♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■善を行い神に喜ばれる/羽鳥頼和

2015年05月30日 | Weblog
2015/5/30放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 北イスラエルにオバデヤという人がいました。彼はアハブ王に仕えていました。アハブは神の言うことを聞かない悪い王でした。しかしオバデヤは子どもの頃から神を信じている人でした。今日はこのオバデヤのことをお話しします。

 アハブ王の治世に多くの神の預言者たちが殺されました。その時オバデヤは100人の預言者を救い出し、50人ずつ洞穴の中に匿い、パンと水で彼らを養っていました。それはオバデヤが非常に神を恐れていたからであると聖書は言います。彼は神を信じて恐れ敬っていたのです。

 彼はアハブ王にも従いました。その頃、国に飢饉が3年間も続いていました。王は彼に、それぞれ国中に分かれて泉や川に少しでも水が無いか探そう、と言いました。オバデヤは王に言われた通り、水を探し歩いたのです。

 このオバデヤの姿から私は新約聖書のペテロの手紙第一の2章にあることばを思い出しました。2章にはこのようにあります。
 「すべての人を敬いなさい。・・・、神を恐れ、王を尊びなさい。しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」 ( 1ペテロ 2章17-18節 )
 オバデヤはこのことばの通りの人だったと思います。神を恐れながら、横暴な主人であるアハブ王にも従いました。

 ペテロ手紙第一の2章にはこのようなことばもあります。
  「善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」 (1ペテロ 2章20節 )
  オバデヤは王に従いながら神の預言者たちを守りました。このことは彼にとって大変なことであり、苦しいことだったでしょう。しかしペテロの手紙を見るなら、彼は神に喜ばれていたことが分ります。人は善を行うことによって神を喜ばせることができるのです。これは素晴らしいこと、光栄なことです。私たちも善を行うことによって神に喜ばれる者となりたいものです。

 さて善を行うことの他にも神に喜ばれることがあります。それは礼拝です。
 明日は日曜日です。キリスト教会では神に礼拝をおささげします。神に喜ばれる礼拝をおささげしましょう。お近くの教会にぜひいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.5.30放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■忠実に愛を表す者~小西行長/岩井基雄

2015年05月29日 | Weblog
2015/5/29放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。先週に引き続き、歴史の中を歩んだクリスチャンやキリシタンの生涯から学びましょう。今日は、忠実に愛を表したキリシタン大名小西行長です。

 行長は永禄元年、1558年和泉の国、堺の商人・小西降佐の次男として京都で生まれます。16歳の時、備前岡山の商家へ養子に行くのですが、その道中、堺の町で多くの浮浪児たちを目にし、何とかこの孤児たちが暮らせる家を造ってあげたいと考えるようになったと言われています。後に商人として宇喜田家に出入りするうち、(宇喜田)直家に才能を見出され、やがて直家の臣下として働くようになり、直家の息子と共に羽柴家へと託され、商人から武士へと身分を変えました。商人時代に培った航海の技量を見込まれ、多くの海戦へ出陣、やがて秀吉の水軍を指揮するようにまでなったのです。

 その頃に行直はキリシタンとして信仰に生きる武将・高山右近に出会います。そして右近と話すうち、神様への信仰、イエス・キリストにある愛と救いの豊かさを知り、洗礼を受けたのです。あらゆることを神様は用いてくださるのですね。行長は水軍を維持する費用以外の財産を蓄えず、至る所に孤児のための施設を建設、またハンセン病患者のための施療院をも作ります。また父親のいる堺にも送金し、大阪でもハンセン病施療院・孤児院を建設させます。彼の愛の実践はイエス・キリストの愛を基盤とし、幼い頃の決心に基づくものでした。

 その後、秀吉によりバテレン追放令が出されると領地から追放された高山右近を行長は自分の領地・小豆島に囲うのです。他にも日本に残った宣教師たちを含むキリシタンを護っていきました。関が原の戦いでは石田光成方について破れ、京都で斬首されますが、刑場においても主の名を唱え、手にはイエス・キリストの絵を捧げ持ち、刑についたと言われています。神様の愛を貫き続けた生涯でした。

 聖書のことば
 「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙3章18節

 私たちも真実な愛を実践する者とさせていただきたいですね。

 (PBA制作「世の光」2015.5.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主から来る/福井 誠

2015年05月28日 | Weblog
2015/5/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主から来る」です。 それではイザヤ書22章5節から読んでみましょう。

 「なぜなら、恐慌と蹂躙と混乱の日は、万軍の神、主から来るからだ。

 22章は幻の谷に対する宣告。幻の谷というのは南ユダ・エルサレムのことを言っています。エルサレムはヒノムとキデロンという二つの谷によって囲まれていました。イザヤは激しく泣きたい心情を語り伝えています。以前イザヤが裸になって行動預言という形で神以外の者に依り頼む惨めな結末を預言したことを覚えておられるでしょうか。神のことばの確かさを畏れつつ受け止め、熱心に語り伝えたイザヤならではの心が現わされていますね。

 この預言の背景には一つのエピソードがありました。それはアッシリヤの王がエルサレムを包囲した時に、アッシリヤが突然その囲みを解いて引き上げエルサレムの谷が解放された出来事ですね。エルサレムの谷はそこで喜んでばかりいないで本当は悔い改めなくてはなりませんでした。その脅威に緊張感をもって自らを反省し、自分たちを開放してくれた神を認め、心から神に立ち返り、神を愛さなくてはならなかったのです。しかし彼らは神よりも戦力、ますます人間的な力に依り頼んで行くのです。

 イザヤはそんなイスラエルの民に過去の教訓から学ぶように、そして神を認めてすべての良き事とも悪しき事も神の御心の中で起こっていることに注意を向けさせるのですね。「恐慌と蹂躙と混乱の日は、万軍の神、主から来るからだ。」ということは、踏みにじられる悲惨さと混乱の日を止め回避されるのも主であるということです。

 イザヤはユダヤの指導者の一人を批判しています。彼は贅沢の粋を極めていました。そして神の奇跡的な助けを認めへりくだる心を欠いていました。そこで神は、その指導者からその地位を取上げ別の人に与える、と言います。自らの欲望のままに高ぶり権力を個人的利益のために用いた指導者は裁かれ、敬虔に忠実に生きる指導者は神の守りと祝福を受ける。すべては神が決められること、神から来ることだ、と言うのです。神を恐れて歩みたいものですね。

 「イスラエルの神、主が告げられたのだ。


(PBA制作「世の光」2015.5.28放送でのお話より )

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■雷と雹の災害 / 板倉邦雄

2015年05月27日 | Weblog
2015/5/27放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「雷と雹の災害」という題でお話ししましょう。

 最近東京にも突然雷が鳴り雹が降ってくる時があります。雹は、雨が天上で氷の塊になって落ちてきますから、当たりますと怪我をするでしょう。エジプトの国での災害が続きます。

 さて主なる神様はモーセに言われました。「あなたを手を天に向かって差し伸べ、エジプト全国に渡ってエジプトの地にいる人と獣と畑のすべての青物の上に雹を降らせなさい。」 モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主なる神様は雷と雹を送られたのです。

 それにしましても、あの雷がゴロゴロと鳴り、稲妻が樹木や野原に落ちる光景は恐ろしいものです。その間に雨を伴った塊の雹が降ってきたのです。しかも雹はエジプト全土に渡ってすべての畑で働く人と獣を家畜を打ち災害を加えました。また雹は畑のすべての作物を打ち、被害を与えたのです。

 ところが不思議なことに、イスラエルの人々が住んでいたゴセンの地には雹が降らなかったのでした。人や家畜の被害、作物の被害を聞いたパロ王様は家来を遣わしてモーセとアロンを呼びました。経済的な損失は自分たちに振りかかって来るからです。

 「私は今度こそ罪を犯した。お前たちの信じる主という名の神は正しい。私と私の民は悪い。だから主なる神様に祈願してくれ。この雷と雹はもう十分だ。私はお前たちの希望通り、あなたがたと民たちを去らせよう。もはや留まらなくてもよろしい。」

 モーセは王様に言いました。「私が町を出るとすぐ主なる神に向かって手を延べるでしょう。すると雷は止み雹はもはや降らなくなります。あなたはこの地が主なる神の所有であることを知らされるでしょう。しかしあなたとあなたの家来たちはなお主なる神を畏れないことを私は知っています。」

 エジプトの国王と家来たち、そして実は私たちも、災害の原因はしばしば私たちの側にあることを忘れないようにしましょう。そしてとにかく災害が取り除かれることばかり考え、私たち自身過ちを悔い改めようとしない頑固さがあることを忘れてはなりません。

 (PBA制作「世の光」2015.5.27放送でのお話より )

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■主の祈り - 17 / 大嶋重徳

2015年05月26日 | Weblog
2015/5/26放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。 

 聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りは「我らの父よ」と複数形で祈ります。なぜイエス様は祈りを「我ら」と複数形で祈るようにと教えられたのでしょうか。それは神様が、神様を信じる「我ら」という教会の交わりを通して、この世界に神様の栄光を現わそうとされているのです。簡単に言いますと、神の栄光を現わすとは、神様がいることが分る、ということです。神様は今、神様を信じる教会の交わりを通して神様の存在を明らかにしようとしておられるのです。

 私は最初この事を聞いた時に、何て回りくどいことをされるんだろうか、と思いました。ラジオをお聴きの皆さんの中にも、いやいやキリスト教会にはいろんな面倒な人間関係がありますよ、クリスチャンの人間関係なんてとてもとても神様の栄光を現わしているとは思えません、と思われる経験をされた方もおられるかもしれません。私も、「神様!」と呼べば何か手のひらに光が現れてくれるほうが神様がいることが分りやすくていいのではないか、と思ったことがあります。

 しかし神様は、あらゆる人間関係が壊れてしまっているこの社会の中で、「天にまします我らの父よ」と神様に期待して祈る集まりを通して、神様がこの世界におられることを表そうとされているのです。聖書のメッセージで語られる神のことばに示されて自ら悪かったと謝ることのできる信仰者を通して、あるいはどんなに赦しがたい出来事が起こったとしても神様に教わった赦しで誰かを赦そうとする関係を通して、またどんなに悲しい出来事が起こったとしても賛美の歌を歌おうとする励まし合う交わりを通して、神様はこの世界に、わたしはいるよ、ということを教会を通して表そうとしておられるのです。

 そしてその姿を初めて教会に来てくださった方たちが、ああここには社会のどことも違った神様を中心とする関係があるのだな、と思える交わりを通して神様はこの世界に神の栄光を現わしておられます。

 もちろん、地上の教会はまだまだ足りないことが多々あります。しかし少しずつ少しずつ神様のことばを聴き続けることで我らが成長して行き、自分もまたいつかは教会にいれば神様によって変わっていけるのかなあ、とクリスチャンではない方も知る事ができるのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.5.26放送でのお話しより )

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■何に支配されているか/関根弘興

2015年05月25日 | Weblog
2015/5/25放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架につけられましたが三日めに復活されました。そして天に上り、信じる一人ひとりにもう一人の助け主・聖霊を与えてくださると約束なさったのです。

 さて弟子たちは約束通りに聖霊が与えられ、神様が共にいてくださることを確信し、イエス・キリストの福音を世界中に宣べ伝えていくようになりました。

 福音とは一体何でしょう。それは「大丈夫!」という知らせなんですね。何が起こっても大丈夫、どこにいても大丈夫、イエス・キリストが愛と真実をもって一人ひとりを支配してくださっているのですから、という知らせなんです。

 ただ、「支配される」なんてことばを聞くと否定的なイメージを持つ方も多いかもしれませんね。しかし、私たちの人生は必ず何かに支配されているんです。神などいない!という考え方に支配されてる人もいますし、たくさんの物に支配されている人もいます。自分は誰からも愛されていないという、そんな思いに支配されている人もいます。また様々な宗教的な迷信に支配されている人もいます。

 例えば、良いこと・善行を重ねなければ人間は救われないという考え方に支配されている人もいます。悪いことが起こるたびに、ああ自分の善行が足りない、と責めることになるでしょうね。また前世が悪いからとか、今の状態が不幸なのは前世のせいだという、そんな考えに支配されている人がいるかもしれません。因果応報の考え方に支配され不自由になっている人がいるかもしれません。

 実は私たちはみなに何かに支配されながら生きているんです。ですから誰によってまた何によって支配されているか、その事は人生に大きな変化をもたらすんですね。

 聖書は何を伝えているのでしょう。愛と真実に満ちた神様が私たちの罪を赦すためにイエス・キリストを遣わしてくださり、そのイエス・キリストが私たちの罪のために十字架についてくださり、そして三日目によみがえり、信じる一人ひとりに赦しと永遠のいのちを与えてくださると約束しているのです。そしてこの方が今も生きており、一人ひとりの内に住んでくださり、そして私たちを様々な束縛から自由にしてくださるんだと約束しているのです。

 パウロという人はコロサイ人への手紙1章13節でこのように語っています。
 「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

 キリストが私たちの人生を守り導いてくださるんです。私たちは安心して喜びをもって自分らしく生きることできるんですね。

 (PBA制作「世の光」2015.5.25放送でのお話しより)

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■忌み嫌うべきならわし/羽鳥頼和

2015年05月23日 | Weblog
2015/5/23放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 イスラエルの国が南北に分かれていた時代、南のユダの国でのことです。ユダの人々は外国の宗教の習慣を行なっていました。外国の宗教の習慣を神は「忌み嫌うべき慣わし」と言いました。その習慣とは丘の上や木の下に異教の祭壇や偶像を立てたり、神殿の中で公然と性交渉をすることでした。

 なぜ神はそのような外国の宗教の習慣を「忌み嫌うべき慣わし」と言ったのでしょう。もちろん神殿での性交渉は道徳的に良くないことです。神はこれらの習慣を人は避けるべきであるという意味で「忌み嫌うべき慣わし」と言われたのです。

 それではなぜ人々はこのような習慣を避けなければならなかったのでしょう。それには二つの理由がありました。

 第一の理由は、このような習慣を神が嫌われることだからです。人は神と同じ思いになるべきでした。聖書はダビデ王のことを、「彼の心は神と全く一つになっていた。」(列王記第一 11章4節、15章3節、使徒13章22節参照)と言っています。ダビデは神の御心を第一としていたのです。人々もこのダビデのようになるべきでした。ですから、神の嫌われることを人も嫌うべきなのです。

 異教の習慣を避けなければならないもう一つの理由は、異教の習慣を行うことが神との約束を破ることになるからです。人々は異教の習慣を避けるべきであるという神の命令に賛同し、自分は行わないと約束していたのです(ヨシュア記 24章14 ~27節参照)。

 外国の宗教の習慣を忌み嫌うことは寛容ではないように思えるかもしれません。しかし、これらの理由を覚えるなら必ずしもそうではないことが分ると思います。神は異教の習慣を避けなさい、遠ざけなさい、してはいけない、と言いましたが、外国人を嫌うようにとは言いませんでした。むしろ神は在留異国人たちに優しく配慮するように命じています。

 イエス・キリストは「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ 6章27節)と命じています。神の命令は人を排除しようとするものではなく、人と神との関係を良くするためのものだったのです。そして今や神は、キリストによってあなたと良い関係を持ちたいと願っておられるのです。

 明日は日曜日です。神との良い関係を持つために、ぜひご近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.5.23放送でのお話より )
 
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■慰めを受け、与えた、大友宗麟/岩井基雄

2015年05月22日 | Weblog
2015/5/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の第四の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンやキリシタンの生涯から学んでいますが、今日は九州の内、北の方の六つの国を治めることになったキリシタン大名・大友宗麟について学んでみましょう。

 宗麟は幼い頃に母親が亡くなります。また父親に愛されずに育った、とも言われています。更に家督の争いの中で肉親に裏切られ、またその謀略によって父親を除かざるを得なくなり、家督相続をしたのが彼が二十歳の時でした。その二、三年後に宗麟は当時宣教に来ていたフランシスコ・ザビエルとの出会いがあったのです。すぐには信仰には入りませんでしたが、深く傷ついた心に宣教師の愛と熱意は響いていったようです。彼は様々な戦に勝利をし、領土を広げていきますが、外様の領主たちや一族からの寝返りなど、この国を守る様々な困難によって本当の平安や慰めはなかったのではないか、と言われています。むしろ様々な虚しさで一杯だったのではないでしょうか。それらのことが背景になって、彼は次第に真実な神様の愛に心を開いていきました。

 最初は南蛮貿易の利益を目的としたキリスト教との関わりでした。しかし信仰のためにいのちをも捧げる外国人宣教師たちまた彼らの温かな愛や温もりに接するにつれ、宗麟はイエス・キリストの愛と恵みに惹かれていきます。そして自分の息子や家臣にキリスト教への入信を勧め、次男・親家(ちかいえ)が洗礼を受け、大友家の重臣たちも入信し始めます。しかし宮司の娘でもあった宗麟の妻は、キリスト教を憎悪し、信者になろうとする者や宣教師たちを迫害しました。宗麟はついに彼女と離縁をし、正妻の侍女であったキリシタン・ジュリアを後妻として宗麟自身も洗礼を受けたのです。この後も宗麟は様々な葛藤や戦いを経験して行きます。しかし彼自身、多くの家臣たちを慰める者へと変えられていったのです。

 聖書のことば

 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

 聖書 コリント第二の手紙1章4節

 神はあなたをも慰め、あなたを慰めの器としてくださるのです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.22放送でのお話しより)

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■主が告げられた/福井 誠

2015年05月21日 | Weblog
2015/5/21放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主が告げられた」です。 それではイザヤ書21章17節から読んでみましょう。

 「イスラエルの神、主が告げられたのだ。

 21章はバビロンやその周辺諸国についての裁きについて語っています。紀元前689年、セナケリブが率いるアッシリヤ軍がダビデを陥落させたことを預言するものですね。その時、人々はいつものように飲み食いをしていました。つまりいつも通りの生活をしていたのです。そこにアッシリヤ軍が攻めてきました。この緊急事態に非常招集がかけられて兵士が集められるのですが、それは虚しい応戦となりました。バビロンの兵士はなぎ倒され、殺戮の惨劇が繰り広げられるのです。

 すでにイザヤは13章から14章で、バビロンに対する裁きのメッセージを伝えています。しかしここ21章は単なるその繰り返しではなく、イザヤの人間的な感情つまり悲しみの思いを加えた強いメッセージになっていますね。 つまり、どんなにあらかじめ警告されていてもその警告に耳が傾けられずそれが現実に起こると、余りにも悲しい事にイザヤはその幻を見て心を打たれて叫ぶのです。心乱れて聞くに耐えない、恐ろしさの余り見るに耐えない、そんな裁きを受けてはならない、と声を大にして語るのです。

 かつて私の母は不幸のどん底にあった時、キリスト教の救いを説き明かす牧師に向かって、もし神がいるのならどうして私はこんなに不幸なのか、と食ってかかったと言いますが、その後神様の憐れみによって救いに導かれてからは、もっと早く神を信じ悔い改めておくべきだった、と言いました。まさに私たちは神を信じもしないのに不幸が起こると神を怨んでしまうものでしょう。

 しかし神様は、不幸になってはいけない、とあらかじめ聖書において警告しているのです。聖書は私たちに、思慮を欠いて自ら災いに飛び込むことなく幸いの中に生きる道を語り伝えています。既に神は人の道の幸いのあり方を聖書によって告げ知らせているのです。あらかじめ語られている神のことばに耳を傾け、神の幸いを得るものでありたいものですねえ。ぜひ聖書を読みましょうね。

(PBA制作「世の光」2015.5.21放送でのお話より )

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■心配して下さる神 / 板倉邦雄

2015年05月20日 | Weblog
2015/5/20放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「心配してくださる神」という題でお話ししましょう。聖書の神様が実は、強情な私たちを顧みてくださり心配してくださる神様だ、ということです。

 さて、主なる神様は第7番目の災害をエジプト全土に下そうとしておられました。エジプト国王に対してモーセを通して、こう仰せられました。「あなたはなおもわたしの国民に向かって自分を高くし思いあがって、わたしの国民を解放しようとはしない。だから明日わたしは恐ろしい大きな雹(ひょう)を降らせるであろう。それはエジプトの国が始まって以来、今までなかった災害だ。」 そしてこう付け加えたのです。「だから、今、人をやってあなたの家畜とあなたが持っている野原で働くすべての使用人、すべての家畜を避難させなさい。人も家畜もすべて野にあって家に避難しないなら雹に打たれて全滅するであろう。」 優しい神様ですねえ。それを聞いた王様の家来の内、主なる神様のことばを信じた人は自分の使用人と家畜を家に帰らせました。しかし王様と他の家来は主なる神のことばを心に留めることもなく、使用人と家畜を野に残したままでした。主なる神様は強情でわがままでしかも高慢な王様と国民に対して心配してくださっているのです。ですから、「あなたがたの思い煩いを一切神に委ねなさい。神があなたとのこと心配してくださっているのです。」(1ペテロ 5章7節参照)と聖書は勧めているのです。

 しかし、エジプトの王様はますます強情になって行きました。私たちが強情になるとどうなるかを見て終わりましょう。

 主はモーセに言われました。「あなたの手を天に向かって差し伸べ、エジプトにいる人と家畜と畑の野菜の上に雹を降らせなさい。」 災害の範囲が人と家畜そして畑の野菜にまで及んだと言うことです。雨と雷と冷たい雹によって家畜と野菜は壊滅状態となって行きました。野にいた牧畜の人々と畑にいた農夫の人たちは雷と雹に打たれたのです。エジプト国王の頑固さはエジプト全土に七つの災害をもたらしていきました。しかもその被害はますます広がってゆくばかりです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.20放送でのお話より )

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