世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。新約聖書 第二コリントの手紙4章16節。
「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
ま、私たちは自分の姿を見て、自分は何もできないって感じたり、また困難にぶつかると落ち込みやすく恐れやすい存在だなって感じることがあるでしょう。ま、でも何とかして頑張って強がって自分の弱さを隠してこらえるということもしばしばあります。ま、人生はそんなことの繰り返しかもしれませんね。
でも強がりは決して勇気とは違います。またある人はプライドが優先してしまい、正直に自分を見ようとすることを恐れます。自分が見栄をはって強がっても、内側に希望も確信もなければ何も生まれないんですね。
私が高校生の時、ま、カンフー映画が流行りました。ブルース・リーという人の映画をよく見に行ったんですね。朝から晩まで映画館に入りびたりました。映画館から出てくると、自分がまるで映画の主人公になったかのように感じる訳です。中身はまったく変っていないのに、ただ映画を見続けたら、自分が強くなったようなそんな気がしてくるから不思議ですよね。
人は同じような勘違いをよくするんです。例えば、ほんの少し地位や力を持つと、また成功を収めると、自分がまるで別人になったかのように錯覚するんです。私たちは明日のことさえ分らない小さな弱い存在です。まして死というものの前ではなす術(すべ)を知りません。おれは大丈夫、と豪語しても本来人は脆(もろ)く弱い存在なんです。ですから永遠の支えと励ましがどうしても人には必要なんですね。本当の勇気は、自分をいかに強く見せようとするかではなくて、本当の勇気は、自分の本当のありのままの姿、弱さを持ち明日のことすら分らない存在であることを素直に認めることから始まるんです。
パウロはこう言っています。「私は誇ることがあるとするなら弱さを誇ろう。そして決して人生に勇気を失いません。」と言ったのです。(※)
有名な讃美歌の中に、「主、我を愛す」という讃美歌があります。その詞には、「主は強ければ我弱くとも恐れはあらじ」と歌うんですねえ。私たちの人生は自分の弱さを認め、キリストの強さに覆われていくことから切り開かれていくんですよ。
※
もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。コリント人への手紙第二 11章30節
私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。コリント人への手紙第二 12章5節
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。コリント人への手紙第二 12章9、10節
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。コリント人への手紙第二 4章16節
( PBA制作「世の光」2006.10.31放送でのお話しより )
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