♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■罪の奴隷からキリストのしもべに /羽鳥頼和

2019年03月23日 | Weblog
2019/2/16放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は最初に新約聖書ガラテヤ人への手紙5章1節をお読みします。
 「 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。

 人は生まれつき自由だと思われるでしょう。しかし聖書は、すべての人は罪の奴隷だ、と教えています。罪の奴隷は罪に支配され、必ず死んでしまいます。そんな罪の奴隷を自由にして永遠のいのちを与えるために、キリストは十字架にかかって死んでくださり、贖いを成し遂げてくださいました。贖いとは、お金を払って奴隷を自由にすることです。キリストは私たちに自由を得させるために十字架で私たちの身代わりに死んでくださることによって私たちを罪から解放して自由な者としてくださいました。自由になったらどうしたらよいのでしょうか。救ってくださったイエス・キリストに聞くべきではないでしょうか。

 キリストのことばを聞きましょう。キリストはこう言われています。
 「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
          新約聖書 マタイの福音書11章29節から30節

 キリストは、「わたしのくびきを負いなさい」と勧めています。この「くびき」とは奴隷としてつながれるということではありません。奴隷に逆戻りすることではなく、キリストのしもべ・キリストの弟子となりなさいというのです。そうすれば魂に安らぎが与えられるのです。「わたしのくびきを負ってわたしから学びなさい」と言われたイエスは、その前の28節でこのように言われました。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.16放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■信仰は期待すること /関根弘興

2019年03月22日 | Weblog
2019/2/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は聖書が教えている信仰とはどのようなものかということを考えていきましょう。

 イエス・キリストがカペナウムという町に行かれた時、長い間、婦人病に苦しんでいる人がいました。彼女は特別に神学的な勉強していた訳ではありませんでした。ただイエス様のお着物に触りさえすればきっと治る、という期待を持ってイエス様のもとに行ったんです。

 時々、「関根弘興先生、もっと聖書を勉強してよくわかったら信仰が持てると思います。」と言われる方がいるんですね。でもただ知識だけ増えても信じることはできません。イエス様という方をまだよく知らなくても、この方なら私の人生の答えを知っているかもしれない。この方なら私を支え助けてくださるかもしれない、と期待することが信仰に生きる第一歩なんです。

 一方、カペナウムの町にはヤイロという会堂管理者がいました。彼は自分の娘が病気になってしまい、イエス様に癒やしてもらおうてやってきました。彼は旧約聖書をよく知っていました。しかしイエス様と家に向かう途中、娘が死んでしまったという報告を受けたんです。その時彼は、ああもうだめだと絶望してしまいました。イエス様でもこの問題は解決できないと考えたのです。しかしイエス様は「恐れないで、信じなさい」と言われました。つまり、もうだめだと信仰投げ捨ててしまうのではなく、なお信頼し続けなさい、と言われたのです。この「信じなさい」ということばは今まで会堂管理者として学んできた信仰ではなく、新しく信仰を持ちなさい、と言われてるかのようなことばですね。つまり死の力の前にはイエス様もなす術が無いとこの会堂管理者は思っていたかもしれないけれど、イエス様なら死の問題さえ解決できるという事を信じなさい、という意味で「信じなさい」と言われている。こう考えたらいいと思うんですねえ。イエス様についての情報を知っているだけでは信仰とは言えません。またイエス様が救い主であると同意するだけではこれも信仰とは言えません。信仰とは、イエス様は私の人生を変えてくださるお方だ。私はイエス様が与えてくださる救いを受けていくことができる。今私が理解できなくてもこの方を信頼し生きて行こう、と期待し、一歩踏み出し生きて行くこと。これが信仰の姿なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.2.15放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

■十戒 -自由への励まし96- 盗んではならない /大嶋重徳

2019年03月21日 | Weblog
2019/2/14放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第八戒には、「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節、申命記5章19節)とあります。「盗んではならない。」の原語の意味から考えると、誘拐して奴隷にすることの禁止という意味があります。誘拐され奴隷にされている現実として、世界には今この時も奴隷とされ、カカオ農園、コーヒー農園で働かされている子どもたちがいて、誘拐されて兵士にされている子どもたちが世界にいることを忘れることはできません。日本ではどうでしょうか。経済の格差から生まれる埋めることの困難な貧しさも目を開くと見えてきます。更に沖縄県の基地問題は多くのものが奪われている方々の痛みを思います。更に福島で起こった原発事故は故郷を奪われ、住む場所も健康も奪われ、今なお避難を余儀なくされる状況です。子どもたちが外で遊べない場所がこの国にできてしまいました。しかし福島でこんなにも盗まれている事実が起ころうとも、なお原発を動かそうとする力が働きます。節電により電力が足りた現実があっても、あるいは自然エネルギー開発で新しい技術と産業の発展が見込まれたとしても、お金がかかると経済の問題が出て来ることとなります。

 もちろんお金は大切です。しかしイエス・キリストは、お金が神様になってしまうことを警告されました。お金が悪なのではありません。しかしお金のことを考えると人は思考停止が起こりやすくなります。たとえ犠牲を強いられ自由を盗まれた人が居たとしても、他人が受ける犠牲もまたしょうがないと考えるところに富の恐ろしさがあります。

 それは難しい問題だよねと問題を先送りにし、盗まれている人々の痛みに目を閉じることが起こりやすいのです。ある人がこう言いました。「神様は第八戒で私たちの財産を守られます。しかし財産を持っている人が貧しい人たちから盗まれることから守られるだけなのでしょうか。むしろ神様はこの戒めによって無一文の人々が財産を持っている人々からむしり取られることを守られるのであり、どちらかと言えば、こちらの方に重きを置いておられるのです。」 第八回は、世の中に起こっている痛みに対して思考停止にさせられることの禁止も言っているのです。自分で考えることを私たちは誰にも盗ませるわけにはいかないのです。

    ( PBA制作「世の光」2019.2.14放送でのお話しより )

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■あなたの神は私の神です/福井 誠

2019年03月20日 | Weblog
2019/2/13放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがあるものですねえ。では今日の聖書を開いてまいりましょう。今日はルツ記 1章 16節から「あなたの神は私の神です」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

  ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。・・・」

 ルツ記は士師記の補足のようなものです。ヨセフスの『古代史』によれば、それは大体紀元前1150年頃の記録ですねえ。そこには先週読んだ知識に描かれた不法や争い・流血の風景は無く、一庶民の素朴な信仰生活があります。不信仰と無秩序の時代にあって光輝く信仰者の歩みが描かれているのです。しかもルツ記はそれ以上のメッセージを伝えています。つまりそれは新約聖書が描くメシヤ誕生の背景を記し、その意味を解き明かしているのです。その内容については更に詳しく語らなければならない所ですが、今日はモアブ人の女ルツがどのようにイスラエル民族に加えられたかに注目しましょう。

 当時イスラエルに生じた飢饉によってユダヤ人の一家がモアブの野に移住しました。そのユダヤ人の一家に嫁いだのがモアブ人の女ルツでした。しかし、その家族の男性は相次いで亡くなり、姑と嫁だけの家族になってしまうのです。姑のナオミが意を決して故郷のベツレヘムに帰ろうとし、二人のモアブ人の嫁にも、「自分たちの地の家に帰るように勧めますが物人の女器あなたの他人は私のためあなたの神は私の神と語り、どこまでも姑についていく決意を示すのです。港押して彼女はイスラエル民族に加えられてきます猿岩一つの肩でしょうつまり今日教会に加えられるのはあなたの神を私の神とする信仰を同じくする志によってです主にによるのでも育ちや出資によるのでもありません死イエスを救い主とする信仰自分のものとする志を立てるならば誰でも教会に迎えられるのですテラ良き州を祈ります。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.2.13放送でのお話より )

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■荒野の四十年(ステパノの説教5)/板倉邦雄

2019年03月19日 | Weblog
2019/2/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は 「荒野の四十年」ステパノの説教その5 ということでお話ししましょう。
 紀元前1400年頃、一つの民族がエジプトを脱出します。その民族とはイスラエル。指導者は80歳のモーセでした。使徒の働きの7章のステパノの議会での説教の続きです。

 「さて、この人モーセが人々を導き出して、エジプトの地においてもまた40年の間、荒野においても奇跡としるしとを行なったのです。この人がシナイ山で彼に語りかけた神の使いや先祖たちと共に荒野における集会にいて、生けるみことばを授かり、そのみことばをあなたがたに伝えたのである。」
 
 ステパノの説教は「この人」モーセを強調していますね。「この人」とは直接的にはモーセを指していますが、実は神の人イエス・キリストを指していることが分りますか? 「この人」イエス・キリストは、私たちをこの世であるエジプトの苦役の奴隷から導き出し、罪の奴隷から私たちを開放してくださいました。「この人」イエス・キリストはこの世の荒野の人生で私たちと共にいてくださり、奇跡としるしのわざをしてくださいました。そして「この人」イエス・キリストは荒野の人生において私たちを集会・教会に集わせて、生ける神のみことばを伝えてくださるのです。

 さてステパノの説教は更に続きました。
 「しかし先祖たちは、金の子牛の像を作り、神と祀って打ち興じたのです。そしてその結果がバビロン捕囚という懲らしめだったのです。」

 聖書のことばです。
 「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。
  ローマ人への手紙 1章21節から24節 (新改訳2017)
 
  (PBA制作「世の光」2019.2.12放送でのお話より )

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■受けるはずのない祝福の祈り/岩井基雄

2019年03月18日 | Weblog
2016/2/11放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生ついて学んでいます。

 ここは父ヤコブが死を前にして12人の息子たちの将来を預言しつつ、それぞれに祝福を祈っている場面です。ヤコブの四男ユダへの祝福は、父ヤコブの愛する息子ヨセフのものに勝るとも劣らぬ内容を持っていました。これまでのユダの歩みを振り返るとき、それは受けるはずのない祝福であり、憐れみでした。実際、創世記の38章にはユダの不誠実な行為や罪深さが明示されています。しかも彼の正妻は神の民ではありませんでした。またユダにはヨセフのことで父を欺いた責任もあり、どう考えても祝福にはふさわしくない息子だったのです。しかしそれゆえにこそ、このユダへの父ヤコブの祝福の祈りは私たちへの憐れみと祝福をも表す意義深いものなのです。

 ではユダへの父ヤコブの祈りをお読みします。
 
 「ユダよ、兄弟たちはおまえをたたえる。おまえの手は敵の首の上にあり、おまえの父の子らはおまえを伏し拝む。 ユダは獅子の子。・・・ 王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。
     旧約聖書 創世記49章8節から10節 (新改訳2017)

 愚かな罪深いユダでした。しかしユダは神によって罪を示され、自分の愚かさをも罪も認め、父ヤコブの前に、そして父なる神様の前に悔い改めたのです。それゆえ神はユダを祝福し、「王権はユダを離れず」とある通り、このユダの子孫からダビデ王が、そして救い主キリストが誕生するのです。 「ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」という預言は救い主イエス・キリストにおいて完全に成就されたのです。そして、このユダの祝福はキリストょ信じる者に与えられるのです。それはキリストが私たちの罪の裁きを代わりに受け、救いの道を開かれたからです。それゆえ私たちにどのような愚かさや罪があったとしても、愛なる神様はその罪を示し、悔い改めに導き、赦しを与えてくださいます。そしてあなたにも神の子とされる特権を与えてくださるのです。あなたも神の愛と憐れみを心一杯に受けて、祝福と恵みに満ちた人生を歩んでいきませんか?

  (PBA制作「世の光」 2019.2.11放送でのお話より )
 
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■ユダヤ教からキリストへ/ 羽鳥頼和

2019年03月16日 | Weblog
2019/2/9放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は新約聖書ガラテヤ人への手紙1章からお話しします。

 ここにはパウロがユダヤ教からキリスト教に回心した経緯が語られています。パウロは熱心なユダヤ教徒でした。彼は自分が先祖の伝承に人一倍熱心だったと言っています。ユダヤ教は旧約聖書を先祖の伝承として信じていました。特に神が救い主を遣わしてくださり自分たちを救ってくれる、というメシヤ(救い主)預言を神の約束として信じていました。熱心なユダヤ教徒であったパウロは、初めキリスト教会を迫害しました。それはとても激しいもので、教会を滅ぼそうとするほどでした。ところが教会の人々を捕えて牢獄に入れようと、ダマスコに向かっていたパウロはその途上で、復活されたキリストに出会いました。彼はキリストの声を聞き、キリストを信じました。パウロは旧約聖書が預言していた救い主がイエス・キリストであると分りました。パウロはその事を「私はそれを人間から教えられたのではありません。ただ、イエス・キリストの啓示によって教えられたのです。」と語っています。そしてパウロは外国人にキリストの福音を伝える者となりました。パウロはその事についてこのように語っています。
 「私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が外国人にキリストの福音を伝えるため、キリストを私に啓示してくださいました。」

 キリストが神の御子でありすべての人の救い主であることは、旧約聖書でも教えられていました。パウロは熱心であったにもかかわらずその事が分りませんでした。パウロは神によってキリストに出会うことができ、キリストを救い主と信じることができたのだと告白しています。神は今も人にキリストとの出会いを与え、キリストを信じることができるように働いてくださっています。

 明日は日曜日です。キリストと出会うために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.2.9放送でのお話より )
 
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■絶望から希望/ 関根弘興

2019年03月15日 | Weblog
2019/2/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストがカペナウムという町を訪れた時でした。イエス様のもとに大勢の人々が集まってきました。そこに会堂管理者のヤイロという人がいました。会堂管理者ってのは誰もがなれる仕事ではありません。当時のユダヤ人の礼拝の場所である会堂---シナゴグと言いますが---その会堂を管理する総責任者です。このヤイロには12歳になる娘がいました。当時のユダヤの社会では12歳になると成人した女性とみなされました。「うちの娘が成人の日を迎えた。めでたいことだ。」とヤイロは喜んだに違いありません。しかしその娘が突然病を患い、危篤状態になってしまったのです。そこでヤイロはイエス様のもとに駆けつけ、「私の家に来て娘を癒してください。」と懇願したんです。ヤイロにとってイエス様が自分の家に来るまでのその時間は、何時間にも長く感じられたことでしょう。しかしその途中のことです。ヤイロの心をくじくニュースが飛び込んできました。ヤイロの家の者が来て、「あなたのお嬢さんは亡くなりました。」と告げたのです。ヤイロは目の前が真っ暗になってしまったことでしょう。ところがイエス様はヤイロに向かって、「恐れないでただ信じなさい。そうすれば、娘は治ります。」 こう言われたのです。イエス様がヤイロの家に着くと、多くの人が嘆き悲しんでいました。イエス様は彼らに、「泣かなくても良い。死んだのではない。眠っているのです。」と言われたんですね。そしてイエス様は三人の弟子と両親だけを連れて娘の部屋に入っていかれ、娘の手を取って、「子どもよ、起きなさい。」と言われると、娘はすぐに生き返ったのです。

 実はここにイエス様がもたらす救いということが象徴的に描かれているんです。イエス様にとって死は絶望ではなく、ただ眠っているにすぎないというわけですね。つまりイエス様がもたらす救いは死さえも乗り越えさせる救いだということを、象徴的に示すものでした。しかし人は永遠の救いを得るために自分の力では何もすることができません。ただイエス様に来ていただくしかないのです。聖書が教える救いは、イエス様の一方的な恵みによってもたらされる永遠の救いです。この救いをイエス様はあなたにも与えるために来てくださいました。
 
     (PBA制作「世の光」2019.2.8放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし95- 盗んではならない/ 大嶋重徳

2019年03月14日 | Weblog
2019/2/7放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。

 十戒の第八戒には、「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節、申命記5章19節)とあります。「盗んではならない。」という戒めについて考えるとき必要なことは、所有について考えておく事です。聖書は所有それ自体を禁じてはいません。神様から託されたものを正しく生かし用いること求められているのです。自らの所有しているものを管理し、活かし、用いる事を第一のこととするのです。

 ある人が、私たちの倫理の出発点は神様から委託されているという事実から始まる、と言ったように、倫理とは神に委託されている事実から始まり、これは私のものというところからは始まりません。

 さて、十戒の研究をする人たちの中で、第八戒「盗んではならない。」は出エジプト記当時の人々に具体的に意味したことは、「誘拐をしてはならない」ということであっただろうと言われています。すなわち誘拐の禁止です。旧約聖書に出て来るヨセフ物語では弟のヨセフを妬んだ兄たちからヨセフが奴隷として売り飛ばされるシーンが出てきます。このような誘拐し奴隷として売られるという出来事が実際にあった事が分ります。また何より、十戒を受け取ったイスラエルの人々はエジプトではまさに奴隷とされていたのですから、第八戒「誘拐をし奴隷にしてはならない」というのはよく分かったのではないかと思います。本来、神様に造られた私たちは自由なる存在です。しかし世界には自由にのびやかに生きることが突然奪われる現実があります。第八戒は、誰かの人生を自分の思い通りに支配し自由を強奪することの禁止です。人の自由を盗むことの禁止とも言えるでしょう。

 このことは、親が子どもの人生を束縛し虐待を加えることも禁止しています。あるいは夫婦間の DV(家庭内暴力) も自由を奪いとる第八戒の禁止事項に該当します。宗教的なカルト指導者のマインドコントロールも、牧師が信徒を、信徒が牧師を思い通りにしようとするその事も、この禁止に入ります。キリスト教会はいつもキリストの所有であり、誰からの奴隷状態に置かれることがあってはなりません。私たちはいつも目の前にあるものが誰のものであるかという事を見誤ってはいけません。神様のものなのです。それをまるで自分のものであるかのように思うとき、人の自由を盗み奪う第八戒の罪を犯すこととなるのです。

 今日も神様から預かった一日をのびやかに生きていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2019.2.7放送でのお話しより )

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■主を呼び求めて言った/ 福井 誠

2019年03月13日 | Weblog
2019/2/6放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むごとに不思議にも自然と養われていくものがあるものです。では今日の聖書を開いてまいりましょう。今日は士師記 15章 18節から「主を呼び求めて言った」と題してメッセージをお伝えいたしましょう。

  そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。
 「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。
  しかし今、私は喉が渇いて死にそうで、
  無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」


 イスラエルが約束の地に定住し、世俗化していくようになると、彼らは政治的な力も弱くなり、異教徒に支配されるようになりました。そのようなイスラエルを解放し建て直すために士師あるいは「さばきつかさ」と呼ばれる人が起こされていきますが、今日取り上げるサムソンもその一人でした。実際サムソンはナジル人つまり神様の奉仕のために身も心も捧げる人として育てられていきます。15章のお話はその彼が成人した時の出来事です。彼は神に捧げられた人であるのに、異教徒のペリシテ人の女と結婚を願うのです。そして事件が起こります。彼は結婚の祝宴に参加したペリシテ人に謎をかけるのですが、ペリシテ人がサムソンの妻を脅迫して答えを聞き出したために暴力的な事件が起こるのです。

 その後、サムソンとペリシテ人との衝突はどんどんエスカレートしていきます。当時サムソンが住んでいた地域はペリシテ人に支配されていましたので、イスラエルの人々はサムソンが続ける横暴な振る舞いに恐れを為し、これ以上ペリシテ人を刺激しないようにと願っていました。しかしとうとうペリシテ人は上ってきて陣を敷き、サムソンを引き渡すように求めるのです。サムソンには神の特別な力が働き、彼はその包囲網を打ち破り、一挙に千人を殺してしまいます。これによってサムソンは 士師として認められ、二十年間のさばきつかさとしての生涯が始まっていきます。ただそんなサムソンも「渇いて死にそうだ」とつぶやく人間的な限界を抱えた者にすぎませんでした。

 キリスト教会は平凡な人々が集まるところですが、そのような教会の働きも神の助けと力によって進められるのです。

 では良き一週を祈ります。
 
 (PBA制作「世の光」2019.2.6放送でのお話より )

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