♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書44 / 大嶋重徳

2021年06月30日 | Weblog

2021.1.13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 12歳のイエス様がエルサレムの神殿に行く記事がルカ2章の後半に記されています。 このエルサレム巡礼の時に事件が起こりました。

 祭りの期間が終わり、帰る時になりました。ガリラヤからエルサレムの道中には強盗に襲われる危険な場所があったために、女性と子供は前のほうの集団、男性は後ろの方の集団に位置しました。12歳の少年のイエスさまは年齢的に、女性と子供が居る前の方でも後ろの男性の方でもありえたわけです。父親ヨセフは前の方で母親とイエスが一緒に居るだろう。母は母で、父親と一緒に居るでしょう、と考えた可能性があります。 しかし、夜になって家族が一緒になった時に、息子イエスがいない事に気付いたのです。

 数万人に渡る大変な混雑です。「家の子、見ませんでしたか?」 子どもを見失しなう親にとって、どれだけの不安と緊張感だったでしょうか。 

 私も大阪の水族館で息子の姿が見えなくなった時に、全身の血の気がスーッと降りていくのを今でも覚えています。

 夫婦は一日をかけて歩いた道のりを戻り始め、三日間を掛けて、もう一度エルサレムまで探し続けました。 そして両親がイエスを見つけたのが神殿でした。神殿の境内でイエス様は教師たちに話を聞いて質問をされていた、とあります。当時、律法学者は安息日や祭日には神殿の中庭や廊下で人々の質問に答える習慣がありました。イエス様はそれに従って質問をしておられたわけです。

 12歳の少年イエス様は一所懸命に聖書を学ばれたのです。教わることに夢中になっていたのです。やがて30歳になって聖書・神のことを述べ伝える人生を歩み始められたイエス様は、やがて律法学者たちと激しい論争をし、激しい批判をされました。しかし、聖書そのものを律法の専門家や先生から学ぶことをイエス様は軽んじられたりしなかったのです。むしろ、律法学者からきちんと教えを請い、分からないことは質問をし、学ぶことを大切にされていたのです。

 聖書は子どもの頃のイエス様の子育てについては何も記しません。ただイエス様自身も聖書を学ぼうとされたことを明らかにします。つまり、神と人とに愛される子育てとは、聖書のことばを子どもたちに教えていく必要があるのです。

 私たちも子どもたちに聖書を教え、子どもたちが聖書に親しんで行き、聖書を学ぶことを喜びとして行く、そんな大切さを伝えていきたいと思います。 

     ( PBA制作「世の光」2021.1.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■ルカの福音書43 / 大嶋重徳

2021年06月29日 | Weblog

2021.1.12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 ルカ2章のところでは12歳のイエス様が出てきます。聖書にはイエス様の成長について、「神と人とに愛された」と記されています。ここに私たちが子どもたちを育てていく鍵があるのです。

 では神と人に愛される子育てとはいかなることなのでしょうか? ユダヤ人はすべて、「過ぎ越しの祭り」という大きな祭りの時にエルサレム神殿に詣でることが求められました。当時のエルサレムの人口が5万人ぐらいだったと言われますが、過ぎ越しの祭りの時には10万人以上の人が詰めかけて、大変な混雑になる時期でした。このイスラエルの習慣に従ってイエス様の父親ヨセフも毎年エルサレムに出掛けてきました。神殿に詣でることは女性は義務ではありませんでしたが、この夫婦の信仰の現れるところであったのでしょう、マリヤも一緒に出かけていたのです。

 イスラエルは13歳で成人とされました。13歳になると律法の子と呼ばれ、神の前で神のことばに従って生きて行く時とみなされました。そして13歳からは毎年父親と一緒にエルサレム神殿巡礼をし、父親と一緒に神殿の庭に入ることが許されました。そして、実際には12歳で律法を守る予行演習が始まったのです。

 この夫婦はエルサレム巡礼を来年の13歳になるまでいいよと考えず、信仰をもって生きる人生を息子に早く歩んでほしいと願う両親の熱い思いが現れているのです。

 私たちも子どもたちに対する姿勢として、それまで子どもとして扱ってきたけれども、大人への変化を持つことは大切です。私たちは我が子が可愛いばかりに子ども扱いしてしまうことがあるでしょう。しかし、子どもを一人の大人として、神様の前に押し出して行く。そして問われるのは、どのように神と人に愛された子育てをしてきたか、ということが問われるのです。

 一方で、13歳になるまでは、その子供の信仰は親の守りの中で育つということです。ユダヤ人会堂でもまた子どもたちは両親の間に座って、両親がその子どもが13歳を迎える時に至るまで、その信仰をきちんと育んでいくことの責任を両親には求められたのです。 

 私たちは子どもの成長を自分の手の中におかず、大人として神様の前へと背中を押して行く、そんな子育てもまた神様から教わっていくことを大切にして行きたいと思います。 
    ( PBA制作「世の光」2021.1.12放送でのお話しより )


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■ルカの福音書42 / 大嶋重徳

2021年06月28日 | Weblog

2021.1.11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 今日のところでは十二歳のイエス様が出てきます。イエス様の子ども時代について、聖書がほとんど言及していないことはありがたいなと思います。もし聖書で詳細にイエス様の子ども時代の事が書かれていたら、私たちの子育ては大変なことになっていたでしょう。 子どもたちもイエス様のようにしなさいと言われて、たまったものではないでしょう。自分が父親のヨセフであったならば、神の子の子育てに悩んだことだろうと思います。どこの育児の本にも「神の子の育て方」というのは書いていません。しかもヨセフとマリヤにとって初めての子どもです。

 しかし、聖書には子どものイエス様が「成長し、強くなり」とあります。このことばは筋肉がもりもりついていったという意味で、また「知恵に満ちていった」とありますが、最初から知恵に満ちていたわけではなく。 成長とともに知識もしっかりと身に付けていったという意味です。

 子どものイエス様は子どもっぽさなど何もない大人びた子どもではなかったのです。もしかすると、母親のマリヤも、初めての子育てに感情的に怒ってしまうこともあったかもしれません。やがて生まれてくるイエス様の弟妹たちと比べて、長男に対して厳しくなってしまうこともあったでしょう。イエス様に嫌いな食べ物があったかどうかということについて聖書に書かれていませんので、想像の翼を広げてよいか迷うところです。罪を犯すことはなかったとしても、身体の成長が伴うまでの未熟さや知恵が満ちるまでの弱さがあったに違いありません。しかしそういうことを含めて、神様の恵みがこの家族を守っていたのです。そしてこのことは、私達の家族や子育てにおいても神の恵みがその上にあるという神様への信頼を親として持って行くことが許されているのです。

 あるクリスチャンのご家庭で、その家の子どもが非常に荒れたことがありました。学校には行かない。せっかく進んだ高校も中退をしてしまう。教会の礼拝にも来なくなった。その時に、夫婦で本当に心配したし苦しまれました。しかしそこで、自分たちは祈ってこの子を育ててきたじゃないか。今問われているのは自分たちが祈って育てたところに立つことだ。祈ってきた祈りに応えてくださる神様への信仰が問われているんだよ。そうやって夫婦で話したそうです。つまりこの瞬間も神の恵みがその上にある。そのただ中にあることを信じて子どもの成長を見続けていく信仰が私たちに問われているのです。

    ( PBA制作「世の光」2021.1.11放送でのお話しより )

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■パウロの弁明4 / 板倉邦雄

2021年06月26日 | Weblog

2021/1/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「パウロの弁明 その4」と題してお話ししましょう。今日のパウロの弁明は、なぜ私が異邦人・外国人の伝道者になったか、を語ります。使徒地の働き22章の続きです。

 「さて、それから私はダマスコの町からエルサレムの都へ帰ってきました。ある日、神殿で祈りを捧げているうちに夢うつつになり、再び復活の主イエス様と見(まみ)えました。そのとき、主イエスは私にこう言われたのです。『急いでエルサレムを出て行きなさい。復活されたわたしイエスについての証を人々が受け入れないからです。』そこで私は主に言いました。『私が至る所の街道で、あなたを信じる人々を獄中に投じたり、鞭で打ったりしていたことを彼らが知っています。またあなたの証人ステパノの血が流された時も私が責任者として立ち会っていて、ステパノの殺害に賛成し、ステパノを殺す石投げの刑の際、殺した人たちの上着の番をしていたのです。』 それでも主イエスは私に言われたのです。『行きなさい。わたしがあなたを遠く異邦の民へ遣わすのだ。』」

 パウロはキリスト教に回心しました。キリストの名を信じ、告白して洗礼・バプテスマを受けました。これからキリストの証人として立っていきます。パウロは自分はユダヤ人たちに対してキリストの証人になろうと思っていた事でしょう。自分こそユダヤ人の同胞に対して主イエスの証人となるべきだと確信していたのかもしれません。

 その理由は二つです。一つは、主イエスを信じる信徒たちを獄中に入れたり鞭で打ったり改宗を迫ったりして苦しめたこと。第二に、キリスト教会の執事ステパノの石打ちの刑に賛成し、しかも死刑執行の責任者となったことをエルサレムのユダヤ人は皆知っていたからです。

 しかし主イエスはパウロをユダヤ人への伝道師ではなく異邦人・外国人への伝道師に遣わされました。理由はユダヤ人たちは今は主イエスの証しを受け入れないからでした。それにもう一つの理由は、パウロはすべてのために主イエスの十字架と復活を伝える器として神に選ばれたからです。 


  (PBA制作「世の光」2021.1.9放送でのお話より )


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■パウロの弁明3 / 板倉邦雄

2021年06月25日 | Weblog

2021/1/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。パウロの弁明の三回目となりました。今日の弁明の主題は、私はどうしてキリスト教の伝道者になったのか、です。使徒の働き22章です。

 パウロの弁明は続きました。
 「皆さん、私は光の輝きで目が眩み、何も見えなくなっていたので、連れの仲間に手を引かれながらダマスコに行きました。 そこへアナニヤという人が来てくださいました。そして『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と祈ってくれたのです。するとその瞬間に目から鱗が落ちて私の目が開いて、アナニヤの姿が見えるようになったのです。アナニヤが言いました。『私たちの先祖が信じる神があなたを選んで、御旨を知らせようとされたのです。すぐ立ってイエスの御名を唱え、信じてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落としなさい。』 

 パウロが伝道者になったのは、自分の思い以前に、自分が信じて従ってきた主なる神さまの選びが先行していたのです。キリスト信徒を迫害し苦しめていたことは、その先祖の信じてきた神様に向かってつばきを吐きかけていたことが分かりました。そんな自分を選んで、これからはイエス・キリストの証人としてくださったのです。

 また、こんな迫害者である自分のためにアナニヤというキリスト信徒が勇気を持って自分を訪ねてきてくれたことを語ります。そればかりか、失明した目のために真剣に彼は祈って神の御心を示してくださいました。それだけではなく、今までの罪の赦しを受けるためにキリストの名によってバプテスマ・洗礼まで授けてくれました。

 パウロがキリスト教の伝道者になったのは自分の思いではなく、主なる神さまの選びによること、第二にイエス・キリストの十字架と復活によって贖いによる信仰による罪の赦しと、主なる神さまとの平和を持ったこと、そして第三にアナニヤというキリスト信徒の真剣な執り成しの祈りがあったからです。

 キリストのことばです。
 「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」
    ヨハネの福音書15章16節


  (PBA制作「世の光」2021.1.7放送でのお話より )


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■パウロの弁明2 / 板倉邦雄

2021年06月24日 | Weblog

2021/1/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。 昨日からパウロの弁明をお話ししています。今日はその二回目になります。使徒の働き22章です。

 「皆さん、私が部下たちと共に旅を続けてシリアの国ダマスコの近くに来た時です。 真っ昼間なのに突然強い光が天から私をめぐり照らしました。馬は驚き、私は落馬して地面に倒れてしまいました。その時でした。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いたのです。」

 サウロとはパウロと改名する前の名前でしたねえ。

 「この呼びかけに私はとっさに答えました。『主よ、あなたはどなたですか?』 するとその声の持ち主から、『わたしはあなたが迫害しているナザレ人イエスである』という答えが返ってきたのです。」

 パウロは強い光に照らされ、一時目が見えなくなったようですね。真っ暗闇の中で自分を呼ぶ声を聞きました。それは今まで自分が信じて従ってきた主・ヤーウェという名の神の声だったのです。ですから思わず「主よ、あなたはどなたですか?」と質問しました。この時、その主がナザレ人イエスと一致したのです。

 十字架で死んだナザレ出身のイエスが三日目に死人から蘇ったなどと言いふらすキリスト信徒を許せない、まことの神が唯一である、と固く信じてきたパウロでした。ところが今、復活の主なる神イエスに出会ったのです。しかも、もう一つのことは、この復活された主であるイエスがパウロの迫害をキリスト信徒と一緒に受けていてくださったということでした。パウロの罪咎をイエスは十字架の死を通して受けとめていてくださったのです。そのことをパウロは今、理解できました。

 パウロは後日こう言いました。「私がまだ弱かった頃、キリストは時至って不信心な者、私のためにも死んでくださったのです。」

 弁明は続きます。
 「そこで私は思わず『主よ、私は何をしたらよいのでしょうか?』と尋ねました。すると主イエスは言われたのです。『起き上がってダマスコの町へ行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてあることがすべてそこで告げられるであろう。』 

 つづく。

  (PBA制作「世の光」2021.1.7放送でのお話より )


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■パウロの弁明 その1 / 板倉邦雄

2021年06月23日 | Weblog

2021/1/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「パウロの弁明 その1」ということでお話ししましょう。

 弁明とは自分の身の潔白を語り、明らかにすることです。パウロは今、エルサレムの都で騒ぎを起こしたという責任で、ローマの千人隊長によって兵営へ連行されて行く途中でしたね。その途中で千人隊長の許しを得てパブロは弁明します。使徒の働き22章に入ります。

 「ユダヤ人の兄弟たちよ、今申し上げる私の弁明を聞いていただきたい。」
 パウロがヘブル語で話しだしたので人々はますます静かになっていきました。
 「私はキリキヤ地方のタルソの町で生まれたユダヤ人です。生まれはタルソの町ですが、このエルサレムの町で育てられ、パリサイ派の律法学者ガマリエルの膝元で先祖伝来の神の律法について厳しい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者でした。」

 弁明の第一は、自分の生まれと育ち、そして自分の宗教的な背景を語りました。特に自分がパリサイ派という厳格なモーセの律法を重んじ、神への熱心な信徒であることを語ります。

 パウロはことばを続けます。
 「そして当然のようにこの道・キリスト信徒を迫害しました。男であれ女であれ、縛り上げて縛り上げて獄に投じ、彼らキリスト信徒たちを死に至らしめるました。 このことは神殿の大祭司、民の長老たち一同も証明するところです。さらに私はダマスコへ逃亡したキリスト信徒たちを縛り上げエルサレムに連行して処罰するため、部下を引き連れてダマスコへ出かけて行ったのです。」

 第二にパウロの弁明の強調点は、自分がどれだけこの道すなわちキリストを信じる信徒に対する迫害や反対をし、改宗させることに熱心であったか、その熱心はエルサレムにとどまることなく隣の国へ逃亡した信徒たちにも及ぶものであったという点でしたね。それほどキリスト教とキリスト信徒を迫害し、反対していたパウロがこの道に改宗し、キリスト信徒になったのです。そして今やユダヤ人たちに対して弁明するまでになりました。

 その理由は明日お話しますので、お楽しみにしてください。

  (PBA制作「世の光」2021.1.6放送でのお話より )


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■かつがれた男 / 板倉邦雄

2021年06月22日 | Weblog

2021/1/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「かつがれた男」という題でお話ししましょう。

 スポーツで優勝した監督や選手を胴上げするのを見たことがありますが、人々に担がれる人はあまり見たことがありません。 使徒の働き21章の続きです。

 さてパウロは、エルサレム市内で騒動を起こした責任でローマの千人隊長に捕らえられ、二重の鎖で縛られ、ローマの兵営へ連行されることになりましたね。でも騒動の張本人はパウロではなく、パウロを面白く思っていないユダヤ人たちでした。

 ところがパウロを兵営まで連行途中で困ったことが起こりました。エルサレムの市内の道は狭い上に階段も多かったようです。連行中にパウロが階段で群衆の暴行を受けることを避けるため、兵士たちにパウロを担がせていくという始末でした。大勢の民衆が「あの男をやっつけてしまえ」と叫びながら付いてきたからです。

 パウロが兵営の中に連れて行かれる途中でした、ローマの千人隊長に「一言あなたにお話ししてよろしいですか?」とギリシャ語で尋ねました。千人隊長はびっくりして、「お前はギリシャ語を話せるのか? では、もしかお前は先ごろ反乱を起こした後、4千人の刺客を引き連れて荒野に逃げていったあのエジプト人ではないのか。」 パウロは答えました。「いいえ、違います。私はタルソ生まれのユダヤ人で、キリキヤ地方のれっきとした都市のローマ市民です。お願いです、民衆に話をさせてください。」

 ローマの宣伝隊長は二度びっくりしたことでしょう。一度はパウルがギリシャ語を話したことです。そして二度目は、この男がきりキリキヤ地方の都市タルソのローマ市民権を持っていることでした。ローマ市民権を持っている人を罪状も決まらないのに不当な扱いをしてはならなかったからです。千人隊長はパウロに民衆に話すことを許しました。

 さて、ここで注目すべきはローマの千人隊長が騒動の引き金となったパウロを人々から暴行を受けないように兵士たちにパウロを担がせたこと、そして話す機会まで与えたことです。権力を持つ人が面倒なことに時間を費やすことや人権を配慮することなどあまり考えられないからです。 

  (PBA制作「世の光」2021.1.5放送でのお話より )


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■暴動と騒乱 / 板倉邦雄

2021年06月21日 | Weblog

2021/1/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。使徒の働き21章の続きです。「暴動と騒乱」という題でお話ししましょう。

 パウロはユダヤ人信徒に、自分がモーセの律法に忠実であることを証明するために、請願を立てている四人の兄弟たちと共に神殿に入り、七日間の清めの期間が終わろうとしていた時です。 

 春の収穫祭ペンテコステのために小アジアのエペソの都からエルサレムに来ていた巡礼者のユダヤ人たちがいました。彼らは神殿の境内でパウロと四人の人を見かけました。すると周りにいる巡礼者たちを扇動し始めたのです。そしてパウロに手をかけ叫びました。
 「イスラエルの人たちよ、私たちに手を貸して加勢に来てくれ。この人は至るところで ユダヤの民族とモーセの律法とこの神殿に背くことを平気で教えているのです。その上、異邦人のギリシャ人を神殿の境内の内に連れ込んで、この神聖な場所を穢(けが)しているのです。」

 彼らは数日前、エペソ人トロピモがパウロと一緒に街を歩いているのを見かけ、その人をパウロが神殿の中に連れ込んだと思ったのです。この一つの騒ぎがきっかけで小さなエルサレムの市全体が騒乱状態になってゆきました。

 人々はパウロを捕らえ、神殿の外へ引きずり出し、殺害しようとしたのです。神殿の門が閉ざされました。エルサレム市全体は暴動になる一歩手前です。

 この情報がローマ守備隊の千人隊長に届きました。千人隊長は百人隊長と兵士たちを率いてその現場に駆けつけました。人々は千人隊長と兵士たちを見ると、パウロを鞭で打ち叩くのをやめました。千人隊長はパウロを捕らえ、二重の鎖で縛るように命じた上で、パウロは何者で何をしたのかを尋ねました。

 しかし群衆はそれぞれ勝手な事を言うので騒がしくて確かなことがわかりませんでした。そこで千人隊長はパウロを兵営に連行することにしたのです。

 この社会での騒乱とか暴動とはこのようなものです。

 聖書のことばです。
 
 「神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。」
          コリント人への第一の手紙14章33節。 


  (PBA制作「世の光」2021.1.4放送でのお話より )


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■博士たちのクリスマス / 山本陽一郎

2021年06月19日 | Weblog

2020/12/26放送

 メリー・クリスマス。世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。 
 先週からクリスマス・スペシャルをお送りしてきました。

 昨日はイエス・キリストがお生まれになったことを記念する日クリスマスでしたね。クリスマスツリーの一番上に飾られる星、あれはベツレヘムの星と呼ばれます。理由をご存知ですか? 

 今から2000年以上前、救い主イエスがベツレヘムでお生まれになった時代、東の方、おそらくペルシャやバビロニアでは星の動きを通して世界の情勢などを見極める学問がありました。その博士たちがはるばるユダヤの地まで旅してきました。なぜなら特別に輝く星があったからです。

 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」( マタイの福音書2:2 )

  博士たちは輝く星に導かれてベツレヘムへ向かい、ついに救い主イエスのいる場所にたどり着いたのです。

 「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」( マタイの福音書2:11 )

 マタイの福音書2章にはこんなふうに書かれています。 ベツレヘムの星に導かれ、イエスに会うために旅してきた博士たち。彼らは幼子のイエスに礼拝を捧げ、自分たちにとって価値あるものを捧げたのでした。

 2020年、コロナ禍の中を私たちは生きてきました。心が挫けそうなこと、希望を失いそうなことが身の回りには数多くあるかもしれません。けれども輝く星を頼りに旅路を進んだ博士たちのように、私たちも光を頼りにこの時代を生きて行く者となりたいのです。 いいえ、そうなれるのです。

 「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」ヨハネの福音書1章5節

 皆さん、この時代にも本当の光は輝いています。クリスマスの季節、あなたも光の元へ行きませんか? そうすれば博士たちの味わった大きな喜びを神はあなたにも必ず与えてくださることでしょう。

    ( PBA制作「世の光」2020.12.26放送でのお話しより )

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