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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストが再臨されるまで /羽鳥頼和

2025年08月22日 | Weblog

2025/5/23放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です 。
 今週は新約聖書へブル人への手紙からお話しをしています。
 今日はまずへブル書がここまで語っていたことを振り返りたいと思います。

 これまでへブル書で教えられてきたことは、キリストは神との契約の仲介者であり、今は天におられ、まことの大祭司として礼拝をつかさどっておられる、ということでした。そして、これらのことが私たちの救いなのです。

 キリストが十字架で死ぬことによってこの神との契約は成立したのです。この契約によって私たちは神との信頼関係を持って、神に近づき礼拝を捧げることができるのです。

 ここまでへブル書で教えられてきたことで分かることは、私たちの救いのために神がすべてのことを完璧に成し遂げて下さったということです。
 神はキリストを遣わしてくださいました。神の御子であるキリストは、神のしもべとして十字架ですべての人の罪を負って死んでくださり、救いを成し遂げて下さいました。
 そして神は、十字架で死んだキリストをよみがえらせてくださいました。今も生きておられるキリストは神への礼拝を司(つかさど)っておられます。その礼拝によって私たちは神との親しい関係を保ち続けることができているのです。

 そしてへブル書は地上の信仰者に救われた者の生き方を教え、励ましと勧めをこのように語っています。

 「キリストが再び地上に来られた時に、神の救いは、必ず完成するとの希望を持ちましょう。その時まで、私たちは、ともに集まり、神に礼拝をささげましょう。また私たちはいつでも愛と善行を行うように互いに励まし合いましょう。」

 私はコロナ禍にこのへブル書のことばに励まされました。キリストによる神の救いは完全です。救いの神はわたしたちが礼拝を捧げ、愛と善行を行うことができるようにいつも助けて下さっているのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.23放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■聖なるものとされる /羽鳥頼和

2025年08月21日 | Weblog

2025/5/22放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。 
 昨日は、キリストの十字架と再臨によって成し遂げられる神の救いのことをお話ししました。
 今日はその続きとして、神の救いの恵みの一つである「聖なるものとされる」ことについて新約聖書のへブル人への手紙10章からお話しします。

 ちなみに、「聖なるもの」の「聖」とはバイブルの聖書の「聖」の字が使われます。聖なるものとされるということをへブル書から教えられましょう。
 
 へブル書の10章10節ではこのように語られています。
  「・・・イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。」

 つまり、キリストの十字架によって、キリストを信じる者は聖なるものとされているのです。

 本来、聖なるものとはまことの神の他にはありません。神だけが聖なるものなのです。

 人は自分の力で聖なるものとなることはできません。人が聖なるものとなれるとしたら、それは聖なる全能の神によってしかありえません。聖なる神によってでなければ、人は聖なるものになれないのです。

 旧約聖書レビ記20章26節では、その聖なる神が、「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖であるからである。」と言われています。神は、人が聖なるものとなって、ご自分と信頼関係を持つことを心から願われているのです。

 「聖なるもの」とは、罪による汚(けが)れからきよめられて、永遠に神との正しい関係にあるもののことなのです。
 キリストの十字架を通して私たちを聖なるものとすることが神のみこころなのです。

 ですから、キリストを信じる者は罪を赦されて、聖なるものとして神と共に生きることができるのです。

 明日もへブル人への手紙からお話しします。明日もぜひ「世の光」をお聴きください。

 

 ( PBA制作「世の光」 2025.5.22放送でのお話しより )


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■キリストによる救い(十字架と再臨) /羽鳥頼和

2025年08月20日 | Weblog

2025/5/21放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 昨日は、キリストが仲介された「新しい契約」による神の救いについてお話ししました。

 今日は、キリストによる救いである十字架についてもう少し詳しく、そして、新たにキリストの再臨について新約聖書へブル人への手紙9章からお話しします。

 キリストは新しい契約の仲介者であると教えられていました。この新しい契約の内容は、神が一方的に約束して定められたもので、この契約によって私たちは神との信頼関係を築くことができるのです。

 普通、契約は当事者同士が契約を結ぶのですが、このキリストが仲介される新しい契約は遺言と同じであると教えられています。
 遺言は人が死んだときに有効になります。同じようにこの新しい契約はキリストの十字架の死によって有効になったのです。

 もともと旧約聖書で定められた神との契約は屠られた家畜の血を抜きにしては成立しませんでした。実際に契約を結ぶとき、その契約を結ぶ人々にその血がふりかけられることによってその契約は成立したのです。
 しかし今は十字架で流されたキリストの血によって私たちはきよめられて罪を赦され、この新しい契約に加わることができるのです。

 キリストは多くの人の罪を負うために十字架でご自分を献げ、救いを成し遂げられました。

 それだけではありません。キリストは十字架で死んだあと三日目によみがえらされ、天に帰られました。今、天におられるキリストは再び地上に来られます。
 それがキリストの再臨です。その時、キリストがまことの王として来られ、神の国がこの地上に実現するのです。これがキリストの再臨によって成し遂げられる神の救いです。

 キリストの再臨の時、神の救いは完成します。私たちは、キリストのような栄光ある姿に変えられて、神の御前で神を礼拝することができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.21放送でのお話しより )


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■キリストによる完全なきよめ /羽鳥頼和

2025年08月19日 | Weblog

2025/5/20放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 昨日は、キリストが新しい契約の仲介者であること、そしてこの新しい契約は神と人との信頼関係を回復することであり私たちの救いであることをお話ししました。

 今日は、キリストがどのように新しい契約の仲介をされたのか、新約聖書へブル人への手紙9章からお話しします。

 キリストは今、天にある「幕屋」に仕えておられます。幕屋とは神を礼拝するところです。
 地上にも幕屋がありました。イエス・キリストがお生まれになる前の旧約聖書の時代の幕屋は、神が作るように命じられたものです。今は、キリストの教会が神を礼拝するところとなっています。

 旧約聖書の時代、最も重要なことは大祭司が毎年一度、幕屋の一番奥にある「至聖所」と呼ばれる部屋に入ることでした。それは神が定められたもので、人を救うための儀式でした。

 至聖所に入るとき大祭司は、人が犯した罪がきよめられるために、いけにえの血をもってそこに入ります。
 こうして人の罪がきよめられて神との関係が回復され、人は神の前に出ることができるのです。
 このことを大祭司は毎年繰り返し行わなければなりませんでした。

 しかしキリストはただ一度、十字架にかかって死なれ、その時流されたご自分の血によって救いを成し遂げられたのです。この救いは完全で永遠の救いです。キリストはご自分が十字架にかけられて死ぬことによってこの永遠の救いを成し遂げられたのです。

 キリストが十字架で流された血によって新しい契約が成立しました。

 新しい契約は、私たちをきよめて罪から離れさせ、神に近づき、神に仕える者として神との信頼関係を回復してくれるのです。

 これがキリストの十字架によって与えられる神の救いです。


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.20放送でのお話しより )


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■キリストによる新しい契約 /羽鳥頼和

2025年08月18日 | Weblog

2025/5/19放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今週は新約聖書へブル人への手紙からお話ししようと思います。今日は8章からお話しします。

 キリストは今どこにおられるのでしょうか? へブル書の8章には、この方は天におられ、まことの幕屋で仕えておられる、と教えられています。
 このことは地上で生きている私たちには何の関係もないように思いますが、実は、神が私たちを救ってくださることと、とても関係があることなのです。

 キリストがおられる「天」とは神のおられるところであり、そこにある「幕屋」とは、神を礼拝するところです。地上にも幕屋があります。聖書は、地上の幕屋は天の幕屋の「影」であると教えています。つまり天の幕屋が実物で、地上の幕屋は実物の影なのです。
 地上の幕屋は神が作るように命じられたものです。地上の幕屋でも神を礼拝することができ、神はその礼拝を喜んでくださるのです。そして今はキリスト教会が神を礼拝するところなのです。
 天におられるキリストは今、神にささげる礼拝を取り仕切っておられるのです。

 さらにへブル書の8章は、キリストは新しい契約の仲介者であると教えています。聖書で「契約」とは、神が人と結んでくださる約束です。それは人が神との信頼関係を持つことができるという約束です。

 ところが初めの契約を結んだとき、人がそれを一方的に破ってしまったために神は新たに新しい契約を結んでくださったのです。そしてキリストがその新しい契約の仲介者であるというのです。

 この新しい契約は私たちにも与えられています。キリストは「新しい契約」によって私たちが神と信頼関係を永遠に堅く保ち続けることができるようにしてくださったのです。

 キリストがどのように新しい契約を結んでくださったのか、明日そのことをお話しします。ぜひ明日もお聴きください。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.19放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■心配ごとは神に委ねる /阿部頼義

2025年08月16日 | Weblog

2025/5/17放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は「心配ごとは神に委ねる」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 以前、私の心に響いた聖書のことばがありました。それは「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(新約聖書 ペテロの手紙第一5章7節)ということばでした。当時、私はアメリカの大学院に留学し、聖書を学んでいました。仕事はしていませんでしたから、生活は楽とは言えませんでした。

 ある時、後数ヶ月で家賃が払えなくなるかもしれないという状況になり、とても悩んだ記憶があります。もちろん神を信じていましたが、やはりお金の問題は切実でした。
 心配が募りストレスを感じていたある日曜日、インターンをしていた教会の礼拝に行くと、牧師が先ほどの聖書のことばを引用しました。
  「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
 その時の自分にとっては、まさに神の声のように聞こえました。気持ちがスッと軽くなったのを覚えています。

 しかしそれで終わりではありませんでした。翌日、その牧師からメールが届きました。そこには、「あなたの学びが終わるまで、教会があなたの家賃を補助します」と書いてあったのです。もちろん牧師は私が家賃のことで悩んでいたことは知りませんでした。私は前日に聞いた聖書のことばと相まって、本当に神は生きていてこんな自分のことも心配してくださっているんだと感じることができました。

 私たちの生活には心配がつきものだと思います。あれやこれやと思い煩い、心が重く感じる時もあると思います。
 しかし聖書は、そのような思い煩いを自分一人で抱えるのではなく神に預けなさいと言っています。神はあなたの心の悩みをすべてご存じです。まずは深呼吸をして、自分一人で抱えなくて良いんだと自分に言い聞かせてみてください。そして神に向かって祈ってみてください。
 神はあなたのことを心配し、あなたに必要なものを備えてくださる方です。

 お聴きくださり、ありがとうございました。

 

    ( PBA制作「世の光」 2025.5.17放送でのお話しより )


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■不完全さという価値 /阿部頼義

2025年08月15日 | Weblog

2025/5/16放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は「不完全さという価値」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 皆さんは自分自身の価値についてどのように見ていますか? よく世間では年収や学歴、どのような家に住んでいるか、またどんな人脈を持っているかなどで自分が価値ある人間だと見せようとする傾向があるように感じます。
 もちろん努力をして得た結果であれば、その努力を誇りに思って良いと思います。
 しかし聖書を見ると、神は私たちの価値について少し違った基準を持っていることがわかります。それは、「不完全さという価値」です。
 そもそもこの地上には完全完璧な人間はいません。むしろ誰だって欠点があり弱さがあるのです。どんなに幸せそうに見える人でもコンプレックスを持ち、心に闇を抱えていることがあるのです。

 神はそのような不完全な私たちに「あなたは世の光」「あなたはわたしの作品」「あなたはわたしの愛する子だ」と言って価値を認めてくださっているのです。

 このように不完全なものを価値あるものとする見方は、日本の文化の中にも見られます。金継ぎという伝統技術もその一つです。金継ぎとは、欠けたり割れたりした器を漆と金粉で修復する伝統技法です。割れ目や欠けたところが金粉によって新たな模様のようになり、以前とは違った味わいのある作品として蘇るのです。日本の侘び寂びを感じますよね。
 同じように、聖書には私たちが「土の器」だという表現があります。土の器ですから脆くて、すぐに欠けたり割れたりしてしまいます。しかし、そのような土の器である私たちに神の愛が注がれるとき、私たちの欠けから神の愛が輝き、そこに新たな価値が生まれるのです。むしろ、欠けているから素晴らしい、とさえ言えるのです。

 もし今、自分の価値を低く見てしまっている方がいるなら、「不完全さという価値」を知ってください。神は不完全な私たちを価値あるものとして輝かせてくださっているのです。

 今日も「世の光」をお聴きくださりありがとうございました。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.16放送でのお話しより )


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■視点を移すと見方が変わる /阿部頼義

2025年08月14日 | Weblog

2025/5/15放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は「視点を移すと見方が変わる」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 皆さんは、八方塞がりだと感じるような経験をしたことはありますか? 「ああ、やれることは全てやったのに全く事態が変わらない。むしろ悪くなってしまった。」 このように、程度の差こそあれ皆さんも様々なピンチを経験されたことがあると思います。

 そのようなとき、目の前の事実や他人を変えることはできませんが、自分自身の視点を少し変えることで気持ちが楽になることがあるかと思います。視点をほんの少しだけ移すと物の見方が変わり、物の見方が変わると問題がそこまで重要な問題ではなくなるということがあるのではないでしょうか。
 あるカウンセラーはこれを問題の「解決」ではなく「解消」だと言い表しています。

 聖書の中にも、同じようにして八方塞がりの状況を乗り越えた人物がいました。それはハバククという預言者でした。彼は信仰心の強い人物でしたが、そんな彼でも残虐な大国が勢力を伸ばし自分の国が攻められようとする中で、「どうすればいいんだ! なぜ神は沈黙しているのか!」と、神に対し不信感と不満をぶつけたのです。
 そのような彼に神は答えられました。「どんなに悪が蔓延(はびこ)るような状況でも背後で神が守っているのだ。」と。そして、「どのような状況でも神を信頼して生きることが大切だ。」と。
 このことばを聞いた時、彼の物の見方が変えられました。目の前の現実は悪くなる一方だけれど、その背後に正義の神が働いておられることを知ったからです。
 彼の視点は変えられ、信仰によって困難の中でも希望を見出すことができるようになったのです。目の前の問題は何一つ解決されてはいませんでしたが、彼の心の中では信仰によって問題が解消されていったのです。

 皆さんの中には、今八方塞がりでどうしたらよいか分からない、と感じている方がいるかもしれません。
 でも聖書は、「神は、あなたを決して見捨てない。神はあなたと共にいる。」と約束しています。問題に目を留めるのではなく、問題の背後に働かれる神を信じて進んでいきたいですねぇ。

 

    ( PBA制作「世の光」 2025.5.12放送でのお話しより )


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■臆病でも大丈夫 /阿部頼義

2025年08月13日 | Weblog

2025/5/14放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は、「臆病でも大丈夫」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 私たちは人間ですから、時に弱気になったり落ち込んだりすることがありますよね。職場での人間関係に疲れたり、相手から嫌なことを言われたりして、職場に行きたくないと思うことだってあるはずです。

 聖書に出てくるギデオンという人物も弱気になり、現実逃避の中で密かに暮らしていた人物でした。彼は元々戦士だったのですが、敵から逃れて細々と生活していたのです。聖書を読むと、この時彼は戦場ではなく隠れた場所で小麦を打っていた、と書いてあります。

 彼は相手の強さに圧倒され、自信を喪失し、本来いるべき場所、本来やるべきことから逃げていました。
 しかし神はそのような臆病なギデオンに、「力ある勇士よ、神である私があなたとともにいる」(士師記6章12節)と語られたのです。

 ここには、二つのメッセージが込められています。
 まず神は、(ギデオンは)「力ある勇士」だと励ましている、つまりギデオンの潜在能力を認めているんですね。ギデオンにとっては、自分が戦士であることを思い起こすことばだったのだろうと思います。

 そして二つ目は、「神があなたと共にいる」というメッセージです。「あなたは一人じゃない。倒れた時にあなたを支えている神があなたのそばにいるんだよ」と、慰めのメッセージを語っているのです。

 ギデオンはこのことばを聞いた後、いきなり誇り高き戦士に変わったわけではありません。むしろ弱気で臆病なままでしたが、信仰によって神に信頼するものへと変えられていったのです。

 皆さんの人生の中でも、時には失敗を恐れて臆病になったり、自分の殻に閉じこもったりすることがあるのではないでしょうか。そのような期間が必要な時もあるでしょう。
 でも、神はそのような時にも、「わたしはあなたとともにいる、臆病なままのあなたでいいから、わたしに信頼しなさい」と語ってくださっているのです。

 あなたもそんな神に信頼してみませんか? 今日も皆さんの上に神様の励ましがあるようにお祈りします。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.14放送でのお話しより )


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■嘆くことの大切さ /阿部頼義

2025年08月12日 | Weblog

2025/5/13放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は「嘆くことの大切さ」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 ある心理カウンセラーが、「現代社会は時間の流れが早く、時間をかけて嘆くことが疎(おろそ)かにされているように感じる」と言っていました。自分自身に当てはめて考えてみても、確かに忙しさを言い訳に自分の感情をグゥッと心の奥に押し込めて平静を装ってしまうことがあるなと思います。それに、嘆くことや感情を表に出すことへの抵抗感のようなものさえあるなと感じます。皆さんはいかがでしょうか。

 意外かもしれませんが、聖書を見ると歴史に名を残すような人物たちの嘆きが収録されています。しかも、キリスト教の中心人物であり救い主とされるイエスもその一人なのです。それは「ゲッセマネの祈り」として新約聖書に収録されています。

 「ゲッセマネの祈り」とは、イエスが十字架にかかる前夜、その苦難を前にして嘆いた祈りです。その時イエスに課された苦難とは、人類の罪を背負い、その身代わりとなり十字架にかかる、というものでした。
 聖書には、イエスの汗が血の滴のように地に落ちた、と表現されています。それほどイエスは苦しまれたのです。イエスは嘆きの後で自分の運命を父なる神に委ね、十字架へと進むことになります。

 結局、祈りは聞かれず、イエスは十字架で死なれました。助けるものはいなく、三年間一緒に生活してきた弟子たちさえも逃げていきました。イエスは肉体的な苦しみだけでなく、精神的な苦痛を味わわれたのです。

 しかし、話はそれで終わりませんでした。神はイエスに新たないのちを与えられ、三日目に復活させたのです。
 それだけでなく、イエスを救い主と信じる人々にも同じように新しいいのちを与えると約束されたのです。

 このように、神は私たちの嘆きを聞いてくださり、思ってもいない解決を与えてくださる方なのです。
 皆さんの人生の中でも、抱えている問題が大きくて前に進めないように思える時があると思います。そんな時は、少し立ち止まり、自分の感情を神に祈ってみてください。ああ、もうダメかもしれない、と嘆くようなことがあっても、神に祈るとき、イエスを死から復活させた神の力が、私たちをもう一度立ち直らせてくださるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.13放送でのお話しより )


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