おはようございます。世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
えー、秋というのはいろんな言われ方をしますねえ。読書の秋とか芸術の秋とか、あとは食欲の秋とか。実りの秋というのもありますねえ。もう恐らくどこでも稲刈りは終わってしまっているんだろうと思うんですけど、私はよく田んぼの所を通る時にですねえ、本当にこう、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」っていうのを、見ながら実感するんですね。実が実るってすばらしいなあって。本当にああやって頭(こうべ)を垂れるという、実れば実るほど謙遜になっていく。自分は一体どれだけ実をつけているかなあ。そして自分の姿勢は、生き方はどうなんだろうかなあなどというふうに思わされたりするんですけれどねえ。
えー、詩篇の1篇という所、旧約聖書の詩篇の1篇という所に、神様のみことばに根ざして生きる人生というのは時が来ると豊かに実を結ぶようになるんだというふうなことが書いてあってですね、そして実を結ばないものは風の吹き去る籾殻(もみがら)のように、いざ問題が起こったりすると吹っ飛んでしまうというようなことが書いてあって、確かに実が入っているのと実が入っていないのとは見た所は籾殻(もみがら)の場合あまり変りがない訳ですけれども、実が入っていないと、つまり風が吹いてくる、何か事件が起きる、そのような問題が起こってくる時に、吹っ飛んでしまう。吹き飛んでしまうという。実の入っていない、つまり本当に実りの少ない人生というのは、本当に風の吹き去る籾殻(もみがら)のような価値のないものになってしまうんだろうなあというふうに思わされる訳ですね。
聖書の中でもイエス様が、いちじくの木を御覧になって、そして(ああ葉がいっぱい茂っているからきっと実があるに違いない)と思って行ってみたら、葉っぱだけで全然実がなかった。普通いちじくは実が先になりますから葉っぱがあるということは当然実があるものだという期待がある訳ですけれども、私自身の人生でも何か見たところ葉っぱが茂っているようだけれどもでも全然実がないなあということだったら大変だなあというふうに思うんですけれども。でも聖書の中で、何とかして実を結ばせようとして父なる神様は私たちをもたげて持ち上げて実を結ばせよとしていてくださることなんだということがヨハネの15章に書かれているんですが、えー、神様をあてにしてですね、そして実りある人生を送らせていただくように本当に主に信頼していきたいなと思わされます。
( PBA制作「世の光」2005.10.31放送でのお話しより )
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