♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■教会に生きるということ / 山本陽一郎

2022年03月31日 | Weblog

2021/9/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。前に病院で内視鏡検査を受けた時、先生が「自分のお腹の中、見てみますか?」と言って画面を見せてくれました。改めて、私たちのからだって本当によく造られていて凄いなあと感じました。

 ところで、聖書の中によく「キリストのからだ」という表現が出てきます。実は、これ、教会のことを言っているんですね。

 「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」エペソ人への手紙1章23節

 かしらはイエス・キリストで、教会はその生きたからだ。
 16世紀の宗教改革者マルティン・ルターは、かしらのキリストとからだの教会の関係を「喜びの交換」と語りました。わたしのものはあなたのもの、そしてあなたのものはわたしのもの。そういう関係が喜びで成立するところ、それが教会なのです。

 ところで、皆さんは映画はお好きでしょうか? 映画の最後にキャストやスタッフなどの一覧が表示されますよね。物語の余韻に浸りながらあれを見ていると、「ああ、一つの作品のためにこんなに大勢の人が携わったんだなぁ」と、また感動してしまいます。大抵の映画と同じようにキリストのからだである教会も一人では成立しません。お互いの存在が必要です。

 私たちのからだが心臓、胃、筋肉、血管、肺、大腸、皮膚そういう多くの器官からなっているのと同じように、すべてのクリスチャンはキリストのからだの一部分なのです。みんな働きは違います。他の誰かにはない、あなたならではの大切な意味があるんです。

 この事から、私たちはお互いが教会においてどれほど大切な存在かを知ることができます。与えられている賜物や役割が違っても上下や優劣はありません。かしらであるキリストに従って生きたからだとして働くために私たちは協力する必要があるんです。今、教会に通っている方も、これから通い始める方も、それは偶然ではありません。あなたはキリストにとって、そして教会のひとりひとりにとって、大切な、本当に大切な存在なのです。

    ( PBA制作「世の光」2021.9.23放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■しもべたちは知っていた / 山本陽一郎

2022年03月30日 | Weblog

2021/9/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。昨日に続いて、カナの結婚披露宴での出来事を見てみましょう。

 裏方さんたちがイエスの指示に従って汲んだ水。それを飲んでみると極上のぶどう酒になっていた。集まっていた客はみんな、「美味しいぶどう酒だったなあ」と喜んで帰って行きました。ただ、水を汲んだ裏方さんたちの思いは客のそれとは、またちょっと違うものだったはずです。

 ヨハネの福音書2章9節には、こう書かれています。

 「汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていた」

 彼らが体験したのは、はるかに大きな驚き、また深い感動でした。何故なら知っていたからです。どこからそのぶどう酒が来たのか。さっき自分たちが汲んだ水が、ぶどう酒に変わった、今ここでイエスの素晴らしい奇跡が行われたという事実を。

 やった人だけが体験できることってあります。祈り続けた人だけが味わえる真実な答えがあります。神が働かれるとき、どんなに素晴らしいことが行われるかをその人たちは身をもって経験できるのです。私たちも主に信頼して、自分に与えられた働きに励み、祈りを重ねていきましょう。

 そして、今日もう一つ確かめたいメッセージは、神の御業を待つことの大切さです。言い換えると委ねるということです。考えてみれば、裏方さんたちが置かれた状況というのは人間的に見ればピンチ以外のなにものでもありませんでした。客が大勢いるのに、ぶどう酒が切れてしまったんです。どうしようもない状況です。でも、そこでイエスは奇跡を行われました。

 人間、誰でもピンチを経験することはありますし心配事もあります。私自身も自分のシナリオにこだわって、自分の力で心配事を解決しようとして焦り、苛立ち、苦しむという経験を何度もしてきました。

 けれども忘れないでいたいのは、解決してくださる神が私たちとともにいてくださるという事実です。自分が今、見えていることだけで結論を決めず、神が与えてくださる希望があると信じましょう。私たちの人生を導いてくださるお方は、今あなたの場所にいてくださいます。

    ( PBA制作「世の光」2021.9.22放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■さあ、水を汲もう / 山本陽一郎

2022年03月29日 | Weblog

2021/9/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。教会では結婚式をすることがありますが、新約聖書にもカナという町で開かれた結婚披露宴での出来事がでてきます。

 当時の祝宴は1週間も続きました。町中から大勢の客が招待されるのが習わしで、そこにイエスも招かれていました。ところがこのとき舞台裏では大変困ったことが起きていたのです。客に振る舞うぶどう酒が途中で切れてしまったんです。このとき、イエスが最初の奇跡を行われました。

 ヨハネの福音書2章7節、8節にはこんなふうに書かれています。

 「イエスは給仕の者たちに言われた。『水がめを水でいっぱいにしなさい。』彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。『さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。』」

 その家の前には、80リットルから120リットルも入るとても大きな水がめが6つ置かれていました。1つだけで数100杯分という計算になります。とはいえ、なくなったのはぶどう酒。いくら水を汲んでも一見すると無関係です。

 でも彼らはイエスが言われた通りにしました。一生懸命に水を汲み、それを世話役のところへ運びました。「どれどれ?」 世話役が味見をしてみると、それはとびきり美味しいぶどう酒でした。いや、正しくはただの水が最高に美味しいぶどう酒に変わっていたのでした。客は大喜び。こうして、最低になりかけた披露宴は最高の披露宴になりました。

 大きな喜びや華やかな成功に人の目は奪われがちです。でもその陰には、ひたすら水を汲むような人には見えないたくさんの仕事があります。実際、仕事というものはほとんどが地味な作業の連続ではないでしょうか。

 けれども、そうした地味な仕事を神は役立てて栄光のために用いてくださるのです。神に信頼して与えられた働きに精一杯、励む中に神の御業に現れる。小さな私たちの小さな働き一つ一つが、思いがけない大きな喜びへと繋がっているということをこの出来事は考えさせてくれます。

 さあ私たちも水を汲みましょう。神がそこに栄光を現してくださることを待ち望みながら。

    ( PBA制作「世の光」2021.9.21放送でのお話しより )

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■神の恵みの中で歳を重ねる / 山本陽一郎

2022年03月28日 | Weblog

2021/9/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。今週は私がメッセージをお届けします。今日は敬老の日です。おじいちゃん、おばあちゃんに、日ごろなかなか伝えられない感謝の気持ちを届ける良い機会です。

 私の祖父母はすでに天国に引っ越していますので地上では会えません。でも牧師として日々多くのご年配の方と関わらせていただいています。おひとり、おひとりとの出会いが与えられ、今ご一緒に歩ませていただけることを感謝しています。

 クリスチャンのご年配の方々とお話ししていると、あることにいつも感動させられます。それは、その口から感謝の言葉がたくさん生まれることです。もちろん人間なので気弱になるときもあるし、体の不調もあります。でもそれだけに終わらず、感謝が本当に自然と出てくるんですね。

 なぜでしょうか。それは神がいつも私とともにいて、この人生を真実に守ってくださると信じておられるからです。それが生き方として根を張り、実を結んでいるのです。

 聖書のイザヤ書46章3節、4節にこうあります。
 「ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」

 まことの神は、人に運んでもらうのではなく、逆に人を運び救い出してくださるお方であると言われています。あなたがたが胎内にいたときからずっと、生まれる前からずっと、そしてあなたがたが歳をとってもずっと同じだと約束してくださいます。この神の守りと救いを知るとき、感謝と平安が湧き上がってくるのです。

 以前、幼い子どもが高齢者施設で無邪気にこう質問しました。「おじいちゃん、おばあちゃんは大きくなったら何になりたいですか?」と。するとある方が微笑みながら、こう言われたのです。「素敵な質問ですね。私は『ありがとう』を忘れないおばあちゃんになりたいです。」 なんと美しい答えだろうと感激しました。私たちも神の恵みの中で感謝しつつ歳を重ねられたら本当に幸いなことですね。

    ( PBA制作「世の光」2021.9.20放送でのお話しより )

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■ルカの福音書-76 神は恵みの神 / 大嶋重徳

2022年03月26日 | Weblog

2021.9.18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ではイエス様が生まれ故郷の会堂で聖書を教えられた時のことが記されています。

 私は京都の福知山という田舎の教会に母親に連れられて行き、そして教会の皆さんから、幼い頃から愛され育てられていきました。そんな私が福知山の教会の礼拝で初めて説教をした時のことです。母親が家に帰ってくると、「今日のあんたの説教よかったなぁ。どこの本に書いてあったん?」と言いました。自分の息子があんな良い説教できるはずがない。どこかの本に書いてあったのをそのまま引用したのだろうと母は考えたわけです。思わず笑ってしまいました。母親としては生活のすべてを知っている息子なのにという思いがあったんでしょう。

 一方、他の教会の方々は、まっすぐに聖書のことばを聖書のことばとして聞いてくださいました。オムツを替えてもらったような方もおられます。「あのシゲちゃんが!」と、かわいがってくださった方々がおられます。礼拝司会者が「大嶋牧師の説教です。」とバトンが渡され、「先生、今日の聖書のことばで教えられました。」と説教を神のことばと聞いて下さる方々がおられました。

 牧師は神のことばを神のことばとして聞いて下さる聴衆によって育てられていくのです。もし福知山の方々が、気に入るような説教ではないと、聞く耳を持たない人々だったらどうだったでしょうか。私の心が揺さぶられることが起こったでしょう。「もっとあの人たちの気に入る説教をしないといけない」と思ったかもしれません。

 そしてその内、牧師の側で起こってくるのは、自分の気に入る信徒を産み出したいという誘惑にかられていくでしょう。そこにはキリストの教会がありません。恵みのことばが語られる教会とはならないんです。

 教会には神様がおられます。神様が牧師も信徒も恵みのことばで育ててくださるんです。その神様が良くしようとしてくださるはずだと信じて、恵みのことばを語り聞くんです。神様が人を育てようとされているプロセスにあるのだ。そして人を育てようとされる恵みの神を見つめる。なぜならば神は恵みの神であって、恵みのことばを語ってくださる。
 この恵みの神のことばが語れる教会に行っていただきたいと思います。会堂に集まる出発点、それは神のことばを聞くためであったことを見失わず、神のことばを誠実に聞いていきたいと思います。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.18放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-75 「歓迎しやすい」神ではない / 大嶋重徳

2022年03月25日 | Weblog

2021.9.17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所では、イエス様が郷里の会堂で聖書を教えられた時のことが記されています。

 イエス様は故郷のナザレに先立って、その前、ガラリヤの各地、カペナウムという場所でも人々を癒やす奇跡もされました。故郷の人々は、「それと同じようなことをやってみろよ。そうしたら信じてやるよ。」と、上から目線で神のことばを聞いていたのです。イエス様からすると、そこに集まってる人々の要求に応えてみせるなど簡単なことだったでしょう。そこにいる誰でもいい、その病気を直せば、みんなが感嘆の声をあげることなど目に見えていたと思います。

 しかし、イエス様は人々の気に入る救い主になることを拒否しておられるのです。人は、自分の納得するような救い主を、自分の気に入る神を期待するんです。神様は、神様らしく振る舞ってもらわないと困る。だって神様なんだから。それが当然ではないか。そして、そういう神であれば歓迎もする。もしそのような神であれば世界中のどこにでも、たくさん人間が造り出した神がいます。

 しかしイエス様はおっしゃるんです。「私はあなた方の歓迎しやすい神ではない」と。そのような神との出会いは、あなたにとって恵みの経験とはならない。ナザレの人々は、気に入らないならいつでも捨てることのできる偶像を欲しがったんです。イエス様は人々の気に入る説教をされませんでした。そんな人々の思いの間をすり抜けて行かれました。しかしそれは人々を偶像の神を造ることから守るためだったんです。いくら殺されそうになろうとも、イエス様は憤りの只中をすり抜けて行き、変わることなく神のことばを語り続けられました。私もそのような牧師でありたいと思います。唯一、求めるべきものは神が私たちに何を求めておられるのかということです。

 「今日、神のことばがあなた方の間に実現した!」 皆さんの生活の中で神のことばが実現することを、ひたすら求める説教をしたいと思います。一心に神の心を求め、人々の怒りの間をすり抜けながら、それでもこのラジオの前の皆さんに恵みのことばを語りたいと思います。恵みのことばとは人々の気に入るかどうかではない、神の求められることばを語ることであり、その神のことばを聞き続ける民がこのラジオの前に起こされることです。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.17放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-74 耳の痛いところにも / 大嶋重徳

2022年03月24日 | Weblog

2021.9.16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を今週、順番に読んでいます。今週の箇所では、イエス様が生まれ故郷の会堂で聖書を教えられた時のことが記されています。
 イエス様の会堂での説教を聞いて、

 「会堂にいた人たちはみな憤りに満たされ、立ち上がってイエスを町の外へ追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。」
                       (4:28-29)

 いくらひどい説教をしても、牧師が殺されそうになるということはなかなかないかと思います。もし私がこのラジオの説教後に、ディレクターからわしづかみにされて、頭を叩かれて、スタジオから追い出されて、お茶の水のお堀から投げ落とそうとされる。ま、こんなことがあったらたまったものではありません。

 その理由をイエス様はこう言われました。

「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。」(4:24)

 「歓迎されない」ということばは「気に入らない」という意味です。故郷のナザレの人々が、最初、自分たちの郷里から出た人気者がいる。あの大工の息子が優れた伝道者となって町々で評判になっていることを喜んでいたと思います。この日も、いつもより多くの人が会堂に集まったのではないかと思います。しかし、その時のイエス様のことばが気に入らなかったんです。

 人間は言います。「私の気に入るように語れ」と。「私の思いどおりになる神でいろ」と。「俺たちは知っているんだ! お前は大工の息子にすぎない。あの家の子どもにすぎない男が偉そうに、立派に神のことばを語ることができるのか。救いの実現を告げようとするのか。偉そうに。面白くない。気に入らない。」

 最初は恵みのことばとして人々は聞いていたのです。しかしいつの間にか、自分の気に入らないことが語られると途端に、イエスを殺そうとするまでの思いへと変化をする。途端に耳を塞ぐ。ここに私たちの罪深い姿があります。

 今日、あなたの気に入らないことばが語られても、そこに神の恵みを見いだす姿勢があるのか?と問われているのです。

 聖書は人々の気に入ることばを語りません。耳の痛いことばであっても、そこに神の恵みはあるのです。あなたを悔い改めに導くことばは恵みのことばです。今日、私たちが求めるべきことは、気に入ることばではなく恵みのことばであることを心に刻みたいと思います。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.16放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-73 支配ではなく愛によって / 大嶋重徳

2022年03月23日 | Weblog

2021.9.15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を今週、順番に読んでいます。今週の箇所では、イエス様が会堂で聖書を教えられたときのことが記されています。

 イエス様が会堂で語られ、そこからさらに故郷の会堂へと向かわれました。自分の生まれ故郷でもイエス様のことが話題になっていました。イエス様は自分の生まれ故郷で、

「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」(4:21)

 と、聖書のことばにある救い主の実現はわたしのことだと語られたのです。

 地元の人々の反応はこうでした。

「『この人はヨセフの子ではないか』と彼らは言った。」(4:22)

 これまでと同じく恵みのことばがイエス様から語られました。しかし人々の反応は、「イエスは自分がよく知っているあのヨセフ一家の子どもに過ぎないではないか」と思う心が生まれたのです。自分が昔から知っているヨセフの子のイエスが、いつの間にか立派になって帰ってきた。しかし、いつの間にか自分の知らないことばを言う人になっている。
 私たちは自分が深く関わった存在が自分の知らない側面を見せたり、知らない人間関係や知らない生活をもっていたりすると、寂しさと同時に腹立たしくなることがあるかもしれません。自分の手の中に入っていると思っていたものが、そうではなくなる思いがするからです。

 子育てもそうでしょう。親は子どものことを誰よりも自分が一番知っていると思いたくなります。しかし親が子どものことを全部知っているはずなどないですし、そんなことなどはできるはずがありません。そのことを分からずに親が子どもに対してその愛情という名の支配の時間が長ければ長いほど、子どもにとっては負担が増していきます。しかも、自分の気に入った姿でなければならないとイライラしてしまう。それでは愛ではなく支配です。

 イエス様もこの感情を地元の人たちからぶつけられました。本当は神の子であるのに、自分たちの思いどおりのヨセフの家の子であるように支配されそうになりました。この人間の愛という名の支配にさらされる気持ちをイエス様は知っていてくださいます。そして、その支配を打ち破ってくださるのです。そこには愛はない、と。そこには神の恵みはないのだ、と。

 聖書のことばが実現するところには人の支配を打ち破る愛があることをイエス様が教えて下さったことを今日私たちは心に刻みながら、恵みのことばに生かされていきたいと思います。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.15放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-72 縛りつける言葉ではなく / 大嶋重徳

2022年03月22日 | Weblog

2021.9.14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ルカ4章の続きでは、イエス様が会堂で聖書を教えられたときのことが記されています。

 この時代、イエス様の説教が直接聞けたのです。私は説教者としてイエス様の肉声の説教を聞いてみたかったなあと思います。どれだけ情熱的に、どれだけ喜びにあふれ、どれだけ聖書のことばに感動したのだろうかと思います。

 この当時の人々の感想が残っています。

 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。(4:15)
  人々は皆、イエスをほめ、その口から出てくる恵みのことばに驚いた。(4:22)

 イエス様の説教のことばを聞いて「称賛」し、このことばは「あがめた」という意味のことばです。つまり神様をあがめることばが人々の思いに生まれたのです。

 ここに一つの説教のモデルがあります。つまり聖書の説教は神様をあがめる思いが生まれるということです。人があがめられるのではありません。私も説教しながらいつも願うことは、神様のことをもっと知りたいと願う人が起こされることです。もし、「先生の話は上手ですね」と言われると間違いなく落ち込むでしょう。自分の話の上手さあるいは下手さしか残らなかったのかと。何が問題だったのだろうかと反省します。

 さらに、イエス様のことばは恵みのことばでした。イエス様のことばは「福音」と言われます。「福音」とは「良き知らせ」という意味のことばです。グッドニュース、これを聞かずしていられようかと人々が思うようなことばでした。

 恵みのことばの逆のことばは何でしょうか。それは、あなたは何々してはならないと律法で縛ることばとなるでしょう。教会で語られることばもイエス様のことばのように恵みのことばでありたいと思います。説教は、何々せねばならないと言った方がむしろ準備は簡単です。しかし、その「ねばならない」に生きることの難しい罪人の自分を助けて生かしてくれる恵みの響きを聖書の説教はもっている必要があります。

 そのとき、私たちは今週もこのことばを聞くために自分の大切なあの人をここに連れてきたいと思います。もし、自分には分かるけれども、自分の家族にはピンとこないだろうなと思える説教であるならば、それは恵みのことばではないでしょう。

 人が決してあがめられず神があがめられ、人を縛りつけることばではなく恵みを受け取りたいと願うような福音のことばをイエス様から受け取っていく今日の一日でありたいと思います。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.14放送でのお話しより )


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■ルカの福音書-71 聖書は恵みの言葉 / 大嶋重徳

2022年03月21日 | Weblog

2021.9.13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所ルカ4章の続きでは、イエス様が御霊に導かれ、会堂で聖書を教えられたときのことが記されています。

 「イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。」

 イエス様の神のことばを語る宣教がスタートしました。そこでイエス様が訪れられたのは会堂だったのです。シナゴーグと呼ばれる会堂がこのときのユダヤの至るところにできていました。

 会堂の始まりは旧約聖書におけるバビロン捕囚だろうと言われています。旧約聖書で、イスラエルがバビロンという大国に侵略され、70年に渡って十数万人レベルでバビロンへと移住させられた屈辱の出来事がありました。これまでエルサレムの神殿で自由に集まり、いつでも神様への礼拝をすることができたイスラエルの民から、神殿礼拝が奪われました。

 そこでバビロン捕囚の時期、預言者を通して語られる神のことばを聞くために、人々はバビロンでも集まり続けました。神のことばを学びながら、イスラエル帰還を待ち望み続けたのです。その後、ペルシアがバビロンを倒し、イスラエルの民はユダヤに戻っていくのですが、この習慣が残りました。エルサレムまでの神殿礼拝がかなわない遠くに住む者たちが、各地に会堂を作り、そこで律法や預言者の書を学び続けたのです。聖書でよく出てくるパリサイ人、律法学者は、この会堂を活動の拠点として信仰を生活の隅々にまで行き渡らせる熱心な人々であったのです。

 イエス様が会堂に来られ聖書を教えられたのも、そこには聖書を学びたいと願う人たちがたくさん集まっていたからでした。イエス様はこの会堂で教えることを生涯大切にされました。そしてクリスチャンたちも全世界で教会堂を建てて、聖書のことばを真剣に学び続けようとしたのです。日本全国各地にあるキリスト教会の会堂には牧師や説教者がたてられ、聖書のことばが熱心に語られ、熱心に聖書のことばが聞かれています。もしかすると私たちの一週間は、まるでバビロンのようなところに押し込められているような窮屈な日々を過ごしているかもしれません。しかし教会に行ってください。そこでは、あなたをのびやかに自由にしてくれる神のことばが語られているのです。

 今週は会堂で語られたイエス様のことばを共にに学んでいきましょう。そこから私たちの日常を生かしてくれる恵みのことばが聞こえてくるはずです。

     ( PBA制作「世の光」2021.9.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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