♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■“新しい人” よ、感謝に溢れて神に向かって歌おう! / 原田憲夫

2022年07月30日 | Weblog

2022/2/19放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。今日はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙が「新しい人」に呼びかける「感謝に溢れて神に向かって歌う」ことについて、思いをめぐらしたいと思います。3章16節をお読みします。

 「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」

 この箇所は、「新しい人」すなわち救い主キリストを心に迎え、キリストの平和・キリストのことばが心に宿る人たちから溢れ出すのはただ感謝であり、それは心から神をほめたたえる歌だ、というのです。

 ところで、紀元(AD)112年の古い手紙に驚くような内容が記されていました。小アジア、今のトルコの北西部で、黒海に面したミテニヤのローマ人総督プリニウスがローマ皇帝トラヤアヌスに送った報告書です。そこに当時のクリスチャンたちの様子が次のように書き記されていました。

 「クリスチャンたちは一定の日のまだ日が昇る前に集まる習慣があった。神としてのキリストに賛美歌を歌い、いかなる悪行にも身をまかせないと誓う。欺瞞、盗み、姦淫から遠ざかり、約束を破らず、信頼を裏切らない。集会が終わると解散し、また食事をともにするために集まる。食事は普通の質素なものである。」

 とあります。これはクリスチャンたちを弾圧し迫害した当事者の目に映ったクリスチャンたちの真実の姿でした。

 すると、ある人はこう考えるかもしれません。「キリストを信じた結果が迫害ですか。苦難ですか。それなら信じない方が良いのではないですか? 」と。

 しかし、事実は違いました。迫害下の中で、苦難の中で、詩と賛美と霊の歌により感謝を持って心から神に向かって歌い続けたのです。

 十字架のキリストを通して、神様の愛と恵みによって、罪の奴隷状態から解放され、永遠のいのちをいただいて、きよい神様の光の中を歩む喜びの方が、迫害による苦しみよりもはるかに大きかったのです。

 いかがでしょう。あなたも今日、たとえ苦難・試練の中にあっても、キリストを心に迎え、「新しい人」として感謝に溢れて心から神に向かって歌う日々を歩み始めませんか?

 あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.19放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■“新しい人” よ、知恵を尽くして互いに / 原田憲夫

2022年07月29日 | Weblog

2022/2/18放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。今日はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙が「新しい人」に勧める「知恵を尽くして」について耳を傾けたいと思います。3章16節をお読みします。

 「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」

 キリストのことばに耳を傾け始めると、それまで思いも寄らなかったキリストご自身の一つ一つのことばが、教えが、心に響いてきます。すると、それまでの友人、隣人に対する態度や関わり方、それに神様に対する姿勢が前向きに変わり始めます。

 例えば、隣人が抱える問題があると、それに対して一緒に答えを探し始めます。友人が自分の犯した過ち・罪に苦しみ痛んでいるのを知ると、他人事として知らん顔できなくなります。そればかりか不思議ですが、キリストのことばから流れでる知恵を尽くして、互いに戒め合い、励まし合い、助け合い、もとの道に一緒に戻ってともにまた歩き始めようとするのです。

 そうです。誰かが抱える悲しみや悩みがあれば、ともに悲しみ、悩みます。誰か喜べばともに喜び合います。誰か罪に陥り、苦しみ痛んでいるのであれば、知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、悔い改め、赦しと慰めをともに 味わいたいと変えられていくのです。

 ただ、この知恵はどこで身につけるのでしょう。生まれつきでしょうか? 修養によってでしょうか? 

 いいえ。この手紙は2章3節でこう語っています。
 「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」

 そうです。互いに教え、忠告し合うためには、キリストの知恵・知識が必要なのです。そのためには、この手紙が語る、「古い人」を脱ぎ捨て、「新しい人」を着た新しい生き方、が鍵となるのです。

 いかがでしょう。私たちを取り巻く厳しい状況はまだまだ続いていますが、あなたも今日から神の知恵、知識であるキリスト心に迎え、「新しい人」として、友と隣人とともに知恵を尽くして互いに励まし合いながら歩んでいきませんか? 

 あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.18放送でのお話しより )


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■“新しい人” の心にキリストのことばが / 原田憲夫

2022年07月28日 | Weblog

2022/2/17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。今日はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙が「新しい人」に勧めるキリストのことばについて耳を傾けたいと思います。3章16節前半をお読みします。

 「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。」

 「キリストのことば」と聞いても、大抵は自分には関係がないと聞き流してしまいます。ところが時折、このラジオ番組「世の光」を聞いたのがきっかけで聖書の話を聞き続け、それまで気づかなかったキリストのことばが心に響いてきた、というお便りをいただくことがあります。

 それは、ちょうどある日の朝、ふと庭の木に小鳥たちがとまっていることに気づいた時から、それまで毎朝来ていても気づかなかった小鳥たちの愛らしい姿がはっきりわかってくるのと似ています。

 そうです。暗闇の中をさまよっていた「古い人」が救い主イエス・キリストを心に迎え、光の中を歩む「新しい人」に生まれ変わるとき、キリストのことばが心に宿るようになるのです。

 昔、イエス・キリストの後についていこうと心に決めた一人の女子中学生がいました。在日韓国人の方でした。彼女は、生まれの違いから日本の学校の教室で生徒やまた先生からもいじめられていました。それで、このまま通称名を名乗るべきか韓国人の本名を名乗るべきか、ずっと悩んでいました。本名を名乗るともっといじめられる、と考えていたからです。
 ある日、彼女は教会の牧師先生のところにやって来て、輝いた顔でこう話しました。「牧師先生。私、本名を名乗ります。」 そう言って彼女は新約聖書ルカの福音書を開きました。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 この女子中学生は、天国に書き記されている自分の名前が通称名ではなく韓国人としての本名であると確信したのです。キリストのことばが彼女に生きる勇気、力を与え、進むべき道を見出させたのでした。

 いかがでしょう。あなたは今日、何かの事情で辛い思いをしていませんか? 苦しみと悲しみの中で、もがいていませんか? あなたも今日、救い主イエス・キリストを心に迎え、キリストのことばを心に宿してください。そのとき、キリストのことばがあなたの生きる力となるでしょう。

 あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.17放送でのお話しより )


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■“新しい人” の心にキリストの平和が / 原田憲夫

2022年07月27日 | Weblog

2022/2/16放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。今日はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙が新しい人に勧めるキリストの平和について耳を傾けたいと思います。3章15節をお読みします。

 「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」
 私たちは日常生活の中で、様々な出来事によって心が揺れ動き、自分を見失うときがあります。そのとき、私たちの心がキリストの平和で治められるように、と勧めるのです。
 ところでキリストの12弟子の一人にマタイと呼ばれる人がいます。レビと呼ばれていました。彼は当時の支配者ローマ皇帝のために、通行税や物品税を徴収する取税人でした。この取税人は同じユダヤ人からはローマの手先とみなされ、またローマの権威を笠に私腹を肥やしていたので、人間の屑と蔑まれていました。

 ところがキリストは、この町中の嫌われ者、取税人を静かに見つめ、一言声をかけたのです。 
 「わたしについて来なさい」(マタイ9:9、マルコ2:14、ルカ5:27)

 この一言は取税人レビの心の内側を激しく動かします。レビはすべてを捨てて立ちあがり、キリストに従ったのです。この時、レビの心には今まで味わったことのない不思議な喜びが溢れます。一人虚しく闇の中を歩んでいた古い人レビが、彼の心を照らすいのちの光キリストに出会い、新しい人に生まれ変わったのです。レビの心はキリストの平和で満たされ、喜びと感謝の心が溢れ出ます。それで仲間たちや他の人たちも大勢呼び、キリストのために自分の家で盛大なもてなしをしました。

 しかし当然ながら非難の声が上がりました。ところがキリストはこう語ります。
 「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」(ルカ5:31、参照マタイ9:12、参照マルコ2:17)
 
 そうです。キリストは死に至る病であるすべての人の罪をその身に負い、十字架の上でご自分のいのちをもってその罪を贖(あがな)うために来られたのです。

 いかがでしょう。あなたも心の扉を開き、いのちの光キリストを心に迎え、キリストの平和が心を支配する道へと一歩歩み出しませんか? そして、日常生活で感謝の心を溢れさせていただこうではありませんか? 


    ( PBA制作「世の光」 2022.2.16放送でのお話しより )


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■“新しい人” が身に着けるもの / 原田憲夫

2022年07月26日 | Weblog

2022/2/15放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当の原田憲夫です。今日はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙から「新しい人が身に着けるもの」について耳を傾けたいと思います。3章12節後半、13節前半をお読みします。

 「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。」

 ここでは人と人との関係における大事な、いわゆる徳、身に着けるものが挙げられています。「深い慈愛の心」・・・いつの時代にも病人、老人、子どもたち、ハンデのある人といった弱い立場にある人たちをその心の中に迎え入れる憐れみの心です。
 
 「親切」・・・年月を経てまろやかに熟成し、育つところがなくなった葡萄酒のように思いやりにあふれた優しさです。

 「謙遜」・・・古典ギリシャ語には「卑しい者」ということばはあっても、「謙遜」にあたることばがなかったといいます。謙遜を学んでいる人からは傲慢が消えて行きます。
 「柔和」・・・真に怒るべき時に怒り、間違った時に怒らない、感情を制御できる心です。

 「寛容」・・・特に侮辱を受けた時、決して忍耐を失わない精神です。

 「互いに忍耐し合い、互いに赦し合うこと」・・・ それぞれは神の前には取るに足りない者ですが、ただ神の愛と恵みによって生かされているところに立ち続ける人に育つ心です。

 そして14節で、これらを一つに結ぶ肝心な結びの帯、それが「愛」だと語り、「愛を着けなさい」と締めくくっています。

 よく言われることがあります。「その身に着けるものって窮屈じゃないんですか? 疲れませんか?」って。

 そうですね。ただここで見落としてならないのが、これらの身に着けるものはみな、救い主キリストとのつながりから来ていることです。

 キリストの弟子となったヨハネという人は以前は漁師でした。気性が激しく怒りっぽかったようで、兄弟のヤコブとともに「雷の子」と呼ばれていました。ところがその彼の心の中にキリストの愛の心が宿り、晩年には「愛の使徒」「神の使い」と呼ばれたのです。
 いかがでしょう。あなたも今日この手紙の勧め、身に着けるものについて、特に「キリストの愛の心」を心に迎え入れ、新しい人としてご一緒に歩み始めませんか? 


    ( PBA制作「世の光」 2022.2.15放送でのお話しより )


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■新しい人を着ませんか? / 原田憲夫

2022年07月25日 | Weblog

2022/2/14放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 今週担当します原田憲夫です。今週はご一緒に新約聖書コロサイ人への手紙に耳を傾けたいと思います。
3章9節後半から10節前半をお読みします。

 「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。」

 「古い人」といえばいわゆる古参とか老人を思い浮かべるでしょうか。「新しい人」とは新入りとか新人でしょうか。いわゆる時間的な違いですね。
 
 ところがこの手紙は質的な違いを語るのです。すなわち、「古い人」とは真の神様に背を向け、罪の奴隷状態にある人のことです。それに対し「新しい人」とは救い主イエス・キリストを信じ、罪の奴隷状態から解放され、神様の光の中を歩む人なのです。

 ところで新約聖書にオネシモという人が出てきますが、彼はピレモンの家の奴隷でした。そのオネシモが主人の物を盗んでローマへ逃亡したのです。ところがオネシモはそこで奇しくも布教活動のゆえに当時の支配者の手で捕らわれの身となっていた使徒パウロと出会い、パウロを通して自分の罪・過ちに向き合い、回心します。

 新しい人に生まれ変わったオネシモはピレモンの家へ戻されます。ただその時パウロは、もしも損害や負債があればそれを自分が代わって支払う、とピレモンに約束した上で、オネシモを奴隷としてではなく愛する兄弟として受け入れて欲しい、と頼んだのでした。
 当時は階級制度の社会で、奴隷は人間の階級に入っていませんでした。生きた道具に過ぎなかったのです。使徒パウロは奴隷解放運動を起こしたわけではありません。ただ、ピレモンが新しい人に生まれ変わることを助けたことで実態を変えたのです。生まれや身分がどうであれ、「愛する兄弟」というたった一言でこの隔ての壁を壊してしまったのです。

 そうです。「新しい人」とは救い主イエス・キリストを信じ、罪の奴隷状態から解放され、神様の光の中を歩む人なのです。新しい人は互いに神の家族として尊重し支え合いながら、きよい光の中を歩むことを目指します。

 実は今日あなたも、古い人を脱ぎ捨て新しい人を着ませんか? と神様から呼ばれているのです。その招きに応えませんか? あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.14放送でのお話しより )


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■その民は祝福されている / 福井 誠

2022年07月23日 | Weblog

2022/2/12放送

 
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。
今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記22章12節から「その民は祝福されている」と題してメッセージをお伝えいたします。

 神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」

 いよいよ新しい世代は動き出しました。エドムで妨害されたイスラエルの民は、迂回路を進んで、モアブの地に差し掛かりました。しかし、そこでもイスラエルの民は妨害されるのです。一難去ってまた一難、イスラエルの民は神の御心の道を進んでいると言うのに、随分苦労させられているなと思うところです。

 しかし、人生思うようにならないのが当たり前でしょう。大切なのは、たとえそうであっても、目的を達成できるようにと、神がともにいて支えてくださることを信頼することです。

 さて、次の妨害はモアブの王によるものでした。モアブの王バラクは、自分たちの領土をイスラエルの民が通ることに脅威を感じ、預言者バラムをお金で雇って、イスラエルを呪わせようとしています。当時、占いとその呪いのことばに対する迷信的な信仰があり、モアブの王は、それによってイスラエルを追い散らすことができると考えたのです。

 ところが、モアブの王の預かり知らぬところで、神がバラムに現れて、「その民は祝福されているのだから、呪ってはならない。」と命じられるのです。

 イスラエルに対する神の祝福は絶対のもの、不変のものでした。それは今日、まことの神を信じる者についても言えることです。しばしば人は、他人の否定的なことばや占いのことばを気にしたりするものです。しかし、まことの神を信じる者は、他人の否定的なことばも占いも、いちいち気にしないものです。神を信じる者に対する祝福のことばは決して取り去られることはありません。神を信頼することです。

 また、ぜひご一緒に通読を続け、確かに神の祝福の約束は不動であるということ、不変であるということを確認していただきたいと思います。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.12放送でのお話しより )


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■仰ぎ見れば生きる / 福井 誠

2022年07月22日 | Weblog

2022/2/11放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」 聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記21章8節から「仰ぎ見れば生きる」と題してメッセージをお伝えいたします。

 すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」

 今日の21章から民数記の新しい区分となります。もはや古い世代に代わって、新しく育った世代のエピソードが描かれています。大祭司はアロンに代わって息子のエルアザルが、また指導者はモーセに代わってヨシュアが任命されようとしていました。そして、新しい世代のイスラエルは、約束の地カナンに入る準備を再開し始めたのです。

 ところが、なんと古い世代も新しい世代も同じ人間というのは、世代が変わってもその本質は変わらないものだと、この21章を読みながら思わされるところです。世間では、古い世代は若い世代を未熟と見なし、若い世代は古い世代を老いぼれと見なすことがあります。しかし、実際には同じ穴の狢(むじな)のようなものです。

 というのも、新しく育った世代もまた。「水がない。パンがない。」と指導者のモーセと争い神の裁きを受けました。モーセは神にとりなし、神に命じられたとおりに青銅の蛇を用意しました。そして、「これを仰ぎ見れば生きる」と救いの方法を明らかにするのです。そこに理屈はありません。ただ救われるために、神が用意した方法に素直に従うかどうか、神の存在を認め神のことばを受け入れるかどうかでした。

 後にイエスはこのエピソードを引用して、永遠のいのちを得る方法を問いかけた律法学者のニコデモに答えています。「永遠のいのちを得るために神が定めた方法はただ一つ、それに従うことだ」と。そして、今日の人々に用意されたのは、青銅の蛇ではなく、「十字架にかかげられたキリストだ」と。

 理屈では理解できないことかもしれませんが、「イエスの十字架を仰ぎ見るなら、生きるのだ。」と言うのです。神の定められた方法に従うことが救いとなるのです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.11放送でのお話しより )


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■向きを変えた / 福井 誠

2022年07月21日 | Weblog

2022/2/10放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記20章21節から「向きを変えた」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「こうして、エドムはイスラエルにその領土を通らせることを拒んだので、イスラエルは彼のところから向きを変えた。」

 民数記という書名は、前半と後半で、イスラエルの人口調査が二度なされているところから来ています。つまりそれは数をとりあげており、前半はエジプトを脱出した古い世代の数とその物語、後半は荒野の40年間で育った新しい世代の数とその物語となるのです。
 今日の20章は、その区切りとなるところ、古い世代の物語の終わりです。その象徴的な出来事としてモーセの姉ミリヤムの死、そして兄アロンの死が記録されます。また、彼らは40年の荒野の生活に区切りをつけるかのように、いよいよ約束の地カナンへ踏み出していくのです。

 これまでイスラエルの民は、大まかに3つの旅を続けてきました。エジプトから紅海を渡ってシナイ山に至る旅、神の戒めである十戒を受けたシナイ山から最も長く滞在したカデシュに至る旅、そしてカデシュからヨルダン川東側を通って、約束の地へ入って行く旅です。

 20章は、その最後の旅にヨルダン川東側のエドムの領地を通ろうとして拒否され、やむをえず向きを変えて迂回したことが記されています。エドムは、ヤコブの兄弟エサウの子孫の地です。彼らは血縁的にはイスラエル人と親族関係にある民族でしたが、イスラエルを歓迎しませんでした。不思議な記録だとは思いませんか。神の導きと神の目的に沿った旅なのに、どうして、このような妨害が起こるのか、実に不思議です。

 しかし、それは私たちの人生の出来事をも象徴すると言えるでしょう。神のみこころを探りつつ人生を歩む時に、必ずしも順風満帆、物事がすいすいいくわけではないのです。人生とは思うようにはならぬもの、しかし神の最善を信頼して道を切り開くものだと言うことです。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.10放送でのお話しより )


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■傷のない完全な赤い牝牛 / 福井 誠

2022年07月20日 | Weblog

2022/2/9放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は民数記19章2節から「傷のない完全な雌牛」と題してメッセージをお伝えいたします。

「主が命じるおしえの定めは、こうである。イスラエルの子らに告げよ。まだくびきを負わせたことがなく、傷のない完全な、赤い雌牛をあなたのところに引いて来るようにと。」

 今週は、ずっと祭司職についてのお話が続きます。まず祭司の任命、そして祭司の報酬。今日は、祭司の職務内容に絡んで、赤い雌牛を献げることの意味が語られています。

 「赤い雌牛」。唐突にも感じられますが、祭司の職務の一つとして「きよめの水」を作ることがありました。そのために赤い雌牛を焼くのです。それは、杉の木、ヒソプ、緋色の糸とともに焼きます。イスラエルでは杉は「強さと長寿」、ヒソプは「きよめ」、緋色の糸は「いのちの象徴」とされました。そのようにして焼かれた赤い雌牛の灰を集め、新鮮な水を加え、汚れを除く水を作るのです。

 大切なのは、この旧約聖書の教えが、イエス・キリストの罪の赦しときよめを語るために、新約聖書で引用されたことを思い起こすことでしょう。へブル人への手紙の著者は次のように語っています。

 「雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」(ヘブル人への手紙9章13~14節)

 汚れを取り除く水を作るなど、迷信的、魔術的な儀式のように思われるかもしれません。しかし、それは人間の最も深い心の必要を満たすためのもので、「イエスの十字架の死による罪の赦しときよめの恵みに通じるものだ」というわけです。確かに人が人生において罪滅ぼしをしたい、と思ったらどんな手段があるのか。聖書はイエスの十字架の罪の赦しがあると言うのです。

 では、今日もよき一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2022.2.9放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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