって家屋兼クリーニング屋のお店が崩壊、兄さんは即死されたために耳の不自由な妹さんを引き取り、徳島に帰って住まわれておられる方です。1年3ケ月経って神戸の家に帰るはずでしたが、いろいろの事情のためにまだこの地におられるとのことでした。

 田実さんの心に残る聖書のことば
 「 大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。
    旧約聖書雅歌8章7節

 まことの神様の愛は押し流すこともできませんねえ。

 それではまたお聞きください。

 ( PBA制作「世の光」07.02.24放送のお話しより)


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■いのちの大切さ、生きる意味

2007年02月23日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は「いのちの大切さ、生きる意味」についてお話しします。

 昨年末、子どもの連続自殺や予告自殺、校長の自殺などが続きました。ま、そんな中でマスコミでも、いのちの大切さ・生きる意味、たくさん報道されました。人ごとではないと誰もが思ったのではないでしょうか。でも現実にはこの大切なことをあんまりはっきりしていないように思います。どうしてでしょうか。

 一つには、日本では、このような人生の根本的なこと、真剣に学んだり話し合うことがなされないということがあると思います。こういう問題は、いわゆる宗教の領域ですね。日本の学校では殆ど学校で教えられません。何のために勉強するのか、何のために生きるのか、学ぶ機会がない訳です。

 大切なことは、「生きる、生きよう、生きることは大切」という面だけではなくて、もう一つ、「生かされている。与えられているいのちの大切さ」という面の理解と強調です。そうでないと、生きることに行き詰まってしまったら、いくら生きることは大切と言っても説得力がありません。力が出てこない訳です。

 若い人でも、いいえ子どもでも疲れます。行き詰まったり挫折感を持ちます。もうだめだって思ってしまうことがある訳です。そういう時に、生かしてくださる力、その源なる神様がおられるという事を知っているかどうか、これが鍵だと思います。

 旧約聖書のイザヤ書の40章28節からの所に、こんなふうに書かれています。
 「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 2700年も前に書かれた聖書の文です。

 日本の有名な哲学者が言いました。「今、若い人・子どもたちに古典を読ませよ、古典を教えよ」 聖書こそ人類の古典、神からの最大のプレゼントです。こんな神を知って多くの子どもたちが活き活きと生きて欲しいですね。


  (PBA制作「世の光」2007.02.23放送でのお話しより )

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■救いは報酬ではない

2007年02月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日は聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

  聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。 何の働きもない者が、不敬けんな者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
        ローマ人への手紙 4章3節から5節

 パウロは信仰によって人が神の祝福に与ることを説明するため、旧約聖書に出てくるアブラハムという人物の例を挙げています。神様はアブラハムに子孫を約束しましたが子供はなかなか与えられませんでした。やがてアブラハムは99歳、妻のサラも89歳となり、もはや子供を設けるなど考えられない高齢になります。子孫を待ち望んだアブラハムにとってそれはもはや絶望的な状況でした。しかしアブラハムが自分の肉体の死をあるがままに認めるのみならず、そこで神の恵みによりすがった時に神の祝福はもたらされたのです。

 私たちが神の祝福に与る方法も同じです。人が自分には何かができると思っている限り、神の恵みの力は現わされません。しかしひとたび、人が自分の無力さを痛感し、ただ神の恵みによりすがろうと決心するならば、神はその信仰を祝福されます。何らかの問題で自分の無力さや自分の無能さを嘆いておられる方はいないでしょうか。自分は死んでいると絶望的に思われている方はいないでしょうか。アブラハムはまさにそのような状況に置かれた人でした。そして何の望みも持ち得ない中で恵みを与えてくださる神様に望みをいだいたのです。何の望みもないというあなたにこそ神の恵みという祝福の望みがあります。ぜひ聖書を開き、また教会を尋ね、神の恵みの望みについて深く知っていただきたいと思います。
 
 (PBA制作「世の光」2007.02.22放送でのお話しより)

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■福音の四季 :ここまで主が助けて下さった

2007年02月21日 | Weblog
 
 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光はまず皆様からのお便りの紹介です。栃木県壬生町にお住まいの鈴木さんからいただきました。

 「『野の花のように』の御本、ありがとうございました。何と優しい心のにじみこんだ本なのでしょう。羽鳥先生にこの本でもお目にかからせていただき嬉しゅうございます。朝夕手元に置いて読んでいます。このような小冊子、他にもありましたらお知らせください。」

  鈴木さん、調子の違う本ですが、もう一冊の小冊子をお届けしましょう。
  
  さあ今日の福音の四季のメッセージです。旧約聖書サムエル記第一7章12節に、こんなことばがあります。

そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。

 「ここまで主が私たちを助けてくださった。」これは私たち夫婦がお互いに歳をとって今までの生涯を省みてみて、同じこのことばを言うのではないかと思います。よくも神様は私たちを二人をここまで助けてくださいました。太平洋を一文無しで初めてアメリカに渡りました時に、次から次へと神様は助けの手を伸べてくださいました。私が心臓の発作を起こし入院した時も、その時集められたお見舞い金で長女の大学入学金が賄われた。数えれば数え切れない程不思議な神様のお助けがありました。私たち夫婦の数十年の生活は一言で言えば「ここまで主が私たちを助けてくださった。」となります。私たちもまたこのエベン・エゼルの記念碑を建てるべきではないかと思います。

 聖書のことば
 サムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。
 旧約聖書サムエル記第一7章12節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.02.21放送でのお話しより )

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■存在の意味

2007年02月20日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 あなたはあなた自身の存在ということを深く考えたことがありますか? 私たちの存在を決定するのは自分の意志ではありません。私たちの両親がどこかで出会い、結婚し、そして今の私があるんです。私たちの存在自体は自分の意志ではどうにもならないものですよね。自分では選択することができないことなんです。

 だから自分で選択できない問題で悩むのは悩み甲斐がありません。どうして俺は日本人に生まれたのか、この両親のもとで生まれたのか、ま、こういうことは悩んでも悩んでも悩み甲斐がないんですね。

 そうしたことに悩むのではなく、こうして自分が存在していることの意味を考えることは大切なんです。

 聖書は、この世界にはまことの神様がおられ、私たちの人生に役割と意味を与えてくださっているんだと教えます。その事実を素直に受け取らない限り、私たちは本当に人生の意味をしっかりつかむことはできないんです。

 私たちは生まれるとまず両親との交流を持ちますよね。自分を育ててくれる存在との出会いが人生の最初の出会いとなる訳です。それから幼稚園、小学校、中学校、高校、いろんな先生や仲間たちの出会い、だんだん社会との関わりが広がっていきます。しかし関わりが広がれば広がるほど自分の考えとは違う人々が、いろんな考えを持っている人がいるのだなあということが分かってきます。ですからいろんな違いが見え、また悩むこともたくさん出てきます。しかしそうした沢山のかかわりの中で私たちは生きてきました。

 イエス様の弟子の一人ヨハネは自分の人生が終わろうとする時、自分の人生を振り返ってこう言っているんです。いろんな事があった、いろんな出会い・いろんな人間関係があった、その中でどうしても何としても伝えたいものがある。それは私だけのものにしておくのはあまりにももったいない。素晴らしい交わり・関わりだ。それはいのちのことば。すなわちイエス・キリストとの交わりだ。これだけは何としても伝えたい。彼はそんな強い願いを持っていました。そしてこのイエス・キリストを信頼して生きる人生こそ私の喜びの源だと語ったのです。ヨハネは自分の喜びの源はイエス・キリストとの出会いだと言いました。

 私たちは沢山の出会いの中で自分の存在を確かめてきました。しかしあなたの人生には意味と目的があり、あなたはかけがいのない存在だということを示してくれた出会いをあなたは持っていますか? キリストとの出会いの中にその答えがあるんです。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.02.20放送でのお話しより )

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■なにが良いことなのか

2007年02月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、私たちの人生、一回しかない人生ですね。えー、どうせ生きるならという言い方も変ですけれども、どうせ生きるならばベストの生き方をしたい、そう思いますよねえ。で、何がベストの生き方なのかというと、私たちを存在させてくださったお方がおられる訳で、その存在させてくださったお方は、私たちに、こういうふうにして生きてもらいたいなという、ちゃんと考えを持っていらっしゃる訳ですよね。目的を持って私たちをこの地上に存在させてくださった。そういうことを思いますと、私たちを存在させてくださったつまり活けるまことの神・創造主なる神は私たちにどういう生き方を求めておられるのかなということを知ってそのお方の意志に沿った形で生きることが一番良い生き方ではないかなとそういううふうに思う訳ですね。

 旧約聖書の中にミカ書と言われる書がありまして、これ預言書なんですけども、そのミカ書の6章という所にですねえ、こういうことばがあるんです。「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ書6章8節) そういうふうに書いてあるんですね。「主は何をあなたに求めておられるのか。」というそれは、私たちがこういうふうにしたいとか、こういう生き方をしたいとか言うことに勝って、私たちを存在させてくださったお方がどういうふうに生きることを求めておられるのかということを知ってという意味ですね。その前の所を見ますと、「私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。」つまり神様が求めておられることは何か難行苦行して一生懸命苦労してお布施を払ってというようなことではなくって、神様が一番願ったことは神様の御心のただしさをきちんと求めながら、そして誠実を愛し神と共に歩むこと。毎日毎日自分勝手な歩みをするのではなくって神様が一緒にいてくださるその神様の御心にそって生きようという神と共に生きる生活、それが人生のすべてだと聖書は教えるんですね。

 ( PBA制作「世の光」2007.02.19放送でのお話しより)

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■あなたは世に来られた神の子キリスト

2007年02月17日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。東京都三鷹市の尾森さんは新約聖書ヨハネの福音書11章25節から27節までをお寄せくださいました。お読みいたしましょう。

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。・・・わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

 このマルタという婦人の信仰告白は私の心にまず一番に浮かんでくるみことばなんです。ある時、体の不調を覚え、検診をしてもらいますと、精密検査が必要となり、不安な気持ちで検査入院しました。不安で、悪い方へ悪い方へと心が動きます。そんな時に、このみことばを思い出しますと、この神のみことばの偉大さと、力強さに勇気づけられ、落ち着いて手術に臨めました。1999年、平成11年、5月23日のペンテコステの礼拝で洗礼を受けることができました。受洗の先ほどのヨハネの福音書11章のおことばが与えられました。イエス様はマルタに尋ねました。マルタもすぐに、あなたこそ世に来られたキリストですと信仰を告白しました。私もマルタと同じく迷いなく、あなたこそ世に来られた神の子キリストですと信じました。この信仰告白に導かれたことを本当にありがたく、また嬉しく思っております。

 尾森さんの心に残る聖書のことば

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。・・・わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」彼女(マルタ)はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

 ヨハネの福音書11章25節から27節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」07.02.17放送のお話しより)


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