♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主を求めよう / 山本義武

2024年03月16日 | Weblog

2023/10/28放送

 「世の光」の時間です。福井県福井市にある福井自由キリスト教会の牧師・山本義武です。

 私たちは、困った時や悩みの時に、人に聞いてもらったり人を頼りにしたりすることがあると思います。会社なら上司や同僚、家庭なら親・兄弟、また親しい友人などに自分の思いを打ち明けて心のうちを聞いてもらうことがあるでしょう。また相談する相手が誰もいないときや、このことは誰にも相談できないという内容もあると思います。

 昔から「困った時の神頼み」とはよく言われるもので、困った時に神に願うということも多いのではないでしょうか。多くの日本の方々は新年などに、「どうか良い年となりますように」と神にお願いをします。商売繁盛、無病息災、家庭円満、合格祈願、交通安全など多くのことを神に求めるのです。
 聖書の神はもちろん私たちの祈りを聞いて下さる神です。ですから、神にお願いしても神に求めても良いのですが、今日は「神に」求めるだけでなく、さらに言うならば、「神を」求めることが大切だということです。

 聖書のことばをお読みします。イザヤ書55章6節
 「主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに」

 「主」と言うのは神様のことですが、神は私たちに、神というお方、神ご自身を求めなさい、お会いすることのできるうちに、神が近くにいるうちに求めなさい、と言われます。
 何か特別な場所などに行かなければ神などいないのではないか、神なんてずうっと向こう側にいるのではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし聖書の神はお会いしようと思えばいつでも会うことができる。しかも、「あなたの近くにいるのだぞ」というのです。

 隣に人が来たとしましょう。近くに来ても声をかけなければ無関係のままです。しかし声をかければ、その人との関係が生まれます。神は目には見えません。しかし私たちが祈る時、神を求める時、その祈りは、その求めは、お互いを確認し合うことにつながります。
 
 今日、ただ神にお願いごとをするだけではなく、お会いすることのできる神を求めてみませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.28でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あなたを熱望する神 / 山本義武

2024年03月15日 | Weblog

2023/10/27放送

 「世の光」の時間です。福井県福井市にある福井自由キリスト教会の牧師、山本義武です。
 
 私たちは、人に頼りにされたり、「あなたのことがとっても大切だよ」なんて言われると嬉しかったりするものではないでしょうか。実のところ、聖書の神はあなたのことに非常に関心を持っている神、あなたを熱望している神、あなたのことを心配している神、あなたを愛している神なのです。

 聖書のことばをお読みします。イザヤ書41章10節
  「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」

 「あなた」ということばが多く出てきます。この短い聖書の箇所で5回も出てきます。聖書の神は、「あなた」に対して熱い思いで語る神です。ただ優しく「あなたを」と言うのではなく、どちらかと言うと神の強い思いをもったニュアンスで、「あなたを」「あなたを」「あなたを」と言っているのです。そのうちに「助けてやるぞ。支えてやるぞ。守ってるぞ」ということでもなく、神は「あなた」とともにいるぞ。「あなた」を強くするぞ。「あなた」を助けるぞ、「あなた」を支えるぞ、「あなた」を守るぞ、その神の手は、もうすでにあるぞ、と迫るのです。しかも、一時的なことではなく、ずーっと続く継続的な神の思いです。

 「わたしがあなたの神だから」と神は言います。威厳をもって、「さぁ、わたしは神だ。わたしを崇めよ」という神の姿ではなく、それよりも「わたしは『あなた』のものだよ。『あなた』の神だよ」と、あなたに迫る神の姿です。英語で言うならば“I am Your God.”です。

 この神が、私たちを愛するがゆえにイエス・キリストを私たちの世界に送り、私たちが神の子として生きるために私たちの罪の身代わりとなられたのです。

 この神は、今日もあなたに関心を持ち、あなたを熱望しておられます。
 今日、私たちの心を、この神に向けて歩んでみませんか?


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.27でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■やがて来られる主イエス / マーチン冨美子

2024年03月14日 | Weblog

2023/10/26放送

 「世の光」の時間です。福井県鯖江市にある鯖江(さばえ)キリスト教会の牧師、マーチン冨美子です。

 へブル人の手紙9章27節、28節をお読みします。
 「そして、人間には一度死ぬことと死後にさばきをうけることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現われてくださいます」

 前回は、罪のために死に定められている多くの人の罪を負うために既に来られたイエス様のお話でした。
 
 今回は、そのイエス・キリストを神・救い主と心で信じ、口で告白した人たちを天に迎えるために、二度目にやがて来られるイエス様のお話です。それがいつなのか、年月日は知らされていません。聖書によると、この世の終わりには7年間の大患難期があり、自然界の異変、地震、戦争、疫病、飢饉、そして、反キリストの出現により激しい迫害や苦難が世界を覆う、とあります。

 主イエスが「ご自分を待ち望んでいる人々」を救うために来られるのは、この大患難期前のどこかの時点です。ですから、それまでにイエス様の救いにあずかった人たちは、この未曾有の苦難を通ることなく一瞬のうちに空中に引き上げられます。

 その時、何が起こるのか? 新しい身体への復活です。まず死んでいた人たちがよみがえり、次にその時まだ生き残っている人たちが新しい体に変えられ、空中で合流し、イエス様にお会いします。また、地上でした善い業に報いが与えられます。罪や死の苦しみも別れの悲しみもない、平安と豊かな祝福に満たされて、主が永遠に共にいてくださる。この地上では想像さえできないことも、神様がおっしゃったことは必ず実現します。暗い混迷の中にも確かな希望に生かされる道がここにあります。この天国こそゴール、身体の復活こそ救いの完成です。
 
 あなたもぜひこの道を歩み始めませんか? 心から願っています。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.26でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■すでに来られた主イエス / マーチン冨美子

2024年03月13日 | Weblog

2023/10/25放送

 「世の光」の時間です。福井県鯖江市にある鯖江(さばえ)キリスト教会の牧師、マーチン冨美子です。

 へブル人への手紙9章27節、28節をお読みします。
 「そして、人間には一度死ぬことと死後にさばきをうけることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現われてくださいます」

 人間誰にでも例外なく定まっていることが二つあります。一つは「一度死ぬこと」、もう一つは「死後にさばきを受けること」です。この二つの避けられない恐ろしい定めの解決は人間にはできません。そのため天地の創造主・父なる神は、御子イエス・キリストを二度この世に遣わされます。

 今回は、死と死後にさばきを受ける定めにある人間にいのちを与えるために、一度目に来られたイエス様のお話です。今から2020年以上前のことです。

 ところで、人はなぜ死ぬのか? それは人が生まれつき、自分を造って生かしてくださっている天の神に背き、自分の欲に動かされ、自分勝手に生きている自己中心の罪があるから。
 死は罪の刑罰です。最初の人アダム以来、誰も罪と死から自分を救い出せる人はいません。聖く義しい神様は同時に慈しみ深い愛の方でもあります。かけがえのない御子イエスを何と、敵である私たちを救うために送ってくださったのです。イエス様は33年余のご生涯を、人間の罪を赦し新しいいのちを与えるため献げ尽くされました。私たちのすべての罪をその身に負い、身代わりとなって十字架にかかって死なれ、葬られ、三日目に身体をもってよみがえられました。それから四十日間弟子たちに現われ、彼らの目の前で天に帰られ、今も生きておられます。この救い主を信じる者は、死に対する勝利、天国が約束されています。罪を悔い改めて主イエスを信じる者は死んでも生きます。

 秋の夜長、世界のベストセラー聖書でご確認くだされば幸いです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.25でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■赦された女 / 山本博之

2024年03月12日 | Weblog

2023/10/24放送

 「世の光」の時間です。福井県福井市にある日本キリスト教団如鷲(じょしゅう)教会の牧師、山本博之です。

 ルカによる福音書7章47節を新共同訳の聖書でお読みします。

  「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」

 ユダヤ教の一派であるファリサイ派は律法を教え、生活の中で教えを実践していたので、かつては民衆の尊敬を集めていました。しかしイエスの時代の彼らの信仰は律法を教えるだけの不誠実なものとなっていたために、民衆の心は彼らから離れていました。

 ある時、ファリサイ派のシモンという男がイエスを食事に招きました。彼は民衆の人気を独占していたイエスを家に招くことで自分の評判を高めようと考えていました。そこに一人の罪深い女がイエスのもとに来て、泣きながら涙でイエスの足を濡らし、髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗りました。
 当時、香油は非常に高価で、ユダヤの娘たちは自分の結婚のために少しずつそれを貯めていた、とても大切な宝物でした。「罪深い」と言われていた女がファリサイ派の家に入ることは大変勇気のいることでした。女は以前にイエスに赦してもらったことへの深い感謝と尊敬の思いがあり、どうしてもイエスに最高の礼拝をささげたくてここに来たのです。

 シモンは女の行動を見て、イエスはこの女が罪深い人間であることがわからないのだろうか?と思いました。

 するとイエスは、「シモン、あなたに言いたいことがある」と語り掛け、たとえを用いてシモン自身もこの女と同じ罪人であることに気付くように語られました。そして、先ほどお読みしたことばを語られたのです。
 イエスはシモンの行為が偽善であるとご存じでしたが、シモンも神の国に招かれている者であり、彼が神の愛に触れることを心から願って、食事の席に着かれたのです。

 あなたも神に招かれています。日曜日はお近くの教会にいらしてみませんか? あなたのお越しをお待ちしております。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.24でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■癒された男 / 山本博之

2024年03月11日 | Weblog

2023/10/23放送

 「世の光」の時間です。福井県福井市にある日本キリスト教団如鷲(じょしゅう)教会の牧師、山本博之です。

 ヨハネによる福音書9章39節を新共同訳の聖書でお読みします。

 「イエスは言われた。『わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。』」

 当時のユダヤ人社会では、病気は本人か両親が罪を犯した結果であると考えていたため、当事者たちは罪意識に苦しんでいました。しかしイエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである」と語られました。

 生まれつき罪人と言われて育った男にとって、イエスのことばはどんなにか深い慰めとなったことでしょう。イエスは生まれつき目の見えない人に近づき、目を癒して見えるようにされました。男は目が見えるようになった喜びから、ユダヤの会堂にいる人々に、「イエスのお陰である」と語りました。
 にも拘らず、イエスの行為を疎ましく思ったユダヤ教の一派であるファリサイ派は、男をユダヤ社会から追放したのです。
 イエスはこれを聞いて直ぐに男を探し出し、「あなたは人の子を信じるか?」と救いの手を差し伸べられました。

 このメッセージは今、世界中で孤独や疎外感を感じている人々にも向けられているのです。ファリサイ派の人々は、神様を礼拝する日が労働禁止であることを盾に、男の目を癒したイエスを罪人として非難し、癒された男がイエスを「神のもとから来られた」方であると言ったことに腹を立てました。彼らは他の人々を蔑(さげす)み、心の目の固く閉ざされた者となっていたため、男が癒されたことを共に喜び神を崇めることはできなかったのです。

 イエスは、「わたしがこの世に来たのは、裁くためである」と言われます。何が良いことであるかを教え、罪人を救うためにこの世に来られたのです。今日もイエス・キリストは私たちに手を差し伸べて、「あなたは私を信じるか?」と語りかけておられます。

 日曜日はお近くの教会にいらしてみませんか? あなたのお越しをお待ちしております。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.23でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■弱さのうちに完全に現れる力 / 黒木昭江

2024年03月09日 | Weblog

2023/10/21放送

 「世の光」の時間です。今週は名古屋市にある富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。

 「悩みの中で、神に祈ってみた」という経験がおありでしょうか?

 キリスト教の伝道者パウロは悩みの中で神に祈りました。その悩みとは恐らく健康上の問題だっただろうと言われています。「もっと体が丈夫だったら、もっと神様のために働けるのに・・・」 そう思い、彼は神に祈ったのです。けれどもその祈りは彼の願い通りの結果をもたらさず、神は彼に言われました、
  「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」
     コリント人への手紙第二12章9節のみことばです。

 信仰者の強みは神に祈ることができるという点でしょう。パウロも多くの病人のために祈り、神様はその祈りを叶えて、その人々を癒されました。けれどもパウロ自身の悩みに対して神は願いを叶えず、もっと良い答えをくださいました。それは「弱さがあるままで、神の力を経験して生きていきなさい」という答えでした。その結果、パウロはこんなことを言うようになりました。
  「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・私が弱いときこそ、私は強い」コリント人への手紙第二12章9節、10節 

 私自身もまた40年以上ずっと神様を信じて折々に祈って来ました。神様はあわれみ深くその祈りに答えてくださいましたが、自分の願い通りにならなかったことも少なくありませんでした。でも今それを振り返ってみて、願い通りにならなかったこともまた自分の人生の大切な一部分になっていると感じています。その部分は確かに痛みです。しかしその痛みには神様の慰めが溢れ、神様の助けに満ち、その結果、人生がより充実したものとなっています。神の恵みは私に十分です。私もまたパウロのように大いに喜んで自分の弱さを誇っています。

 聖書はこのような素晴らしい神様との出会いを私たちに与えてくれます。ぜひ聖書を手に取ってお読みになってみてください。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.21でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■衰えても内側は日々新たに / 黒木昭江

2024年03月08日 | Weblog

2023/10/20放送

 「世の光」の時間です。今週は名古屋市にある富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。

 今日の聖書のことば、コリント人への手紙第二4章16節
  「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」

 これはキリスト教の伝道者パウロのことばです。キリスト教の布教が困難な時代、パウロはさまざまな労苦や肉体の限界と戦いながら、日々奮闘していました。しかし一方でパウロはそういった肉体の弱さとは逆に、自分の内面の世界で起こっている事実に目を向けました。

 信仰生活は人間の外側の脆さに支配されません。生きることはある面で日々戦いです。年齢を重ねれば自分自身の肉体を背負うことの苦労も加わります。
 けれども神とともに生きる高齢者の人生を聖書はこんなふうに語ります。詩篇92篇14節
  「彼らは年老いてもなお 実を実らせ 青々と生い茂ります」

 神を信じて生きる者は、神様のみことばの力をいただきながら、たとい肉体は衰えてもいつまでも実を結ぶ老後を過ごせるのです。

 日本社会全体が高齢化する現代、教会も高齢化しています。毎週自転車で元気に礼拝に来ていた方が歩くことも困難になる。あるいは一人暮らしを謳歌していた方が施設に入所せざるを得なくなる。けれども、老いた身体で誰かの悩みに寄り添い、誰かのために祈り、ひたすら神様を慕って礼拝に来られるそのお姿は勇者そのものです。

 そしてなお老いが深まるとき、神様はこのように語られて老いの日々に寄り添ってくださいます。イザヤ書46章4節
  「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う」

 神様が、年齢を重ねて生きる一人一人を大切に背負って、人生を導いてくださると言うのです。

 この神様と一緒に生きる生活を始めてみませんか? ぜひお近くの教会へお越しください。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.20でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■豊かに実を結ぶ人生 / 黒木昭江

2024年03月07日 | Weblog

2023/10/19放送

 「世の光」の時間です。今週は名古屋市にある富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。

 神様は私たちの人生を変えてくださいます。神のことばである聖書が私たちの心を造り変え、造り変えられた私たちが人生を新しく生きるようになるからです。

 今日の聖書のことば、ヨハネの福音書15章5節
  「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます」

 このことばはイエス・キリストのことばです。キリストは、ご自分をぶどうの木に、そして私たちをぶどうの枝にたとえました。ぶどうの枝は、ぶどうの木にちゃんと繋がっていることでぶどうの実を結ぶ。それと同じように私たちも、イエス・キリストに繋がって生きるとき、イエス・キリストのような人格の実を人生の中で結ぶようにされるのです。イエス・キリストのような人格とは愛と正義です。

 「アメイジング・グレイス」という讃美歌があります。この讃美歌を作ったジョン・ニュートンは、もともと奴隷商人で無神論者でした。しかし人生の試練の中で神を信じるに至ったのです。枯れ枝だったニュートンは、ぶどうの木であるキリストにつながり、キリストの実を結ぶようになります。やがて彼はキリスト教会の牧師となり、また奴隷貿易に反対する運動を起こし、さらには讃美歌「アメイジング・グレイス」を作ったのです。
 それはこんな歌詞から始まります。「驚くばかりの恵みなりき、この身の汚れを知れるわれに」

 ぶどうの枝に実ったぶどうの実はそれを食べる者たちに喜びをもたらします。それと同じように、キリストと繋がって実を結ぶ人は周りの人々を幸せにします。ジョン・ニュートンもキリストと繋がり、人生に実を結ぶことで人々を助け、彼の死後もその讃美歌をもって人々を励ましています。

 神様は私たちの人生も実り豊かなものとしてくださいます。イエス・キリストと繋がって実り豊かな人生を送るため、ぜひお近くのキリスト教会へお越しください。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.19でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■赦されて生きる恵み / 黒木昭江

2024年03月06日 | Weblog

2023/10/18放送

 「世の光」の時間です。今週は名古屋市にある富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けします。
今日の聖書のことば、ルカの福音書7章47節
 「赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです」

 これはイエス・キリストがある宗教学者に向かって語られたことばです。その宗教学者は自分のことを道徳的・宗教的に優れた人間だと自信を持って生きていました。
 ある日、彼はキリストを食事に招きます。ところがなんとそこに、町で有名な罪深い女性がキリストに会うためやって来たのです。彼女はキリストに罪を赦された、その感謝を表したくてキリストのいる場所にやって来たのでした。キリストは彼女の感謝の行為を受け入れます。それを見た宗教学者は心の中で、「イエスはこんな罪深い女を受け入れている」と非難するのです。それを悟ったキリストは宗教学者にこんな話をされました。

 二人の人が金貸しから借金をした。一人は500万円、もう一人は50万円。でも二人とも返済できなかったので、金貸しは両方とも借金を帳消しにしてあげた。さて、この二人のうちどちらがより多く金貸しを愛するようになると思いますか? もちろん答えは、500万円の人です。イエス様は、より多く赦される者は赦してくださる神をより深く愛するようになるのだ、とお語りになったのでした。

 神様は罪を犯す人間を見捨てず、あわれみ深く関わってくださいます。

 私たち人間は、生きていれば何かしら過ちを犯してしまうもの。私自身も故意に罪を犯そうとは思っていませんが、言ってはいけないことを言ってしまったり、やってしまったり。そんなことの繰り返しですが、何度も何度も神様に赦されて来ました。そしてそのたびに、赦してくださる神の愛を実感し、赦された人生を大切に生きていこうと思って来ました。

 聖書は私たちに神の赦しを告げます。その赦しのもとで、私たちは何度でも人生をやり直すことができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.10.18でのお話しより )


******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする