♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■義に飢え渇いている者は幸いだ

2010年06月02日 | Weblog
2010/6/2放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。

 私は26歳の時に盲腸の手術をして二週間入院しました。 手術後は一切の水分と食事は禁止されました。 食事はともかく水分が摂れませんので、渇く苦しみと辛さを味わいました。 妻に「唇に水をつけてくれないか。 それを舐めるから。」と訴えたことを忘れません。 医者の許可の後、飲んだ一杯の水のおいしかったこと。 飢え渇く者の満足することを深く味わいました。 

 今日は八福のその四番めです。 イエスは言われました。「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるからである。 」 マタイ福音書5章6節

 さて、義に飢え渇く人とはどのような人でしょうか。 義とは一般的には正しい道、道理に適ったことを言います。 ですから義に飢え渇く人とは、自分の利害を捨てて正しい道に従う気持ちの強い人です。 そういえば主君のために仇(あだ)討ちをした赤穂(あこう)の浪人たちを赤穂義士と呼びます。 彼ら赤穂浪士は艱難辛苦の中で主君への忠義を求め続けました。 ですから大いなる満足を義が達成された時に味わったのではないでしょうか。 

 イエス・キリストは三十三年の生涯の間、実は自分の義ではなく神の義を求め続けました。 イエス様にとっての主君は天の父なる神様だったのです。 そしてその主君である神の義のために十字架で身代わりの死を遂げました。 イエス・キリストこそ義に飢え渇き、幸いで満ち足りた生涯を送られたお方です。 

 預言者イザヤはこう言っています。 「(キリスト)は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべ(イエス)はその知識によって、多くの人を義とし、また彼ら(人々)の不義を負う。 」 イザヤ書の53章11節 (口語訳聖書)

 ですから私たちが飢え渇く義は神の義であり、義となられたイエス・キリストです。 私たちがこの人生において神の義を第一に求め、義となられたキリストを求めていくとき、幸いな人となり、満ち足りた生涯となるのです。 

 キリストのことばです。 
 「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」 マタイの福音書6章33節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2010.6.2放送でのお話より )

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