♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■人間の願いや努力によってではなく

2007年05月31日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
 
 今日は、聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
 ローマ人への手紙 9章16節

 旧約聖書の中でヨブという人がこんなことばを語っています。
 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。」(ヨブ記 1章21節)

 人間は、何も持たずにこの世に生まれてきました。しかし成長するにつれて学歴や肩書きなど様々な付属物を身につけていきます。そしていつしか付属物で着膨れした姿を自分だと思うようになり、もともと自分が何も持たない裸であったことを忘れてしまう所があります。

 ですから、事故や病気、退職や死別など様々な理由で自分の培ってきたものが失われ、裸にされるようなことがあると途端に自信を失い、何もない自分を悲しむようになります。

 しかし神様は私たちをそんなふうには見ていません。パウロは旧約聖書に出てくるイサクの家族の例を取り上げて神様のものの味方を、こう説明しています。

・・・イサクには二人の子どもがいました。エサウとヤコブという双児の兄弟でした。神様が愛し祝福したのは長男のエサウではなく、弟のヤコブでした。しかも神様は、ヤコブが生まれる前から、善も悪も行わないうちに、祝福しようと選んでおられたのです。・・・

 ヤコブがどのような生き方をするか、どのような性質や肩書きを身につけるかではなく、初めから祝福を決めておられたと言います。

 神の祝福は人間の願いや努力によって与えられるものではありません。神様は努力に見合う祝福を与えてくださる方ではなく、裸で生まれ出た、何もないままの私たちを愛し祝福してくださるお方です。

 そういう神様がおられるからこそ、どんな時にも望みを抱くことが出来ます。

 今週も聖書を読み、その神様にこそ望みを置いて歩ませていただくことにしましょう。

 「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
 ローマ人への手紙 9章16節

 (PBA制作「世の光」2007.05.31放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


お問い合わせがありましたら、コメント欄でどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■福音の四季 : 朝を大切に

2007年05月30日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
 さあ今日の世の光、まず皆様からのお便りの紹介です。

 長野県小布施町にお住まいの今年89歳の原たけしさんから戴きました。
 詩です。

  『 季節 』

   冬から春へ
   冬から春へ
   陽、陽、陽(ひ ※日?)
   喜びです
   ありがとうございます
   ありがとうございます

   生かされる
   生かされています
  
 原さん、今朝も喜びに溢れた短い詩、ありがとうございます。いつも原さん、朝を大切にしておいでですねえ。

 今日の福音の四季は、旧約聖書 詩篇119篇147節、148節。
私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。 私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。

 私たちにとって朝の時間は大切ですねえ。モーセもヨシュアもダビデもみな朝を大切にしていました。ダビデは朝、夜明け前に目を覚ましました。そしていっしょう懸命、神からのみことばを求めました。ダビデにとって神のみことばは、いのちのパンでした。

 昔イスラエルは、荒野を旅していました。食料は何もありません。哀れみ深い神は毎朝夜明け前に天からマナという食べ物を降らせてくださいました。ダビデは王様ですから食べ物は豊かでしたが、ダビデが求めたのは天からのマナ、神のみことばでした。神のことばこそ自分のいのちの糧と知っていましたから、毎日、陽の昇る前に起き、神のことばを待ち望みました。私たちも毎朝ダビデのように天からのマナを戴き、神のことばで魂を豊かに養って戴かなければなりませんねえ。

 聖書のことば
 「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。 私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。
旧約聖書 詩篇119篇の147、148節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2007.05.30放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■勇敢でありなさい!

2007年05月29日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日はまず、イエス・キリストの語られたことばを紹介いたしましょう。ヨハネの福音書16章33節。

 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

 イエス・キリストはここで、「あなたがたは、世にあっては患難があります。」とはっきり告げられました。イエス様は、患難のないそして困難のない人生を与えるとは決して約束なされなかったんですねえ。それどころか世にあっては患難があるとはっきりと告げられました。

 時々私たちは信じればバラ色の人生が待っているとか、すべての問題が解決するとか、信じるということが問題のない人生を保証するかのように勘違いしてしまうことがあります。でもイエス様は決してそうは約束されませんでした。患難がある、苦しみもある、と言われたんです。そしてその通り、キリスト教会の歴史を見ると弟子たちの大半は殉教していきました。

 しかしイエス様は艱難があることを語りましたが、続けてこうも語っています。勇敢でありなさいと。このことばは、しっかりしなさいとか、心配しないでよいという、そういうことばです。

 ある時弟子たちがガリラヤ湖で嵐に会い舟を漕ぎあぐねている時、イエス様は湖の上を歩いてこられ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ 14章27節)と言われました。しっかりしなさいと言われたんですねえ。床に寝たまま運ばれてきた中風の人に対してイエス様は、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」(マタイ 9章2節)と言われました。12年も婦人病を煩っていた女性にイエス様は「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」(マタイ 9章22節)と言われました。イエス様は、しっかりしなさい、勇敢でありなさい、と言われるんです。

 でもイエス様が、勇敢でありなさい、と言われるのは、痩せ我慢して無理をして自分の力でがんばれという意味ではありません。イエス様御自身が共に歩み、イエス様が世に勝ってくださったのであなたがたは勇敢でありなさい、心配しないでよい、とイエス様は言われるんです。

 パウロという人は、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ 8章31節)と語りました。

 人生には、いろいろのことが起こります。しかし勇敢でありなさい、とイエス様は言われるのです。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ 8章28節)

 ( PBA制作「世の光」2007.05.29放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会への問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■天国志向

2007年05月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
 
 えー、最近はあの「千の風になって」というあの歌が随分ヒットしていますよねえ。この歌で随分慰められたり励まされたり、っていう方々がいらっしゃるようで、気持ちは良く分かるような気がしますねえ。誰もがやっぱりこの地上で終わりではない、永遠の世界があるのだという、そういう、まあ一つの願望と言いましょうかねえ、希望を持ってということだと思うんですけれどもね。

 ですけれども聖書を見ますならば、本当にイエス様は実際にお墓にはいません。そして死からよみがえられて生きておられる。そして私たちに、永遠に生きるという希望・保証を与えてくださったという意味においては、それは単なる私たちの願望とか、夢とかいうことよりも、非常に現実的な、そしてそれは事実として私たちの内に実現するのだということ。それが聖書が教えているその福音、良き音信(おとずれ)ということなんですね。

 あのう、岩渕まことさんという方のCDにヘブンリイというのがあります。ヘブンって天ですよねえ天国。そのヘブンリイ。で、毎日の生活の中で、天国のような、また天国を望みながら生きる生活と言いましょうか。岩渕さんたちはその愛するお子さんを幼くして天に送って、で、家族の合い言葉のように「やがて天国で会いましょう」というそれをこう希望にしながら毎日励んでいるというふうなことをよく話しておられる訳ですけども。

 聖書の中に、「私たちの国籍は天にある」(ピリピ人への手紙 3章20節 口語訳聖書)ということばがあります。「国籍は天にある」 私たちは、この地上だけの生涯がすべてなのではない。この地上にあっては苦しいこともあり、また楽しいこともありますけれども、この地上がすべてではない。やがて永遠において私たちは神様の前で過ごすということが聖書の教えている所ですね。それがはっきりしていませんとその自暴自棄のような生活になってしまったり享楽的な生活で終わってしまったり、苦しみだけで呟(つぶや)きをいつも思いながら生きるしかないような生活になってしまう。私たちには永遠の希望があるというそれは、イエス・キリストの十字架と復活によって私たちにはっきりとされたものだということ。その土台に立ってですね、永遠を思う生活をするということが大切だと、そう思います。
 


 ( PBA制作「世の光」2007.05.28放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■わたしのところに来なさい

2007年05月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしでょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。

 徳島県那賀郡那賀町にお住まいの牧師先生、清原さんから新約聖書マタイの福音書11章28節をお寄せいただきました。お読みしましょう。
  「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 『私は昭和18年、福岡県の生まれです。中学・高校と脅迫神経症を病み、高校卒業直後に入院しました。病院で持たれていた聖書集会で、神の存在に目を開かれました。神がおられるならばすべては解決するという確信が与えられ、その後、児童福祉の道に導かれ、教護院徳島学院で20年勤務しました。それから神学校で学び、卒業して46歳の時から徳島県那賀郡鷲敷(わじき)キリスト教会で伝道させていただいて現在に至っております。山間の生活は、空気良し、野菜は豊富、そして生活は楽、皆様住むなら和食(わじき)の町です。また、人間、いろいろの迷い・悩み・問題があります。教会に来てくだされば、できるだけお助けできると思いますので、ぜひ教会にもいらっしゃってください。私自身、若い時からいろいろと悩んで来て、そこから見事抜け出させていただきましたので、御相談にも乗らせていただけると思います。』

 えー、このおことばを読んでいて、私も和食の町に行ってみたいと思いました。

 清原牧師の心に残る聖書のことば
 イエス・キリストの招きのことばですね。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
新約聖書マタイの福音書11章28節のみことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.05.26放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会
まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  ￿￿￿  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
     (自由ケ丘キリスト教会内)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■適応の力と方向

2007年05月25日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。
 
 今日は、いかに適切に適応していくかということについて考えてみたいと思います。私たち人間は、環境の動物などとも言われるくらい周りの影響を受けていきます。新聞に、こんなおもしろい実験報告が載っていました。

 おたまじゃくしとその天敵であるオオサンショウウオを並べて飼育すると、おたまじゃくしはオオサンショウウオに食べられまいとしてその体が二倍に育ち、オオサンショウウオはおたまじゃくしを食べられるようにと顎の大きさが二倍になった。両者を離すと元に戻ったって言うんですね。

 人間のメカニズムの中にもこういうことがあるのではないでしょうか。私の娘の友だちが小学生の時、転校したらいじめられないようにって勉強しなくなった。わざわざ悪い点を取るようになった。良い点を取るといじめられるからだって言うんです。聞いて悲しくなりました。でもこういう現実ってありますね。

 私たちは目に見えない心は体よりももっと繊細で複雑に適応してしまう訳です。ですから環境にいかに適切に適応していくかということが大切になる訳です。ま、そのためにいろいろな工夫や心掛けがあると思いますが、その一つにアイデンティティをしっかり持つということがあると思います。つまり自分はこういう者だから、こうはする、そうはしないという自分のモデルと言ったらいいでしょうか。

 新約聖書のエペソ人への手紙の2章10節には、そのことについて、こんなふうに書かれています。
 「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」と。

 神の作品とか、良い行いのモデル、模範、それがイエス・キリストです。ですから私たちは本来、神の作品、キリストのように造られている。だからどのように生きるかモデルがあるという訳です。

 そうすると体や口が大きくなっていくように、心も大きく豊かになっていく、キリストのように生きるというメカニズムが働く。そして神様がそう期待されている。その期待に応えて生きようとする力が働いてくる。そして何よりも神様は、そうなっていくために備えてくださる、導いてくださる、という言うのです。
 

  (PBA制作「世の光」2007.05.25放送でのお話しより )

***** 

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******

この文字版「世の光」ブログは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

お問い合わせがありましたら、コメント欄でどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■圧倒的な勝利者となる

2007年05月24日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
 
 今日は、聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。

 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
 ローマ人への手紙8章35節から37節

 この世の社会では、人は能力のある事、才覚が回ることで評価されやすいものです。学校では良い成績をとる人、会社では良い業績をあげる人が注目され、要領が悪くて物事を上手に進められない人は切り捨てられていくものでしょう。

 しかし神の評価は能力よりも心に向けられます。心の内にキリストがかたちづくられること、しみやしわや傷のない純真な心がかたちづくられているかどうかです。人間の関心と神の関心には大きな違いがあるのです。ただこの世の競争社会の流れの中で神の関心に沿って生きることにどれほどの意義があるのでしょうか。

 しかし考えてみましょう。キリストのような柔和さときよさ、純真な心を持つことの意義は大変大きなものではないでしょうか。実際、人生の様々な場面において最終的に勝利する人というのは、あらゆる状況の中で自制力を働かせ冷静沈着に行動できる人、柔和さと寛容さをもって人を受け入れていく人、深い誠実さと愛をもって人に向かいあう人でしょう。つまり、圧倒的な勝利者となる人というのは、キリストの愛に守られて、同じキリストの愛が心に満ち満ちている人なのです。私たちのためにいのちを投げ出してまでも愛してくださったキリストと共に生きる人生に、負けはありません。

 あなたも聖書を読み、キリストのいのちに触れ、キリストに勝利の力を与えられて人生を歩んでみませんか?

 (PBA制作「世の光」2007.05.24放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


お問い合わせがありましたら、コメント欄でどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■福音の四季 : 信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐

2007年05月23日 | Weblog



 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
 さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便りの紹介です。

 埼玉県草加市にある草加キングスガーデンの三谷さんから戴きました。

 私も八十間近になりました。イエス様の愛の迫りを受けて、主が望まれるのであれば岐阜県の小さな教会で牧会をしている息子の所に行って残された日々を主にお仕えしたいと祈りつつ、待ち望んでいます。

 三谷さん、ありがとうございました。歳をとってもなお主に御奉仕したいという熱い心に感動し、お祈りをします。

 さ、今日の福音の四季のメッセージです。近頃、次のパウロの手紙のことばを読んで励まされています。
私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」(テサロニケ人への手紙第一 1章2節、3節)

 三谷さん、八十歳になろうとしているのに、岐阜の田舎の小さな教会で牧師をしている息子さんと共に福音のために働きたいというその信仰の働き・愛の労苦・望みの忍耐にびっくりすると共に感服しております。

 パウロが開拓したテサロニケの教会は年寄りの人でも若い人でも男も女もみんな救われて間もない新米のクリスチャンたちです。それにもかかわらずテサロニケの教会の人々は、第一に、頭で考えているだけではなく信仰によって働いている。第二に、ただことばだけではなく愛をもって労苦をしている。そして第三に、神の約束に望みを置いて忍耐して待っている。パウロはテサロニケの教会に手紙を送り、「私は毎日あなたがたのために祈り、神に感謝している」と言いました。この三つの姿、これこそクリスチャンの秘密だと思います。

 聖書のことば
信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」テサロニケ人への手紙第一 1章3節のことばです。

 それではまた聞いてください。
 
 (PBA制作「世の光」2007.05.23放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■わたしでなくキリスト

2007年05月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日は最初に聖書のことばを紹介いたしましょう。使徒の働き3章19節。
あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

 このことばは、ペテロという人が群衆に語ったことばです。ペテロはわざわざ「罪をぬぐい去っていただくために・・・悔い改めて、神に立ち返りなさい。」って語っているんですねえ。この「罪をぬぐい去っていただく」とは一体どういうことでしょう。

 当時の文字というのはですねえ、粘土板やパピルスという葦でできた紙に書かれていました。字を消す時にはどうするかというと、粘土板なら水に浸して擦る訳です。そうすると消えますよね。しかしパピルス紙の場合は、スポンジのようなものを水に浸して、そして水でインクを浮き上がらせて拭き取って消していきました。
 
 この「罪をぬぐい去る」ということばは、裁判官が記録しておられる罪状書きを消していただくということを意味しているんですね。ですから、神様が持っておられるあなたの罪の記録を消してもらうということでもあるんですよ。つまり私たちは神様の前に、罪人ではなくて赦された者として、罪を消し去られた者としての身分に変えていただくことができるという訳なんです。

 神様は、御自分に立ち帰る者をイエス・キリストのあの十字架で流された血潮によって罪をぬぐい取り、罪のない者として認め、けっして罰をお下しになることはないのだというのです。だから悔い改めてイエス様に従いなさいとペテロは説教しました。

 それでは、「悔い改める」って一体どういうことでしょう。これは神様に向きを変えるということです。でもただ漠然と変えるだけではありません。ただ神様を信じますということだけでもありません。イエス・キリストを救い主として認め受け入れ、あがめるという人生の方向転換なんです。

 そしてこの悔い改めていく人生に備えられているものがあるんです。神様があなたの人生に回復を与えてくださるって言うんですよ。

 「回復」、これはギリシャ語では「息つく」という意味があるんです。よく「息つく暇もない」ということばを使いますよねえ。忙しい生活をよく指しますね、そのことばは。「息つく」とは、ほっとできる時、本当の平安・慰め・安息を意味しているんです。

 私たちはイエス・キリストに向きを変えて生かされていく時に、魂に平安が与えられるんですね。ほっとできる人生を得ることができるんです。もちろんこの世においては、困難があります。辛いことがあります。でもイエス・キリストの約束は、ほっとできる生涯をあなたに与えることなんです。

 ( PBA制作「世の光」2007.05.22放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会への問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■たとえ切られても

2007年05月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
 
 今は緑の美しい時ですよねえ。私は時々思うんですけれども、この木はあの冬の間、本当に枯れてしまったんだろうかと思うみたいに何にもない時があったのになあって思うんですね。まさに寒風の吹き荒(すさ)ぶ中で木の葉をすっかり落とした裸の梢をですね、寒空にそそり立てて立っている樹木の姿というのは、本当にもう枯れてしまったのだろうかなあと思うような感じがしますよねえ。時に街路樹など、そこまでしなくってもいいんじゃないか?、と思えるほど思いっきり枝を切り落とされて丸坊主になって北風に曝(さら)されているというふうな光景も見かけますよねえ。それでも春ともなれば見事に芽を吹出して枝を伸ばし始めるんですから、いのちの素晴らしさというのはもう感動せずにはおられませんね。

 聖書のヨブ記に次のようなことばがあります。
 「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。」(ヨブ記14章7節) 「木には望みがある。」ってありますけれども、その木の望みは根にあるということが言えると思いますよねえ。

 根はどんな嵐に揺さぶられても倒れないように支える働きと、絶えず大地から水分と養分とを吸い上げていのちの供給をしてくれる訳です。表面には見えなくって隠れていますけれども、木にとってはいのちの支えそのもの。根が大地にしっかり食い込んでさえいれば上の方で葉が落ちて枯れたように見えても、枝がばっさり切られるような事態が起きても、なお木には望みがある訳ですよねえ。

 人の一生にはいろんな時期があります。物事がすべて順調に思える春もあれば、万物が枯れる厳しい冬もさまざまな形をとってやってきます。例えば事業の挫折、思いがけない大病、愛する者との死別、家庭内のトラブルなど。しかもそれらが重なって同時にということもあり得ます。

 しかしたとえ切られても、もし根がしっかりしていれば、それらの試練に打ち勝って、また芽を出すことができるということですねえ。根がしっかりとした人生というのは、それは一体どこに根を下ろすかということが問題ですよね。

 聖書を見ますならば、やっぱり生けるまことの変わりない神の愛にしっかり根を下ろす。変わることのない神の約束のことばに根を下ろす。そのことが大事なことだと思いますね。たとい切られても、でも大丈夫です。


 ( PBA制作「世の光」2007.05.21放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする