♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主が報いてくださる / 福井 誠

2024年03月31日 | Weblog

2023/11/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。この一週間、皆さんと聖書の箴言を読み続けることができて本当に感謝でした。次回の私が担当するバイブルメッセージもお楽しみにしてください。継続は力です。ぜひ聖書を読み続けてください。
 今日は「主が報いてくださる」と題してお話をいたします。
 旧約聖書 箴言25章21節、22節からお読みします。

 「あなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。
  なぜなら、あなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださるからだ」

 以前、ある方のお葬式を執り行った時に、遺族の方が葬儀の終わりに来て、「信仰を持っている方は強いですねえ。信仰の大切さを感じました。」と語られたことがありました。通常、人が落胆する時に、信仰を持つ人は落胆しない、いや信仰を持つ人だって落胆するのでしょうが落胆に終わらない力強さを感じて語ったことばのようでした。

 信仰を持つ人と持たない人は、言ってみれば平面的な生き方か立体的な生き方かの違いがあるように思います。
 つまり信仰を持たない人は今生きている人間関係の中で、横の関係ですべてを考えて生きています。ですから物事は相手次第のところも結構大きいわけです。人を亡くした時ばかりではなく、どんな人と出会って生活するか大きな問題です。
 しかし信仰を持つ人は人に左右されない。というのもそこに縦の軸を加え、神と共にこの世の社会の動きを見て行動する立体的な生き方をするからです。人を亡くしたとしても、また不愉快な人に出会っても、ことさら振り回されません。
 たとえば、誰かに憎まれていて嫌だなと思うことがあっても、正しいことをなさる神がいずれすべてを良いようにしてくださると考え、その人をも受け止めていきます。そしてその人が困った事態に陥るとき、いい気味だ、とほくそ笑むのではなくて、むしろ助けの手を指し伸ばす余裕の心すら持ちます。神がその人にも自分にも報いてくださると考えるからです。信仰を持つ人ならではの力強さがあります。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.11でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■まさにその一言を語る / 福井 誠

2024年03月30日 | Weblog

2023/11/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠が担当する第五日。これまで私が語ってきた箴言の中で皆さんの心に残ったものは何であったでしょうか? 少し皆さんの声を率直に聞いて、やり取りができたらうれしいところです。
 今日は「まさにその一言を語る」と題してお話をいたします。旧約聖書 箴言25章11節からお読みします。

 「時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんご」

 箴言の25章からは帝王学つまり一説に国王など特別な立場にある人を意識した内容であると考えられています。しかしそれは普通の人々にとっても重要な真理であることに間違いありません。たとえばエリザベス女王の教育は帝王学であったと言われます。しかしその内容は幅広く、国王になるために必須の法律や地理、歴史といった専門知識だけではありませんでした。英国国教会の基本である聖書の学び、音楽や芸術などの一般教養、そしてイギリス陸軍の後方部隊としての軍務や、一般国民の生活を体験する内容といった全人教育であったと言います。そのような意味で、この25章には王のみならず一般的な国民にも重要な人間としての感覚・心得も併せて種々語られているのです。

 たとえば、「あなたがその目で見たことを急いで訴え出るな。さもないと、後になって隣人があなたに恥ずかしい思いをさせた時、あなたはどうしようというのか」ということばもありますが、言い換えると、何でも物事を真に受けてさっと行動してはならない、ちゃんと裏を取れ、ということでしょう。
 また「隣人と争っても他の人の秘密を漏らしてはならない。そうでないと、聞く者が、あなたを侮辱し、あなたの悪いうわさは取り返しがつかなくなる」とも書かれていますが、これも感情的な発言は、後で考えの足りない分その跳ね返りが大変だということでしょう。
 何か問題があったら広い視野で全体をよく理解したうえで行動を起こす。そして「銀の彫り物にはめられた金のりんご」のような適切な、まさにその一言、ということばを語るようにしなさい、と言うわけです。一国の王のみならず一般人であれ、しっかり心に受け止めたい教えです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.10でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■神の誉れ、王たちの誉れ / 福井 誠

2024年03月29日 | Weblog

2023/11/9放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠が担当する第四日、今日も聖書の箴言を開きます。継続は力です。本当は一節一節丁寧に取り上げたいところですが、聖書は語ることが多くありますから先を急ぎましょう。
 今日は「神の誉れ、王たちの誉れ」と題してお話をいたします。初めに聖書のことばをお読みします。

 旧約聖書 箴言25章2節
 「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」

 箴言の25章からは古代イスラエルの王ヒゼキヤがソロモン王の格言集を編集したものです。ヒゼキヤは、ソロモンからおよそ200年も後の時代の王です。200年の間、どこにどのようにソロモンの格言集が埋もれていたのか不思議ですが、ヒゼキヤは見つけた格言集も後世に伝えなくてはと考え、ソロモンが書いたと言われている1章から24章の箴言本体に付け加えたという訳です。

 そこで付け加えられた25章からの箴言の特徴ですが、それはどうも一般に帝王学と呼ばれるもので、つまり一つの国の王としての心得また臣下の心得について語るものです。そのような意味では政治家を対象にしているようでもあるのですが、実際には私たちにも有益な真理を教えています。

 まず2節。
 「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ」

 分かって分からないような言い方ですが、簡単に言えば、神と王は紙一重、同じような存在と考えてはならない、全く別物だということです。神は全知全能、計り知ることができない存在。人間はその計り知れない神を探る存在に過ぎない。たとえ王であっても、ということでしょう。
 
 しばしば人は何かに優れた人を神のようにあがめ、おかしげな世界を作り出してしまうことがあります。実際日本人は天皇を神として崇拝しアジア侵略の戦争を引き起こす大きな間違いを犯しました。神と人は異なる者である、人の上に立つことがあっても人としてのわきまえを忘れない、一般的にも同意できる教えです。良き信仰は常識的でもあるのです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.9でのお話しより )


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■勤勉が一番 / 福井 誠

2024年03月28日 | Weblog

2023/11/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょう? 福井 誠の担当第三日です。今週も折り返し地点に入りました。毎日があっという間ですね。しかし、今日も聖書を手に、少し自分の心を振り返り、耕す時を持ちたいと思います。
 今日は「勤勉が一番」と題してお話しします。初めに聖書のことばをお読みします。

 旧約聖書 箴言24章33節、34節から。
 「少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。
  すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る」

 私が牧師をしている教会の近くには小学校がありますが、その門の中に二宮金次郎の銅像があります。二宮金次郎・・・ああ、あれかと古い人はよく分かるかもしれませんが、今の若い人の中には分からない人もいるかもしれません。簡単に二宮金次郎についてお話をしますと、二宮金次郎は1787年つまり江戸時代に裕福な農家に生まれました。しかし川の氾濫で田畑を失い、さらに両親を10代で亡くしています。金次郎は、勉学熱心でしたが、預けられたおじさんの家では「お百姓に学問はいらない」と叱られてしまいます。そこで金次郎は、仕事の邪魔にならない時間つまり薪を運んで道を歩く時に本を読み学問を重ねたわけです。それがあの銅像の由来です。金次郎はやがておじさんの家から独立して実家の再興に成功しました。さらに、その金次郎の姿を見て尊敬する人々に招かれ、生涯にわたって615の村々の財政を立て直したと言われています。勤勉勤労を教え人のために役立っていくことを期待して造られた像というわけです。

 聖書もこのような考え方には同意見という訳でしょう。単刀直入に、怠け者の生活をしてはいけない、人生怠ければその人生には雑草もはびこり実りも少ない、と言います。ちょっとだけ寝よう、あるいはちょっとだけ気晴らししよう、と結局だらだら取り組むべきことに取り組まない、そのような人生についてくるのは貧しさと乏しさである、と言います。信仰を持つならば、礼拝や祈りだけではない実際の生活もしっかりさせてまいりたいものです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.8でのお話しより )


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■苦難の日に気落ちしない / 福井 誠

2024年03月26日 | Weblog

2023/11/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井誠です。
 
  聖書の箴言からのお話も長くなりました。箴言は私たちの実際的な生活に結びついたものが多く、よく考えさせられます。今日は「苦難の日に気落ちしない」と題してお話します。初めに聖書のことばをお読みいたします。旧約聖書 箴言24章13節、14節

  「わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。知恵もあなたのたましいには同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない」

 苦難に陥ったらあなたはどのような行動を取りますか? 意外と気づいていないのが自分の行動です。この機会に考えてみましょう。

 人は苦難に陥ると三つの解決行動を取ると言います。合理的解決、気晴らし的解決、そして問題行動的な解決です。

 合理的な解決は、苦難の中にあってそれを克服する実際的で妥当な解決方法を自分なりに考えて解決努力をすることです。
 気晴らし的な解決は本質的な解決ではありませんが、音楽を聴いたり、スポーツで発散したり、とりあえず気晴らしをしてしのぐものです。
 問題行動的な解決とは文字通り、もうだめだと自暴自棄になって暴力的になったり破滅的になったりするものです。
 あなたは通常どのような解決行動を取っているでしょうか。

 聖書が勧めるのはもちろん合理的な解決方法です。かつてイスラエルの王様ダビデが苦難に陥った時、ダビデは神によって奮い立ち、解決努力をしました。苦難に遭って簡単に気落ちせず、この真っ暗なトンネルにも必ず出口はある、と自身にできる最善の解決方法を考え出し実行することです。そして正しい者の努力を見て、これを助けられる正しい神がおられる信仰をしっかり持つことです。

 さらにその正しい神様の励ましのことばを苦難の日にこそよくよく味わうことでしょう。
 神様のことばはまさに甘い蜜のごとし。心を励まし、力づけ、解決の知恵を与えるものだからです。七度倒れてもまた起き上る力強さは神のことばに有り、です。

 では今日も良き一日となるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.7でのお話しより )


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■知恵のある男は力強い / 福井 誠

2024年03月25日 | Weblog

2023/11/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? お久しぶりです。今週は福井誠が担当します。11月になりましたが、今年の夏は本当に暑かったですねえ。皆さんも守られましたでしょうか。継続は力なり、今日からまた聖書の箴言を見てまいりましょう。

 今日は「知恵のある男は力強い」と題してお話します。旧約聖書 箴言24章5節をお読みします。

   「知恵のある男は力強い。知識のある人は力を増す」

 以前、教会を訪ねてきた若者が6ヶ月ほど教会に通って神様を信じました。どうして信仰を持つ決意をしたのか尋ねてみると、「自分は生き方に軸が欲しいと思って信仰を持った」と言います。一貫した物の見方、ぶれない考え方をもって物事に対処していけるようになりたい、ということでした。
 
 確かにそのようなニーズでしたら聖書ほどふさわしいものはないでしょう。この箴言は当時の中東世界の様々な資料を基に編纂されたものです。中にはエジプトの知恵文学からの借用もあります。しかし著者は、神を恐れ神を信じる立場から、国の指導者となる者が持つべき考え方や日々心掛けるべき生き方の有り様(よう)をまとめています。

 24章ではまず1節、「悪い者たちを羨んではならない」 彼らと行動を共にしてはならない、その生き方において悪い者たちと一線を画せ、と勧めています(1、2節参照)。また、神を恐れ、神を信じ、知恵ある者として生きるのであるなら、賢く物事を計画し、慎重に進め、勤勉でありなさいと勧めます(3~10節参照)。そして、人生の鍵は人間関係だ、これを大事にせよと言います(11、12節参照)。

 イスラエルには古い遺跡が様々な場所で発掘されていますが、そこには町を囲む城壁と門といった共通の造りがあります。そしてその門の内側はちょっとした広場になっていて、教育の場として利用されていました。そこで多くの人はこうした生き方の有り様(よう)を教えられました。

 「知恵のある男は力強い。知識のある人は力を増す」(5節)

 人生の考え方を学べる最高の場として教会に通う、それはよい選択であると思います。良い教えによく耳を傾け、日々自身を向上させたいものです。

 では今日も良き一日であるように祈ります。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.6でのお話しより )


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■関東学院を築いた 坂田祐 / 岩井基雄

2024年03月23日 | Weblog

2023/11/4放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。
 今日は関東学院を築いた坂田祐(たすく)です。

 祐は旧会津藩士の中村家の次男として秋田県で生まれました。一家の生活は苦しく、祐は小学校高等科を3年で中退し、銅山で働きます。しかし勉学の志から18歳で東京に向かい転々としますが、そのあと受験して軍人の道を歩み、卒業時は主席として明治天皇から銀時計を受けます。

 規則改正で陸軍士官学校を受験できかった祐は士官学校の馬術教官となります。祐が24歳の時、軍服を着て神田の東京キリスト教青年会館の前を通ると、以前この番組でお話しした「ナイアガラの滝の所有者の息子」と宣伝された木村清松によるキリスト集会がありました。その集会に参加した祐は木村清松が語るスケールの大きな聖書の世界に感銘を受け、聖書が語る神様を求め始めたのです。

 士官学校に転任した彼は、アメリカの宣教師ヘンリー・タッピングと知り合い、聖書クラスや教会に出席し、キリストを信じて洗礼を受けました。さらに伝道者となる思いが与えられた祐は東京伝道学校に入学し、聖書を深く学びます。

 26歳で日露戦争による召集を受け、騎兵特務曹長にまで昇進しますが、その中でも新約聖書ヨハネ伝を用いて聖書を教え、内村鑑三の教えを学び続けました。

 28歳の時に坂田チヱと結婚し坂田姓となり、さらに勉学を続け、最後は東京帝国大学哲学科を卒業します。さらに33歳で内村鑑三の弟子となり、東京学院や日本バプテスト神学校でも教えます。

 聖書による教育の重要性を深く教えられた坂田祐は39歳の時、アメリカ北部バプテスト教会が横浜に新しく建てた学校の責任者になりました。そして1919年、41歳の時、聖書をまっすぐに語り教える関東学院が開設され、学院長に就任したのです。

 その最初の入学式で祐が、後で校訓になる「人になれ 奉仕せよ」と全人格教育を強調し、スケールの大きな人として神と人の前に誠実に歩むことと、愛の実践を学生たちに求めたのです。

 聖書のことば
  「神と人の前に好意を得、聡明であれ。心を尽くして主に拠り頼め」
                    ( 旧約聖書 箴言 3章4節、5節  )


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.4でのお話しより )


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■神の栄光のみによって ~宗教改革記念⑤~ / 岩井基雄

2024年03月22日 | Weblog

2023/11/3放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今週は宗教改革記念日を覚えて宗教改革の大切な5つのソラを1つずつ学んでいます。
 「ソラ」とはラテン語で「~のみ」という意味で、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ、の5つです。今日は最後の「神の栄光のみ」(ソリ・デオ・グロリア)です。

 それは「神にのみ栄光を」という願いや生き方を表すことばでもありました。宗教改革が始まる前のカトリック教会は、教会自体が権威や権力を持ち、自分の栄光を求めていました。 それが当時のカトリック教会の腐敗の要因だったのです。自分の栄光を求めず神の栄光が現わされることを求めて生きるときに、私たちの心は神の前にへりくだり、自分の罪深さを認め、神の前に整えられ続けて歩むことができるのです。
 宗教改革者のマルチン・ルターたちが求めたのは、まさに神の栄光が現わされることであり、神のことばである聖書にこそ、あらゆる権威を取り戻すことでした。

 17世紀にドイツで活躍した作曲家バッハは、自分の楽譜の最後に「SDG」(ソリ・デオグロリア・ただ神の栄光のみ)とよく記しました。彼が作る曲は神の栄光を表すためであったからこそ人々の心に深く届いたのです。

 聖書はこう語っています。
  「すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです」
       新約聖書 コリント人への手紙第二 4章15節

 「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵みのみ」、「キリストのみ」、と人間の救いのために本当に大切なものを強調してきた宗教改革の教えは、「神の栄光のみ」と人生のゴールをはっきりと示しました。ルターたち宗教改革者たちが築き上げた歩みは、聖書が語る本当の愛と自由に生かされる素晴らしい人生へと人々を導いたのです。

 聖書は私たちにも語ります。
  「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」
       コリント人の手紙第一 10章31節

 私たちも神の栄光を現すことを求めて生かされたいと願います。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.3でのお話しより )


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■キリストのみによって ~宗教改革記念④~ / 岩井基雄

2024年03月21日 | Weblog

2023/11/2放送

 「世の光」の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 今週は宗教改革記念日を覚えて宗教改革の大切な5つのソラを1つずつ学んでいます。
 この「ソラ」とは、ラテン語で「~のみ」という意味で、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ、の5つです。今日は「キリストのみ」(ソルス・クリストゥス)です。

 宗教改革が始まる前のローマ・カトリック教会は贖宥状いわゆる免罪符を買うことによって罪が赦されることを教えて多額のお金を集めるなど、教会の内側は腐敗し、教会の権威だけが振りかざされていました。

 しかし宗教改革者マルチン・ルターは、キリスト教会の中心はイエス・キリストご自身であり、キリストが私たちの罪の裁きを身代わりに受け、死に打ち勝ってよみがえられた、この十字架と復活にこそ私たちの救いの基盤があることを強調したのです。すなわち救いは神と人が協力して働いて成り立つと教えていた当時のカトリック教会の権威を否定し、ルターは、神の愛とキリストの救いの業によってのみ人は罪から救われ、義と認められることを聖書から語り続けたのです。

 イエス・キリストについて聖書はこう語っています。
  「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです」
         新約聖書 使徒の働き4章12節

 神の御子イエス・キリストによる十字架と復活によってのみ私たちの救いは与えられるのです。私たちは自分の中に救いの根拠を求める必要がありません。私たちは弱く罪深い者であり、どんな権威や力を持つ者も判断を間違え罪を犯してしまうからです。
 神のあり方を捨てて人となり、へり下って十字架へとまっすぐに向かってくださったキリストにこそ私たちは自分の一切を委ねることができるのです。キリストは、苦しみの中に居る者たち、悲しみの中に打ちひしがれている者たち、力によって抑圧されている者たちの側に立っておられます。
 弱い者と共に歩み、共に泣き、十字架にかけられて私の身代りとなってくださったこのキリストによってのみ、私たちの救いがあり、私たちはこのイエス・キリストを拠り所とすることができ、彼に心からの信頼を持って歩んでいくことができるのです。


 ( PBA制作「世の光」 2023.11.2でのお話しより )


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■恵みのみによって ~宗教改革記念③~ / 岩井基雄

2024年03月20日 | Weblog

2023/11/1放送

 「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今週は昨日祝われた宗教改革記念日を覚えて、宗教改革の大切な5つのソラを1つずつ学んでいます。

 「ソラ」とはラテン語で「~のみ」という意味で、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ、の5つです。今日は「恵みのみ」(ソラ・グラティア)です。

 「恵み」とは、受けるに値しない者が神からのあわれみと愛を一方的に受けることで、無条件に与えられる神の慈しみのことです。

 「恵みによってのみ人は救われる」という教えはカトリック教会から激しく攻撃されました。それはカトリック教会が、救いは神と人が協力して働いて成り立つ、と教えていたからです。神の恵みに加える人間の業(わざ)こそ教会の秩序を保つゆえに「恵みのみによる救い」の教えは教会に混乱と無秩序を生む、と考えたのです。

 しかしマルチン・ルターの心には次の聖書のことばが響いていました。
 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです」
      新約聖書ローマ人への手紙3章23~24節

 罪深い人間の業が人を救うことはできず、ただ神の一方的な愛と恵みによって人は救われること。神の御子キリスト・イエスが私たちのために贖いの業を行い、すなわち私たちの罪の裁きを身代わりに十字架で受けてくださったゆえに、どんな罪人も自分で犠牲を払うことなく罪が赦されることを聖書は語っている、とルターは確信したのです。

 ルターは神の恵みによる具体的な愛についてこう語りました。「神の恵みは私たちに耳を傾け、私たちを導き、動かし、変わらせる、人の中にすべてを働かせ、感じさせ、経験させるものである」と。
 神の恵みがどれほど具体的に私たちの心に働き救いに導くかをルターは語り続けたのです。

 聖書のことば
 「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです」
     新約聖書エペソ人への手紙2章4節、5節


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