世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。
今日は、聖書の中のローマ人への手紙から読んでみましょう。
「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
ローマ人への手紙 9章16節
旧約聖書の中でヨブという人がこんなことばを語っています。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。」(ヨブ記 1章21節)
人間は、何も持たずにこの世に生まれてきました。しかし成長するにつれて学歴や肩書きなど様々な付属物を身につけていきます。そしていつしか付属物で着膨れした姿を自分だと思うようになり、もともと自分が何も持たない裸であったことを忘れてしまう所があります。
ですから、事故や病気、退職や死別など様々な理由で自分の培ってきたものが失われ、裸にされるようなことがあると途端に自信を失い、何もない自分を悲しむようになります。
しかし神様は私たちをそんなふうには見ていません。パウロは旧約聖書に出てくるイサクの家族の例を取り上げて神様のものの味方を、こう説明しています。
・・・イサクには二人の子どもがいました。エサウとヤコブという双児の兄弟でした。神様が愛し祝福したのは長男のエサウではなく、弟のヤコブでした。しかも神様は、ヤコブが生まれる前から、善も悪も行わないうちに、祝福しようと選んでおられたのです。・・・
ヤコブがどのような生き方をするか、どのような性質や肩書きを身につけるかではなく、初めから祝福を決めておられたと言います。
神の祝福は人間の願いや努力によって与えられるものではありません。神様は努力に見合う祝福を与えてくださる方ではなく、裸で生まれ出た、何もないままの私たちを愛し祝福してくださるお方です。
そういう神様がおられるからこそ、どんな時にも望みを抱くことが出来ます。
今週も聖書を読み、その神様にこそ望みを置いて歩ませていただくことにしましょう。
「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
ローマ人への手紙 9章16節
(PBA制作「世の光」2007.05.31放送でのお話しより)
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