♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して68年の
「世の光」を文字で 

■小さな存在を支え続けた大原孫三郎 2  /  岩井基雄

2020年05月25日 | Weblog

2020/3/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 月の最後の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日も小さな存在を支え続けた大原孫三郎について学んでみましょう。

 かつては放蕩の限りを尽くしていた孫三郎でしたが、日本初の孤児院の創設者でクリスチャン石井十次との出会い、彼を通してキリストにある救い受け取ります。自らクリスチャンとなった孫三郎は自分にできる限りの愛を小さな存在に注ぎ、父から受け継いだ倉敷紡績の社員たちの労働・居住・医療環境を改善し続けました。そして会社の利益のほとんどを日露戦争などで増えた孤児を救うための支援に使ったのです。彼の口癖は、「わしの目は10年先が見える。」だったそうです。彼はキリストの愛を基盤として10年先、いや、さらに先を見て神の愛を表し続けたのです。それに先立ち彼は、工場内に尋常小学校を設立。さらに現在の倉敷商業高校をも設立し、働きながら学ぶ行員の教育を支援します。さらに学びたくても資金がない子弟のために大原奨学会を開設します。将来を見据えての人への投資も彼は大胆でした。

 後に大原美術管の礎となるコレクションを集めた洋画家・児島虎次郎もこの奨学金で学びました。児島虎次郎はベルギーの美術学校を首席で卒業。そのあとヨーロッパの各地で名画を見て回る中、スペインの画家・エルグレコ作の『受胎告知』という絵と出会い、感銘を受けます。法外な値段でしたが、孫三郎はその購入を助けるのです。美しいその絵には神の御子が人となられた恵みを語る御使い。そして母として用いられるマリヤの神への献身の眼差しが描かれています。この絵は後に大原美術館の代表的コレクションとなります。

 キリストの愛を通し倉敷を東洋の聖地にしたい、と考えていた孫三郎は、神の有り方を捨てたキリスト、その愛に応答する責任としての献身をその絵に見たのかもしれませんね。その絵の存在が倉敷への空爆を避けさせたとも言われています。

 聖書のことば
 「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。
   新約聖書 マルコの福音書 10章45節

 私たちもまた自分に与えられているものを他の人のために用いていきたいと願います。

  (PBA制作「世の光」 2020.3.30放送でのお話より ) 
 
*** 

このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。。。携帯からもこのURLでどうぞ。 

*** 

東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

***  

 

 


■歴史に神のみわざを見る / 羽鳥頼和

2020年05月23日 | Weblog

2020/3/28放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は歴史についてお話したいと思います。テレビなどでは時代物、歴史物が人気です。歴史を趣味とする人は多いと思います。私も小学生の頃から歴史が好きで、大学の文学部の史学科に籍を置いていました。ところで、歴史を知る・学ぶことにどんな意義があるのでしょうか。聖書からその事をお話する前に、かつての西ドイツの大統領であったヴァイツゼッカーの語ったことをまず紹介したいと思います。ヴァィツゼッカーがドイツの敗戦40周年にあたって連邦議会で演説しました。そこで彼はナチスのユダヤ人大虐殺のことに触れてこのように語りました。
 「ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻み続けるでしょう。我々は人間として心からの和解を求めております。」
 そして彼は続けて語りました。
 「心に刻むというのは歴史における神のみわざを目の当たりにすることです。これこそが救いの信仰の源です。この経験こそ希望を生み出し、和解への信仰を生み出すものです。神のみわざの経験を忘れる者は信仰を失います。」

 ユダヤ人やヴァィツゼッカーのこのような、歴史を心に刻む、という考えは実は聖書に見られるものです。旧約聖書の詩篇78篇には、エジプトで奴隷だった民を神が解放し、荒野の旅を守り、約束の地に導き入れてくださった出エジプトの出来事が語られています。この出エジプトの出来事が語られる前に、神は歴史を語り伝える理由を教えておられます。
 「彼らがみな神に信頼し神のなさったことを忘れずに神の命令を守るためである。」(参照詩篇78篇7節)
 実は聖書はその全体を通して、すべての人にキリストの十字架による救いを語っています。このキリストの十字架こそ私たちが知るべき歴史的出来事です。

 明日は日曜日です。神のなさったキリストの十字架による救いを知るために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 ( PBA制作「世の光」 2020.3.28放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

*** 


■消え去ることのないことば / 関根弘興

2020年05月22日 | Weblog

2020/3/27放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちは皆、三つの終末・終わりの中に生きています。それはこの世界の終わり・終末、自分のいのちの終末、自分以外の人々のいのちの終末というこの三つの終わり・終末の中に生きている訳ですねえ。

 イエス様は終末の時代に生きる私たちに、マタイの福音書24章35節で
 「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
 とお語りになりました。
 イエス様は、「天地は消え去ります」と断言なさったんです。いつどんな方法で消え去るのか私たちにはわかりません。しかし、科学的に考えても太陽は約、・・・まあだいぶ先ですけど50億年後には寿命を迎えると言われますから、それまでには天地は必ず滅びてしまうでしょう。また、世界終末時計というものがありますよね。核戦争等による人類の終末を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間が大きな出来事がある度に発表されるわけです。何と今年のはじめには、終末まで100秒前だと発表されていました。実はこの世界はとても不安定で危うい中にいるわけですね。

 しかしイエス様は、「わたしのことばは決して消え去ることがない」と語られたのです。
 旧約聖書のイザヤ章40章8節というところで、預言者イザヤがこう言いました。
 「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。
 これはユダヤ人なら誰もが知っている有名なことばです。イザヤは「神のことばは永遠に立つ」と言いました。そしてイエス様は、「わたしのことばは決して消え去ることがない」と言われたんです。つまり、イエス様は、わたしのことばは神のことばそのものだ、と宣言されてるわけですね。だからこそイエス様のことばは決して消え去ることがないし、永遠のことばであり真理そのものなわけです。

 先ほど言ったように私たちは危うく移ろいやすいこの世界に住んでいます。しかしイエス様によって語られた一つ一つの約束のことばは決して消え去ることなく無効になることはありません。そのイエス様が、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル人への手紙13章5節  新改訳第三版)と約束してくださっているのです。終末に生きる私たちにとってこれ以上の平安はありませんね。これで十分ではありませんか。
 
      (PBA制作「世の光」2020.3.27放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


■ルカの福音書 13 -ザカリア / 大嶋重徳

2020年05月21日 | Weblog

2020/3/26放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいます。今日の箇所には神殿で働く祭司のザカリヤという人が出てきます。天使ガブリエルの伝えたことばをザカリヤが信じることを拒みました。すると神様はザカリヤの人生に沈黙を強いられました。ザカリヤは突如、ことばが話せなくなったのです。

 私たちのことばもまた神様から沈黙を強いられることがあります。教会の礼拝では礼拝者が沈黙する時間が多くあります。祈りと賛美を終えた後、説教中はまさに沈黙します。説教者だけが語ります。私たちは過ぎ去った一週間、余りにもしゃべりすぎたおしゃべりをやめて、神様の語りに耳を傾けるのです。私たちは余りにも自分のことばと自分の思いに集中しすぎていることがあります。自分の声しか耳に入っていないのです。その時には聞こえるべきものが聞こえていない。

 ラジオでメッセージをするための準備に於いて、私はひたすら神様の前に沈黙する時間を持ちます。ラジオの前の皆さんに神様が語ろうとされていることを聞くために、ひたすらに沈黙の努力をするのです。

 ザカリヤは神様の強いられた沈黙を数ヶ月間経験しながら、天使ガブリエルの伝えたことばの意味を想い巡らしたでしょう。天使ガブリエルに言ってしまった自分のことばの愚かさについても考えたでしょう。やがてエリザベスの妊娠が本当であったことがわかっていきます。しかしザカリヤの沈黙は継続しています。待ちに待った我が子の出産の時にもザカリヤは沈黙をしていなければならなかったのです。沈黙を強いられたところでザカリヤはどれだけ深く神様の計画を想い巡らしたでしょうか。神のことばを噛み締めたのです。

 あなたにも沈黙を強いられたと言える出来事があったでしょうか。何も言えなくなる。ことばが出ない。それは痛みの出来事であったかもしれません。ことばにするのが今でも難しい事柄かもしれません。どのように祈れば良いのか戸惑うような出来事だったでしょう。そのようなとき無理にことばにしなくても良いのです。明るく振る舞わなくても良いのです。神の前でただただ沈黙するだけで良いのです。沈黙の中で、主のなさることをじいっと見つめること、それがあなたにとって一番大切な祈りの時となるのです。自分のことばだけを連ねる祈りを止めて、沈黙の中で神のことばを待つ祈りを今日は持っていただきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2020.3.26放送でのお話しより )

******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


■まっすぐな道を歩む / 福井 誠

2020年05月20日 | Weblog

2020/3/25放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。
 継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。今日も聖書を開いて参りましょう。
 
 今日は箴言11章20節から「まっすぐな道を歩む」と題してメッセージをお伝えいたします。 

 「心の曲がった者は【主】に忌み嫌われ、
   まっすぐな道を歩む者は主に喜ばれる。

 この11章、様々な格言が集められていて、まとまりをつけて読むのが難しいところですが、よく読んでみると、神の御前にあることを覚えて生きる者とそうでない者との違いが対比的に二行詩になって語られていますね。つまり心が天に向かって生きているのか、それとも地に向かって生きているのか、それではその違いの大きさがあると言うことです。

 例えば、神を仰ぎ、神の御前にあることを覚えて生きる者は、いつも人間が人間であること、つまり神に造られた非造物に過ぎない現実を心得て、謙遜に神を恐れて歩もうとします。この世のお金や物を追いかけるような生き方もしません。それらはむしろ神に分け与えられたものとして正しく用いていきます。そしてやがて神にお会いする日を覚えて神の裁きに備えられた歩み、正義に基づいた行動をしていくのですね。

 他方、神を認めずこの地上のこと、この世のことだけに目を向けて生きている人は、死んでしまえばそれまでという考え方て生きていきますね。大人の顔はしていてもお金を持ち、知恵を持ち、権力を持った子どもに過ぎない人生であったりします。子どもの感性で歳を重ねているいびつな大人にすぎなかったりする、と言うわけです。このようなことは学校の教科書では教えてくれないものです。聖書を読むというのはまさに人生を賢く生きる、人間が人間らしく成熟することを教えてくれるのです。悪しき者と正しい者との対比で、本当のところ人間はどのように生きるべきかを語る。この箴言は心して学ぶべきものというべきでしょう。そして神はまっすぐな道を歩む者を喜ばれ、また祝福してくださる。神の約束がちりばめられていることにも注意したいところです。ぜひ教会に行って、人間としての成熟を目指したいものですね。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.3.25放送でのお話より )

 ****** 

  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
 ****** 
  
 このサイトは URL名として<FONT SIZE="4"><B>  
 http://yonohikari.biblica.info </b> 
 が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。</font> 

 


■私たちは、確信した / 板倉邦雄

2020年05月19日 | Weblog

2020/3/24放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は、「私たちは確信した」という題でお話ししましょう。

 初めに使徒の働きの16章10節を読みます。
 「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。

 最初に読んだ理由は、この使徒の働き16章10節から突然主語が「私たちは」ということばになっているからです。それまでは「彼らは」という三人称でした。実はこのトロアスの港町でこの使徒の働きの著者であるルカに出会います。そしてルカがここから同行したことを物語っているからです。

 ここまで来て、なぜ聖霊がパウロとシラスそしてテモテの伝道チームが小アジアの大都市エペソで神の国の福音を伝えることを禁じたのか、また途中のビテニヤでもイエスの御霊が宣教を許されなかったかがわかって来ました。前回言いましたように、パウロの体調がすぐれなく休養を必要としていたということです。

 そのような時にマケドニアから医者であるルカがトロアスにやってきました。医者が同行する旅路でしたら安心です。それにヨーロッパのマケドニアに神の国の福音を伝えて欲しいという熱いリクエストを聞いたパウロ一行は、ヨーロッパ伝道を神様からのビジョンと受け留めたのです。小アジアのエペソでの伝道を、聖霊が禁じイエス様の御霊が許されなかったのはパウロの体調管理とヨーロッパのマケドニア伝道のためだったのですね。

 イエス様のことばに次のようなことばがあります。
 「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう。
               (ヨハネ福音書13章7節 口語訳聖書)

 聖霊が禁じたりイエス様の御霊が許さなかったりする中で、これからどうしたらいいのか私たちは将来への心配や不安を抱くことがあります。しかし今、私たちにわからないことでもイエス様はすべてをわかっていらっしゃるということです。そしてやがて私たちにもわかるようにしてくださり、私たちに確信を与えてくださるということです。

  (PBA制作「世の光」2020.3.24放送でのお話より ) 

*** 

このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。 

*** 

東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

*** 


■小さな存在を支え続けた 大原孫三郎 1 / 岩井基雄

2020年05月18日 | Weblog

2020/3/23放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 第四月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は小さな存在を支え続けた大原孫三郎について学んでみましょう。

 明治13年、岡山県の倉敷市の大地主で倉敷紡績を営む大原家の三男として生まれた孫三郎。二人の兄が相次いで夭折(ようせつ)したため孫三郎が嫡子となります。東京専門学校、後の早稲田大学に入学しますが、そこで放蕩三昧の生活を送り、莫大な借金を抱えてしまい、倉敷に連れ戻されるのです。その借金の後始末を任されたのが孫三郎の姉の婿でしたが、その義理の兄が心労で急逝してしまい、孫三郎は自分の愚かさを深く悔いるのでした。そのような時期に知り合った人物こそ日本児童福祉の父と呼ばれた岡山孤児院の創立者、クリスチャンの石井十次でした。医学の道を捨てて日本初の孤児院を設立した石井十次と孫三郎は生涯無二の親友となります。そして石井十次の影響で聖書を読み始めた孫三郎は自分の罪深さを神の前に悔い改め、自分の罪のためにキリストが十字架にかかられたことを信じ、洗礼を受け、クリスチャンになります。そして孫三郎は石井十次が行う孤児院の働きを力強く支援し始めるのです。

 明治39年、感染病で社員数名を死亡させた責任をとった父の後、孫三郎は倉敷紡績の社長となります。そして就任と同時に工員の労働環境の改善を図ったのです。すでに工員の教育を支援し、学びたくても資金がない地元の子弟のために大原奨学会をも開設した孫三郎は、居住環境も医療も託児までも備え、弱い存在を心から大切にしたのです。また会社の利益のほとんどを日露戦争などで増えた孤児を救うために使い、孤児院を支援しました。利益主義の重役や株主はこれらの改革に大反対しますが、孫三郎はこう答えたのです。「わしの眼は十年先が見える。」と。そしてこの言葉で押し切り、キリストにある愛のわざ、小さな存在を慈しむわざを断行したのです。

 聖書のことば
 『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』 (マタイの福音書25章40節) 


  (PBA制作「世の光」 2020.3.23放送でのお話より ) 
 
*** 

このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。。。携帯からもこのURLでどうぞ。 

*** 

東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

***  

 

 


■「契約」って何? / 羽鳥頼和

2020年05月16日 | Weblog

2020/3/21放送
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

  聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれています。この旧約、新約の「約」とは契約のことです。 契約とは何なのでしょう。今日は旧約聖書のマラキ書の2章から神の教えられた契約についてお話しします。

  マラキ書の2章で、神は指導者である祭司たちを厳しく叱責しています。 
 「あなた方はわたしの教えた律法を正しく民に教えなければならないのに、それを怠った。まずあなたがた自身が神の教えを守らず、民に教える時も人々が喜ぶようにわたしの厳しい教えを差し引いて教えている。」 こうして神は、「祭司たちを罰する」と厳しく警告します。

  神の教えとは律法のことです。神は民に、するべきこととしてはならないことを律法として教えられました。そして神は人との契約を提案しました。その内容は簡単に言うと、民が神の教えを守り行うなら神は民を幸せにする。しかし民が神の教えを守りを行わないなら神は民を罰する、というものでした。
  なぜ神は律法を与えてそれを守らせようとしたのでしょう。 なぜこんなに厳しく堅苦しいことをするのだろう、と思ってしまいます。 神は人と契約を結んだ理由を教えておられます。 
 「わたしの、彼との契約は、いのちと平安であった。 わたしはそのいのちと平安を彼に与えた。」(参照 2章5節) さらに神は言われました。
 「彼はわたしを恐れ、彼には不正がなかった。」(参照 2章5節、6節)

 神との契約は人を恐れさせます。神を恐れるのでその人は不正を行わずに正しい者になろうとするのです。

 さらに神は言われました。
 「平和と公正さのうちに、彼はわたしと共に歩む。」

 神との契約を結ぶことが神との素晴らしい関係を築くこととなるのです。神は今もイエス・キリストを信じる者と契約を結ぶことを望んでおられます。あなたもいのちと平安、神と共に歩む人生を過ごしませんか? 

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2020.3.21放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

*** 


■いつなのか誰も知らない / 関根弘興

2020年05月15日 | Weblog

2020/3/20放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちは誰もが三つの終末の中に生きています。それは世界の終末、自分のいのちの終末、自分以外の人々のいのちの終末です。この三つの終末の中に生きている訳ですねえ。

 イエス様が弟子たちに、この世界の終わりに現れるさまざまな前兆についてお語りになりました。そういう話を聞くと私たちは、それじゃあ世の終わりはいつ来るのだろう、はっきり知りたいなあ、とこう思うわけですねえ。ところがイエス様はこうおっしゃいました。
 「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイの福音書24章36節)
 このように言われたのです。神の御子であるイエス様でさえ明確な日付を知らないというのですねえ。ただここで、「子も知らない」ということばは、イエス様が無知であるということを意味してるんではないんです。ここで記されている「知る」ということばは、知識という意味の丘他に関心とか興味という意味もあります。つまりイエス様が「子も知らない」と言われたのは、「わたしはこの世の終わりがいつなのかについて知ろうと思わないし、興味もないし、教える気もない」という意味が含まれているのです。

  使徒の働きの1章というところを読むと、弟子たちが復活されたイエス様にこう質問しました。
 「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(使徒の働き 1章6節 新改訳第三版)
 これは「世の終わりに神の国を完成してくださるのはいつですか?」というな意味の質問でした。
 するとイエス様は「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」(使徒の働き 1章7節 新改訳第三版)と言われたのです。 弟子たちは、その日その時を知りたかったんですが、イエス様は、それはあなた方が知らなくてもいい、と言われたんですねえ。

 ですからイエス様が私たちに教えようと思われないことを私たちが勝手に詮索することは終末に生きる私たちの姿としてはふさわしいものではありません。ですからキリストが何月何日に来るとかですねえ、世の終わりは何年何月何日に来るのだとか、私こそキリストの再来だ、というような者が現れたら、この人たちのことばはイエス様の心を全く無視しているものだと考えたらいいのです。100%即座に拒否したらいいんですねえ。

 イエス様は信じる一人ひとりと共にいてくださいます。私たちは世の終わりがいつなのか知る必要がありません。なぜなら共にいてくださるイエス様と歩んでいくことができるからです。

      (PBA制作「世の光」2020.3.20放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


■ルカの福音書 12 -ザカリア / 大嶋重徳

2020年05月14日 | Weblog

2020/3/19放送
  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ルカ福音書を順番に読んでいます。今日の箇所にはエルサレムの神殿で働く祭司ザカリヤという人が出てきます。ザカリヤは神殿儀式をしている真っ最中に天使ガブリエルが現れました。ザカリヤは祭壇で香を焚く手順を止められました。しかし祭司にとって一番大切なことは、本来神がなさろうとしていることに敏感であることです。ガブリエルは、あなたたち夫婦に子どもが与えられる、ということを告げました。

 私たちの生活にも急な変更を強いられることがあります。自分の願いどおりにいかない事があるでしょう。自分には自分がやってきたやり方があり、それに自分は慣れている。この通りにやっているならば自分は安心する。自分の生活は誰にも邪魔されたくない。これをやっていると間違いはない。しかし神様の御心がそうなのかというと、自己吟味がいつも大切です。私たちの日常が神様の介入を拒みたい生活になっていないか、と吟味しないといけないのです。むしろ神様に喜んで介入される余地を持っているだろうか。それを問う必要があります。

 ザカリヤは答えます。「私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」(1章18節) 神様はかつて若い頃に祈ったザカリヤの願いを覚えておられ、今その祈りに応えようとしておられる。しかしそのことが信じられない、受け留められないザカリヤがいました。・・・もう結構です。もう自分のペースがあります。・・・ ザカリヤは恐れの中にありながらも自分の思いを雄弁に語り始めます。「私はもう年寄りですし、もう長い間こうやってきたんです。今更、妻の妊娠をエリザベツに言う、私にとっては厳しいことです。私には長年築き上げてきた生活がありますから。」

 私たちにも、かつては祈っていた祈りがあります。けれども今は自分の生活のペースがある。かっての祈りに神様が答えようとされても、自分のペースに神様が合わせてくれないと怒る、苛立ちを持つ、私の都合のよい時にこそ祈りは答えてくれると良いのにと思う。そのとき、私たちは神様に雄弁に話し始めるのです。「私たちの今の生活を荒らさないで下さい。」 祈りに答えてくださる神様に感謝するよりも、自分の穏やかな生活を大切にしている。しかし神様は今日はあなたの祈りに答えて、神様の導く信仰の冒険へと踏み出すようにと招いておられるのです。私たちは私たちの置かれている生活の中で神様の働かれる場所を作っていかなければなりません。

    ( PBA制作「世の光」2020.3.19放送でのお話しより )

******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。