♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■十戒 -自由への励まし87- 姦淫してはならない / 大嶋重徳

2019年01月17日 | Weblog
2018/11/29放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒第七戒には「姦淫してはならない。」(出エジプト記20章14節 新改訳2017)とあります。

 しかし「姦淫してはならない。」はただ単に夫婦以外の存在と身体の関係を持ってはいけないという教えだけではありません。むしろ神様の造られた夫婦の愛の中に生きていくことです。具体的に夫婦の身体の関係にまでその愛に生きる喜びは広がっているのです。

 では第7戒の語る姦淫しない社会形成のために、クリスチャンは何をなすべきなのでしょうか。その一つは独身時代をきちんと生きることです。きちんと禁欲的に生きるのです。禁欲ということばは古めかしい響きを持つかもしれません。しかし、創造された人間の造られた使命の一つに、地を従えよ、ということばがあります。肉体もまた従えるべき地の一つなのです。

 独身時代の私は、神様はなぜ独身時代にも性衝動が起きるように創造されたのか、とよく考えました。結婚してから性欲が起動し始めたらどれだけ楽なのだろうかと思ったのです。しかし独身時代に自分の性欲を従わせる修練を積まないまま来た人は、結婚後も同じ過ちを犯してしまいがちになります。男性がよく浮気するときは妻が妊娠している時です。愛する妻が愛するわが子を妊娠している時に自分の性欲をコントロールできずに自分の欲望のままに振る舞ってしまうならば、愛する家族は破綻していくのです。神様は独身時代から愛のゆえに自らの肉体と衝動を積極的にコントロールする力を鍛えようとされています。なぜなら結婚後もこの戦いはそのまま継続するからです。

 これは独身時代の女性にもそのまま言えることです。寂しいからと言って誰かのそばにいたいという感情をコントロールできないのであれば、結婚後、夫からその感情を満たされないとき、他の男性に、更に子どもに、自分の感情をぶつけ、子どもの人生を支配していくようになっていきます。運転が上手い人はアクセルを踏むのがうまい人ではありません。自分がどこまでスピード出せば止まることができないかを知っている人です。更に同乗者も快適に車に乗ることができるように止まることのできる人です。神様は独身時代にその修練を私たちに求め、私たちは妻を夫を愛する力を養うように育てておられます。ここには、してはならないの束縛ではなく、愛するがゆえに敢えてしないという積極的な禁欲の姿があるのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.11.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■恐れてはならない / 福井 誠

2019年01月16日 | Weblog
2018/11/28放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「恐れてはならない」です。申命記3章22節から読んでみましょう。
彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、主であるからだ。

 一昨日から申命記に入っています。民数記はイスラエルの荒野の40年間、二つの世代の間に起こった出来事を書いたものです。そして申命記はかつて出エジプトの時代に教えられたモーセの律法を二代目の人々、新しい世代に繰り返して体系的に教えようとした内容ですね。ですから申命記はモーセの五つの説教集であるとも言われている所です。

 さて民数記にはイスラエルの民が決して神に従順な歩みをしたとは言えない状況が描かれていました。彼らはいつも神が立てた指導者に逆らい、神のことばにも命令にも聞き従わなかった者たちでした。しかしそれでも神はイスラエルを不従順のために荒野に放り出すことをせず、暑い夏も寒い冬も共に居られて荒野の旅を見守り、何一つ欠けることのないようにしてくださったというのです。そしてこの3章では、これまでの困難な戦いの数々を回想しています。彼らは高い城壁と門とかんぬきのある要塞のような町々を幾つも占領しました。つまりそれは彼らの力でなされたことではなくて、神が共にいて神が勝利を与えてくださった出来事であったのです。彼らが倒したバシャンの王オグはその鉄製の寝台が約4メートルに及ぶと記録しているのも、彼らがどのような脅威を乗り越えたかを示すためで、彼らの力によるものではないことを物語っているのです。大事なことはこうした経験が彼らの信仰を養ったことです。つまりこれから先も主は同じようにして私たちのために戦われるし、私たちに勝利を与えられるという確信を彼らは持つようになりました。信仰は経験によって深まり強くされていくものです。信じるという一回切りの行為ではありません。実際に主が戦い勝利を与えられることを生活の中で経験していくことです。ぜひ聖書を読んで神のことばに信頼する。そして信頼の結果として実を結ぶ、そんな歩みを重ねたいものです。

 (PBA制作「世の光」2018.11.28放送でのお話より )

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■人に従うよりは / 板倉邦雄

2019年01月15日 | Weblog
2018/11/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 板倉邦雄です。今日は、人間に従うよりは神に従うべきである、と語った使徒ペテロのことばから、私たち人間が従うべき優先順位について考えたいのです。使徒の働き5章の続きです。

 さて神殿の最高責任者である大祭司がユダヤの最高議会を招集しました。獄中に入れたキリストの使徒たちを引き出して裁判にかけるためでした。ところが獄中には使徒たちの姿はありませんでした。下役人は驚いて議場に報告しました。「牢獄にはしっかりと錠がかけてあり、戸口には番人が立っていました。ところが開けてみたら中には誰もいませんでした。」 この報告を聞いて、一体この責任はどうやって取るのかと。そこへ「大変です。あなたがたが獄に入れた人たちが神殿の庭に立って民衆を教えています。」 そこで神殿の責任者たちは使徒たちを再び連行し、最高議会の中に立たせたのです。すると裁判長である大祭司が問うて言いました。「あのイエスの名を使って教えてはならない、と厳しく命じておいたではないか。それなのにエルサレム中にあなたがたの教えを氾濫させている。やめなさい。あなたがたはあのナザレ人イエスの血の責任を私たちに負わせようと企んでいるのだ。」 これに対してペテロを始め、使徒たちは言いました。「人間に従うよりは神に従うべきである。私たちの先祖の信じた神はあなたがたが木に懸けて殺したイエスをよみがえらせ、イスラエルを悔い改めさせて、罪の赦しを与えるためにこのイエスを導き手とし救い主としてご自身の右に挙げられたのである。私たちはこれらのことの証人です。」

 さて、私たち人間は信じる自由、信じない自由を持っています。しかしある人たちは自分たちの時代のために信じる自由を侵害しようとするのではないでしょうか。そのようなとき私たちは人間に従うよりは信じる自由も信じない自由も与えてくださった神様に従うべきなのです。なぜなら神は悔い改める者に罪の赦しを与え、私たちに人生の導き手・救い主であるイエス様を与えてくださるからです。

  (PBA制作「世の光」2018.11.27放送でのお話より )

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■日本からの最初の宣教師、乗松雅休 /岩井基雄

2019年01月14日 | Weblog
2018/11/26放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。第四週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は日本からの最初の宣教師・乗松雅休(のりまつ・まさやす)について学んでみましょう。

 乗松雅休は文久3年、1863年、伊予松山藩、今の愛媛県松山市の藩士の長男として生まれました。明治13年に上京し、松山藩の学生長屋に入り、その後、神奈川県庁に就職します。この時下宿した家の女性が熱心なキリスト者で、彼女に導かれ教会に行き、乗松は24歳で洗礼を受けました。明治19年の父親の死をきっかけに、なお積極的に神様に向かい、明治20年の秋、乗松は職を捨て、伝道者となるために明治学院に入学しました。学びの途中、プリマス・ブレザレンのハーバード・ブランドに出会ったことがきっかけで、明治学院を中退、開拓伝道をしていたブランドの集会に加わり、日本各地で神様の愛を宣べ伝えたのです。1896年、日清戦争が終わると、乗松は単身で朝鮮に渡ります。これが日本人による海外宣教の第一歩でした。それは二年前、朝鮮にいた仲間の信徒から、ある朝鮮の青年が日本でキリスト教を信じて帰国すると間もなく禁令を犯した角で死刑にされた、と聞いたことがきっかけでした。すでに朝鮮でも1830年代からフランス人宣教師たちによる宣教は始まっていましたが、迫害の連続でした。1880年代に、ようやく開国した朝鮮にプロテスタントの宣教師たちが入ることができるようになり、乗松も自分のできる精一杯を神様に捧げたいと朝鮮に向かったのです。彼はソウルを中心に伝道しました。そしてブランドたちと聖書を翻訳し、朝鮮語の新約聖書のローマ書を出版します。病気のため帰国し、57歳で地上の生涯を終えますが、遺言により遺骨は朝鮮に運ばれます。そして現在も韓国に乗松の記念碑があります。破壊されずに残った唯一の日本人の記念碑だそうです。その記念碑には、生きるも主のため、死ぬのも主のため、と書かれています。乗松はいのちを懸けてキリストの愛を伝えたのです。

 キリストの福音を伝えた宣教者パウロのことば
 「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
             新約聖書 ピリピ人への手紙1章21節 (新改訳2017)

  (PBA制作「世の光」 2018.11.26放送でのお話より )
 
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■パウロが遣わすテトスたちの熱意 / 羽鳥頼和

2019年01月12日 | Weblog
2018/11/24放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日は新約聖書コリント人への手紙第二8章からお話しします。

 この手紙の著者のパウロは、三人の人をコリントの教会の人々に紹介して彼らが教会に行くので歓迎してくれるようにと頼んでいます。三人の内の一人テトスについて聖書から分ることをお話しします。

 テトスはパウロの弟子としてパウロの働きを助けていました。パウロはコリントの教会の混乱を収めるためにコリント人への手紙第一を書きました。そのあと、再びコリントの教会に問題が起こりました。パウロは今度はコリントへ行くことにしました。しかし訪問した結果は失敗に終わってしまいました。コリントを離れたパウロは涙ながらにコリントの教会に手紙を書き、それをテトスに託しました。これは涙の手紙と言われていて、二通のコリントの教会への手紙とは別の手紙のようです。その後パウロはコリントへ行っていたテトスから、教会が自分たちの過ちを悔い改めたことを聞きます。喜んだパウロが書いたのがコリント人への手紙第二です。

 この手紙の中でパウロは再びテトスをコリントの教会に送ろうとしていることを述べています。それはエルサレムの教会の貧しい人々のための献金をコリントの教会の人々から集めるためでした。その献金を集めて届ける任務を託されたのがテトスと二人の兄弟です。パウロはこの三人が共に信仰深く信頼できる人物であると推薦しています。パウロはテトス以外の二人の兄弟の名前を語っていませんが、彼らもパウロと同じ熱意をもっていて、それは神から与えられたものだ、と語っています。

 神は何もない人も用いて素晴らしい働きをしてくださいます。教会は今でも、名もない人々が神によって用いられて素晴らしい働きが行われている所です。

 明日は日曜日です。お近くのキリスト教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.11.24放送でのお話より )
 
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■いのちを与えるために / 関根弘興

2019年01月11日 | Weblog
2018/11/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

  今月は聖書中の聖書と呼ばれている新約聖書ヨハネの福音書3章16節のことばを紹介しています。
 「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 このことばには聖書が伝える素晴らしいメッセージが凝縮されています。それはあなたは神様に愛されているということです。またあなたの罪のためにイエス・キリストは十字架で命を捨ててくださったということです。

 私は高校生の時に教会が主催するキャンプに行きました。そこで牧師が「キリストはあなたのためにいのちを捨ててくださった」と繰り返し語ることばを聞いた時、こう考えたんです。もしそれが本当なら、この方に背を向けていることはとても卑怯な生き方だ、と。そして、私は誰かのためにいのちを差し出すことができるだろうか、と考えた時に、ああ自分にはできない、と思いました。そして、イエス・キリストが私のためにいのちを捨ててくださるほどの愛を示してくださったのならこの方を信頼し生きて行こう、と思ったんです。

 イエス様は十字架で私たちの罪の問題を解決してくださいました。しかしそれだけではありません。三日目に死を打ち破って復活し、私たちに永遠のいのちを与えてくださると約束しています。

 新約聖書ヨハネの福音書の14章6節には、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」とイエス様は言われました。そして新約聖書の第一ヨハネの手紙5章12節には、「御子を持つ者---つまりイエス・キリストを心に信じ受け入れる者---はいのちを持っている。」と書かれているんです。

 永遠のいのちとはイエス様のいのちそのものです。それは滅びるという姿と正反対な状態です。失う人生ではなく生み出す人生。迷子の人生ではなく神様の愛の中に安心してとどまる人生。浪費の人生ではなく自分も人も愛しながら生きる人生。破壊する人生ではなく生み出し立てあげていく人生。そしてこの永遠のいのちは肉体のいのちが尽きても決して終わることのないいのちです。

 いろいろ辛い現実に直面して死んだほうがましだ、生きていてもしようがない、と考えてしまうことが時にはあります。でもイエス様はあなたに、永遠の救いを、永遠のいのちを与えることができるお方なのです。

     (PBA制作「世の光」2018.11.23放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし86- 姦淫してはならない / 大嶋重徳

2019年01月10日 | Weblog
2018/11/22放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。十戒第七戒には「姦淫してはならない。」(出エジプト記20章14節 新改訳2017)とあります。

 しかし「姦淫してはならない。」はただ単に夫婦以外の存在と身体の関係を持ってはいけないという教えだけではありません。むしろ神様の造られた夫婦の愛の中に生きていくことです。つまり夫婦の身体の関係にまでその愛に生きる喜びは広がっているのです。

 しかし現実の夫婦関係の中には身体の関係によって傷つけ合っている現実があります。自己中心的で暴力的な性行為に傷ついている女性は少なくありません。また産後クライシスと呼ばれる時期に妻には女性ホルモンが減るという現象が起こって、育児の疲れも相まって、妻から夫婦の性生活の拒否が起こることがあり得ます。その拒否のことばに傷ついた夫たちは、再びアダルトサイトや性的な誘惑の敗北の中に身を投じていくことが起こりやすくなります。

 キリスト教会にも悲しいことですが牧師が起こす性的なスキャンダルがあります。これらのスキャンダルが起こる時期は、牧師の若い時期というよりも40代から60代に自らの体力の限界を覚え下降線に入れ始めた時に起こりやすいと言われています。つまり若い頃、神様に用いられたいと願い伝道者へと献身した時に思い描いていた自分の将来と現在の違いに限界を感じた時に起こりやすいのです。その時に、まだまだ自分はやれるんだということを確認するために、お金や権力そして女性関係の罪に身を投じてしまうのです。しかし夫の体力、気力、能力の限界が見えたとしても、若い時から夫婦が愛し合い会話を交わし、「あなたはよく頑張ってきたわよ。私は一番それを良く知っている。」と言ってくれる妻がいる時に、この危機を乗り越えられるのです。その時、衰えによる下降線は夫婦の成熟となっていくのです。

 その意味でも男性たちは、罪に影響され自己中心的な自分を顧み、妻の身体を労わり、妻の喜びが生み出されるよう努めなければいけません。更に女性たちもまた男性たちの抱える孤独を理解し、神の造られた性欲を汚れたものとしてみたりはせずに、夫の助け手として性に関する理解を夫婦の間で深めていく必要があるのです。このような夫婦が日本社会に生まれていくとき、この世界は愛の豊かに溢れた世界へと変えられていくのです。

    ( PBA制作「世の光」2018.11.22放送でのお話しより )

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■相続地を受け継ぐまで / 福井 誠

2019年01月09日 | Weblog
2018/11/21放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「相続地を受け継ぐまで」です。民数記32章18節から読んでみましょう。
私たちは、イスラエルの子らがそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。

 イスラエルの民は荒野での40年の時を過ごしましたが、いよいよここからパレスチナの地に侵入し約束の地を征服していく戦いが始まります。これまでいろいろとありながらもイスラエル12部族の足並みがようやく揃った感じがしますね。

 ところがその矢先、ガド族とルベン族が今いるこの土地に住みつきたいと言い出します。みながこれからヨルダン川を越えて約束の地を占領しようと燃えている時に、全く冷水をかけるような事態になってしまったのです。彼らが今いる土地に残って住み着きたいというのは、それが自分たちの羊のために適していると考え始めたからでした。全く自己中心以外の何ものでもありませんねえ。彼らの態度に主の怒りが燃え上がった、と聖書は言います。当然と言えば当然のことですが、その後の彼らの態度は重要です。ガド族とルベン族は神の怒りに目を覚まさせられたのでしょう。これからヨルダン川を渡って出て行く戦いについて、12部族の先頭を切って出て行くこと。そしてすべての征服が終わってから今欲しいと願ったその土地に住み着く、と提案を修正したのです。

 彼らのその後の戦いの記録はヨシュア記に書かれています。それらを読むと、彼らが確かに約束を守り、主な土地が征服され約束の土地が他の部族に分配されるまで先頭に立って戦ったことが分ります。

 めでたしめでたしではないか、と思うところですが、考えてみると私たちも決して彼らを責められるような者ではないですね。確かに私たちも自分中心であって、自分の思いや都合を優先させてあとはどうでも良いと思う誘惑に陥りやすいものです。そしてどこか人間としての道に反することをし始めている自分を感じたりすることもありますねえ。そのような心に気づかされるのは、やはり心の鏡である聖書を読めばこそです。聖書によって日々人間として整えられた歩みをして参りたいものですね。

 (PBA制作「世の光」2018.11.21放送でのお話より )

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■嫉妬 / 板倉邦雄

2019年01月08日 | Weblog
2018/11/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は男性たちの嫉妬についてお話ししたいのです。
 
 嫉妬と言いますと、まあ平たく言えばヤキモチでしょうか。他の人が自分よりも優れていることに対して羨み妬むことですね。使徒の働き5章の続きです。

 さて、初代のキリスト教会が民衆の尊敬を受けるようになりました。イエス様を信じて仲間に加わる者が男女ともますます多くなってきました。キリストの使徒と呼ばれる弟子たちの人気は高まりました。特に使徒ペテロのそばに病人や汚れた霊に苦しむ人たちが来ると、すべて癒されて行きました。ペテロの陰に当たるだけで癒されていったのです。それを目撃した神殿の大祭司と彼ら宗教指導者たちは使徒たちに対して羨み妬みの思いで心が一杯になってしまいました。

 私たちの嫉妬の心はいつも自分と人と比べてばかりいるところに起こってきますねえ。自分よりも劣っている人を見ると優越感に満たされます。しかし自分よりも優れている人を見ると劣等感に落ちてヤキモチで満たされるのです。私たちは温度計のように上がったり下がったりする毎日を過ごしてしまうのですね。

 では、どうしたら嫉妬の心から開放されるのでしょうか。それは人を見ないで天の神様を見ることです。そして神様の目を持って自分を見、また人を見ることではないでしょうか。高いビルの上から地上を見れば人と比べる必要はありません。

 さて、嫉妬に狂った宗教指導者たちは使徒たちを手にかけて捕え、公共の留置所に入れてしまいました。嫉妬や妬みは悪い行動へと私たちを駆り立ててゆくのです。

 ところが夜、主なる神様の使いが留置場の扉を開いて使徒たちを連れ出しました。そして御使いはこう言いました。
 「さあ行きなさい。そして神殿の庭に立ってキリストのいのちのことばをもれなく人々に語りなさい。」

 使徒たちは人を恐れることなく、夜明けと共に神殿の庭に立ってキリストの教えを始めました。

 聖書のことばです。
 「人を恐れると罠にかかる。しかし、【主】(神)に信頼する者は高い所にかくまわれる。
     箴言 29章25節

  (PBA制作「世の光」2018.11.20放送でのお話より )

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■エパタ、開かれよ / 岩井基雄

2019年01月07日 | Weblog
2018/11/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。

 私たちはみんな何らかの不自由さを抱えていますね。身体や心の不自由さや偏り、また止めるべきことを止められない不自由さもあります。あなたはいかがでしょうか。

 再びガリラヤ湖畔緒に戻られたキリストの所に、耳にもことばにも不自由さを抱える人が連れて来られました。当時のイスラエルで痛みを伴う不自由さを抱え人々の愛にも渇いたこの人は、他の人の配慮によってキリストの前に運ばれてきたのです。聖書はこう語っています。

 「人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。
        新約聖書 マルコの福音書 7章32節から35節 (新改訳2017)

 キリストは彼を群衆の中から連れ出されました。そして彼の両耳に指を差し入れ、つばきをつけてその舌に触られ、天を仰ぎ、深く息をされました。この深い息は深いうめきを表します。キリストは不自由さを抱えてきた彼のうめきをご自分のものとされたのです。キリストは彼を一対一の交わりに招き、彼が感じることができるよう指を彼の耳に入れ、ご自分のつばきで渇ききった彼の舌に潤いを与えられたのです。不自由さと悲しみを抱えてその歩みを重ねてきた彼にとってそれはどれほど暖かな、また心を潤される時だったでしょうか。そしてキリストは彼に語られました。「エパタ」すなわち「開け。開かれよ。」と。それは解き放たれよという意味がありました。何かに縛られ閉じ込められていた彼に向かってキリストは「解き放たれよ。」と命じられ、その通りになったのです。それは全善人格的な解放と癒しでした。

 私たちの頑な心、不自由さを抱え何かに閉じ込められていた私たちに対してもキリストは語られます。「エパタ」「開かれよ」「解き放たれよ」と。キリストにあってこそ本当の自由が与えられるのです。あなたもこの自由と恵みを豊かに受け取っていきませんか。キリストはあなたを愛し、待っておられるのです。

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