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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■焼き捨てた / 福井 誠

2018年02月28日 | Weblog
2018/1/24放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「焼き捨てた」です。使徒の働き19章18節-19節を読んでみましょう。

 「そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。また魔術を行なっていた者たちが多数、その書物を持ってきて、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると銀貨五万枚になった。」 (新改訳2017)

 パウロはエペソという所で伝道しました。エペソは「アジアの光」と呼ばれ、当時のローマの行政区アジア地方では重要な植民都市でした。現在はトルコ領西側の一寒村に遺跡を残すに過ぎない場所ですが、当時は交通の要所でアジア州の主都として栄え、経済・文化・宗教の中心地だったのです。当時の人口は約25万人。ユダヤ人が多く植民し、ユダヤ人の会堂も建てられていました。

 パウロはここで約2年半滞在し、始めの3ヶ月、ユダヤ人に妨害されるまで会堂で伝道し、そのあと、学者ティラノ(ツラノ)の所有する講堂に移って2年に渡って伝道したようですね。

 パウロは未明から第5時つまり私たちの時間で言うと午前11時まで労働し、みんなが休憩する講堂の空き時間---第5時から第10時つまり午前11時から午後4時まで---、その講堂で福音を語りました。そのような精力的な活動によってエペソからアジア全域に渡って主のことばが広まっていきます。

 しかも主のことばはただ単に知的情報として受け入れられたのではなくて、聞いた人々の生活を根本から変える実際的な信仰として受け入れられていくのです。ですから既にお読みしたように信仰に入った人々の中で魔術を行なっていた人たちは、自分たちの持っていた書物を焼き捨て魔術を捨て去るということもしました。キリスト教信仰というのは本当に信頼すべきお方を明確にするのです。それは天地万物をお造りになりこの世界を支配しておられる創造主を信じることであり、私たちの罪の赦しのために十字架にお架かりになったイエスを信じることですね。その主イエスに何もつけ足しものはありません。占いも風水もおみくじも要りません。迷信的な一切の行為を捨てて、ただ主イエスを信じる信仰にしっかりと立って歩ませていただきたいものですね。


(PBA制作「世の光」2018.1.24放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■沈黙のイエス / 板倉邦雄

2018年02月27日 | Weblog
2018/1/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「沈黙のイエス」という題でお話ししましょう。

 豚に真珠ということわざがあります。高価な真珠を豚に与えてもその価値が分からないことから、価値が分からない者に貴重なものを与えても何の役にも立てられないことを言っています。

 さてイエス様はヘロデ王様の所へ連行されて行きました。大祭司カヤパの官邸からユダヤの最高議会、それからローマの総督ピラトの官邸、そして今度はヘロデの滞在している所です。まさに、たらい回しでした。

 ヘロデはイエス様を見て非常に喜びました。それはかねてからイエス様の噂はヘロデ王の耳に入っていたので、一目会ってみたいと長い間思っていたからです。もう一つは、イエス様が奇蹟を見せてくれるんじゃないかと望んでいました。

 そこで連行されてきたイエスを見て、いろいろと質問を試みましたが、イエス様は何も答えられず、沈黙したままでした。その代り、一緒にやってきた祭司長たちや律法学者たちは次々に立ち上がり、激しい語調でイエス様を訴え続けたのです。そして何とヘロデ王自ら、連行してきた人々と一緒になってイエス様を侮辱したり、からかったりした挙げ句、王様の華やかな着物を着せて笑い種(ぐさ)にしてピラトのもとに送り返してしまったのです。

 さてイエス様がなぜヘロデ王の前で沈黙を守ったのか。まずそれはヘロデ王はイエス様をマジックをする芸人のように見ていたからです。次にヘロデ王は訴えた人と一緒になってイエス様をからかい嘲弄をしたりした、と書いてあります。

 さて、私たちもイエス様に対してヘロデ王のような態度にならないようにしたいものですね。くれぐれもイエス様に対して不敬虔な者とならないように祈りましょう。

 豚に真珠となってはならないのです。また逆に、ヘロデ王のような人に真珠を投げ与えてはならないということです。

 イエス様のことばです。
 「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
      マタイの福音書7章6節 (口語訳聖書)

   (PBA制作「世の光」2018.1.23放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ


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■真の希望に生かされた中田重治(1) / 岩井基雄

2018年02月26日 | Weblog
2018/1/22放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第四週の月曜日は歴史の中歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は真の希望に生かされた中田重治について学んでみましょう。

 明治3年陸奥の国弘前で津軽藩の足軽の三男として生まれた中田重治は4歳の時に目の前で脳溢血で倒れた父の死と出会います。寂しさを抱える重治はかなりの暴れん坊でした。彼の行動が少しでも変わるようにと母は重治をキリスト教会の弘前公会に連れて行くようになりました。その頃弘前公会の牧師をしていたのが以前学んだ本多庸一で、本多は生涯にわたり重治に大きな影響を与えていきます。次男である兄貞作が最初に救い主イエス・キリストを信じますが、貞作はわずか14歳で亡くなります。その死をきっかけにして母が救い主キリストのよみがえりを心から信じ、死に勝利する希望に生かされていくようになったのです。15歳となった重治も長男と同じミッションスクール東奥義塾に入学します。そして18歳の時に自分の罪を認め、キリストが自分の罪のために死んでくださりよみがえられたことを信じ、キリスト教の洗礼を受けたのです。暴れん坊の彼は変えられ、被差別などにも神の愛を伝えに出かける愛の人とされていきました。そしてキリストの福音と希望を語る使命を神様から受け、伝道者となることを志し上京します。東京英和学校(今の青山学院の神学部に入学した重治は神様の不思議な導きで、後に学長となる恩師本多庸一とも再会し、彼から聖書の真理を学んでいくのです。父と兄の死に深い失望わ通った重治でしたが、救い主イエス・キリストの愛とよみがえりに基づく真の希望に生かされ、その愛と希望を伝えるものとされていきました。

 聖書のことば
 「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
 新約聖書 ローマ人への手紙5章3節から5節

 あなたも神の愛を受け、真の希望に生かされていきませんか?
 
       PBA制作「世の光」2018.1.22放送でのお話しより)

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こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■アブラハムへの神の約束と私たち / 羽鳥頼和

2018年02月24日 | Weblog
2018/1/20放送

 キリスト教会がお送りする世の光。
世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書の創世記18章18節と19節にある神の言葉からアブラハムへの祝福の約束についてお話しします。アブラハムは元の名前をアブラムと言いました。神によって彼の子孫は神の民イスラエルとなるのです。先週も神がアブラハムに祝福を約束されたことをお話ししましたが神はここでアブラハムにさらなる祝福を約束されたのです。
 
 創世記18章の18節で神はアブラハムに言われました。「アブラハムは必ず強く大いなる国民となり、地の全ての国民は彼によって祝福される。」アブラハムを祝福すると約束した神はさらにアブラハムの子孫を大いなる強いものとすることを約束されました。それがイスラエルです。さらに神はアブラハムによって世界中の人々を祝福するというのです。
 
 続く19節で神はアブラハムへの祝福のも一つの面を教えられました。神は言われました。「わたしがアブラハムを選び出したのは、彼がその子どもたちと後の家族に命じて、彼らが神の道を守り正義と公正を行うようになるためであり、それによって神がアブラハムについて約束したことを彼の上に成就するためである。」
 神の与える祝福はアブラハムの子孫が神の民となって神の教える正義と公正を行うようになるということなのです。

 先のもう一つの約束である「すべての国民は彼によって祝福される」ということと合わせると、世界中の人々も神の民となって正義と公正を行うようになれるということができるのではないでしょうか。確かに新約聖書エペソ人への手紙2章10節でこのように言われています。私たちは神の作品であって良い行いをするためにキリストイエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むようにそのよい行いをあらかじめ備えてくださったのです。」

 私は最も良い行いは神を礼拝することだと思います。神を礼拝できるということが素晴らしい神からの祝福なのです。

 明日は日曜日です。神を礼拝するためにお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」 2018.1.20放送でのお話より )
 
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■御名があがめられますように / 関根弘興

2018年02月23日 | Weblog
2018/1/19放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。聖書は祈りの大切さを教えています。イエス・キリストは弟子たちにどのように祈ったらよいのかを教えてくださいました。それは主の祈りと呼ばれるものです。この祈りは「天にいます私たちの父よ。」(マタイ 6章9節)という呼びかけから始まるんです。

 そして続いて「御名があがめられますように。」(マタイ 6章9節 新改訳聖書)と祈るのです。御名とはお名前ということですね。これは神様ご自身を表しているんです。ですから「御名があがめられますように」とは、神様があがめられますようにという意味なんですね。

 「あがめられますように」とは具体的にはどういうことなのでしょう。このことばは「聖なるものとされる」という意味があります。ですから「御名があがめられますように」というのは「神様が聖なるものとされるように」(参照 新改訳2017 マタイ 6章9節)という祈りなんですね。

 でも神様は私たちが祈る前から聖なるお方ですよねえ。きよいお方です。どうして「聖なるものとされるように」と祈るのでしょう。実はこの祈りは「神様が聖なる方であることをすべてのものが認めるようになりますように」という意味が込められているものなんです。

 旧約聖書のエゼキエルという預言者がいました。エゼキエルが神様のことばを語った時、人々は「神様なんか礼拝しても意味が無い。天地を創造した神様がいるといっても私たちは敵国に抑圧され、こんな惨めな貧しい生活を送っているではないか。」 そのように反発されてしまったんです。でも神様はエゼキエルを通して彼らにこう語ったんですね。「わたしがお前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民はわたしが主であることを知るようになる。」 このように言われたんです。つまり一人ひとりが「御名があがめられますように、聖なるものとされますように。」と祈ることを通して、すべての人々が神様が主なるお方であることを知るようになっていくのだと教えているんですねえ。

 イエス様は、私たちが神様の完全さや力を疑ったり否定したりするのではなく、「神様。あなたはすべてを最善に導いてくださる聖なるお方です。聖なる主です。」と大胆に告白し、「神様があがめられますように。」と祈りなさいと教えておられるんですね。そしてその祈りによって確かに神様が主であることを自分もまた周りの人々も知る事ができるようになっていくのだと約束してくださっているんです。

  (PBA制作「世の光」2018.1.19放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし 44 / 大嶋重徳

2018年02月22日 | Weblog
2018/1/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。聖書のことばは自由へと導くためのことばなのです。十戒の第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記 20章8節)と語られた神様は休みを取られた神様でした。

 私たちの世の光のラジオ番組は朝の早い時間に流れています。歴史的に多くのクリスチャンたちは一日の始めにあるいは一日の終わりに神様の前に静まり聖書のことばを読み祈るという静思の時--静かに思い巡らす時--・デボーションと呼ばれる時間を大切にしてきました。これは一日の中で神様の前での安息の時間を確保する意味を持ちます。十戒の第四戒の安息日をきちんと守るキリスト者は、日曜日だけ教会に行ってたらいいんでしょうと言わず、日常の中で神様を思い巡らす安息の時を持つことを選んできました。

 私も朝の静かな時間に聖書を読みお祈りする時間を持っています。忙しい時であっても電車の中で讃美を聞きながら聖書を読み、神様との時間にします。時にはお風呂に聖書を持ち込んで温かいお湯に浸りながらお祈りをする時も持ちます。時間がたっぷりある時は、聖書を1冊だけ持って携帯電話はもって行かずに、1-2時間じっくりいろんなことを考える時間を持つこともあります。そしてこういう時間が人生には必要だということも皆さんも知っておられるのだと思います。疲れ果ててしまっているとき、私たちは自分の目の前に起こっている事に急に怒りが湧いてきたり、妬みが起こったりします。しかし静かに聖書を読み祈る朝を持つことは新しく始まる自分の一日を神様の前に差し出し思い巡らし、そしてそこに働いてくださるであろう神のご計画を祈りの中で受け取ることができるようになります。あるいは夜の一日の眠る前に神様が働いてくださった一日であったことを非常に良かったと神様に感謝を捧げるのです。

 この安息の時間こそ今日の時間管理や明日の優先順位を神様の前で選び取る時間となります。私たちは時間が無いから神様の前で安息の時を持つことができないというのではなく、安息日の時を持つことができないから時間に追われてしまうのだということを覚えておかないといけません。世の光を聞いたこの後の時間、少し静まってみる時間を意識して持ってみてください。今日の一日がきっと変わることと思います。

   ( PBA制作「世の光」2018.1.18放送でのお話しより )

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■ますます広まっていった / 福井 誠

2018年02月21日 | Weblog
2018/1/17放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ますます広まっていった」です。使徒5章30節を読んでみましょう。

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「ますます広まっていった」です。使徒の働き12章24節を読んでみましょう。
 「神のことばはますます盛んになり、広まっていった。

 「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようと手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺し、更にペテロを捕えた」(1-2節参照)とありますね。ここで言うヘロデ王はヘロデ・アグリッパ1世のことで、ヘロデ大王の孫にあたる人です。彼は紀元37年に王の称号を与えられ、41年に事実上パレスチナ全土の王となり、44年に死んでいるので、ここに記された事件はその4年間に起こったことのようです。

 ともあれ、ヘロデ王はイドヤマの出身、つまりユダヤ人から見れば異民族でしたから、ユダヤ人の王として君臨する以上ユダヤ人の歓心を買おうとして、キリスト者を弾圧し、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺しました。ユダヤ人はそんなヘロデを歓迎します。彼らにとって、自分たちの王が異民族であることよりも、十字架で殺したのにいよいよ力を増していくイエスの教えを信奉する弟子たちの方が受け入れられなかったのですね。しかしそれはキリスト教会がユダヤ人の偏狭な民族主義・排他主義から脱皮していくきっかけでもありました。

 そのような激しい弾圧の中で神のことばはますます盛んになり広まっていくようになります。大切なのは神が生きておられる方であることを覚える事でしょう。どんなに人間的な思惑が働こうと、人間的な動きがあろうと、この世界を本当に支配しておられるのは神です。神がこの世界のあらゆる動きを導き、そして正しいことをなさるのです。ですからヘロデ王の、自分を神とするような横暴な態度はいつまでも許されることはありませんでした。

 ヘロデがある種の記念式典を開いた時のこと、参列者は王をまるで神のように崇めたてることがありました。しかし生殺与奪の権を持つと、おごり高ぶり、神に栄光を帰さなかったヘロデは、そこで主の使いに打たれて死んでしまうのです。

 人は神に変わることはできません。確かに生きておられ正しいことをなさる神を恐れて歩んでいきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.1.17放送でのお話より )

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■責任のがれ / 板倉邦雄

2018年02月20日 | Weblog
2018/1/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「責任逃れ」という題でお話ししましょう。一国を預かる指導者の責任は大きい。その国の未来を背負っているからですね。ルカの福音書の23章に入ります。

 さて、祭司長たちと群衆たちは、イエス様を当時のローマ政府からユダヤに派遣されていたローマの総督ポンテオ・ピラトの官邸へ連行して行きました。そしてローマの法律に触れるような罪状を訴え出たのです。ローマ法では神への冒涜罪ぐらいでは死刑にはできないからです。「ポンテオ・ピラト閣下。この輩は多くの国民を惑わし、貢や税金をローマ政府に納めることを禁じているだけではありません。自分こそ王なる救世主だと宣伝しているのを目撃しました。」

 ピラトは連行されて来たイエス様に尋ねました。「あなたがユダヤ人の王であるのか。」

 イエス様は答えました。「その通りです。」

 他にもピラトはイエス様に尋ねたでしょう。そして祭司長たちや群衆の前に出て言いました。「私にはこの人に何の罪も認められない。」

 その判決を聞いた祭司長たちは民衆たちは総督ピラトに言い寄ってきたのです。「この人はガリラヤ地方から始めてユダヤ全国を股にかけ、教え、民衆を煽動しているのです。」 

 「この人はガリラヤ地方から始めて」ということばを聞いた総督ピラトは、ガリラヤ出身ならばヘロデ王の支配下ではないか、と思い当たりました。こういう面倒くさい事に困りはてたピラト総督は、ヘロデ王にイエスを投げてしまおうと考えたのです。

 しかもちょうどその頃、ヘロデ王がエルサレムの都に来ていたのを幸いに、イエス様をヘロデ王の元へ送ってしまいました。総督ピラトは愚かな指導者ではありません。ユダヤ人たちの要求に応えたくなかっただけです。罪のない人を死刑にしたくなかったからでしょう。だからといってユダヤ人たちの暴動による混乱を引き起こしたくはありませんでした。自分の地位が危なくなるからです。そこで自分の責任ある決断を逃避して、ヘロデ王にイエス様の裁判を投げてしまいました。指導者に責任逃れはできないのです。

   (PBA制作「世の光」2018.1.16放送でのお話より )

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■彼らの不信仰に驚かれた / 岩井基雄

2018年02月19日 | Weblog
2018/1/15放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。第3週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。聖書に記される驚きの多くはイエス・キリストの愛や奇蹟のわざに対する人々の驚きです。しかしキリスト自身の驚きも記されています。

 一つはローマ兵百人のリーダー百人隊長の素晴らしい信仰への驚きであり、もう一つはキリストが育ったナザレの人々の不信仰への驚きでした。ローマの百人隊長はユダヤ人ではない異邦人でしたが神を恐れ、神の御子に信頼し、キリストのことば一つで自分のしもべの病気が癒されると信じ、その通りになったのです。しかしキリストの郷里ナザレの人々は神の民でしたが、自分たちと一緒に育ったイエスを神の御子・救い主として受け入れることはできにくかったのでしょうか、聖書はこう語っています。

 「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行なうことができなかった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。」 
      新約聖書 マルコの福音書6章4節から6節  (新改訳2017)

 多くの愛のわざ、いやしのわざを行なったイエスが故郷では何一つ力あるわざを行えなかったのは、ナザレの人々の不信仰が要因でした。自分たちが知る限りのイエスにこだわり続けたナザレの人々はイエスの救い主キリストとしての姿に気が付けなかったでしょう。私たちもまたイエス・キリストに対する自分のイメージや限られた知識にこだわってしまう時に、聖書が証しするキリストの真の姿に気がつかないことがあります。聖書は何を語っているのかにあなたの心を留めてみませんか? そして神様が遣わされた御子イエス・キリストの本当の愛を受け入れてみませんか? 

 聖書のことば
 「神はそのひとり子を世に遣わし、
  その方によって
  私たちにいのちを得させてくださいました。
  それによって
  神の愛が私たちに示されたのです。
  私たちが神を愛したのではなく、
  神が私たちを愛し、
  私たちの罪のために、
  宥めのささげ物としての御子を遣わされました。
  ここに愛があるのです。

       新約聖書 ヨハネ第一の手紙4章9節、10節 (新改訳2017)

 まことの愛による新しい人生をあなたも歩み始めて行きませんか? 

       PBA制作「世の光」2018.1.8放送でのお話しより)

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■神の約束とアブラムの信仰 / 羽鳥頼和

2018年02月17日 | Weblog
2018/1/13放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書の創世記12章からアブラムへの神の約束についてお話します。アブラムは神によってイスラエルの先祖となった人です。神はアブラムに言われました。
「あなたはあなたの土地を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすればわたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。」(創世記12章1節、2節参照)

 神はアブラムを祝福すると約束してくださいました。祝福の約束をいただいたアブラムは、神が言われた通りに、自分の住んでいた町を出て、妻のサライと共に神の示された地に行きました。そこに着くとアブラムは神のために祭壇を築き神を礼拝しました。

 ところがその地で飢饉が起こりました。それでアブラムはしばらくの間エジプトに滞在することにしました。エジプトに着くとアブラムは妻のサライに願いました。「エジプト人は綺麗なあなたを見ると私を殺してあなたを奪うだろう。すべてのことをうまく運ぶために、どうか私の妹だと言ってくれ。」案の定、サライを見たエジプト人は綺麗なサライを見るとエジプトの王ファラオにサライを勧めました。こうしてサライはエジプトの宮廷に召し入れられたのです。アブラムには多くの家畜などが与えられました。すると神はファラオに災いをくだされました。神は災いによってファラオにサライがアブラムの妻であることを教えられたのです。サライがアブラムの妻であることを知ったファラオは嘘をついたアブラムを厳しく咎めました。しかしアブラムには神がついていると感じたファラオはアブラムに処罰を与えないで、ただエジプトから出て行くように命じたのでした。神はアブラムを守られました。そしてこの失敗はアブラムの信仰の姿勢を正しました。アブラムはエジプトを出た後、前に祭壇を建てた所に戻り、再び神を礼拝したのです。

 明日は日曜日です。教会では神に礼拝をささげます。祝福の約束を受けたアブラムが神を礼拝したように、私たちも神を礼拝しましょう。お近くのキリスト教会にいらしてください。
(PBA制作「世の光」 2018.1.13放送でのお話より )
 
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