2021.1.13放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
12歳のイエス様がエルサレムの神殿に行く記事がルカ2章の後半に記されています。 このエルサレム巡礼の時に事件が起こりました。
祭りの期間が終わり、帰る時になりました。ガリラヤからエルサレムの道中には強盗に襲われる危険な場所があったために、女性と子供は前のほうの集団、男性は後ろの方の集団に位置しました。12歳の少年のイエスさまは年齢的に、女性と子供が居る前の方でも後ろの男性の方でもありえたわけです。父親ヨセフは前の方で母親とイエスが一緒に居るだろう。母は母で、父親と一緒に居るでしょう、と考えた可能性があります。 しかし、夜になって家族が一緒になった時に、息子イエスがいない事に気付いたのです。
数万人に渡る大変な混雑です。「家の子、見ませんでしたか?」 子どもを見失しなう親にとって、どれだけの不安と緊張感だったでしょうか。
私も大阪の水族館で息子の姿が見えなくなった時に、全身の血の気がスーッと降りていくのを今でも覚えています。
夫婦は一日をかけて歩いた道のりを戻り始め、三日間を掛けて、もう一度エルサレムまで探し続けました。 そして両親がイエスを見つけたのが神殿でした。神殿の境内でイエス様は教師たちに話を聞いて質問をされていた、とあります。当時、律法学者は安息日や祭日には神殿の中庭や廊下で人々の質問に答える習慣がありました。イエス様はそれに従って質問をしておられたわけです。
12歳の少年イエス様は一所懸命に聖書を学ばれたのです。教わることに夢中になっていたのです。やがて30歳になって聖書・神のことを述べ伝える人生を歩み始められたイエス様は、やがて律法学者たちと激しい論争をし、激しい批判をされました。しかし、聖書そのものを律法の専門家や先生から学ぶことをイエス様は軽んじられたりしなかったのです。むしろ、律法学者からきちんと教えを請い、分からないことは質問をし、学ぶことを大切にされていたのです。
聖書は子どもの頃のイエス様の子育てについては何も記しません。ただイエス様自身も聖書を学ぼうとされたことを明らかにします。つまり、神と人とに愛される子育てとは、聖書のことばを子どもたちに教えていく必要があるのです。
私たちも子どもたちに聖書を教え、子どもたちが聖書に親しんで行き、聖書を学ぶことを喜びとして行く、そんな大切さを伝えていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2021.1.13放送でのお話しより )
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