♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■イスラエルを救い続ける神 / 羽鳥頼和

2016年12月31日 | Weblog
2016/12/31放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は2016年最後の日です。皆さんは今日どのように過ごされるでしょうか。また今年は皆さんにとってどのような一年だったでしょうか。今日は、旧約聖書の詩篇106篇からお話しします。

 詩篇106篇はイスラエルの歴史を振り返っています。それは単なるイスラエルという民族の歴史の記録ではありません。神がイスラエルにどんな事をされ、イスラエルが神に対してどうしたのかが語られています。この詩篇の作者はイスラエルの歴史を振り返り、その神とイスラエルの歴史をまとめてこのように語っています。
 「(神)は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、(神に)逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主(神)は彼らの苦しみに目を留められた。主(神)は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。」(43~45節)

 神は何度も何度もイスラエルを救い続けました。イスラエルは神を裏切るのですが、それでも憐れみ深い神は、イスラエルが神に救いを求めると、イスラエルとの救いの約束を思い出し、彼らを救ってくださったのです。作者はこのことを覚えて、神に救いを求めます。この頃、イスラエルの国は外国に滅ぼされ、人々は外国に散り散りバラバラになっていたのです。
 「私たちの神、主よ。私たちをお救いください。捕え移された国々から私たちを集めてください。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために。」(47節参照) 
 そのように祈ったすぐ後に、作者は今まで通り、神が必ずイスラエルの民を救ってくださると確信して神を誉めたたえます。
 「ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。すべての民が、『アーメン。』と言え。ハレルヤ。」(48節)

 今も神は人のために働いていてくださっています。人を守り、人に回復を与え、平和を備えてくださっています。今年一年を振り返り、神の守りと恵みに感謝しましょう。来年も皆さんに主の守りと主の恵みが豊かにありますように。

 明日は2017年最初の日であり、最初の日曜日です。神を礼拝して新しい一年を始めましょう。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 


 (PBA制作「世の光」 2016.12.31放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■しばらくの苦しみの後でこそ、成長が / 岩井基雄

2016年12月30日 | Weblog
2016/12/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 今年一年を振り返る時を迎えています。皆さんにとってこの一年はどうだったでしょうか。苦しみや悲しみが全くなかったという方はいらしゃないかもしれませんね。

 私たちはこの地上では苦難や痛み、悲しみを避けることができません。しかし神様がその痛みの中でこそ私たちを育ててくださいます。これから読むペテロの手紙は、ローマ皇帝ネロによるキリスト者への迫害の時代に書かれました。当時、永遠に続くかのように思えた迫害を、ペテロは「しばらくの苦しみ」と表現し、その中に恵みがある、と語ったのです。
 聖書はこう記しています。
 「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
    新約聖書 ペテロ第一の手紙5章10節

 どんな苦労や悲しみにも必ず終わりがあります。無意味のように思える苦難でも、神様はそれを通してあなたに成長と力を与えてくださいます。風雨に曝されてこそ岸壁に立つ松が深く根を張っていくように、苦難の嵐の中で私たちは成長し、人生の根を神様の愛の中に深く降ろしてことができるのです。

 また、神様が与えられる忍耐を通して私たちは欠けた所のない、揺ぎない者へと整えられていく、と聖書は語っています。
 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
   新約聖書 ヤコブの手紙1章2節から4節

 苦難に出会うことは避けられませんが、それを自分の成長のためと理解し、忍耐と信仰を働かせていくことはできるのです。新しい年もどのようなことが待ってるか分りませんね。しかしどんな中にも共にいてくださる神様に信頼し、その愛と恵みに生かされ続けて行きたいと思います。神様はあなたを愛し、どんな中にあっても豊かな祝福を与えてくださるからです。

  (PBA制作「世の光」2016.12.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■何を求めているのか / 福井 誠

2016年12月29日 | Weblog
2016/12/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「何を求めているのか」です。それではヨハネの福音書1章38、39節から読んでみましょう。

 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。
 「あなたがたは何を求めているのですか。」
 彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
 イエスは彼らに言われた。
 「来なさい。そうすればわかります。」
 そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。


 イエス様は30歳になって公の選挙活動を始められました。その最初に、イエスに弟子入りしようとしたのがヨハネとアンデレという人たちでした。彼らはイエスを見かけるとイエスの後をついて行きました。イエスは彼らを振り向いて、「あなたがたは何を求めているんですか?」と声をかけられています。

 簡単ですが、とても重要な問いかけですねえ。一体イエスについて行って何を求めようとしているのか。クリスマスの日に教会を訪れた方々も多いと思いますね。教会へ出かけて皆さんはそこて何を求めていたでしょうか。何か暖かい雰囲気、・・・確かに教会にはそういう雰囲気もあることでしょうねえ。あるいは何か良い出会い、・・・・確かに思いがけない仕事上の利益を生み出すような出会いもあったかもしれませんね。しかし教会へ出かけてそこで求められることは、あるいは得られることは、キリストにあるいのち、人生に変革を与える新しいいのちです。

 今年も古い年が過ぎ去ろうとしています。私は毎年年末には少し時間を取って新しい年の計画を立てるようにしています。あれこれ数年先を考えながら、今年はここまで物事を進めようかなあ、などと考えます。おそらく皆さんも同じでしょう。そしてあらゆる生活や仕事の基本として、体の健康の維持増進にも気を遣い、あれこれ考えるのではないでしょうか。しかし更に大切なのは自分の活動だけではない。身体のことだけではない。一番基礎となる心のありように気遣う事だと思いますね。心の健康を考えて、本当に良いいのちに生きるためにはどうしたら良いかを考えることだと思います。そのためにも、人生を変えるキリストの力強いいのちに触れる聖書のことばを求めて教会へ足を運ぶ年でありたいものですね。

(PBA制作「世の光」2016.12.29放送でのお話より )

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■蟹は甲羅に似せて / 板倉邦雄

2016年12月28日 | Weblog
2016/12/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「蟹は甲羅に似せて」という題でお話ししましょう。

 日本のことわざに、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とあります。私たち人間はみな、身分相応、思慮相応のことをするものだと言うたとえです。

 さて、レビ部族のコラと言う人は、同じレビ族出身のモーセとアロンの兄弟だけが民衆の上に立って指導することに不満でした。そこで同じような不満をもっている仲間を集めてモーセとアロンに、「あなたがたは分を越えている。」と文句を言い、謀反を起こしたのです。そうしたコラの不満と文句に対して、モーセはきっぱりと、「レビ部族であるあなたがたこそ分を越えている。」と言い切りました。なぜ分を超えてしまったのか、その事が今日語られている主題です。

 モーセはレビ部族に対して、神様がいくつかの特権をお与えになったと言っています。モーセは首謀者コラに言いました。レビ部族の子たちに、「イスラエルの神様はあなたがたを会衆の内から分別し、主なる神様に近づかせました。そして神の幕屋の勤めをさせました。更に会衆の前に立って仕えさせられたからです。これらの特権は、あなたがたにとって小さいことであろうか。」(民数記16章8~11節参照)

 レビ部族の特権は三つありました。一つは、会衆の中から選ばれ分別して神に近づく者としてくださったことです。その二は、神の幕屋の勤めをさせていただきました。その三は神と会衆の間に立って神と人とに仕える者としてくださったことです。光栄ある職務なのにコラは不満でした。自分の仕事を評価できなかったのです。それがレビ部族のコラとその仲間たちでした。そのためコラはアロンと同じように大祭司の職務を要求したのでしょう。私たちは十分に与えられた持ち場や職務を評価できなくて不満があります。自分の家族や自分の学校に対してはどうでしょうか。また自分自身の存在を評価できているでしょうか。私はこんなところにいるべきものではない、もっと評価されて当然だ、という不満です。

 聖書のことばです。
 目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
     コリント人への第一の手紙12章21節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2016.12.28放送でのお話より )

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■星に導かれて -4 / 大嶋重徳

2016年12月27日 | Weblog
2016/12/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には、イエス・キリストの誕生の際に、東の方からやって来た博士たちの物語が記されています。
東の方からやってきて博士たちがエルサレムに来て目にしたのは、自分の王位を脅かす存在に怒り狂うヘロデ王とヘロデの顔色を窺ってメシヤ(救い主)誕生の場所に行こうともしない祭司たち、聖書のことばに生きているはずの人たちが空気を読んで生きている、そんな姿だったのです。

 顔色を窺い空気を読む生き方というは私たちの中にもよくあることだと思います。私たちも子どもの時は親の顔色を窺って生きてきた訳です。「今日、お母さん、めっちゃ機嫌悪いなあ。もうそっとしとこ。」 成長すると友達が自分をどう思うか、仕事を始めると上司の顔色、結婚すると夫あるいは姑のそして子どもの機嫌も気になる。

 聖書に生きる民でありながら、聖書のことばがどう言っているか、神様ご自身が今どのように導いておられるか、ということよりも、あの人が私を今どう思っているだろう、自分に影響力のある人がどういう態度を取るのか、周りの人がどう言うのか、どう思うのか、ということが自分の判断基準になっているということがあります。

 神様の御心よりも自分を取り囲む友人たちとの価値感によって、本当に大切にすべき信仰の生き方が見えなくなってしまっているのです。聖書のことばに従って生きることよりも、その場の空気を読むことが一番大切、対決や衝突を恐れ、まだ時じゃないよね、と自分で決める。結局、「自分がこうやっておけばこの場は丸く収まるからそれも愛だよね」と自分に言い聞かせ、人間的な知恵を駆使し、うまく取り繕う。でもそこには自由がありません。喜びがないのです。息が詰まりそうな生き方になっている。そしていつまで経っても、メシヤの誕生に向かうことはしない(祭司たちのよう)、という信仰心があるのではないでしょうか。
 信仰を持つというのはある意味空気の読めない生き方をすることになるのだと思います。空気を読むことよりも大切な価値が人生にはあるのだということを告白することになるのだと思います。

 今年一年が終わるこの一週間、私たちは自分の人生で本当に大切にすべきものが一体何なのかを問い直したいと思います。そして空気を読むことよりも大切なものを選び取ることができるように神様に祈る一時を持ちたいと思います

  ( PBA制作「世の光」2016.12.27放送でのお話しより )

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■感謝のことばを持って / 関根弘興

2016年12月26日 | Weblog
2016/12/26放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 2016年も残すところあとわずかとなりました。あなたはこの一年の中に、神様がどれほど大きな愛を注いでくださったかを御存知ですか? 神様は悪い者であっても良い者であっても太陽を昇らせ雨を降らせてくださる方だと書いてありますから(マタイ 5章45節参照)。こうして私たちが生かされていること自体、神様の大きな恵みの中にあるということなんですねえ。

 でもそんなことはすっかり忘れてしまい、出て来ることばは「当たり前」。すべてが当たり前のように思ってしまうことがあるかもしれません。でも何でも当たり前というふうにしか考えられない人生からは決して生まれないものがあります。それは感謝です。

 感謝を表すことばは何ですか? 「ありがとう」ですね。日本語で「ありがとう」を漢字で書くと、有ることが難しいと書きます。つまり本来なら無くて当たり前なのにそこにあるからこそ、ありがとうなんです。

 聖書の書き出しは、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記 1章1節)と記されています。そうして次にこう書かれています。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」(創世記 1章2節 口語訳聖書) こう書いてあるんですねえ。 この世界の最初というものは空しく闇だったというんです。混沌だった。しかし神の霊がそこを覆っていたというのです。神様は愛なる方です。ですから、神の愛が闇を虚しさを覆っていったと言っても過言ではありません。この世界がこうして生まれたということは神様の愛に覆われたからこそ生み出されたのですねえ。そしてそれは私たち一人ひとりも同じです。あなたはこの世界にありなさい、存在しなさい、と神様の愛があなたを覆い、あなたにいのちを与えてくださったのです。私たちがこうして存在していること自体それは奇跡です。だから一年を閉じる時、確かにいろんなことがあったかもしれません。でも「ありがとう」のことばをもって閉じていきたいと思うんですねえ。あなたの関わりのある一人ひとりに「ありがとう」。そして天地を創造された神様に向かって心を込めて「ありがとう」と語るのです。神様が一人ひとりに望んでいること、それはすべてが当たり前さと考える人生ではなくて、感謝の人生です。辛い現実であったかもしれません。避けたい困難も苦しみもあったことでしょう。でも勇気をもって、「神様、感謝します。」と告白し、この一年を閉じていきませんか?

(PBA制作「世の光」2016.12.26放送でのお話しより)

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■暗闇に光、ここに主あり / 羽鳥頼和

2016年12月24日 | Weblog
2016/12/24放送


 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。
先週からクリスマス・スペシャルをお送りしています。
 まず聖書のみことばをお読みします。
 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
     新約聖書 ヨハネの福音書1章4節、5節

 「この方」とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは闇に輝く光としてこの世に来られました。

 更に続けて、ヨハネの福音書はキリストについてこのように語っています。
 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。・・・この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

 キリストはすばらしい光としてこの世に来られたのに、人々はこの方を受け入れませんでした。

 このキリストの誕生のことを歌っている讃美歌があります。聖歌137番「入れまつる家あらず」はキリストの誕生の様子についてこのように歌っています。
 「入れまつる家あらず 休めまつる宿もあらず
  ただむさき馬小屋を仮の宿となしたもう。
  恐れ多し天地(あめつち)の主におわすイエス君
  人のごと罪の世に生まれたまいぬ」

 神であるキリストが人となってくださったことを恐れ多いことと覚えています。クリスマスは私たちを救うために神が人となって来てくださった日なのです。それは恐れ多いことなのです。

 更に讃美歌(聖歌137番)は歌います。
 「内の戸を今開き 真心より汝(なれ)を迎えん
  入りたまえ 住みたまえ 救い主よ我が主よ」

 神であり救い主であるキリストを自分の心に主として迎えよう、と歌っているのです。

 キリストを心に迎えるとは神の御子キリストを信じることです。光であるキリストがあなたの心に入ってくださるなら、あなたの心は明るくなるのです。あなたも心を開いて、救い主キリストを自分の主として心にお迎えしませんか?

 明日はクリスマスです。キリスト教会ではキリストの誕生を記念してクリスマス礼拝を行います。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2016.12.24放送でのお話より )
 
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■喜びと輝きに招かれる祝福 / 岩井基雄

2016年12月23日 | Weblog
2016/12/23放送

 世の光の時間です。クリスマスおめでとうございます。 岩井基雄です。
 前回は、すべてを創造された神の御子、まことの光であるキリストこそ私たちの心を照らし、愛によって温め、正しい道へと導き、弱い私たちをも育ててくださることを学びました。今日は、喜びと輝きに招かれる祝福を共に考えてみましょう。

 イエスの弟子の一人ヨハネは救い主の誕生を次のように記しました。
 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」           新約聖書 ヨハネの福音書 1章9節から12節

 救い主の誕生はイスラエルの小さな町ベツレヘムの家畜小屋の汚れた飼葉桶でした。救い主は人々の拒絶を受け入れ、小さな貧しい存在として生まれてくださったのです。最初に救い主の誕生を祝ったのは人として数えられなかった貧しい羊飼いたちでした。それはすべての人がこの喜びに招かれるためでした。もしキリストが王宮や病院や宿屋で生まれたら羊飼いたちは決して近づけなかったでしょう。その後、神を知らなかった東方の異邦人博士たちもその誕生の喜びに招かれ、輝きを受け取りました。貧しい人も高貴な人も近くの人も遠い人も、すべての人がこの救い主誕生の喜びと輝きに招かれているのです。

 しかし皆が自分の心の貧しさや心の闇を認める必要があります。それはこの方がすべての人を照らすまことの光だからです。あなたのすべての罪の裁きを身代わりに受け、闇をいのちの光に輝かせるために救い主イエス・キリストはこの地上に来てくださったのです。この救い主をあなたも受け入れ、まことの光の輝きと赦しのいのちを受け取りませんか? あなたも内側から輝く者、神の子どもへと変えられていくのです。

 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を」神はあなたに「お与えに」なるのです(ヨハネ 1章12節参照)。

  (PBA制作「世の光」2016.12.23放送でのお話しより)

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PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■ことばは住まわれた / 福井 誠

2016年12月22日 | Weblog
2016/12/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ことばは住まわれたた」です。それではヨハネの福音書1章14節から読んでみましょう。
 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 イエスが降誕されたクリスマスの日を祝う時となりましたね。今年のクリスマスは教会でぜひ過ごしたいところですが、皆さんの予定はどのようでしょうか。日本中の教会でこの時期は、どんな人でも尋ねやすいようなクリスマス集会が企画されていることと思います。礼拝はクリスチャンが行くものと思わずに、ぜひ気軽に尋ねてくださればと思いますね。

 さてイエス様の弟子ヨハネは、イエス様のことを「ことば」と表現し、その「ことばが人となって私たちの間に住まわれた」と言います。つまりクリスマスにイエス様が降誕された、誕生されたと語っていますね。

 先週はイエス様にいのちがあることを話しました。そのいのちは長い永遠のいのちであり、また人の人生に神の力をもたらし、闇を打ち破りすべてを新しくする良いいのちでもあるとお伝えしました。

 今日の聖書のことばは、そのいのちを宿した神であるお方が、神であるあり方を捨てて実際にこの地上に私たちのそばに来てくださって、私たちと共に住んでくださったというのです。これは驚くべきことを語っていますね。

 確かにイエス様はイスラエルのナザレという貧困の村にマリヤとヨセフの子どもとしてお生まれになりました。そして隣近所の子どもたちと時を過ごして人間関係を学びながら、一緒に成長しました。更に早くして亡くなったとされる父親に代わって家族を支えられました。そして30歳となって公の場に出て、神の栄光の福音を語り始められたのです。

 ヨハネは言いますね。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネ 1章18節)
 イエスがこの地上に降りて来られたのは、神ご自身の栄光とその祝福を告げ知らせるためです。

 ぜひこのクリスマス、教会でイエスがどんな方であったのかに耳を傾けていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2016.12.22放送でのお話より )

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■光は闇の中に輝いている / 板倉邦雄

2016年12月21日 | Weblog
2016/12/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「光は闇の中に輝いている」という題でお話ししましょう。

 「この世は何から何まで真っ暗闇だ」と言った人がいます。なぜなら、正義が通らず悪がまかり通っているからです。すなわちこの世は暗闇の世界だからと言うのです。停電になって真っ暗闇になりますと小さな子どもたちは泣き出します。大人である私たちも不安になったり怖くなったりしますね。昔は停電になりますと蝋燭を灯します。家族はホッとして蝋燭の周りに集まりました。ですから暗闇が怖いのではなくて光が無いために怖くなると言うことが分りますね。

 ヨハネの福音書1章4節から5節にはこう書いてあります。
 「この方 --イエス・キリスト-- にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 イエス・キリストは私たちにとっていのちの光と言われています。しかもこの暗闇の世に輝く光と言われているのです。イエス様ご自身、人々に向かってこう言われました。
 「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」(ヨハネ福音書8章12節 口語訳聖書)

 光と闇でどっちが強いでしょうか。もちろん光ですね。光によって暗闇は消えてゆくのです。イエス・キリストは私たちの光としてこの世に誕生してくださいました。私たちがこの光としてこの世に来てくださったイエス・キリストを心に受け入れ信じるとき、私たちは光の子どもとなって、決して闇の中を歩むことが無いのです。そして光の子らしく歩くことができるのです。

 時々こんな相談を受けます。「心が不安で心配で一杯です。どうしたらいいでしょうか。」 私は逆に質問します。「暗い部屋を明るくするためにはどうしたらいいですか? 電灯を点けたりカーテンをあけたりします。」 そうですねえ、暗闇をほうきで掃き出す人はいませんね。心が暗くなったり沈んだりする時には光を取り入れればいいのです。苦しみや困難というこの世の闇が私たちを覆い尽くしても、私たちの光としてこの世に来てくださったイエス・キリストとこの年のクリスマスにあなたが出会っていただきたいのです。生きる力となるでしょう。

  (PBA制作「世の光」2016.12.21放送でのお話より )

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