2017/7/27放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。
十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。
ここまでで見てきたように「みだりに唱えるな」という命令は、ふさわしい神様の名前の読み方があるのだと教えられているのです。そしてその神様の名前をふさわしく呼ぶとは、まさに礼拝という場所で行われるものです。ではなぜ週の初めの日、日曜日に礼拝を捧げているのでしょうか。週の初めの日、遊びに行くのでも自分の時間を確保するのでもなく、神に礼拝を捧げることから新しい一週間を始めようとする時、私たちは自分の人生の最も大切なものが神様だと告白しているのです。
礼拝において『使徒信条』という教会が大切にしてきた信仰告白をする時に、十字架にかかり私たちの救いのために命を投げ打ってくださったキリストの愛と恵みを味わいます。その時に自分が罪人であることを改めて気がつかされ、神様の前で悔い改めに導かれていきます。
更に「主の祈り」にある「御名があがめられますように」という祈りによって神の名をふさわしく呼ぶ読み方を知っていきます。賛美をする時、聖餐をする時、私たちは神の名と共にいる生き方が形造られていくのです。礼拝をし続ける時、神の名をみだりに唱えなくなるのです。礼拝こそ十戒が放つ光の生き方に生きて行こうとする姿勢が私たちの中で立ち上がって来る場所なのです。何より礼拝は神を私物化する生き方から私たちを自由にしてくれる訓練の時となります。
第三戒おけるみだりに神の名を唱えない生き方は礼拝における一つ一つの行為によって実現し始めます。そこで次週から教会において伝統的な礼拝プログラムを見ることにしたいと思います。礼拝におけるプログラムの一つ一つは実は私たちの日常にどのような光の生活を指し示しているのかを教えてくれています。主の日の礼拝は日曜のためだけではありません。生き方の指針となっているのです。いろんな礼拝プログラムが歴史の中で作られてきました。これらはいずれもふさわしい神の名の呼び方を求める真剣な営みです。礼拝プログラムは私たちを自由にする指針が詰まっているのです。
さて次週から礼拝のプログラムの意味をご一緒に考えていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2017.7.27放送でのお話しより )
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。
十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。
ここまでで見てきたように「みだりに唱えるな」という命令は、ふさわしい神様の名前の読み方があるのだと教えられているのです。そしてその神様の名前をふさわしく呼ぶとは、まさに礼拝という場所で行われるものです。ではなぜ週の初めの日、日曜日に礼拝を捧げているのでしょうか。週の初めの日、遊びに行くのでも自分の時間を確保するのでもなく、神に礼拝を捧げることから新しい一週間を始めようとする時、私たちは自分の人生の最も大切なものが神様だと告白しているのです。
礼拝において『使徒信条』という教会が大切にしてきた信仰告白をする時に、十字架にかかり私たちの救いのために命を投げ打ってくださったキリストの愛と恵みを味わいます。その時に自分が罪人であることを改めて気がつかされ、神様の前で悔い改めに導かれていきます。
更に「主の祈り」にある「御名があがめられますように」という祈りによって神の名をふさわしく呼ぶ読み方を知っていきます。賛美をする時、聖餐をする時、私たちは神の名と共にいる生き方が形造られていくのです。礼拝をし続ける時、神の名をみだりに唱えなくなるのです。礼拝こそ十戒が放つ光の生き方に生きて行こうとする姿勢が私たちの中で立ち上がって来る場所なのです。何より礼拝は神を私物化する生き方から私たちを自由にしてくれる訓練の時となります。
第三戒おけるみだりに神の名を唱えない生き方は礼拝における一つ一つの行為によって実現し始めます。そこで次週から教会において伝統的な礼拝プログラムを見ることにしたいと思います。礼拝におけるプログラムの一つ一つは実は私たちの日常にどのような光の生活を指し示しているのかを教えてくれています。主の日の礼拝は日曜のためだけではありません。生き方の指針となっているのです。いろんな礼拝プログラムが歴史の中で作られてきました。これらはいずれもふさわしい神の名の呼び方を求める真剣な営みです。礼拝プログラムは私たちを自由にする指針が詰まっているのです。
さて次週から礼拝のプログラムの意味をご一緒に考えていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」2017.7.27放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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