♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して68年の
「世の光」を文字で 

■神なしで決断するダビデ / 羽鳥頼和

2019年06月29日 | Weblog
2019/5/25放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日お話しするのは、旧約聖書のサムエル記第一27章で語られている出来事です。

 長く続くサウル王からの逃亡生活の中で、ダビデは絶望的な気持ちになっていました。ダビデは心の中で、私はいつかサウルの手によって滅ぼされるだろう、ペリシテ人の地に逃れるより他に道はない、と決断してしまったのです。不安に支配されたダビデの心には、神への信頼がなくなってしまったようです。ダビデはすぐにペリシテのガテの王の所に行き、彼の信用を得ようとします。ダビデはガテの都から遠く離れた辺境の地を攻めて、住民をすべて殺して、そこの家畜や財産を奪ったのでした。そしてガテの王には、イスラエルの南の地方に行った、などと言って彼をだまし続けました。

 サムエル記にはこのようなダビデの行動の是非については何も語られていません。しかし神はこの時、ダビデが行なったことを見逃して怒られなかったと思います。この後しばらくしてサウル王がペリシテ人との戦いで死んでしまいます。サウルの死後、イスラエルに戻ったダビデはイスラエルの王となります。王となったダビデは神のために神殿を建てようとします。しかしその時、神はダビデに言われました。「あなたは多くの血を流し大きな戦いをしてきた。あなたがわたしの神殿を建ててはならない。わたしの前に多くの血を流してきたからである。」(歴代誌第一28章3 節参照) ダビデは神に言われた通り、神殿建設から手を引きました。神はダビデを正しく裁かれたのです。ダビデはその裁きに従いました。

 旧約聖書 詩篇119篇124節で、作者は神にこのように願っています。
 「・・・ あなたのしもべを取り扱ってください。 私にあなたのおきてを教えてください。

 神は人を正しく取り扱ってくださるお方です。ですから神を信じる者は、私にあなたの掟を教えてください、と願い、神のことばを聞くのです。

 明日は日曜日です。神のみことばを聞くために、お近くのキリスト教会の礼拝にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2019.5.25放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■彼の言うことを聞け / 関根弘興

2019年06月28日 | Weblog
2019/5/24放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス様の生涯を記した福音書の中に、イエス様がペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて高い山に登られた出来事が書かれています。山に着くと弟子たちは疲れていたのでしょう、眠気を催してうとうとし始めてしまいました。その時でした。何と白く光り輝く栄光の姿に変貌したイエス様の姿を見たのです。そして更に驚いたことにその場所に、旧約聖書に登場する有名なモーセとエリヤが現れ、イエス様と話し合っていた、というのですねえ。この光景を目の当たりにした弟子たちは動転して、何を言ったらいいのか分からなくなってしまいました。するとペテロがこう言い始めたんです。「先生。ここにいることは素晴らしいことです。私たちが三つの幕屋を作ります。あなたのために一つ。モーセのためにひとつ。エリヤのために一つ。」 まあペテロはですねえ、こんな素晴らしい経験は二度とないかもしれない、ここを特別な場所にしてモーセもエリヤもここにとどまっていて欲しい、イエス様も栄光の姿のままでいていただきたい、そしてこの場所からもう離れたくない、ここを特別指定区域に保存すればまあここにきたらいつでも同じ経験をすることができる、そんなふうに考えたのかもしれませんね。ペテロはこの出来事の数日前にイエス様に対して、「イエス様、あなたは生ける神の御子キリストです。」と告白したばかりでした。それなのにここでは「イエス様のために一つ。モーセのために一つ、エリヤのために一つ幕屋を作ります。」と言って、イエス様を人間にすぎないモーセやエリヤと同じように見ているんです。ところがペテロが話している間に雲が湧き起こってイエス様もモーセもエリヤも雲に包まれて見えなくなってしまいました。そして雲の中から「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」という父なる神様の声がした、と書かれています。これは弟子たちにとってもまた私たちにとっても非常に大切なことを教えているんです。神様はこんなにすごい経験をしている弟子たちに、ここに幕屋を作りなさいとか、ここを特別保存区域に指定しなさいなどとは一言も言われませんでした。ただ、「イエスの言うことを聞きなさい」と言われたのです。つまり、私たちにとって最も大切なのは天に上るような経験でもなければ、不思議な不思議な体験でもありません。ただ生ける神の御子イエス・キリストのことばを聞き、そのことばに信頼して生きていること、これが非常に大切なんですよ。「彼の言うことを聞け」という声、それは今もあなたに語られているんです。
 
     (PBA制作「世の光」2019.5.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。



■十戒 -自由への励まし106 / 大嶋重徳

2019年06月27日 | Weblog
2019/5/23放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。

 しかし日本社会の中に「嘘も方便」ということばがあり、小さな嘘がその場を丸く収めるならば嘘も必要だよね、と言われることがあります。あの3.11の震災においても国民の不安を煽ってはならない、とまことしやかに放射能汚染の被害が隠され、真実が偽証されたことは記憶に新しいのではないでしょうか。その結果、偽りの証言と隠された情報によって避難が遅れ、被害を受けられた方の苦しみは今なお継続し続けています。また大手マスメディアも莫大な広告料を支払うスポンサーの意向に従った報道の取捨選択がなされることがあります。テレビが言っているんだから安心だろう、と視聴者・読者は信頼することとなり、ここにも偽りの情報がお金で買える現実があります。政治の力によって報道される情報が変えられてしまう国も世界中にはたくさんあります。歴史的事実の改ざんも起こっています。改ざんされた偽りの歴史を語られることによって被害を受けるのは教育現場です。子どもたちの耳に入る歴史が誰かの都合の良い歴史に塗り変えられるならば、その国の将来はどうなっていくのでしょうか。その結果、その共同体は嘘に嘘を重ねることとなり、嘘をつくことに慣れ、自浄作用も失われ、その団体の公正さ・きよさが奪われ、信頼も奪われていくこととなります。

 真理ということばを意味するギリシャ語アレテイアは「隠れなきこと」を意味しています。聖書では、「ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。」(ローマ人への手紙9章1節)と語られています。つまり、隠されてしまっている嘘を明らかにする使命も私たちは帯びているのです。

 イエス様は今も歴史と世界を支配しておられます。私たちは幾ら覆い隠そうとする真実があったとしても、歴史を捻じ曲げて伝えようとしたとしても、いつか必ず神様はその嘘を明らかにされるのです。隠されたものは必ず明らかになるのです。ですから、私たちも今日、正直に隠れなき人生を神様の前に生きていきたいと思います。神様の前で隠れた所を持っている人生は私たちを暗くします。苦しくするのです。隠れた所のない明るいのびやかな一日を今日も私たちは送っていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2019.5.23放送でのお話しより )

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■彼は主に信頼していた / 福井 誠

2019年06月26日 | Weblog
2019/5/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
  継続は力なり。聖書を一日一日と読み進む毎に不思議にも自然と養われていくものがあるものですね。では今日も聖書を開いて参りましょう。今日は列王記第二18章5節から「彼は主に信頼していた」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「彼はイスラエルの神、【主】に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

 当時イスラエル北王国がアッシリヤ帝国に滅ぼされ、続いてユダ南王国もその勢いに呑み尽くされそうな状況がありました。しかしヒゼキヤはその絶体絶命の危機の状況にあって、神に助けていただく信仰に立つのです。望み得ない時にこそ神に望みを持つ、それはよく語られることですが、実際にそのように確信に立ち続けることができるかどうかは別問題です。けれどもヒゼキヤはそのような状況にあって神を仰ぎ、神に心を開き、神の憐れみによってこの危機を乗り越える覚悟を明らかにしました。そして主に信頼したその姿勢を高く評価されて聖書に記録される王様となったのです。

 実際に彼はどのようにこの時を過ごしたのか、次の19章にそれは詳しく描かれています。彼は降伏を勧めるアッシリヤの手紙を手にすると、それを主の宮に携えて行って主の前に広げ祈ったとされます(参照 列王記第二19章14節)。彼は悩まず、嘆かず、ただその危機的な状況をありのままに神に訴え、助けを求めました。彼は単純に自分の無力さの中で神によりすがったのです(参照 列王記第二19章15-20節)。結果、アッシリヤの軍隊から彼は救い出されます。それは神の不思議でした。更に神はこの時、「荒れた畑は修復され、しばらく途絶えていた収穫が再開し、下に根を張り、上に実を結ぶ。」(参照 列王記第二19章29、30節)と祝福を約束されました。

 人生には、身内も友人も助けにはならない、組織も助けにはならないことがあります。そして下に根を張る余裕など全く考える事などできず、なす術尽きて、ただ坂を転げ落ち、すべて失っていくだけの思いにとらわれることもあるものでしょう。しかし、どのようなどん底にあっても上を見上げましょう。天地を造られた神に望みはあるのです。

 では良き一週を祈ります。
  
 (PBA制作「世の光」2019.5.22放送でのお話より )

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■目からうろこ / 板倉邦雄

2019年06月25日 | Weblog
2019/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「目からうろこ」という題でお話ししましょう。

 「目からうろこ」 何かをきっかけにその場での間違いに突然気付いたり、急に物事がよく分るようになることを「目からうろこが落ちる」と言います。サウロという人物は今そのような体験をしていました。使徒の働き9章の続きです。

 さて、アナニヤという信徒は出かけて行き、サウロに会いました。サウロは自分たちの仲間を脅迫し、暴力を振るい、獄に叩き込み、ある人を殺害する、という凶暴な男です。しかし今は失明し、人の手を借りなければ何もできない男でした。アナニヤは手をサウロの上に置いて、祈るように言いました。「兄弟サウロよ。あなたがダマスコに来る途中で現れた復活された主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、私をここにお遣わしになったのです。」 するとたちどころにサウルの目からうろこのようなものが落ちて、元通りに見えるようになったのです。それだけではありませんでした。サウロに神の賜物である聖霊を与えたのです。聖霊に満たされたサウロはイエスを神の子・救い主と告白してバプテスマ・洗礼を受けました。

 ところで、目が見えないことを失明と言います。明るさを失うと書きます。十円玉を目の前に持ってきますと太陽も見えなくなります。私たちの心の目も自分のためだけに生きようとしますと目が塞がってしまいます。そして大切なものが見えなくなってしまうのです。物事の判断ができなくなってしまうのですね。ですから私たちはいつも、心の目を開いてくださるように、アナニヤさんのような人を遣わしてくださるように、主イエス様に祈っていきたいものですね。そして何よりもイエス・キリストの十字架と復活されたイエスに心を向けることができるように祈ってゆきたいものです。

 イエス・キリストのことばです。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。
      ヨハネの福音書8章12節


  (PBA制作「世の光」2019.5.21放送でのお話より )

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■ガテの王アキシュのところに来たダビデ / 羽鳥頼和

2019年06月22日 | Weblog
2019/5/18放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日はイスラエルのサウル王に命を狙われて逃亡生活を続けるダビデの信仰について旧約聖書からお話ししたいと思います。

 ペリシテのゴリヤテを倒したダビデはイスラエルで大人気となりました。サウル王はそれをネタにダビデを殺そうとしていました。今日取り上げる出来事はサムエル記第一の21章に記されている出来事です。その時のダビデの信仰告白を記しているのが詩篇56篇です。

 ダビデはサウロから逃れて敵対しているペリシテの町ガテの王アキシュの所に行きました。アキシュの家来たちはダビデを連れてきて、「イスラエルの王ダビデがいました。」と言いました。この時ダビデはイスラエルの王ではありませんでしたが、ガテではイスラエルと言えばダビデというほど評判だったのです。彼らはダビデがサウル王から命を狙われていることを知りませんでした。

 王の前に出たダビデは家来たちのことばを聞いて、自分が殺されてしまうと思い、非常に恐れました。そして何とダビデは彼らの前で、おかしくなったかのように振る舞い、捕えられて気が変になったふりをしました。ダビデは門の扉に傷をつけたり、髭によだれを垂らしました。それを見たガテの王は怒ってダビデを宮殿から追い出したのでした。こうしてダビデ は難を逃れました。詩篇56篇はこの時のことが背景となって作られました。

 56篇3節(、4節)でこのように語られています。
 「心に恐れを覚える日 私はあなたに信頼します。
  神にあって 私はみことばをほめたたえます。
  神に信頼し 私は何も恐れません。
  肉なる者が私に何をなし得るでしょう。


 何とか難を逃れたダビデはそのあとで自分のしたことを後悔して神への信頼を新たにしたのでしょう。私たちも神の守りに期待しましょう。今日も神の守りがあなたに豊かにありますように。

 明日は日曜日です。神を礼拝するために、お近くのキリスト教会にいらしてください。
 
 (PBA制作「世の光」 2019.5.18放送でのお話より )
 
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■エクソドス / 関根弘興

2019年06月21日 | Weblog
2019/5/17放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 イエス様の生涯を記した福音書の中に、イエス様がペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて高い山に登られた出来事が書かれています。山に着くと弟子たちは疲れていたのでしょうねえ、眠気を催して、うとうとし始めてしまいました。その時でした。何と白く光輝く栄光の姿に変貌したイエス様の姿を見たのです。そして更に驚いたことに、その場所に旧約聖書に登場するあの有名なモーセとエリヤが現れ、イエス様と話合っていたというのですね。

 ではモーセとエリヤはイエス様と一体何を話し合っていたのでしょう。聖書にはこう記されています。ルカの福音書9章30節(、31節)
 「そして、見よ、二人の人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤで、栄光のうちに現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について、話していたのであった。
 こう記されています。モーセとエリヤとイエス様が、イエス様の最後について話し合っていたって言うんですねえ。実はこの箇所で「最後」と訳されることばはギリシャ語ではエクソドスと言います。そして旧約聖書ではですね、この「エクソドス」ということばは出エジプト記のギリシャ語の書名として使われているんです。この出エジプト記というのはイスラエルの民がエジプトの奴隷状態から脱出して神様の約束の国に向かうという事の出来事が書かれた書物です。ですから、今日の箇所でモーセとエリヤとイエス様が話し合っていた最後 、「エクソドス」とはイエス様がこれから成し遂げようとすることは、すべての人が罪と死の束縛から解放され、すべての人に永遠のいのちが与えられる、というイエス様の十字架と復活の出来事を指しているんですねえ。イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後こそ、実は私たちの永遠の救いに繋がるものだということを聖書は教えています。

 後にパウロという人は使徒の働き26章22節(、23節)でこう話しています。
 「このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。
     (PBA制作「世の光」2019.5.17放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし105 / 大嶋重徳

2019年06月20日 | Weblog
2019/5/16放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第九戒は「隣人に対し、偽証してはならない。」(申命記 5章20節 新改訳第三版、参照出エジプト記20章16節)です。

 この戒めは裁判において偽りの証言をしてはならない、ということが求られています。なぜなら偽りの証言はその社会と偽証された人の人生の信頼を破壊するものとなるからです。

 ここで私たちの頭に思い浮かぶ聖書の箇所があります。
 「さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。」(マタイの福音書 26章59 、60節 新改訳第三版)

 つまり、イエス・キリストを殺すために偽りの証言をする人を探していたということです。十戒に対して最も厳格であったはずのユダヤ議会において、第九戒の戒めを真っ向から否定する裁判によってイエス様の十字架刑の判決は行われたのです。十戒が公然と、権力者しかも信仰者の中で破られていたということは私たちに何を気づかせてくれるのでしょうか。現在においても、世界では偽証による冤罪が後を絶ちません。冤罪事件が発覚した時に明らかになるのは証拠となる事実を隠そうとする姿勢を権力者がとってしまうことです。取り調べる側の権威が失墜しないようにするために集団で事実を隠蔽しようとすることも起こり得るのです。そしてこの社会の秩序を保つためにも必要なことだ、と最もらしく言われることがあるのです。このような集団で行われる嘘は団体組織、会社でも起こり得ます。日本には「嘘も方便」ということばがあり、嘘も時によっては物事を円滑に運ぶ便利な手段であると公然と嘘が語られるのです。そして真実を語ることよりも守らなければならないものがあるという空気感は、殆どの場合、個人の尊厳や社会的公正さよりも家、会社、社会共同体の責任者が守られることが優先されます。そして嘘が明らかになったとき、本当にその責任を持つ立場にない数人がその嘘の責任を負わされます。

 十戒第九戒は本当に守られるべき人が守られるように神様が私たちを守ってくださっている教えなのです。今日も神様は私たちの人生を守り、支えようとしてくださっています。この神様の大きな愛に守られて生きていきましょう。そして神様の真実がこの地上で起こること、私の人生に起こることを神様に祈り求めていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2019.5.16放送でのお話しより )

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■主の民となるという契約 / 福井 誠

2019年06月19日 | Weblog
2019/5/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。
  継続は力なり。聖書を一日一日と読み進む毎に不思議にも自然と養われていくものがあるものですね。では今日も聖書を開いて参りましょう。今日は列王記第二11章17節から「主の民となるという契約」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「エホヤダは、【主】と、王および民との間で、彼らが【主】の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。

 南ユダ王国にはヨラム、アハズヤ、そしてアハズヤの母アタルヤ、と悪い王様が続く時代が訪れました。特にアタルヤは北イスラエル王国の王様アハブとイゼベルの娘でしたから、彼女は南ユダヤ王国に偶像崇拝であるバアル礼拝を積極的にもたらしました。結果、南ユダヤ王国には約13年もバアル礼拝がはびこり、まことの神のみを信じる南ユダ王国にとっては霊的な暗黒の時代となっていくのです。

 また、北イスラエル王国では エフーという王様が起こり、アタルヤの両親アハブとイゼベルが殺される事件が起こりました。アタルヤは南ユダ王国にもその影響が及ぶことを恐れ、王の子を皆殺しにするのです。それはダビデ家の存続が脅かされる、つまり救い主であるイエス・キリストがダビデの家系から生まれるというメシヤ預言の成就が危機に陥ったことを意味するものでした。けれども神は確かに生きておられるのですね。皆殺しの危機的状況の中で、王子ヨアシュが救い出され、6年間、神殿に匿われて育てられるのです。神殿はアタルヤの目を逃れる格好の場所となり、メシヤ預言の成就は守られていきます。

 大切なのは、このメシヤを待望し、まことの神を恐れ信頼する信仰が、イスラエルの民の中に存続していたことでしょう。祭司エホヤダの指導のもと、6年間ヨアシュが匿われたのも、神を畏れ神のことばに生きようとした人々が存在したからです。時代がどのように揺れようとも、神のみことばにまっすぐ生きる、そのようなものでありたいものですし、それによって偉大な神のみわざを見るものでありたいものですね。

 では良き一週を祈ります。
  
 (PBA制作「世の光」2019.5.15放送でのお話より )

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■サウロの回心 -3 / 板倉邦雄

2019年06月18日 | Weblog
2019/5/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「サウロの回心 その3 」、 サウロの回心を通してキリスト教での回心についてお話しします。使徒の働き9章です。

 さて、ダマスコの町にアナニヤという一人のキリスト信徒がいました。この人に主イエスが現れて言われました。「アナニヤよ、サウロというタルソ人を訪ねなさい。彼は今、祈っています。」 サウロは失明の中で三日間、何を考え何を祈っていたでしょうか。罪のないステパノを死刑にしたこと、ナザレのイエスを信じる人々を脅迫し、暴力を振るい、縛りあげて獄に投げ入れて苦しめたこと、それが神の子主イエスを迫害していたことです。ああ何と神を畏れぬ、人を人とも思わぬ悪行三昧でしょうか。今までの考え方、今までの生き方を悔いて祈っていたのではないでしょうか。

 回心の第一歩は理性において考え方が変わるということです。サウロは三日間の祈りの生活の中で心からその悪行を悲しみ悔いていたのではないでしょうか。ですから回心の二歩目は心からの罪悪の告白です。罪と悪を悲しみ嘆き、離れることではないでしょうか。
 聖書のことばです。
 「罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
  苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。」
( ヤコブの手紙 4章8節、9節 口語訳聖書 )

 そして主イエスはサウロに新しい使命を与えました。「あの人サウロは、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだものである。わたしの名のためにサウロがどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」(参照 使徒の働き 9章15節、16節 )

 サウロの回心は理性に於いて考え方が変わるだけではありませんでした。また感性に於いて罪と悪を悲しみ悔いただけではありませんでした。サウルは意思に於いて神のために生きてゆこう、イエスの名のために苦しむことによって今までの人々への脅迫、暴力、殺害の償いをしてゆく生き方に変えられていったのです。ですから、回心の第三は、意志において生き方が変えられてゆくことなのです。

  (PBA制作「世の光」2019.5.14放送でのお話より )

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